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谷口 正隆
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谷口
たにぐち
正隆
まさたか
たにぐち・まさたか
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last update: 20211222
■
田中
たなか
恵美子
えみこ
さんによるインタビュー
◆
谷口
たにぐち
正隆
まさたか
i2021a
インタビュー
2021/11/04 き
手
きて
:
田中
たなか
恵美子
えみこ
◆
谷口
たにぐち
正隆
まさたか
i2021b
インタビュー
2021/11/05 き
手
きて
:
田中
たなか
恵美子
えみこ
■
言及
げんきゅう
◆
立岩
たていわ
真
しん
也 2018/12/20
『
病者
びょうしゃ
障害
しょうがい
者
しゃ
の
戦後
せんご
――
生
なま
政治
せいじ
史
し
点描
てんびょう
』
,
青土
おうづち
社
しゃ
,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202
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[kinokuniya]
※
「★08 この
部分
ぶぶん
を
第
だい
4
章
しょう
1
節
せつ
(206
頁
ぺーじ
)とそこに
付
ふ
した註01(267
頁
ぺーじ
)で
繰
く
り
返
かえ
し、それに
関
かか
わる
幾
いく
つかのことを
記
しる
している。そこからわかるのは、たしかに
分
わ
かれていることと、
同時
どうじ
に、
近接
きんせつ
していることである。
神奈川
かながわ
県
けん
の
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
の
人
ひと
たちが
抗議
こうぎ
した
相手
あいて
は、
重症
じゅうしょう
児
じ
の
親
おや
の
会
かい
であり、すくなくともここで
二
ふた
つが
対峙
たいじ
していることを
看過
かんか
するべきでないし、その
意味
いみ
を
考
かんが
えておいた
方
ほう
がよい。このことを、
本章
ほんしょう
でも
第
だい
4
章
しょう
でも
述
の
べている。ただ、
親
おや
の
会
かい
の
側
がわ
の
文章
ぶんしょう
(の
案
あん
)を
書
か
いたのは
小児
しょうに
療育
りょういく
センターで
働
はたら
いていた
谷口
たにぐち
政隆
まさたか
であり、その
人
ひと
と
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
の
人
ひと
たちはその
後
ご
関
かか
わりをもつことになる。そのことを
記
しる
している
臼井
うすい
正樹
まさき
も、
神奈川
かながわ
県
けん
の
公務員
こうむいん
としてその
人
ひと
たちにいろいろと
突
つ
き
上
あ
げを
食
く
うのでもあるが、やはり
関
かか
わりをもち
親
した
しくなっていく。さらに
谷口
たにぐち
が
働
はたら
いていた
小児
しょうに
療育
りょういく
センターの
設立
せつりつ
に
関
かか
わったの△055 は、サリドマイド
事件
じけん
で
原告
げんこく
の
中心
ちゅうしん
にいた
飯田
いいだ
進
すすむ
だった(
著書
ちょしょ
に
飯田
いいだ
[2003])。なんのかの
言
い
っても、
大
おお
きくは、「
福祉
ふくし
」を
進
すす
めていく
側
がわ
にいることにおいて
一致
いっち
はしているという
部分
ぶぶん
はある。
手勢
てぜい
はいつも
少
すく
ないのであり、
違
ちが
いはあっても、
一緒
いっしょ
することがある。しかしそのことは、
二
ふた
つ
以上
いじょう
のものの
間
あいだ
にある
違
ちが
いを
無視
むし
してよいということではない。ところが、こうしたことは、そのできごとの
当時
とうじ
においても、ほぼわかられていない。さらに、なかば
意図
いと
的
てき
に
忘却
ぼうきゃく
されようとする、ふれないようにするといったこともあった。そしてそうした
営為
えいい
(の
不在
ふざい
)の
後
のち
にある
現在
げんざい
では、
差異
さい
も、
差異
さい
とともにあったつながりも、
消
け
し
去
さ
られている。」(
立岩
たていわ
[2018:55-56])
「★01
一
いち
九
きゅう
七
なな
〇
年
ねん
の
脳性
のうせい
マヒの
子
こ
を
殺
ころ
した
親
おや
に
対
たい
する
減刑
げんけい
嘆願
たんがん
運動
うんどう
に
対
たい
する
批判
ひはん
は、まず、「
神奈川
かながわ
県
けん
身心
しんしん
障害
しょうがい
者
しゃ
父母
ちちはは
の
会
かい
連合
れんごう
」が
横浜
よこはま
市長
しちょう
に
出
だ
した
抗議
こうぎ
文
ぶん
に
対
たい
するものだった。
新聞
しんぶん
記事
きじ
やその
抗議
こうぎ
文
ぶん
は「
重症
じゅうしょう
児
じ
対策
たいさく
」を
問題
もんだい
にしており、
殺
ころ
された
子
こ
が
入
い
れなかった
施設
しせつ
は「
重症
じゅうしょう
児
じ
施設
しせつ
」としての「こども
医療
いりょう
センター」であることが
報
ほう
じられている。そのセンターは
今
いま
もあり、「
肢体
したい
不自由
ふじゆう
児
じ
施設
しせつ
」と「
重症
じゅうしょう
心身
しんしん
障害
しょうがい
児
じ
施設
しせつ
」を
含
ふく
んでいる。
この「
父母
ちちはは
の
会
かい
連合
れんごう
」
会
かい
は
県内
けんない
の
各種
かくしゅ
障害
しょうがい
をもつ
親
おや
の
会
かい
の
連合
れんごう
組織
そしき
で、
今
いま
そこのHPをみると、「セクトに
拘
かかわ
らず、
障害
しょうがい
種別
しゅべつ
を
超
こ
えた
障害
しょうがい
児
じ
者
しゃ
の
親
おや
の
会
かい
の
横断
おうだん
的
てき
結合
けつごう
体
たい
」と
記
しる
されている。さらに、この
事件
じけん
に
関
かん
して
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
神奈川
かながわ
県
けん
連合
れんごう
会
かい
が
話
はな
し
合
あ
いをもったのは「
重症
じゅうしょう
身心
しんしん
障害
しょうがい
児
じ
(
者
しゃ
)を
守
まも
る
会
かい
」であり、それは
以前
いぜん
紹介
しょうかい
したように「
争
あらそ
わない」を
方針
ほうしん
とする「
全国
ぜんこく
重症
じゅうしょう
身心
しんしん
障害
しょうがい
児
じ
(
者
しゃ
)を
守
まも
る
会
かい
」(
社会
しゃかい
福祉
ふくし
法人
ほうじん
)の
神奈川
かながわ
県
けん
の
組織
そしき
だろう。こんなことがきっかけになった
運動
うんどう
については、
既
すで
に
冒頭
ぼうとう
に
示
しめ
した
本
ほん
『
生
なま
の
技法
ぎほう
』におおまかには
書
か
いているから
繰
く
り
返
かえ
すことはない。そして、
同
おな
じ
年
ねん
に「
府中
ふちゅう
療育
りょういく
センター
闘争
とうそう
」が
始
はじ
まるのだが、そのセンターの
初代
しょだい
所長
しょちょう
が
白木
しらき
博次
ひろじ
(243
頁
ぺーじ
)であり、その
運動
うんどう
の
中
なか
では
白木
しらき
の
退任
たいにん
が
求
もと
められるといったこともあったようだ。
なお『
神奈川
かながわ
新聞
しんぶん
』に
載
の
ったその
父母
ちちはは
の
会
かい
連合
れんごう
の
抗議
こうぎ
文
ぶん
を
実際
じっさい
に
執筆
しっぴつ
したのは――この
出来事
できごと
をきっかけに
横田
よこた
と
交流
こうりゅう
が
始
はじ
まることにもなった――
谷口
たにぐち
政隆
まさたか
であったという。
谷口
たにぐち
(
後
のち
に
神奈川
かながわ
県立
けんりつ
保健
ほけん
福祉
ふくし
大学
だいがく
教員
きょういん
他
た
)は
当時
とうじ
、
小児
しょうに
療育
りょういく
センター――そこはサリドマイド
事件
じけん
で
原告
げんこく
団
だん
の
中心
ちゅうしん
にいた
飯田
いいだ
進
すすむ
(
著書
ちょしょ
に[2003])が
立
た
ち
上
あ
げた
民間
みんかん
の
療育
りょういく
機関
きかん
だという――に
務
つと
め、ボランティアで
父母
ちちはは
の
会
かい
連盟
れんめい
の
事務
じむ
局長
きょくちょう
をしていた。そして
神奈川
かながわ
の
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
の
人
ひと
たちは
子
こ
ども
療育
りょういく
センターに
押
お
しかけたのと
記
しる
されている(
臼井
うすい
[2016:44-45])。△267
横田
よこた
や、
横田
よこた
と
一緒
いっしょ
に
戦
たたか
った
横塚
よこつか
晃一
こういち
については
幾
いく
度
ど
か
触
ふ
れている。
私
わたし
は
二
に
〇
一
いち
三
さん
年
ねん
に
亡
な
くなった
横田
よこた
と、
二
に
〇〇
二
に
年
ねん
の
七
なな
月
がつ
、
同年
どうねん
一
いち
一
いち
月
がつ
、そして
二
に
〇〇
八
はち
年
ねん
一
いち
月
がつ
と、
三
さん
度
ど
対談
たいだん
あるいはインタビューをさせてもらった。
二
に
度
ど
めのもの(
横田
よこた
・[2002b→2004])は
横田
よこた
の
対談
たいだん
集
しゅう
(
横田
よこた
[2004])に
収録
しゅうろく
されている(ただし
品切
しなぎ
れ→
立岩
たついわ
編
へん
[2016]に
収録
しゅうろく
)が、
横田
よこた
の
生前
せいぜん
、
神奈川
かながわ
県
けん
の
公務員
こうむいん
として、その
後
ご
神奈川
かながわ
県
けん
県立
けんりつ
保健
ほけん
福祉
ふくし
大学
だいがく
の
教員
きょういん
として、
横田
よこた
の
敵手
てきしゅ
でもありまた
友人
ゆうじん
でもあった
臼井
うすい
正樹
まさき
が
企画
きかく
した
本
ほん
が
刊行
かんこう
され(
横田
よこた
・
立岩
たていわ
・
臼井
うすい
[2016])、そこに
一
いち
度目
どめ
と
三
さん
度目
どめ
の
対談
たいだん
(
横田
よこた
・
立岩
たていわ
[2002a→2016][2008→2016])が
収録
しゅうろく
されている。
前段
ぜんだん
の
臼井
うすい
[2016]はその
第
だい
2
章
しょう
「
横田
よこた
弘
ひろし
の
生涯
しょうがい
」。その
本
ほん
の
刊行
かんこう
の
後
のち
、
荒井
あらい
裕樹
ゆうき
・
臼井
うすい
との
鼎談
ていだん
が
行
おこ
なわれ、
記録
きろく
されている(
荒井
あらい
・
立岩
たていわ
・
臼井
うすい
[2016])。
横田
よこた
、
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
について
荒井
あらい
[2017]。」(
立岩
たていわ
[2018:267-268])
*
作成
さくせい
:
岩
いわ
弘泰
ひろやす
UP: 20211222 REV:20211223
◇
生
せい
を
辿
たど
り
道
どう
を
探
さぐ
る――
身体
しんたい
×
社会
しゃかい
アーカイブの
構築
こうちく
◇
WHO
◇
青
あお
い
芝
しば
の
会
かい
TOP
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◇