愛知県名古屋市出身。父親はボイストレーナーの仕事をし、母親が好んで聞いていたザ・ビーチ・ボーイズの曲を、幼い頃から口ずさんでいた事から、幼い頃から音楽に囲まれて育った。中学時代の時にはフォークソング部に所属していた。
大学中退後、タレント・歌手になる事を夢見て上京し、2001年からビーイングが制作する音楽情報番組メッチャE!のナビゲーター「おへそガールズ」の1人としてAIKA名義でタレント活動を行っていた。
その後一旦地元の名古屋に帰ったが、夢である歌手活動を諦めきれず、大阪に行き、本格的なボーカルレッスンを始める[1]。
自分のデモテープがプロデューサーの長戸大幸の目に止まり、GIZA studio及び所属事務所にAdingに所属する事となり、2002年の21歳の時に「db(デシベル)」を結成し当初はソロとして活動を開始。「三枝夕夏 IN db」として『Whenever I think of you』でデビュー[2]。
2003年10月29日にリリースされた6枚目シングル『君と約束した優しいあの場所まで』から、「三枝夕夏 IN db」は4人編成のバンドとして活動を開始。 『ミュージックステーション』、『ポップジャム』、『COUNT DOWN TV』など数多くの音楽番組にも出演。
2005年6月には地元名古屋市の地下街サカエチカのクリスタル広場前にて行われた愛知県警察中警察署の一日警察署長を務め、多くの観衆が集まった。2009年に名古屋から離れ10年、音楽活動だけ集中に続けて7年過ぎた頃、音楽活動から一旦離れ、地元の名古屋に戻って、音楽以外の自分のプライベートな時間を重視したいと思う様になり、メンバーと話し合って9月に解散を決める。
2010年、ファイナルライブツアー前には地元の名古屋を訪れ、デビュー当時からよくお世話になった、FM AICHI、CBCラジオ、東海ラジオなどの地元のラジオ局に訪問し、ラジオ局の関係者に最後のベスト・アルバム『U-ka saegusa IN db Final Best』のCDと手作りのチョコレート菓子をプレゼントして挨拶しに回った。2010年1月のファイナルライブツアーの東名阪ツアーをもって三枝夕夏 IN dbとしての活動を終了[2]。三枝はアーティストを辞めるが、他メンバーは活動を続けると発表した[2][3]。
アーティストを辞めて6年ぶりとなるhills パン工場のライブ「hillsパン工場presents THURSDAY LIVE SPECIAL ROCK NIGHT~車谷な夜~」(2015年9月13日)への出演をブログにて発表したが、ライブ自体が急遽中止となり、出演は見送りとなった。
名古屋出身なので、イントネーションなどで名古屋弁の訛りがライブなどで時々出てしまう事がたまにあるのだと言う。歌手の時、大阪を拠点に活動していたのでバンドメンバーを含め周りは関西の人が多く、イントネーションが分からず、合ってるのか合ってないのか誰にも分からないと答えている[9]。『君の愛に包まれて痛い』の収録曲に『へこんだ気持ち 溶かすキミ』の名古屋弁バージョンがあるが、これはその事をメンバーで話していたら「それが逆に面白いんじゃないの?」という話になって名古屋弁バージョンを出したもので、三枝がいざ名古屋弁バージョンを作ろうとした時、実際、名古屋弁についてよく分からない事も多かったので、名古屋の実家に連絡し、名古屋弁について色々教えてもらい、標準語の歌詞から名古屋弁に直すのが難しかったと言う[10]。
同じ愛知県出身の女優松本美奈子とは東京でタレント活動をし始めた頃からの友人で、演劇のレッスンで悩んでいた時に、松本美奈子の自宅で演技のアドバイスをしてもらった事がある。
同所属事務所の先輩に当たるZARDの坂井泉水とは何度か会った事があり、緊張していた三枝に坂井の方から話しかけてくれたり、三枝がライブの直前にステージに出る瞬間に、坂井が三枝に気を遣って遠くから“頑張って”の合図を送ってくれた事があり、また音楽葬『ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会』にも参列した[11]。
タイトル
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備考
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Strenge Weather
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2000年に公表された渋谷109のタイアップ曲。MFTVの「BOOMs」内で3週に渡りPVのショートサイズと撮影風景が放送され、おヘソGIRLS AIKAとしてのデビューシングル予定楽曲であると紹介されていたが、後の番組ではこの話は一切触れられることなく、発売中止になったものと思われる。
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作詞提供作品
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