(Translated by
https://www.hiragana.jp/
)
立岩真也『人命の特別を言わず/言う』
HOME
>
Tateiwa
>
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う
立岩
たていわ
真
しん
也
2022
筑摩書房
ちくましょぼう
http://www.chikumashobo.co.jp/
Tweet
◇
はじめに
◇
目次
もくじ
◇
文献
ぶんけん
表
ひょう
(
別
べつ
頁
ぺーじ
)
◇
『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う
補註
ほちゅう
』
(
別
べつ
頁
ぺーじ
)
◇
お
知
し
らせ:
https://twitter.com/ShinyaTateiwa
◇
編集
へんしゅう
者
しゃ
とのやりとり
◆
立岩
たていわ
真
しん
也
20221219 『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』,
筑摩書房
ちくましょぼう
,288p. ISBN-10:4480864806 ISBN-13:978-4480864802
[amazon]
/
[kinokuniya]
2200+ ※
◆
立岩
たていわ
真
しん
也
20221210
『
良
よ
い
死
し
/
唯
ただ
の
生
せい
』
,
筑摩書房
ちくましょぼう
,ちくま
学芸
がくげい
文庫
ぶんこ
,624p. ISBN-10:4480511563 ISBN-13:978-4480511560
[amazon]
/
[kinokuniya]
※
◇
立岩
たていわ
真
しん
也
2022/12/25-
『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う
補註
ほちゅう
』
,
Kyoto Books
◇
立岩
たていわ
真
しん
也
2022/12/30
『
生死
せいし
の
語
かた
り
行
おこな
い・3――1980
年代
ねんだい
・2000
年
ねん
以降
いこう
』
,
Kyoto Books
■『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』の「
序
ついで
」
「ある
基準
きじゅん
線
せん
を
作
つく
って、その
線
せん
よりも
上
うえ
にいる
存在
そんざい
は
殺
ころ
さない、
下
した
にいる
存在
そんざい
は
殺
ころ
してもよいことにする(A)。すると、いくらかの、あるいはかなり
広
ひろ
い
範囲
はんい
の
動物
どうぶつ
は
殺
ころ
してならないことになる(B)。
他方
たほう
、
線
せん
の
下
した
にいる
人
ひと
の
生命
せいめい
の
維持
いじ
は
不要
ふよう
であるということになる(C)。
むろんその
線
せん
の
場所
ばしょ
、その
場所
ばしょ
の
辺
あた
りは
問題
もんだい
になる。「
上
うえ
」から
見
み
た
時
とき
、その
上側
うわがわ
に
属
ぞく
するかが「ぎりぎり」あるいはその
下
した
の
人
ひと
・ヒトはどうなるのだろうと
問題
もんだい
にされる。
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
・
動物
どうぶつ
倫理
りんり
学
がく
の
領域
りょういき
では、「
限界
げんかい
事例
じれい
(marginal case)、「AMC」(=「
限界
げんかい
事例
じれい
の
主張
しゅちょう
(the argument from Marginal case)」という
言葉
ことば
もあるらしい。
動物
どうぶつ
を
食
た
べるべきでない、
殺
ころ
すべきでないという
主張
しゅちょう
がまずまずの
支持
しじ
を
得
え
ている。それが、
基準
きじゅん
を
満
み
たしているから
生
い
かす(A→B)という
主張
しゅちょう
であるなら、
満
み
たしていない
人
ひと
は
死
し
んでよい、あるいは
殺
ころ
す(A→C)ことも
支持
しじ
されることになるだろうか。
このことに
関
かか
わって
書
か
かれたものはまずまずの
数
かず
あるのだが、
一
ひと
つに、A→Cは、とくに
動物
どうぶつ
を
大切
たいせつ
にという
話
はなし
のなかでは、あまり、あるいはまったく
意識
いしき
されない。そして、この
構図
こうず
の
全体
ぜんたい
をいちおう
知
し
る
人
ひと
は、
三
みっ
つに
分
わ
かれる。
一
ひと
つは
難
むずか
しい
問題
もんだい
だと
言
い
って、
話
はなし
を
先
さき
延
の
ばしにし、
終
お
える。
一
ひと
つは、この
図式
ずしき
をすなおに
肯定
こうてい
する。
最後
さいご
が、いやそういうことではなかろうと
言
い
う、
言
い
おうとする。
本書
ほんしょ
は、そして
私
わたし
は、この
最後
さいご
のものを
支持
しじ
する。
支持
しじ
者
しゃ
はたくさんいると
思
おも
うのだが、その
理屈
りくつ
を
通
とお
すとなると、そう
簡単
かんたん
ではないように
見
み
える。その
理由
りゆう
の
一
ひと
つに、
肯定
こうてい
する
話
はなし
にももっともなところがあることもあるだろう。
そのこともふまえながら、
本書
ほんしょ
は
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず、
言
い
う。それが
題
だい
になっているが、
基本
きほん
的
てき
には「
言
い
う」。その
話
はなし
の
一
ひと
つひとつの
話
はなし
は、みな、
私
わたし
が
思
おも
うには、とても
当
あ
たり
前
まえ
のものだと
思
おも
う。しかし、
意外
いがい
に
言
い
われない
部分
ぶぶん
があり、また
本書
ほんしょ
での
話
はなし
の
組
く
み
合
あ
わせを
見
み
かけることもないように
思
おも
う。その
意味
いみ
では、たぶん、
誰
だれ
もがわかっているのに、
書
か
かれたことのないことが
本書
ほんしょ
では
書
か
かれる。
■
もう
少
すこ
し
長
なが
い
要約
ようやく
第
だい
1
章
しょう
ではピーター・シンガーらの
議論
ぎろん
を
紹介
しょうかい
し、その
主張
しゅちょう
がおかしなものであることを
確認
かくにん
する。その
人
ひと
たちは「
種
たね
差別
さべつ
主義
しゅぎ
」を
批判
ひはん
し、「
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
」を
主張
しゅちょう
すると
言
い
い、ヒト/ヒト
以外
いがい
の
境
さかい
に
特別
とくべつ
の
意味
いみ
がないとする。そうしたうえで、
類人猿
るいじんえん
といったある
種
しゅ
の
動物
どうぶつ
については、
殺
ころ
すべきでないとする。その
理由
りゆう
は、まず、
意識
いしき
・
理性
りせい
があることに
求
もと
められる(
第
だい
1
節
せつ
)。
しかし、まずそれは
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
・
脱
だつ
種
たね
差別
さべつ
的
てき
な
倫理
りんり
ではない。むしろ
逆
ぎゃく
である。それは、
普通
ふつう
に
考
かんが
えれば、
人間
にんげん
が
思
おも
いつき、
人間
にんげん
が(
特別
とくべつ
に)
遵守
じゅんしゅ
すべき
規範
きはん
だという
意味
いみ
で、
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
である。そして、
生物
せいぶつ
・
動物
どうぶつ
全般
ぜんぱん
の
中
なか
から
殺
ころ
してならないものが
選
えら
ばれるその
理由
りゆう
は、
人間
にんげん
の
多
おお
くが
有
ゆう
している
属性
ぞくせい
を
有
ゆう
していることに
求
もと
められるのだが、それもまた
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
である。そしてその
属性
ぞくせい
を
特別
とくべつ
なものとして
選
えら
ぶことの
理由
りゆう
は
不明
ふめい
である(
第
だい
2
節
せつ
)。
他方
たほう
、
高等
こうとう
な
性能
せいのう
でなく
快
かい
苦
く
を
重視
じゅうし
する
方向
ほうこう
に
行
い
くなら、
尊重
そんちょう
されるべき
範囲
はんい
は
拡大
かくだい
される。この
場合
ばあい
には
殺生
せっしょう
の
全般
ぜんぱん
が
問題
もんだい
になり、そして
生物
せいぶつ
の
全体
ぜんたい
の
倫理
りんり
とするべきことに、
論理
ろんり
としてはなる。あらゆる
生物
せいぶつ
が
生物
せいぶつ
を
殺
ころ
さない
摂取
せっしゅ
しないことなど
事実
じじつ
不可能
ふかのう
であることを
言
い
うことはできるが、できる
限
かぎ
りその
方向
ほうこう
に
行
い
こうと
主張
しゅちょう
することはなお
可能
かのう
である。となると、
殺生
せっしょう
の
全般
ぜんぱん
について
規範
きはん
的
てき
にどう
言
い
うかという
問題
もんだい
に
立
た
ち
至
いた
る、あるいは
立
た
ち
帰
かえ
ることになる(
第
だい
3
節
せつ
)。
そのうえで、
特別
とくべつ
に、
人
ひと
が
人
ひと
を
殺
ころ
すべきでないわけを
言
い
うことは
可能
かのう
か、どのように
可能
かのう
かという
問
と
いが
残
のこ
る。
第
だい
2
章
しょう
では、
基本
きほん
的
てき
に、
殺生
せっしょう
を
悪
あく
であるとはしない、すくなくとも
禁
きん
じられねばならない
悪
あく
だとはしないという
立場
たちば
を
採
と
ろう、
採
と
るしかないだろうと
述
の
べる。
動物
どうぶつ
が
動物
どうぶつ
を
殺
ころ
す
世界
せかい
において、
人間
にんげん
が
動物
どうぶつ
を
殺
ころ
すことをしてはならないとも
言
い
えないとする(
第
だい
1
節
せつ
)。
それにしても、
人
ひと
はずっと
間違
まちが
えてきたと
言
い
える
人
ひと
たちは
不思議
ふしぎ
だと
言
い
う。また、「
種
たね
(
差別
さべつ
)
主義
しゅぎ
」が
人種
じんしゅ
差別
さべつ
と
同
おな
じで、
前者
ぜんしゃ
を
言
い
う
人
ひと
は
後者
こうしゃ
を
正当
せいとう
とすることになるという
主張
しゅちょう
がなされてきたのだが、そのように
考
かんが
える
必要
ひつよう
がないことを
述
の
べる(
第
だい
2
節
せつ
)。
すると、そのうえで、
人
ひと
が
人
ひと
を
殺
ころ
すべきでないわけを
言
い
うことは
可能
かのう
か、どのように
可能
かのう
かという
問
と
いが
残
のこ
る。あるいは
現
あらわ
れる。まず、おおむねの
事実
じじつ
として、
人
ひと
は
人
ひと
を、
動物
どうぶつ
を
殺生
せっしょう
するようには、
食
た
べるために
殺
ころ
すことはせず、それはよくないことであるとしている。それはおおむねの
事実
じじつ
であるとともに
規範
きはん
として
作動
さどう
している。それを
受
う
け
入
い
れてよいだろうとする(
第
だい
3
節
せつ
)。
そして、
人
ひと
が
人
ひと
を
殺
ころ
す
理由
りゆう
・
事情
じじょう
を
見
み
てみようと
言
い
う。
他
た
の
生物
せいぶつ
とは
異
こと
なり、
例
たと
えば
正
ただ
しさのために、
人
ひと
は
人
ひと
を
殺
ころ
すことができる。そして
実際
じっさい
にたくさん
殺
ころ
してきた。その
正
ただ
しさの
中
なか
には
第
だい
1
章
しょう
で
示
しめ
され
検討
けんとう
した(
私
わたし
たちが
考
かんが
えるに
間違
まちが
った)
正
ただ
しさも
含
ふく
まれる。そして、
殺
ころ
すことを
駆動
くどう
する
強
つよ
さも
規模
きぼ
も、
人間
にんげん
においては
特別
とくべつ
である。そこで、
禁止
きんし
しても
殺
ころ
し
続
つづ
けるだろうが、しかしせめて、
殺
ころ
してならないとする(Ⅰ)。また、その
殺
ころ
す
際
さい
の「やむをえなさ」は、
生
い
きるために
食
た
べる
場合
ばあい
と
連続
れんぞく
的
てき
だから、
区別
くべつ
は
不当
ふとう
だとする
批判
ひはん
は
当
あ
たらないと
述
の
べる(
第
だい
4
節
せつ
)。
その
特別
とくべつ
扱
あつか
いの「
起源
きげん
」は
定
さだ
かでないが、
人
ひと
から
人
ひと
が
生
う
まれることを
経験
けいけん
し、そのできごとを
人々
ひとびと
が
知
し
っていること、それを
尊重
そんちょう
すべきであると
考
かんが
えられていることが
関
かか
わっていると
考
かんが
えることはできる。すると、せめて
殺
ころ
さないことにするというその
範囲
はんい
は、ヒトという「
種
たね
」の
境界
きょうかい
において
区切
くぎ
られることにはなる。
第
だい
3
章
しょう
では、さらに、
一人
ひとり
ひとりを
殺
ころ
さないその
理由
りゆう
を、そこに
一
ひと
つひとつの
世界
せかい
があるだろうこと(Ⅲ)にあると
述
の
べる。そして、とくに
死
し
に
際
さい
して、
人
ひと
が
死
し
を
恐怖
きょうふ
する
存在
そんざい
であること(Ⅳ)が
考慮
こうりょ
されるべきであることを
言
い
う。ここで
私
わたし
たちは
知性
ちせい
を
理由
りゆう
にしているのだから、
第
だい
1
章
しょう
で
検討
けんとう
した
話
はなし
に
近
ちか
づくことにはなる。
私
わたし
(たち)は
生命
せいめい
の
絶対
ぜったい
尊重
そんちょう
派
は
に
属
ぞく
するのではない。ただ、
知性
ちせい
を
有
ゆう
していることは、
生存
せいぞん
を
積極
せっきょく
的
てき
に
肯定
こうてい
するものでなく、いったんとにかく
人
ひと
は
生
い
かす
殺
ころ
さないとしたうえで、
死
し
を
避
さ
けさせようというその
理由
りゆう
となるものである(
第
だい
1
節
せつ
)。
「
延命
えんめい
」のための
処置
しょち
の
停止
ていし
と、
死
し
のための
積極
せっきょく
的
てき
な
処置
しょち
とは
同
おな
じであるから、どちらも
許容
きょよう
されるという
人
ひと
たちがいる。その
議論
ぎろん
の
前段
ぜんだん
には
認
みと
めてよいところがある。しかしそのことは
両者
りょうしゃ
を
認
みと
めることを
意味
いみ
しない。
確実
かくじつ
に
訪
おとず
れることとその
時
とき
を
知
し
り、そのための
行
おこ
ないを
行
おこ
なうことと、やがて
終
お
わりが
訪
おとず
れることは
知
し
りながら、
確
たし
かなその
時
とき
を
知
し
らずそれまでの
時間
じかん
をやり
過
す
ごすこととの
間
あいだ
には、
差
さ
がある。
意味
いみ
がないとされた
区別
くべつ
にじつは
意味
いみ
があることを
示
しめ
す(
第
だい
2
節
せつ
)。
第
だい
4
章
しょう
では、この
境界
きょうかい
の
論
ろん
じ
方
かた
について
考
かんが
える。シンガーとデリダが
一
ひと
つに
括
くく
られ
肯定
こうてい
されるといったことが
不思議
ふしぎ
に
思
おも
われないことの
不思議
ふしぎ
を
言
い
い、「
境界
きょうかい
を
揺
ゆ
るがす」というこの
時代
じだい
に
流行
りゅうこう
した
構
かま
えからはそんなにたいしたことは
言
い
えないことを
言
い
う(
第
だい
1
節
せつ
)。
むしろ、
人間
にんげん
の
系譜
けいふ
を
辿
たど
り、
人間
にんげん
が
主体
しゅたい
であることを
批判
ひはん
したその
流
なが
れから
受
う
け
取
と
るものがあることを
述
の
べる。ニーチェを
受
う
け
取
と
った
吉本
よしもと
隆明
たかあき
は
福音
ふくいん
書
しょ
について
書
か
き、そしてときに
同
どう
じ
書
しょ
で
親鸞
しんらん
の
往還
おうかん
の
思想
しそう
を
論
ろん
じた(
第
だい
2
節
せつ
)。
そして
人間
にんげん
であることを
仕方
しかた
のないことと
受
う
け
取
と
り、
扱
あつか
いにくいから
仕方
しかた
なくときに
丁寧
ていねい
に
扱
あつか
うべきことを
言
い
う。そしてそこから、この
社会
しゃかい
のあり
方
かた
について
普通
ふつう
に
言
い
えるだろうことをいくつか
確認
かくにん
する(
第
だい
3
節
せつ
・
第
だい
4
節
せつ
)。
事情
じじょう
の
説明
せつめい
二
に
〇〇
八
はち
年
ねん
に『
良
よ
い#
死
し
{★1}』を、
二
に
〇〇
九
きゅう
年
ねん
に『
唯
ただ
の
生
せい
』を、
筑摩書房
ちくましょぼう
から
刊行
かんこう
してもらった。そしてその
後
ご
者
しゃ
、『
唯
ただ
の
生
せい
』は
入手
にゅうしゅ
できなくなってしばらくが
経
た
った。いずれも
読
よ
んで
楽
たの
しめるといった
本
ほん
ではないが、
今
いま
でも、あるいはこれからも、あってよい
本
ほん
だと
思
おも
い、
本書
ほんしょ
の
刊行
かんこう
にも
合
あ
わせ、ちくま
学芸
がくげい
文庫
ぶんこ
の
一
いち
冊
さつ
として『
良
よ
い
死
し
/
唯
ただ
の
生
せい
』(
立岩
たていわ
[2022c])を
出
だ
してもらった。
ただ、
二
に
冊
さつ
をそのまま
一
いち
冊
さつ
にすると、
文庫
ぶんこ
一
いち
冊
さつ
に
収
おさ
めるには
多
おお
すぎる
量
りょう
になるということもある。『
唯
ただ
の
生
せい
』については、
文庫
ぶんこ
に
収録
しゅうろく
したのは
第
だい
5
章
しょう
以降
いこう
とした。
第
だい
2
章
しょう
から
第
だい
4
章
しょう
は「
現代
げんだい
史
し
」に
関
かか
わる
章
しょう
だったから、これは
別途
べっと
、オンラインで
公開
こうかい
する
本
ほん
(ページ)にす#る{★2}。
以前
いぜん
から、その『
唯
ただ
の
生
せい
』の
第
だい
1
章
しょう
「
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う」に
書
か
いたことは、その
部分
ぶぶん
だけを
取
と
り
出
だ
し、
読
よ
んでもらいたいと
思
おも
っていた。そこでこのたび、この
部分
ぶぶん
をもとに
本
ほん
を
作
つく
ることを
提案
ていあん
し、
刊行
かんこう
してもらう
運
はこ
びになった。
当初
とうしょ
はもとの「
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
げん
#う{★3}」をほぼそのまま
使
つか
う
小
ちい
さな
本
ほん
のつもりだったが、だんだんとそうもいかないように
思
おも
えてきた。そして、すぐにできるような
気
き
がしていたが、そうもいかないことになってきた。
考
かんが
えることが
出
で
てきた。
当初
とうしょ
考
かんが
えたより
一
いち
年
ねん
ほど
遅
おそ
い
出版
しゅっぱん
になったのだが、そうして
結局
けっきょく
時間
じかん
がかかってしまった
間
あいだ
、
考
かんが
えたり
考
かんが
えなおしたりしたのは、よいことだったように
思
おも
う。
本書
ほんしょ
の
第
だい
2
章
しょう
・
第
だい
3
章
しょう
に
書
か
いたことのかなりの
部分
ぶぶん
は、そうして
新
あら
たに
加
くわ
えたものになった。
本
ほん
をほぼ
書
か
いてしまってから、
多
おお
くは、この
本
ほん
を
書
か
こうと
思
おも
わなければ
知
し
ることのなかっただろう
本
ほん
をいくらか
集
あつ
めてもみた。これからも、
私
わたし
自身
じしん
がそれらを
読
よ
みこむことはないだろう。ただ、こんなものがあることは
知
し
ってもらってよいと
思
おも
い、その
五
ご
九
きゅう
冊
さつ
のリストを、
著者
ちょしゃ
名
めい
アルファベット
順
じゅん
の
文献
ぶんけん
表
ひょう
と
別
べつ
に、
作
つく
って註に
並
なら
べ#た{★4}(
二
に
一
いち
頁
ぺーじ
)。また、
大学院生
だいがくいんせい
などで
読
よ
んでみようという
人
ひと
のために、その
本
ほん
の
現物
げんぶつ
をすべてひとところに
集
あつ
めておこうとも
考
かんが
え、
購入
こうにゅう
したもののすべては
研究所
けんきゅうじょ
(
立命館大学
りつめいかんだいがく
生存
せいぞん
学
がく
研究所
けんきゅうじょ
)の
書庫
しょこ
に
配
はい
架
か
した。そして、まずはたんに
書誌
しょし
情報
じょうほう
だけを
記載
きさい
というものが
多
おお
いのだが、
一
いち
冊
さつ
一
いち
冊
さつ
についてHP
上
うえ
のページを
作
つく
った。
長
なが
くずっとそうなのだが、
私
わたし
の
本
ほん
の
文献
ぶんけん
リストは、
関心
かんしん
もつ
人
じん
いませんか、いたらば、という
性格
せいかく
のものだ。そして、
本書
ほんしょ
の註をさらに
増補
ぞうほ
・
拡充
かくじゅう
するとともに、註・
文献
ぶんけん
表
ひょう
にあげた
文献
ぶんけん
等
とう
について、
各々
おのおの
の
文献
ぶんけん
等
とう
のページにリンクされている『
補註
ほちゅう
』(
立岩
たていわ
[2022b])を
作成
さくせい
し、サイト
上
じょう
に
掲載
けいさい
・
公開
こうかい
した(「
人命
じんめい
・
補註
ほちゅう
」で
検索
けんさく
)。このたび
始
はじ
まったことではない。
文献
ぶんけん
については
最初
さいしょ
の
単
たん
著
ちょ
からずっとそうだ。
私
わたし
自身
じしん
はそう
関心
かんしん
がなく、きちんとは
読
よ
まないだろう
文献
ぶんけん
もあげてきた。
研究
けんきゅう
するならいくらかは
手伝
てつだ
う、
勉強
べんきょう
のために
役立
やくだ
ててくれるなら
本
ほん
も
買
か
って
並
なら
べておく、ということだった。『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』(
立岩
たていわ
[2004a])もそんなつもりで
作
つく
ったが、
残念
ざんねん
ながらその
方面
ほうめん
、つまり
政治
せいじ
哲学
てつがく
とか
分配
ぶんぱい
的
てき
正義
せいぎ
といった
領域
りょういき
で
研究
けんきゅう
しようという
人
ひと
はそうやっては
来
こ
なかった。しかしもちろん、わざわざ
私
わたし
の
勤
つと
め
先
さき
にやって
来
く
る
必要
ひつよう
などない。『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』についてはやはり
文庫
ぶんこ
版
ばん
での
提供
ていきょう
を
考
かんが
えている。
そうした
領域
りょういき
についてみなもっと
考
かんが
えてほしいと
思
おも
うのに
比
くら
べると、「
動物
どうぶつ
倫理
りんり
」を
勉強
べんきょう
してほしいと、
私
わたし
自身
じしん
はあまり
思
おも
っていない。ほかにするべきこと、するとおもしろいことがいくらもあると
思
おも
っている。ただ、よいことを
言
い
ったり
行
おこ
なったりする
時
とき
、あるいは
社会
しゃかい
を
批判
ひはん
する
時
とき
、ふだんはただそれを
言
い
えばよいし
行
おこ
なえばよいのだが、その
中身
なかみ
によっては、ときどきは、
疑
うたが
ってみることはあってよいと
思
おも
っている。そのことも
本書
ほんしょ
に
書
か
いたのだが、
人間
にんげん
は、
立派
りっぱ
になろうとして、
正
まさ
しくあろうとして、
間違
まちが
ってしまう。
間違
まちが
えるだけならまあよいし、もちろん
肉
にく
を
食
た
べないこともよいことだが、「
限界
げんかい
事例
じれい
」(→
序
じょ
・
冒頭
ぼうとう
)と
呼
よ
ばれてしまったりする
人
ひと
たちに
迷惑
めいわく
をかけるのはよくないと
思
おも
う。
じつは『
良
よ
い
死
し
』『
唯
ただ
の
生
せい
』でもお
世話
せわ
になった、さらに
遡
さかのぼ
ればその
出版
しゅっぱん
の
五
ご
年
ねん
ぐらい
前
まえ
だったか
連絡
れんらく
をいただきそれ
以来
いらい
ということになる、
筑摩書房
ちくましょぼう
の
石島
いしじま
裕之
ひろゆき
さんが、『
介助
かいじょ
の
仕事
しごと
』(
立岩
たていわ
[2021a])に
続
つづ
き、
本書
ほんしょ
を
担当
たんとう
してくれた。
本書
ほんしょ
のために「ノート」というメディアでの
連載
れんさい
を
提案
ていあん
してくれて、その
連載
れんさい
のための
作業
さぎょう
、その
都度
つど
の
校正
こうせい
などしていただいた。
感謝
かんしゃ
いたします。
二
に
〇
二
に
二
に
年
ねん
八
はち
月
がつ
立岩
たていわ
真
しん
也
★1――『
良
よ
い
死
し
』の
序
じょ
より。
全文
ぜんぶん
はHPでご
覧
らん
になれる。
「
死
し
/
生
なま
について
論
ろん
じるといったことは、できもしないし、
気
き
がすすまない。にもかかわらず、『AL
S――
不動
ふどう
の
身体
しんたい
と
息
いき
する
機械
きかい
』(
立岩
たていわ
[2004f])という、
重
おも
いといえば
重
おも
い
話
はなし
も
出
で
てくる
本
ほん
を
書
か
いてもしまったから、もうしばらくはやめておこう、
遠
とお
ざかっていようと
思
おも
っていた。
けれども、「
尊厳
そんげん
死
し
」してもよいという
法律
ほうりつ
を
作
つく
ろうという
動
うご
きが
出
で
てきたことを
聞
き
きつけた
人
ひと
から、それはとても
困
こま
ったことだ、これでますます
死
し
ななくてよい
人
ひと
が
死
し
んでしまうと、だから
何
なに
かせよと
言
い
われた。すぐに
法律
ほうりつ
ができるということになるとは
思
おも
わなかった。ただその
心配
しんぱい
な
気持
きも
ちにはもっともなところがある。
言
い
うべきことは、ことが
起
お
こる
前
まえ
にきちんと
考
かんが
えておいて、
言
い
っておくべきなのだが、そう
思
おも
って
見渡
みわた
してみると、すぐに
使
つか
える
言葉
ことば
がない。つまり
私
わたし
たちは、ものを
書
か
く
者
もの
たちはだめなのだ。すぐに
取
と
り
出
だ
せる
道具
どうぐ
を
揃
そろ
えられていない。だから
泥縄
どろなわ
になってしまうのだが、それでもその
場
ば
で
考
かんが
えて
言
い
うしかないということになる。
そんなことがあって、そして
原稿
げんこう
の
依頼
いらい
があったり、
本
ほん
の
企画
きかく
があったりして、
結局
けっきょく
、
二
に
年
ねん
、
三
さん
年
ねん
と
文章
ぶんしょう
を
書
か
き
続
つづ
けることになった。とくに
本
ほん
にする
段階
だんかい
で、
幾度
いくど
も
構成
こうせい
が
変
か
わり、
文章
ぶんしょう
もかなりなおしたり
書
か
き
足
た
すことになった。
結果
けっか
、ずいぶんな
時間
じかん
がかかった。そして
一
いち
冊
さつ
で
終
お
わらず、
二
に
冊
さつ
になり、そして
三
さん
冊
さつ
になってしまった。」(
立岩
たていわ
[2008b])
一
いち
冊
さつ
めが『
良
よ
い
死
し
』、
二
に
冊
さつ
めが『
唯
ただ
の
生
せい
』。
三
さん
冊
さつ
めは
本
ほん
をたくさん
紹介
しょうかい
する
本
ほん
にしようと
思
おも
ったが、きりがないことになりそうだった。そこで、まず
二
に
〇
一
いち
二
に
年
ねん
に、#
有馬
ありま
斉
ひとし
{あり/まひ/とし}(
有馬
ありま
については
本書
ほんしょ
一
いち
三
さん
六
ろく
頁
ぺーじ
)との
共著
きょうちょ
で『
生死
せいし
の
語
かた
り
行
おこな
い・1――
尊厳
そんげん
死
し
法案
ほうあん
・
抵抗
ていこう
・
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
』を
刊行
かんこう
した。この
年
とし
、
生命
せいめい
倫理
りんり
学会
がっかい
の
大会
たいかい
があり、
私
わたし
がその
大会
たいかい
長
ちょう
ということであったのだが(その
時
とき
の
大会
たいかい
長
ちょう
講演
こうえん
が「
飽和
ほうわ
と
不足
ふそく
の
共存
きょうぞん
について」)、「
会員
かいいん
のみなさんはこれこれを
知
し
ってますか、
知
し
らなければ
知
し
ってほしいです」というつもりもあった。
知
し
ってほしい、
種々
しゅじゅ
の
団体
だんたい
が
出
だ
した
声明
せいめい
の
類
るい
を
再
さい
録
ろく
し、いくらかの
本
ほん
の
紹介
しょうかい
をした。これは
私
わたし
が
担当
たんとう
した。それに
有馬
ありま
の
論考
ろんこう
を
加
くわ
えた。たくさんの
本
ほん
を
紹介
しょうかい
する
本
ほん
としては、その
五
ご
年
ねん
後
ご
、
二
に
〇
一
いち
七
なな
年
ねん
に、
電子
でんし
書籍
しょせき
(といってもただのHTMLファイル)として『
生死
せいし
の
語
かた
り
行
おこな
い・2――
私
わたし
の
良
よ
い
死
し
を
見
み
つめる
本
ほん
etc.』(
立岩
たていわ
[2017]、http://www.arsvi.com/ts/2017b2.htm)を
作
つく
った。
本書
ほんしょ
の『
補註
ほちゅう
』と
同様
どうよう
、サイト
上
じょう
のページにリンクされたほうがよいと
思
おも
ったことにもよる。ただ、
驚
おどろ
くほど
売
う
れてはいない。
★2――『
唯
ただ
の
生
せい
』の
目次
もくじ
は
以下
いか
。
第
だい
1
章
しょう
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う
第
だい
2
章
しょう
近
ちか
い
過去
かこ
と
現在
げんざい
第
だい
3
章
しょう
有限
ゆうげん
でもあるから
控
ひか
えることについて――その
時代
じだい
に
起
お
こったこと
第
だい
4
章
しょう
現在
げんざい
第
だい
5
章
しょう
死
し
の
決定
けってい
について
第
だい
6
章
しょう
より
苦痛
くつう
な
生
せい
/
苦痛
くつう
な
生
せい
/
安楽
あんらく
な
死
し
第
だい
7
章
しょう
『
病
やめ
いの
哲学
てつがく
』について
詳細
しょうさい
な
目次
もくじ
、
序文
じょぶん
をHP(http://www.arsvi.com/ts/2009b1.htm、「
立岩
たついわ
唯
ただ
の
生
せい
」で
検索
けんさく
)でご
覧
らん
になれる。
第
だい
2
章
しょう
から
第
だい
4
章
しょう
は、HP
上
じょう
で
無償
むしょう
公開
こうかい
する『
生死
せいし
の
語
かた
り
行
おこな
い・3――
有限
ゆうげん
でもあるから
控
ひか
える』(
立岩
たていわ
[2022d])に
収録
しゅうろく
する。
★3――その
冒頭
ぼうとう
にその
趣旨
しゅし
・
概要
がいよう
を
書
か
いた。
「*この
章
あきら
はいくつかの
文章
ぶんしょう
を
合
あ
わせ
再
さい
構成
こうせい
したものである。
生
せい
を
奪
うば
ってならない/
奪
うば
ってよいことについて、
言
い
われてきたことを
検討
けんとう
し、
私
わたし
が
考
かんが
えることを
述
の
べる。
論理
ろんり
を
詰
つ
めるべきところはまだいろいろとあるけれども、まず、いくつか、あまりはっきりと
言
い
われていないが
言
い
えるだろうことを
述
の
べる。そして
基本
きほん
的
てき
にはこのように
考
かんが
えられるだろうと
思
おも
うことを
述
の
べる。
まず、「
延命
えんめい
」のための
処置
しょち
の
停止
ていし
と
死
し
のための
積極
せっきょく
的
てき
な
処置
しょち
とは
同
おな
じであるから、どちらも
許容
きょよう
されるという
人
ひと
たちがいる。その
議論
ぎろん
の
前段
ぜんだん
には
認
みと
めてよいところがある。しかしそのことは
両者
りょうしゃ
を
認
みと
めることを
意味
いみ
しない。(
第
だい
1
節
せつ
)
死
し
なせることを
是認
ぜにん
する
積極
せっきょく
的
てき
な
理由
りゆう
としてその
人
ひと
たちが
出
だ
すのは、
α
あるふぁ
:
意識
いしき
・
理性
りせい
である。なぜそれを
言
い
うのか。
三
みっ
つを
考
かんが
えることができる。(1)
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
な
倫理
りんり
を
言
い
いたい。(2)
人
にん
が
人
ひと
を
特権
とっけん
化
か
している
理由
りゆう
を
説明
せつめい
したい。だが、(1)について、それはとても
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
な
主張
しゅちょう
である。(2)については、その
人
ひと
たちは
人
ひと
を
特権
とっけん
化
か
していないし、
特権
とっけん
化
か
できていない。すると(3)
α
あるふぁ
という
特性
とくせい
を
大切
たいせつ
なものであると
考
かんが
えたい、それだけが
残
のこ
る。しかしその
正当
せいとう
性
せい
は
不明
ふめい
である。(
第
だい
2
節
せつ
)
これらの
議論
ぎろん
と
別
べつ
に、ときにその
論
ろん
に
反対
はんたい
して、
人
ひと
と
人
ひと
との
関係
かんけい
、というより
相手
あいて
に
対
たい
する
自
みずか
らの
思
おも
いを
基点
きてん
とする
立場
たちば
がある。たしかに
人
ひと
の
関係
かんけい
は
大切
たいせつ
であり、
社会
しゃかい
の
現実
げんじつ
にも
大
おお
きく
関
かか
わっている。しかし、むしろだからこそ、その
関係
かんけい
や
思
おも
いと
別
べつ
のところで
判断
はんだん
すべきだと
考
かんが
えられる。(
第
だい
3
節
せつ
)
では
私
わたし
はどう
考
かんが
えるのか。それを
述
の
べてみる。そしてその
上
うえ
で、
人間
にんげん
を
特別
とくべつ
に
扱
あつか
うこと、
扱
あつか
ってしまうことをどのように
言
い
うのかを
言
い
ってみる。(
第
だい
4
節
せつ
)」(
立岩
たていわ
[2009:16])
「いくつかの
文章
ぶんしょう
を
合
あ
わせ」とある。「
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う」(
立岩
たていわ
[2008a])に、シンガー、クーゼ、
加藤
かとう
秀一
ひでかず
の
本
ほん
を
紹介
しょうかい
した『
看護
かんご
教育
きょういく
』(
医学書院
いがくしょいん
)での
連載
れんさい
「
医療
いりょう
と
社会
しゃかい
ブックガイド」の
六
ろく
回分
かいぶん
を
加
くわ
え、
構成
こうせい
を
変
か
え、
加筆
かひつ
した。
目次
もくじ
は
以下
いか
。
1
新
あたら
しいことは
古
ふる
いことと
同
おな
じだから
許
ゆる
されるという
説
せつ
1
伝統
でんとう
の
破壊
はかい
者
しゃ
という
役
やく
2
既
すで
になされているからよいという
話
はなし
2
α
あるふぁ
:
意識
いしき
・
理性
りせい
…
1
α
あるふぁ
:
意識
いしき
・
理性
りせい
…
2 それは
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
・
脱
だつ
種
たね
差別
さべつ
的
てき
な
倫理
りんり
ではない
3 それは
人
ひと
の
生命
せいめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わない
4 ただそれが
大切
たいせつ
だと
言
い
っているがその
理由
りゆう
は
不明
ふめい
である
3
関係
かんけい
から
1 〈
誰
だれ
か〉への
呼
よ
びかけ
2
関係
かんけい
主義
しゅぎ
の
困難
こんなん
3 かつて
親
おや
などというものはなかったかのように
4
別
べつ
の
境界
きょうかい
β
べーた
:
世界
せかい
・
内部
ないぶ
1
世界
せかい
・
内部
ないぶ
2
人間
にんげん
/
動物
どうぶつ
3
復唱
ふくしょう
第
だい
1
節
せつ
・
第
だい
2
節
せつ
は、
本章
ほんしょう
第
だい
1
章
しょう
に
組
く
み
込
こ
まれた。
第
だい
4
節
せつ
は、
第
だい
2
章
しょう
の
一部
いちぶ
になった。ただこれには
書
か
かなかったこと、すくなくともはっきり
書
か
かなかったことを、
本書
ほんしょ
には
加
くわ
えて
再
さい
構成
こうせい
した。
第
だい
3
節
せつ
は、
当初
とうしょ
、いくらか
書
か
き
直
なお
し
本書
ほんしょ
に
組
く
み
込
こ
もうとしたが、
私
わたし
が
言
い
えると
思
おも
うことをあまり
手間
てま
どらず、
順番
じゅんばん
に
言
い
うことを
優先
ゆうせん
するのがよかろうと
考
かんが
えたため、
結局
けっきょく
、
本書
ほんしょ
の
四
よっ
つの
章
しょう
には
組
く
み
込
こ
まなかった。ただ、
意義
いぎ
のあるものとは
思
おも
ったので、
本書
ほんしょ
の
本体
ほんたい
の
後
のち
に「
拾遺
しゅうい
」として
付
ふ
すことを
考
かんが
えたその
原稿
げんこう
と、もとの『
唯
ただ
の
生
せい
』
第
だい
1
章
しょう
全体
ぜんたい
を、さきに
作成
さくせい
・
公開
こうかい
することを
記
しる
した(
一
いち
八
はち
頁
ぺーじ
)
本書
ほんしょ
の『
補註
ほちゅう
』(
立岩
たていわ
[2022b])に
収録
しゅうろく
した。
★4――ほとんどは
新
あら
たに
入手
にゅうしゅ
した
書籍
しょせき
は
以下
いか
。
翻訳
ほんやく
のないものはあげていない。
原著
げんちょ
の
刊行
かんこう
年
ねん
順
じゅん
に
並
なら
べる。
『
動物
どうぶつ
の
解放
かいほう
』(Singer, Peter[1975=2002])、『アニマル・ファクトリー――
飼育
しいく
工場
こうじょう
の
動物
どうぶつ
たちの
今
いま
』(Mason & Singer[1980=1982])、『
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
』(Singer & Regan eds.[1985=1986])、『
生命
せいめい
の
神聖
しんせい
性
せい
説
せつ
批判
ひはん
』(Kuhse[1987=2006])、『
肉食
にくしょく
という
性
せい
の
政治
せいじ
学
がく
――フェミニズム-ベジタリアニズム
批評
ひひょう
』(Adams, Carol J.[1990=1994])、『
大型
おおがた
類人猿
るいじんえん
の
権利
けんり
宣言
せんげん
』(Cavalieri & Singer eds.[1993=2001])、『
死体
したい
の
晩餐
ばんさん
――
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
と
菜食
さいしょく
の
理由
りゆう
』(Kaplan, Helmut F.[1993→2002=2005])、『
神
かみ
は
何
なに
のために
動物
どうぶつ
を
造
つく
ったのか――
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
の
神学
しんがく
』(Linzey, Andrew[1994=2001])、『
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
入門
にゅうもん
――わが
子
こ
を
救
すく
うか、
犬
いぬ
を
救
すく
うか』(Francione, Gary L.[2000=2018])、『
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
』(DeGrazia, David[2002=2003])、『
人命
じんめい
の
脱
だつ
神聖
しんせい
化
か
』(Kuhse & Singer eds.[2002=2007])、『
開
ひら
かれ――
人間
にんげん
と
動物
どうぶつ
』(Agamben, Giorgio[2002=2004])、『
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
・
人間
にんげん
の
不正
ふせい
』(Regan, Tom[2003=2022])、『
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
』(Sunstein, Cass R. & Nussbaum, Martha Craven eds.[2004=2013])、『
児童
じどう
虐待
ぎゃくたい
と
動物
どうぶつ
虐待
ぎゃくたい
』(
三島
みしま
亜紀子
あきこ
[2005])、『アニマルウェルフェア――
動物
どうぶつ
の
幸
しあわ
せについての
科学
かがく
と
倫理
りんり
』(
佐藤
さとう
衆
しゅう
介
かい
[2005])、『わたし、ヴィーガンと
出会
であ
う』(
北野
きたの
玲
れい
[2006])、『
動物
どうぶつ
を
追
お
う、ゆえに
私
わたし
は(
動物
どうぶつ
で)ある』(Derrida[2006=2014])、『
雑食
ざっしょく
動物
どうぶつ
のジレンマ――ある4つの
食事
しょくじ
の
自然
しぜん
史
し
』(Pollan, Michael[2006=2009])、『
正義
せいぎ
のフロンティア――
障碍
しょうがい
者
しゃ
・
外国
がいこく
人
じん
・
動物
どうぶつ
という
境界
きょうかい
を
越
こ
えて』(Nussbaum, Martha C.[2006=2012])、『
動物
どうぶつ
からの
倫理
りんり
学
がく
入門
にゅうもん
』(
伊勢田
いせだ
哲治
てつじ
[2008])、『アメリカ
動物
どうぶつ
診療
しんりょう
記
き
――プライマリー
医療
いりょう
と
動物
どうぶつ
倫理
りんり
』(
西山
にしやま
ゆう
子
こ
[2008])、『
動物
どうぶつ
の
解放
かいほう
改訂
かいてい
版
ばん
』(Singer[2009=2011])、『ぼくらはそれでも
肉
にく
を
食
く
う――
人
ひと
と
動物
どうぶつ
の
奇妙
きみょう
な
関係
かんけい
』(Herzog, Harold[2010=2011])、『
私
わたし
たちはなぜ
犬
いぬ
を
愛
あい
し、
豚
ぶた
を
食
た
べ、
牛
うし
を
身
み
にまとうのか――カーニズムとは
何
なに
か』(Joy, Melanie[2010=2022])、『ヒトと
動物
どうぶつ
の
死生
しせい
学
がく
――
犬
いぬ
や
猫
ねこ
との
共生
きょうせい
、そして
動物
どうぶつ
倫理
りんり
』(
一ノ瀬
いちのせ
正樹
まさき
・
新島
にいじま
典子
のりこ
編
へん
[2011])、『
人
ひと
と
動物
どうぶつ
の
政治
せいじ
共同
きょうどう
体
たい
――「
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
」の
政治
せいじ
理論
りろん
』(Donaldson, Sue & Kymlicka, Will[2011=2016])、『
肉食
にくしょく
の
哲学
てつがく
』(Lestel, Dominique[2011=2020])、『
動物
どうぶつ
倫理
りんり
入門
にゅうもん
』(Gruen[2011=2015])、『
恐怖
きょうふ
の
環境
かんきょう
テロリスト』(
佐々木
ささき
正明
まさあき
[2012])、『
獣医
じゅうい
倫理
りんり
・
動物
どうぶつ
福祉
ふくし
学
がく
』(
池本
いけもと
卯
しげる
典
てん
・
吉川
よしかわ
泰弘
やすひろ
・
伊藤
いとう
伸彦
のぶひこ
監修
かんしゅう
[2013])、『
動物
どうぶつ
・
人間
にんげん
・
暴虐
ぼうぎゃく
史
し
――〝
飼
か
い
貶
けな
し〟の
大罪
だいざい
、
世界
せかい
紛争
ふんそう
と
資本
しほん
主義
しゅぎ
』(Nibert, David A.[2013=2016])、『ジャック・デリダ――
動物
どうぶつ
性
せい
の
政治
せいじ
と
倫理
りんり
』(Llored, Patrick[2013=2017])、『
動物
どうぶつ
と
戦争
せんそう
――
真
しん
の
非
ひ
暴力
ぼうりょく
へ、《
軍事
ぐんじ
-
動物
どうぶつ
産業
さんぎょう
》
複
ふく
合体
がったい
に
立
た
ち
向
む
かう』(Nocella II, Anthony J. et al. eds[2014=2015])、『
食物
しょくもつ
倫理
りんり
入門
にゅうもん
――
食
た
べることの
倫理
りんり
学
がく
』(Sandler, Ronald L.[2014=2019])、『
動物
どうぶつ
福祉
ふくし
の
現在
げんざい
――
動物
どうぶつ
とのより
良
よ
い
関係
かんけい
を
築
きず
くために』(
上野
うえの
吉一
よしかず
・
武田
たけだ
庄平
しょうへい
[2015])、『マンガで
学
まな
ぶ
動物
どうぶつ
倫理
りんり
』(
伊勢田
いせだ
[2015])、『
現代
げんだい
思想
しそう
からの
動物
どうぶつ
論
ろん
――
戦争
せんそう
・
主権
しゅけん
・
生
なま
政治
せいじ
』(Wadiwel, Dinesh Joseph[2015=2019])、『
食
しょく
農
のう
倫理
りんり
学
がく
の
長
なが
い
旅
たび
――〈
食
た
べる〉のどこに
倫理
りんり
はあるのか』(Thompson, Paul B.[2015=2021])、『
日本
にっぽん
の
動物
どうぶつ
法
ほう
第
だい
2
版
はん
』(
青木
あおき
人志
ひとし
[2016])、『
動物
どうぶつ
倫理
りんり
の
新
あたら
しい
基礎
きそ
』(Rollin, Bernard E.[2016=2019])、『ビーガンという
生
い
き
方
かた
』(Hawthorne, Mark[2016=2019])、『
荷
に
を
引
ひ
く
獣
しし
たち――
動物
どうぶつ
の
解放
かいほう
と
障害
しょうがい
者
しゃ
の
解放
かいほう
』(Taylor, Sunaura[2017=2020])、『
環境
かんきょう
と
動物
どうぶつ
の
倫理
りんり
』(
田上
たうえ
孝一
こういち
[2017])、『
動物
どうぶつ
の
声
こえ
、
他者
たしゃ
の
声
こえ
――
日本
にっぽん
戦後
せんご
文学
ぶんがく
の
倫理
りんり
』(
村上
むらかみ
克
かつ
尚
なお
[2017])、『
肉食
にくしょく
行為
こうい
の
研究
けんきゅう
』(
野林
のばやし
厚志
あつし
編
へん
[2018])、『
人
ひと
と
動物
どうぶつ
の
関係
かんけい
を
考
かんが
える』(
打越
うちこし
綾子
あやこ
編
へん
[2018])、『
食
た
べることの
哲学
てつがく
』(
檜垣
ひがき
立哉
たつや
[2018])、『
肉食
にくしょく
の
終
お
わり――
非
ひ
動物
どうぶつ
性
せい
食品
しょくひん
システム
実現
じつげん
へのロードマップ』(Reese, Jacy[2018=2021])、『いのちへの
礼儀
れいぎ
――
国家
こっか
・
資本
しほん
・
家族
かぞく
の
変容
へんよう
と
動物
どうぶつ
たち』(
生田
いくた
武志
たけし
[2019])、『ヴィーガン――
完全
かんぜん
菜食
さいしょく
があなたと
地球
ちきゅう
を
救
すく
う』(
垣本
かきもと
充
たかし
・
大谷
おおや
ゆみこ[2020])、『
快楽
かいらく
としての
動物
どうぶつ
保護
ほご
――『シートン
動物
どうぶつ
記
き
』から『ザ・コーヴ』へ』(
信岡
のぶおか
朝子
あさこ
[2020])、『ベジタリアン
哲学
てつがく
者
しゃ
の
動物
どうぶつ
倫理
りんり
入門
にゅうもん
』(
浅野
あさの
幸治
こうじ
[2021])、『はじめての
動物
どうぶつ
倫理
りんり
学
がく
』(
田上
たうえ
[2021])、『
法
ほう
の
理論
りろん
』39
特集
とくしゅう
:「
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
」
論
ろん
の
展開
てんかい
(2021)、『
動物
どうぶつ
福祉
ふくし
学
がく
』(
新村
しんむら
毅
あつし
編
へん
[2022])、『
動物
どうぶつ
倫理
りんり
の
最前線
さいぜんせん
――
批判
ひはん
的
てき
動物
どうぶつ
研究
けんきゅう
とは
何
なに
か』(
井上
いのうえ
太一
たいち
[2022])、『「
動物
どうぶつ
の
権利
けんり
」
運動
うんどう
の
正体
しょうたい
』(
佐々木
ささき
[2022])、『
現代
げんだい
思想
しそう
』50-7(2022-6)
特集
とくしゅう
:
肉食
にくしょく
主義
しゅぎ
を
考
かんが
える、『
動物
どうぶつ
――ひと・
環境
かんきょう
との
倫理
りんり
的
てき
共生
きょうせい
』(
谷津
たにつ
裕子
ゆうこ
[2022])。
さしたる
根拠
こんきょ
のない
列挙
れっきょ
にすぎないが、ここまでで
五
ご
九
きゅう
冊
さつ
。
一
いち
九
きゅう
八
はち
〇
年代
ねんだい
までが
四
よん
冊
さつ
、
九
きゅう
〇
年代
ねんだい
が
四
よん
冊
さつ
、
二
に
〇〇〇
年代
ねんだい
が
一
いち
五
ご
冊
さつ
、
二
に
〇
一
いち
〇
年代
ねんだい
が
二
に
六
ろく
冊
さつ
、
二
に
〇
二
に
〇
年
ねん
からが
雑誌
ざっし
の
特集
とくしゅう
号
ごう
も
含
ふく
め
一
いち
〇
冊
さつ
と、
増
ふ
えてはいる。
本書
ほんしょ
ではこの
他
ほか
、
家畜
かちく
化
か
(と
自己
じこ
家畜
かちく
化
か
)についての
書籍
しょせき
を
第
だい
2
章
しょう
註9(
一
いち
三
さん
一
いち
頁
ぺーじ
)に、
肉食
にくしょく
の
歴史
れきし
についての
書籍
しょせき
を
第
だい
2
章
しょう
註13(
一
いち
三
さん
四
よん
頁
ぺーじ
)に、
鯨
くじら
・
捕鯨
ほげい
、
鯨
くじら
・イルカを
捕
と
ることに
対
たい
する
反対
はんたい
とその
批判
ひはん
についての
書籍
しょせき
を
第
だい
2
章
しょう
註14(
一
いち
三
さん
四
よん
頁
ぺーじ
)に、
人
ひと
を
食
た
べること・カニバリズムについての
書籍
しょせき
を
第
だい
2
章
しょう
註21・22(
一
いち
四
よん
〇
頁
ぺーじ
)にいくつかあげた。また、
第
だい
2
章
しょう
註1(
一
いち
二
に
六
ろく
頁
ぺーじ
)で、いまあげた
本
ほん
のいくつかについて
言及
げんきゅう
し、「
生物
せいぶつ
多様
たよう
性
せい
」についての
本
ほん
をあげている。このたび
井上
いのうえ
[2022]を
刊行
かんこう
した
井上
いのうえ
太一
たいち
は、Nibert[2013=2016]、Francione[2000=2018]、Wadiwel[2015=2019]、Hawthorne[2016=2019]、Reese[2018=2021]、Regan[2003=2022]の
訳者
やくしゃ
でもあり、このかんの
言論
げんろん
の
普及
ふきゅう
に
貢献
こうけん
している。『
現代
げんだい
思想
しそう
』の
特集
とくしゅう
号
ごう
では、
本書
ほんしょ
でいくつか
文章
ぶんしょう
を
引用
いんよう
する
伊勢田
いせだ
と
対談
たいだん
をしている(
伊勢田
いせだ
・
井上
いのうえ
[2022])。その
前年
ぜんねん
の『
法
ほう
の
理論
りろん
』の
特集
とくしゅう
に
収録
しゅうろく
されている
特集
とくしゅう
関連
かんれん
の
論文
ろんぶん
は
三
さん
本
ほん
。「
動物
どうぶつ
権利
けんり
論
ろん
と
捕食
ほしょく
の
問題
もんだい
」(
浅野
あさの
幸治
こうじ
[2021b])、「
動物
どうぶつ
権利
けんり
論
ろん
の
拡張
かくちょう
可能
かのう
性
せい
について――
新
あら
たな
権利
けんり
概念
がいねん
の
措定
そてい
と
関係
かんけい
アプローチの
導入
どうにゅう
」(
鬼頭
おにがしら
葉子
ようこ
[2021])、「
動物
どうぶつ
倫理
りんり
の
議論
ぎろん
と
道徳
どうとく
的
てき
地位
ちい
の
概念
がいねん
」(
久保田
くぼた
さゆり[2021])。『
現代
げんだい
思想
しそう
』の
特集
とくしゅう
にはもっとずっと
多
おお
い
数
かず
の
文章
ぶんしょう
が
収録
しゅうろく
されている。Joy[2010=2022]の
出版
しゅっぱん
に
合
あ
わせてということもあったのかもしれない。その
本
ほん
についての
言及
げんきゅう
も
多
おお
い。それはそれらにまかせて、
本書
ほんしょ
では、いくつかの
文章
ぶんしょう
から
短
みじか
い
引用
いんよう
をするにとどめている。
書籍
しょせき
についても、
本書
ほんしょ
では、いくつかから
引用
いんよう
を
行
おこ
なったりはするが、
著作
ちょさく
の
全体
ぜんたい
を
検討
けんとう
したりすることはしない。できない。
書
か
かれていることの
一
ひと
つひとつの
多
おお
くはもっともなことであり、
現実
げんじつ
を
変
か
えようとする
人
ひと
たちは、それらを
合計
ごうけい
した
全体
ぜんたい
で
例
たと
えば「ヴィーガン」を
肯定
こうてい
しようとする。
大
おお
きな
異議
いぎ
を
申
もう
し
立
た
てようという
主張
しゅちょう
にありがちなことだが、ある
部分
ぶぶん
に
対
たい
してなにかを
言
い
うと、それには
直接
ちょくせつ
に
応
こた
えず、
別
べつ
のことを
言
い
って
返
かえ
すといった
具合
ぐあい
に
主張
しゅちょう
がなされる。だから、
全体
ぜんたい
を
捉
とら
え、きちんと
相手
あいて
しなければならなくなるのだが、それはなかなかたいへんだ。ずっと
以前
いぜん
、
上野
うえの
千鶴子
ちづこ
の
論
ろん
におかしなところが(たくさん)あると
思
おも
い、
書
か
かねばと
思
おも
って
書
か
いていったら、
旧式
きゅうしき
の
計算
けいさん
法
ほう
では400
字
じ
詰
つめ
原稿
げんこう
用紙
ようし
で220
枚
まい
というとても
長
なが
いものになってしまった――「
夫
おっと
は
妻
つま
の
家事
かじ
労働
ろうどう
にいくら
払
はら
うか――
家族
かぞく
/
市場
いちば
/
国家
こっか
の
境界
きょうかい
を
考察
こうさつ
するための
準備
じゅんび
」(
立岩
たていわ
[1994])、『
家族
かぞく
性
せい
分業
ぶんぎょう
論
ろん
前哨
ぜんしょう
』(
立岩
たていわ
・
村上
むらかみ
[2011])に
再
さい
録
ろく
。このたびの
主題
しゅだい
についてそれだけの
手間
てま
をかける
余裕
よゆう
はない。
ついでに、この
主題
しゅだい
に
関係
かんけい
して
私
わたし
が
以前
いぜん
に
書
か
いた
文章
ぶんしょう
は、『
看護
かんご
教育
きょういく
』に
連載
れんさい
した「
医療
いりょう
と
社会
しゃかい
ブックガイド」の
第
だい
五
ご
二
に
回
かい
、「『
児童
じどう
虐待
ぎゃくたい
と
動物
どうぶつ
虐待
ぎゃくたい
』」(
立岩
たていわ
[2005c])。
三島
みしま
[2005]を
紹介
しょうかい
した。
三島
みしま
はその
次
つぎ
の
著書
ちょしょ
『
社会
しゃかい
福祉
ふくし
学
がく
の〈
科学
かがく
〉
性
せい
――ソーシャルワーカーは
専門
せんもん
職
しょく
か?』(
三島
みしま
[2007])でもこの
主題
しゅだい
にふれている。
■
紹介
しょうかい
・
言及
げんきゅう
※
強
つよ
い
批判
ひはん
・
非難
ひなん
もけっこうあるようです。
見
み
つけたらそれらも
引用
いんよう
させていただきます。
◆2023/03/03
https://twitter.com/dokuich/status/1616353683670982656
「
立岩
たていわ
真
しん
也『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』(
筑摩書房
ちくましょぼう
)。
本筋
ほんすじ
とは
関係
かんけい
のないところにどんぴしゃ。「
人間
にんげん
とその
社会
しゃかい
ができることはごく
部分
ぶぶん
的
てき
なことだが、この
程度
ていど
のことならできる、なのでやる、と
言
い
うことはできるし、
言
い
うだけでなく
行
おこな
うことができる」(
立岩
たていわ
2022:232)。
自分
じぶん
でも
同
おな
じこと
喋
しゃべ
ってた。」
↓
◇2023/03/20
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1637814801098502144
「
続
つづ
き:「それは
例
たと
えば、
利口
りこう
な
人
ひと
にはいろいろと
働
はたら
いてもらいながら、そうでない
人
ひと
も
損
そん
をしない
社会
しゃかい
である。」『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』(
立岩
たていわ
真
しん
也、
筑摩書房
ちくましょぼう
)→
http://arsvi.com/ts/2022b1.htm
」
◆2023/01/20
https://twitter.com/dokuich/status/1616353683670982656
「
人間
にんげん
は、
自
みずか
らの
死
し
を
意識
いしき
し、
死
し
を
予期
よき
して
恐怖
きょうふ
する。
立岩
たていわ
先生
せんせい
は、
残念
ざんねん
ながら、
人
ひと
はそのような
存在
そんざい
としてあってしまっていると
言
い
います。
死刑
しけい
とは、
死
し
の
予期
よき
を
与
あた
え
続
つづ
けられながら
人
ひと
を
殺
ころ
す
点
てん
で「
特別
とくべつ
な
殺人
さつじん
」であり、
死
し
の
予期
よき
が
与
あた
えられる
恐怖
きょうふ
だけによっても
死刑
しけい
は
否定
ひてい
されると、
立岩
たていわ
先生
せんせい
は
書
か
きます。」
↓
◇2023/03/21
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1637843928513921026
「
第
だい
3
章
しょう
「
世界
せかい
があり
恐怖
きょうふ
するから
慎重
しんちょう
になる」『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』(
立岩
たていわ
真
しん
也,
筑摩書房
ちくましょぼう
)p.161→http://arsvi.com/ts/2022b1.htm p.160 「だから、たんに
死
し
ぬさと・
殺
ころ
されることと、
死
し
の
予期
よき
を
与
あた
え
続
つづ
けながら
殺
ころ
すこととは
異
こと
なる。
中井
なかい
久夫
ひさお
は
次
つぎ
のように
言
い
う。「…」(
中井
なかい
[2004:401])」
◆2023/01/20
https://twitter.com/dokuich/status/1616346728105644032
「【
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う (
単行本
たんこうぼん
)/
立岩
たついわ
真
ま
也】を
読
よ
んだ
本
ほん
に
追加
ついか
→
https://bookmeter.com/books/20456706
#bookmeter」
……
◇2022/11/04
https://amasale.newif.net/ranking/hdetail/5381553
学術
がくじゅつ
文庫
ぶんこ
ランキング 6
位
い
◇2022/11/03
https://twitter.com/necomaru/status/1588078790827134977
◇2022/11/02
https://twitter.com/nekonoizumi/status/1587803463802503169
◇2022/11/02
https://twitter.com/BaddieBeagle/status/1587718088145145856
◇2022/11/01
https://twitter.com/emDA/status/1587722552293863424
>TOP
■
目次
もくじ
序
じょ
……………9
第
だい
1
章
しょう
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う……………………25
1
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
と
称
しょう
する
主張
しゅちょう
……………………26
1
殺生
せっしょう
について……………26
2
α
あるふぁ
:
意識
いしき
・
理性
りせい
……………30
2
批判
ひはん
……………………34
1 それは
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
・
脱
だつ
種
たね
差別
さべつ
的
てき
な
倫理
りんり
ではない……………34
2
非
ひ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
……………37
3 それが
大切
たいせつ
だと
言
い
うがその
理由
りゆう
は
不明
ふめい
である……………39
4
繰
く
り
返
かえ
したうえで
次
つぎ
に
進
すす
む……………42
3なぜまだ……………………46
1
驚
おどろ
いたこと……………46
2
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
的
てき
な
基準
きじゅん
……………54
3
二
ふた
つの
併存
へいそん
……………60
第
だい
2
章
しょう
殺
ころ
すことを
認
みと
めたうえで
人殺
ひとごろ
しを
否定
ひてい
する……………………73
1
殺
ころ
し
食
た
べる……………………74
1
動物
どうぶつ
倫理
りんり
を
動物
どうぶつ
に
拡張
かくちょう
すると……………74
2 0:
殺
ころ
すなとは
言
い
えない……………81
3
人
ひと
だけが、とならない……………85
2それにしても……………………90
1
人
ひと
はずっと
間違
まちが
えてきたと
言
い
える
不思議
ふしぎ
……………90
2
種
たね
主義
しゅぎ
は
人種
じんしゅ
主義
しゅぎ
ではない……………94
3
食
た
べるために
殺
ころ
すのでない
人間
にんげん
は
殺
ころ
してならないことにする……………………98
1
予告
よこく
……………98
2 Ⅰ:
食
た
べるために
殺
ころ
すのでない
人間
にんげん
は
殺
ころ
してならないことにする……………100
4
人
にん
の
特別
とくべつ
扱
あつか
いについて……………………107
1 Ⅱ:
人
ひと
のもとに
生
う
まれ
育
そだ
つ
人
ひと
であることを
受
う
け
止
と
める
人
ひと
……………107
2
私
わたし
たちの
事実
じじつ
だから/だが
私
わたし
たちを
超
こ
えたものとする……………114
3
照合
しょうごう
してみる……………118
4 たしかに
仕方
しかた
のなさの
度合
どあ
いは
連続
れんぞく
的
てき
だが……………123
第
だい
3
章
しょう
世界
せかい
があり
恐怖
きょうふ
するから
慎重
しんちょう
になる……………………149
1
世界
せかい
がある・
恐怖
きょうふ
する……………………150
1 Ⅲ:
世界
せかい
・
内部
ないぶ
……………150
2 だから
絶対
ぜったい
尊重
そんちょう
派
は
ではない……………152
3 Ⅳ:
恐怖
きょうふ
することを
慮
おもんばか
る……………160
4 そのうえで
慎重
しんちょう
になる……………162
5
苦痛
くつう
についての
補足
ほそく
……………165
2そうして
二
ふた
つの
術
じゅつ
に
応
おう
じる……………………169
1
技
わざ
に
応
おう
ずるものでもある……………169
2
既
すで
になされているからよいという
話
はなし
に→
小
こ
さいが
確実
かくじつ
にある
差異
さい
……………170
3
先
さき
まで
行
い
ってなかを
取
と
る、に
対
たい
して……………178
第
だい
4
章
しょう
高
たか
めず、
認
みと
める……………………193
1「
現代
げんだい
思想
しそう
」は
使
つか
えるか……………………194
1
境界
きょうかい
を
揺
ゆ
るがそうという
人々
ひとびと
……………194
2
慣
な
れ
親
した
しんでしまった
図式
ずしき
……………200
3 そんなに
効
き
いているのか……………203
2人
ふたり
間
あいだ
的
てき
なもの……………………205
1
系譜
けいふ
……………205
2
罪
つみ
の
主体
しゅたい
・
行
おこ
ないの
主体
しゅたい
……………207
3
主体
しゅたい
の
遇
ぐう
し
方
かた
……………212
3
人
にん
間
あいだ
を
高
たか
めず
認
みと
める……………………216
1
還
かえ
る
思想
しそう
……………216
2 かけがえのない、
大
たい
したことのない
私
わたし
……………223
3
人
ひと
の
像
ぞう
は
空
から
っぽであってよい……………230
4
私
わたし
たちの
時代
じだい
に……………………234
1 たいして
変
か
わっていない……………234
2
機械
きかい
のこと
技術
ぎじゅつ
のこと……………237
3 せめてヒトは、とする……………238
文献
ぶんけん
……………284
>TOP
■
編集
へんしゅう
者
しゃ
へ
◆20210607
いかがでしょう(
立岩
たていわ
0607
◆20210607
立岩
たていわ
0717
◆20210827
立岩
たていわ
0827
◆20210924
0924
立岩
たていわ
……
◆20211111
1111
立岩
たていわ
:
再開
さいかい
→
終
お
わらせます!
……
■
要約
ようやく
(
草稿
そうこう
)
生
せい
を
奪
うば
ってならない/
奪
うば
ってよいことについて、
言
い
われてきたことを
検討
けんとう
し、
私
わたし
が
考
かんが
えることを
述
の
べる。
◆
第
だい
1
章
しょう
ではピーター・シンガーらの
議論
ぎろん
を
紹介
しょうかい
し、その
主張
しゅちょう
がおかしなものであることを
確認
かくにん
する。その
人
ひと
たちは「
種
たね
差別
さべつ
主義
しゅぎ
」を
批判
ひはん
し、「
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
」を
主張
しゅちょう
すると
言
い
い、ヒト/ヒト
以外
いがい
の
境
さかい
に
特別
とくべつ
の
意味
いみ
がないとする。そうしたうえで、
類人猿
るいじんえん
といったある
種
しゅ
の
動物
どうぶつ
については、
殺
ころ
すべきでないとする。その
理由
りゆう
は、
意識
いしき
・
理性
りせい
があることに
求
もと
められる(
第
だい
1
節
せつ
)。
しかし、まずそれは
脱
だつ
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
・
脱
だつ
種
たね
差別
さべつ
的
てき
な
倫理
りんり
ではない。むしろ
逆
ぎゃく
である。それは、
普通
ふつう
に
考
かんが
えれば、
人間
にんげん
が
思
おも
いつき、
人間
にんげん
が(
特別
とくべつ
に)
遵守
じゅんしゅ
すべき
規範
きはん
だという
意味
いみ
で、
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
である。そして、
生物
せいぶつ
・
動物
どうぶつ
全般
ぜんぱん
の
中
なか
から
殺
ころ
してならないものが
選
えら
ばれるその
理由
りゆう
は、
人間
にんげん
の
多
おお
くが
有
ゆう
している
属性
ぞくせい
を
有
ゆう
していることに
求
もと
められるのだが、それもまた
人間
にんげん
中心
ちゅうしん
主義
しゅぎ
的
てき
である。そしてその
属性
ぞくせい
を
特別
とくべつ
なものとして
選
えら
ぶことの
理由
りゆう
は
不明
ふめい
である。(
第
だい
2
節
せつ
)
次
つぎ
に、このことは、
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
そして
動物
どうぶつ
倫理
りんり
学
がく
とにどのように
関
かか
わるか。
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
は
本人
ほんにん
の
利益
りえき
と
自律
じりつ
を
言
い
うが、それだけでは
二
ふた
つの
優先
ゆうせん
順位
じゅんい
を
指定
してい
しない。
人
ひと
の
性能
せいのう
を
特別
とくべつ
に
見
み
ると
自律
じりつ
が
優先
ゆうせん
され、そしてそれは
人間
にんげん
にとっての
価値
かち
でなく、
人間
にんげん
の
価値
かち
を
言
い
う。この
章
しょう
で
見
み
たものは、
前
まえ
の
世紀
せいき
に
現
あらわ
れた
新
あたら
しい
倫理
りんり
であるのでなく、まったく
古典
こてん
的
てき
な
図式
ずしき
の
中
なか
にあることが
再度
さいど
確認
かくにん
される。
他方
たほう
、
高等
こうとう
な
性能
せいのう
でなく
快
かい
苦
く
等
とう
を
重視
じゅうし
する
方向
ほうこう
に
行
い
くなら
尊重
そんちょう
されるべき
範囲
はんい
は
拡大
かくだい
される。この
場合
ばあい
には
殺生
せっしょう
の
全般
ぜんぱん
が
問題
もんだい
になり、そして
生物
せいぶつ
の
全体
ぜんたい
の
倫理
りんり
とするべきことに、
論理
ろんり
としてはなる。あらゆる
生物
せいぶつ
が
生物
せいぶつ
を
殺
ころ
さない
摂取
せっしゅ
しないなど
事実
じじつ
不可能
ふかのう
であることを
言
い
うことはできるが、できる
限
かぎ
りその
方向
ほうこう
に
行
い
こうと
主張
しゅちょう
することはなお
可能
かのう
である。となると
殺生
せっしょう
の
全般
ぜんぱん
について
規範
きはん
的
てき
にどう
言
い
うかという
問題
もんだい
に
立
た
ち
至
いた
るあるいは
立
た
ち
帰
かえ
ることになる。ここで、
基本
きほん
的
てき
に
殺生
せっしょう
を
悪
あく
であるとはしないという
立場
たちば
を
採
と
ろうと
述
の
べる。すると、そのうえで、
特別
とくべつ
に、
人
ひと
が
人
ひと
を
殺
ころ
すべきでないわけを
言
い
うことは
可能
かのう
か、どのように
可能
かのう
かという
問
と
いが
残
のこ
る。(
第
だい
3
節
せつ
)
◆
第
だい
2
章
しょう
では、
人
ひと
という
集合
しゅうごう
に
属
ぞく
するものたちを
殺
ころ
さないことについて
考
かんが
える。まずそれが
人種
じんしゅ
差別
さべつ
を
正当
せいとう
とすることになるという
主張
しゅちょう
がなされてきたのだがそのように
考
かんが
える
必要
ひつよう
がないことを
述
の
べる。(
第
だい
1
節
せつ
)
次
つぎ
に、とくに
生死
せいし
に
関
かか
わり、
人
ひと
の
人
ひと
への
関
かか
わりから
言
い
おうとする
論
ろん
を
見
み
る。それは
人
ひと
に
内属
ないぞく
するとされる
性質
せいしつ
から
論
ろん
を
立
た
てようという
議論
ぎろん
に
対
たい
し
別
べつ
の
捉
とら
え
方
かた
を
示
しめ
すところで
重要
じゅうよう
だが、「
呼
よ
びかけ」を
基準
きじゅん
におく
主張
しゅちょう
には
無理
むり
があることを
述
の
べる(
第
だい
2
節
せつ
)。
理由
りゆう
は
二
ふた
つあると
述
の
べる。
一
ひと
つには、
人
ひと
から
人
ひと
が
生
う
まれることを
経験
けいけん
し、そのできごとを
人々
ひとびと
が
知
し
っていること、それを
尊重
そんちょう
すべきであると
考
かんが
えられていることによるとする。それは
私
わたし
(たち)における
事実
じじつ
なのだが、それは
私
わたし
(たち)を
超
こ
える
出来事
できごと
として
経験
けいけん
される。(
第
だい
3
節
せつ
)。
もう
一
ひと
つには、
人
ひと
が
人
ひと
を
殺
ころ
す
理由
りゆう
・
事情
じじょう
が
関
かか
わっているとする。
他
た
の
生物
せいぶつ
とは
異
こと
なり、
間違
まちが
った
正
ただ
しさのために、
人
ひと
は
人
ひと
を
殺
ころ
すことができる。そして
実際
じっさい
にたくさん
殺
ころ
してきた。そしてその
間
あいだ
違
ちが
った
正
ただ
しさの
中
なか
には
第
だい
1
章
しょう
で
示
しめ
され
検討
けんとう
した
正
ただ
しさも
含
ふく
まれる。そして、
殺
ころ
すことを
駆動
くどう
する
強
つよ
さも
規模
きぼ
は
特別
とくべつ
である。よって、
殺
ころ
し
続
つづ
けるだろうが、だから、
殺
ころ
してならないとする(
第
だい
4
節
せつ
)。
◆
第
だい
3
章
しょう
では、さらに、
一人
ひとり
ひとりを
殺
ころ
さないその
理由
りゆう
を、そこに
一
ひと
つひとつの
世界
せかい
があるだろうことにあると
述
の
べる(
第
だい
1
節
せつ
)。そして、とくに
死
し
に
際
さい
して、
人
ひと
が
死
し
を
恐怖
きょうふ
する
存在
そんざい
であることが
考慮
こうりょ
されるべきであることを
言
い
う。ここで
私
わたし
たちは
知性
ちせい
を
理由
りゆう
にしているのだから、
第
だい
1
章
しょう
で
検討
けんとう
した
話
はなし
に
近
ちか
づくことにはなる。
私
わたし
(たち)は
生命
せいめい
の
絶対
ぜったい
尊重
そんちょう
派
は
に
属
ぞく
するのではない。ただその
世界
せかい
・
知性
ちせい
は、
生存
せいぞん
を
積極
せっきょく
的
てき
に
肯定
こうてい
するものでなく、いったんとにかく
人
ひと
は
生
い
かす
殺
ころ
さないとしたうえで、
死
し
を
避
さ
けさせようというその
理由
りゆう
となるものである(
第
だい
2
節
せつ
)。「
延命
えんめい
」のための
処置
しょち
の
停止
ていし
と
死
し
のための
積極
せっきょく
的
てき
な
処置
しょち
とは
同
おな
じであるから、どちらも
許容
きょよう
されるという
人
ひと
たちがいた。その
議論
ぎろん
の
前段
ぜんだん
には
認
みと
めてよいところがある。しかしそのことは
両者
りょうしゃ
を
認
みと
めることを
意味
いみ
しない。
確実
かくじつ
に
訪
おとず
れることとその
時
とき
を
知
し
り、そのための
行
おこ
ないを
行
おこ
なうことと、やがて
終
お
わりが
訪
おとず
れることは
知
し
りながら、
確
たし
かなその
時
とき
を
知
し
らずそれまでの
時間
じかん
をやり
過
す
ごすこととの
間
あいだ
には、
差
さ
がある。
第
だい
1
章
しょう
で
意味
いみ
がないとされた
区別
くべつ
に
実
じつ
は
意味
いみ
があることを
示
しめ
す(
第
だい
3
節
せつ
)。
◆
第
だい
4
章
しょう
では、この
境界
きょうかい
の
論
ろん
じ
方
かた
について
考
かんが
える。シンガーとデリダが
一
ひと
つに
括
くく
られ
肯定
こうてい
されるといったことが
不思議
ふしぎ
に
思
おも
われないことの
不思議
ふしぎ
を
言
い
い、「
境界
きょうかい
を
揺
ゆ
るがす」というこの
時代
じだい
に
流行
りゅうこう
した
構
かま
えからはそんなにたいしたことは
言
い
えないことを
言
い
う(
第
だい
1
節
せつ
)。むしろ、
人間
にんげん
の
系譜
けいふ
を
辿
たど
り、
人間
にんげん
が
主体
しゅたい
であることを
批判
ひはん
したその
流
なが
れから
受
う
け
取
と
るものがあることを
述
の
べる。ニーチェを
受
う
け
取
と
った
吉本
よしもと
隆明
たかあき
は
福音
ふくいん
書
しょ
について
書
か
き、そしてときに
同
どう
じ
書
しょ
で
親鸞
しんらん
の
往還
おうかん
の
思想
しそう
について
書
か
いた。そのように、
人
ひと
が
考
かんが
えてしまうことは
仕方
しかた
のないことなのだから、そのことを
思考
しこう
に
繰
く
り
入
い
れながら、
人間
にんげん
を
高
たか
めない
思想
しそう
はありうるし、ある(
第
だい
2
節
せつ
)。そして
人間
にんげん
であることを
仕方
しかた
のないことと
受
う
け
取
と
り、
扱
あつか
いにくいから
仕方
しかた
なくときに
丁寧
ていねい
に
扱
あつか
うべきことを
言
い
う(
第
だい
3
節
せつ
)。そしてそこから、この
社会
しゃかい
のあり
方
かた
について
普通
ふつう
に
言
い
えるだろうことを
幾
いく
つか
確認
かくにん
する(
第
だい
4
節
せつ
)。
>TOP
◆0607 いかがでしょう(
立岩
たていわ
0607
石島
いしじま
様
さま
おはようございます。
本
ほん
の
紹介
しょうかい
など
一覧
いちらん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
このかん
学校
がっこう
の
院生
いんせい
たちとか、
研究所
けんきゅうじょ
の
関係
かんけい
の
書類
しょるい
とかいろいろで
忙
いそが
しくはしていたのですが、
本業
ほんぎょう
?のほう
ちょっと
待
ま
ちくたびれたかんありまして
うかがうしだいです。
メールが
夢
ゆめ
に
出
で
てきましたが、
夢
ゆめ
でした。
けっこういろんなことを
思
おも
いついたので、その
一覧
いちらん
をお
知
し
らせすることも
できます。よろしくお
願
ねが
いいたします。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
>TOP
◆0717
立岩
たていわ
0717
石島
いしじま
様
さま
立岩
たていわ
です。メール
2
ふた
ついただきました。ありがとうございます。
連絡
れんらく
遅
おそ
くなりました。すみません。
いま
博士
はかせ
論文
ろんぶん
の
審査
しんさ
やらなにやらで
忙
いそが
しい
時期
じき
で、いまも
博士
はかせ
論文
ろんぶん
・
博士
はかせ
予備
よび
論文
ろんぶん
構想
こうそう
発表
はっぴょう
会
かい
というところの
会場
かいじょう
でメールやっています。
それでもいろいろ
考
かんが
えていて&
書
か
けるに
書
か
いてはいて(→★)、
間
あいだ
が
空
あ
きました。
以下
いか
のように
考
かんが
えました。
★1)『
唯
ただ
の
生
せい
』
第
だい
1
章
しょう
+ … →ちくま
新書
しんしょ
人間
にんげん
/
非
ひ
人間
にんげん
生
なま
・
死
し
の
境界
きょうかい
についてといった
本
ほん
上記
じょうき
1
章
しょう
の
題
だい
は「
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う」でした。
2)『
良
よ
い
死
し
・
唯
ただ
の
生
せい
』 →
筑摩
ちくま
学芸
がくげい
文庫
ぶんこ
『
唯
ただ
の
生
せい
』
第
だい
1~4
章
しょう
省
はぶ
く
3)
優生
ゆうせい
→ちくま
新書
しんしょ
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm×
4)『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
第
だい
2
版
はん
』→ちくま
学芸
がくげい
文庫
ぶんこ
http://www.arsvi.com/ts/2020b3.htm
3)をさきに
終
お
わらせるつもりだったのですが、どうもいまいち
感
かん
があリました。というか、やはり
優生
ゆうせい
保護
ほご
法
ほう
下
か
での
手術
しゅじゅつ
のこととか、
事実
じじつ
を
書
か
いていくという
本
ほん
ではないのでそこはよいのですが、どのようにみるか、どのように
言
い
うかを
言
い
う
必要
ひつよう
がある。ドイツでの
安楽
あんらく
死
し
作戦
さくせん
のような
強烈
きょうれつ
なものについてどう
書
か
くかということもあります。
★
併行
へいこう
して、2)を
考
かんが
え
出
だ
した
時
とき
に、1)を
考
かんが
えつきました。2
冊
さつ
を1
冊
さつ
にすると
分量
ぶんりょう
が
大
おお
きくなりすぎるをどうしようという
動機
どうき
もありはしたのですが、より
積極
せっきょく
的
てき
な
動機
どうき
・
意図
いと
もあります。たくさんの
話
はなし
を
一
いち
度
ど
にしてもだめだというのは
思
おも
ってきましたし、
大切
たいせつ
な
主題
しゅだい
であり、
長
なが
くない
一
いち
冊
さつ
にするとよいと
思
おも
ったのです。その
作業
さぎょう
をできるときにぼつぼつとやってきて、わりあい
難航
なんこう
してきましたが、ようやくだいたい
道筋
みちすじ
がみえたかなという
感
かん
じです。
現在
げんざい
、
文献
ぶんけん
表
ひょう
いれて42
字
じ
×15
行
ぎょう
で220
頁
ぺーじ
ほどになります。『
介助
かいじょ
の
思想
しそう
』のように
薄
うす
いほど(
安
やす
いほど)よいという
本
ほん
ではないと
思
おも
います。
1)を
出
だ
した
後
のち
に2)という
順序
じゅんじょ
はよいと
思
おも
います。また1)は3)の
基礎
きそ
づけ?という
意味合
いみあ
いもありますので、1の
後
のち
3)というのも
接続
せつぞく
がよいと
思
おも
います。
4)も
進
すす
めます。
岩波書店
いわなみしょてん
に
連絡
れんらく
はしようと
思
おも
っているのですが、まだです。
清水
しみず
愛理
あいり
さんが
担当
たんとう
で、メールアドレスすぐにみつかるかと
思
おも
ったのですが、なぜかなくて、そこで
止
と
まっています。
清水
しみず
さん
何
なん
年
ねん
か(かなり)
前
まえ
には
文庫
ぶんこ
のほうに
移
うつ
られたと
聞
き
いたような
気
き
がします。
岩波書店
いわなみしょてん
の
人
ひと
、10
名
めい
ほどのアドレスがあって、いちばん
近
ちか
くやりとりしたのは、
新書
しんしょ
の
部門
ぶもん
の
編集
へんしゅう
長
ちょう
の
吉田
よしだ
裕
ひろし
さんなんですが、
昨年
さくねん
の
夏
なつ
の
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm#e
のままになっています。
若干
じゃっかん
気
き
まずい
感
かん
はあるのですが、それでも
吉田
よしだ
さんに
聞
き
いてみるか…。この
本
ほん
のもとは『
思想
しそう
』の
連載
れんさい
なのでこの
雑誌
ざっし
を
今
いま
でも
担当
たんとう
している?
押田
おしだ
連
れん
さんに
清水
しみず
さんのアドレスをうかがというのもありか…。でもご
挨拶
あいさつ
ということもあるからやはり
吉田
よしだ
さんか。
5)~6)
素朴
そぼく
唯物
ゆいぶつ
論
ろん
を
支持
しじ
する
話
はなし
~
世界
せかい
は
余
あま
っている
話
はなし
新書
しんしょ
『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』
序章
じょしょう
世界
せかい
の
別
べつ
の
顔
かお
3 この
本
ほん
では
述
の
べないこと
1
分配
ぶんぱい
する
最小
さいしょう
国家
こっか
?
2
不足
ふそく
・
枯渇
こかつ
という
虚言
きょげん
3
生産
せいさん
の
政治
せいじ
の
拒否
きょひ
4
労働
ろうどう
の
分割
ぶんかつ
5
生産
せいさん
・
生産
せいさん
財
ざい
の
分配
ぶんぱい
6
持続
じぞく
させ
拒
こば
んでいるもの
7
国境
こっきょう
が
制約
せいやく
する
8
分配
ぶんぱい
されないものの/ための
分配
ぶんぱい
にあたる
部分
ぶぶん
で、『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』の
第
だい
2
版
はん
にそこを
加
くわ
えるということも
考
かんが
えたのですが、そこを
別
べつ
に
短
みじか
い
本
ほん
にして、4)の
出版
しゅっぱん
と
連動
れんどう
させるという
手
て
もあるかと。
とすると、『
自由
じゆう
の
平等
びょうどう
』
第
だい
2
版
はん
に
何
なに
を
加
くわ
えるか。いくつかありうると
思
おも
っていて、
書
か
きかけがいくらかあります。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
>TOP
◆0827
立岩
たていわ
0827
石島
いしじま
様
さま
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm
にさっき
載
の
せた7
月
がつ
17
日
にち
のメールが
届
とど
いてないんではと
思
おも
ってきたのですが
原稿
げんこう
ができないので、ある
程度
ていど
目処
めど
がつくまではと
思
おも
って、
今日
きょう
になりました。
意外
いがい
にたいへん
手間
てま
かかりましてようやくなんとかなるような
気
き
がしてきました。
今日
きょう
現在
げんざい
のものをお
送
おく
りいたします。
あと10
日
にち
から2
週間
しゅうかん
で
終
お
わらせられると
思
おも
います。
じつはよい
本
ほん
になると
思
おも
っています。
既
すで
に
書
か
いたものを
下書
したが
きに
書
か
いていて
今
いま
でもそういうところは
残
のこ
っていますが、
新
あら
たに
書
か
くよりも
手間
てま
がかかって
いますがそういうことも
必要
ひつよう
なのだろうと
思
おも
っているところです。
cf.
http://www.arsvi.com/ts/2021b4.htm
http://www.arsvi.com/ts/2021b3b.htm
もうすこし、
完成
かんせい
度
ど
を
高
たか
めてからとも
思
おも
いましたが、
今日
きょう
金曜日
きんようび
ですし
これから
私
わたし
4
時
じ
間
あいだ
ほど
研究所
けんきゅうじょ
・
研究
けんきゅう
科
か
関連
かんれん
で
話
はなし
をせねばならず
http://www.arsvi.com/ts/20210827.htm
ということで、いっそいったんお
送
おく
りしてしまいます。
テキストファイルです。40
字
じ
×15
行
ぎょう
でどうぞ。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
>TOP
■0924
立岩
たていわ
石島
いしじま
様
さま
けっこうな、
膨大
ぼうだい
なといってよい
時間
じかん
をかけてやっています。あと1
週間
しゅうかん
あれば
完成
かんせい
すると
思
おも
います。もうすこしできたらと(ずっと)やってきましたが、きりがないので、
労働
ろうどう
日
び
の
労働
ろうどう
が
終
お
わるまでということで
金曜日
きんようび
のこの
時間
じかん
にお
送
おく
りします(このあと
会議
かいぎ
等
とう
)。
40
字
じ
×15
行
ぎょう
で
印刷
いんさつ
してくださいませ。
文献
ぶんけん
表
ひょう
は
http://www.arsvi.com/ts/2021b3b.htm
関連
かんれん
頁
ぺーじ
は
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm
http://www.arsvi.com/ts/2021b4.htm
たくさん
売
う
れるかと
言
い
われるとすこしどうかなとというころはありますが、
重要
じゅうよう
な
本
ほん
になると
思
おも
います。
近
ちか
いところでは
御社
おんしゃ
から
出
で
ている
生田
いくた
さんの
本
ほん
http://www.arsvi.com/b2010/1902it.htm
(
頁
ぺーじ
おかしなところいろいろあります→なおします)
を
読
よ
みました。
全体
ぜんたい
としていろいろ
教
おそ
わることのある、たいへんよい
本
ほん
だと
思
おも
いますが、また
生田
いくた
さんは
重要
じゅうよう
な
活動
かつどう
をされている
方
ほう
としていくらか
存知
ぞんち
あげていますが、
私
わたし
としては30
年
ねん
ほど
前
まえ
に
否定
ひてい
されたと
思
おも
ってきた
論
ろん
がまだ
生
い
きているようでした。すこし
衝撃
しょうげき
的
てき
でした。そして、その
他
た
の
人
ひと
たちの
著作
ちょさく
などをみてもそういうことのようです。なされた(なされきた)まっとうな
批判
ひはん
がとくに
動物
どうぶつ
倫理
りんり
とかを
言
い
う
人
ひと
たちにほぼまったく
気
き
づかれていないようなのです。
そのことについてもっとわかるように
工夫
くふう
しようとは
思
おも
っています。ただ、この
本
ほん
の
主
しゅ
目的
もくてき
はその
第
だい
1
章
しょう
の
話
はなし
であるより
第
だい
2
章
しょう
以降
いこう
と
思
おも
っております。
これから10
年
ねん
ぐらいのあいだに10
冊
さつ
ぐらいは
本
ほん
出
だ
さねばと
思
おも
っています。
格別
かくべつ
急
いそ
がねばならない
事情
じじょう
は
今
いま
のところないのですが、それでも
着々
ちゃくちゃく
とやっていかないとまにあわないと
思
おも
っています。
御社
おんしゃ
で
担当
たんとう
が
無理
むり
ということであれば、
早
はや
めにおっしゃっていただけますとありがたいです。
他
た
を
当
あ
たらねばなりません。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
>TOP
■1013
立岩
たていわ
石島
いしじま
様
さま
メールありがとうございます。
私
わたし
、あいだにいろいろがはさまってしまい
思
おも
うように
仕事
しごと
は
進
すす
みませんでした。
予定
よてい
が
決
き
まれば、
10日
とおか
以内
いない
に、
一気
いっき
に
終
お
わらせられると
思
おも
います。
そういうわけで
完成
かんせい
版
ばん
ではないですが、
添付
てんぷ
します。
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm
http://www.arsvi.com/ts/2021b4.htm
が
関連
かんれん
頁
ぺーじ
になります。
題
だい
は、いったんはこれかなと
思
おも
ったのではありますが、
いまはそうでもないなと
思
おも
っています。
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
とか
動物
どうぶつ
倫理
りんり
学
がく
といった
語
かたり
を
本題
ほんだい
にするつもりはないのですが、
副題
ふくだい
にいれると、
戦術
せんじゅつ
的
てき
によいのではないかと。
何
なん
度
ど
かお
知
し
らせしていますが、『
良
よ
い
死
し
/
唯
ただ
の
生
せい
』
文庫
ぶんこ
版
ばん
と
同時
どうじ
に、という
想定
そうてい
です。『
介助
かいじょ
の
仕事
しごと
』はできるだけ
急
いそ
ぎでということでしたが――この
仕事
しごと
に
関
かか
わる
仕事
しごと
を
始
はじ
めてたりもしています cf.
http://aru.official.jp/index.htm
これについては
特段
とくだん
に
急
いそ
ぐものではないと
思
おも
います。ただ、『
良
よ
い
死
し
』、『
唯
ただ
の
生
せい
』(の
半分
はんぶん
ほどは
削
けず
ったもの)cf.
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm
については、
手
て
をいれるというようなことを
考
かんが
えると、きりがないので、
基本
きほん
そのままでと
考
かんが
えています。
『
介助
かいじょ
の
仕事
しごと
』の
書評
しょひょう
が『
解放
かいほう
社会
しゃかい
学
がく
研究
けんきゅう
』という
雑誌
ざっし
に
2
ふた
つ
載
の
ることになり、
私
わたし
そのリプライというのを
依頼
いらい
され、ちょっと
書
か
きかけもしたのですが、
今日
きょう
は、
今度
こんど
の
本
ほん
の
関係
かんけい
の
仕事
しごと
をしていたので、その
仕事
しごと
はしませんでした。
刊行
かんこう
は
来年
らいねん
だろうと
思
おも
いますが、
出
で
たらお
知
し
らせします。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
>TOP
■1111
立岩
たていわ
:
再開
さいかい
→
終
お
わらせます!
石島
いしじま
様
さま
書類
しょるい
書
が
きやらあって
仕事
しごと
しばらく
手
て
つかず、
今日
きょう
から
再開
さいかい
です。いろいろありますが、まず
直近
ちょっきん
のことに
限
かぎ
っていくつか。
◆1
今度
こんど
の
本
ほん
、
新書
しんしょ
でなく、ということで、
仕上
しあ
げにかかります。どのようにして
作業
さぎょう
を
途
と
切
き
らさず
終
お
えるかということで、
御社
おんしゃ
のサイトでの
連載
れんさい
がよいかなと
思
おも
いました。
数
かぞ
えてみると11の
節
ふし
があります。とすると11
回
かい
か。そこに
毎回
まいかい
すこし、その
原稿
げんこう
そのものとは
違
ちが
うこと、『
介助
かいじょ
の
仕事
しごと
』の
関係
かんけい
とか、
御社
おんしゃ
の
本
ほん
のこととか、を
加
くわ
えるのがよいと
思
おも
います。
周知
しゅうち
~
販売
はんばい
的
てき
にプラスになると
思
おも
います。
本
ほん
の
原稿
げんこう
部分
ぶぶん
は
刊行
かんこう
されたらなくしますが、そうでない
部分
ぶぶん
は
刊行
かんこう
後
ご
も
残
のこ
すという
手
て
もあると
思
おも
います。リンクなど
加
くわ
えることは
私
わたし
わりと
慣
な
れているので、
御社
おんしゃ
のサイトの
連載
れんさい
のページを
模
も
して
作成
さくせい
し、そのままアップしてもらえればよいというものをお
送
おく
りできます。
そして2022
年
ねん
のわりあい
早
はや
い
時期
じき
の
刊行
かんこう
ということで。
◆2
何
なん
度
ど
かお
知
し
らせしていますが、『
良
よ
い
死
し
』をほぼそのまま『
唯
ただ
の
生
せい
』からは
半分
はんぶん
ほどを
削
けず
って1
冊
さつ
にして、
文庫
ぶんこ
という
話
はなし
。そもそも◇1は、その
際
さい
、『
唯
ただ
の
生
せい
』
第
だい
1
章
しょう
を
1
ひと
つの
本
ほん
にということで
始
はじ
まったところもあります。
『
唯
ただ
の
生
せい
』の
歴史
れきし
的
てき
なところ
省
はぶ
くつもりですが、じつは
第
だい
2
章
しょう
・
第
だい
3
章
しょう
は
価値
かち
のあるものだとも
思
おも
っています。
購入
こうにゅう
者
しゃ
に、
御社
おんしゃ
から、
電子
でんし
媒体
ばいたい
で、
無償
むしょう
で、
提供
ていきょう
といったやり
方
かた
があるのか。ネット
上
じょう
に
公開
こうかい
してしまうというのもあるとは
思
おも
いますが。
★この
件
けん
、
出版
しゅっぱん
について、
決定
けってい
したいと
思
おも
います。もともとはこの2
冊
さつ
で
石島
いしじま
さんにお
世話
せわ
になったのでした。とくに『
唯
ただ
の
生
せい
』は
売
う
れなかったと
思
おも
います。すいません。ただよい
本
ほん
ではあったと
思
おも
っています。
…
以上
いじょう
2
件
けん
をこれからいまばん
近
ちか
くに
出
だ
す
本
ほん
として
決
き
めてしまおうと
思
おも
います。
こっちの
都合
つごう
なんですが、そうすると
今
いま
http://www.arsvi.com/ts/2021b3.htm
http://www.arsvi.com/ts/2021b4.htm
にしているもののファイル
名
めい
も
2022b1.htm ◇1の
本
ほん
2022b2.htm ◇1の
本
ほん
の
補註
ほちゅう
2022b3.htm ◇2の
本
ほん
ただ、
2022b1.htm ◇2の
本
ほん
2022b2.htm ◇1の
本
ほん
2022b3.htm ◇1の
本
ほん
の
補註
ほちゅう
というのもありと
思
おも
います。
◇1と◇2、
同時
どうじ
に
発売
はつばい
でもよいと
思
おも
います。
(『
良
よ
い
死
し
』と『
唯
ただ
の
生
せい
』の
間
あいだ
があいてしまったのはうまくなかったように
私
わたし
は
記憶
きおく
しています。)
あといろいろありますが、まずは
上記
じょうき
についてよろしくお
願
ねが
いいたします。
立岩
たていわ
真
しん
也
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
新刊
しんかん
http://www.arsvi.com/ts/2021b1.htm
ある
http://aru.official.jp/index.htm
■
題
だい
の
案
あん
・
命
いのち
の
境
さかい
――
生命
せいめい
倫理
りんり
学
がく
動物
どうぶつ
倫理
りんり
学
がく
に
応
こた
える
・
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず
言
い
う
・
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う
・
殺
ころ
す、ので、せめて
>TOP
◆
本文
ほんぶん
◆
註
◆
文献
ぶんけん
表
ひょう
■
発売
はつばい
記念
きねん
・2
冊
さつ
セットお
送
おく
りします! →
終了
しゅうりょう
『
人命
じんめい
の
特別
とくべつ
を
言
い
わず/
言
い
う』,
筑摩書房
ちくましょぼう
2200+220=2420
『
良
よ
い
死
し
/
唯
ただ
の
生
せい
』
,ちくま
学芸
がくげい
文庫
ぶんこ
1700+170=1870
計
けい
4290
円
えん
を
送料
そうりょう
込
こみ
4000
円
えん
で、
入手
にゅうしゅ
できしだいお
送
おく
りします。
※
先着
せんちゃく
順
じゅん
に001、002、003…と
通
とお
し
番号
ばんごう
を
印字
いんじ
します。
・ご
注文
ちゅうもん
は
TAE01303@nifty.ne.jp
(
立岩
たていわ
)まで。
必
かなら
ず
お
名前
なまえ
・
御
ご
送付
そうふ
先
さき
をお
知
し
らせください
。
・ご
送金
そうきん
は、
本
ほん
到着
とうちゃく
後
ご
1)
郵便
ゆうびん
振替
ふりかえ
口座
こうざ
:
名称
めいしょう
caja,
番号
ばんごう
00530-4-2295。
振替
ふりかえ
用紙
ようし
を
同封
どうふう
しますのでそれを
御
ご
利用
りよう
ください。
2)
新生
しんせい
銀行
ぎんこう
本店
ほんてん
・
普通
ふつう
口座
こうざ
・0658413・
立岩
たていわ
真
しん
也(タテイワ シンヤ)も
御
ご
利用
りよう
できます。
3)
楽天
らくてん
銀行
ぎんこう
(0036)テクノ
支店
してん
(217)
普通
ふつう
1455661 タテイワ シンヤ も
御
ご
利用
りよう
できます。
◆
2018
年
ねん
の2
冊
さつ
セット
20221221:26,146
20221223:27,508
20221226:15,081
……
20230306
良
よ
い
死
し
/4500
部
ぶ
612000→610715
20230306
人命
じんめい
の 3000
部
ぶ
660000→658614
○
買上
かいあ
げ:
1209 10 14960
1222 30+30 102860
20221223
人命
じんめい
の 50 88000+20221223
良
よ
い
死
し
/ 50 68000 =1223 50+50 171600
UP:2021 REV:20210809, 27, 28, 1013 ... 20220603, 22, 1221, 23, 26, 0320, 26, 27, 20230723
◇
立岩
たていわ
真
しん
也
◇
Shin'ya Tateiwa
◇
安楽
あんらく
死
し
尊厳
そんげん
死
し
◇
安楽
あんらく
死
し
尊厳
そんげん
死
し
2020~
◇
生
せい
を
辿
たど
り
道
どう
を
探
さぐ
る――
身体
しんたい
×
社会
しゃかい
アーカイブの
構築
こうちく
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇