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香川知晶『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』
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権利けんり――カレン・クインラン事件じけん生命せいめい倫理りんり転回てんかい

香川かがわ ともあきら 20061010 勁草書房しょぼう,440p. ASIN: 432615389X 3465


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香川かがわ ともあきら 20061010 『権利けんり――カレン・クインラン事件じけん生命せいめい倫理りんり転回てんかい』,勁草書房しょぼう,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.

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内容ないよう(「BOOK」データベースより)
人工じんこう呼吸こきゅう装置そうちをはずすのはこれか。「」というきわめて個人こじんてき問題もんだい権利けんりとして主張しゅちょうするはげしさと痛切つうせつさ。アメリカの経験けいけんかえる。

内容ないよう(「MARC」データベースより)
人口じんこう呼吸こきゅう装置そうちをはずすのはこれか。というきわめて個人こじんてき問題もんだい権利けんりとして主張しゅちょうするはげしさと痛切つうせつさ。クインラン事件じけんからクルーザン事件じけんまで、おも裁判さいばん事例じれい中心ちゅうしんにして、米国べいこくでの治療ちりょう停止ていしをめぐる問題もんだい推移すいいう。

目次もくじ

I カレン・クインラン事件じけん
 だいしょう 事件じけんはじまり
 だいしょう ふたつの解釈かいしゃく:ロスマンとスティーヴンス
 だいしょう 訴訟そしょうへのみち:カトリックのおしえと医療いりょう過誤かご
 だいしょう 脳死のうし概念がいねん法的ほうてき受容じゅよう
 だいしょう 戦略せんりゃく変更へんこう信教しんきょう自由じゆう代理だいり判断はんだん、プライバシーけん
 だいしょう 被告ひこくがわ主張しゅちょう
 だいしょう 医師いし証言しょうげん
 だいしょう 家族かぞく証言しょうげん
 だいしょう しゅう高裁こうさい判決はんけつ生命せいめい倫理りんり自己じこ規定きてい
 だい10しょう しゅう最高裁さいこうさい判決はんけつ
II 生命せいめい倫理りんり転回てんかい
 だい11しょう クインラン事件じけん以後いご:病院びょういんガイドライン、自然しぜんほう、サイケヴィッチ事件じけん
 だい12しょう 密室みっしつから法廷ほうていへ:成人せいじん治療ちりょう停止ていし問題もんだい
 だい13しょう 治療ちりょう停止ていし政治せいじがく:ゆう能力のうりょくしゃ、ベビー・ドゥ規則きそく、クルーザン事件じけん
 だい14しょう 権利けんり生命せいめい倫理りんり転回てんかい
あとがき

関連かんれん事項じこう

安楽あんらく尊厳そんげん合衆国がっしゅうこく→カレン・クインラン Karen Ann Quinlan事件じけん(1975〜1985)

引用いんよう

 *文献ぶんけん表示ひょうじ形式けいしき変更へんこうしたところがある。

◆はじめに

 「本書ほんしょは、いちきゅうななねん裁判さいばんとなったクインラン事件じけんから、いちきゅうきゅうねんのクルーザン事件じけんまで、おも裁判さいばん事例じれい中心ちゅうしんにして、米国べいこくでの治療ちりょう停止ていしをめぐる問題もんだい推移すいいったものである。」(香川かがわ[2006:i])

だいしょう 事件じけんはじまり

 原告げんこくちちジョセフ。「原告げんこくは、「カレン・アン・クインランが精神せいしん不調ふちょうのために精神せいしんてき無能力むのうりょくであると認定にんていし、原告げんこくたいして後見人こうけんにん資格しかくみとめ、そのむすめであるカレン・アン・クインランの生命せいめい活動かつどう維持いじしている通常つうじょう以上いじょう手段しゅだんすべての停止ていし許可きょかする明示めいじてき機能きのう付与ふよする判決はんけつくだす」ことをもとめていた。」(香川かがわ[2006:4])

だいしょう 被告ひこくがわ主張しゅちょう

 1975/10/20 ニュージャージーしゅうモリスぐんしゅう高等こうとう裁判所さいばんしょ事実じじつ審理しんり開始かいし

 3 背景はいけいとしての安楽あんらくろん
 「被告ひこくがわ冒頭ぼうとう陳述ちんじゅつは、原告げんこくがわ請求せいきゅう安楽あんらくにあたるという主張しゅちょうをその骨子こっしとしていた。それは、ボージオの陳述ちんじゅつられたように、それまでの安楽あんらくをめぐる議論ぎろん初期しょき生命せいめい倫理りんりあずかることになった議論ぎろんまえて展開てんかいされたものだった。」(香川かがわ[2006:113])
 「米国べいこくでは、だい大戦たいせん、ナチスで実行じっこうされた精神病せいしんびょう患者かんじゃ障害しょうがい児童じどうたいする安楽あんらく計画けいかく拡大かくだいして、ホロコーストが現出げんしゅつしたとする図式ずしき成立せいりつする。出発しゅっぱつてんとなったのは、ニュルンベルクの医師いし裁判さいばんでも証言しょうげんしたレオ・アレグザンダーの論文ろんぶんだった(Alexander[1949])。その論文ろんぶんによって、人々ひとびとはナチスの戦争せんそう犯罪はんざいはじまりとして安楽あんらく計画けいかくがあったことをることになった。
 そうしたナチスの安楽あんらく記憶きおくあらたにされたばかりのところに、クインラン事件じけんおこった。<0118<米国では、医学における人体実験をめぐるスキャンダルが世間を騒がせたばかりだった。ボージオが語った倫理学者や道徳学者や神学者たちによる「多大の叱責」は、この問題に関わっていた。タスキーギ事件が報道されたのが一九七二年、政府の調査委員会の報告書が出たのが七三年、そして国家研究法が成立したのが七四年である。そうした流れのなかで、健全なアメリカとは無縁な出来事として、ほとんど忘れられていたナチスの犯罪とニュルンベルク綱領も、その意義が再評価されていた。ボージオはこうした安楽死問題をめぐる議論の推移を十二分に利用しようとした。当時、クライラン家の人々に対して、その要求を安楽死として規定することは、端的に悪として断罪することだった。」(香川[2006:118-119])

◇Alexander, Leo 1949 "Medical Science under Dictatorship", New England Journal of Medicine 241-2:39-47

だいしょう 家族かぞく証言しょうげん
 3 権利けんり

 「とくだい大戦たいせん安楽あんらく主張しゅちょうは、はしてきあくとみなされてきた。ハンフリーたちによれば、「ナチスの絶滅ぜつめつ計画けいかくおおきさが(ニュルンベルクの戦争せんそう犯罪はんざい裁判さいばんにおいて)見出みいだされてからのよん年間ねんかんは、安楽あんらく運動うんどう理知的りちてき法的ほうてき進歩しんぽは、とりわけ英語えいごけんでは、ドイツの残虐ざんぎゃく行為こういえることのない記憶きおくによって、きわめて阻害そがいされてきた(Humphry & Wickett[1986:20])。医学いがく進歩しんぽ背景はいけい権利けんり主張しゅちょうする常套じょうとうてき議論ぎろんたいしては、いわば自動的じどうてきに、それをナチスにむすびつける常套じょうとうてき批判ひはんがぶつけられてきた。被告ひこくがわのボージオも「権利けんり」をナチスの残虐ざんぎゃく行為こういむすびつけ、安楽あんらくゆるすわけにはかないと主張しゅちょうしていた。
 こうした状況じょうきょうたいして、フレッチャーは、べつ安楽あんらく擁護ようご論文ろんぶんで、安楽あんらくみとめようとしない立場たちば生命せいめい至上しじょう主義しゅぎ(vitalism)とび、「勢力せいりょく(ママ)をうしなっても最後さいごまでがんばる生命せいめい至上しじょう主義しゅぎしゃ賛成さんせいしゃたちは《ナチスがしたこと》についていまでも脅迫きょうはくするように不平ふへいをいう。しかし、ナチスが安楽あんらく慈悲じひ殺人さつじんおこなったことはいちもない。ナチスがおこなったのは、大量たいりょう虐殺ぎゃくさつ残忍ざんにん実験じっけん目的もくてきとする殺害さつがいといった無慈悲むじひ殺人さつじんなのである」(Fletcher[1973:114=1988:136])、と反論はんろんしている。だい世界せかい大戦たいせん以降いこう権利けんり主張しゅちょうするものは、ナチスとのちがいを強調きょうちょうしなければならなかった。」(香川かがわ[2006:163])

◇1973  "Ethics and Euthanasia," Robert H. Willams ed. To Live and To Die: When, Why, and How, Springer-Verlag, pp.112-122
 =1988 菊池きくちめぐみぜんやく,「倫理りんりがく安楽あんらく」,加藤かとう飯田いいだへん[1988:135-148]*
加藤かとう 尚武なおたけ飯田いいだ わたるこれ へん 19880531 『バイオエシックスの基礎きそ――欧米おうべいの「生命せいめい倫理りんりろん東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい,x+355p. 3200 [amazon] ※ be.

 「クインラン事件じけん原告げんこくがわ主張しゅちょうは、それ以前いぜん展開てんかいされていた「権利けんり」の主張しゅちょうおな図式ずしき、すなわち、医療いりょうテクノロジーからの人間にんげんせい回復かいふくという要求ようきゅうちながら、その主張しゅちょう枠組わくぐみう微妙びみょうにずらしたものになっている。そのずれは、通常つうじょう通常つうじょう以上いじょう区別くべつ背景はいけいとしながら、自然しぜんへの回帰かいきというレトリックによってされた。権利けんり安楽あんらくではなく、治療ちりょう停止ていしをめぐる権利けんりとしてさい登場とうじょうした。それは、「権利けんり」という問題もんだい設定せっていを、ナチスをめぐる応酬おうしゅう常套じょうとうてき枠組わくぐみからはなし、日常にちじょう問題もんだいとして人々ひとびと意識いしきさせる結果けっかをもたらす効果こうかをもつものだった。」(香川かがわ[2006:164])

だい10しょう しゅう最高裁さいこうさい判決はんけつ

 「「カレンの姿勢しせいは胎<0200<児様でグロテスク」(Briefs II,293)である。現在、病状は安定しているものの、カレンが「一年以上生きられるとあえて考える医師は一人もいないし、おそらくもっと早く亡くなるだろう」(Briefs II,294)。それに、レスピレーターをとれば、すぐに亡くなるはずである。」(香川[2006:200-201])

 「プライバシーの権利けんりろんじるにあたって、しゅう最高裁さいこうさいはひとつの仮定かていからはなしはじめる。つまり、「こうした不幸ふこう状況じょうきょうもとで、もしカレンが(実際じっさい予想よそうされている病状びょうじょうにすぐにもどってしまうという条件じょうけんで)奇跡きせきてき意識いしきをほんのわずかのあいだ回復かいふくし、自分じぶん可逆かぎゃくてき状態じょうたいづいたとすれば、自然しぜんおとずれるとかっても、生命せいめい維持いじ装置そうち停止ていし有効ゆうこう決断けつだんできるというてん疑問ぎもん余地よちはない」(Briefs II,304)というのである。」(香川かがわ[2006:204])

 「推論すいろんは、奇跡きせきてきにカレンが意識いしきもどしたさいにいうであろうことを根拠こんきょにしている。しかし、カレンの意思いしについて原告げんこくがわ根拠こんきょとしようとした会話かいわはすでに「十分じゅうぶん証拠しょうことしてのおもみをいている」として退しりぞけられていた。では、推測すいそくはどのように正当せいとうできるのか。判決はんけつは、その理由りゆうかたらない。ただつぎのようにいうだけである。  「[そうした会話かいわについての証言しょうげんには十分じゅうぶん証拠しょうこ能力のうりょくがない]にもかかわらず、とう法廷ほうていはカレンのプライバシーの権利けんりはこの現在げんざい特異とくい状況じょうきょうにおいてはカレンのわりとなる後見人こうけんにんによって擁護ようごされるだろうと結論けつろんした。<0205<
 もしカレンの推定すいていされる決断けつだん(a putative decision)が認知にんちいた、植物しょくぶつてき存在そんざい自然しぜんちからによってわらせるのをみとめるもので、とう法廷ほうていしんじるように、カレンのプライバシーけん付随ふずいする大切たいせつ権利けんり(a valuable incident)だとすれば、カレンの状態じょうたい意識いしきてき選択せんたくさまたげているということのみをもって、その決断けつだんしりぞけてはならない。[…]」(Briefs II,305-306)」(香川かがわ[2006:205-206])

 「ここにあるのは、社会しゃかいの「圧倒的あっとうてき多数たすう」がするはずの選択せんたくみとめるべきだという判断はんだん以上いじょうのものではないだろう。プライバシーの権利けんり個人こじんの「意識いしきてき選択せんたく」の権利けんりである。そこには、治療ちりょう拒否きょひする権利けんりふくまれる。カレンもまたその権利けんりをもつ。しゅう最高さいこう裁判所さいばんしょは、その権利けんり行使こうしを、だいいちしんのように、現在げんざい意識いしきてき選択せんたく」をおこな状態じょうたいにないことをもってみとめないのは、プライバシーの権利けんり破壊はかいであるとする。しかし、その破壊はかいける手立てだてをプライバシーけんから矛盾むじゅんなくみちびすことはむずかしい。個人こじん権利けんり他人たにん代行だいこうするというはなしにならざるをえないからである。おそらく、そんなことはしゅう最高裁さいこうさい十分じゅうぶんにわかっていたはずずある。にもかかわらず、なにとか「この悲劇ひげきてき事件じけん」(Briefs II,288)をわらせようと、裁判所さいばんしょはすでに決意けついかためていた。その結果けっか、つけられた理屈りくつはきわめてくるしいものだった。」(香川かがわ[2006:206-207])

だい11しょう クインラン事件じけん以後いご:病院びょういんガイドライン、自然しぜんほう、サイケヴィッチ事件じけん
 http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20070601

 「『ニューイングランド医学いがく雑誌ざっし』への反響はんきょうると、ボックの提案ていあんは、さきふたつの病院びょういんのガイドラインの場合ばあいちがって、おおむね好意こういてきめられている。なかには、ボックの提案ていあんをあまりにも患者かんじゃりだとして、あくまでも医師いしがわった代案だいあんいてきた投書とうしょもあった。しかし、大方おおかた感想かんそうはボッグの議論ぎろんを「きわめて人間にんげんてきな」ものとひょうしたみなみカルフォルニア医科いか大学だいがく医師いし言葉ことば代表だいひょうしていた。()おおくのひとたちが、「わたしのケアについての指示しじ」のような文書ぶんしょ必要ひつようだとかんはじめていた。実際じっさい、ボッグもいているように、「近年きんねん、リビングウィルとなることを目指めざした文書ぶんしょ多数たすう発表はっぴょうされてきた」(BOK,368)。そのうちもっと有名ゆうめいなものが、「安楽あんらく教育きょういく協議きょうぎかい」が1969ねん発表はっぴょうした「リビングウィル」だった。協議きょうぎかいもとめにおうじて配布はいふした文書ぶんしょは75ねんまでに75まんたっしていたが、クウィンラン事件じけん裁判さいばんはじまるとわずか9ヶ月かげつあいだでさらに60まんえたという。
 ジャーナリストのコーレンは、協議きょうぎかいの「リビングウィル」がそのように人々ひとびとつよ関心かんしんけたことを報告ほうこくしながらも、その内容ないようが「おそろしく曖昧あいまいだ」と批判ひはんしている。(COLEN,160)。たとえば、文書ぶんしょは「もしわたしが肉体にくたいてきないし、精神せいしんてき無能力むのうりょく状態じょうたいから回復かいふくしうる合理ごうりてき期待きたいがまったくなくなるような状況じょうきょうしょうじた場合ばあい、わたしはわたしがぬことをゆるし、人工じんこうてき手段しゅだんや《英雄えいゆうてき処置しょち》によってかしつづけた場合ばあい、わたしは、わたしぬことをゆるし、人工じんこうてき手段しゅだんや《英雄えいゆうてき処置しょち》によってかしつづけられることがないよう、要請ようせいします」とべている。しかし、ここでいわれる「肉体にくたいてきないし精神せいしんてき無能力むのうりょく状態じょうたい」とはどのような意味いみなのか、文書ぶんしょには明示めいじされていない。かりにそうした曖昧あいまいさをのこしたまま、立法りっぽうたされるとしたら、どうなるだろう。短時間たんじかんだけ意識いしき回復かいふくしないひとでも、文書ぶんしょ署名しょめいしていれば、ほうのもとにころされてしまいかねない。コーレンは、そうした「殺人さつじん合法ごうほう危険きけんせい指摘してきし、ケネディ研究所けんきゅうじょ創設そうせつしゃアンドレ・ヘレガースが「リビングウィルをいても事態じたい悪化あっかするだけで、くなることはいとおもう」とべたことをつたえている。(COLEN,164).
 コーレンによれば、そもそも「リビングウィルや《尊厳そんげんある》については、健康けんこう知識ちしきじんたちによってさかんにかたられているとはいえ、末期まっき患者かんじゃあいだかたられることははるかにまれであることには注意ちゅういすべき」である。(COLEN,167)ある放射線ほうしゃせんは、治療ちりょう停止ていしもとめる患者かんじゃがどのくらいいるのかと質問しつもんされると、即座そくざに「ほとんどまったくいない」とこたえている。末期まっき患者かんじゃのケアにたずさわる医師いしたちにインタビューすると、だい多数たすう患者かんじゃは「尊厳そんげんをもってぬ」ことよりも、どんなかたちでもいいからきていたいとねがっているというこたえがかえってくる。コーレンによれば、医師いしたちは末期まっき患者かんじゃいちめんてきとらえているわけではない。しかし、だからといって、生命せいめい維持いじ装置そうち全力ぜんりょくかたむけれるほど事態じたい単純たんじゅんではない。ただをひきのばしているにすぎないような治療ちりょう停止ていししてもらいたいとかんがえる患者かんじゃはいるし、そうした治療ちりょうはすべきではないという信念しんねんをもち、停止ていし責任せきにんをとろうとする医師いしもいる。問題もんだいはそうした現実げんじつにどう対処たいしょすべきかである。こうべてコーレンは、そのてんで「安楽あんらく教育きょういく協議きょうぎかい」の「リビングウィル」は失格しっかくであるとだんじる。そうした「曖昧あいまいで、それゆえ不吉ふきつ文書ぶんしょは、結局けっきょくばされるからの解放かいほうではなく、死刑しけい宣告せんこくとなるおそれがある。」それよりは、医療いりょう関係かんけい改善かいぜんし、患者かんじゃ家族かぞく医師いしたちと共通きょうつう了解りょうかいがもでるようにつとめるほうがはるかに簡単かんたんで、有効ゆうこうだろうというのがコーレンの見方みかただった。(COLEN,171)。しかし、現実げんじつは、そうしたまっとうな見方みかたとはぎゃく方向ほうこうにすでにうごいていた。」(香川かがわ[2006:230-232])
 「1976ねんがつ30にち、クインラン事件じけん判決はんけつから半年はんとしに、全米ぜんべいはつのリビングウィルほう、「カリフォルニアしゅう自然しぜんほう」が知事ちじ署名しょめいによって成立せいりつした。解決かいけつさくは、コーレンがはるかに簡単かんたん有効ゆうこうだろうとした医師いし患者かんじゃ関係かんけい改善かいぜんではなく、より明確めいかくえる文書ぶんしょ法的ほうてき効力こうりょく付与ふよすることにもとめられようとしていた。」(香川かがわ[2006:232])

だい13しょう 治療ちりょう停止ていし政治せいじがく:ゆう能力のうりょくしゃ、ベビー・ドゥ規則きそく、クルーザン事件じけん

 「2 ベビー・ドゥ規則きそく新生児しんせいじ治療ちりょう停止ていし中絶ちゅうぜつ問題もんだい
 障害しょうがいしゃ団体だんたい懸念けねん いちきゅうはちさんねんにブーヴィアのうったえを退しりぞけただいいちブーヴィア判決はんけつについて、ペンスは「発達はったつ障害しょうがいしゃ擁護ようごかい(Advocates for the Devlopmantally Disabled)の主張しゅちょう影響えいきょうあたえていたことを指摘してきしている(PENCE, 64[1,94])。判決はんけつうったえを退しりぞける理由りゆうとした第三者だいさんしゃ利益りえきとは、おも身体しんたい障害しょうがいしゃ利益りえきしていた。「発達はったつ障害しょうがいしゃ擁護ようごかい」のメンバーは、事件じけん報道ほうどうされると、ブーヴィアの入院にゅういんしていた総合そうごう病院びょういんそとあつまり、ブーヴィアが決心けっしんえるようにもとめて、よるてっして集会しゅうかいひらいていた。そのグループの弁護士べんごしは、「こうした障害しょうがいをもつひとだれでも、自殺じさつかんがえることがあるものです。かいのひとびとがおそれているのは、もしエリザベスが自殺じさつすれば、おおくの障害しょうがいしゃが、《なんてこっか、わたしもたたかうのをやめよう》、といいしはしまいかということなのです」とかたっていた。新聞しんぶんには身体しんたいてき困難こんなんがあるからといって、人生じんせいきるにあたいしないとするかんがかたには「大量たいりょう虐殺ぎゃくさつふくみ」があるとする障害しょうがいしゃこえせられ、「障害しょうがいしゃ擁護ようご法律ほうりつ協会きょうかい(Law Institute for the Disabled)」の弁護士べんごしは、ブーヴィア事件じけん社会しゃかい貢献こうけんのできないとされた障害しょうがいしゃの「社会しゃかい問題もんだい」とび、ブーヴィアが必要ひつようとしているのは、尊厳そんげんをもってきることができるための手助てだすけなのだ」と論評ろんぴょうした(HUMPHRY, 151)。他方たほう、ブーヴィアの弁護士べんごしは、そうした介入かいにゅうはプライバシーの権利けんり結社けっしゃ自由じゆうたいするあきらかな侵害しんがいだと批判ひはんした。[…]
 たしかに、ブーヴィアの請求せいきゅう障害しょうがいしゃ団体だんたいひとたちにとって脅威きょういであったことは、想像そうぞうかたくない。判決はんけつ本人ほんにん意思いし無視むしして強制きょうせい栄養えいよう要求ようきゅうし、病院びょういんおそろしい拷問ごうもんしつすものだとつよ批判ひはんしたアナスでさえ、ブーヴィアは決心けっしんえて、経口けいこう栄養えいようつづけるべきだとべている(ANNAS8,21)。しかし、さんねんに、ブーヴィアのうったえはみとめられた。ペンスがいうように、ブーヴィアは「判断はんだん能力のうりょくのある成人せいじん患者かんじゃが、ぬために医療いりょう処置しょち拒否きょひするという憲法けんぽうじょう権利けんりをもつという最初さいしょ明確めいかく言明げんめい……をした」(PENCE, 69[1,101])。その背景はいけいには、カリフォルニアしゅう自然しぜんほう成立せいりつおな事情じじょう指摘してきできる。クインラン事件じけん以降いこう世論せろん治療ちりょう停止ていし権利けんり肯定こうていする方向ほうこうおおきくかたむき、そのながれはもはらこうしがたいまでになっていた。」(香川かがわ[2006:304])

だい14しょう 権利けんり生命せいめい倫理りんり転回てんかい

 「現代げんだいたいする関心かんしんは、医療いりょう施設しせつでのけられていた。それが言説げんせつだつタブーという現象げんしょうをもたらした。そこにられるばくたる不安ふあん、かつてとはなにかがちがうという意識いしきが、クインラン事件じけん登場とうじょうによって、現代げんだい医学いがくすモンスターという明確めいかく表象ひょうしょうともなった恐怖きょうふむすびついた。こうして主張しゅちょうされたのが、「権利けんり」だった。それはまずは道徳どうとくてき権利けんりとして登場とうじょうし、法的ほうてき権利けんり資格しかく要求ようきゅうしていく。そこにあるのは、医療いりょう技術ぎじゅつからの個人こじん奪還だっかんというテーマである。これは成立せいりつ生命せいめい倫理りんりにとって、格好かっこう主題しゅだいだった。米国べいこく生命せいめい倫理りんり医療いりょうにおける個人こじん権利けんり確保かくほというテーマを中心ちゅうしん展開てんかいされはじめたところだったからである。」(香川かがわ[2006:344])

 「問題もんだい医療いりょう技術ぎじゅつのコントロールからいかにして個人こじん奪還だっかんするかというてんにあった。このテーマにたいして、米国べいこく生命せいめい倫理りんり個人こじん自律じりつ徹底的てっていてき主張しゅちょうすることで、事例じれい個別こべつてき事情じじょうすくげようとした。典型てんけいてき議論ぎろんはこれまでもしばしば引用いんようしてきたアナス議論ぎろんることができる。」(香川かがわ[2006:360])

 「生命せいめい科学かがく医学いがく社会しゃかいてき観点かんてんから吟味ぎんみするという生命せいめい倫理りんり役割やくわりは、規制きせい倫理りんり原則げんそくアプローチ、最小限さいしょうげん倫理りんりといったわせを唯一ゆいいつ選択肢せんたくしとするわけではない。その意味いみでは、現実げんじつ米国べいこく成立せいりつし、展開てんかいされた生命せいめい倫理りんりは、成立せいりつ以前いぜんの「アンソロジーの時代じだい伏在ふくざいしていたおおくの可能かのうせいのひとつを実現じつげんしたものにすぎず、そこからちた視点してんがあるとることもできる。」(香川かがわ[2006:363])

 「カスは、当時とうじ国立こくりつ科学かがくアカデミー国立こくりつ研究けんきゅう協議きょうぎかい事務じむ局長きょくちょうつとめており、いちきゅうなないちねんには、生命せいめい科学かがく医学いがく研究けんきゅうしゃだけでなく、科学かがく心理しんりがく人類じんるいがく哲学てつがく社会しゃかいがく経済けいざいがく政治せいじがく法学ほうがくなど多様たよう研究けんきゅうしゃあつめた週間しゅうかんにわたるシンポジウムを組織そしきしている。それが、いちきゅうななねん国立こくりつ研究所けんきゅうじょ協議きょうぎかい報告ほうこくしょ生物せいぶつ医学いがくテクノロジーの評価ひょうか』(Assessing)をむ。[…]ここで注目ちゅうもくされるのは、報告ほうこくしょが、[…]あたらしい技術ぎじゅつ自体じたい評価ひょうか目的もくてき人間にんげん本性ほんしょう理解りかい選択せんたくされるべき価値かちといった哲学てつがくてきいの重要じゅうようせい強調きょうちょうしているてんである。そうしたいを研究けんきゅうし、こたえをあたえることはむずかしい。しかし、人間にんげんとはなにであり、なにであるべきかといういをうことなしには、個々ここ技術ぎじゅつ評価ひょうか十分じゅうぶんなものとはなりえない。それがカスを中心ちゅうしん報告ほうこくしょをまとめた生命せいめい科学かがく社会しゃかい政策せいさく委員いいんかい確信かくしんだった。
 ここには、生命せいめい倫理りんりがまだかたちをとっていなかった時代じだいにおける問題もんだい意識いしきることができる。あたらしい段階だんかいむかえつつある生物せいぶつがく医学いがく研究けんきゅう予測よそくさせる未来みらい社会しゃかいへの懸念けねん、それは生物せいぶつ医学いがく研究けんきゅう意味いみとともに、人間にんげん条件じょうけん社会しゃかいのありかた根本こんぽんてきいなおそうとする志向しこうこすものであった。その意味いみでは、カスのいう制度せいどてき規制きせいは、規制きせい倫理りんりとはかなりニュアンスをことにしている。規制きせい倫理りんりでは、医療いりょう技術ぎじゅつそのもののもつ意味いみよりも、その技術ぎじゅつ受容じゅよう仕方しかた議論ぎろん集中しゅうちゅうするからである。そこには、カスの論文ろんぶんられるような文明ぶんめいろんてき視野しやいかけと評価ひょうか意識いしき希薄きはくであ<0365<る。」(香川[2006:365-366])

◆あとがき

 「生命せいめい倫理りんりとして問題もんだいとなっている事柄ことがらおおくは、過去かこ歴史れきしかえるだけでは対応たいおうしきれない切実せつじつさと緊急きんきゅうせいそなえている。もとめられているのは、明確めいかく方向ほうこうしめ議論ぎろんといえる。必要ひつようなのは悠長ゆうちょう歴史れきし談義だんぎではなく、わかりやすい断定だんていであり、そうした緊急きんきゅうせいこたえるきっぱりとした結論けつろん提示ていじしてみせる「生命せいめい倫理りんり学者がくしゃ」は日本にっぽんでもそだちつつある。だが、それにしても、明確めいかくでわかりやい結論けつろん元気げんきよくされれば、それでじゅうふんというわけにはいかないだろう。そうした元気げんきよさには、ときとして、事実じじつによるうらづけとねばづよ思考しこう、つまりは知恵ちえけているようにえることがないとはいえない。しかも、すこ調しらべてみればとてもいえそうにもないことを平気へいきでいいきるのは、痛切つうせつ緊急きんきゅうせいをもつ生命せいめい倫理りんりてき問題もんだい場合ばあいには、たんなる迷惑めいわくをこえたがいをもたらしかねない。そうしたおそれをけるには、問題もんだいから距離きょりをとり、生命せいめい倫理りんりなるものや自己じこ立場たちば相対そうたいする努力どりょくも<0389<同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。
 最近さいきん、あるすぐれた科学かがく史家しかがさる研究けんきゅうかい生命せいめい倫理りんり問題もんだいげ、丹念たんねん歴史れきしてき分析ぶんせきかいして現状げんじょう批判ひはんおよ報告ほうこくおこなったとき、もうそうしたこまかなことをいうのはやめて、大局たいきょくてき立場たちばって(つまり、批判ひはんはやめて)行動こうどうしましょうといったるい反応はんのう若手わかての「生命せいめい倫理りんり学者がくしゃ」からされたというはなし友人ゆうじんたらいておどろいたことがある。歴史れきしのもつ意味いみについても、いまや、あからさまにいわなければならない時代じだいなのかもしれない。」(香川かがわ[2006:389-390])

言及げんきゅう

立岩たていわ しん也・有馬ありま ひとし 2012/10/** 生死せいしかたおこない・1――尊厳そんげん法案ほうあん抵抗ていこう生命せいめい倫理りんりがく生活せいかつ書院しょいん

立岩たていわ しん也 2006/12/** 〇〇ろくねん収穫しゅうかく,『週刊しゅうかん読書どくしょじん
立岩たていわ しん也 2007/01/25 「ALSのほん・4」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・67),『看護かんご教育きょういく』48-01(2007-01):-(医学書院いがくしょいん
立岩たていわ しん也 2007/03/31 障害しょうがい位置いち――その歴史れきしのために」高橋たかはし隆雄たかお浅井あさいあつしへん日本にっぽん生命せいめい倫理りんり――回顧かいこ展望てんぼう九州大学きゅうしゅうだいがく出版しゅっぱんかい熊本大学くまもとだいがく生命せいめい倫理りんり論集ろんしゅう1,pp.108-130
立岩たていわ しん也 2008 筑摩書房ちくましょぼう 文献ぶんけんひょう
 「カレン・クインランの事件じけんについて、香川かがわともあきらほん権利けんり――カレン・クインラン事件じけん生命せいめい倫理りんり転回てんかい』(香川かがわ[2006])がた(この事件じけんについて、またこの事件じけんについてのほんについて『なま死本しぼん』で紹介しょうかい)。あの出来事できごとがなんであったのか、かんがえることができるようになりつつある。その内容ないようについてはまたべつ検討けんとうしたいとおもうのだが、その「あとがき」につぎのような文章ぶんしょうがある。
 「生命せいめい倫理りんりとして問題もんだいとなっている事柄ことがらおおくは、過去かこ歴史れきしかえるだけでは対応たいおうしきれない切実せつじつさと緊急きんきゅうせいそなえている。もとめられているのは、明確めいかく方向ほうこうしめ議論ぎろんといえる。必要ひつようなのは悠長ゆうちょう歴史れきし談義だんぎではなく、わかりやすい断定だんていであり、そうした緊急きんきゅうせいこたえるきっぱりとした結論けつろん提示ていじしてみせる「生命せいめい倫理りんり学者がくしゃ」は日本にっぽんでもそだちつつある。だが、それにしても、明確めいかくでわかりやい結論けつろん元気げんきよくされれば、それでじゅうふんというわけにはいかないだろう。[…]歴史れきしのもつ意味いみについても、いまや、あからさまにいわなければならない時代じだいなのかもしれない。」(香川かがわ[2006:389-390])
 わたし自身じしんは、いまいたほん筆者ひっしゃもそのようにかんがえているとおもうのだが、ることとかんがえることの両方りょうほう必要ひつようだとおもっている。その両方りょうほうともが十分じゅうぶんであるとおもえない。」(立岩たていわ[2008])
立岩たていわ しん也 2008/10/25 香川かがわともあきら権利けんり』・1」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・87),『看護かんご教育きょういく』48-(2008-10):-(医学書院いがくしょいん),
立岩たていわ しん也 2008/11/25 香川かがわともあきら権利けんり』・2」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・88),『看護かんご教育きょういく』48-(2008-11):-(医学書院いがくしょいん),
立岩たていわ しん也 2008/12/25 香川かがわともあきら権利けんり』・3」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・89),『看護かんご教育きょういく』48-(2008-12):-(医学書院いがくしょいん),


UP:20061122 REV:1216 20071107 20080824,25,29 0921
香川かがわ ともあきら  ◇安楽あんらく尊厳そんげん  ◇安楽あんらく尊厳そんげん米国べいこく  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき  ◇BOOK
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