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知本茂治
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もと 茂治しげはる

ちもと・しげはる


もと 茂治しげはる 19930528 きゅうかいひがし病棟びょうとうにて――ねたきりおじさんのパソコン日記にっき,メディカ出版しゅっぱん,340p. ISBN-10: 489573269X ISBN-13: 978-4895732697 \1835 [amazon][kinokuniya] ※ als c07 n02

著者ちょしゃ紹介しょうかい

もと茂治しげはる(ちもと・しげはる)
1942ねん 福岡ふくおかけんまれ
1967ねん 鹿児島大学かごしまだいがく工学部こうがくぶ建築けんちく学科がっか卒業そつぎょう
1970ねん     どう   修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう
 以降いこう鹿児島かごしまにていちきゅう建築けんちくとして建築けんちく設計せっけい従事じゅうじ。1979ねんごろ(30だい後半こうはん)より右手みぎてにぎった鉛筆えんぴつブラシを理由りゆうもなくとすようになり、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう(ALS)と診断しんだんされる。その病状びょうじょう進行しんこうし、手足てあし自由じゆうかなくなって1982ねんがつ〜5がつまで鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん入院にゅういんし、一旦いったん退院たいいんするも、発声はっせい経口けいこうでの摂食せっしょく不能ふのうとなり、1983ねん7がつ再度さいど入院にゅういん呼吸こきゅう困難こんなんこして気管きかん切開せっかいしており、食事しょくじはマーゲンチューブからの注入ちゅうにゅうしょく夜間やかん人工じんこう呼吸こきゅう使用しよう全身ぜんしん麻痺まひのねたきり状態じょうたいである。
 1993ねん5がつ鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん退院たいいん在宅ざいたくでの療養りょうよう生活せいかつはいる。つまいちなんいちじょ

ほんさんの戦友せんゆうとして 国立こくりつ療養りょうようしょ中部ちゅうぶ病院びょういん院長いんちょうぜん鹿児島大学かごしまだいがく学長がくちょう) 井形いがた昭弘あきひろ
 pp.3-7
ふたた図面ずめんえがかれるねがって 鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶだいさん内科ないか教授きょうじゅ おさめ光弘みつひろ
 pp.8-12
I ひとつぶのくすり
II 花火はなび
III ゆめ
IV 梅雨つゆ
V 花曇はなぐも
VI さらばきゅうかいひがし病棟びょうとう

 ▽「わたし半分はんぶんくたばったことがあります。そのあさからちょっとばかり呼吸こきゅうがスムーズでなくておかしかったのですが、夕方ゆうがた、ポータブル便器べんきこしかけてきばっているときゅう息苦いきぐるしくなり、すべきものもさずあわててベッドにうつしてもらったものの、呼吸こきゅう困難こんなんはひどくなり、かみさんのまえでチアノーゼによってわたし全身ぜんしん青黒あおぐろくなっていったのだそうです。
 その変色へんしょくぶりをみるべくもなく、わたし意識いしきうしなったのですが、不思議ふしぎなことに(p.168)識をなくす直前ちょくぜんいきのできぬくるしさから開放かいほうされた心地ここちよさがあったようながしています。これは、わたしがくたばるときのリハーサルだったのかもしれないのです。だから、にたいとか、にたくないとかはべつ問題もんだいとして、そのものにたいする恐怖きょうふしんは、いまのところありません。
 さて、青黒あおぐろくなっていくわたしをみて、かみさんはまるでゲーテみたいに「もっと酸素さんそを」とい、そこにとおりかかったしろえん先生せんせいは「こりゃあ、いかん。ソーカンの用意ようい」と大声おおごえさけび、まだかえらずに病棟びょうとうのこっていた先生せんせい看護かんごさんたちはあつまり、かえるために廊下ろうかあるいていたふく婦長ふちょう小山こやまさんはとってかえして処置しょちするための病室びょうしつ準備じゅんびし、婦長ふちょう網屋あみやさんはわたし人工じんこう呼吸こきゅうほどこしたのだそうです。筋書すじがきにかれたように、ほとんど同時どうじおこなわれたらしいこれらのことを、わたしはまったくおぼえていないのです。
 わたしがどれほどの時間じかんうしなっていたかわかりませんが、がついたとき、むかしテレビでやっていた「ベンケーシー」のタイトルバックのシーンのように、廊下ろうか別室べっしつかって移動いどうちゅうでした。小山こやまさんが準備じゅんびした病室びょうしつはいると、梅原うめはら先生せんせいづるくちばしたものをわたしみぎあなかられようとしますがはいりません。以前いぜんからそう(p.169)なのですが、ヘソマガリおとこはなあなまでがっているとみえて、みぎからはマーゲンチューブでさえとおりづらいのです。そこできゅうかいひがしのベンケーシーは、わたしくちをこじあけ、づるくちばしをつっこんだのです。おそらく気管きかんたっするようにくちなかまれたづるくちばしが<ソーカン>というものだったのでしょう。くちなかおさまった<挿管>に、すばやく人工じんこう呼吸こきゅう接続せつぞくされると呼吸こきゅうらくになり、文字通もじどおかえったようながしました。
 ……
 そしてつぎ中川なかがわ先生せんせい梅原うめはら先生せんせいによって気管きかん切開せっかいおこなわれ、いまからかんがえると、これ以後いご病気びょうき進行しんこうまったわけですから、わたしがくたばるときのこのリハーサルは、だい成功せいこうだったとわざるをえません。」(pp.168-170)

 ▽1988ねんがつよんねんはんぶりにおちゃのどとおったとき、いま使つかっているこのパソコンをはじめて使つかったときにおぼえた興奮こうふんおな興奮こうふんおぼえました。それは「生活せいかつひろがる」というかんだったのです。」(p.135)△

 ▽1992ねんがつ「スズムシたちもじっとしてうごかない昼過ひるすぎの一番いちばんあついとき、病室びょうしつ看護かんご赤松あかまつさんが、すずしげなガラスのコップを用意よういし、クーラーのスイッチをり、おぼんだからというへんな、それでもわたしにしてみればうれしい理由りゆうによってビールをませてくれました。点滴てんてきびん空気くうきはりからのぼあわは、たよりなくはかなげですが、コップのなかあわは、にぎやかで元気げんきそうにみえました。コップのビールはガラスの注射ちゅうしゃはりわたしくちなかそそがれ、食堂しょくどうつめたい感触かんしょくつたえながら元気げんきあわ一緒いっしょ胃袋いぶくろはいっていきました。アルコールといえば、注射ちゅうしゃのときのアルコール綿めんしかえんがないわけですから、わずかいち〇〇ccらずでかおになるのがわかりましたし、毎日まいにちぼんであればいいのにともおもいました。」(p.273)△

ほんさんの戦友せんゆうとして 国立こくりつ療養りょうようしょ中部ちゅうぶ病院びょういん院長いんちょうぜん鹿児島大学かごしまだいがく学長がくちょう) 井形いがた昭弘あきひろ
 pp.3-7

 ▽「ほんさんのかかっているすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうもこの難病なんびょうひとつで、現在げんざいなお患者かんじゃさんの期待きたい鋭意えいい究明きゅうめい努力どりょくつづけられ、いまいち解決かいけつという段階だんかいている。」(p.4)△

ふたた図面ずめんえがかれるねがって 鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶだいさん内科ないか教授きょうじゅ おさめ光弘みつひろ
 pp.8-12

 ▽1981ねん当時とうじ、ALSは、病気びょうきはじまってからねん以上いじょう生存せいぞんできるほうはきわめてまれとわれていましたし、わたしたちの経験けいけんでも大半たいはんほうがそのような経過けいかをとっていましたので、ほんさんも常識じょうしきてきにはあとすうねんいのちかんがえられました。(p.9)
 […]
 おもうにあのから、すでにいちねん数カ月すうかげつぎたことになります。」(pp.9-10)△

 「看護かんごさんとコンタクトするただひとつの方法ほうほうであるナースコールがその機能きのううしなうことは、こえないねたきりじんにとっては致命ちめいてきです。ナースコールをして、ナースコールが駄目だめになっていることをらせられないわけです。これまでコールの異常いじょう度々たびたびありましたが、電気でんき設備せつび配線はいせんじょうのトラブルやあしさきひもがナースコールにむすばれていなかったこと、むすばれたひもがほどけてしまったことがその原因げんいんでした。そのために、ネブライザーをかけている最中さいちゅうくるしいおもいをしたり、こころならずも小便しょうべんをもらしてみじめなおもいをしたり、長時間ちょうじかん寝返ねがえりもうてずにこしかたいたおもいをしたり、たんがつまっていきまるかとおもったりもしたものでした。病院びょういんらしはスリリングなアドベンチャーといういちめんももっていて、そんななかでナースコールはまさしく<いのちひも>なのです。」(p.297)

1979ねんごろ  発症はっしょう
1993ねんがつ 在宅ざいたく療養りょうよう移行いこう

◇このほん感想かんそう
 http://www.asahi-net.or.jp/~YD3T-IWMR/impressions/kukaihigashi.html

 
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立岩たていわ『ALS――不動ふどう身体しんたいいきする機械きかいにおける引用いんよう言及げんきゅう

 [37]いちきゅうななきゅうねん発症はっしょうしたもと茂治しげはる鹿児島かごしまけん)が鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん退院たいいん在宅ざいたくでの療養りょうよう生活せいかつはいり、病院びょういんのことをいたほん出版しゅっぱんされたのはいちきゅうきゅうさんねんほん[1993])。
 [171]もと茂治しげはる[37]はいちきゅうななきゅうねんごろ発症はっしょうはちねん入院にゅういんはちさんねんさい入院にゅういん。「▽そのあさからちょっとばかり呼吸こきゅうがスムーズでなくておかしかったのですが、夕方ゆうがた、ポータブル便器べんきこしかけてきばっていると△きゅう息苦いきぐるしくなり▽すべきものもさずあわててベッドにうつしてもらったものの、▽呼吸こきゅう困難こんなんはひどくなり、かみさんのまえでチアノーゼによってわたし全身ぜんしん青黒あおぐろくなっていったのだそうです。/その変色へんしょくぶりをみるべくもなく、わたし意識いしきうしなったのですが、不思議ふしぎなことに(p.168)識をなくす直前ちょくぜんいきのできぬくるしさから開放かいほうされた心地ここちよさがあったようながしています。▽これは、わたしがくたばるときのリハーサルだったのかもしれないのです。だから、にたいとか、にたくないとかはべつ問題もんだいとして、そのものにたいする恐怖きょうふしんは、いまのところありません。/さて、青黒あおぐろくなっていくわたしをみて、かみさんはまるでゲーテみたいに「もっと酸素さんそを」とい、そこにとおりかかったしろえん先生せんせいは「こりゃあ、いかん。ソーカンの用意ようい」と大声おおごえさけび、まだかえらずに病棟びょうとうのこっていた先生せんせい看護かんごさんたちはあつまり、かえるために廊下ろうかあるいていたふく婦長ふちょう小山こやまさんはとってかえして処置しょちするための病室びょうしつ準備じゅんびし、婦長ふちょう網屋あみやさんはわたし人工じんこう呼吸こきゅうほどこしたのだそうです。筋書すじがきにかれたように、ほとんど同時どうじおこなわれたらしいこれらのことを、わたしはまったくおぼえていないのです。△/わたしがどれほどの時間じかんうしなっていたかわかりませんが、がついたとき、むかしテレビでやっていた「ベンケーシー」のタイトルバックのシーンのように、廊下ろうか別室べっしつかって移動いどうちゅうでした。▽小山こやまさんが準備じゅんびした病室びょうしつはいると、梅原うめはら先生せんせいづるくちばしたものをわたしみぎあなかられようとしますがはいりません。以前いぜんからそう(p.169)なのですが、ヘソマガリおとこはなあなまでがっているとみえて、みぎからはマーゲンチューブでさえとおりづらいのです。そこできゅうかいひがしのベンケーシーは、わたしくちをこじあけ、づるくちばしをつっこんだのです。おそらく気管きかんたっするようにくちなかまれたづるくちばしが<ソーカン>というものだったのでしょう。くちなかおさまった<挿管>に、△すばやく人工じんこう呼吸こきゅう接続せつぞくされると呼吸こきゅうらくになり、文字通もじどおかえったようながしました。」(ほん[1993:168-170]、チアノーゼは血液けつえきちゅう酸素さんそ不足ふそくによって皮膚ひふ青黒あおぐろくなること)
 *▽△でかこってある部分ぶぶんは、雑誌ざっしでは省略しょうりゃくしてあります。
 [193]もと茂治しげはるいちきゅうはちさんねん装着そうちゃく。「人工じんこう呼吸こきゅう接続せつぞくされると呼吸こきゅうらくになり、文字通もじどおかえったようながしました。」(ほん[1993:170])[171]におな部分ぶぶん引用いんようした。
 [267]もと茂治しげはる[171]。鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん。「看護かんごさんとコンタクトするただひとつの方法ほうほうであるナースコールがその機能きのううしなうことは、こえないねたきりじんにとっては致命ちめいてきです。ナースコールをして、ナースコールが駄目だめになっていることをらせられないわけです。これまでコールの異常いじょう度々たびたびありましたが、電気でんき設備せつび配線はいせんじょうのトラブルやあしさきひもがナースコールにむすばれていなかったこと、むすばれたひもがほどけてしまったことがその原因げんいんでした。そのために、ネブライザーをかけている最中さいちゅうくるしいおもいをしたり、こころならずも小便しょうべんをもらしてみじめなおもいをしたり、長時間ちょうじかん寝返ねがえりもうてずにこしかたいたおもいをしたり、たんがつまっていきまるかとおもったりもしたものでした。病院びょういんらしはスリリングなアドベンチャーといういちめんももっていて、そんななかでナースコールはまさしく<いのちひも>なのです。」(ほん[1993:297])

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作成さくせい立岩たていわ しん
更新こうしん:20020614,0727,1015,20030208,0412, 20101002

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