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高田俊昭
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WHO
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高田
たかだ
俊昭
としあき
たかだ・としあき
・
高田
たかだ
俊昭
としあき
(たかだ・としあき)
・
京都
きょうと
府
ふ
・1951
年生
ねんせい
・198910
家族
かぞく
(
兄
あに
と
妻
つま
)にALSと
告知
こくち
(あと1〜2
年
ねん
の
命
いのち
とのこと)
・199402
呼吸
こきゅう
筋
すじ
の
衰
おとろ
え
顕著
けんちょ
、
風邪
かぜ
による
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
、
緊急
きんきゅう
入院
にゅういん
その
夜
よる
、
意識
いしき
不明
ふめい
、挿管、
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
装着
そうちゃく
、
翌日
よくじつ
、
気管
きかん
切開
せっかい
・199407
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
と
共
とも
に
退院
たいいん
、
在宅
ざいたく
療養
りょうよう
開始
かいし
「
昭和
しょうわ
26
年
ねん
3
月
がつ
、
京都
きょうと
は
醍醐
だいご
の
地
ち
に
生
う
まれる。
府立
ふりつ
高校
こうこう
卒業
そつぎょう
後
ご
、
京都
きょうと
府
ふ
に
奉職
ほうしょく
。
京都府立医科大学
きょうとふりついかだいがく
勤務
きんむ
中
ちゅう
にALSを
発病
はつびょう
、その
後
ご
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
に
陥
おちい
り、
気管
きかん
切開
せっかい
、
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
を
装着
そうちゃく
。
現在
げんざい
は
在宅
ざいたく
にて、あごの
微
かす
かな
動
うご
きを
光
ひかり
センサーでとらえるスイッチを
駆使
くし
し、パソコンに
向
む
かって
文章
ぶんしょう
を
綴
つづ
っている。」(『
無限
むげん
充足
じゅうそく
』より)
◆
高田
たかだ
俊昭
としあき
19990930
『
無限
むげん
充足
じゅうそく
――
高田
たかだ
俊昭
としあき
画
が
文集
ぶんしゅう
』
,ライブストーン,103p. ISBN-10: 4795288720 ISBN-13: 978-4795288720 \2730
[amazon]
/
[kinokuniya]
※ als c07 n02 v03
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tahara/takata.htm
・
作品
さくひん
集
しゅう
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tahara/sakuhin.htm#
高田
たかだ
俊昭
としあき
さん
「この
病気
びょうき
と
出会
であ
ったのは
今
いま
から
六
ろく
年
ねん
前
まえ
、
医学
いがく
書
しょ
にはこう
書
か
かれてありました。
――
数
すう
年
ねん
で
結局
けっきょく
は
死
し
に
至
いた
る。
その
言葉
ことば
が
脳裏
のうり
に
焼
や
きついて
離
はな
れずに、
今
いま
までずっと
引
ひ
きずってきたような
気
き
がします。じっとしていたら
医者
いしゃ
が
治
なお
してくれる
病気
びょうき
ではありません。
自分
じぶん
の
気力
きりょく
で
治
なお
すしかしようがありません。しかし、これほど
頼
たよ
りないものはなく、それでも、わが
内
うち
なる
道
みち
の
治癒
ちゆ
力
りょく
を
信
しん
じて、
幾度
いくど
戦
たたかえ
さを
挑
いど
んだことでしょう。
その
結果
けっか
は
全
ぜん
戦
せん
全敗
ぜんぱい
。
病状
びょうじょう
は
医学
いがく
書
しょ
どおりの
進行
しんこう
過程
かてい
をたどり、
疑
うたが
うことの
容易
たやす
さと
信
しん
じることの
難
むずか
しさを、いやというほど
体験
たいけん
した
六
ろく
年間
ねんかん
でありました。
いかに
生
い
きるかというより、いかに
死
し
ぬるか、その
瞬間
しゅんかん
までいかに
平常
へいじょう
心
しん
を
保
たも
てるかが
大
おお
きな
命題
めいだい
でありました。
やがて、
最
もっと
も
恐
おそ
れていた
呼吸
こきゅう
筋
すじ
も
侵
おか
され、
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
に
陥
おちい
り、
病院
びょういん
へ……。
気
き
がついたときには、
耳元
みみもと
で「シュー・ガチャン、シュー・ガチャン、」という
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
の
音
おと
がしていまた。「
胸
むね
いっぱい
息
いき
ができるって、ああ、なんて
楽
らく
なんだろう」と、あのうるさい
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
の
音
おと
を、なんとも
力強
ちからづよ
く
頼
たの
もし(p.80)く
感
かん
じたものでした。
今
いま
まで、
数
すう
年
ねん
後
ご
の
死
し
を
肯定
こうてい
することを
心
しん
を
砕
くだ
いてきただけに、にわかには
信
しん
じがたいものがありましたが、ドクターやナースの
励
はげ
ましの
声
こえ
、もちろん
妻
つま
の
声
こえ
も
通
とお
して、
神
かみ
の
声
こえ
が
聞
き
こえたような
気
き
がします。
「おまえには、それだけのエネルギーが
与
あた
えてある、もっと
生
い
きろ」
今
いま
までは、
四
よん
十
じゅう
二
に
、
三
さん
歳
さい
で
途切
とぎ
れていたはずの
人生
じんせい
が、この
先
さき
も
細
ほそ
く
長
なが
く
続
つづ
いているような
気
き
がして、その
先
さき
にほの
明
あか
るい
希望
きぼう
の
灯
あか
りが
見
み
えるような
気
き
がしたのです。」(
高田
たかだ
『
無限
むげん
充足
じゅうそく
』pp.80-81)
「とにかく
当初
とうしょ
は、
機械
きかい
がちゃんと
空気
くうき
を
送
おく
り
込
こ
んでくれるかどうか、まるでハリネズミかヤマアラシが
攻撃
こうげき
姿勢
しせい
や
防御
ぼうぎょ
姿勢
しせい
をとるときのように、
全身
ぜんしん
の
神経
しんけい
を
末端
まったん
に
至
いた
るまで
逆立
さかだて
て、その
切
き
っ
先
さき
を
鋭
するど
く
尖
とが
らせて、
異常
いじょう
がないか
察知
さっち
できるようアンテナを
始終
しじゅう
張
は
って、アクリルの
文字
もじ
盤
ばん
で
自分
じぶん
の
意思
いし
を
確実
かくじつ
に
捕
と
らえ
伝
つた
えてくれるであろう
妻
つま
をベッドサイドに
縛
しば
りつけ、テレビやラジオの
人工
じんこう
的
てき
な
音
おと
は
一切
いっさい
受
う
けつけず、ただシュー・ガチャンという
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
の
音
おと
だけが
流
なが
れる
静
しず
かな
病室
びょうしつ
で、じっと
耳
みみ
をそばだて、
神経
しんけい
を
逆立
さかだて
て、
異常
いじょう
を
感
かん
じとろうとしていた。」(
高田
たかだ
『
無限
むげん
充足
じゅうそく
』p.84)
>TOP
◆
出版
しゅっぱん
社
しゃ
のホームページより
http://www.livestone.com/news/news.html
「
高田
たかだ
俊昭
としあき
さんは、
原因
げんいん
も
治療
ちりょう
法
ほう
もわからない
難病
なんびょう
、ALS(
筋
すじ
萎縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
)の
患者
かんじゃ
で
在宅
ざいたく
療養
りょうよう
中
ちゅう
です。
ALSはすべての
運動
うんどう
神経
しんけい
系
けい
の
機能
きのう
が
失
うしな
われ、
食
た
べること、
話
はな
すこと、
呼吸
こきゅう
まで
奪
うば
われるが、
知覚
ちかく
や
意識
いしき
は
正常
せいじょう
に
保
たも
たれるという
苛酷
かこく
な
病気
びょうき
です。
高田
たかだ
さんは
病状
びょうじょう
の
進行
しんこう
と
死
し
の
不安
ふあん
に
耐
た
えながら、
絵
え
を
描
えが
き、
文章
ぶんしょう
を
綴
つづ
ってきました。
昨年
さくねん
の
春
はる
には、
東京
とうきょう
で
催
もよお
された「
呼吸
こきゅう
器
き
をつけたALS
患者
かんじゃ
の
三
さん
人
にん
展
てん
」にも
出展
しゅってん
。
淡
あわ
く
繊細
せんさい
なタッチの
水彩
すいさい
画
が
は、
生
う
まれ
育
そだ
った
醍醐寺
だいごじ
周辺
しゅうへん
と
勤務
きんむ
先
さき
の
鴨川
かもがわ
付近
ふきん
の
風景
ふうけい
が
主
おも
なモチーフになっています。
高田
たかだ
さんは、
日本
にっぽん
ALS
協会
きょうかい
近畿
きんき
ブロックの
会報
かいほう
に
次
つぎ
のような
文章
ぶんしょう
を
寄
よ
せています。 「
医学
いがく
書
しょ
にはこう
書
か
かれてありました。『
数
すう
年
ねん
で
結局
けっきょく
は
死
し
に
至
いた
る』。その
言葉
ことば
が
脳裏
のうり
に
焼
や
き
付
つ
いて
離
はな
れず、いままでずっと
引
ひ
きずってきたような
気
き
がします。いかに
生
い
きるかというよりも、いかに
死
し
ぬるか、その
瞬間
しゅんかん
までいかに
平常
へいじょう
心
しん
を
保
たも
てるかが
大
おお
きな
命題
めいだい
でありました」
そんなとき、むくむくと
頭
あたま
をもたげてきたのが、
絵
え
に
対
たい
する「
小
ちい
さな
情熱
じょうねつ
」でした。 「
描
えが
きたい、むしょうに
描
えが
きたい。だが
結果
けっか
的
てき
に
私
わたし
に
残
のこ
された
絵画
かいが
の
時間
じかん
は
約
やく
一
いち
年
ねん
だった。
特
とく
に
後半
こうはん
は
急速
きゅうそく
に
腕
うで
の
力
ちから
が
衰
おとろ
え、
筆
ふで
もわずか
数
すう
秒
びょう
でポロリと
落
お
ちてしまうほどであった。
それは
私
わたし
の
人生
じんせい
にとって
最後
さいご
に
残
のこ
った、
線香
せんこう
花火
はなび
のように
小
ちい
さいが
激
はげ
しく
燃
も
えてヤナギの
葉
は
をいっぱい
伸
の
ばししぼんでいった、
私
わたし
の
臆病
おくびょう
だった
小
ちい
さな
情熱
じょうねつ
」
ALS
患者
かんじゃ
のなかには、
口
くち
に
筆
ふで
をくわえて
描
えが
く
人
ひと
もいます。しかし、
高田
たかだ
さんの
場合
ばあい
は、
首
くび
の
筋肉
きんにく
が
早
はや
くから
衰
おとろ
えていたためにその
形
かたち
は
無理
むり
でした。
右腕
うわん
をつり
上
あ
げ、
絵筆
えふで
を
指
ゆび
に
結
ゆ
わえて、
可能
かのう
なかぎり
描
えが
き、
憑
つ
かれたように、
約
やく
七
なな
十
じゅう
点
てん
の
絵
え
を
描
えが
きあげました。
絵筆
えふで
を
持
も
てなくなった
高田
たかだ
さんは、
発
はつ
語
ご
障害
しょうがい
も
進
すす
み、
意思
いし
伝達
でんたつ
用
よう
に
工夫
くふう
されたパソコンを
使
つか
うようになりました。コミュニケーション
手段
しゅだん
は、
透明
とうめい
な
文字
もじ
盤
ばん
を
通
とお
して
目
もく
と
目
め
を
合
あ
わせて
五十音
ごじゅうおん
の
文字
もじ
を
選択
せんたく
していくか、
唇
くちびる
などのわずかな
動
うご
きをとらえるセンサーのスイッチを
用
もち
いてパソコン
画面
がめん
に
表示
ひょうじ
するしかありません。
「
体
からだ
は
動
うご
かず、
声
こえ
すら
奪
うば
われた
今
いま
でも、
大樹
たいじゅ
のように
酸素
さんそ
を
放出
ほうしゅつ
し、
時
とき
には
疲
つか
れた
旅人
たびびと
にやすらぎの
木陰
こかげ
を
提供
ていきょう
できるような、そんな
大樹
たいじゅ
になって
妻
つま
や
子供
こども
にメッセージを
送
おく
りたい」」
>TOP
◆2002/04/13〜 「
筋
すじ
委縮
いしゅく
症
しょう
患者
かんじゃ
2
人
にん
が
二人
ふたり
展
てん
パソコンで
風景
ふうけい
画
が
と
短歌
たんか
を
一
ひと
つに あすから
京都
きょうと
府
ふ
八幡
やはた
市
し
で」
『
毎日新聞
まいにちしんぶん
』2002
年
ねん
4
月
がつ
12
日
にち
http://www.mainichi.co.jp/universalon/clipping/200204/102.html
「◇
元
もと
京都
きょうと
府
ふ
職員
しょくいん
の
男性
だんせい
(51)と
八幡
やはた
市
し
の
主婦
しゅふ
(61)
全身
ぜんしん
の
運動
うんどう
機能
きのう
がまひする
筋
すじ
委縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
(ALS)と
闘
たたか
う
患者
かんじゃ
2
人
にん
が、パソコンで
描
えが
いた
風景
ふうけい
画
が
と
短歌
たんか
を
一
ひと
つにした
作品
さくひん
展
てん
「のほほん・のほほんケセラセラ
二
に
人
にん
展
てん
」を9
日
にち
から、
京都
きょうと
府
ふ
八幡
やはた
市
し
の
市
し
生涯
しょうがい
学習
がくしゅう
センターで
開
ひら
く。「
体
からだ
が
動
うご
かなくても、パソコンでいろんなことができることを、
多
おお
くの
難病
なんびょう
患者
かんじゃ
や
障害
しょうがい
者
しゃ
に
知
し
ってほしい」という。
京都
きょうと
市
し
伏見
ふしみ
区
く
に
住
す
む
元
もと
京都
きょうと
府
ふ
職員
しょくいん
、
高田
たかだ
俊昭
としあき
さん(51)がパソコンで
描
えが
いた
絵
え
に、
八幡
やはた
市
し
男山笹谷
おとこやまささたに
の
主婦
しゅふ
、
山下
やました
貴子
たかこ
さん(61)が
短歌
たんか
を
付
つ
ける。2
年間
ねんかん
に
合作
がっさく
した
約
やく
20
点
てん
を
展示
てんじ
する。
山下
やました
さんは97
年
ねん
にALSと
診断
しんだん
された。
首
くび
や
右腕
うわん
が
動
うご
かなくなり、99
年
ねん
には
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
を
付
つ
けた。
精神
せいしん
的
てき
にどん
底
ぞこ
だったそのころ、
高田
たかだ
さんと
知
し
り
合
あ
った。89
年
ねん
にALSと
診断
しんだん
された
高田
たかだ
さんは、
唯一
ゆいいつ
自由
じゆう
になるあごでパソコンのスイッチを
操作
そうさ
し、
絵
え
を
描
えが
き
続
つづ
ける。
感性
かんせい
豊
ゆた
かな
作品
さくひん
に
勇気
ゆうき
づけられた
山下
やました
さんは「
病気
びょうき
と
正面
しょうめん
から
向
む
かい
合
あ
い、ありのままに
生
い
きていこう」と
決意
けつい
し、
右足
みぎあし
の
親指
おやゆび
でパソコンを
操
あやつ
り、
短歌
たんか
を
詠
よ
み
始
はじ
めた。
山下
やました
さんは
短歌
たんか
を
高田
たかだ
さんに
送
おく
った。
高田
たかだ
さんも
山下
やました
さんの
人柄
ひとがら
が
表
あらわ
れた
歌
うた
によって
自分
じぶん
の
絵
え
がよりよくなると
感
かん
じ、
山下
やました
さんに
絵
え
を
送
おく
り
続
つづ
けてきた。
山下
やました
さんの
一番
いちばん
のお
気
き
に
入
い
りは、
蛇
じゃ
の
目傘
めがさ
とげたの
跡
あと
を
真上
まうえ
から
見下
みお
ろした
絵
え
に「
小
ちい
さき
身
み
に
重
おも
たき
蛇
じゃ
の
目
め
肩
かた
にして
雪
ゆき
降
ふ
る
中
なか
を
歩
ある
き
回
まわ
りぬ」の
歌
うた
を
添
そ
えた
作品
さくひん
。「
高田
たかだ
さんの
絵
え
を
見
み
ていると、
自然
しぜん
に
言葉
ことば
がわき、
自由
じゆう
に
感動
かんどう
が
詠
よ
める」と
山下
やました
さんは
話
はな
す。
作品
さくひん
展
てん
は21
日
にち
まで。
入場
にゅうじょう
無料
むりょう
。」
【
江田
えだ
将
すすむ
宏
ひろし
】
[
毎日新聞
まいにちしんぶん
2002
年
ねん
4
月
がつ
12
日
にち
]
◆「
外柔内剛
がいじゅうないごう
の
闘病
とうびょう
者
しゃ
――
高田
たかだ
俊昭
としあき
さん」
豊浦
とようら
保子
やすこ
19960722
『
生命
せいめい
のコミュニケーション――
筋
すじ
萎縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
(ALS)
患者
かんじゃ
の
記録
きろく
』
東方
とうほう
出版
しゅっぱん
,198p.,1262 *
pp.151-
>TOP
■
立岩
たていわ
『ALS――
不動
ふどう
の
身体
しんたい
と
息
いき
する
機械
きかい
』
における
引用
いんよう
・
言及
げんきゅう
[27]
一
いち
九
きゅう
八
はち
八
はち
年
ねん
・「
数
すう
年
ねん
で
結局
けっきょく
は
死
し
に
至
いた
る。」(「
医学
いがく
書
しょ
」、
高田
たかだ
[1999:80])
[47]
一
いち
九
きゅう
八
はち
八
はち
年
ねん
に
症状
しょうじょう
を
自覚
じかく
、
医師
いし
からの
告知
こくち
はなかったが、
医学
いがく
書
しょ
でALSと
知
し
り、そこに「
数
すう
年
ねん
で
結局
けっきょく
は
死
し
に
至
いた
る」と
書
か
かれてあったのを
読
よ
んだ[27]
高田
たかだ
俊昭
としあき
(
京都
きょうと
府
ふ
、
著書
ちょしょ
に
高田
たかだ
[1999]、
他
た
に
豊浦
とようら
[1996:151-159])は、
二
に
〇〇
二
に
年
ねん
にそれから
一
いち
四
よん
年
ねん
になる。
[◆]
高田
たかだ
俊昭
としあき
[47]は
一
いち
九
きゅう
九
きゅう
四
よん
年
ねん
に
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
をつける。「やがて、
最
もっと
も
恐
おそ
れていた
呼吸
こきゅう
筋
すじ
も
侵
おか
され、
呼吸
こきゅう
困難
こんなん
に
陥
おちい
り、
病院
びょういん
へ……。/
気
き
がついたときには、
耳元
みみもと
で「シュー・ガチャン、シュー・ガチャン、」という
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
の
音
おと
がしていまた。「
胸
むね
いっぱい
息
いき
ができるって、ああ、なんて
楽
らく
なんだろう」と、あのうるさい
人工
じんこう
呼吸
こきゅう
器
き
の
音
おと
を、なんとも
力強
ちからづよ
く
頼
たの
もしく
感
かん
じたものでした。」(
高田
たかだ
[1999:80-81])
※おことわり
・このページは、
公開
こうかい
されている
情報
じょうほう
に
基
もと
づいて
作成
さくせい
された、
人
ひと
・
組織
そしき
「について」のページです。その
人
ひと
や
組織
そしき
「が」
作成
さくせい
しているページではありません。
・このページは、
文部
もんぶ
科学
かがく
省
しょう
科学
かがく
研究
けんきゅう
費
ひ
補助
ほじょ
金
きん
を
受
う
けている
研究
けんきゅう
(
基盤
きばん
(C)・
課題
かだい
番号
ばんごう
12610172)のための
資料
しりょう
の
一部
いちぶ
でもあります。
・
作成
さくせい
:
立岩
たていわ
真
しん
也
・
更新
こうしん
:20011207,14,20020708,09,20030106,0210
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