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「ニキ・リンコの訳した本たち・2」
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ニキ・リンコのやくしたほんたち・2

医療いりょう社会しゃかいブックガイド・39)

立岩たていわ しん 2004/06/25 『看護かんご教育きょういく』45-6(2004-6)
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 前回ぜんかいは「障害しょうがいがくかい)」案内あんないをしてしまったので、今回こんかい前々回ぜんぜんかいつづきでニキ・リンコ関連かんれんほん
 まえ紹介しょうかいしたのはADD(注意ちゅうい欠陥けっかん障害しょうがい)のひとについてのほん片付かたづけられないおんなたち』、自閉症じへいしょうスペクトルじょう位置いちするアスペルガー症候群しょうこうぐんひとについてのほん『ずっと「普通ふつう」になりたかった』。
 に、ニキがやくしたほんでは、1992ねん刊行かんこうされた原著げんちょ米国べいこくでの「ADDブーム」の火付ひつやくとなり、よく93ねん自分じぶんもADDとがついたというリン・ワイスの『かたづかない! つからない! わない!』(WAVE出版しゅっぱん、2001ねん、398p.、1500えん)。また、どうやってADHD(注意ちゅうい欠陥けっかんどうせい障害しょうがい)のどもとおやがつきあっていくかをいたパトリック・J・キルカー自分じぶん自分じぶんをもてあましているきみへ』(はなふうしゃ、2002ねん、319p.、1600えん)。42さいになってアスペルガー症候群しょうこうぐん診断しんだんけたウェンディ・ローソンがいた『わたし障害しょうがいわたし個性こせい』(はなふうしゃ、2001ねん、219p.、1600えん)、等々とうとう
 よりくわしい書誌しょし情報じょうほうほんについてはホームページに情報じょうほう掲載けいさい。また自閉症じへいしょうについて、ADD、ADHDについて、様々さまざま著者ちょしゃ訳者やくしゃによるほんている。そのいくつかも掲載けいさいした。自伝じでんてきなものもあり、そうしたひとたちにかかわる専門せんもんのものもあるが、かなりの頻度ひんどで、著者ちょしゃ両方りょうほうねていたりもする。どうきてきたかがかれ、どう対処たいしょするかがかれている。これらがどのような障害しょうがいなのか、どう対処たいしょしたらよいかは、ここでみじかくして紹介しょうかいしても仕方しかたない。んでもらうのが一番いちばんだ。訳書やくしょ場合ばあいでも、日本にっぽんやく自助じじょグループの紹介しょうかいやホームページの紹介しょうかいとう巻末かんまつにあったりもする。
 以下いかでは、ここのところずっとのかくれた?主題しゅだい、について。
 2がつごうで『PTSDの医療いりょう人類じんるいがく』、3がつごうで『精神せいしん疾患しっかんはつくられる――DSM診断しんだんわな』と、ある状態じょうたい障害しょうがいやまいとしてしまうことに懐疑かいぎてき批判ひはんてきほん紹介しょうかいした。それにたいして、ここで紹介しょうかいしているほんおおくでは、障害しょうがいであることがわかってよかったという体験たいけんかれる。ニキも訳書やくしょ後書あとがきや、みずからの文章ぶんしょうでそのことをいている。とすると、このふたつの見方みかたは、どこがどうなって、かれるのか、あるいはかれているようにえるのか。
 その仕掛しかけは多分たぶんすこし複雑ふくざつになっていて、きちんとかんがえると、なが論文ろんぶんみたいものになってしまうだろう。ここではまずいくつかのヒントをもらっておこう。

◇◇◇

 でも紹介しょうかいしたことがあるが、ニキは、みずからの文章ぶんしょう所属しょぞく変更へんこうあるいは汚名おめい返上へんじょうとしての中途ちゅうと診断しんだん――ひとみずからラベルをもとめるとき」(石川いしかわじゅん倉本くらもと智明ともあきへん障害しょうがいがく主張しゅちょう』、明石書店あかししょてん)で、つぎのような文章ぶんしょう引用いんようしている。
 「ADDのためにこる失敗しっぱいと、人間にんげんならだれでもやらかす失敗しっぱいは、どうすれば見分みわけられるのでしょう?」といういに、「見分みわけることはできません。…「普通ふつうの」にんたちも、ADDのひとおな失敗しっぱいをします。両者りょうしゃけるのは、失敗しっぱいしつではなく、頻度ひんどなのです。ADDのひと人生じんせいでは、失敗しっぱいはしじゅうこりつづけ、おもあつ問題もんだいこします。ADDでないひと人生じんせいでは、失敗しっぱい頻度ひんどもはるかにひくく、いらつというよりは、冗談じょうだんたねになってくれます。」
 わたしたちがまずおもうのは、片付かたづけが不得意ふとくいだとかはおおくのひとおもいあたるところがあるのだから、それをとりあげて障害しょうがいだとってどうするんだということだ。
 それにたいして、うえこたえは、障害しょうがいとなるとまったくちがう、特別とくべつなのだ、とはわない。さきの疑問ぎもん否定ひていせず、それをれているともえる。はっきりした境界きょうかいせんけないことをみとめてしまうのである。そして、そのじょうでも障害しょうがいであると意味いみがあるとおうとしている。さてそれはどんな意味いみか、とつぎ疑問ぎもんあらわれるのだが、それでもまずはよいこたえだとおもう。たんに不注意ふちゅういひととADDのひととはまるでちがうのだとはわないこと、ADDという枠組わくぐみ支持しじまもりたいひとならいそうなことをわないところが、じつは大切たいせつなポイントなのではないかとおもえる。
 そしていまべたことに関連かんれんするのだが、どうもADDなんてあやしいとかんじるひとには、なんだかそれが逃避とうひのようにおもえるところ、さらに、わたしってこういうわったひと、といった自分じぶん物語ものがたりがほしいというところかあるのではとかんじられてしまうところがあるとおもう。実際じっさい、『ずっと「普通ふつう」になりたかった』の表紙ひょうしには、「これは「自分じぶんさがし」の物語ものがたりです。」といてあったりもする。
 このたね批判ひはんというか揶揄やゆというかはよくあって、たとえばアダルト・チルドレンという言葉ことばもその対象たいしょうになった。ニキは、そうした時代じだいにもきてきたし、またみずからの訳書やくしょにもそうした反応はんのうがあるだろうことを予想よそうし(それはたったのだが)、「訳者やくしゃあとがき」にこういている。
 大学だいがくを「中退ちゅうたいしてほうされたさきは、バブル崩壊ほうかい前夜ぜんやはち年代ねんだいまつ日本にっぽんでした。「モノよりしん」「本当ほんとう自分じぶん」といった言葉ことばがあちこちでかれはじめたころです。「自分じぶんさがしゲーム」「いやしブーム」にれた日本にっぽんきゅう年代ねんだいは、わたしにとって本当ほんとう奇妙きみょう時代じだいでした。「ありままの自分じぶん」なんてわれたって、ありのままでは生活せいかつしていけなかったではないか。わたし必要ひつようなのは、「いやし」などではなく、ちからをつけることなのに。
 書籍しょせき雑誌ざっし世界せかいで、次々つぎつぎとこころの病理びょうりがテーマとして流行りゅうこうし、消費しょうひされるようすも不可解ふかかいでした。みんな、あんなに正常せいじょうなのに、仕事しごとにもけるのに、なぜ多重たじゅう人格じんかく連続れんぞく殺人さつじんほん熱中ねっちゅうするのだろう? 次々つぎつぎ流行りゅうこうする異常いじょう心理しんりほんに、わたしなどとどかないほど正常せいじょうひとたちが「自分じぶんかさねてみました」とか「この主人公しゅじんこうわたしです」などというコメントをせているのを、わたしわるゆめなにかのようにぼんやりていました。」(『ずっと「普通ふつう」になりたかった』pp.283-284)
 「「本当ほんとうわたし出会であう」なんてフレーズはずかしいとおもっていました。でもその一方いっぽうで、自分じぶんのどこがおかしいのか、納得なっとくしたかったのもたしかです。なぜみんながおこるときにおこれないのか。なぜみんながわらわないときにわらってしまうのか。なぜこんなにつかれてしまうのか……。」(p.284)
 なんでも病気びょうき(のせい)にしてしまうといった「風潮ふうちょう」を指摘してきするのがなにかいたことであるかのようにおもわれているとすれば、わたしはそれはちがうとおもう。さらに、逃避とうひ責任せきにんのがれとして批判ひはんするろんがあるわけだが、わたしはそれはおおくの場合ばあい有害ゆうがいだとおもう。
 そして、そのようにおもわたしは、同時どうじに、以前いぜん紹介しょうかいしたほん著者ちょしゃたちが、様々さまざま状態じょうたい精神せいしん障害しょうがい精神せいしん疾患しっかんとされていくことをうたがい、批判ひはんするのもまたもっともなことだともおもうのだ。

◇◇◇

 それは矛盾むじゅんしている、おかしいではないかとおもわれるだろう。わたし矛盾むじゅんしていないとおもうのだが、その証明しょうめいむずかしそうだ。わたしかんがえあぐねているところがある。ただ、こんなことについてかんがえるのはおもしろいとおもう。そして意外いがい必要ひつようなことでもあるとおもう。病気びょうき障害しょうがいとされること、されないことの両方りょうほうから、当人とうにんたちは迷惑めいわくこうむることがあるからである。
 ニキの場合ばあい、アスペルガー症候群しょうこうぐんだとわかってよかった。そして、横文字よこもじ略称りゃくしょう自分じぶん納得なっとくさせているのだ、ただの流行りゅうこうだといったとらかたおこっている。一方いっぽうでそのことをり、かんがえること。
 そしてもう一方いっぽうで、べつのこともかんがえてみること。たとえば、病気びょうきだから対応たいおうするということになれば、病気びょうきであることを証明しょうめいしなければならないということになるかもしれない。しかしそれは、そういつもはうまくいかないだろう。
 だから、障害しょうがいがあろうとなかろうと、病気びょうき診断しんだんされようとされまいと、なんとかやっていけるなら、そのほうがよいのかもしれない。むろんそれを実現じつげんするのはむずかしい。会社かいしゃやすむにも診断しんだんしょ必要ひつようだというのが現実げんじつである。しかしそれでも、名前なまえがついたり、原因げんいん生理せいりてきなものであるとわかったりしなければならないのもつらいところがあるかも、という視点してんももっているとよいようにおもう。
 ニキには精神せいしんとの対談たいだんほんがある。うっかりしていてまだ未見みけん。『障害しょうがいがく主張しゅちょう収録しゅうろくの「所属しょぞく変更へんこうあるいは…」にかなかったこと、けなかったこととうはいっているという。まなければ。

岡野おかの 高明こうめい・ニキ リンコ 2002 おしえてわたしの「のうみそ」のかたち――大人おとなになって自分じぶんのADHD、アスペルガー障害しょうがいづく』はなふうしゃ

言及げんきゅう

立岩たていわ しん也 2018 不如意ふにょい身体しんたい――やまい障害しょうがいとある社会しゃかい青土おうづちしゃ


UP:20040506 REV:0511(誤字ごじ訂正ていせい
ニキ・リンコ  ◇医療いりょう社会しゃかいブックガイド  ◇医学書院いがくしょいんほんより  ◇書評しょひょうほん紹介しょうかい by 立岩たていわ  ◇病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう  ◇立岩たていわ しん
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