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立岩真也「福嶋あき江/虹の会・2――生の現代のために・24 連載・136」
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福嶋ふくしまあきにじかい・2

なま現代げんだいのために・24 連載れんさい・136

立岩たていわ しん 2017/08/01 現代げんだい思想しそう』44-(2017-08):-
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現代げんだい思想しそう連載れんさいだい120かい現代げんだい思想しそう連載れんさい(2005〜)

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『現代思想』2017年8月号 特集:「コミュ障」の時代・表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙
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目次もくじ

 ■つづけること
 ■記憶きおく記録きろく
 ■共同きょうどう生活せいかつハウス/にじかい
 ■ケアづけ住宅じゅうたく
 ■『自立じりつ生活せいかつへのみち』(いちきゅうはちよん
 ■註
 ■文献ぶんけん

関連かんれん

 ◆2017/06/23 佐藤さとう一成いっせいさんに,於:さいたま
 ◆にじかい
 ◆福嶋ふくしま あき
 ◆ケアづけ住宅じゅうたく

引用いんよう

 「■つづけること
 いちきゅうななねんまれ、ろくろくねん千葉ちばけん国立こくりつ療養りょうようしょ入所にゅうしょはちいちねんにそこを千葉ちばらした(はちよんねんくなった)高野たかの岳志たけし高野たかのかかわることをがつごうろくがつごうしるした。そしておなねんまれ、おな施設しせつおなねん入所にゅうしょはちさんねんにそこを浦和うらわげんさいたま)でらした(はちななねんくなった)福嶋ふくしまあきについて前回ぜんかいいた。つづきをつづける。
 しるしているのは、まずは個別こべつの、ずいぶんちいさなことではある。ただ、そのひとたちのこころみは、すくないひとたちにはいっときはられた。たんにわすれればよいというものでもない。そしてそのうごき・いとなみを辿たどることで、うまくいけば、このくに戦後せんご、どのような場所ばしょでどのようにひとらし、それがどのようにわって、あるいはわっていかなかったか、そこにどんな事情じじょうがあったのか、それをとらえることができるとかんがえる。
 前回ぜんかい福嶋ふくしま療養りょうようしょるまでのことをた。福島ふくしま国立こくりつ療養りょうようしょきんジストロフィーのども(と重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい)をはじめたとき入所にゅうしょした。当初とうしょ訓練くんれん熱心ねっしんむが、さしてよいことはなく、身体しんたい状態じょうたい進行しんこうし、訓練くんれん批判ひはんてきにもなる。恐怖きょうふするが、それが施設しせつかくされていることをよくないともおもい、仲間なかまさいして焼香しょうこうもうたりする。このこともふくめ、先駆せんくてき施設しせつだった下志津しもしづでは自治じちかいとう活動かつどう活発かっぱつで、それが許容きょようされた。それは高野たかの福嶋ふくしまのそのかかわってもいる。そして福嶋ふくしまはちいちねん米国べいこくき、はちねんもどってくる。そこまでをしるした。
 はちさんねんがつ福島ふくしま療養りょうようしょ浦和うらわうつり「共同きょうどう生活せいかつハウス」を開始かいしし、「にじかい」がはじまる。今回こんかいはここからになる。

 ■記憶きおく記録きろく
 そこに困難こんなんがあった、「笑顔えがおえていました」「ふかきずかんじとりました」と、福嶋ふくしまくなったとしくなったのちた『二十歳はたち もっときたい』(福嶋ふくしま[1987])の編者へんしゃ柳原やなぎはら和子かずこう(柳原やなぎはら[1987:199])★01。柳原やなぎはら高野たかの岳志たけしについてもおなじくその困難こんなんく。それをたりにしたというだけのことであるのか、そうでもないのか、福嶋ふくしま自身じしんほんでとくに福嶋ふくしま困難こんなんうことについてすこし不思議ふしぎなところはあるが、その困難こんなんそのものはそのとおりに存在そんざいしたのだとおもう。ただ具体ぐたいてきにその困難こんなんがどんなものであったか、わからない。それ以前いぜんに、福嶋ふくしまは、このはちななねんほんで、米国べいこくからかえってきてからのこと、にじかい共同きょうどう生活せいかつハウスについて――はちさんねんからはちよんねん短文たんぶんべつみっつあるが――いていない。これはすこし不思議ふしぎなことだ。はちさんねんからくなるはちななねんまでのあいだにあったことが、柳原やなぎはらかなしげな言及げんきゅうほかには、わからない。
 そんなこともあって、またとりあえずいつもやってみていることとして、まずはウェブ検索けんさくしてみると、そのあいだのこと、そしてほんでの空白くうはくにも事情じじょうがあることを、ずっとにじかい活動かつどうしてきた佐藤さとう一成いっせいいている(佐藤さとう[1996][2001])★02。HPにあったアドレスにわせたら、まず事務じむきょくから電話でんわがあって、機関きかんのことをおしえてもらった。その佐藤さとういくかやりとりでき、はなしをうかがえることになり、六月ろくがつさんにち埼玉大学さいたまだいがくまえにある事務所じむしょにうかがった。そしてそのときふる機関きかん――初期しょきのものはかく一部いちぶだけがファイルされていた――をけ、最近さいきんのものはいただいた。その最初さいしょのものは所謂いわゆるガリ版がりばんり、表裏ひょうり印刷いんさついちまいからまいほどのものだ。そのでコピーしてもよいとってもらったが、慎重しんちょうにコピーしないとりがむずかしい。いったんおりすることになった。ちなみにいま機関きかん分厚ぶあつく、装丁そうていふくめてよくできている。埼玉さいたまにはほかにもよくできた媒体ばいたいがあるのだが、そのなかでにじかい機関きかん機関きかん)がしょうをもらったといったこともいた。
 高野たかの福島ふくしま文章ぶんしょう市販しはんされたほんとうにいくつかのこっているが、そんなことは――それにはそれなりの理由りゆうがある――普通ふつうのことではない。ものがないことのほう普通ふつうだ。そこで、まずひとく。機関きかんなどあればせてもらう★03。そのことについてすこし。
 ひと記憶きおくはたいがい、ある部分ぶぶんがまとめられ、まとめられた部分ぶぶんかえかたられ、さらにまとめられる。同時どうじはずされ、えていく部分ぶぶんがある。それはつねこることでひと記憶きおくかたりとはそんなものだ。佐藤さとう自身じしんひとちがえばまとめかたかえかたちがってくると、幾度いくどはなした。まず、そのようにまとまること自体じたいがなにごとかをしめしていることがある。それとともに、はずされていく部分ぶぶんにも、やはりはずれているその事情じじょうふくめて、なにかある場合ばあいがあるだろう。
 にじかいについては、これからすこていく「ケアづけ住宅じゅうたく」がそんな「きわ」の場所ばしょにある。かい歴史れきしかたられるとき、それはまえにはてこない。また福嶋ふくしまほんやいまむことのできるはちよんねんまでにかれた文章ぶんしょうにもてこない。はちねんい、はちななねんくなるまでのねんほどかかわった佐藤さとう文章ぶんしょうにもてこない。ただ、一時いちじあいだ以上いじょうはなしをうかがっていったんほぼわってから、ふる機関きかんのあるたな案内あんないしてくれながら、そういえばというかんじで佐藤さとうは、「ケア住宅じゅうたくというのが当時とうじ流行りゅうこうって」、「いまかんがえると発想はっそう完全かんぜん施設しせつなんですけど」、ケアづけ住宅じゅうたくのことを福嶋ふくしまが「っていた、というか、それしからなかったというか」といったことをかたった。それでわたしはじめてり、そしてかならかえ約束やくそくしてもらった機関きかんていくと、たしかにてくる。それははちななねん福嶋ふくしまをはさんではちねんからはちはちねんまでのあいだかたられている。
 わたしは、じつは、ケアづけ住宅じゅうたくがそのかい歴史れきし後景こうけい退しりぞいていったこと、佐藤さとう記憶きおく認識にんしきのなかにもおおきなものとしてのこっていないこと、それでよかったとかんがえている。その説明せつめいはこれからしていく。ただ、そんなこともあったということをさえておくこと、えていったことをっておくことにいくくらかの意味いみはあるとおもう。
 そのときどきにかれたりはなされりした記録きろくのこっていると、かつてはあったがそのえていったというそのあと辿たどれることがある。たとえば機関きかんにはそんなところがある。機関きかんは、どんなにうちわでつくられたものでも、やはりいくらかそとけのものであるといった媒体ばいたいだが、そのときどきにおいて、建前たてまえとしてなにをしようとしているのか、することになっているとおもっているのかをることができる。他方たほうで、ひとのなかにはのこっていくもの、ときにはつよめられていくものと、えていくものがある。すると、その差分さぶんることができ、差分さぶんについてかんがえることができる。」

■註(全文ぜんぶん

★01 柳原やなぎはら和子かずこいちきゅう〇〜〇〇はち)。「いちきゅうきゅうななねんがんにかかり、奇跡きせきてき生還せいかんげ、以後いご患者かんじゃがく医療いりょう過誤かごなどの問題もんだいむが、〇〇よんねん再発さいはつし、〇〇はちねん死去しきょ」(Wikepedia)とある。『がん患者かんじゃがく』(柳原やなぎはら[2000→2004])でひろられた。これは文庫ぶんこばんでは『がん患者かんじゃがく T』『U』。『V』になったのは柳原やなぎはら[2002]。再発さいはつについてかれたのが柳原やなぎはら[2005]。
 柳原やなぎはら福嶋ふくしまったきっかけについては以下いか
 「わたし福嶋ふくしまあきさんに出会であったのは、彼女かのじょ原稿げんこう終幕しゅうまくえがかれた成田空港なりたくうこう送迎そうげいデッキでした。いまからろくねんまえになります。より正確せいかくにいうなら、彼女かのじょについてったのは、西伊豆にしいず海岸かいがんです。なつわり、ひと姿すがたせた砂浜すなはまで、何気なにげなく散歩さんぽちゅうひろった新聞しんぶんどろにまみれたはしに、おおきな写真しゃしんりの記事きじっていました。〈すじジス少女しょうじょ、アメリカでの自立じりつ生活せいかつ研修けんしゅうたびえ、その成果せいか日本にっぽんで。帰国きこくにん女性じょせい浦和うらわ共同きょうどう生活せいかつ〉――記事きじ要旨ようしです。行間ぎょうかんには〈けなげな少女しょうじょ車椅子くるまいすアメリカのたびたびあいだ彼女かのじょささえつづけた介助かいじょ武田たけだ恵津子えつこさんの献身けんしんてきしん障害しょうがい克服こくふくして勇気ゆうきある挑戦ちょうせん、それをとりまくひとびとのあたたかい善意ぜんいはげまし〉を称賛しょうさんする、美談びだん記事きじ特有とくゆうあかるさがあふれていました。/しかし、すでに指先ゆびさきだけしかうごかなくなった重度じゅうど障害しょうがいをもつ彼女かのじょです。かろうじて電動でんどう車椅子くるまいすのハンドル操作そうさだけが可能かのう状態じょうたいだといてあります。」(柳原やなぎはら[1987:187])
 『がん患者かんじゃがく』の「献辞けんじ――あとがきにかえて」より。
 「福嶋ふくしまあきえ/高野たかの岳志たけし 進行しんこうせいきんジストロフィーという不治ふじやまいでありながら、生涯しょうがい病院びょういん収容しゅうようされているのはきながらにしてんでいるようなものだ、と果敢かかんにもボランティアとともにいち年間ねんかんあまりをかけたアメリカ横断おうだん旅行りょこうとその自立じりつげ、医療いりょう予測よそくをはるかにえてきた、あなたたちのこころみがわたしうらづけだった。福嶋ふくしまあきえさんの死後しごわたし協力きょうりょくし、完成かんせいしたほんは『二十歳はたち、もっときたい』」(柳原やなぎはら[2000:589-590])。
 柳原やなぎはら取材しゅざいし、柳原やなぎはら死後しご出版しゅっぱんされたほん収録しゅうろくされている〇〇〇ねん講演こうえんでは以下いか
 「薬害やくがいエイズという事件じけんがありました。患者かんじゃであったかれらが、わたし友人ゆうじんとしておしえてくれたことのひとつは「きるためになんでもやれ」ということ。[…]わたしががんになったとき、かれらがもっとおおきなちからになってくれました。「病気びょうきになったらあらゆることをやれ」と。代替だいたい療法りょうほうなにであるかもよくかっていないなかて、「なんでもやっているひとながおもきしている」とう、かれらの言葉ことばしんじました。
 そして、すじジストロフイーの少年しょうねん少女しょうじょらの、くるしくても自分じぶんきようという生命せいめいりょくがあったら長生ながいきできるんだっていう、これらふたつをわたし実証じっしょうえようとおもったんです」(工藤くどうへん[2012:36-37])。
★02 佐藤さとういちきゅうろくろく〜)について、「にじかい」を取材しゅざいした谷岡たにおかきよしによる記事きじにはこうある。
 「高校こうこう時代じだいはモヒカンりのパンク少年しょうねんだった佐藤さとういちきゅうはちねん埼玉大さいたまだい入学にゅうがくし、障害しょうがいしゃ運動うんどうまなんだ。同級生どうきゅうせいさそいでかよはじめた当時とうじどうかいは、全身ぜんしん筋肉きんにく萎縮いしゅくしていくきんジストロフィーにおかされながら、同大どうだいちかくで一人暮ひとりぐらしをはじめた福嶋ふくしまあき故人こじん)を介助かいじょするボランティアの女子じょし学生がくせいあつまりだった。
 福嶋ふくしま介助かいじょけるだけの障害しょうがいしゃではなかった。施設しせつから自立じりつ生活せいかつ目指めざす「たたか障害しょうがいしゃ」だった。はじめてはなんだ大学だいがくさんねんなつ。「かいをただのボランティア団体だんたいじゃなく、運動うんどうにしたい」。ねつっぽくそうかたった福嶋ふくしまは、その数日すうじつ、たんがまりじゅうきゅうさい急逝きゅうせい。「いいのこされたような気分きぶんになった」。佐藤さとうどうかいるようになったのはそれからだ。/死去しきょ翌年よくねん福嶋ふくしま人生じんせいをドラマしたテレビ番組ばんぐみは、単純たんじゅんな「おなみだちょうだい」の物語ものがたりだった。「本当ほんとういややつ(やつ)も世間せけんらずなやつもいるのに『障害しょうがいしゃ勇気ゆうきをくれる。前向まえむきだ』って。うそつけとおもう」。バンドの奇抜きばつさには、そんな障害しょうがいしゃイメージへの反感はんかんめられている」(谷岡たにおか[2016])。
 テレビドラマは、福嶋ふくしまくなり、著書ちょしょ刊行かんこうされたその翌年よくねんはちはちねんはちがつ放映ほうえいされた、24あいだテレビのなかの、著書ちょしょおなだいの『二十歳はたち もっときたい』。出演しゅつえん沢口さわぐち靖子やすこ阿部あべひろし。このドラマのこと福嶋ふくしま著書ちょしょのことをめぐっても対立たいりつしょうじたことについては佐藤さとう[1996]。記事きじにあるバンドについてはにじかいHP。
★03 はちななねんじゅういちがつ福嶋ふくしまかかわったボランティアいち〇〇にん文章ぶんしょう、そして福嶋ふくしま文章ぶんしょう写真しゃしん収録しゅうろくされた文集ぶんしゅうひらきそしてきる』ができた。それがつくられること、できたこと、そしてその広告こうこくが『にじ』に掲載けいさいされる。佐藤さとう手許てもとにもかつてはあったが、見当みあたらないという。ひとにあげたりしているうちに、なんさつもあったはずのものがいつのまにかくなっている。そんなことがよくある。っているひとがいたら、どこかでかけたひとがいたら、おらせください。
 ちなみにこの時期じきはち年代ねんだい後半こうはんわたしたちは今回こんかい名前なまえているひととしては、磯部いそべ板山いたやま小山内おさない白石しらいし高嶺たかねにインタビューをしている。ただ、その記録きろくおおくがのこっていない。たいへんずかしいことだ。
★04 「川口かわぐちに「障害しょうがいしゃ」のきるつくかい」がななよんねん結成けっせいされ、たい行政ぎょうせい交渉こうしょうつづける。ななななねん十二月じゅうにがつ「しらゆりのいえ開所かいしょ。しかし、運動うんどうがわとの約束やくそく反故ほごにし、社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん「まりもかい」に委託いたくしたこととう反発はんぱつ。「わたしたち既存きそん施設しせついちめい減少げんしょうさせただけの『重度じゅうど障害しょうがいしゃ隔離かくり収容しゅうよう施設しせつ『しらゆりのいえ』をだんじてゆるすことはできません」(『ぜんさわれんななはちねんよんがつ)。運動うんどう記録きろくとして「障害しょうがいしゃ」のきるをつくるかい[1976?]。
★05 このほん続篇ぞくへんとして『ぞく自立じりつ生活せいかつへのみち――障害しょうがいしゃ福祉ふくしあたらしい展開てんかい』(三ツ木みつぎへん[1988])がある。編者へんしゃ東京とうきょう心身しんしん障害しょうがいしゃ福祉ふくしセンター職能しょくのうちょう(→放送大学ほうそうだいがく)の三ツ木みつぎつとむいち仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじ監修かんしゅうとなっている。ケアづけ住宅じゅうたくについては磯部いそべ今岡いまおか寺田てらだ[1988]。三ツ木みつぎは「自立じりつ生活せいかつ問題もんだい研究けんきゅう全国ぜんこく集会しゅうかい」(いちきゅうはちきゅう〜)にかかわった。わりあいながつづいたが、専門せんもん主導しゅどうという批判ひはんがやがてなされ、自立じりつ生活せいかつ問題もんだい」とはなんだ、というわれかたもされて、それはなくなった。現在げんざい毎年まいとし障害しょうがいしゃ政策せいさく研究けんきゅう集会しゅうかい」が開催かいさいされている。わたし三ツ木みつぎからこえをかけられて調査ちょうさくわわり、調査ちょうさ報告ほうこくしょ赤塚あかつか[1998])をいたことがある。
★06 「当時とうじ全国ぜんこくあおしば代表だいひょう横塚よこつか晃一こういちさんだった。福島ふくしま最初さいしょはじめたのは白石しらいし清春きよはるさんと橋本はしもとひろかおるさん。そのころ、橋本はしもとさんも白石しらいしさんもすごく過激かげきでね。施設しせつって、ベッドのまわりにたながあって鉄格子てつごうしみたいになってると、「おまえら、こんなところにはいりたいとおもうのか」ってすごい剣幕けんまくでどなったりしがみついたりして。二度にどとこないように立入たちい禁止きんしになったりして。いかくるって。かなしみのあまりにね。わたしたちのまえで、ごはん味噌汁みそしるとおかずとくすりみずをかけて、ごちゃごちゃにぜたのをくちにつつこまれたりしているんだよ、わたしたち同窓生どうそうせいがさ。あまりにもかなしみがたかまるよね。「おまえら、こんなのめしだとおもうのか」ってつかみかかってどなるのよね。
 白石しらいしさんはそのあおしば活動かつどうのために秋田あきたうつんで、あおしば事務所じむしょのある神奈川かながわ往復おうふくしてた、福島ふくしまにもしょっちゅうてたけど。ななきゅうねんには白石しらいしさんが全国ぜんこく代表だいひょうになったんだ。橋本はしもとさんは白石しらいしさんの女房にょうぼうやくでね。」(安積あさか[1990:30→2012:47-48])
 白石しらいしいちいちねん大震災だいしんさいときには「被災ひさいさわがいしゃ支援しえんセンターふくしま」の代表だいひょうつとめた。そのことを本誌ほんしいた文章ぶんしょうとして白石しらいし[2013]。その「女房にょうぼうやく」でありつづけてきた橋本はしもとはこのほんでは福島ふくしまの「うつみねのかい」についていている(橋本はしもと[1984])。そして白石はくせき橋本はしもとについてかたった安積あさか所属しょぞくをうつみねのかいとして安積あさか[1984]をいている。だからこのほん著者ちょしゃは、東京とうきょうあおしば関係かんけい福島ふくしまあおしばかい――その初期しょき活動かつどうについて土屋つちやよう[2007]――関係かんけいさん。さらに実態じったい調査ちょうさには結局けっきょく反対はんたい立場たちばをとった障害しょうがい連関れんかんがかりしゃも、所属しょぞく東京とうきょう清瀬きよせ療護りょうごえん」となっている(のち清瀬きよせ療護りょうごえんる)太田おおた修平しゅうへい、そして所属しょぞく障害しょうがいれん宮尾みやおおさむわせて高野たかの福嶋ふくしま小山内おさない、もう一人ひとりがハワイ自立じりつ生活せいかつセンターの高嶺たかねゆたかで、けいじゅうよんにん
 福祉ふくし専門せんもんしょく大学だいがく教員きょういんで、東京とうきょう心身しんしん障害しょうがいしゃ福祉ふくしセンターが三ツ木みつぎつとむいちふく国立こくりつ身体しんたい障害しょうがいしゃリハビリテーションセンター、東京とうきょう都立とりつ小岩こいわ養護ようご学校がっこう神奈川かながわけん民生みんせい日本にっぽん大学だいがく、そしてすで名前なまえひとふく厚生省こうせいしょう社会しゃかいきょく日本社会事業大学にほんしゃかいじぎょうだいがくさん

文献ぶんけん文献ぶんけんひょう総合そうごう

赤塚あかつか 光子みつこ佐々木ささき 葉子ようこ杉原すぎはら 素子もとこ立岩たていわ しん也・田中たなか あきら名川ながわ まさるはやし 裕信ひろのぶ三ツ木みつぎ つとむいち 199803 療護りょうご施設しせつ・グループホーム・一人暮ひとりぐらし――脳性のうせいマヒしゃみっつの生活せいかつ放送大学ほうそうだいがく三ツ木みつぎ研究けんきゅうしつ,166p.
秋山あきやま 和明かずあき 1984 「移動いどう」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:126-146]
安積あさか 純子じゅんこ 1984 「せい結婚けっこん」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:208-218]
◆―――― 1990 「<わたし>へ――さんねんについて」,安積あさか岡原おかはら尾中おちゅう立岩たていわ[1990:19-56]
安積あさか純子じゅんこ尾中おちゅうぶん哉・岡原おかはら正幸まさゆき立岩たていわしん也 1990 なま技法ぎほう――いえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく藤原ふじわら書店しょてん
◆―――― 1995 なま技法ぎほう――いえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく 増補ぞうほ改訂かいていばん藤原ふじわら書店しょてん
◆―――― 2012 なま技法ぎほう――いえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく だいはん生活せいかつ書院しょいん文庫ぶんこばん
福嶋ふくしま あき 198303 「地域ちいきでの生活せいかつはじめて」,『ありのまま』15→19831125 山田やまだ[1983:146-151]
◆―――― 198401 「時間じかんおもさ」,岸田きしだかねへん[1984:180-193]
◆―――― 198412 「共同きょうどう生活せいかつハウスでの実践じっせんをとおして」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:268-278]
◆―――― 198711 二十歳はたちもっときたい』くさおもえしゃ,222p.
橋本はしもと ひろよし 1984 「地方ちほうにおけるみ――うつみねのかい」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:279-285]
今岡いまおか 秀蔵しゅうぞう 1984 「介助かいじょ援助えんじょ――介護かいごからの解放かいほう」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:86-96]
磯部いそべ 真教まさのり 1984 「自立じりつ生活せいかつとは」,仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 29-35.
磯部いそべ 真教まさのり今岡いまおか 秀蔵しゅうぞう寺田てらだ 純一じゅんいち 1988 「ケア住宅じゅうたくなな年間ねんかん実践じっせん――東京とうきょう八王子はちおうじ自立じりつホーム」,三ツ木みつぎへん[1988:202-216]
板山いたやま 賢治けんじ 1984 「おわりに」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:315-317]
◆―――― 199710 『すべては出会であいからはじまった――福祉ふくしはん世紀せいき証言しょうげん,エンパワメント研究所けんきゅうじょ,203p.
河野こうの 康徳やすのり 1984a 「自立じりつ生活せいかつかんがえるがかり――全身ぜんしんせい障害しょうがいしゃ状況じょうきょう課題かだい」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:1-26]
◆―――― 1984b 「フォーカス・アパート」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:305-314]
岸田きしだ 美智子みちこきむ 満里まり へん 1984 わたしおんなちょうせいしゃ,274p. ※
工藤くどう 玲子れいこ へん 2012 柳原やなぎはら和子かずこもうひとつの「遺言ゆいごん」――がん患者かんじゃおく言葉ことば知恵ちえ,マーブルトロン,発売はつばい中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ,280p.
三ツ木みつぎ つとむいち へん 1988 ぞく自立じりつ生活せいかつへのみち――障害しょうがいしゃ福祉ふくしあたらしい展開てんかい全国ぜんこく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじ監修かんしゅう,xiv+435p. 2000 ※
宮尾みやお おさむ 1984 「市民しみん活動かつどうへの参加さんか――ある障害しょうがいしゃ奇妙きみょうなレポート」仲村なかむら板山いたやまへん[1984:219-228]
仲村なかむら 優一ゆういち板山いたやま 賢治けんじ へん 1984 自立じりつ生活せいかつへのみち全国ぜんこく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい
太田おおた 修平しゅうへい 1984 「生活せいかつ施設しせつ」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:107-117]
佐藤さとう 一成いっせい 1996 「あきさんがんだ」,『にじ』→2012−2013 『スーパー猛毒もうどくちんどんコンポーザーさとうの日記にっき』 ※ (20121229)・(20121230)・(20130101)
◆―――― 2001 「(……)」→20160124 「こっからまた15ねんがたった。」,『スーパー猛毒もうどくちんどんコンポーザーさとうの日記にっき』 
白石しらいし 清春きよはる 1984a 「所得しょとく保障ほしょう――脳性のうせいマヒしゃをはじめとするおさなときからの障害しょうがいしゃ所得しょとく保障ほしょう制度せいど確立かくりつをめざして」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:36-50]
◆―――― 1984b 「地域ちいききていくことをもとめて――脳性のうせいマヒしゃ地域ちいききるかい」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:246-259]
◆―――― 2013 「JDF被災ひさいさわがいしゃ支援しえんセンターふくしまでの活動かつどう報告ほうこく今後こんご福島ふくしま新生しんせいたいする提案ていあん」,現代げんだい思想しそう』41-3(2013-3):104-115
◆「障害しょうがいしゃ」のきるをつくるかい 1976? 川口かわぐちきるをつくる運動うんどう――「障害しょうがいしゃ」がみずかつくり、みずか運営うんえいする!』,48p.
高嶺たかね ゆたか 1984 「ハワイCIL」,仲村なかむら優一ゆういち板山いたやま賢治けんじへん)『自立じりつ生活せいかつへのみち』: 297-304.
谷岡たにおか きよし 20160819-21 「となりの障害しょうがいしゃ」,『東京とうきょう新聞しんぶん』2016-8-19〜21(埼玉さいたまばん) ※ うえなかした
立岩たていわ しん也 1990a 「はやく・ゆっくり――自立じりつ生活せいかつ運動うんどう生成せいせい展開てんかい」,安積あさか[1990:165-226]→[1995:165-226]→[2012:258-353]
◆―――― 1990b 接続せつぞく技法ぎほう――介助かいじょするひとをどこにくか」安積あさか[1990:227-284]
寺田てらだ 嘉子よしこ 19841215 「自立じりつへのひとつのみち――東京とうきょう八王子はちおうじ自立じりつホーム」,仲村なかむら板山いたやまへん[1984:260-267]
土屋つちや よう 200707** 「福島ふくしまけんにおける障害しょうがいしゃ自立じりつ生活せいかつ運動うんどう生成せいせい展開てんかい(1)――「福島ふくしまけんあおしばかい創設そうせつ発展はってん中心ちゅうしんに(1973-1978)」『文学ぶんがく論叢ろんそう愛知大学あいちだいがく)』136: 334-313.ISSN: 02870835
山田やまだ 富也とみや 19831125 きんジストロフィーしょうへの挑戦ちょうせんかしわいつきしゃ,222p.
柳原やなぎはら 和子かずこ 198304 「すじジス青年せいねん自立じりつへのたたかい」,『しお』288:196-211
◆―――― 1987 「弔辞ちょうじというエピローグ」,福嶋ふくしま[1987:187-210]
◆―――― 2000 『がん患者かんじゃがく――長期ちょうき生存せいぞんをとげた患者かんじゃまなぶ』晶文社しょうぶんしゃ,600p.→2004 『がん患者かんじゃがく I――長期ちょうき生存せいぞん患者かんじゃたちにまなぶ』,中公ちゅうこう文庫ぶんこ,477p.,『がん患者かんじゃがく II――専門せんもんとの対話たいわ闘病とうびょう記録きろく』,中公ちゅうこう文庫ぶんこ,456p.
◆―――― 2002 『がん生還せいかんしゃたち――やまいからまれづるもの』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ,346p.→2004 『がん患者かんじゃがくIII がん生還せいかんしゃたち――やまいからまれづるもの』,中公ちゅうこう文庫ぶんこ,394p.
◆―――― 2005 ひゃくまんかい永訣えいけつ――がん再発さいはつ日記にっき中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ,395p.


UP:2017 REV:.. 20170608, 0728, 0821
病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう  ◇立岩たていわ しん  ◇Shin'ya Tateiwa 
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