(Translated by https://www.hiragana.jp/)
立岩真也「じつはいまも、未耕の沃野、かもしれない」
「第50回大会(報告要旨・報告概要)」(関東社会学会のHP内)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/kss/congress/50/points_themeA.html
■「要旨」として送った文章
研究者(をしようと思う人)が集まる場であるからには、なにをしたらおもしろい(と私は思う)のかを話した方がよいと思う。私自身の仕事については書いたものを見ていただければよいということもある*。話すことはいかにも当然のことでしかない。ただ、それは実際にはあまり行なわれていないから、行なったら「オリジナルな業績」になる。
一つ、何が起こっているかを知らない。ケアされること、それ以前にケアされることにつながることにもなる障害をもって生きていることについて、知らない。むろんそれを知りうるのかという問いもあるのだが、しかしそんな問いが意味をもつ以前に、なにも知らない。(だから出口泰靖の仕事はとても重要だと思う。私はその論文を読んで、ぼけるという経験がどういう感じのものか、すこしわかったような気がした。)
もう一つに、何をしたらよいかよくないか。私自身は身体障害の人のことしか調べたり考えたりしたことがなく、その場合には比較的に単純なのだが、それでもいくらも考えないとならないことがある。それが南山浩二の領域である精神障害の人や知的障害の人となるとさらにずっと厄介だ。そうして例えばパターナリズムについて考えてみるなら、最近ようやく社会学でも注目され出した?規範理論、政治哲学、社会倫理学…の基本的な主題に入っていくことになる。そういう理屈っぽい方面に行きたい人は行けばよいし、そうでなくても(少し理屈っぽいことも気にしながら)その辺りが現場でどうなっているのか、いくらでも調べて書くことはあるはずだ。
もう一つ加えれば、ケアの語られ方について。これについてはフェミニズムの側から等、一定の業績の蓄積もあるから略す、が、しかしこのテーマにしてもほんとうはまだまだ調べて考えることがある、と私は思う。
*拙著『弱くある自由へ』(青土社、2000年)所収の「遠離・遭遇」。それ以前には共著の『生の技法』(藤原書店、増補改訂版1995年)。家族との関わりについてそれまで書いた文章を抜き書きして論点をまとめた「過剰と空白――世話することを巡る言説について」(副田義也・樽川典子編『現代社会と家族政策』、ミネルヴァ書房、2000年)、等。
■cf.
◆立岩 2002/07/13 「即席的研究製造方法即解」(仮題)
障害学研究会関西部会
*ここにどんな仕事をするか(なにを研究するか)という主題についての資料を作り始めたので、あげておきます。
◆立岩 2002/07/25 「出口泰靖・野口裕二」(医療と社会ブックガイド・18)
『看護教育』2002-07(医学書院)
◆ケア
*私が書いた文章等のリストがあります
◆介助・介護
*私が書いた文章等のリストがあります
◆森川 美絵 199905 「在宅介護労働の制度化過程――初期(1970年代〜80年代前半)における領域設定と行為者属性の連関をめぐって」
『大原社会問題研究所雑誌』486:23-39
◆麦倉 泰子 20011125 「知的障害者施設のエスノグラフィー――カテゴリー化とスタッフ・コード」
第74回日本社会学会大会報告