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https://www.hiragana.jp/
)
立岩真也「家族・性・資本――素描」
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Tateiwa
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家族
かぞく
・
性
せい
・
資本
しほん
―
素描
そびょう
―
立岩
たていわ
真
しん
也
2003/11/05
『
思想
しそう
』
955(2003-11):196-215
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0955/shiso.html
◇この
文章
ぶんしょう
は
改稿
かいこう
され、
拡張
かくちょう
されて
別
べつ
の
文章
ぶんしょう
となります。→そういうつもりでしたが、これはこれとしてひとまず
本
ほん
に
収録
しゅうろく
されるということになるかもしれません(2010)
↓
*
以下
いか
の
本
ほん
に
収録
しゅうろく
されました(pp.17-53)。お
買
か
い
求
もと
めください。
◆
立岩
たていわ
真
しん
也・
村上
むらかみ
潔
きよし
20111205
『
家族
かぞく
性
せい
分業
ぶんぎょう
論
ろん
前哨
ぜんしょう
』
,
生活
せいかつ
書院
しょいん
,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110
[amazon]
/
[kinokuniya]
※ w02,f04
■
言及
げんきゅう
◆
立岩
たていわ
真
しん
也 2012/07/01 「
制度
せいど
と
人間
にんげん
のこと・3――
連載
れんさい
80」,
『
現代
げんだい
思想
しそう
』40-9(2012-7)
:52-63 →
本
ほん
■
一
いち
一言
ひとこと
で
括
くく
られてしまうものを
括
くく
らないこと
■1
解
と
かれていない
資本
しほん
制
せい
と
家父長制
かふちょうせい
という
主題
しゅだい
がある。
性別
せいべつ
分業
ぶんぎょう
の
体制
たいせい
が
資本
しほん
制
せい
にとって
機能
きのう
的
てき
だと
言
い
われる。だがそうだろうか。
例
たと
えば、
労働
ろうどう
を
欲
ほっ
する
側
がわ
としては
多
おお
くの
労働
ろうどう
の
供給
きょうきゅう
があった
方
ほう
がよく、
男
おとこ
を
市場
いちば
で
働
はたら
かせ
女
おんな
を
家庭
かてい
に
置
お
くという
形
かたち
が
得
とく
だと
思
おも
えない。
男
おとこ
も
女
おんな
も
労働
ろうどう
力
りょく
とする
方
ほう
が
得
とく
ではないか。
とすると、そのことではなく、
家庭
かてい
での
家事
かじ
労働
ろうどう
のことを
言
い
うだろうか。しかしそれで
女
おんな
が
外
そと
で
仕事
しごと
ができないことを
考
かんが
えるならどうか。
家事
かじ
・
育児
いくじ
は
時間
じかん
をとる
仕事
しごと
ではあるが、ずっとそうではない。
一人
ひとり
の
人
ひと
に
行
おこな
わせるなら、
時間
じかん
の
使
つか
い
方
かた
としてはむらが
大
おお
きすぎて
効率
こうりつ
的
てき
だと
言
い
えない。
外
そと
での
仕事
しごと
も
中
なか
での
仕事
しごと
も
両方
りょうほう
してもらう
方
ほう
がよいのではないか。
他方
たほう
、この
社会
しゃかい
で、この
社会
しゃかい
だからこそ、
女
おんな
は
損
そん
をしている、
損
そん
をしている
分
ぶん
他方
たほう
は
得
とく
をしているとやはり
思
おも
える。それは
間違
まちが
いだと
思
おも
えず、
間違
まちが
いだと
言
い
うならそう
言
い
う
方
ほう
が
間違
まちが
っていると
思
おも
える。その
思
おも
いは
信用
しんよう
できるように
思
おも
う。
運動
うんどう
の
内部
ないぶ
にも
二
ふた
つの
方向
ほうこう
のい
方
いかた
がある。
一方
いっぽう
では
女性
じょせい
が
社会
しゃかい
の
犠牲
ぎせい
になっていると
言
い
うのだが、
他方
たほう
では、もっと
社会
しゃかい
を
合理
ごうり
的
てき
に
運営
うんえい
していくためには、
女性
じょせい
を
入
い
れた
方
ほう
がよいと
言
い
う。
実際
じっさい
、
共同
きょうどう
参画
さんかく
社会
しゃかい
といったことを
主張
しゅちょう
する
際
さい
には、その
方
ほう
が
社会
しゃかい
はうまく
行
い
くと
主張
しゅちょう
もする。
政策
せいさく
提言
ていげん
、
政府
せいふ
の
委員
いいん
会
かい
等
とう
ではそのように
言
い
った
方
ほう
がよいということもあるだろうが、それだけのことでもないようだ。
資本
しほん
制
せい
は
近代
きんだい
家族
かぞく
を
必要
ひつよう
とするとか、
性別
せいべつ
分業
ぶんぎょう
を
利用
りよう
しているとか
言
い
われるのだが、それは
本当
ほんとう
か。
少
すく
なくとも
私
わたし
はどうどう
考
かんが
えればよいのかわからなくなる。
問
と
いは
単純
たんじゅん
だが
答
こたえ
を
見出
みいだ
すのが
容易
ようい
でないように
思
おも
える。もちろん、もっともなことは
今
いま
までいくらも
言
い
われているのだが、そこには
幾
いく
つか
罠
わな
があって、そこにはまってしまうと、
部分
ぶぶん
的
てき
に
当
あ
たっているが、
全体
ぜんたい
としては
外
はず
れでむしろの
事態
じたい
を
見
み
えにくくするようなことを
言
い
ってしまうことにもなる。オセロ・ゲームのようなところがあって、
次
つぎ
の
一手
いって
で
白
しろ
が
黒
くろ
に
変
か
わるのだが、それを
間違
まちが
えると、
白
しろ
が
白
しろ
のままに
置
お
かれる
★01
。
分
わ
けるべきものを
分
わ
けて
順序
じゅんじょ
を
踏
ふ
んで
考
かんが
えていくしかない。そもそも「
資本
しほん
制
せい
にとって」というい
方
いかた
がわかるようでわからない。「
資本
しほん
」とは
資本
しほん
家
か
のことを
言
い
っているのだろうか。
必
かなら
ずしもそうではないだろう。では
何
なに
なのか。まずもっと
素朴
そぼく
にい
直
いなお
してみることにしよう。それでい
尽
いつ
くされている
保証
ほしょう
はない。しかし
少
すく
なくともこのような
試
こころ
みを
行
おこな
っていく
中
なか
で、ではどのように
言
い
い
尽
つ
くせていないのかを
考
かんが
えることができる。
次項
じこう
でこの
作業
さぎょう
を
行
おこな
う。
その
上
うえ
で、
家族
かぞく
という
単位
たんい
に
権利
けんり
・
義務
ぎむ
が
設定
せってい
されることをどう
捉
とら
えることができるかを
第
だい
二
に
節
せつ
で
述
の
べる。
第
だい
三
さん
節
せつ
で
古典
こてん
的
てき
な
近代
きんだい
家族
かぞく
、
勤
つと
め
人
にん
の
夫
おっと
と
専業
せんぎょう
主婦
しゅふ
という
体制
たいせい
について、
第
だい
四
よん
節
せつ
でそこからの
変位
へんい
をどう
捉
とら
えられるかを
考
かんが
える。
■2
構成
こうせい
要素
ようそ
1)
格差
かくさ
[…]
2)
拡大
かくだい
[…]
3)
維持
いじ
[…]
■3
関係
かんけい
■
二
に
家族
かぞく
という
単位
たんい
■1 それが
位置
いち
する
位置
いち
■2
利害
りがい
の
布置
ふち
とその
評価
ひょうか
■
三
さん
古典
こてん
的
てき
な
近代
きんだい
家族
かぞく
体制
たいせい
■1 その
成立
せいりつ
■2
作用
さよう
■
四
よん
変容
へんよう
について
■1
解体
かいたい
と
変位
へんい
■2
何
なに
を
狙
ねら
うしかないのか
■
注
ちゅう
★01
立岩
たていわ
[2003a](
以下
いか
立岩
たていわ
の
文章
ぶんしょう
については
著者
ちょしゃ
名
めい
略
りゃく
)でもこの
主題
しゅだい
が
解
と
かれていないと
言
い
い、その
主題
しゅだい
を
論
ろん
じないと
断
ことわ
った
上
うえ
で、これまでの
経緯
けいい
について
次
つぎ
のように
記
しる
した。
障害
しょうがい
者
しゃ
の
介助
かいじょ
のことを
調
しら
べたり
考
かんが
えたりした
時
とき
([1990]、
後
のち
に
改稿
かいこう
して[1995])、
家族
かぞく
が
家族
かぞく
であるから
家族
かぞく
が
義務
ぎむ
を
負
お
うことを
法
ほう
が
強制
きょうせい
してしまうという
現象
げんしょう
を
不思議
ふしぎ
に
思
おも
って――
今
いま
でも
不思議
ふしぎ
で
不当
ふとう
なことだと
考
かんが
えている――、それで
家族
かぞく
のこと、
近代
きんだい
家族
かぞく
に
付随
ふずい
するものとされる
愛情
あいじょう
と
家族
かぞく
という
形態
けいたい
との
関係
かんけい
やそこに
見込
みこ
まれる
行為
こうい
、そして
権利
けんり
と
義務
ぎむ
について
少
すこ
し
考
かんが
えることになり[1991][1992]を
書
か
いた。
同
おな
じころ、ひととき
話題
わだい
にもなった
上野
うえの
[1990]が
出
で
て、
読
よ
んだが
私
わたし
には
書
か
いてあることがわからなかった。
多
おお
くの
間違
まちが
いがあり、
意味
いみ
不明
ふめい
の
箇所
かしょ
があると
思
おも
った。それはその
本
ほん
だけに
限
かぎ
らない。そんなこともあって[1993a][1993b]の
報告
ほうこく
を
行
おこな
い、[1994a][1994b]を
書
か
いた。もちろん
以下
いか
に
述
の
べることについて
膨大
ぼうだい
な
文献
ぶんけん
がある。それらと
私
わたし
が
述
の
べることの
異同
いどう
を
確
たし
かめながら
進
すす
む
必要
ひつよう
があるが、それを
行
おこな
えば
文章
ぶんしょう
の
量
りょう
はすぐに
十
じゅう
倍
ばい
程
ほど
にはなるだろう。それは
別
べつ
の
機会
きかい
に
発表
はっぴょう
することにし、
当然
とうぜん
参照
さんしょう
すべき
文献
ぶんけん
もここではあげず、
以下
いか
に
述
の
べることについていくらか
詳
くわ
しく
述
の
べた
箇所
かしょ
のある
筆者
ひっしゃ
自身
じしん
の
文献
ぶんけん
を
紹介
しょうかい
するにとどめる。ホームページhttp://www.arsvi.com
内
ない
の
本稿
ほんこう
と
同
おな
じ
題
だい
のファイルから
約
やく
五
ご
〇〇
点
てん
の
文献
ぶんけん
をあげた
文献
ぶんけん
表
ひょう
を
見
み
ることができる。
★02
生産
せいさん
を
自動的
じどうてき
に
昂進
こうしん
していくものとして
捉
とら
えるべきでないことについては[2001b]でも
述
の
べた。
★03
cf.[1997]
第
だい
六
ろく
章
しょう
二
に
節
せつ
「
主体
しゅたい
化
か
」、[2003b]
第
だい
二
に
章
しょう
「
嫉妬
しっと
という
非難
ひなん
の
暗
くら
さ」。
★04
cf.[2000a]
第
だい
一
いち
節
せつ
「
不安
ふあん
と
楽観
らっかん
について」。
★05
[1997]に
続
つづ
き、[2001-2003]を
改稿
かいこう
しまとめた[2003b]で
社会
しゃかい
の
基本
きほん
的
てき
なあり
方
かた
について
考
かんが
え、
説明
せつめい
している。
★06
強制
きょうせい
の
意味
いみ
については[2003b]
第
だい
三
さん
章
しょう
三
さん
節
せつ
「
普遍
ふへん
/
権利
けんり
/
強制
きょうせい
」で
述
の
べた。なお
以上
いじょう
であげた
三
みっ
つの
他
ほか
に
民間
みんかん
非
ひ
営利
えいり
の
活動
かつどう
領域
りょういき
がある。
四
よっ
つの
領域
りょういき
の
境界
きょうかい
と
関係
かんけい
を
考
かんが
えることの
重要
じゅうよう
性
せい
は[1990]を
書
か
いた
頃
ころ
から
感
かん
じていることで、[2000e→2004]でも
簡単
かんたん
にだがこのことを
述
の
べている。
★07
このこと、そして
家族
かぞく
についての
議論
ぎろん
の
多
おお
くがこのことに
気
き
づいていないかのようであることを[1991][1992]で
述
の
べた。[1996]では、
愛情
あいじょう
という「
神話
しんわ
」が
不払
ふばら
い
労働
ろうどう
の
不当
ふとう
性
せい
を
覆
おお
い
隠
かく
しているというい
方
いかた
をもう
少
すこ
し
正確
せいかく
にし、
関係
かんけい
は
行為
こうい
の
義務
ぎむ
を
導
みちび
かないと
言
い
えばよいのだと
述
の
べた。
★08
例
たと
えば
次
つぎ
のように
考
かんが
えてみる。
初期
しょき
状態
じょうたい
においてAの
持
も
ち
分
ぶん
はa、Bはbとし、aはbより
大
おお
きいとする。それぞれの
暮
くら
しに
必要
ひつよう
な
分
ぶん
cがあり、それについては
全体
ぜんたい
(a+b)からその
必要
ひつよう
に
充当
じゅうとう
することにする。
次
つぎ
に
全体
ぜんたい
から
2人
ふたり
分
ぶん
のcを
引
ひ
いて
残
のこ
った
分
ぶん
(a+b−2c)については
初期
しょき
状態
じょうたい
と
同
おな
じ
割合
わりあい
a:bで
分配
ぶんぱい
するものとする。
結果
けっか
として、AとBの
受
う
け
取
と
りの
格差
かくさ
は
縮
ちぢ
まることがわかる。
★09
生産
せいさん
の
可能
かのう
性
せい
に
依拠
いきょ
して
分配
ぶんぱい
する
場合
ばあい
には、
生産
せいさん
に
促進
そくしん
的
てき
に
作用
さよう
するだろう。
例
たと
えば
育児
いくじ
支援
しえん
にはそのような
性格
せいかく
がある。これは
生活
せいかつ
のための
分配
ぶんぱい
であると
同時
どうじ
に、あるいはむしろ、
生産
せいさん
のための
投資
とうし
という
性格
せいかく
をもつ。このように、
子
こ
どもと、
現役
げんえき
で
働
はたら
く
人
ひと
と、
引退
いんたい
した
高齢
こうれい
者
しゃ
と、それ
以外
いがい
の
障害
しょうがい
者
しゃ
と、
各々
おのおの
の
生活
せいかつ
を
維持
いじ
することの
意味
いみ
は
同
おな
じでない。ここでは
論
ろん
じられないが、これまでこのことが
曖昧
あいまい
に
処理
しょり
されてきたことが
議論
ぎろん
の
混乱
こんらん
に
関係
かんけい
していると
考
かんが
える。
世話
せわ
する
仕事
しごと
への
支払
しはら
いという
観点
かんてん
から[1992a]で
検討
けんとう
した。
★10
例
たと
えば
世話
せわ
する
仕事
しごと
の
場合
ばあい
、それを
担
にな
う
家族
かぞく
は
一般
いっぱん
に
負担
ふたん
の
肩代
かたが
わりを
求
もと
めるのだが、
世話
せわ
されて
暮
くら
す
人
ひと
にとってはその
量
りょう
が
増
ふ
えなければ
意味
いみ
がない。
同
おな
じ
量
りょう
の
仕事
しごと
を
誰
だれ
が
担
にな
うかという
問題
もんだい
と、その
仕事
しごと
の
量
りょう
の
増減
ぞうげん
が
何
なに
をもたらすかという
問題
もんだい
とは
分
わ
けて
考
かんが
える
必要
ひつよう
がある。
前者
ぜんしゃ
は1)
格差
かくさ
にだけ
関
かか
わるが、この
仕事
しごと
の
量
りょう
が
増
ふ
える
場合
ばあい
、そしてこの
仕事
しごと
がただ
生活
せいかつ
を
維持
いじ
するための
仕事
しごと
である
場合
ばあい
には、3)
生産
せいさん
の
拡大
かくだい
と
競合
きょうごう
することがある。このことは[2000a]でも
述
の
べた。
★11
本節
ほんぶし
でみる
賃
ちん
労働
ろうどう
する
人
ひと
としない
人
ひと
の
区分
くわ
けと
次節
じせつ
で
取
と
り
上
あ
げる
待遇
たいぐう
に
格差
かくさ
のある
仕事
しごと
への
振
ふ
り
分
わ
けの
両方
りょうほう
について、
性別
せいべつ
による
能力
のうりょく
差
さ
がない
場合
ばあい
、それが
買
か
い
手
て
にとっての
利益
りえき
にならないことは――
自明
じめい
のことではあるが、このことについてさえ
誤解
ごかい
があるので――[1994b]で
確認
かくにん
した。
★12
家事
かじ
労働
ろうどう
、とくに
労働
ろうどう
者
しゃ
を(
再
さい
)
生産
せいさん
する
労働
ろうどう
が
無償
むしょう
であることからこの
分業
ぶんぎょう
形態
けいたい
の
不当
ふとう
性
せい
を
言
い
い、
同時
どうじ
に、それを
行
おこな
わせる
男
おとこ
・
資本
しほん
・
国家
こっか
――
多
おお
くの
場合
ばあい
、これらが
曖昧
あいまい
に
列挙
れっきょ
される――による(
不当
ふとう
な)
利益
りえき
の
獲得
かくとく
にこの
分業
ぶんぎょう
形態
けいたい
の
成立
せいりつ
・
存続
そんぞく
の
理由
りゆう
を
求
もと
める
議論
ぎろん
について[1994a]で
検討
けんとう
した。この
議論
ぎろん
には
様々
さまざま
におかしなところがあるのだが、
近年
きんねん
の
論調
ろんちょう
は、それに
感
かん
づきながら、しかしそれを
確認
かくにん
せず、それを
通
とお
り
越
こ
し、いつのまにかパートタイム
労働
ろうどう
や「ケア
労働
ろうどう
」の
方
ほう
に
議論
ぎろん
の
場
ば
を
移行
いこう
させているように
見
み
える。
★13
これは
落合
おちあい
[2000:154ff.]の
理解
りかい
と
共通
きょうつう
する。そのことを
述
の
べた
上
うえ
で、
落合
おちあい
はこれからは
労働
ろうどう
力
りょく
が
不足
ふそく
する
時代
じだい
だからこれまで
通
とお
りではいけないと
言
い
う。
向
む
かうべき
方向
ほうこう
について
同意
どうい
するが、
私
わたし
は、
全体
ぜんたい
として
労働
ろうどう
力不足
ちからぶそく
になるとは
言
い
えないのでないかと
考
かんが
え、また
不足
ふそく
でないのに
不足
ふそく
とされる
部分
ぶぶん
と
不足
ふそく
しているのに
不足
ふそく
とされない
部分
ぶぶん
が
同時
どうじ
に
存在
そんざい
する
状況
じょうきょう
が
現
あら
われる、
既
すで
に
現
あら
われていると
理解
りかい
しており、その
理解
りかい
の
上
うえ
で
考
かんが
える
必要
ひつよう
があると
考
かんが
えている。
次節
じせつ
でそのことを
述
の
べる。なお
私
わたし
は、
労働
ろうどう
力
りょく
が
余
あま
っていることは
基本
きほん
的
てき
にはまったく
歓迎
かんげい
すべきことであり、
失業
しつぎょう
の
問題
もんだい
は、
既
すで
に
実現
じつげん
可能
かのう
性
せい
を
失
うしな
いそして
望
のぞ
ましいことでもない
生産
せいさん
の
拡大
かくだい
によってでなく、
労働
ろうどう
の
分割
ぶんかつ
によって
対応
たいおう
すべきだとと
考
かんが
える([2003b]
序章
じょしょう
三
さん
節
せつ
三
さん
・
四
よん
「
生産
せいさん
の
政治
せいじ
の
拒否
きょひ
」「
労働
ろうどう
の
分割
ぶんかつ
」
等
とう
)。ワークシェアリングについて
熊沢
くまさわ
[2003]。
★14
だから
一方
いっぽう
で
自給
じきゅう
的
てき
な
農業
のうぎょう
など
支払
しはら
われない
労働
ろうどう
により
生活
せいかつ
の
維持
いじ
がなされることによって、
他方
たほう
の
産業
さんぎょう
への
安
やす
い
労働
ろうどう
の
供給
きょうきゅう
が
可能
かのう
になるという
事態
じたい
――これはこの
時期
じき
にあり、また
特
とく
にいわゆる
開発
かいはつ
途上
とじょう
国
こく
において
現在
げんざい
でも
広範
こうはん
に
存在
そんざい
する
事態
じたい
である――における「
不払
ふばら
い
労働
ろうどう
」の
位置
いち
と、
本節
ほんぶし
が
対象
たいしょう
にしている
専業
せんぎょう
主婦
しゅふ
の
家事
かじ
労働
ろうどう
の
位置
いち
とを
同一
どういつ
視
し
すべきでないと
考
かんが
える。
★15
このことについても[1994a]でもう
少
すこ
し
詳
くわ
しく
述
の
べた。
★16
統計
とうけい
的
てき
差別
さべつ
については[1997]
第
だい
8
章
しょう
注
ちゅう
2。
★17
これがなぜなのか、「
少子化
しょうしか
」がなぜこれほど
問題
もんだい
とされるかについて[2000a]で
述
の
べた。
★18
この
仕事
しごと
の
社会
しゃかい
化
か
、
地位
ちい
向上
こうじょう
を
言
い
おうとする
言説
げんせつ
の
意義
いぎ
と
限界
げんかい
について[2000c]。「
専門
せんもん
性
せい
」を
論拠
ろんきょ
にすることについては[2000b→2000d:283ff.]でも
論
ろん
じている。
★19
贈与
ぞうよ
という
性格
せいかく
とその
仕事
しごと
が
支払
しはら
われる
労働
ろうどう
であることとが
矛盾
むじゅん
しないことについて[1995]
姜
きょう
他
た
[2000]
他
た
。
★20
cf.[2003b]
序章
じょしょう
三
さん
節
せつ
七
なな
・
八
はち
「
国境
こっきょう
が
制約
せいやく
する」「
分配
ぶんぱい
されないもの/のための
分配
ぶんぱい
」、[2001a]。
■
文献
ぶんけん
(*のあるものはhttp://www.arsvi.comで
読
よ
める)
安積
あさか
純子
じゅんこ
・
尾中
おちゅう
文
ぶん
哉・
岡原
おかはる
正幸
まさゆき
・
立岩
たついわ
真
ま
也 1990 『
生
なま
の
技法
ぎほう
――
家
いえ
と
施設
しせつ
を
出
で
て
暮
く
らす
障害
しょうがい
者
しゃ
の
社会
しゃかい
学
がく
』、
藤原
ふじわら
書店
しょてん
→1995
増補
ぞうほ
改訂
かいてい
版
ばん
姜
きょう
尚中
しょうちゅう
・
井上
いのうえ
泰夫
やすお
・
立岩
たついわ
真
ま
也・
中村
なかむら
陽一
よういち
・
川崎
かわさき
賢子
さとこ
2000 「アンペイド・ワークから
見
み
えてくるもの――グローバリゼーション、ポストコロニアル、
家族
かぞく
・
地域
ちいき
」(
座談
ざだん
会
かい
)、
中村
なかむら
陽一
よういち
・
川崎
かわさき
賢子
さとこ
編
へん
『アンペイド・ワークとは
何
なに
か』
、
藤原
ふじわら
書店
しょてん
pp.137-174
熊沢
くまさわ
誠
まこと
2003 『リストラとワークシェアリング』、
岩波書店
いわなみしょてん
落合
おちあい
恵美子
えみこ
2000 『
近代
きんだい
家族
かぞく
の
曲
ま
がり
角
かど
』、
角川書店
かどかわしょてん
立岩
たていわ
真
ま
也 1990 「
接続
せつぞく
の
技法
ぎほう
――
介助
かいじょ
する
人
ひと
をどこに
置
お
くか」、
安積
あさか
他
た
[1990:227-284]*
――――― 1991
「
愛
あい
について――
近代
きんだい
家族
かぞく
論
ろん
・1」
、『ソシオロゴス』15:35-52*
――――― 1992
「
近代
きんだい
家族
かぞく
の
境界
きょうかい
――
合意
ごうい
は
私
わたし
達
たち
の
知
し
っている
家族
かぞく
を
導
みちび
かない」
、『
社会
しゃかい
学
がく
評論
ひょうろん
』42-2:30-44*
――――― 1993a
「
誰
だれ
が
性別
せいべつ
分業
ぶんぎょう
から
利益
りえき
を
得
え
ているか」、
関東
かんとう
社会
しゃかい
学会
がっかい
第
だい
41
回
かい
大会
たいかい
報告
ほうこく
*
――――― 1993b
「
家族
かぞく
そして
性別
せいべつ
分業
ぶんぎょう
という
境界
きょうかい
――
誰
だれ
が
不当
ふとう
な
利益
りえき
を
利益
りえき
を
得
え
ているのか」
、
日本
にっぽん
社会
しゃかい
学会
がっかい
第
だい
66
回
かい
大会
たいかい
報告
ほうこく
*
――――― 1994a
「
夫
おっと
は
妻
つま
の
家事
かじ
労働
ろうどう
にいくら
払
はら
うか――
家族
かぞく
/
市場
いちば
/
国家
こっか
の
境界
きょうかい
を
考察
こうさつ
するための
準備
じゅんび
」
、『
千葉大学
ちばだいがく
文学部
ぶんがくぶ
人文
じんぶん
研究
けんきゅう
』23:63-121*
――――― 1994b
「
労働
ろうどう
の
購入
こうにゅう
者
しゃ
は
性差
せいさ
別
べつ
から
利益
りえき
を
得
え
ていない」
、『Sociology Today』5:46-56*
――――― 1995 「
私
わたし
が
決
き
め、
社会
しゃかい
が
支
ささ
える、のを
当事
とうじ
者
しゃ
が
支
ささ
える――
介助
かいじょ
システム
論
ろん
」、
安積
あさか
他
た
[1995:227-265]
――――― 1996
「「
愛
あい
の
神話
しんわ
」について――フェミニズムの
主張
しゅちょう
を
移調
いちょう
する」
、『
信州大学医療技術短期大学
しんしゅうだいがくいりょうぎじゅつたんきだいがく
部
ぶ
紀要
きよう
』21:115-126
――――― 1997
『
私的
してき
所有
しょゆう
論
ろん
』
、勁草
書房
しょぼう
――――― 2000a 「
選好
せんこう
・
生産
せいさん
・
国境
こっきょう
――
分配
ぶんぱい
の
制約
せいやく
について」(
上
うえ
・
下
した
)、『
思想
しそう
』908(2000-2):65-88、909(2000-3):122-149
――――― 2000b 「
遠
とお
離
はなれ
・
遭遇
そうぐう
――
介助
かいじょ
について」(1〜4)、『
現代
げんだい
思想
しそう
』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→
立岩
たていわ
[2000c:219-353]
――――― 2000c 「
過剰
かじょう
と
空白
くうはく
――
世話
せわ
することを
巡
めぐ
る
言説
げんせつ
について」、
副田
そえだ
義也
よしや
・
樽川
たるかわ
典子
のりこ
編
へん
『
現代
げんだい
社会
しゃかい
と
家族
かぞく
政策
せいさく
』,
ミネル
みねる
ヴ
ァ書房
ぁしょぼう
,pp.63-85
――――― 2000d
『
弱
よわ
くある
自由
じゆう
へ』
、
青土
おうづち
社
しゃ
――――― 2000e 「こうもあれることのりくつをいう――という
社会
しゃかい
学
がく
の
計画
けいかく
」、『
理論
りろん
と
方法
ほうほう
』27:101-116→2004
盛
さかり
山
さん
和夫
かずお
・
土場
どじょう
学
がく
・
織田
おだ
輝
あきら
哉・
野宮
のみや
大志
ひろし
郎
ろう
編
へん
『
社会
しゃかい
学
がく
の
現在
げんざい
』(
仮題
かだい
)、勁草
書房
しょぼう
――――― 2001a 「
国家
こっか
と
国境
こっきょう
について」(1〜3)
『
環
たまき
』
5:153-164,6:153-161,7::286-295
――――― 2001b 「
停滞
ていたい
する
資本
しほん
主義
しゅぎ
のために――の
準備
じゅんび
」、
栗原
くりはら
彬
あきら
・
佐藤
さとう
学
まなぶ
・
小森
こもり
陽一
よういち
・
吉見
よしみ
俊哉
としや
編
へん
『
文化
ぶんか
の
市場
いちば
:
交通
こうつう
する』(
越境
えっきょう
する
知
ち
5)
、
東京
とうきょう
大学
だいがく
出版
しゅっぱん
会
かい
pp.99-124
――――― 2001-2003 「
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
」、『
思想
しそう
』922(2001-3):54-82,924(2001-5):108-134,927(2001-8):98-125,931(2001-11):101-127,946(2003-2):95-122,947(2003-3):243-249
――――― 2003a 「<ジェンダー
論
ろん
>
中級
ちゅうきゅう
問題
もんだい
」(1〜3)、
『
環
たまき
』
12:243-249,13:416-426,14:416-425
――――― 2004
『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』
、
岩波書店
いわなみしょてん
(
近刊
きんかん
)
上野
うえの
千鶴子
ちづこ
1990 『
家父長制
かふちょうせい
と
資本
しほん
制
せい
――
マルクス主義
まるくすしゅぎ
フェミニズムの
地平
ちへい
』、
岩波書店
いわなみしょてん
UP:20040429 REV:0507(リンク
追加
ついか
) 20110121, 1127, 1219, 20130713
◇
女性
じょせい
の
労働
ろうどう
・
家事
かじ
労働
ろうどう
・
性別
せいべつ
分業
ぶんぎょう
◇
立岩
たていわ
真
しん
也
◇
立岩
たていわ
より
御
ご
送付
そうふ
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇