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Haraway, Donna J.『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』青土社
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さるおんなとサイボーグ――自然しぜんさい発明はつめい

Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge.
=20000725 高橋たかはし さきの わけ青土おうづちしゃ,558p.

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Haraway, Donna J.  1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge.  =20000725 高橋たかはし さきの わけ,『さるおんなとサイボーグ――自然しぜんさい発明はつめい』,青土おうづちしゃ,558p.  ISBN-10: 4791758242 ISBN-13: 978-4791758241 3600  [amazon][kinokuniya] ※ b02

内容ないよう

ジェンダー/セクシュアリティ/階級かいきゅう文化ぶんか規定きていする「自然しぜん概念がいねんうちやぶさせるために、霊長れいちょうるいがく免疫めんえきがく生態せいたいがくなど、生物せいぶつ科学かがく情報じょうほう科学かがく接合せつごうする。 高度こうど資本しほん主義しゅぎささえる先端せんたんてき科学かがく構築こうちくしつづける「無垢むくなる自然しぜん」を解読かいどく解体かいたいし、フェミニズムのかこみを突破とっぱするハラウェイの闘争とうそうマニフェスト。 霊長れいちょうるいがく免疫めんえきがく生態せいたいがくなど、生物せいぶつ科学かがく情報じょうほう科学かがく接合せつごうされるテクノサイエンスの現場げんばをサイボーグ状況じょうきょう着地ちゃくちさせる。

目次もくじ

謝辞しゃじ
序章じょしょう

だい1 生産せいさんさい生産せいさんシステムとしての自然しぜん
だい1しょう 動物どうぶつ社会しゃかいがくとボディポリティックの自然しぜん経済けいざい――優位ゆういせい政治せいじ生理学せいりがく
だい2しょう 過去かここそが、論争ろんそうである――霊長れいちょうるい行動こうどう研究けんきゅうにおける人間にんげん本性ほんしょうと、生産せいさんさい生産せいさん理論りろん
だい3しょう 生物せいぶつがくというエンタプライズ――人間にんげん工学こうがくから社会しゃかい生物せいぶつがくいたせい意識いしき利潤りじゅん

だい2 論争ろんそうをはらんだみ――かたりの本質ほんしつかたりとしての自然しぜん
だい4しょう はじめにことばありき――生物せいぶつ学理がくりろんのはじまり
だい5しょう 霊長れいちょうるい本質ほんしつをめざしたあらそい――フィールドに男性だんせい狩猟しゅりょうしゃむすめたちの1960〜1980
だい6しょう ブチ・エメチェタをむ――女性じょせいがくにおける「女性じょせい経験けいけん」への挑戦ちょうせん

だい3 場違ばちがいではあるものの領有りょうゆうされることもない他者たしゃたる人々ひとびとにとっての、それぞれにことなるポリティクス
だい7しょう マルクス主義まるくすしゅぎ事典じてんのための「ジェンダー」――あることばをめぐるせいのポリティクス
だい8しょう サイボーグ宣言せんげん――世紀せいき後半こうはん科学かがく技術ぎじゅつ社会しゃかい主義しゅぎフェミニズム
だい9しょう 状況じょうきょうかれたとも――フェミニズムにおける科学かがくという問題もんだいと、部分ぶぶんてき視角しかくゆうする特権とっけん
だい10しょう ポスト近代きんだい身体しんたい/生体せいたいのバイオポリティクス――免疫めんえきけい言説げんせつにおける自己じこ構成こうせい

ちゅう
訳者やくしゃあとがき
参考さんこう文献ぶんけん
索引さくいん

著者ちょしゃ略歴りゃくれき

1944ねんコロラドしゅうデンバーにまれる。イェール大学だいがく実験じっけん生物せいぶつがくから科学かがくてんじ、生物せいぶつがく博士はかせごう取得しゅとく。 1980ねんからは、カリフォルニア大学だいがくサンタクルーズこうで、科学かがく技術ぎじゅつろんとフェミニズム理論りろんこうじている。 本書ほんしょ収載しゅうさいの「サイボーグ宣言せんげん」、「状況じょうきょうかれた」は、おおきな反響はんきょうんだ。 に、発生はっせいがく霊長れいちょうるいがく分子生物学ぶんしせいぶつがくとテクノサイエンスの現況げんきょうあつかった著書ちょしょとして、 『Crystals, Fabrics and Fields』、『Private Visions』、『Modest Witness』などがある。

要約ようやく

訳者やくしゃあとがき

「この文章ぶんしょうで、ハラウェイが描出びょうしゅつしたのは、一言ひとことでいえば、テクノサイエンスや生物せいぶつがく枠組わくぐみのシフトであり、そうした枠組わくぐみをとおしてえる世界せかい変容へんようであった」(pp.516)

本書ほんしょかくしょうあつかわれるテーマは、一見いっけん、ばらばらにえるかもしれない。 しかし、これらのかくしょうには、構築こうちくされたものとしての自然しぜんという、文化ぶんかたい自然しぜん二元論にげんろんにはけっして解消かいしょうされえない〔「えない」に傍点ぼうてん存在そんざいとしての自然しぜんというテーマが一貫いっかんしている。 そして、本書ほんしょは、自然しぜんをめぐる二元論にげんろん指摘してきするための書物しょもつではない。 本書ほんしょは、自然しぜんという存在そんざいの、二元論にげんろんには解消かいしょうされえない〔「えない」に傍点ぼうてん構築こうちくのされかたさぐ作業さぎょう現場げんばである」(p.506)
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だい8しょう サイボーグ宣言せんげん――世紀せいき後半こうはん科学かがく技術ぎじゅつ社会しゃかい主義しゅぎフェミニズム

集積しゅうせき回路かいろ女性じょせい共通きょうつう言語げんごというアイロニックなゆめるか

「サイボーグ――サイバネティックな有機ゆうきたい〔オーガニズム〕――とは、機械きかい生体せいたいふく合体がったい〔ハイブリット〕であり、 社会しゃかいのリアリティと同時どうじにフィクションをものである」(p.287)
「サイボーグはポストジェンダー社会しゃかいものである」(p.289)

本章ほんしょう議論ぎろん
1.「フェミニズム、社会しゃかい主義しゅぎ唯物ゆいぶつろん誠実せいじつであるような、反語はんごてき〔アイロニック〕な政治せいじ神話しんわきず作業さぎょう」(p.286)
2.「境界きょうかい曖昧あいまいにする快楽かいらく〔「快楽かいらく」に傍点ぼうてん〕と、境界きょうかい構築こうちくする責任せきにん〔「責任せきにん」に傍点ぼうてん〕とについて」(p.288)
3.「社会しゃかい主義しゅぎフェミニズムに貢献こうけんするような作業さぎょうを、ボスとモダニズム、自然しぜん主義しゅぎのモードで、ジェンダーなき世界せかいについて」(p.288)

「サイボーグの最大さいだい問題もんだいてんは、軍国ぐんこく主義しゅぎ家父長制かふちょうせい資本しほん主義しゅぎ国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ嫡出ちゃくしゅつであるてん」(p.291)

不明瞭ふめいりょうになってきた境界きょうかい(pp.291-295)
1.人間にんげん動物どうぶつ境界きょうかい
2.動物どうぶつ人間にんげん生体せいたい〕と機械きかい区分くぶん
3.物理ぶつりてきなるものと物理ぶつりてきならざるもの

議論ぎろん前提ぜんてい(pp.295-296)
1.アメリカの社会しゃかい主義しゅぎしゃやフェミニストたちの大半たいはんが、「ハイテク」や科学かがく文化ぶんか付随ふずいする社会しゃかい実践じっせん、シンボリックな図式ずしき物理ぶつりてき人工じんこうぶつなどに、精神せいしん身体しんたい動物どうぶつ機械きかい理想りそう主義しゅぎ唯物ゆいぶつ主義しゅぎ一層いっそうふか二元論にげんろん想定そうていしていること
2.世界せかい規模きぼでの支配しはい強化きょうか抵抗ていこうせんとする人々ひとびと団結だんけつ一体いったいせいが、今日きょうほど尖鋭せんえいなかたちで必要ひつようとされたことはないこと

サイボーグの世界せかい(p.296)
1.戦争せんそうという男性だんせい至上しじょう主義しゅぎ乱行らんぎょうで、女性じょせい身体しんたい最終さいしゅうてき領有りょうゆうされる過程かていかかわる
2.人々ひとびと動物どうぶつ機械きかい連帯れんたい関係かんけいおそれず、未来永劫みらいえいごうにわたって部分ぶぶんてきなままにとどまるアイデンティティやあい矛盾むじゅんをする立場たちばおくすることのないような、 社会しゃかい身体しんたいかかわる
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断片だんぺんするアイデンティティ

「フェミニズムという名詞めいしにこだわりつづけることさえすでにむずかしい。……女性じょせい〔フィーメール〕「である」という状態じょうたい存在そんざいするわけではない」(p.297)

シェラ・サンドゥーヴァル(pp.298-299)
抵抗ていこう意識いしき」としょうされる有望ゆうぼう政治せいじてきアイデンティティのモデルを理論りろんした。だれ有色ゆうしょく女性じょせいであるのかを特定とくていするうえで、なん本質ほんしつてき基準きじゅんがないことを重要じゅうようする。

ケイティ・キング(p.300)
フェミニズムの実践じっせんのさまざまな「契機けいき〔モメント〕」や「会話かいわ」をとらえて、女性じょせいたちの運動うんどう分類ぶんるいして、 みずからの政治せいじ指向しこうがあたかもフェミニズムにとっての究極きゅうきょく目的もくてき〔「究極きゅうきょく目的もくてき」に傍点ぼうてん〕であるかのごとくろんじる傾向けいこう批判ひはんする。

「キングとサンドゥーヴァルが共通きょうつうして到達とうたつしたのは、/ポリティクスをかいした団結だんけつ一体いったいせいを、領有りょうゆう包摂ほうせつ、 そして分類ぶんるいによるアイデンティティ確定かくていといった論理ろんり依拠いきょすることなく創出そうしゅつしうるような方策ほうさくにつけることの重要じゅうようせいという地点ちてんである」(p.301)

わたしは、歴史れきしじょう、「人種じんしゅ」、「ジェンダー」、「セクシュアリティ」、 「階級かいきゅう」による支配しはい効果こうかてきかうための政治せいじてき一体いったいせい団結だんけつが、今日きょうほど必要ひつようとされている時代じだいらない。 また、今日きょうほど、我々われわれ構築こうちく作業さぎょう一端いったんにな可能かのうせいのある一体いったいせい団結だんけつ実現じつげん可能かのうせいがある時代じだいらない。 ……すくなくとも、「我々われわれ」は、みずからがこのたね支配しはい実践じっせんよごしていないと主張しゅちょうすることはできない。 社会しゃかい主義しゅぎフェミニストをはじめとする白人はくじん女性じょせいは、「女性じょせい」というカテゴリーが無垢むくではないことを発見はっけんした」(p.302)

マルクス主義まるくすしゅぎ社会しゃかい主義しゅぎフェミニズムも、ラディカルフェミニズムも、カテゴリーとしての「女性じょせい〔ウーマン〕」や、女性じょせい社会しゃかい生活せいかつともな意識いしきを、 自然しぜんなものであるとみなすと同時どうじに、変性へんせいさせてきた。……賃金ちんぎんという関係かんけいせいがもたらす帰結きけつは、 労働ろうどうしゃかれの(原文げんぶんのまま)生産せいさんぶつからはなされる過程かていしょうじる組織そしきてき疎外そがいである」(p.303)

キャサリン・マキノン(pp.304-306)
「キャサリン・マキノン(1982, 1987)によるラディカルフェミニズムの解釈かいしゃくは、アイデンティティという存在そんざい基礎きそづけるような作用さよう各種かくしゅ西欧せいおうてき理論りろん内在ないざいする領有りょうゆう包摂ほうせつ全体ぜんたい指向しこうのカリカチュアとしかいようがない」(p.304)

「マキノンりゅうのラディカルフェミニズムの物語ものがたりにまれた全体ぜんたい指向しこうは、ラディカルな存在そんざい〔ノン‐ビーイング〕という経験けいけん、 そしてそうしたことにたいする宣誓せんせい強要きょうようすることによって、その目的もくてき――女性じょせい一体化いったいか統一とういつ団結だんけつ――をなしとげるのである。 マルクス主義まるくすしゅぎ社会しゃかい主義しゅぎフェミニズムの場合ばあい同様どうよう意識いしき自覚じかくとは達成たっせいされるべき存在そんざいであって、自然しぜん事実じじつではないとされる」(p.305)

「マキノンは、フェミニズムが、まず階級かいきゅう構造こうぞう着目ちゃくもくするようなマルクス主義まるくすしゅぎ場合ばあいとはことなる分析ぶんせき戦略せんりゃく――すなわち、まず、せい〔セックス〕/ジェンダー構造こうぞうやその発生はっせい関係かんけい、 つまり女性じょせいのセクシュアリティが男性だんせいによって構築こうちく領有りょうゆうされてきたてん着目ちゃくもくする分析ぶんせき戦略せんりゃく――を採用さいようしたのは必然ひつぜんであったとろんずる」(p.305)

女性じょせいは、たんにその生産せいさんぶつから疎外そがいされているばかりでなく、ふか意味いみでは、主体しゅたいとして、あるいは潜在せんざいてき主体しゅたいとしてさえ存在そんざいしていない。 というのも、彼女かのじょ女性じょせいとしての存在そんざい性的せいてき搾取さくしゅ依拠いきょしているからである」(p.306)

「アイデンティティについてのマルクス主義まるくすしゅぎけいのどの議論ぎろんも、女性じょせい一体いったいせいかんしてかくたる根拠こんきょ付与ふよしえていないというてんかんして、 わたしは、マキノンがただしくろんじているとおもう」(p.306)

「マキノンが意図いとてきっているような、女性じょせいの「本質ほんしつてき−>307>実在じつざいという装置そうちかいしたあらゆる差異さい意図いとてき抹消まっしょうは、 けっして推奨すいしょうできるようなものではない」(pp.306-307)

さい生産せいさん生殖せいしょく〔リプロダクション〕は、社会しゃかい主義しゅぎフェミニズムとラディカルフェミニズムという、一方いっぽう労働ろうどう根拠こんきょき、 他方たほうせい〔セックス〕に根拠こんきょき、その双方そうほうともが、社会しゃかい個人こじんのリアリティの支配しはい無視むし帰結きけつを「虚偽きょぎ意識いしき」としょうしているふたつの動向どうこうにとって、 ことなったトーンの意味いみゆうしていたということなのだとおもう」(p.307)

社会しゃかい主義しゅぎフェミニズム――階級かいきゅう構造こうぞうちん労働ろうどう疎外そがい
労働ろうどう労働ろうどうとのアナロジーでさい生産せいさん生殖せいしょくろんじ、労働ろうどう拡張かくちょうすることによってせい〔セックス〕をろんじ、労働ろうどう付加ふかすることによって人種じんしゅろんじる。

ラディカルフェミニズム――ジェンダー構造こうぞう性的せいてき搾取さくしゅ対象たいしょう
せい〔セックス〕。せいとのアナロジーで労働ろうどうろんじ、せい拡張かくちょうすることによってさい生産せいさん生殖せいしょくろんじ、せい付加ふかすることによって人種じんしゅろんじる。

ジュリア・クリステヴァ
女性じょせいだい大戦たいせん若者わかものなどのグループとともに歴史れきしてきなグループとして出現しゅつげんした。(p.308)

白人はくじんヒューマニズムの論理ろんり、ことば、そして実践じっせん軽々かるがるしく参画さんかくしたこと、そして支配しはい単一たんいつ根拠こんきょさぐることによって我々われわれ革命かくめいこえ確保かくほしようとしたことにかんして、 我々われわれすくなくとも有罪ゆうざいだというのが、わたしかんがえである」(p.309)
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支配しはい情報じょうほう工学こうがく

社会しゃかい主義しゅぎとフェミニズムのデザイン原則げんそくにのっとった見取みと――を描出びょうしゅつしてみたい。 わたしのスケッチの枠組わくぐみは、科学かがくとテクノロジーの緊密きんみつむすびつきのなかで、世界せかい規模きぼ社会しゃかい関係かんけい配置はいちえがいかなる範囲はんいおよび、 いかなる重要じゅうようせいゆうするのかによって設定せっていされている。……我々われわれは、有機ゆうきてき産業さんぎょうてき社会しゃかいから、 ポリモルフな情報じょうほうシステムへの移行いこう――すべてが労働ろうどうであるような社会しゃかいからすべてが遊戯ゆうぎ、>310>いたるゲームであるようなシステムへの移行いこう――を経験けいけんしつつある」 (pp.309-310)

こう対立たいりつてき見取みといちれい〕(pp.310-311)
ゆう機体きたい――生体せいたい部品ぶひん〔バイオティック・コンポネント〕
優生ゆうせいがく――人口じんこう管理かんり政策せいさく
衛生えいせい――ストレス管理かんり
生殖せいしょく――複製ふくせい
だい大戦たいせん――スター・ウォーズ

科学かがくによってることが可能かのうなありとあらゆる対象たいしょうが、(管理かんりしゃにとっては)コミュニケーション工学こうがく問題もんだいとして、 (抵抗ていこうこころみるものにとっては)テキスト理論りろん問題もんだいとして定式ていしきされることを必要ひつようとしている。そして、その双方そうほうが、サイボーグの記号きごうろんである」(pp.313)

「この世界せかいのありとあらゆる種類しゅるい部品ぶひん感染かんせんしうる特権とっけんゆうする病理びょうりは、ストレス、すなわち、>314>コミュニケーションの破綻はたん〔ブレークダウン〕である。 サイボーグは、フーコーのバイオポリティクスの対象たいしょうとはならない。 サイボーグが、ポリティクスを――バイオポリティクスをはるかにしのぐ強力きょうりょくなオペレーションのを――シミュレートする」(pp.313-314)

女性じょせいたちが直面ちょくめんしている状況じょうきょうとは、わたし支配しはい情報じょうほう工学こうがくしょうする生産せいさんさい生産せいさんとコミュニケーションの世界せかいシステムへの女性じょせい統合とうごう搾取さくしゅである」(p.314)

我々われわれ身体しんたい創造そうぞうしなおすうえでは、コミュニケーション・テクノロジーが必須ひっすのツールとなる」(p.315)

「ある意味いみで、生体せいたい対象たいしょうとして存在そんざいすることを停止ていしし、生体せいたい部品ぶひん〔バイオティック・コンポネント〕、すなわちあるしゅ情報処理じょうほうしょり装置そうちとして存在そんざいするようになった」(p.316)

「さまざまなシミュラクル、すなわち、原型げんけい〔オリジナル〕なき複製ふくせい〔コピー〕の技術ぎじゅつじょう基底きていをなすのは、マイクロエレクトロニクスである」(pp.316-317)

「マイクロエレクトロニクスは、労働ろうどうからロボット工学こうがくやワープロ作業さぎょうせい〔セックス〕から遺伝子いでんし工学こうがく生殖せいしょく技術ぎじゅつ精神せいしんからAI(人工じんこう知能ちのう)や意思いし決定けってい過程かていへの翻訳ほんやく媒介ばいかいする」(p.317)

機械きかい生体せいたいとの差異さい完全かんぜんにぼやけているし、しんとからだと道具どうぐ緊密きんみつきわまりない関係かんけいをとりむすんでいる」(p.317)

わたしが、「科学かがくとテクノロジーの社会しゃかい関係かんけい」なる奇妙きみょうまわりくどいいいかた使用しようしたのは、我々われわれ技術ぎじゅつ決定けっていろん関与かんよしているわけではなく、 人々ひとびとあいだ構築こうちくされたさまざまな関係かんけい依拠いきょした歴史れきしシステムと対峙たいじしているのだということを示唆しさするためである。 しかし、このフレーズは、科学かがくやテクノロジーが権力けんりょく新鮮しんせん源泉げんせんとなっていること、 そして、我々われわれもまた、分析ぶんせき政治せいじ行動こうどう新鮮しんせん源泉げんせん必要ひつようとしていることを同時どうじ示唆しさしている」(p.318)
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家庭かてい」のそとの「ホームワーク経済けいざい

「「しん産業さんぎょう革命かくめい」は、あらたな世界せかい規模きぼ労働ろうどうしゃ階級かいきゅう、そしてあらたなセクシュアリティや民族みんぞくせい〔エスニシティ〕を生成せいせいしつつある」(p.318)

状況じょうきょうは、たんに、輸出ゆしゅつ加工かこう部門ぶもんとくにエレクトロニクス部門ぶもん科学かがくけい国籍こくせき企業きぎょうにとって、だいさん世界せかい国々くにぐに女性じょせいこのましい労働ろうどうりょくであるというだけにとどまるものではない。 その構図こうずはもっと体系たいけいてきで、さい生産せいさん生殖せいしょく、セクシュアリティ、文化ぶんか消費しょうひ生産せいさんをもふくみこんだものである」(p.318)

「リチャード・ゴードンは、こうしたあらたな状況じょうきょうを「ホームワーク経済けいざい」とんだ。 ゴードンは、この用語ようごに、電子でんし機器ききてにさいしてしょうじる文字もじどおりの内職ないしょく〔ホームワーク〕という現象げんしょうふくめてはいるものの、 ゴードンが「ホームワーク経済けいざい」という名称めいしょう付与ふよしようとしたのは、 従来じゅうらい女性じょせい職種しょくしゅ――すなわち、文字もじどおり、女性じょせいのみがになってきた職種しょくしゅ――に特有とくゆうであるとされてきた数々かずかず特徴とくちょう包括ほうかつてきふくむような労働ろうどう再編さいへんである。 労働ろうどうは、それをおこなうのが男性だんせいであると女性じょせいであるとにかかわらず、文字もじどおり、女性じょせいてき〔フィーメール〕、あるいは女性じょせいされた〔フェミナイズド〕ものとしてさい定義ていぎされつつある。 女性じょせいされることが意味いみするのは、極端きょくたんよわ立場たちばまれ、予備よび労働ろうどうりょくとして分解ぶんかいさいてされたり搾取さくしゅされたりする対象たいしょうとなり、 労働ろうどうしゃとしてよりは奉仕ほうししゃであるとみなされるようになり、ちん労働ろうどう時間じかん契約けいやくいた結果けっか就労しゅうろう時間じかん制限せいげんすらようをなさなくなり、猥褻わいせつかつじょうちがいで、 セックスに還元かんげん可能かのう状態じょうたいつねにスレスレの存在そんざいとなることである」(p.319)

「こうした経済けいざい技術ぎじゅつあらたな編成へんせいは、福祉ふくし国家こっか崩壊ほうかいし、 その結果けっか女性じょせいたいして、みずからのみならず、男性だんせいども、老人ろうじん日常にちじょう生活せいかつをも維持いじせよとの要求ようきゅうつよまったこととも関連かんれんしている。 貧困ひんこん女性じょせい――福祉ふくし国家こっか解体かいたいによって、安定あんていした職業しょくぎょう例外れいがいしたようなホームワーク経済けいざいによって生起せいきし、どもをやしなっていくという意味いみで、 女性じょせい賃金ちんぎん男性だんせい賃金ちんぎん匹敵ひってきするようなレベルにたっすることはないだろうという予測よそくのもとに維持いじされている動向どうこう――が、焦眉しょうび課題かだいとなっている」(p.320)

家族かぞく理想りそう形態けいたい図式ずしき(p.321)
1.公私こうし二元論にげんろんかたちづくられた家父長制かふちょうせいてき家族かぞくには、公私こうし別々べつべつ活動かつどうけんという白人はくじんブルジョワイデオロギーと19世紀せいきてきえいべいけいブルジョワフェミニズムが付随ふずいしていた。
2.福祉ふくし国家こっか家族かぞく賃金ちんぎんといった制度せいどによって媒介ばいかい強制きょうせい)された近代きんだい家族かぞく――フェミニズムてきなヘテロセクシュアル・イデオロギーが興隆こうりゅうむかえた。
3.ホームワーク経済けいざいの「家族かぞく」――さまざまなフェミニズムが爆発ばくはつてきまれ、ジェンダーそのものが逆説ぎゃくせつてき強化きょうかされつつ、侵食しんしょくされた。

食糧しょくりょうやエネルギー作物さくもつのハイテク商品しょうひんすすんでも、女性じょせいがその恩恵おんけいよくすることはまずないし、また女性じょせい食糧しょくりょう調達ちょうたつ責任せきにん軽減けいげんすることはないのに、 生殖せいしょくさい生産せいさんをめぐる状況じょうきょうはますます複雑ふくざつになっているので、生活せいかつきびしさのたびすばかりである」(p.322)

「コミュニケーション技術ぎじゅつは、あらゆる人々ひとびとにとっての「公的こうてき生活せいかつ」をるうえで必須ひっすのものであり、その結果けっか、ほとんどの人々ひとびと経済けいざいてき犠牲ぎせいのもとに、 なかんずく女性じょせい犠牲ぎせいのもとに、恒久こうきゅうてきなハイテク軍事ぐんじ体制たいせいきゅう成長せいちょうすることになる。 ……ジェンダーされたハイテク想像そうぞうりょく、すなわち惑星わくせい破壊はかいやその結果けっかしょうじた状態じょうたいからのSFてき逃亡とうぼうについておもいをめぐらす想像そうぞうりょくが、 ここにされる」(p.323)

「こうした社会しゃかい生物せいぶつがく物語ものがたりが依拠いきょしているのは、身体しんたいを、 生体せいたい部品ぶひん〔バイオティック・コンポネント〕あるいはサイバネティックなコミュニケーション・システムとみなすハイテクの身体しんたいかんである。 生殖せいしょくさい生産せいさんをとりまく状況じょうきょうがさまざまに変遷へんせんかさねるなかで、医療いりょう状況じょうきょう変化へんかし、女性じょせい身体しんたい境界きょうかいを「視覚しかく映像えいぞう」や「介入かいにゅう行為こうい」がすりぬけるようになってきた。 ……>324>セルフ・ヘルプでは不充分ふじゅうぶんである」(pp.323-324)

「どのような政治せいじてきアカウンタビリティを>325>構築こうちくすれば、我々われわれ分断ぶんだんする科学かがく技術ぎじゅつ階層かいそう横断おうだんして女性じょせい同士どうし連携れんけい達成たっせいすることができるだろう?」(pp.324-325)
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集積しゅうせき回路かいろ女性じょせい

わたしは、イデオロギーとしては、ネットワークのイメージのほうきである。 というのも、ネットワークのイメージのほうが、空間くうかんやアイデンティティがたっぷりしたかんじがするし、 個々人ここじん身体しんたいやボディポリティックの境界きょうかいをうまくすり>326>ぬけられそうなかんじがするからである。 「ネットワーキング」はフェミニズムの実践じっせんであるとともに、国籍こくせき企業きぎょう戦略せんりゃくでもある――ものは、抵抗ていこうするサイボーグにうってつけの作業さぎょうかもしれない」(pp.325-326)

以下いかのリストを、「アイデンティティへの同一どういつ」や一体いったいなる自己じこという立場たちばからまないでいただきたい。 争点そうてん分散ぶんさんにある。散逸さんいつ構造こうぞう〔ディアスポラ〕をくことが課題かだいである」(p.326)

集積しゅうせき回路かいろでの女性じょせいの「位置いち」〔れい〕(pp.326-329)
家庭かてい
家庭かていという労働ろうどう搾取さくしゅ工場こうじょうさい出現しゅつげん強化きょうかされたかく家族かぞくはげしい家庭かていない暴力ぼうりょく
市場いちば
標的ひょうてきとなった女性じょせい連綿れんめんたる消費しょうひ労働ろうどう金融きんゆうシステムの抽象ちゅうしょう消費しょうひせい強化きょうか
有償ゆうしょう労働ろうどう
安定あんてい雇用こようこみもないような状態じょうたい労働ろうどうが「周縁しゅうえん」あるいは「女性じょせい」する事態じたい
国家こっか
ハイテク軍事ぐんじわたし軍事ぐんじ密接みっせつ統合とうごう
学校がっこう
資本しほんおおやけ教育きょういくむすびつきの強化きょうか大衆たいしゅう無知むち抑圧よくあつのための教育きょういく
診療しんりょうしょ病院びょういん
強化きょうかされる機械きかい身体しんたい関係かんけいあらたな特殊とくしゅ歴史れきしてき疾患しっかん出現しゅつげん
教会きょうかい
政治せいじ闘争とうそうにおいて、精神せいしんせいめつづけている重要じゅうよう位置いち

支配しはい情報じょうほう工学こうがくは、不安ふあんがいちじるしく増幅ぞうふくされ、文化ぶんか疲弊ひへいし、 もっときずつきやすいもの生存せいぞんするためのネットワークがつね欠落けつらくしているような状態じょうたいとしてしか描写びょうしゃのしようもない」(p.329)

銘記めいきしておくべきは、うしなわれたもの、とく女性じょせい位置いちからうしなわれたものというのが、往々おうおうにして、致命ちめいてき抑圧よくあつ形態けいたいなのであって、 そうした抑圧よくあつ状態じょうたいであっても、目下めした進行しんこうちゅう暴力ぼうりょく直面ちょくめんしてしまうと、郷愁きょうしゅうびて自然しぜんされてしまうというてんについてだろう。 ハイテク文化ぶんかによって媒介ばいかいされた一体いったいせい混乱こんらんをめぐる葛藤かっとう必要ひつようとしているのは、 「ソリッドな政治せいじてき認識にんしきろん基礎きそをなす見通みとおしよい批判ひはんたい操作そうさされた虚偽きょぎ意識いしき」というカテゴリーあいだでの仕分しわけをおこなうような意識いしきではなく、 ゲームの規則きそく変化へんかさせる思慮しりょふか可能かのうせいめた、出現しゅつげんしつつある快楽かいらく経験けいけんちからについての曖昧あいまい理解りかいである」(p.330)

反語はんごてきではあるけれども、ひょっとすると、動物どうぶつ機械きかい融合ゆうごうする過程かていかいして、 我々われわれは、いかにして人間にんげん〔マン〕たらざりうるか、――いかにして、西欧せいおうのロゴスが具体ぐたいされた存在そんざいとしての人間にんげん〔マン〕ではないかたちで存在そんざいしうるか、 ――についてまなぶことができるかもしれない」(p.331)
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サイボーグ――政治せいじてきアイデンティティという神話しんわ

わたしは、本章ほんしょうを、アイデンティティと境界きょうかいをめぐる神話しんわ物語ものがたり――ひょっとすると、 20世紀せいき後半こうはん政治せいじてき想像そうぞうりょくとはなになのかをかいまみせてくれるかもしれない神話しんわ物語ものがたり――をもってめくくりたいとおもう(図版ずはん1――巻頭かんとう)」(p.332)

「「有色ゆうしょく女性じょせい」は、科学かがくけい産業さんぎょうにとってこのましい労働ろうどうりょくであり、しん女性じょせいなのであって、彼女かのじょたちのためとあらば、 世界せかい規模きぼせい市場いちば労働ろうどう市場いちば生殖せいしょくさい生産せいさんのポリティクスさえ、めくるめくうちに日常にちじょう生活せいかつへと変貌へんぼうする。 せい産業さんぎょう電子でんし部品ぶひんてに雇用こようされるわか韓国かんこく女性じょせいは、高校こうこうから採用さいようされ、その段階だんかいで、すでに集積しゅうせき回路かいろきの教育きょういくけている。 国籍こくせき企業きぎょうにとってきわめて魅力みりょくある「安価あんかな」女性じょせい労働ろうどうりょくは、能力のうりょくとく英語えいご能力のうりょくにつけている」(p.334)

くという行為こういは、植民しょくみん支配しはいけるすべての集団しゅうだんにとって、特段とくだん意味いみつ。……行為こういつさまざまな意味いみをめぐる論争ろんそうは、 今日きょう政治せいじ>335>闘争とうそう主要しゅよう形態けいたいとなっている。くという行為こうい〔プレー〕をはなつことは、いのちとりともなりかねない深刻しんこく事態じたいなのである。 米国べいこく有色ゆうしょく女性じょせいになる物語ものがたりは、くという行為こういについて、――意味いみ体現たいげんしうる権力けんりょくにアクセスするとはいかなる事態じたいなのかについて、 ――かえあつかってきた。しかし、ことここにいたって、くという権力けんりょくは、もはや男根だんこんてきであったり、無垢むくであったりしてはならない。 サイボーグのきが男性だんせい人類じんるい〔マン〕の堕落だらく――ことば以前いぜんくこと以前いぜん男性だんせい人間にんげん〔マン〕以前いぜんむかしむかしに存在そんざいしたかもしれないような全体ぜんたいせいをめぐる想像そうぞうりょく――にかかわる存在そんざいであってはならない。 サイボーグのきは、生存せいぞんのためのちから――起源きげんにおける無垢むく立脚りっきゃくしたちからではなく、 みずからを他者たしゃとして刻印こくいんした世界せかい刻印こくいんするツールを制圧せいあつする過程かていもとづいたつとむ――にかかわるものである」(pp.334-335)

近年きんねん我々われわれ身体しんたいをC 3I(指揮しき〔コマンド〕−管制かんせい〔コントロール〕−通信つうしん〔コミュニケーション〕−情報じょうほう〔インテリジェンス〕) のグリッドじょう位置いちする暗号あんごう〔コード〕の問題もんだいとしてテキストした。フェミニズムのサイボーグによってかたられる物語ものがたりには、 通信つうしん〔コミュニケーション〕と情報じょうほう〔インテリジェンス〕を暗号あんごう〔コード〕しなおして指揮しき〔コマンド〕と管制かんせい〔コントロール〕をくつがえすという仕事しごとっている。
 比喩ひゆてき意味いみでも、字義じぎどおりの意味いみでも、ことばのポリティクスは有色ゆうしょく女性じょせいのさまざまなたたかいにつうそこ>336>しているし、ことばにかかわる物語ものがたりは、 米国べいこく有色ゆうしょく女性じょせいによってかれた豊穣ほうじょうたる現代げんだい文学ぶんがくにおいて、特段とくだんちから発揮はっきしている」(pp.335-336)

「であればこそ、サイボーグのポリティクスはノイズに固執こしつし、汚染おせん擁護ようごして、動物どうぶつ機械きかいとの嫡出ちゃくしゅつ融合ゆうごう歓喜かんきする。 こうしたことは、大文字おおもじ男性だんせい女性じょせい混乱こんらんむような接合せつごうのしかたであり、 欲望よくぼう――ことばやジェンダーを生成せいせいする存在そんざいとして想定そうていされているちから――の構造こうぞうくつがえし、ひいては自然しぜん文化ぶんかかがみ奴隷どれい主人しゅじん、 からだとしんといった「西欧せいおう」アイデンティティのさい生産せいさん構造こうぞうやモードをくつがえす。「我々われわれ」は、起源きげんにおいて、サイボーグとなることをえらんだわけではないが、 サイボーグとなることをえらんだことによって、より広範こうはんな「テキスト」を複製ふくせいする作業さぎょう先立さきだって、 生殖せいしょくさい生産せいさんおもいをめぐらすようなあるしゅのリベラルなポリティクスや認識にんしきろん基礎きそ付与ふよされることとなった」(p.337)

「サイボーグたちは、しん生命せいめい生活せいかつんだための犠牲ぎせいといった発想はっそうをイデオロギーの源泉げんせんとすることをこばむ。……生存せいぞんこそが最大さいだい関心事かんしんじである」(p.339)

「ハイテク文化ぶんかは、こう対立たいりつ興味深きょうみぶかいかたちで挑戦ちょうせんする。……我々われわれは、みずからがサイボーグ、混成こんせいぶつ〔ハイブリッド〕、モザイク、キメラであるとおもう」(p.340)

ひとつの帰結きけつとして、道具どうぐとつながっているという我々われわれかんかたは、つよまっているとおもう。コンピュータ・ユーザーが経験けいけんするトランス状態じょうたいは、SF映画えいが文化ぶんかジョークの定番ていばんになった。 ひょっとすると、のコミュニケーション装置そうちとの複雑ふくざつなハイブリッド状態じょうたいについてもっと強烈きょうれつ経験けいけん可能かのうで、場合ばあいによってはすでに実地じっち経験けいけんずみなのは、 たい麻痺まひをはじめとする障碍しょうがいおも人々ひとびとであるのかもしれない。 アン・マキャフリーは、プレ・フェミニズムの『うたふね』(1969)で、あるサイボーグ――障碍しょうがいおもども>341>の誕生たんじょう作製さくせいされた、 そのおんなのう複雑ふくざつ機械きかい装置そうちのハイブリッド――の意識いしきについて探究たんきゅうした、この物語ものがたりでは、ジェンダー、セクシュアリティ、ものごとの具体ぐたいてきなかたち、 スキルといったもの――ようするにすべて――がさい構築こうちくされる。なぜ、我々われわれ身体しんたいは、皮膚ひふわらねばならず、 せいぜいのところ、皮膚ひふふうじこめられた異物いぶつまでしか包含ほうがんしないのだろうか、と」(pp.340-341)

我々われわれにとって、我々われわれ想像そうぞうをはじめとする各種かくしゅ行為こうい実践じっせんするさいには、機械きかいは、生体せいたい欠損けっそん部分ぶぶん機能きのうおぎな装置そうちとも、親密しんみつ部品ぶひんとも、ちかしい自己じこともなりうる」(p.341)

フェミニズムSFのれい(pp.341-344)

「サイボーグ――我々われわれ敵対てきたいするものではない存在そんざいとしてのサイボーグ――の想像そうぞうりょくをシリアスにけとめると、いくつかの結論けつろんみちびかれる。 我々われわれのからだは我々われわれ自身じしんのもの(our Bodies, ourselves)――身体しんたいは、権力けんりょくとアイデンティティの地図ちずである。サイボーグとて、例外れいがいではない。 サイボーグの身体しんたい無垢むくではない――サイボーグは楽園らくえんまれたわけでも、一体いったいせいとしてのアイデンティティをもとめているわけではなく、 あい対立たいりつするこう対立たいりつをはてしなく(ようするに世界せかいわるまで)生成せいせいするわけでもなく、アイロニーを当然とうぜんのものとしてけとめる。 ひとつはすくなすぎるし、ふたつというのはひとつの可能かのうせいにすぎない。スキル、それも機械きかいのスキルをいちはいたのしむことは、もはやつみではなく、 事物じぶつ具体ぐたいてきなかちをとる過程かていひとつの側面そくめんとなった。機械きかいは、いききこまれ、あがめられ、そして支配しはいされるなにぶつか(it)ではない。 機械きかいは、我々われわれ我々われわれ過程かてい我々われわれ具体ぐたいてきなかたちをとるさいひとつの側面そくめんである。 我々われわれは、各種かくしゅ機械きかいたいして責任せきにんある存在そんざいとなることができる――機械きかいたち(they)は我々われわれ支配しはいするわけでもおびやかすわけでもない。 我々われわれ境界きょうかいたいして責任せきにんある存在そんざいであり、我々われわれ境界きょうかいなのである」(p.345)

「サイボーグたちであれば、せいせいにまつわる具体ぐたいてき事物じぶつ部分ぶぶんてきで、流動的りゅうどうてき〔フルーイッド〕で、きまぐれな側面そくめんを、 もっとシリアスにけとめるかもしれない」(p.345)

なにをもって日常にちじょうてき活動かつどう――経験けいけん――とみなすのかという、イデオロギーにちたいには、サイボーグのイメージを利用りようしてアプローチをすることが可能かのうだとおもう」(p.346)

有機ゆうきたいや、ゆう機体きたいろんてきなホーリズムのポリティクスは、いずれも、復活ふっかつ〔リバース〕というメタファーに依拠いきょし、一様いちように、 生殖せいしょくするせい〔セックス〕という源泉げんせん要求ようきゅうする。サイボーグに関係かんけいがあるのはどちらかといえば再生さいせい〔リジェネレーション〕のほうであって、 サイボーグは生殖せいしょく基盤きばん〔マトリクス〕や大方おおかた出産しゅっさんには疑念ぎねんをいだいている、とわたしおもう」(p.346)

我々われわれは、復活ふっかつ〔リバース〕ならぬ再生さいせい〔リジェネレーション〕を必要ひつようとしており、我々われわれさい構成こうせいされる過程かていをめぐってのさまざまな可能かのうせいなかには、 ジェンダーなきモンスターの世界せかい出現しゅつげん希求ききゅうするというユートピアのゆめふくまれる」(p.347)

サイボーグの想像そうぞうりょくみちび議論ぎろん(p.347)
1.普遍ふへんてき全体ぜんたい作用さようつような理論りろん生成せいせいおおきなまちがいであり、そうした理論りろんは、リアリティの大半たいはんつねにとりがしてしまうことになる。
2.科学かがくやテクノロジーの社会しゃかい関係かんけいたいして責任せきにんつことは、はん科学かがく形而上学けいじじょうがくをやめることを意味いみし、 日常にちじょう遭遇そうぐうするさまざまな境界きょうかい構築こうちくしなおすという熟練じゅくれんようする作業さぎょう大切たいせつにし、そうした作業さぎょうを、他者たしゃとの部分ぶぶんてき関係かんけいせいたもちつつ、 しかも我々われわれ構成こうせいする各種かくしゅ部分ぶぶん〔パーツ〕のすべてとコミュニケーションをとりながらってゆくことを意味いみする。

「サイボーグの想像そうぞうりょくは、こう対立たいりつという迷路めいろ――我々われわれが、これまで、我々われわれ自身じしんたいして、 我々われわれ身体しんたい道具どうぐについての説明せつめいおこなってきた枠組わくぐみ――から道筋みちすじ提示ていじすることができる」(p.347)

「サイボーグの想像そうぞうりょくは、 しん右翼うよくちょう特価とっかちょう救済きゅうさい説教せっきょう〔スーパーセイバー〕たちの回路かいろ恐怖きょうふ鉄槌てっついむようなことばでフェミニストたちが会話かいわしているような事態じたいかかわる想像そうぞうりょくである。 サイボーグの想像そうぞうりょくは、機械きかい、アイデンティティ、カテゴリー、関係かんけいせい宇宙うちゅう物語ものがたりといった存在そんざい構築こうちくと>348>破壊はかい両方りょうほう意味いみする。 スパイラル・ダンスには、女神めがみもサイボーグもくわわっているものの、わたしは、女神めがみではなくサイボーグとなりたい」(pp.347-348)
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引用いんよう

 「西欧せいおうじんにとっての適性てきせい状態じょうたいとは、自己じこたいする所有しょゆうけんゆうし、コア・アイデンティティをあたかも所有しょゆうぶつのごとくに所有しょゆうし、保持ほじしている状態じょうたいである。 この所有しょゆうぶつは、さまざまな原材料げんざいりょうから時間じかんをかけてつくってもよいし、――つまり、文化ぶんか産物さんぶつであってもよいし、――まれつきのものであってもよく、 ジェンダー・アイデンティティとは、こうした所有しょゆうぶつなのである。 自己じこ財産ざいさんとして所有しょゆうしてないということは、主体しゅたいではないということであり、したがって,媒介ばいかい作用さようゆうさないということである。」(p.258)

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言及げんきゅう

北村きたむら 健太郎けんたろう 20140930 日本にっぽん血友病けつゆうびょうしゃ歴史れきし――他者たしゃ歓待かんたい社会しゃかい参加さんか抗議こうぎ運動うんどう生活せいかつ書院しょいん,304p.  ISBN-10: 4865000305 ISBN-13: 978-4-86500-030-6 3000+ぜい  [amazon][kinokuniya][Space96][Junkudo][Honyaclub][honto][Rakuten][Yahoo!] ※

高橋たかはし とおる 20060601 『サイボーグ・エシックス』水声すいせいしゃ,180p. ISBN-10: 489176578X ISBN-13: 978-4891765781 2100  [amazon] ※ b c02

立岩たていわ しん也 20041115 『ALS――不動ふどう身体しんたいいきする機械きかい医学書院いがくしょいん,449p. ISBN:4-260-33377-1 2940  [amazon][kinokuniya] ※, b
 序章じょしょう冒頭ぼうとう引用いんよう:「サイボーグたちは、しん生命せいめい生活せいかつんがための犠牲ぎせいといった発想はっそうをイデオロギーの源泉げんせんとすることをこばむ。[…]生存せいぞんこそが最大さいだい関心事かんしんじである。」 (Haraway[1991=2000:339])
 「2 機械きかい肯定こうてい
 問題もんだいなのは、「かん(カニューレ)がはず呼吸こきゅうができなくなる呼吸こきゅう」といった出来できのわるい機械きかいであり、出来できのわるい機械きかいつくり、使つかいつづけさせているひとたちであり、 危険きけんらそうとしないひとたちである。はっきりしているのは、こっていることが、「機械きかい」にたいする「自然しぜん」、 「機械きかいによる延命えんめい」にたいする「自然しぜん」といった抽象ちゅうしょうてき図式ずしきのもとにあるのではないということである。機械きかい機械きかいだから問題もんだいにされているのではない。 しんじがたく出来できのわるい機械きかいがあるから、それをもっとよい機械きかいにしようというのである。  同時どうじに、人間にんげん機械きかいあたらしい関係かんけい、といったようなことをかたってしまうひとたちのように、ただ抽象ちゅうしょうてき機械きかいとの接合せつごう賞揚しょうようしようとする必要ひつようもまたない。 機械きかい人工じんこうのものと身体しんたいとの関係かんけいはまずまったく具体ぐたいてき関係かんけいであり、その問題もんだいとは身体しんたいとさしあたり身体しんたいでないものとの接続せつぞく接合せつごうめんしょうずる具体ぐたいてき不都合ふつごう不快ふかいである。 身体しんたい身体しんたい接続せつぞくするものとのあいだのインターフェイスの問題もんだいがあり、苦痛くつう問題もんだいがあって、人間にんげん機械きかいとの接合せつごう実際じっさいにはしばしばうまくいかない。サイボーグもなかなか大変たいへんなのだ。 治療ちりょうや、治療ちりょうしょうせられるもののための身体しんたい管理かんりともな不快ふかい同様どうよう不快ふかいである。たとえば「にん治療ちりょう」についてそれを問題もんだいにしたのがフェミニズムだ。
 そのようなことは「倫理りんり」の主題しゅだいにとっては次元じげんひくいことだとおもわれたのだろうか、生命せいめい倫理りんりがく医療いりょう倫理りんりがくではあまり問題もんだいにされない。 しかし単純たんじゅんいたみやつらさをかるかんがえること、かる位置いちづけてしまうことこそが問題もんだいである。自分じぶんのために自分じぶん大切たいせつにしているものを譲渡じょうとしなければならない。 その支払しはらいがひく見積みつもられることに敏感びんかんであるべきであり、られるかもしれないものと支払しはらうだろうものと、両者りょうしゃ天秤てんびんのかけられかた問題もんだいにしてよく、問題もんだいにすべきである。 そして自分じぶんのためならまだ仕方しかたがないが、とくに他人たにんにとって(も)有益ゆうえきなもの(たとえばどもをむこと)のために、みずからが時間じかんついやし、空間くうかんせばめられ、 身体しんたい不快ふかい苦痛くつうなければならない場合ばあいがある。体外たいがい受精じゅせい(+はい移植いしょく)の是非ぜひについての議論ぎろんはとうにわったことにされてしまっている。 しかしその苦痛くつう負担ふたんわっていないのだから、依然いぜんとしてその技術ぎじゅつはほめられたものではない(このことを立岩たていわ[1997b:156-158]でべ、[2004e]でかえしてべた)。
 つまり、られるわりにえになるものがあるということだ。もちろん、どんなものをるにしてもそのわりになにがしかをはらうということはあり、 それは仕方しかたがないことだともえるのだが、問題もんだいなんなにえになるかであり、その支払しはらいはどうしても支払しはらわなければならないものなのかである。 いらなければ使つかわなければよいし、使つかうしかなければ、不具合ふぐあいすくなく苦痛くつうすくないほうがよい。
 ALSのひとたちはALSがなおるようになることを切実せつじつもとめている。それはまったく当然とうぜんのことなのだが、 べつ障害しょうがい場合ばあいには、なおすこと、なおされることへの疑義ぎぎもまたしめされてきた。それはなおすために、 (なおらないのに)支払しはらうものがおおすぎるからだった。おおくの場合ばあいには、すんなりとなおるのであればなおすことのほうがよいだろう。 しかしそのためにおおくを支払しはらわねばならないのであれば、それはやめて機械きかいひとによっておぎなってもらったほうがよいということになる。 ここではなおすこととおぎなうことのいずれがよいのか、あらかじめの順位じゅんいはついていない。このことをだい2しょう4せつしるした。 そしてつぎに、おぎな方法ほうほうしかない場合ばあいには、あるいはその方法ほうほうほうがよい場合ばあいには、それはうまくおぎなわれたほうがよい。ALSの場合ばあいもうまく機械きかいわないとき苦痛くつうおおきい。 その苦痛くつうはないほうがよく、なくせないとしてもすくないほうがよい。
 以上いじょうたりまえなこと、たりまえにすぎることを確認かくにんしたうえで、機械きかい身体しんたいとの関係かんけいを「ただ機械きかいにつながれた状態じょうたい」とか 「スパゲッティ症候群しょうこうぐん」というようにたんに抽象ちゅうしょうてき否定ひていてきかた必要ひつようはなく、かたるべきでない。不要ふようかん不要ふようであることはまったく当然とうぜんのことだが、 必要ひつようなものは必要ひつようだというだけのことである。わたしたちは、そのままにあたえられたものとしての身体しんたい保存ほぞんされるべきことを主張しゅちょうする必要ひつようはない。 さらに、みずからの生存せいぞん断念だんねんするという不自然ふしぜん自然しぜん回帰かいきすることもない。技術ぎじゅつを、いたいから拒否きょひすることはあるが、否定ひていしない。 触手しょくしゅばして栄養えいよう摂取せっしゅする動物どうぶつがいるように、その自然しぜん過程かてい延長えんちょう機械きかいはあるだろう。それもまた自然しぜんいとなみなのだと、自然しぜんきなひとたいしてはってよい。 なんならそれを進化しんかと、進化しんかなによりもきなひとたいしては、ってもよい。  この意味いみ機械きかい肯定こうていされ、技術ぎじゅつ肯定こうていされる。 このほん冒頭ぼうとうに――「サイボーグ・フェミニズム」というものを提唱ていしょうしたということになっている――ダナ・ハラウェイの著書ちょしょからの引用いんよういた。 つぎのような文章ぶんしょうもある。
【405】 《なぜ、我々われわれ身体しんたいは、皮膚ひふわらねばならず、せいぜいのところ、皮膚ひふふうじこめられた異物いぶつまでしか包含ほうがんしないのだろうか》(Haraway[1991=2000:341]) 《機械きかいは、いききこまれ、あがめられ、そして支配しはいされるなにぶつか(it)ではない。 機械きかいは、我々われわれ我々われわれ過程かてい我々われわれ具体ぐたいてきなかたちをとるさいひとつの側面そくめんである。》(Haraway[1991=2000:345])」

立岩たていわ しん也 2000/12/15 〇〇〇ねん収穫しゅうかく
 『週刊しゅうかん読書どくしょじん』2366:2

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増補ぞうほ北村きたむら 健太郎けんたろう
UP:20070405(ファイル分離ぶんり) REV:0406,1114, 20090401,20160614
Haraway, Donna J.  ◇サイボーグ  ◇フェミニズム (feminism)  ◇身体しんたい  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき  ◇BOOK
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