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川合亮三
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川合かわい 亮三りょうぞう

かわい・りょうぞう



1929 長野ながのけんせい

◆197503  『筋肉きんにくはどこへった』,かんどう出版しゅっぱん

◆19871005 『しんていばん 筋肉きんにくはどこへった』,しずさんしゃ,201p.,1000 ※
 川合かわい紀久江きくえ 19871005(執筆しっぴつは1986ねんなつ) 「手記しゅきじゅういちねん」,川合かわい[1987:183-201]

 「運動うんどう神経しんけい細胞さいぼう変性へんせいし、筋肉きんにく萎縮いしゅくしていく病気びょうきらしいという……。原因げんいんまった不明ふめい本当ほんとう病名びょうめいは、患者かんじゃみみにははいってこない。しかし、いままで診療しんりょうをしてくれたすうおおくの医師いしいろから、不治ふじやまいさとっている。
 カルテをちらっとながめたとき、すじ萎縮いしゅく×××硬化こうかしょうめた。×××のところがメモ用紙めもようし邪魔じゃまされて、全部ぜんぶめなかった。家庭かてい医学いがくほんには、病状びょうじょう紹介しょうかいされてはいるが、治療ちりょうほうにはふれていない。おそろしい病気びょうきである。」(川合かわい[1987:6])

1973 「新聞しんぶんで、よんじゅうはち年度ねんど難病なんびょう対策たいさくとして、わたしおな病気びょうきめいが、特定とくてい疾患しっかん追加ついかされる記事きじんで、ほっとすると同時どうじに、これから研究けんきゅうはじまるのでは、自分じぶん病気びょうきをなおすには、まにあいそうもないようながしてきた。
 いち世紀せいきまえからあばれまわっている病気びょうきが、厚生省こうせいしょうのいうねんをめどに対策たいさくこうじようとしてみても、おいそれとはその処方しょほうさぐれるとはおもわれない。かりに、ねん治療ちりょうほうつかったとしても、この病気びょうき平均へいきん寿命じゅみょうと、わたし自身じしん病気びょうき進行しんこう速度そくどかんがえてみると、とてもまにないそうにもない。」(川合かわい[1987:154])

1974  「購入こうにゅうしていただいたばかりの人工じんこう呼吸こきゅう(MAI)で、はいすじ訓練くんれんをするようにととうあいだ先生せんせいわれ、おっと毎日まいにち深呼吸しんこきゅうすることにはげみをしたのでした。」(川合かわい紀久江きくえ[1987:186])

1975? 「わたしはいずれけなくなることをっていた。それなりの覚悟かくご出来できていたつもりである。ところが、いざそのときてみると、意思いし相手あいてつたえる手段しゅだんのないことにがついて、うろたえた。つまは、くちびるのかすかなうごきを日常にちじょうようしてくれるが、そのつまにも、すこしこみはいったはなしになるとわかってもらえない[…]
 けなくなって半年はんとしぎたころ、<あ・い・う・え・お>をかみいたものをい、つまがそれをひろえば意思いしつたわることをった。おもっていることが相手あいてつたわり、まえきゅうあかるくなった。」(川合かわい[1987:154]、あきがき 197502)

197508気管きかん切開せっかい川合かわい紀久江きくえ[1987:186])
197606 「じゅういちねんなかばに呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、呼吸こきゅうをつけていただきました。」(川合かわい紀久江きくえ[1987:191])
    活字かつじになっているものでは最初さいしょれい?→人工じんこう呼吸こきゅう
198604 「全体ぜんたい状態じょうたいろくじゅういちねんよんがつごろからそれなりに安定あんていしてきています」(川合かわい紀久江きくえ[1987:199]

 「20ねんまえわたし長野ながのけん佐久さく総合そうごう病院びょういん一人ひとりのALSの患者かんじゃさんが呼吸こきゅう不全ふぜんくなられるのをベッドサイドで看取みとりました。わたし自身じしん呼吸こきゅう補助ほじょをしないほう患者かんじゃさんのためだとしんじて人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくをすすめませんでした。おなじころ、内科ないか病棟びょうとう川合かわい亮三りょうぞうさんが人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくして長期ちょうき療養りょうようされていました。すうねん筋肉きんにくはどこへった』(しずさんしゃかん)という手記しゅきのなかで、川合かわいさんのつまが「[…]もしゆるされるなら、わたししんからこのなが年月としつきがあって本当ほんとうによかったとおもっているのです。それは大変たいへん個人こじんてき主観しゅかんてきなことになりますが、自分じぶんたちの運命うんめいこころゆくまできることができたからであり[…]」とかれていました。
 12年間ねんかん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくして療養りょうようし、「よかった」とおもひとがいるということは、わたしにとっておおきな衝撃しょうげきでした。ALSで呼吸こきゅうをつけて「よかった」とおもひと一人ひとりでもいるということはわたしおおきな勇気ゆうきあたえてくれました。このことは、以来いらいわたしがALS患者かんじゃ在宅ざいたく人工じんこう呼吸こきゅう療法りょうほうながんできたささえになっているようにおもいます。」(近藤こんどう[2002:59]*)
近藤こんどう 清彦きよひこ公立八鹿病院こうりつようかびょういん神経しんけい内科ないか部長ぶちょう) 20020901 「ALS患者かんじゃのケアからまなんだこと」
 難病なんびょう在宅ざいたくケア』08-06(2002-09):56-59
引用いんよう部分ぶぶんはそのままの引用いんようではなかったので原文げんぶんほうえた。22ねんとあった。講演こうえんは2002ねんがつ。20ねんまえは1982ねん 引用いんようした川合かわい[1975]のしんていばんである川合かわい[1987]のなかつま文章ぶんしょう。とするとこの時点じてん川合かわい装着そうちゃくしてやく12年間ねんかん講演こうえん記録きろくしたものなのでさいろく間違まちがいであろうとかんがえた。

 

言及げんきゅう

立岩たていわ『ALS――不動ふどう身体しんたいいきする機械きかいにおける引用いんよう言及げんきゅう

 [101]川合かわい亮三りょうぞう長野ながのけん)はいちきゅうなないちねん症状しょうじょう自覚じかくし、「かる脳軟化症のうなんかしょう」(N病院びょういん)「小脳しょうのう機能きのう不全ふぜんしょう」(T大学だいがく付属ふぞく病院びょういん神経しんけい内科ないか)とわれる。再度さいど大学だいがく付属ふぞく病院びょういんおとずれたときにはそれは否定ひていされ「運動うんどう神経しんけい病気びょうき」だとわれ、K大学だいがく付属ふぞく病院びょういん検査けんさ入院にゅういんし、「運動うんどう神経しんけいおかされてゆくために、筋肉きんにく萎縮いしゅくする結果けっか言語げんご障害しょうがい手足てあし運動うんどう機能きのうがそこなわれるものである」(川合かわい[1987:43])と説明せつめいされる。「本当ほんとう病名びょうめいは、患者かんじゃみみにははいってこない。しかし、いままで診療しんりょうをしてくれたすうおおくの医師いしいろから、不治ふじやまいさとっている。/カルテをちらっとながめたとき、すじ萎縮いしゅく×××硬化こうかしょうめた。×××のところがメモ用紙めもようし邪魔じゃまされて、全部ぜんぶめなかった。」(川合かわい[1987:6])
 [208]なないちねん症状しょうじょう自覚じかくななねん佐久さく総合そうごう病院びょういん長野ながのけん)に入院にゅういんした川合かわい亮三りょうぞう[101]は、ななろくねんろくがつ呼吸こきゅうける。このことは川合かわい[1975]のしんていばん川合かわい[1987]にされた川合かわい紀久江きくえ[1987]にしるされる。装着そうちゃく事情じじょうくわしくかれていないが、「全体ぜんたい状態じょうたいろくじゅういちねんよんがつごろからそれなりに安定あんていしてきています」(川合かわい[1987:199])という時期じきまでの記述きじゅつがある。
 [214]近藤こんどう清彦きよひこ公立八鹿病院こうりつようかびょういん神経しんけい内科ないか部長ぶちょう)がその講演こうえんなかで、さきしるした川合かわい亮三りょうぞう[208]のことをかたっている。「ねんまえわたし長野ながのけん佐久さく総合そうごう病院びょういん一人ひとりのALSの患者かんじゃさんが呼吸こきゅう不全ふぜんくなられるのをベッドサイドで看取みとりました。わたし自身じしん呼吸こきゅう補助ほじょをしないほう患者かんじゃさんのためだとしんじて人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくをすすめませんでした。おなじころ、内科ないか病棟びょうとう川合かわい亮三りょうぞうさんが人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくして長期ちょうき療養りょうようされていました。すうねん筋肉きんにくはどこへった』(しずさんしゃかん)という手記しゅきのなかで、川合かわいさんのつまが「[…]もしゆるされるなら、わたししんからこのなが年月としつきがあって本当ほんとうによかったとおもっているのです。それは大変たいへん個人こじんてき主観しゅかんてきなことになりますが、自分じぶんたちの運命うんめいこころゆくまできることができたからであり[…]」とかれていました。/じゅう年間ねんかん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくして療養りょうようし、「よかった」とおもひとがいるということは、わたしにとっておおきな衝撃しょうげきでした。ALSで呼吸こきゅうをつけて「よかった」とおもひと一人ひとりでもいるということはわたしおおきな勇気ゆうきあたえてくれました。このことは、以来いらいわたしがALS患者かんじゃ在宅ざいたく人工じんこう呼吸こきゅう療法りょうほうながんできたささえになっているようにおもいます。」(近藤こんどう[2002:59])★04
★04 近藤こんどう[2000]の著者ちょしゃ紹介しょうかいによれば、はちねん佐久さく総合そうごう病院びょういん神経しんけい内科ないか医長いちょうはちねんからALSの在宅ざいたく人工じんこう呼吸こきゅう療法りょうほうむ。きゅうねんから公立八鹿病院こうりつようかびょういん神経しんけい内科ないか部長ぶちょう雑誌ざっし掲載けいさいされている講演こうえんろくでは川合かわいについて「ねん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくして」とあったが、さいろく間違まちがいとかんがじゅうとした。また、川合かわい紀久江きくえ[1987]からの引用いんよう一部いちぶちがっていたので原文げんぶんほうえた。
 [298]川合かわい亮三りょうぞう[214]、いちきゅうななねんごろ。「わたしはいずれけなくなることをっていた。それなりの覚悟かくご出来できていたつもりである。ところが、いざそのときてみると、意思いし相手あいてつたえる手段しゅだんのないことにがついて、うろたえた。つまは、くちびるのかすかなうごきを日常にちじょうようしてくれるが、そのつまにも、すこしこみはいったはなしになるとわかってもらえない[…]/けなくなって半年はんとしぎたころ、<あ・い・う・え・お>をかみいたものをい、つまがそれをひろえば意思いしつたわることをった。おもっていることが相手あいてつたわり、まえきゅうあかるくなった。」(川合かわい[1987:154])

立岩たていわ しん也 2018 病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ戦後せんご――なま政治せいじ点描てんびょう青土おうづちしゃ


※おことわり
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作成さくせい立岩たていわ しん
・20020802 更新こうしん:20030107, 09, 10, 0211, 0408, 12, 20180706
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