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立岩真也「香川知晶『死ぬ権利』・2」
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香川かがわともあきら権利けんり』・2

医療いりょう社会しゃかいブックガイド・88)

立岩たていわ しん 2008/11/25 『看護かんご教育きょういく』49-(2008-11):
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


 前回ぜんかいつづいての紹介しょうかいになる。クインランの人工じんこう呼吸こきゅうはずしをみとめるようにという原告げんこくがわうったえは、しゅう高等こうとう裁判所さいばんしょではみとめられなかったが、最高さいこう裁判所さいばんしょではみとめられたのだった(1976ねん)。
 このほんは、その経過けいかをていねいに辿たどっていくのだが、そこでまずひとつわかるのは、高裁こうさい判決はんけつたいするバイオエシックス学者がくしゃたちの発言はつげん批判ひはんがあったこと、また、しゅう最高裁さいこうさいでの審理しんりにあたって、原告げんこくがわはそうした学者がくしゃたちに意見いけんもとめ、それをけての主張しゅちょうもなされていること、そしてそうしていくらか洗練せんれんされた原告げんこくうったえをみとめた判決はんけつもまたそのせん沿ったものであり、そしてその判決はんけつは、メディアにも医療いりょうしゃがわにもバイオエシックス学者がくしゃにも、おおむね――というのは、全米ぜんべい医師いしかい倫理りんり委員いいんかいのことでいくらか批判ひはんしたし(p.210-211)、倫理りんり学者がくしゃでもアナスからはいくらか批判ひはんがなされたのだった(pp.221-224)――好評こうひょうであったということだ。
 つまり、ここで生命せいめい倫理りんりがく役割やくわりたしている。あるいは役割やくわりたせるものとして登場とうじょうし、認知にんちされている。そして裁判さいばん当初とうしょあったいくつかの混乱こんらんのぞかれることになる。たとえば、これは「定義ていぎ」という問題もんだいではないといったように――論理ろんりてきにはあくまでそのせん主張しゅちょうするというみちはありうるが、それとべつ誤解ごかいがあった――論点ろんてん整理せいりされた。きちんとした学問がくもんができるひとが、学問がくもんてき貢献こうけんすることになる。
◇◇◇
 にもかかわらず、というべきなのか、もうひとつ、この判決はんけつ不思議ふしぎな、普通ふつうかんがえて無理むりのある判決はんけつであるとわざるをえないし、このことを著者ちょしゃもまた指摘してきする。
 最高裁さいこうさい判決はんけつはクインランの「プライバシーけん」によってはずしが正当せいとうされるとした。だが、プライバシーとは、本人ほんにん本人ほんにんのものとしてまもりたいもののことをうのだう。しかしその本人ほんにんは「植物しょくぶつ状態じょうたい」なのだ。そして、当初とうしょされた、その状態じょうたいになる以前いぜんにクインランがかたったという言葉ことばを、近頃ちかごろ言葉ことばでは「事前じぜん指示しじ」としてあつかうことは最高裁さいこうさいにおいて否定ひていされてもいる。となると、いったいどういうことなのか。
 「プライバシーの権利けんりろんじるにあたって、しゅう最高裁さいこうさいはひとつの仮定かていからはなしはじめる。つまり、「こうした不幸ふこう状況じょうきょうもとで、もしカレンが(実際じっさい予想よそうされている病状びょうじょうにすぐにもどってしまうという条件じょうけんで)奇跡きせきてき意識いしきをほんのわずかのあいだ回復かいふくし、自分じぶん可逆かぎゃくてき状態じょうたいづいたとすれば、自然しぜんおとずれるとかっても、生命せいめい維持いじ装置そうち停止ていし有効ゆうこう決断けつだんできるというてん疑問ぎもん余地よちはない」というのである。」(p.204)
 「推論すいろんは、奇跡きせきてきにカレンが意識いしきもどしたさいにいうであろうことを根拠こんきょにしている。しかし、カレンの意思いしについて原告げんこくがわ根拠こんきょとしようとした会話かいわはすでに「十分じゅうぶん証拠しょうことしてのおもみをいている」として退しりぞけられていた。では、推測すいそくはどのように正当せいとうできるのか。判決はんけつは、その理由りゆうかたらない。ただつぎのようにいうだけである。
 「[そうした会話かいわについての証言しょうげんには十分じゅうぶん証拠しょうこ能力のうりょくがない]にもかかわらず、とう法廷ほうていはカレンのプライバシーの権利けんりはこの現在げんざい特異とくい状況じょうきょうにおいてはカレンのわりとなる後見人こうけんにんによって擁護ようごされるだろうと結論けつろんした。
 もしカレンの推定すいていされる決断けつだん認知にんちいた、植物しょくぶつてき存在そんざい自然しぜんちからによってわらせるのをみとめるもので、とう法廷ほうていしんじるように、カレンのプライバシーけん付随ふずいする大切たいせつ権利けんりだとすれば、カレンの状態じょうたい意識いしきてき選択せんたくさまたげているということのみをもって、その決断けつだんしりぞけてはならない。」」(pp.205-206)
 「ここにあるのは、社会しゃかいの「圧倒的あっとうてき多数たすう」がするはずの選択せんたくみとめるべきだという判断はんだん以上いじょうのものではないだろう。プライバシーの権利けんり個人こじんの「意識いしきてき選択せんたく」の権利けんりである。そこには、治療ちりょう拒否きょひする権利けんりふくまれる。カレンもまたその権利けんりをもつ。しゅう最高さいこう裁判所さいばんしょは、その権利けんり行使こうしを、だいいちしんのように、現在げんざい意識いしきてき選択せんたく」をおこな状態じょうたいにないことをもってみとめないのは、プライバシーの権利けんり破壊はかいであるとする。しかし、その破壊はかいける手立てだてをプライバシーけんから矛盾むじゅんなくみちびすことはむずかしい。個人こじん権利けんり他人たにん代行だいこうするというはなしにならざるをえないからである。おそらく、そんなことはしゅう最高裁さいこうさい十分じゅうぶんにわかっていたはずである。にもかかわらず、なにとか「この悲劇ひげきてき事件じけん」をわらせようと、裁判所さいばんしょはすでに決意けついかためていた。その結果けっか、つけられた理屈りくつはきわめてくるしいものだった。」(pp.206-207、以上いじょう引用いんようない引用いんようしゅう最高裁さいこうさい判決はんけつぶん
 本人ほんにんのいいぶんけないのにプライバシーけんすのだから、たしかにくるしい。
 ただ、同時どうじに、弁護士べんごし裁判官さいばんかんいたいことはたいへん明瞭めいりょうで、わかりやすくもある。そして、本人ほんにん意思いし推定すいていがなされてよい場合ばあいがあるとはおもえる。そうおもえる場合ばあいは、その推定すいていがもっともとかんがえられる場合ばあいだろう。すると、その「いたいこと」(推定すいていされる本人ほんにん意思いし)が人々ひとびとにおいて当然とうぜんのこととおもわれているなら、この無理むりのあるはなしとおることになる。なにしんじられているのか。
◇◇◇
 以下いか引用いんようちゅう引用いんようもやはり最高裁さいこうさい判決はんけつ
 「「カレンの姿勢しせい胎児たいじさまでグロテスク」である。現在げんざい病状びょうじょう安定あんていしているものの、カレンが「いちねん以上いじょうきられるとあえてかんがえる医師いし一人ひとりもいないし、おそらくもっとはやくなるだろう」。それに、レスピレーターをとれば、すぐにくなるはずである。」(pp.200-201)
 られている(はずである)ように、しゅう最高裁さいこうさい判決はんけつからやくがつ人工じんこう呼吸こきゅう完全かんぜんはずされるのだが、クインランはくなることはなかった。ありえないとされた自発じはつ呼吸こきゅう生命せいめい維持いじし、そのねんきることになるのだが、このことはのちにまわそう。
 そのまえしゅう高裁こうさい原告げんこくがわ弁護士べんごしした準備じゅんび書面しょめんには「この生命せいめい尊厳そんげんうつくしさと前途ぜんと意味いみったのち通常つうじょう以上いじょう医学いがくてき手段しゅだん無益むえき使用しようめるようにという家族かぞくねがい」(p.104)といったかたりもある。に、「社会しゃかい資源しげんたいするほとんど許容きょようしがたい重荷おもに」になる可能かのうせいがあるとか、「しゅうには人格じんかくてき自律じりつ身体しんたいてき統制とうせい保護ほごする義務ぎむがある。しかし、カレンの場合ばあい人格じんかくてき自律じりつ身体しんたいてき統制とうせいけている」といった主張しゅちょうもなされる(p.103)。
 つまり、われること、かんがえつくことはだいたい網羅もうらされているのだが、ここではひとつ。クインランの状態じょうたいが、だれでも、そして当然とうぜん本人ほんにんも、そんな状態じょうたいはいやだ、きて(かされて)いるにあたいしないとおもうはずだ、うはずだというはなしになっている。だからんでよいし、なせてよい。わかりやすい、ようにおもえる。
 それでわるひともいるが、不思議ふしぎなところはやはりのこる。
 「価値かち生存せいぞん」が要点ようてんなのか、「本人ほんにんの(推定すいていされる)意思いし」がポイントなのか。まず後者こうしゃかんがえるとしよう。
 すると(この事件じけんではまにわなかったが)みずからの意思いしをはっきりのこせば(なおさら)文句もんくはないということになる。実際じっさいそのように事態じたいすすんでいく(だい11しょうせつ事前じぜん意思いし表示ひょうじ」)
 しかしそうかんがえてよいのか。いわゆる植物しょくぶつ状態じょうたい場合ばあい、あるいは(ずいぶんちが場合ばあいだが)認知にんちしょうになった場合ばあいに、事前じぜん自身じしん決定けってい有効ゆうこうなのかという問題もんだいは、ある。倫理りんりがくというものはそんなことをかんがえるためにあるようにわたしおもうのだが、どうもそのようにことははこばなかったようだ。そこで、このことについてわたしかんがえたことを、今度こんど筑摩書房ちくましょぼうからほんだいしょうわたし」にすこししるした。
 「意識いしきのなくなったわたしのことをわたしめるとはどんなことだろう。あるいは現在げんざいときっとおおきくちが状態じょうたいになったわたしのことをわたしめるとはどんなことだろう。それは自分じぶんのことをめることであるのか。自分じぶんのことなのだからと自明じめいのことのようにかたひと、というかそこにいがあるとはおもわずかたひと多々たたいるのではあるが、すこしかんがえてみるとこれは自明じめいではない。」(p.110)
 そして、どのように自明じめいでないかをいてみた。
 もうひとつ、とくに「当人とうにんおもうから」というところに力点りきてんかず、その状態じょうたい価値かち判断はんだんし、それにもとづいてめる場合ばあいがある。そして、さきに引用いんようした文章ぶんしょうとうあらわれる価値かちかんはまったく明瞭めいりょうである。このなま価値かち、というよりまけ価値かちゆうしていという価値かちかんである。たいへんわかりやすい。しかし、このまったくのうたがいのなさが、やはり不思議ふしぎなことにもおもえる。これもまた議論ぎろんすべきことではなかったのか。たとえばわたしは、ゼロである場合ばあいがあることをみとめるが、まけ価値かちゆうするとはえないとおもう。ここにも飛躍ひやくがある。しかしそれも問題もんだいにはされないようだ。これも不思議ふしぎだ。(つづく)

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表紙ひょうし写真しゃしんせたほん

香川かがわ ともあきら 20061010 権利けんり――カレン・クインラン事件じけん生命せいめい倫理りんり転回てんかい,勁草書房しょぼう,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.

言及げんきゅうした文献ぶんけん

立岩たていわ しん也 2008/09/05 筑摩書房ちくましょぼう,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 2940 [amazon][kinokuniya] ※ d01. et.,



立岩たていわ しん也 2008/10/25 香川かがわともあきら権利けんり』・1」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・87),『看護かんご教育きょういく』48-(2008-10):-(医学書院いがくしょいん),
立岩たていわ しん也 2008/12/25 香川かがわともあきら権利けんり』・3」医療いりょう社会しゃかいブックガイド・89),『看護かんご教育きょういく』48-(2008-12):-(医学書院いがくしょいん),


UP:20080920 REV:(誤字ごじ訂正ていせい
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