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大谷いづみ 20211015 「随筆随想(3)「わきまえ」の分水嶺 端的に表れる社会のひずみ」『中外日報』
「随筆随想(3)「わきまえ」の分水嶺 端的に表れる社会のひずみ」
『中外日報』2021年10月15日、第4面。
大谷 いづみ 20211015.
last update: 20211225
■記事本文
SNSを読みあさった今夏は、ホームレス自立支援のNPO法人抱樸を束ねる奥田知志牧師の活動の過去と現在を深く掘り下げた「ETV特集」『生きていればきっと笑える時がくる』を視続けた。番組は、抱樸に伴走されてホームレスが自らの居場所を見いだし、まだ路上にいる仲間に働きかけるまでの変化とともに、伴走の活動を通して自らの居場所を見いだしてゆく若者たちとの相互作用を描く。そこには、ケアする者とケアされる者の別を越境していくダイナミズムがある。だが、今回は別の面にも注目したい。
学生結婚の頃からアルバイトを掛け持ちして奥田氏との生活を支え、その後も氏の活動を同伴してきた妻伴子さん。実親から虐待され自傷行為を繰り返していた美咲さん(23歳・仮名)は、今、奥田家で伴子さんをママ、知志牧師をオヤジと呼ぶ。美咲さんがフラッシュバックでカッターナイフを向けた時、ひるまず「刺すなら刺しや」と応答したエピソードに、伴子さんは」「「でもその前におでんつくらせて」って言ったんだよね」と笑う。シェルターを兼ねた牧師館に100人からのホームレスを「新しい家族」として迎え、その食卓を毎日整えてきた30年である。
これまで光の当たらなかった伴子さんの「貢献」に得心しつつ、「社会活動に邁進する牧師の夫を支える肝の据わった妻」が、頂点から末端に至るまで、「消費社会の隠れた仕事(シャドウ・ワーク)」に携わる「牧師(や住職)の妻」の、旧来とさして変わらない現代の理想像になってしまうことも懸念する。
コロナ禍以後、女性と若者の自殺が増加している。「女子ども」とひとくくりに見過ごしてきた日本社会のひずみが端的に現れている。そんな社会で自由闊達に国境を越えて仕事してきた小島ミナさんが、日本では非合法の医師幇助自殺を実姉二人とともにスイスで決行したドキュメントが放映され、覚悟の死として美化される一方で、子どもを連れた電動車椅子の伊是名夏子さんが法に基づいて求めた覚悟の「合理的配慮」がSNS上で障害当事者からもバッシングされる。
そこには、日本社会が障害×女性という二重の偏見にさらされている人々に示す「わきまえ」の分水嶺があるのではないか。そこに、宗教文化はどう関わって来た/いるだろうか。
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*作成:岩 弘泰