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仲村優一・板山賢治編『自立生活への道』
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自立じりつ生活せいかつへのみち

仲村なかむら 優一ゆういち板山いたやま 賢治けんじ へん


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仲村なかむら 優一ゆういち板山いたやま 賢治けんじ へん 19841215 『自立じりつ生活せいかつへのみち』,全国ぜんこく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい,317p. ASIN: B000J6VPS6 [amazon] ※

言及げんきゅう

立岩たていわ しん也 2017/08/01 福嶋ふくしまあきにじかい・2――せい現代げんだいのために・24 連載れんさい・136」,『現代げんだい思想しそう』45-(2017-8):-

目次もくじ書誌しょし情報じょうほう

 *()ないは「編者へんしゃおよび執筆しっぴつしゃ一覧いちらん」にしるされている所属しょぞく

じょ 仲村なかむら 優一ゆういち日本社会事業大学にほんしゃかいじぎょうだいがく

だい一部いちぶ

河野こうの 康徳やすのり 19841215「自立じりつ生活せいかつかんがえるがかり――全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ状況じょうきょう課題かだい」(厚生省こうせいしょう社会しゃかいきょく
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 1-26.

だい

磯部いそべ 真教まさのり 19841215「自立じりつ生活せいかつとは」 (東京とうきょう八王子はちおうじ自立じりつホーム)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 29-35.

白石しらいし 清春きよはる 19841215「所得しょとく保障ほしょう――脳性のうせいマヒしゃをはじめとするおさなときからの障害しょうがいしゃ所得しょとく保障ほしょう制度せいど確立かくりつをめざして」 (脳性のうせいマヒしゃ地域ちいききるかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 36-50.

野村のむら 歓 19841215「居住きょじゅう空間くうかん住宅じゅうたく」 (日本にっぽん大学だいがく
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 51-63.

寺山てらやま 久美子くみこ 19841215「福祉ふくし機器きき」 (東京とうきょう心身しんしん障害しょうがいしゃ福祉ふくしセンター)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 64-85.

今岡いまおか 秀蔵しゅうぞう 19841215 「介助かいじょ援助えんじょ――介護かいごからの解放かいほう」 (東京とうきょう八王子はちおうじ自立じりつホーム)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 86-96.

永井ながい 昌夫まさお 19841215「健康けんこう」 (国立こくりつ身体しんたい障害しょうがいしゃリハビリテーションセンター)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 97-106.

太田おおた 修平しゅうへい 19841215「生活せいかつ施設しせつ」 (東京とうきょう清瀬きよせ療護りょうごえん
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 107-117.

丸山まるやま 一郎いちろう 19841215「就労しゅうろう, デイ・サービス」 (厚生省こうせいしょう社会しゃかいきょく
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 118-125.

秋山あきやま かずあきら 19841215「移動いどう」 (電動でんどうくるまいす使用しようしゃ連盟れんめい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 126-146.

加藤かとう ひろし 19841215「教育きょういく」 (東京とうきょう都立とりつ小岩こいわ養護ようご学校がっこう
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 147-159.

三ツ木みつぎ にんいち 1984.12.15「リハビリテーション・サービス」 (東京とうきょう心身しんしん障害しょうがいしゃ福祉ふくしセンター)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 160-172.

大沢おおさわ りゅう 19841215「福祉ふくし援護えんごサービス」 (神奈川かながわけん民生みんせい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 173-197.

佐藤さとう 久夫ひさお 19841215「文化ぶんか・スボーツ・レクリエーション活動かつどう」 (日本社会事業大学にほんしゃかいじぎょうだいがく
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 198-207

安積あさか 純子じゅんこ 「せい結婚けっこん」 (うつみねのかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 208-218

宮尾みやおおさむ 「市民しみん活動かつどうへの参加さんか――ある障害しょうがいしゃ奇妙きみょうなレポート」 (障害しょうがいしゃ生活せいかつ保障ほしょう要求ようきゅうする連絡れんらく会議かいぎ
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 219-228.

小山内おさない 美智子みちこ 19841215「ケア自立じりつ生活せいかつもとめて――札幌さっぽろいちごかいあゆみ」 (札幌さっぽろいちごかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 231-245.

白石しらいし 清春きよはる 19841215「地域ちいききていくことをもとめて――脳性のうせいマヒしゃ地域ちいききるかい」 (脳性のうせいマヒしゃ地域ちいききるかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 246-259.

寺田てらだ 嘉子よしこ 19841215「自立じりつへのひとつのみち――東京とうきょう八王子はちおうじ自立じりつホーム」 (東京とうきょうあおしばかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 260-267.

福島ふくしま あき 19841215「共同きょうどう生活せいかつハウスでの実践じっせんをとおして」 (共同きょうどう生活せいかつハウス)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 268-278.

橋本はしもと ひろよし 19841215「地方ちほうにおけるみ――うつみねのかい」 (うつみねのかい
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 279-285.

高野たかの 岳志たけし 19841215「まちのなかにきるために――宮崎みやざき障害しょうがいしゃ生活せいかつセンターの実践じっせん」 (宮崎みやざき障害しょうがいしゃ生活せいかつセンター)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 286-296.

高嶺たかね ゆたか 19841215「ハワイCIL」 (ハワイ自立じりつ生活せいかつセンター)
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 297-304.

河野こうの 康徳やすのり 19841215「フォーカス・アパート」 (厚生省こうせいしょう社会しゃかいきょく
仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 305-314.

引用いんよう

河野こうの 康徳やすのり※ 19841215「自立じりつ生活せいかつかんがえるがかり――全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ状況じょうきょう課題かだい
 仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 1-26.

 だいいちしょう 全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ状況じょうきょう
 だいしょう 自立じりつ生活せいかつ実現じつげんするための方策ほうさく
  さん 生活せいかつのありかたについて
 だいさんしょう 問題もんだい解決かいけつへの展開てんかい

 「さん 生活せいかつのありかたについて
 全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ自立じりつ生活せいかつ実現じつげんしようとするとき、前述ぜんじゅつした所得しょとく保障ほしょう問題もんだいほかに、住環境じゅうかんきょう介助かいじょ移動いどう生活せいかつ環境かんきょうまちづくり、生活せいかつとしての施設しせつなどすうおおくの問題もんだい存在そんざいする。これらひろ意味いみでい生活せいかつのありかたについては先進せんしんこく示唆しさてき実践じっせんれいがあるが、国情こくじょうちがいなどのためそれらの方策ほうさくをそのままのかたち導入どうにゅうするのは適当てきとうでない。
 自立じりつ生活せいかつというものを、家族かぞくとの同居どうきょ施設しせつ入所にゅうしょ以外いがい生活せいかつ限定げんていしてとらえるのは現実げんじつてきではない。それぞれの生活せいかつ形態けいたいにおいてみずからの判断はんだん決定けっていにより主体しゅたいてきき、その行動こうどう責任せきにんうとする自立じりつせいくくをめざすことは可能かのうであり、障害しょうがいしゃ自身じしんがその生活せいかつ形態けいたい選択せんたくしうる社会しゃかいてき条件じょうけん整備せいび必要ひつようなのである。そのため、だく外国がいこくれい参考さんこうにしつつ、今後こんご研究けんきゅう試行しこう実践じっせんしていかねばならない。」(河野こうの[1984:18])

白石しらいし 清春きよはる 19841215「所得しょとく保障ほしょう――脳性のうせいマヒしゃをはじめとするおさなときからの障害しょうがいしゃ所得しょとく保障ほしょう制度せいど確立かくりつをめざして」
 仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 36-50.

秋山あきやま かずあきら 19841215「移動いどう
 仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 126-146.
 ※電動でんどうくるまいす使用しようしゃ連盟れんめい

白石しらいし 清春きよはる 19841215 「地域ちいききていくことをもとめて――脳性のうせいマヒしゃ地域ちいききるかい」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:246-259]


福島ふくしまあき 19841215「共同きょうどう生活せいかつハウスでの実践じっせんをとおして」
 仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 268-278.
 ※以下いか全文ぜんぶん

 「進行しんこうせいすじジストロフイーしょうのために、にゅうとしから入院にゅういんつづけてきたわたしにとって、病院びょういん生活せいかつをするおとずれるなど、希望きぼうではあってもながあいだ現実げんじつとしてかんがえられることではありませんでした。
 治療ちりょうほうもない現実げんじつのなかで、わたしたちの入院にゅういん意味いみ隣接りんせつされた養護ようご学校がっこう小学しょうがくから高等こうとうまでの教育きょういくけられるということが唯一ゆいいつのものでしたが、それも卒業そつぎょう同時どうじえていきます。すじジスの生徒せいとは、何一なにひと進路しんろえるものはなく、余生よせいごすにあたって、このまま病院びょういんのこるか家庭かていかえるのかの二者択一にしゃたくいつ、いいえ実際じっさいには家庭かてい状況じょうきょう両親りょうしん年齢ねんれいかんがえるとその選択せんたくすらできずに一生いっしょうわってしまう状況じょうきょうたりまえになっていました。なん手立てだてもなく、職員しょくいん父母ちちははもそしてとう本人ほんにんたちもあきらめをさきてしまうことが、ニ〇さい前後ぜんこうわたしにはわりきれるものではありませんでした。
 それでも、▼高等こうとう卒業そつぎょうしたじゅうねん、いつかなにかができるかもしれない、そんなゆめれずぼう大学だいがく通信つうしん教育きょういくけ、学生がくせいボランティアさんたちの介助かいじょ協力きょうりょく下宿げしゅくをして、さん週間しゅうかん夏季かきスクーリングに参加さんかできたことが、わたし生活せいかつおおきな変化へんかあたえてくれました。さん週間しゅうかん短期たんきとはいえ、△268 病院びょういん家族かぞくはなれて生活せいかつすることは、まれてはじめてのことでした。あさから午後ごごよんごろまでの講義こうぎくわえ、よる復習ふくしゅうしなければついていけず、身体しんたい少々しょうしょうつかれたものの、おな年代ねんだいひとたちとの生活せいかつで、かれ彼女かのじょらの活動かつどう領域りょういきひろさは、病院びょういん生活せいかつしからなかったわたし刺激しげきあたえてくれ、つかれをわすれさせてくれました。このときわたしくるまいすでも電車でんしゃれること、そして当然とうぜんのことながら自分じぶんきたいところけるということを実感じっかんとしてりました。階段かいだん段差だんさはあったけれど、れたつきでくるまいすを介助かいじょする学生がくせいのMさん、またびかけにおうじてくるまいすをげてくをれる一般いっぱんひとたち、はじめてのわたしにはひとこえをかけられないほどのずかしさでしたが、できないとおもってきたことが、周囲しゅういひとたちのりるものの、ひとひと可能かのうになっていくのは解放かいほうかん以外いがいなにものでもありませんでした。「おまえは自分じぶんなにもできないのだから、ひと迷惑めいわくをかけないように、ひとうことは素直すなおいて、かわいがってもらえるようにしなければならない」――そんなははくちぐせをくともかずそだってきたわたしは、いつしかひとはなしかけるよりは、はなしかけられてくちひらくことを、そして少々しょうしょう納得なっとくがいかなくても自分じぶんむねのなかでころすこともできるようになっていたのでした。介助かいじょしゃなくしてきることのできないわたしにとって、それがきる知恵ちえとなっていたのです。しかし、「きたいところはどこ?」「こん晩食ばんしょくぺたいものは?」――そんな選択せんたくせまられる生活せいかつとなって、こんな基本きほんてきなことまで自分じぶんのロからスムーズにてこないジレンマ,なさけなさをかんじるのでした。こんなことまで他人たにんにゆだねたくない、そんな気持きもちしたのです。これもわたし対等たいとう人間にんげんとし△269 てつきあってくれたひとたちのなかでこそた、わたし意地いじだったのかもしれません。
 そのかれ彼女かのじょらとの出逢であいがわたし行動こうどう範囲はんいひろげてくれました。しかし、ひろ世界せかいればるほど、自分じぶんのいる世界せかいわたし自身じしん視野しやせまさがえてくるのでした。友人ゆうじんやボランテイアのひとぴととのひとときはたのしかったけれど、外出がいしゅつなどからかえると、やはりわたし病院びょういんのなかできるいち患者かんじゃであり、このままではかれらのきる世界せかいかれらとのまじわりに接点せってん見出みだせない、そんなむなしさ、さみしさがつのるのでした。あせりでもあったのかもしれませんが、わたしちか将来しょうらいしろかべおおわれたせま個室こしつなかだとおもったら、それをいまからただしゅをこまねいてっていることもないとおもえてきたのです。重度じゅうど患者かんじゃとなってから病院びょういん退院たいいんし、なんの基盤きばんもない地域ちいききていくことは、無謀むぼうといえば無謀むぼうかもしれません。けれど、いまいち自分じぶん一般いっぱん社会しゃかいいてきていきたい、自分じぶんてるカをためしてみたい、そのなかで自分じぶん役割やくわりつけていきたいとおもったのです。そのおもいをわかってくれ、相談そうだんおうじてくれたのが、スクリーングにもかかわってれたひとたちだったのです。まだ自分じぶん将来しょうらいさだまらぬわか彼女かのじょら、人間にんげんそれぞれできることとできないことがあるからけっして無理むりはしないように、それがわたしたちの鉄則てっそくといえば鉄則てっそくでしたが、不可能ふかのうだとわずにかかわれる部分ぶぶんってくれたことが一番いちばんうれしいことでした。アパートのとなりというぐらいの距離きょり協力きょうりょくできることだったら――そうってくれたのがのち共同きょうどう生活せいかつハウスの住人じゅうにんとなったTさんでした。しかし、はなっていていつもつまずくのは、介助かいじょ問題もんだいでした。▲▼よんあいだ介助かいじょようするいれたちが、学生がくせいさんや社会しゃかいじん協力きょうりょくかい△270 じょローテーションをんで一人ひとり生活せいかつしているというはなしみみにしていましたが、よるはその体制たいせいめても、にち中学生ちゅうがくせいさんに学校がっこうやすんでもらうとうことは、たがいの生活せいかつ保障ほしょうという意味いみ一番いちばんしたくないてんでした。にちちゅう介助かいじょをどうするか、現行げんこう家庭かてい奉仕ほうしいん制度せいどではしゅうかい一回いっかいさんあいだ程度ていど介助かいじょしかもとめられません。あまりにもつめたい福祉ふくし制度せいど、それでもそんな現実げんじつのなかで静岡しずおかほう脳性のうせいマヒやすじジスのひとたちが健常けんじょうしゃひとたちとおな屋根やねしたとも生活せいかつしているということをき、その生活せいかついち週間しゅうかん経験けいけんすることができたのはおおきなステップでした。介助かいじょのことにしても、なんめいかの障害しょうがいしゃあつまればいちめい専従せんじゅうしゃやとうことも可能かのうになるというように、すべて実践じっせんのなかでまれただけに重味しげみがありました。画一かくいつてきかんがえず、いろいろ工夫くふうすれぱわたしたちにもできるかもしれないという感触かんしょくを、おな立場たちばひとたちがあたえてくれたのです。▲

  CILでまな
 またじゅうろくねんなながつから翌年よくねんじゅうがつまでのいちねんさんげつという期間きかんおおくのほうちからがたの支援しえんのなかでアメリカ生活せいかつ経験けいけんできたわたしは、地域ちいきのなかで生活せいかつしているおおくの障害しょうがいしゃ出逢であうことができ、いっそうの勇気ゆうきをえることができました。すでに専門せんもんひとびとによって日本にっぽん紹介しょうかいされている自立じりつ生活せいかつセンター(CIL)ですが、障害しょうがいしゃひとたちが中心ちゅうしんとなってその運営うんえいにあたり、みずからの体験たいけんをもとに、これから施設しせつ病院びょういん生活せいかつしようとするひとたちの援助えんじょをしているシステムをて、ここになにか△271 大切たいせつなものであるとおもったのです。それは、してあげる、といううえからのおしつけではなく、うばわれている市民しみんけん一人ひとりでもおおくの仲間なかまもどすように、そうした意識いしきのうえにっていることだったのです。とくに介助かいじょてん見張みはることとして、ただ一方いっぽうてきけるがわあたえられるがわからだっし、自分じぶん必要ひつようとしている介助かいじょ時間じかんし、障害しょうがいしゃみずからが時間じかんぶん介助かいじょ手当てあて請求せいきゅうし、介助かいじょしゃ雇用こようしていくという主体しゅたいてき立場たちばっていたということです。けれどかれら、彼女かのじょらの生活せいかつけっしてらくではなく、家賃やちんたかければルームメイトとともむ、そんな自分じぶん生活せいかつ設計せっけい工夫くふうのなかで生活せいかつしているのだということがわすれられません。とにかくているより実践じっせんしなければなにもはじまらないとおもいました。

 さん 共同きょうどう生活せいかつハウスのこころ
 そして、▼昭和しょうわじゅうはちねんがつ埼玉さいたまけん浦和うらわいちけんいえり、わたしたちの「共同きょうどう生活せいかつハウス」がスタートしました。その機能きのうつぎとおりです。
 @ 障害しょうがいしゃ健常けんじょうしゃ相互そうご理解りかい協力きょうりょくとする。
 A 地域ちいきのなかにおいて障害しょうがいしゃ日常にちじょう生活せいかつ保障ほしょうかんがえていく。個々人ここじんのニードをあきらかにし、それにかんするサービスの促進そくしんともかんがえ、おこなとする(介助かいじょ医療いりょう経済けいざい交通こうつう機関きかんなど)。
 B 個々人ここじんのカ(アピリティー)をたかめるとする(教育きょういく職業しょくぎょう趣味しゅみ地域ちいき活動かつどうなど)。△272
 重度じゅうど障害しょうがいしゃ地域ちいきのなかできられるように、その生活せいかつ地域ちいきづくりを目的もくてきとしてつくったかい、「にじかい」が運営うんえい母体ぼたいです。共同きょうどう生活せいかつハウスのメンバーに、けいずい損傷そんしょう病院びょういん入院にゅういんちゅうわたしたちのった新聞しんぶん記事きじんで一緒いっしょむことを希望きぼうしてきたKさん、スクーリング時代じだいからの友人ゆうじん緊急きんきゅう介助かいじょ連絡れんらくにあたる同居どうきょじんとしてTさん、にちちゅう介助かいじょにあたる専従せんじゅう介助かいじょしゃとしてFさん、そしてわたしよんにんあつまりました。また夜間やかんは、近隣きんりん大学だいがく学生がくせいさんたちの協力きょうりょくをうることにしました。とにかくなにもないところからはじめるのですから理想りそう現実げんじつのギャップはいうまでもありません。
 まず住居じゅうきょ形態けいたいにおいて、わたしたちは戸口とぐちがそれぞれべつでいてたがいが連絡れんらくのとれる距離きょりでの生活せいかつ、つまりアパートのいちかいをずらりとりるというようなかたちえがいていたのでずが、現実げんじつきびしく、いちかいはちじょういちあいだかいろくじょう四畳半よじょうはん一軒家いっけんやでスタートすることになったのです。しかし、二十歳はたちぎたもの同士どうしいちけんいえでの生活せいかつけっして理想りそうてきかたちではありませんでした。いちかいはちじょうにKさんとわたしかい健常けんじょうしゃ二人ふたりみ、よるになると学生がくせいさんがわたしたちの介助かいじょはいる、それはみんながガラス張がらすばりの状態じょうたいだったのです。それでも、中途ちゅうと障害しょうがいしゃでまだとまどいをかんじているKさん、まるっきり地域ちいきのなかでらしたことのないわたしにとってて、健常けんじょうしゃつねにいる生活せいかつ安全あんぜんで、第一歩だいいっぽすにはけっして否定ひていできないかたちでした。しかし、ともきるという共同きょうどうハウスであっても、このかたちから健常けんじょうしゃにとってなんのメリットがあるのか? ただたん障害しょうがいしゃ安全あんぜんのための同居どうきょでは負担ふたんおもすぎる。障害しょうがいしゃ自立じりつとは? 介助かいじょ必要ひつようなのか介護かいご必要ひつようなのか? 地域ちいきでの生活せいかつになにをもとめているのか? 日々ひびおい△273 うごとにかえはなされるのでした。わたしたちにしても一室いっしつ同居どうきょ、しかもかいはないや食事しょくじにと、自分じぶんたちの部屋へやがすぺてをねる生活せいかつにはやはり抵抗ていこうがありました。また、なぜ健常けんじょうしゃ同居どうきょ必要ひつようなのかとうと、そと仕事しごとをもち、あさはやかけよるおそ帰宅きたくするTさんから社会しゃかいきびしさなどをかんじられ刺激しげきになることや、健常けんじょうしゃ同居どうきょじんべばこえるかいにいるというのはたしかに安心あんしんでしたが、結局けっきょくのところわたしたちのニードは介助かいじょ保障ほしょうだということを確認かくにんすると、同居どうきょ意味いみわってくるのでした。たん緊急きんきゅう介助かいじょかんがえるなら、学生がくせい介助かいじょ協力きょうりょくしゃ近隣きんりんひとびととのまじわりなどがある程度ていどひろがっていくなかで、そのひとびとにもこえをかけられることで、同居どうきょしていた健常けんじょうしゃ地域ちいき支援しえんしゃ立場たちばとしてのかかわりでやっていける、いやそうしたかたちがむしろ自然しぜんなのではないかということにたっしたのです。しかし共同きょうどうハウスはいまはわたしたちにん生活せいかつしているけれど、わたしたちだけのものではない、今後こんご施設しせつなどからたいというひとたちのことをかんがえると、わたしたちに必要ひつよう介助かいじょだけなので、自分じぶんたちのプフライバシーをたもてるぐん匿がはしいという理由りゆうから、いまの段階だんかいで、この形態けいたい健常けんじょうしゃとの同居どうきょ)をすぐくずしてしまってよいのか、わたしたちがざしているのは、幼少ようしょうから施設しせつにいたために自分じぶんきる地域ちいきももたず、支援しえんしゃもいない重度じゅうど障害しょうがいしゃきるをつくることのはずである、また、会員かいいんのなかには障害しょうがいしゃのみの生活せいかつには不安ふあんのこる、おなじカマのめしを健常けんじょうしゃ障害しょうがいしゃべつなくべる和気わきあいあいとしたなました、それが共同きょうどうハウスではなかったのか、など様々さまざま意見いけんがありました。けれど試行錯誤しこうさくごで、あやまったらまたやりなおせるのがわたしたちのようにもなく細々こまごまとやっているみん△274 あいだ活動かつどうのメリットであり、本当ほんとう自分じぶんたちのニードを見出みいだすために、とにかくようざまなかたちをとってみることになったのです。▲
 こうして▼じゅうがついちにちわたしたちは健常けんじょうわかとの同居どうきょはなれ、さんDKのアパートいちかい二人ふたりらすことになりました。住居じゅうきょさがすにあたって、いちかい部屋へやないしさん部屋へやでバス、トイレき、それもいままでの地域ちいき大幅おおはばはなれたくないとなると、なかなか見付みつかるものではありませんでした。まして、障害しょうがいしゃ居住きょじゅういてまゆをひそめる不動産ふどうさんさんもすくなくありません。いままでりていたいえ健常けんじょうしゃのTさんがさがし、Tさん名義めいぎでした。そしてなによりも、健常けんじょうしゃ同居どうきょということてわたしたちの居住きょじゅうもままになっていたのだということを、「障害しょうがいしゃはあんたのタンスとおなじなのだから、あなたがくのなら一緒いっしょれてってしい」と不動産ふどうさんさんからわれたことをTさんからき、自分じぶんたちのかれている状況じょうきょうきびしさをあらためてったのでした。健常けんじょうしゃとの同居どうきょのなかで、本当ほんとう状況じょうきょうわたしたちにえていなかったのです。それが健常けんじょうしゃ共同きょうどういち対等たいとう)になりえなかった部分ぶぶんでもあったのかもしれません。それでもなんけんかあたるなかで、さいわいなことにわたしたちは現在げんざいのアパートをりることができました。専従せんじゅう介助かいじょしゃかよいとなり、あらたな生活せいかつのはじまりです。住人じゅうにんわたしたちにんなのだという緊張きんちょうかんもありますが、ある意味いみ解放かいほうかんもあるというのが本音ほんねでしょうか。

 形態けいたいえながら、共同きょうどう生活せいかつハウスの生活せいかついちねんとうとしています。おおくのにゅうびとのこ協力きょうりょくの△275 なかで、いまの生活せいかつ維持いじできるようになったものの、それが保障ほしょうされたものであるかというと疑問ぎもんであり、現在げんざい課題かだいも、ひょう1にしめすように多々たたあります。とても方策ほうさくまでにはいたりませんが、共同きょうどうハウスをひとつのたたきだいとしてとらえ、ねんさんねんと、今後こんごひろがりをかんがえていきたいとおもいます。▲
 ひょう1 現状げんじょう課題かだい△276 △277 △278」

◆おわりに 板山いたやま賢治けんじ 315-317

 「本書ほんしょまれるまでの経緯けいい若干じゃっかん感想かんそうしるしてゆいぴのことばといたしましょう。
 本書ほんしょは、「脳性のうせいマヒしゃとう全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ問題もんだい研究けんきゅうかい」の研究けんきゅう成果せいかをふまえながら刊行かんこうされるものという性格せいかくをもっています。
 この研究けんきゅうかいは、昭和しょうわじゅうねんさんがつからじゅうななねんよんがつまでのやく年間ねんかん仲村なかむら優一ゆういち委員いいんちょう中心ちゅうしんいちにん委員いいんによってつづけられましたが、そのご苦労くろうをおねがいしたのは、当時とうじ厚生省こうせいしょう社会しゃかいきょく更生こうせい課長かちょうをつとめていたわたくしでありました。
 わたくしが更生こうせい課長かちょう就任しゅうにんしましたのは、昭和しょうわじゅうさんねんよんがつでありましたが、ちようど、さんねんに「国際こくさい障害しょうがいしゃねん」をひかえ、障害しょうがいしゃの「完全かんぜん参加さんか平等びょうどう」を実現じつげんするためにおくれがちな日本にっぽん障害しょうがいしゃ対策たいさく前進ぜんしんさせなくてはというあるしゅ使命しめいかんえていたものです。様子ようすがわかるにつれてひとわしいたことがありました。「データーのないところに計画けいかくはなく、計画けいかくのないところに行政ぎょうせいはない」いうのがわたくしの経験けいけんてき信念しんねんでありますが、障害しょうがいしゃ関係かんけいのデーターはまことにふるとぼしい。「なにととしかくては」というのでおもいたったのが、昭和しょうわじゅうねん実施じっししながら障害しょうがいしゃ団体だんたい反対はんたい集計しゅうけいできなかった全国ぜんこく身体しんたい障害しょうがいしゃ実態じったい調査ちょうさ実施じっしでした。「本当ほんとう実現じつげんできるのか」という危惧きぐこえもありま△315 したが、昭和しょうわじゅうよん年度ねんど予算よさん調査ちょうさ計上けいじょうし、じゅうよんねんがつごろからじゅうあまりの障害しょうがいしゃ団体だんたいとうとのきょうまことはいりました。十二月じゅうにがつまつまでにじゅうかいちかはなしあい、「賛成さんせいとはいえないが、反対はんたいはしない」という結論けつろんをえて、じゅうねんがつじゅうねんぷりの調査ちょうさ無事ぶじ完了かんりょうしました。
  このはなしあいのなかで、わたくしが「約束やくそく」したことがひとつだけありました。それが、「脳性のうせいマヒしゃとうまれたときからの障害しょうがいしゃ生活せいかつ問題もんだいかんする研究けんきゅう」をすすめるということでありました。
 「更生こうせい課長かちょう、あなたは福祉ふくしにくわしいというが、おれたち脳性のうせいマヒしゃくるしみがわかるか。一番いちばん信頼しんらいし、あいしているはずのおやあにあねからさえ、厄介やっかいしゃ、お荷物にもつされ、施設しせつはいるか、はやんでくれることを期待きたいさえされているなかできてきたくるしみがわかるか?」「そんな人生じんせいきたわれわれにも一人ひとり人間にんげんとしてきる条件じょうけんをつくれと要求ようきゅうすることはそんなに無理むり難題なんだいか……」という切々せつせつたるいかけにわたくしは、ひらかれました。
 「障害しょうがいしゃも、その対策たいさく一様いちようではない」ということは承知しょうちしつつも、まれたときからの脳性のうせいマヒしゃのもつ問題もんだい実態じったい対策たいさくかたりたいとかんがえたわたくしは、調査ちょうさ終了しゅうりょう、ただちに研究けんきゅうかい設置せっちをと決心けっしんしました。
 当時とうじ山下やましたもりかい局長きょくちょう了解りょうかいをもえて、更生こうせい課長かちょう直属ちょくぞく研究けんきゅうかいとしてスタートさせることとし、ゆだねかいには、障害しょうがいしゃ代表だいひょう ろくにん福祉ふくし関係かんけいしゃ さんにん行政ぎょうせい関係かんけいしゃ さんにん学識がくしき経験けいけんしゃ よんにん合計ごうけい いちろくにんとすることにしました。そして、むずかしい委員いいんちょうやく仲村なかむら優一ゆういち先生せんせいにおねがいしましたが、そのこ△317 とが、この研究けんきゅうかい成功せいこうかぎとなりました。
 いち年間ねんかん研究けんきゅうかいとおしての成果せいかとして特記とっきしておきたいことがよんてんあります。
 ひとつは、障害しょうがいしゃ団体だんたい、とりわけはん体制たいせいグループとされていた「あおしばとう厚生省こうせいしょうおな土俵どひょうにのぼっ相互そうご理解りかいふかめたこと。とく年金ねんきんきょく関係かんけい各課かくか参加さんか有意義ゆういぎでした。
 ふたつは、研究けんきゅうかいメンパーが、その障害しょうがいしゃ運動うんどう障害しょうがいしゃねん推進すいしんのリーダーとなって、活躍かつやくされるエネルギーを提供ていきょうできたことです。
 みっつには、この研究けんきゅうかいうごきや提言ていげんが、そのの「障害しょうがいしゃ生活せいかつ保障ほしょう問題もんだい検討けんとう委員いいん」(じゅうろくねんよんがつ)「障害しょうがいしゃ生活せいかつ保障ほしょう問題もんだい専門せんもん会議かいぎ」(じゅうななねんがつ)の誕生たんじょう契機けいきとなったことをおくにとめておきたいとおもいます。
 よっつには、研究けんきゅうかい成果せいかが、身体しんたい障害しょうがいしゃ福祉ふくしほう改正かいせい国民こくみん年金ねんきんほう改正かいせいのなかで全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃにたする施策しさく充実じゅうじつ原動力げんどうりょくとなっていることであります。
 ともあれ、ちいさな研究けんきゅうかいとうじた一石いっせきが、波紋はもんび、谷間たにまにあった「全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ問題もんだい」に一筋ひとすじ光明こうみょうをもたらしたことをがたいことだとおもいます。研究けんきゅうかいのメンパーのほうがたおよびご執筆しっぴつをいただいた皆様みなさましんからの感謝かんしゃささげつつ、日本にっぽん障害しょうがいしゃ対策たいさく前進ぜんしんいのりたいとおもいます。
  昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがつ                       板山いたやま賢治けんじ


UP:20090301 REV:20170709, 10, 11
病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき  ◇BOOK  ◇せい辿たどどうさぐる――身体しんたい×社会しゃかいアーカイブの構築こうちく 
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