東ドイツ(ひがしどいつ)とは、第二次世界大戦後にソビエト連邦が占領したドイツ地域に樹立されたドイツ民族の労働者と農民の社会主義国家である。
正式名称は「ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik)」。略称はDDR、GDR。
1990年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)に吸収合併される形で統一を果たした。
概要
ドイツ民主共和国(以下DDR)はヨーロッパのほぼ中心に位置し、東はポーランド人民共和国(当時)、南はチェコスロバキア社会主義共和国(当時)、西はドイツ連邦共和国にそれぞれ接していた。なお、北はバルト海である。
国土の中央部には特別政治地域である西ベルリンが存在しており、DDRの国民が立ち入る場合には「ベルリンの壁」として知られるコンクリートの壁をよじ登り、国境警備隊による銃撃をかいくぐって数十メートルの無人地帯を走りぬけ、再び壁をよじ登るというエクストリームスポーツを行わなければならなかった。これは非常に危険なもので、挑戦して死亡した人数は192名を数える。
主要な資源は褐炭であり、1983年当時には世界の年間採掘量の30%にあたる2億7000万トンが採掘されていた。褐炭はDDR国内における主要なエネルギー源でもあり、そのためDDRは深刻な大気汚染被害に悩まされることとなった。
初代国家元首はヴィルヘルム・ピーク。以来ヴァルター・ウルブリヒト、エーリッヒ・ホーネッカーと変わったが、そこから先は誰も覚えていない。え? エゴン・クレンツ? 知らんなあ。[1]
観光名所
DDRが恵まれているものの数少ない一つに観光名所がある。ウンター・デン・リンデン通りやテレビ塔のある東ベルリン、サン・スーシ宮殿やツェツィーリェンホーフ宮のあるポツダム、ルターが教鞭を取った大学を擁するヴィッテンベルク、音楽の都ライプツィヒ、ゲーテが暮らしたワイマール、歌劇場・美術・博物館の町ドレスデン、陶器の郷マイセンなど、統一ドイツ地域の4分の1しか無いとは思えないほど多くの観光名所をDDRは有している。ただしその代わり工業地域は非常に少ない。
日本との関係
日本とDDRは1973年に国交を樹立し、音楽やスポーツなどの文化でもさまざまな交流を行った。
1978年には日本の鹿島建設が東ベルリンの国際貿易センタービルを竣工している。
1981年5月にはDDRのホーネッカー国家評議会議長(当時)が日本を訪問し、日本大学より名誉博士号を贈られている。
シュターツカペレ・ドレスデン、シュターツカペレ・ベルリンなどのオーケストラも国交樹立以降来日し、日本国内で演奏を行った。
また、DDRの国歌「廃墟からの復活」は何故かアリスソフトから発売されたアダルトゲーム「ランス」のBGM「我が栄光」に流用されている。作曲者のハンス・アイスラーも想定外の事態だろう。著作権とかは大丈夫なのか?
著名な東ドイツの人物
(姓アイウエオ順、記事のある人物は太字)
実在の人物
架空の人物
※1 出身はポーランド。
関連動画
関連静画
関連項目
脚注
- *真面目に書くとホーネッカー→クレンツ→マンフレート・ゲルラッハ→ザビーネ・ベルクマン=ポールを経て国家統一に至った。
親記事
子記事
兄弟記事
-
ページ番号: 4537499
-
-
リビジョン番号: 3206557
-