長田秀一郎(おさだ しゅういちろう、1980年5月6日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
1980年生まれの「松坂世代」の一人。慶応大学時代には9者連続奪三振のリーグ記録をマークして注目された。2002年に自由獲得枠で西武ライオンズに入団した。背番号は19。
西武時代
2004年(2年目)には、中継ぎとしてチームの優勝に貢献。この年は被本塁打が少なかったものの、同年の日本シリーズでは中日ドラゴンズの谷繁元信に満塁弾を浴びた。
2005年からは不振に陥り、2007年春キャンプでは、テレビのインタビューにおいて首脳陣から調整充分とのお墨付きをもらったが夏を前に二軍落ちしそのまま昇格なくシーズンを終え、期待を大きく裏切る結果となった。
2008年に結婚を発表。この年から背番号を19から34へ変更したが、2009年シーズン終了まで不調が続く。
2010年、ギリギリの契約条件で尻に火がついたか、シュートなど変化球を鍛え、様々な球種を織り交ぜて打者を翻弄し、一軍での登板機会も増えた。チームは最後の最後で力尽きたが、ファンは「長田で打たれたなら仕方ない」と彼のこの年の健闘ぶりを称えている。
2011年は17試合の登板に留まり、また期待を裏切る結果になったが、2012年は5月の一軍昇格以降シーズン終了まで中継ぎの一翼を担った。特に夏場は絶好調で、ランディ・ウィリアムス・涌井秀章と共に勝利の方程式を確立してライオンズ躍進の陰の立役者となった。
2013年は開幕一軍入りしたが5月になると打たれる場面が増え二軍落ちした。
DeNA時代
2013年7月7日に渡辺直人との交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍。背番号64。西武以上に投手が壊滅的な横浜で中継ぎの救世主となった。
9月18日の対東京ヤクルトスワローズ戦にて2アウトまで抑えるがその後三者連続で四球を出し、満塁でウラディミール・バレンティン勝負となり、フルカウントてまで持ち込むもの三振させるという大劇場をハマスタで見せた。さすが俺t(ry
オフに背番号を56に変更した。
2014年は開幕一軍入りしたが、前半戦は精彩を欠いた。二軍調整後は好投した。
2016年は6試合に留まり、オフに戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを受けたが、獲得に動く球団は現れなかった。
BCリーグ・新潟時代
2017年3月にベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブと契約した。オフに現役を引退した。
引退後
2019年からライオンズアカデミーのコーチを務める。
2021年は西武からの派遣という形で、BCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズの投手コーチに就任。
プレースタイル
スライダーを中心に制球良く様々な変化球を使い分ける技巧派。反面球威はあまりなく、被本塁打が多い。
ネットでは
炎上した際は、長者と呼ばれている。沼者、力者に比べると認知度という点では高くない。
「俺達」構成員の一人ではあるが、かつては二軍で炎上、一軍ではそれなりに抑えることから「逆俺達」と表現されていた。
しかしここ数年は、一軍で抑える事ができず、特に2008年は1試合しか一軍で登板しておらず、悪い意味で構成員では無くなってきていた。大沼幸二が一時(良い意味で)ブレイクしたため、2009年の活躍次第では新たな総帥になるのではないかと一部で噂されていた。
大沼幸二、小野寺力含めた3人の頭文字Oにあわせてオゾン(O3)リレーなどと名づける者がいるが、ネタスレ住人には浸透していない。
顔文字は( ̄⊥ ̄) 慶應義塾大学を卒業している事から一軍で好投すると高学歴をネタに以下のAAが貼られる事がある。
_/L ̄ヽ:::
( ̄⊥ ̄):::
/ 丶 ヽ::
/ ヽ 34 / /::: 高学歴の私にかかればこんなもんですよ
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(_/| \ノ/:::
/ /:::
成績
通算投手成績
記録
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