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立岩真也「出口泰靖・野口裕二・天田城介といった社会学者たちも(リプライ3)」
※全文は以下の本に収録されました。
◇立岩 真也 201510 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社 ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882 [amazon]/[kinokuniya] ※ m.
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●表紙写真を載せた2冊
◆好井 裕明・桜井 厚 編 20000530 『フィールドワークの経験』,せりか書房,248p. 2400円
◆野口 裕二 19960325 『アルコホリズムの社会学――アディクションと近代』,日本評論社,198p. 2000円
《おことわり》
いつもは、『看護教育』発売後、3月をすぎないと文章をホームページ上に掲載することはないのですが、このたび、関東社会学会で出口さんと立岩が報告することになり、その報告ともいささかの関係があるため、全文を掲載させていただきます。~『看護教育』を講読しましょう。
→全文掲載停止↑
出口泰靖は、前回あげた野口・大村編『臨床社会学の実践』(有斐閣、2001年)に、「「呆けゆく」体験の臨床社会学」を書いている。また次回その中身を紹介する『フィールドワークの経験』には「「呆けゆく」人のかたわら(床)に臨む――「痴呆性老人」ケアのフィールドワーク」が入っている。彼は1969年生まれの社会学者で、ホームヘルパー2級の資格をもっていて、特別養護老人ホームやグループホーム等で通いや住み込みのボランティアや研修生をしなから、そこから得たものを論文に書いてきた。私は彼が書いたものを読んで、ああそうなのかと思った。
つまり、呆けることがどんなことか、それが少しわかった気がしたのだ。身近にいたり、その人とつきあうことを仕事にしている人は知っていると思うかもしれないが、そうとも限らない。近くにいるから知ろうとしないこともある。
[…]
同時に、そんな自分自身も含めて距離をとることが、相手が何なのかを言うためにも、どうするかを考えるためにも、求められることがある。そのとき「学問の蓄積」が使えることがある。野口自身が序章で逸脱論、医療社会学、臨床社会学、近代社会論と列挙するように、彼はアルコホリズムに対するのに特定の接近法だけを使ったのではない。例えば臨床社会学といった、ある対象領域や接近の方法や構えを包括する旗印を掲げ、本を編集し、その全体を盛り立てていくことにも意義はあるだろう。ただ結局は、そこで起こっていることは何なのかという問いが基本の問いなのではある。その問いに答えるのに野口のこの本は短すぎる。それが惜しい。アルコホリズムについてもっと書いてほしい。出口には、呆けることについて、どうだわかったか、という本を書いてほしい。