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有馬斉・的場和子(通訳)「職場におけるいじめについて」
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(
通訳
つうやく
)
職場
しょくば
におけるいじめについて
有馬
ありま
斉
ひとし
・
的場
まとば
和子
かずこ
2009/03/19
立命館大学
りつめいかんだいがく
グローバルCOEプログラム「
生存
せいぞん
学
がく
」
創成
そうせい
拠点
きょてん
20090319
安部
あべ
彰
あきら
・
有馬
ありま
斉
ひとし
『ケアと
感情
かんじょう
労働
ろうどう
――
異
こと
なる
学
がく
知
ち
の
交流
こうりゅう
から
考
かんが
える』
立命館大学
りつめいかんだいがく
生存
せいぞん
学
がく
研究
けんきゅう
センター,
生存
せいぞん
学
がく
研究
けんきゅう
センター
報告
ほうこく
8,248p. ISSN 1882-6539 pp.46-57
[*
講演
こうえん
中
ちゅう
に
使
つか
われたスライドは(#
番号
ばんごう
)というかたちで
本文
ほんぶん
中
ちゅう
に
示
しめ
した。スライドの
内容
ないよう
は
原文
げんぶん
の
終
お
わりにまとめて
収録
しゅうろく
してある]
こんにちは。お
会
あ
いできて
大変
たいへん
嬉
うれ
しいです。お
招
まね
き
下
くだ
さってありがとうございます。
立命館大学
りつめいかんだいがく
に
来
きた
られてとても
幸
しあわ
せです。
私
わたし
の
今日
きょう
の
研究
けんきゅう
報告
ほうこく
は、
職場
しょくば
のいじめについてです。
学校
がっこう
で
起
お
こる
場合
ばあい
は、(
日本語
にほんご
では)「いじめ」と
呼
よ
ばれているそうですが、
職場
しょくば
ではどうなのでしょうか。
今日
きょう
はいじめの
影響
えいきょう
についてお
話
はなし
します。いじめは、
職場
しょくば
、とくに
患者
かんじゃ
をケアする
職場
しょくば
において、
否定
ひてい
的
てき
な
感情
かんじょう
を
引
ひ
き
起
お
こします。
最近
さいきん
まで、
実
じつ
はいじめの
問題
もんだい
はあまり
語
かた
られてきませんでした。これはタブーでした。
全
すべ
てではないにしてもほとんどの
組織
そしき
は、
自分
じぶん
たちの
組織
そしき
にはいじめの
問題
もんだい
はないといってきました。しかし、
近年
きんねん
、ラジオやテレビなどのマスメディアから
注目
ちゅうもく
されるようになり、この
現象
げんしょう
のもっと
詳
くわ
しい
分析
ぶんせき
が
行
おこな
われるようになりました。
職場
しょくば
の
多
おお
くの
人々
ひとびと
が、
仕事
しごと
に
出
で
かけることにたいして
非常
ひじょう
に
否定
ひてい
的
てき
な
感情
かんじょう
をもっていることがあきらかになってきました。スカンジナヴィア、とくにノルウェイやスウェーデンやデンマークといったスカンジナヴィアの
国々
くにぐに
の
人々
ひとびと
が、
今日
きょう
私
わたし
たちが
知
し
っているいじめについて、
多
おお
くの
先駆
せんく
的
てき
な
研究
けんきゅう
を
行
おこな
いました(#1)。
現在
げんざい
、
職場
しょくば
のいじめに
関
かん
する
文献
ぶんけん
は
非常
ひじょう
にたくさんあります。
私
わたし
たちは、いじめを
定義
ていぎ
するところから
始
はじ
めなければなりません。これまでに
非常
ひじょう
に
多
おお
くの
定義
ていぎ
が
出
だ
されています。
個人
こじん
としての
人
ひと
に
向
む
けられた
否定
ひてい
的
てき
な
行為
こうい
である、という
点
てん
を
強調
きょうちょう
したものから、
性差
せいさ
や
民族
みんぞく
でわけられた
集団
しゅうだん
と
関連
かんれん
づけたものまであります。また、セクシュアル・ハラスメントや
人種
じんしゅ
ハラスメントといった
言葉
ことば
を
用
もち
いるものもあります。
しかし、すべての
意味
いみ
を
包含
ほうがん
する
定義
ていぎ
としては、「
職場
しょくば
のいじめとは、
個人
こじん
や
個人
こじん
の
所有
しょゆう
物
ぶつ
または
集団
しゅうだん
や
組織
そしき
にたいして、
実際
じっさい
に
言葉
ことば
で
脅
おど
したり・
感情
かんじょう
面
めん
での
脅威
きょうい
を
与
あた
えたり・
身体
しんたい
的
てき
な
攻撃
こうげき
を
与
あた
えたりすること、あるいは、
実際
じっさい
にはそうしていなくてもそのような
脅威
きょうい
として
相手
あいて
に
受
う
け
止
と
められるようなことをすること」というものがあります。こうしてみると、
個人
こじん
、
集団
しゅうだん
、そして
組織
そしき
全体
ぜんたい
のレヴェルにおいて
起
お
こっていることが
分
わ
かります。
さて、パム・スミス
教授
きょうじゅ
は、ケアに
従事
じゅうじ
する
組織
そしき
としての
英国
えいこく
国民
こくみん
保健
ほけん
サービス(National Health Service, NHS)についてお
話
はなし
されました。スミス
教授
きょうじゅ
も
述
の
べていたとおり、
毎年
まいとし
、イギリスのヘルスケア
委員
いいん
会
かい
(Healthcare Commission)が
調査
ちょうさ
をしており、
国民
こくみん
保健
ほけん
サービスのスタッフが
経験
けいけん
しているむしろ
否定
ひてい
的
てき
な
経験
けいけん
について
最新
さいしん
の
統計
とうけい
が
得
え
られています。
状況
じょうきょう
は、
毎年
まいとし
の
結果
けっか
を
比
くら
べてみると、
良
よ
くなってきていればよいのですが、
実際
じっさい
には、この4
年間
ねんかん
、
横
よこ
ばいか、あるいは
悪
わる
くなってきています。
このスライド(#2)を
見
み
てもらえればわかるのですが、スタッフにたいする
最大
さいだい
の
脅威
きょうい
は
実
じつ
は、
彼
かれ
らがケアしている
相手
あいて
、つまり
患者
かんじゃ
や
患者
かんじゃ
の
家族
かぞく
から
来
き
ているのです。NHSのスタッフの23%は、
何
なん
らかの
形
かたち
で
患者
かんじゃ
からのいじめを
受
う
けていると
報告
ほうこく
しています。18%が、
患者
かんじゃ
の
家族
かぞく
からいじめを
受
う
けたと
報告
ほうこく
しています。8%が
上司
じょうし
からのいじめ、13%が
同僚
どうりょう
のいじめで、これらは
数字
すうじ
は
少
すこ
し
小
ちい
さいですが、やはり
深刻
しんこく
です。
実際
じっさい
、ヘルスケア
委員
いいん
会
かい
は、
毎年
まいとし
、
職場
しょくば
の
文化
ぶんか
を
変
か
えることの
必要
ひつよう
性
せい
と、そのためのもっとしっかりした
政策
せいさく
づくりを
勧告
かんこく
しているのです。
スカンジナヴィアの
研究
けんきゅう
者
しゃ
のひとりであるスタール・アイナーソン(Stale Einarsen)は、いじめを、いちどに
起
お
こることではなく、
徐々
じょじょ
に
展開
てんかい
する
過程
かてい
として
描
えが
いています。
少
すこ
しずつ
展開
てんかい
するので、
同時
どうじ
に、
少
すこ
しずつ
許容
きょよう
されていってしまいます。きっかけは、
多
おお
くの
場合
ばあい
、
職場
しょくば
で
起
お
こるなんらかの
類
るい
の
葛藤
かっとう
にあります。たとえば、
私
わたし
たちの
国
くに
ではクリスマスの
休日
きゅうじつ
を
家族
かぞく
と
過
す
ごしたいと
思
おも
っている
人々
ひとびと
、あるいは
外国
がいこく
人
じん
の
看護
かんご
師
し
であれば
元旦
がんたん
に
自分
じぶん
の
国
くに
に
帰
かえ
るとき
値段
ねだん
が
安
やす
い
航空
こうくう
券
けん
を
買
か
えるよう
余分
よぶん
に
休日
きゅうじつ
が
欲
ほ
しいのですが、そういう
人
ひと
たちが、
有給
ゆうきゅう
休暇
きゅうか
をいつ
取
と
るか、
誰
だれ
がいつ
残業
ざんぎょう
するか、といったことをめぐっていいます。これは
比較的
ひかくてき
小
ちい
さなことで、だから
比較的
ひかくてき
容易
ようい
に
解決
かいけつ
することもできるのですが、
扱
あつか
いを
誤
あやま
ると、──パム・スミスがリーダーについて、
良
よ
いリーダーシップについて
話
はな
しましたが──、
誰
だれ
かが
不利
ふり
な
状態
じょうたい
に
立
た
たされたりします。たとえば、クリスマスの
日
ひ
に
働
はたら
かなければならない。
安
やす
めの
航空
こうくう
券
けん
を
取
と
ることができない。
彼
かれ
らは
自分
じぶん
たちが
不利
ふり
な
立場
たちば
に
立
た
たされていると
感
かん
じます。
他
た
の
人々
ひとびと
も、
彼
かれ
らのことを
攻撃
こうげき
しやすい
存在
そんざい
として、したがって、いつ
働
はたら
かせても
構
かま
わない、
他
た
の
人
ひと
が
誰
だれ
も
働
はたら
きたくない
時
とき
間
あいだ
帯
たい
でも
働
はたら
かせることができる、そんな
存在
そんざい
として、
見
み
るようになります。
時間
じかん
が
経
た
つにつれて、こうした
人々
ひとびと
は、
自尊心
じそんしん
を
少
すこ
しずつ
奪
うば
われ、
脅
おびや
かされ、
怖
こわ
がらせられ、ときには
同僚
どうりょう
から
罰
ばっ
せられたりもするのです(#3)。
もう
少
すこ
し
詳
くわ
しく
言
い
えば、これはアイナーソンが
言
い
っていることで、
私
わたし
も
非常
ひじょう
に
正確
せいかく
だと
思
おも
うのですが、
初期
しょき
のステージにおいては、いじめは
見分
みわ
けることが
非常
ひじょう
に
難
むずか
しいということです。あまりに
些細
ささい
なことなので、
単
たん
に
私
わたし
の
想像
そうぞう
にすぎないとか、
私
わたし
の
頭
あたま
の
中
なか
で
起
お
こっているにすぎないとか、
本当
ほんとう
には
何
なに
も
起
お
こっていないなどと
思
おも
われてしまいます。しかし、
時間
じかん
が
経
た
つにつれて、
行動
こうどう
がもっと
直接的
ちょくせつてき
になります。
特
とく
に
悪
わる
い
場合
ばあい
には、
標的
ひょうてき
にされた
人
ひと
、つまり
被害
ひがい
者
しゃ
は、
同僚
どうりょう
から
避
さ
けられたり、
孤立
こりつ
したり、
公
おおやけ
の
場
ば
で
恥
はじ
をかかされたりします。
葛藤
かっとう
が
続
つづ
くと、
周囲
しゅうい
の
人々
ひとびと
は
自分
じぶん
の
方
ほう
は
損害
そんがい
を
被
かぶ
らずに
攻撃
こうげき
することができるようになり、もっと
頻繁
ひんぱん
に
攻撃
こうげき
するようになります。
標的
ひょうてき
にされた
人
ひと
は、
気持
きも
ちを
挫
くじ
かれ、
精神
せいしん
的
てき
な
問題
もんだい
を
起
お
こしさえして、
対抗
たいこう
できなくなり、
仕事
しごと
の
能率
のうりつ
が
下
さ
がってきます。そこで、
周囲
しゅうい
の
人
ひと
から、
仕事
しごと
仲間
なかま
として
期待
きたい
できないなどと
言
い
われるようになります。このようにして
悪循環
あくじゅんかん
に
陥
おちい
ってしまうのです(#4)。
ひとつ
例
れい
を
挙
あ
げましょう。これはパム・スミス
先生
せんせい
と、
私
わたし
と、それからもうひとりの
同僚
どうりょう
であるヘレン・アレン(Helen Allen)との
三
さん
人
にん
で
行
おこな
った
研究
けんきゅう
なのですが、その
中
なか
で、アフリカやフィリピンやその
他
た
の
外国
がいこく
からきた
看護
かんご
師
し
が、このような
扱
あつか
いをしばしば
経験
けいけん
していました。はじめ、
彼
かれ
らは
何
なに
が
起
お
こっているのか
正確
せいかく
に
理解
りかい
できなかったのですが、
私
わたし
はそのうちのひとりが
言
い
ったことに
本当
ほんとう
に
心
しん
を
動
うご
かされました。
彼女
かのじょ
は、「
朝
あさ
、
職場
しょくば
へ
行
い
っても
誰
だれ
も
自分
じぶん
にはおはようと
声
こえ
をかけてくれない」といったのです。おはよう、と
言
い
うのは
簡単
かんたん
なことです。「
誰
だれ
からもおはようといわれない。だから
私
わたし
も
誰
だれ
にもおはようといいません。まるで
自分
じぶん
は
誰
だれ
にも
見
み
えないかのようです。」
このスライド(#5)は、
人々
ひとびと
が
職場
しょくば
で
経験
けいけん
するとされる、いじめの
行動
こうどう
のさまざまなタイプを
分類
ぶんるい
したものです(
編者
へんしゃ
註:ホウエルとレイナー[Hoel and Rayner]の
分類
ぶんるい
。いじめが、
職場
しょくば
の
地位
ちい
を
脅
おびや
かすこと、
個人
こじん
攻撃
こうげき
を
加
くわ
えること、
孤立
こりつ
させること、
非
ひ
現実
げんじつ
的
てき
な
仕事
しごと
を
与
あた
えること、
価値
かち
を
下
さ
げさせること、
好
この
ましくない
身体
しんたい
的
てき
な
接触
せっしょく
をもつことの
5
いつ
つのタイプに
分類
ぶんるい
される。
上
うえ
掲のスライドを
参照
さんしょう
のこと)。もっとも
一般
いっぱん
的
てき
ないじめのイメージは、
身体
しんたい
的
てき
ないじめ、つまり、
非常
ひじょう
に
目
め
に
付
つ
きやすくて、
攻撃
こうげき
的
てき
で、
人
ひと
を
怖
こわ
がらせるような
行動
こうどう
かもしれませんが、ご
覧
らん
のとおり、
実際
じっさい
にはそういうものでは
全
まった
くないことがわかります。
中
なか
には
非常
ひじょう
に
捉
とら
えがたく、
非
ひ
直接的
ちょくせつてき
で、
陰険
いんけん
なため、ほとんど
頭
あたま
の
中
なか
の
想像
そうぞう
にすぎないとか、
本当
ほんとう
には
起
お
こっていないことだ、などと
考
かんが
えられてしまうものもあります。しかし、
本人
ほんにん
は
感情
かんじょう
的
てき
な
傷
きず
を
負
お
います。しかも、どうしてそうなのかよく
分
わ
からないのです。
この
分類
ぶんるい
は
非常
ひじょう
に
役
やく
に
立
た
つと
思
おも
います。たとえば、いじめられている
人
ひと
は、
職場
しょくば
の
地位
ちい
を
脅
おびや
かされたり、
公
おおやけ
の
場
ば
で
恥
はじ
をかかされたりします。
一生懸命
いっしょうけんめい
に
働
はたら
いていないと、
周囲
しゅうい
から
言
い
われたりします。
自分
じぶん
の
存在
そんざい
を
小
ちい
さくされてしまい、
自分
じぶん
でも
自分
じぶん
のことを
小
ちい
さな
存在
そんざい
だと
思
おも
うようにさせられてしまう。たとえば
外国
がいこく
人
じん
の
看護
かんご
師
し
にたいして、「あなたは
看護
かんご
師
し
として
仕事
しごと
はできないが、それよりも
給与
きゅうよ
も
低
ひく
く、
階級
かいきゅう
の
中
なか
で
地位
ちい
も
低
ひく
い、
介護
かいご
人
じん
(carer)としてなら
働
はたら
ける」などと
言
い
う
人
じん
がいたりします。あるいは、「あなたは
医療
いりょう
に
携
たずさ
わることはできないが、
介護
かいご
人
じん
として
薬
くすり
を
飲
の
ませる
仕事
しごと
ならできるだろう」などと
言
い
われたりします。このようにして
自尊心
じそんしん
が
傷
きず
つけられるのです。
分類
ぶんるい
の
次
つぎ
のタイプは、
個人
こじん
攻撃
こうげき
です。ケアワーカーや、
看護
かんご
師
し
などのスタッフは、
怖
こわ
がらせるようなことを
言
い
われたり、
名前
なまえ
で
呼
よ
ばれて
侮辱
ぶじょく
されたりします。たとえば、
患者
かんじゃ
が「あの
黒人
こくじん
の
看護
かんご
師
し
に
治療
ちりょう
を
受
う
けたくない」と
言
い
ったりします。
次
つぎ
に、
孤立
こりつ
。
先
さき
ほどすでに、
誰
だれ
からも「おはよう」と
挨拶
あいさつ
してもらえない
人
ひと
の
例
れい
を
紹介
しょうかい
しましたが、これは
非常
ひじょう
に
残酷
ざんこく
な
仕打
しう
ちです。
社会
しゃかい
的
てき
な
排斥
はいせき
、つまり、
話
はな
しかけないようにすることで、
相手
あいて
に、
自分
じぶん
が
人間
にんげん
ではないかのような
感
かん
じを
持
も
たせるようにすることです。これはさらに、
相手
あいて
が
会議
かいぎ
に
来
く
るときに
必要
ひつよう
な
知識
ちしき
や
情報
じょうほう
を
教
おし
えてあげないようなことにも
繋
つな
がります。ここでも、
人
ひと
の
存在
そんざい
は、まるで
誰
だれ
の
目
め
にも
見
み
えないかのようになってしまいます。
情報
じょうほう
さえ
持
も
っていればできたはずの
貢献
こうけん
を、することができないようにさせられてしまうのです。
それから、
非
ひ
現実
げんじつ
的
てき
な
量
りょう
の
仕事
しごと
を
与
あた
えられることもあります。これはまた
別
べつ
のタイプのいじめの
行動
こうどう
です。たとえば、
人
ひと
に、
不可能
ふかのう
な
期日
きじつ
を
与
あた
えて、
仕事
しごと
が
間
ま
に
合
あ
わず
失敗
しっぱい
するように
仕向
しむ
けます。
人
ひと
はこうして
仕事
しごと
の
効率
こうりつ
が
悪
わる
い
人間
にんげん
だとみなされるようになります。また、
人
ひと
の
価値
かち
を
低
ひく
くすることや、
人
ひと
が
失敗
しっぱい
するように
仕向
しむ
けることも、これと
関係
かんけい
があります。たとえば
人
ひと
に
無意味
むいみ
な
仕事
しごと
を
与
あた
えたり、
人
ひと
の
仕事
しごと
の
価値
かち
を
何
なん
らかの
仕方
しかた
で
低
ひく
く
見
み
せたりします。たとえば、「あなたが
何
なに
を
言
い
っているか
誰
だれ
もあなたの
言葉
ことば
を
理解
りかい
できない」と
言
い
ったりするのです。こうしたことも、
人
ひと
に
害
がい
を
与
あた
えます。
本人
ほんにん
は
他人
たにん
をケアする
自分
じぶん
の
能力
のうりょく
に
自信
じしん
が
持
も
てなくなります。
最後
さいご
のひとつは、
好
この
ましくない
身体
しんたい
的
てき
な
接触
せっしょく
を
迫
せま
ることです。セクシュアル・ハラスメントはそのあきらかな
例
れい
ですが、これは、セクシュアル・ハラスメントに
限
かぎ
りません。たとえば、
上司
じょうし
があなたの
肩
かた
に
手
て
を
置
お
いて
圧力
あつりょく
をかけること。これは
許
ゆる
されることではありません。「
私
わたし
はあなたよりも
優
すぐ
れている。だからあなたは
私
わたし
のルールに
従
したが
って
働
はたら
かなければならないのだ」といっているのと
同
おな
じことであり、
好
この
ましいことではありません。
さて、
職場
しょくば
でこうしたことを
経験
けいけん
している
人々
ひとびと
には、ときに
非常
ひじょう
に
深刻
しんこく
な
影響
えいきょう
が
出
で
る
可能
かのう
性
せい
があります(#6)。こうした
類
るい
のいじめを
頻繁
ひんぱん
に
受
う
けると、
人
ひと
は
病気
びょうき
になるかもしれません。もちろん、そうなれば
事態
じたい
はますます
悪
わる
くなります。
彼
かれ
らは
病気
びょうき
で、いつも
休
やす
んでばかりいることになります。つまり、
彼
かれ
らは
良
よ
い
同僚
どうりょう
だとはみなされなくなり、
仕事
しごと
の
効率
こうりつ
が
悪
わる
く、
頼
たよ
りがいのない
同僚
どうりょう
である、ということになります。ここにも
悪循環
あくじゅんかん
がみられます。
病気
びょうき
で
仕事
しごと
を
休
やす
みまでしなくても、
恐
おそ
れや
不安
ふあん
や
絶望
ぜつぼう
やショックなどの
深刻
しんこく
な
感情
かんじょう
的
てき
反応
はんのう
を
伴
ともな
うことがあります。こうした
感情
かんじょう
は、スミス
教授
きょうじゅ
が
今日
きょう
の
報告
ほうこく
で
話
はな
されたような、
感情
かんじょう
労働
ろうどう
につながるような
感情
かんじょう
ではありません。こうした
状況
じょうきょう
においては、
人々
ひとびと
は
非常
ひじょう
に
否定
ひてい
的
てき
な
感覚
かんかく
を
持
も
つようになります。
職場
しょくば
を
怖
こわ
がるようになったり、
職場
しょくば
で
脅
おびや
かされるように
感
かん
じたりします。こうした
人々
ひとびと
にとって、
職場
しょくば
は
居心地
いごこち
の
良
よ
い
場所
ばしょ
ではありません。
極端
きょくたん
な
場合
ばあい
には、こうした
人
ひと
の
症状
しょうじょう
は
心的
しんてき
外傷
がいしょう
後
ご
ストレス
障害
しょうがい
に
近
ちか
い、という
指摘
してき
もなされています。
心
しん
的
てき
外傷
がいしょう
後
ご
ストレス
障害
しょうがい
というのはご
存
ぞん
じのように、ふつうはショックやトラウマのあとで
起
お
こるものですが、これと
感情
かんじょう
的
てき
な
反応
はんのう
が
非常
ひじょう
に
似
に
ているのです。もちろん、
長
なが
い
期間
きかん
に
渡
わた
ってこうしたことを
経験
けいけん
し
続
つづ
けると、
良
よ
くない
影響
えいきょう
を
伴
ともな
います。
さてしかし、こうした
否定
ひてい
的
てき
な
影響
えいきょう
は、
逆説
ぎゃくせつ
的
てき
なことに、いじめの
直接
ちょくせつ
の
標的
ひょうてき
にはなっていない
人
ひと
も
含
ふく
めた
他
ほか
の
多
おお
くの
同僚
どうりょう
にも
同時
どうじ
に
影響
えいきょう
が
及
およ
ぶのです。また、
直接
ちょくせつ
の
標的
ひょうてき
であるスタッフがここまでに
述
の
べたようなことを
経験
けいけん
している
場合
ばあい
、
患者
かんじゃ
に
対
たい
する
影響
えいきょう
も、けっして
良
よ
いものではありません。さらに、こうしたことが
起
お
こっていることを
見
み
ているだけの
周囲
しゅうい
の
人々
ひとびと
にも
同
おな
じような
恐怖
きょうふ
心
しん
が
起
お
こってきます。スタッフが
経験
けいけん
する
否定
ひてい
的
てき
な
感情
かんじょう
は、
患者
かんじゃ
に
対
たい
するケアの
質
しつ
にも
影響
えいきょう
を
与
あた
えるのです。スタッフは、
自分
じぶん
たち
自身
じしん
のことばかりが
頭
あたま
にあると、
患者
かんじゃ
に
注意
ちゅうい
を
向
む
けられなくなり、
患者
かんじゃ
に
感情
かんじょう
的
てき
に
奉仕
ほうし
することができなくなるため、
結果
けっか
として、
患者
かんじゃ
は
自分
じぶん
が
放置
ほうち
されているように
感
かん
じたり、
人
ひと
としてではなく
物
もの
として
扱
あつか
われているように
感
かん
じたりするようになります。
患者
かんじゃ
の
気持
きも
ちもこのようにして
影響
えいきょう
を
受
う
けるのです(#7)。
何
なん
の
介入
かいにゅう
もなく
放
はな
っておかれると、ふつうはこうしたことが
起
お
こります。いじめられている
人
ひと
を
助
す
けようとする
同僚
どうりょう
も
中
なか
には
出
で
てきますが、
多
おお
くの
人
ひと
は、いろいろな
理由
りゆう
があって、
助
す
けようとはしません。
自分
じぶん
が
次
つぎ
の
被害
ひがい
者
しゃ
になるのを
恐
おそ
れているのかもしれないし、あるいはただ、
知
し
らない
振
ふ
りをしたり
被害
ひがい
者
しゃ
を
攻撃
こうげき
したりする
大勢
おおぜい
に
従
したが
っているだけなのかもしれません。
同僚
どうりょう
からそんなふうに
扱
あつか
われている
被害
ひがい
者
しゃ
のために
立
た
ち
上
あ
がって
擁護
ようご
しようとすれば、
大変
たいへん
な
勇気
ゆうき
が
要
い
ります。
組合
くみあい
の
中
なか
の
人々
ひとびと
が
助
す
けようとすることもありますが、しかし、
多
おお
くの
人
ひと
は
進
すす
んで
組合
くみあい
に
加担
かたん
しようとしません。というのも、いじめの
行動
こうどう
は、あまりにも
目立
めだ
たなくて、
非
ひ
直接的
ちょくせつてき
であり、
実際
じっさい
に
何
なに
が
起
お
こっているのかを
正確
せいかく
に
指摘
してき
することは
難
むずか
しいからです。そこで、すでに
述
の
べたように、いじめられている
人
ひと
は、
少
すこ
しずつ、
仕事
しごと
の
効率
こうりつ
が
悪
わる
くなり、
周囲
しゅうい
から
個人
こじん
的
てき
に
問題
もんだい
のある
人
ひと
として
理解
りかい
されるようになります。
周囲
しゅうい
から
批難
ひなん
され、また「
自分
じぶん
はこの
仕事
しごと
に
向
む
いていないんだ」と、
自分
じぶん
のことを
自分
じぶん
でも
批難
ひなん
するようになるかもしれません。
組織
そしき
の
中
なか
の
他
ほか
の
人々
ひとびと
は、ほとんど
誰
だれ
も、こうした
人々
ひとびと
から
来
く
る
感情
かんじょう
のダメージを
理解
りかい
しようとしません。そこで、
実際
じっさい
のところ、
現実
げんじつ
には
多
おお
くの
人
ひと
が
職場
しょくば
を
去
さ
ることになります(#8)。
シャーロット・レイナー(Charlotte Rayner)の
見積
みつ
もりによれば、これは
人事
じんじ
課
か
をとおして
辞
や
めた
人々
ひとびと
にインタビューした
結果
けっか
からの
見積
みつ
もりですが、いじめが
原因
げんいん
で
職場
しょくば
を
去
さ
った
人
ひと
は、4
分
ぶん
の1、つまり25%にも
上
のぼ
ることがあるそうです。これは
人的
じんてき
資源
しげん
とお
金
かね
の
大
おお
きな
無駄
むだ
です。
そこで
何
なに
か
私
わたし
たちにできることはあるでしょうか。
幸運
こううん
なことに、あります。
重要
じゅうよう
なことは、これはよく
組合
くみあい
が
個人
こじん
に
勧
すす
めることでもあるのですが、
実際
じっさい
に
起
お
こっていることを
書
か
き
留
と
め、
情報
じょうほう
として
集
あつ
めておくことです。
日記
にっき
に
記
しる
したり、
出来事
できごと
を
起
お
こったままに
記録
きろく
に
残
のこ
したりすることです。
一
ひと
つ
一
ひと
つのものは
大
たい
したものではないように
思
おも
われるかもしれませんが、
時間
じかん
を
経
へ
てそれが
積
つ
み
重
かさ
なってくると、これがいじめとして
現
あら
われてきます。どうしてそれが
起
お
こっているのか、
原因
げんいん
についての
情報
じょうほう
を
得
え
ること、そして、とくにその
職場
しょくば
においてどのような
影響
えいきょう
が
出
で
ているのか、また、
問題
もんだい
を
解決
かいけつ
するために
取
と
りうる
行動
こうどう
や
介入
かいにゅう
のあり
方
かた
について
情報
じょうほう
を
集
あつ
めること。できることは
非常
ひじょう
にたくさんあるのです(#9)。
はじめに、いじめられた
人々
ひとびと
が
正式
せいしき
に
申
もう
し
立
た
てをする
場合
ばあい
を
考
かんが
えましょう。これもひとつの
対処
たいしょ
の
仕方
しかた
です。
彼
かれ
らは
上司
じょうし
とまず
面会
めんかい
し、
組合
くみあい
に
自分
じぶん
たちのい
分
いぶん
を
代表
だいひょう
してもらうことができるようになります。
私
わたし
たちはこれを「
仲裁
ちゅうさい
(arbitration)」と
呼
よ
んでいます(#10)。そのあとのプロセスは
非常
ひじょう
に
形式
けいしき
的
てき
なものです。この
方法
ほうほう
の
問題
もんだい
点
てん
は、
組織
そしき
に
雇
やと
われている
仲裁
ちゅうさい
者
しゃ
が、このプロセスを
支配
しはい
してしまうこと、また、
仲裁
ちゅうさい
者
しゃ
が
組織
そしき
に
対
たい
して
義務
ぎむ
を
負
お
っていることにあります。
仲裁
ちゅうさい
者
しゃ
は、
罰
ばち
を
与
あた
えたり
人
ひと
を
批難
ひなん
したりすることができるようになっています。
結果
けっか
として、たいていの
場合
ばあい
、
問題
もんだい
が
勝
か
ち
負
ま
けの
問題
もんだい
になってしまいます。しかしこれは
良
よ
いことではありません。つまり、
一方
いっぽう
が
勝
か
ちます。それは
被
ひ
雇用
こよう
者
しゃ
側
がわ
かもしれません。すると
被
ひ
雇用
こよう
者
しゃ
は
職場
しょくば
に
残
のこ
ることになりますが、その
後
ご
も
被
ひ
雇用
こよう
者
しゃ
は、
周囲
しゅうい
からはトラブルを
起
お
こしがちな
人
ひと
として
見
み
られることになります。あるいは、
被
ひ
雇用
こよう
者
しゃ
が
負
ま
けるかもしれません。すると
彼
かれ
らは
組織
そしき
から
排除
はいじょ
されてしまいます。いくらかお
金
かね
を
渡
わた
されるか
何
なに
かして、
出
で
て
行
い
くように
言
い
われます。どちらにしても、これは
非常
ひじょう
に
気持
きも
ちの
悪
わる
いものです。たいていの
場合
ばあい
、
結果
けっか
はあまり
良
よ
くありません。
考
かんが
えてみてください。
仮
かり
にあなたが
勝
か
って、
職場
しょくば
に
戻
もど
ることが
許
ゆる
されたとしても、
申
もう
し
立
た
てがそもそも
起
お
こった
原因
げんいん
はあなたにあるのだから、やはり
上司
じょうし
はあなたのことを
嫌
きら
ったままでいることでしょう。つまり、
形式
けいしき
的
てき
にはあなたは
勝
か
ったのですが、
実際
じっさい
には、おそらく、ほんの
少
すこ
しの
間
あいだ
だけ
職場
しょくば
に
残
のこ
ったあと、そこで
幸
しあわ
せなままいることはできなくなるので、どちらにしても
職場
しょくば
を
去
さ
ることになるかもしれないのです。
私
わたし
は、これよりもっと
効果
こうか
的
てき
な
別
べつ
の
方法
ほうほう
を
提案
ていあん
したいと
思
おも
います(#11)。「
労働
ろうどう
調停
ちょうてい
(conciliation)」は、もっと
早
はや
い
段階
だんかい
における
介入
かいにゅう
のことです。まるで
裁判所
さいばんしょ
に
全員
ぜんいん
がいるような
感
かん
じになる「
仲裁
ちゅうさい
」を
待
ま
ったりせず、もっと
中立
ちゅうりつ
的
てき
な
立場
たちば
から
両者
りょうしゃ
を
導
みちび
くことができるよう
訓練
くんれん
を
受
う
けた
仲介
ちゅうかい
人
じん
あるいは
和解
わかい
調停
ちょうてい
者
しゃ
が、もっと
早
はや
い
段階
だんかい
で
介入
かいにゅう
します。
調停
ちょうてい
者
しゃ
は、
組織
そしき
の
中
なか
でとくに
地位
ちい
の
高
たか
い
人
ひと
というわけではないのですが、
同僚
どうりょう
から
尊敬
そんけい
を
集
あつ
めており、
誰
だれ
かを
非難
ひなん
したり、
一方
いっぽう
だけを
罰
ばっ
したりしません。
仲介
ちゅうかい
人
じん
は、
過去
かこ
に
起
お
こった
事柄
ことがら
に
意識
いしき
を
持
も
っていくのではなく、その
代
か
わりに、
将来
しょうらい
どのようにすれば
私
わたし
たちがもっと
効果
こうか
的
てき
に
共
とも
に
働
はたら
いていくことができるか、ということを
考
かんが
えます。
彼
かれ
らの
目的
もくてき
は、
両者
りょうしゃ
がどちらも
勝
か
つにすること、
誰
だれ
かが
自分
じぶん
が
負
ま
けたと
感
かん
じて
去
さ
ったりしないで
済
す
ませることにあります。いじめられた
人
ひと
も、いじめたとして
訴
うった
えられた
人
ひと
も、どちらについても、です。
例
れい
をひとつ
挙
あ
げましょう。すでに
先
さき
ほど
挙
あ
げた
例
れい
ですが、
海外
かいがい
から
来
き
た
看護
かんご
師
し
が、
家族
かぞく
に
会
あ
うためにフィリピンの
実家
じっか
へ
帰
かえ
りたがっている。しかし、もしも
彼女
かのじょ
には
帰国
きこく
するのにちょうど
足
た
りるだけの
休
やす
みしか
与
あた
えられず、
月曜日
げつようび
には
普段
ふだん
どおりの
勤務
きんむ
に
戻
もど
らなければならないとすれば、
彼女
かのじょ
は
航空
こうくう
券
けん
代
だい
を200ドルも
余計
よけい
に
支払
しはら
わなければなりません。そこで
彼女
かのじょ
は、「お
願
ねが
いですから
一
いち
日
にち
遅
おそ
い
飛行機
ひこうき
に
乗
の
って、
月曜日
げつようび
ではなく、
火曜日
かようび
に
戻
もど
ることを
許
ゆる
して
下
くだ
さい」と
頼
たの
むのです。はじめ
上司
じょうし
は「それはダメだ、
彼
かれ
らはいつも
余分
よぶん
に
休暇
きゅうか
をもらいたがたっているのだ」と
考
かんが
えるかもしれません。しかし
労働
ろうどう
調停
ちょうてい
者
しゃ
がここにやってくれば、
妥協
だきょう
点
てん
を
見
み
いだすことができるかもしれない。ひとつの
可能
かのう
性
せい
は、
余分
よぶん
の
一
いち
日
にち
分
ぶん
だけを
有給
ゆうきゅう
ではなくすることです。
他
ほか
にも
何
なに
か
方法
ほうほう
があるかもしれません。また、ここで
上司
じょうし
は、
貧
まず
しい
家族
かぞく
を
支
ささ
えるお
金
かね
を
稼
かせ
ぐために、
家族
かぞく
やときには
子
こ
どもまで
国
くに
に
残
のこ
して
来
き
ている
看護
かんご
師
し
が、そのことによってすでに
行
い
っている
大
おお
きな
感情
かんじょう
労働
ろうどう
のことを
理解
りかい
するようになります。
労働
ろうどう
調停
ちょうてい
者
しゃ
は、このような
上司
じょうし
の
理解
りかい
を
促
うなが
すのです。そうすることによって、より
大
おお
きな
同情
どうじょう
と
理解
りかい
が
生
う
まれることになります。
看護
かんご
師
し
も、「
相手
あいて
は
自分
じぶん
の
状況
じょうきょう
を
理解
りかい
してくれた。
自分
じぶん
の
耐
た
えてきた
困難
こんなん
を、
文句
もんく
を
言
い
わずに
理解
りかい
してくれた」と
感
かん
じるでしょう。こうして
全員
ぜんいん
が
良
よ
い
気持
きも
ちになります。
場
ば
の
感情
かんじょう
が
良
よ
くなります。
最後
さいご
から
二
ふた
つ
目
め
のスライドは、イギリスの
国民
こくみん
保健
ほけん
サービス(NHS)が
展開
てんかい
してきた
優
すぐ
れた
実践
じっせん
の
例
れい
です(#12)。その
一
ひと
つは、
職場
しょくば
の
全員
ぜんいん
が
尊厳
そんげん
と
敬意
けいい
をもって
周囲
しゅうい
から
扱
あつか
われることが
期待
きたい
できるように、
労働
ろうどう
における
尊厳
そんげん
に
関
かん
する
方針
ほうしん
を
立
た
てることです。このような
方針
ほうしん
を
立
た
てることが、いずれ、いじめにあう
人
ひと
の
割合
わりあい
を
少
すく
なくするのに
役立
やくだ
つよう
願
ねが
います。もうひとつのアイデアは、
最高
さいこう
責任
せきにん
者
しゃ
に
直接
ちょくせつ
につながるホットラインを
作
つく
ることです。これを
使
つか
って
最高
さいこう
責任
せきにん
者
しゃ
に
電話
でんわ
をかけるのは、
勇気
ゆうき
が
要
い
ることでしょう。しかし
電話
でんわ
はあります。
最高
さいこう
責任
せきにん
者
しゃ
が、
本当
ほんとう
に
公正
こうせい
な
人
ひと
で、
他人
たにん
の
話
はなし
にきちんと
耳
みみ
を
傾
かたむ
ける
人
ひと
であれば、
電話
でんわ
にも
応
おう
じるはずです。その
後
ご
、
指示
しじ
を
受
う
けた
人
ひと
が
組織
そしき
の
文化
ぶんか
や
人種
じんしゅ
の
問題
もんだい
に
対応
たいおう
します。
文化
ぶんか
や
人種
じんしゅ
の
問題
もんだい
は、イギリスのような
多
た
民族
みんぞく
社会
しゃかい
では、
異
こと
なる
文化
ぶんか
的
てき
背景
はいけい
を
有
ゆう
する
人々
ひとびと
が
共
とも
に
働
はたら
こうとするときに
困難
こんなん
や
葛藤
かっとう
が
起
お
こるため、
大
おお
きな
問題
もんだい
です。
一
ひと
つの
委託
いたく
会社
かいしゃ
に、10
人
にん
の
訓練
くんれん
されたサポート
要員
よういん
がいて、
苦情
くじょう
や
訴
うった
えについて、
共感
きょうかん
に
満
み
ちた
支
ささ
えと
指示
しじ
とを
与
あた
える。これは、
和解
わかい
の
一
ひと
つのあり
方
かた
です。サポート
要員
よういん
は、
人
ひと
が
苦情
くじょう
を
内
うち
に
溜
た
めて
怒
いか
りをこらえられなくなる
前
まえ
に
苦情
くじょう
を
解消
かいしょう
する
目的
もくてき
のためにいます。
非常
ひじょう
に
悪
わる
い
状態
じょうたい
が
起
お
こる
前
まえ
に、
人々
ひとびと
の
態度
たいど
を
変
か
えようと
試
こころ
みます。
職場
しょくば
の
感情
かんじょう
教育
きょういく
のために
必要
ひつよう
な
環境
かんきょう
を
整
ととの
え、また、
自分
じぶん
がいじめられていると
思
おも
っている
人
ひと
や、
他人
たにん
がいじめられているのを
見
み
ている
人
ひと
、また
加害
かがい
者
しゃ
も
含
ふく
めて、すべての
人
ひと
にサポートを
提供
ていきょう
します。いじめる
側
がわ
の
人
ひと
も、
大
おお
きなプレッシャーを
感
かん
じている
場合
ばあい
があります。
彼
かれ
らが
人
ひと
のことをいじめるのはそのためです。
自分
じぶん
もまた、
非常
ひじょう
にストレスを
感
かん
じているからです。
組織
そしき
が
自分
じぶん
に
無理
むり
な
期日
きじつ
を
押
お
しつけてきているという
感
かん
じがあるために、
同
おな
じような
振
ふ
る
舞
ま
いをする
人々
ひとびと
に
対
たい
しては、より
大
おお
きな
同情
どうじょう
や
理解
りかい
を
示
しめ
したりします。こうした
行動
こうどう
にはいつも
理由
りゆう
があるのです。
また、
多
おお
くのNHSの
委託
いたく
会社
かいしゃ
は、
患者
かんじゃ
に
対
たい
して「
寛容
かんよう
度
ど
ゼロ」の
方針
ほうしん
を
採用
さいよう
しています。つまり、「スタッフに
対
たい
するいかなる
攻撃
こうげき
的
てき
あるいは
暴力
ぼうりょく
的
てき
な
行動
こうどう
も、
一切
いっさい
許
ゆる
さない」というわけです。これは、
私
わたし
の
感覚
かんかく
では、そしてまた
学校
がっこう
におけるいじめに
関
かん
する
研究
けんきゅう
でも
言
い
われていることですが、あまり
効果
こうか
的
てき
な
方法
ほうほう
ではありません。しかしこれも
一
ひと
つの
試
こころ
みです。ほとんどの
病院
びょういん
やクリニックが、「
寛容
かんよう
度
ど
ゼロ」と
書
か
かれたポスターを
貼
は
り
出
だ
しています。
私
わたし
は、これは
特
とく
に
攻撃
こうげき
的
てき
な
患者
かんじゃ
や、その
家族
かぞく
に
対
たい
してはあまりき
目
きめ
がないと
思
おも
っていますが、しかし、これもNHSが
取
と
っているひとつの
方策
ほうさく
です。
最後
さいご
のスライド(#13)は、ここまでに
述
の
べてきたことの
要約
ようやく
です。
職場
しょくば
におけるいじめの
起源
きげん
を
理解
りかい
すること、そして、
何
なに
が
起
お
こっているのか、その
結果
けっか
はどうか、
標的
ひょうてき
になっている
人
ひと
だけでなく、それを
見
み
ている
周囲
しゅうい
の
人
ひと
も
含
ふく
めた
職場
しょくば
全体
ぜんたい
の
感情
かんじょう
の
雰囲気
ふんいき
への
影響
えいきょう
はどうか、といったことを
理解
りかい
することが、
非常
ひじょう
に
重要
じゅうよう
です。そして、
関係
かんけい
を
良
よ
くし、
感情
かんじょう
教育
きょういく
を
促
うなが
すことによって、
感情
かんじょう
労働
ろうどう
が
職場
しょくば
で
正
ただ
しく
認識
にんしき
されるようにすることは、
人々
ひとびと
が
自分
じぶん
の
不幸
ふこう
にばかり
気
き
を
取
と
られずに
済
す
むようにするためにも、
非常
ひじょう
に
大切
たいせつ
なことです。もちろん、
訓練
くんれん
なくしてこうしたことは
実現
じつげん
しません。リーダーシップのスキルについて
監督
かんとく
者
しゃ
が
訓練
くんれん
を
受
う
け、
彼
かれ
らがその
態度
たいど
をモデルとして
他
ほか
のスタッフに
示
しめ
せるようにすること、また
彼
かれ
らが
職場
しょくば
に
存在
そんざい
している
感情
かんじょう
を
理解
りかい
できるようにすることが、
非常
ひじょう
に
重要
じゅうよう
です。
職場
しょくば
においては、
感情
かんじょう
は
統制
とうせい
されていなくてはなりません。
私
わたし
たちは、
患者
かんじゃ
をケアし、
患者
かんじゃ
を
支
ささ
えるために、まさにそのために、
職場
しょくば
にいるのです。
私
わたし
たちの
感情
かんじょう
が
職場
しょくば
の
至
いた
るところに
撒
ま
き
散
ち
らされている、というようなことではいけません。つまり、
私
わたし
たち
働
はたら
き
手
て
のことをケアする
環境
かんきょう
がまず
必要
ひつよう
なのです。そしてこれが、
今度
こんど
は
患者
かんじゃ
やその
家族
かぞく
を
助
たす
けることにもつながるのです。
みなさん、
聞
き
いて
下
くだ
さってありがとうございます。
私
わたし
たちの
二
ふた
つのセッションについてのディスカッションと
質疑
しつぎ
応答
おうとう
を
楽
たの
しみにしています。ありがとうございました。
*
崎山
さきやま
:カウイ
先生
せんせい
、すてきなプレゼンテーション、どうもありがとうございます。カウイ
先生
せんせい
の
研究
けんきゅう
報告
ほうこく
から
私
わたし
たちは
三
みっ
つぐらい、
特
とく
に
組織
そしき
や
感情
かんじょう
について、
重要
じゅうよう
な
示唆
しさ
を
得
え
ることができたかと
思
おも
います。
まず
重要
じゅうよう
な
点
てん
というのは、いじめといったものは、
決
けっ
してわかりやすいものではなくて、
複雑
ふくざつ
な
要因
よういん
が
絡
から
んでおり、やり
方
かた
も
非常
ひじょう
に
巧妙
こうみょう
であることです。つまり、わかりやすい
身体
しんたい
的
てき
ないじめだけではなくて、
少
すこ
しずつ
人々
ひとびと
の
感情
かんじょう
だとか
自尊心
じそんしん
を
傷
きず
つけるようなやり
方
かた
でやっていく、だからこそ
難
むずか
しいということがまず
第
だい
一
いち
点
てん
かと
思
おも
います。
第
だい
二
に
には、いじめという
問題
もんだい
は
決
けっ
して
個人
こじん
の
問題
もんだい
ではなく、むしろ
組織
そしき
として
取
と
り
組
く
むべき
問題
もんだい
であるということがあります。それは
必
かなら
ずしも、
組織
そしき
の
生産
せいさん
性
せい
を
高
たか
めるということだけではなくて、
組織
そしき
レベルでメンタルヘルスへの
意識
いしき
を
高
たか
めること。こういう
観点
かんてん
から
防
ふせ
がれるべきだということだと
思
おも
います。というのも、たとえばマネージャーがいじめを
防
ふせ
ぐのが
非常
ひじょう
に
難
むずか
しい。それは、
一
ひと
つには、いじめを
判断
はんだん
するプロセスで
強
つよ
い
力
ちから
を
持
も
ったり、
組織
そしき
として
結論
けつろん
を
出
だ
さなければならないため、
片方
かたがた
を
非難
ひなん
したり
裁
さば
いたりしてしまわざるをえない。だから、いじめの
解決
かいけつ
は、
結果
けっか
として、
勝
か
ち
負
ま
けというかたちにしかならないという
難
むずか
しさがある。
仮
かり
に
労働
ろうどう
者
しゃ
が「
勝
か
ち」、
職場
しょくば
に
残
のこ
ることになっても、
他
た
の
人々
ひとびと
は
彼
かれ
らをトラブルメーカーと
見
み
てしまう。そうなると、「
負
ま
け」になってしまうわけです。それは、
組織
そしき
が
彼
かれ
らに、
退職
たいしょく
手当
てあて
を
少
すこ
し
与
あた
えて
解雇
かいこ
しようとしたりするからです。どちらにせよ、みんなが
幸福
こうふく
になるというわけではない。たとえば、そんな
状況
じょうきょう
であなたが「
勝
か
った」ことで、
職場
しょくば
に
復帰
ふっき
した
場合
ばあい
を
想像
そうぞう
してみてください。あなたの
上司
じょうし
たち(マネージャー)は、あなたが
彼
かれ
らへの
不平
ふへい
不満
ふまん
を
訴
うった
えたことを
根
ね
に
持
も
ちますよ。そうなったら、
制度
せいど
上
じょう
は「
勝
か
った」としても、
居心地
いごこち
が
悪
わる
くなるから、すぐに
他
た
の
職場
しょくば
に
移
うつ
らなくてはならなくなります。こうした
難
むずか
しさがあるゆえに、いじめの
問題
もんだい
にはやはり
組織
そしき
的
てき
に
取
と
り
組
く
む
必要
ひつよう
があるとのご
指摘
してき
だったかと
思
おも
います。
第
だい
三
さん
には、いじめというものを
現在
げんざい
取
と
り
除
のぞ
いていくためには、
感情
かんじょう
というものがやはり
非常
ひじょう
に
重要
じゅうよう
になってくることです。いじめの
犠牲
ぎせい
者
しゃ
が
陥
おちい
っている
感情
かんじょう
について、
単
たん
にそのいじめにあっているという
苦痛
くつう
だけではなく、さまざまな
形
かたち
でその
後
ご
や
生活
せいかつ
するうえで
起
お
こってくるだろう
感情
かんじょう
の
状態
じょうたい
についてより
想像
そうぞう
力
りょく
を
発揮
はっき
していくこと。
特
とく
にいじめというものに
仲介
ちゅうかい
していく
上司
じょうし
とか、
労働
ろうどう
調停
ちょうてい
委員
いいん
の
人々
ひとびと
には、そういったことが
現在
げんざい
求
もと
められているのではないかということが
大
おお
きなポイントかと
思
おも
います。
どうも、みなさん。カウイ
先生
せんせい
の
研究
けんきゅう
報告
ほうこく
を
聞
き
いていただいて、ありがとうございました。
これから10
分
ふん
ぐらい
休憩
きゅうけい
を
取
と
って、そののちに5
人
にん
の
提
ひさげ
題
だい
者
しゃ
の
方
ほう
から5
分
ふん
ぐらい
手短
てみじか
に、カウイ
先生
せんせい
やスミス
先生
せんせい
の
研究
けんきゅう
報告
ほうこく
をもとに
疑問
ぎもん
や
意見
いけん
を
述
の
べて
頂
いただ
き、そのあとフロアの
方々
かたがた
との
意見
いけん
交換
こうかん
のようなものをできればと
思
おも
います。
ですので、ちょっと
予定
よてい
を
変更
へんこう
します。
終了
しゅうりょう
時間
じかん
、だいたい6
時
じ
ぐらいというかたちにしようかと
思
おも
っています。すみませんが、ご
協力
きょうりょく
のほうお
願
ねが
いします。では、
前半
ぜんはん
ちょっと
打
う
ち
切
き
りまして
休憩
きゅうけい
に
入
はい
ります。
(
休憩
きゅうけい
)
崎山
さきやま
:では、
感情
かんじょう
労働
ろうどう
についての
議論
ぎろん
を
再開
さいかい
させていただきます。まず、5
人
にん
の
提
ひさげ
題
だい
者
しゃ
の
方々
かたがた
からの
質問
しつもん
をおうかがいしたいと
思
おも
います。
最初
さいしょ
に、
西川
にしかわ
先生
せんせい
からお
願
ねが
いします。
□
有馬
ありま
斉
ひとし
・
的場
まとば
和子
かずこ
20090319 (
通訳
つうやく
)「
職場
しょくば
におけるいじめについて」
安部
あべ
彰
あきら
・
有馬
ありま
斉
ひとし
『ケアと
感情
かんじょう
労働
ろうどう
――
異
こと
なる
学
がく
知
ち
の
交流
こうりゅう
から
考
かんが
える』
,
立命館大学
りつめいかんだいがく
生存
せいぞん
学
がく
研究
けんきゅう
センター,
生存
せいぞん
学
がく
研究
けんきゅう
センター
報告
ほうこく
8,pp.46-57.
UP:20090911 REV:
◇
ケア
研究
けんきゅう
会
かい
◇
ケア
◇
「
感情
かんじょう
/
感情
かんじょう
の
社会
しゃかい
学
がく
」
◇
生存
せいぞん
学
がく
創成
そうせい
拠点
きょてん
の
刊行
かんこう
物
ぶつ
◇
テキストデータ
入手
にゅうしゅ
可能
かのう
な
本
ほん
◇
身体
しんたい
×
世界
せかい
:
関連
かんれん
書籍
しょせき
2005-
◇
BOOK
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇