豊科 町
とよしなまち | |||||
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2005 | |||||
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20461-7 | |||||
39.11 km2. | |||||
27,818 ( | |||||
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コブシ、ケヤキ、ドウダンツツジ | |||||
アヤメ、シバザクラ、スズラン | |||||
〒390-8205 | |||||
(Internet Archive) | |||||
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ウィキプロジェクト |
地理
隣接 していた自治体
歴史
- 1874
年 (明治 7年 )10月25日 -筑摩 県 安曇 郡 上鳥羽 村 ・下鳥 羽村 ・吉野 村 ・成 相 町村 ・成 相 新田 町村 ・本村 が合併 し豊科 村 となる。鳥羽 ・吉野 ・新田 ・成 相 の頭文字 をとって「とよしな」とした。 - 1876
年 (明治 9年 )8月 21日 -長野 県 の所属 となる。 - 1879
年 (明治 12年 )1月 4日 -郡 区 町村 編制 法 の施行 により、南安曇 郡 の所属 となる。 - 1889
年 (明治 22年 )4月 1日 -町村 制 の施行 により、豊科 村 が単独 で自治体 を形成 。 - 1915
年 (大正 4年 )4月 1日 -豊科 村 が町制 施行 して豊科 町 となる。 - 1947
年 (昭和 22年 )10月13日 -昭和 天皇 が町内 に行幸 (昭和 天皇 の戦後 巡幸 )[1]。 - 1955
年 (昭和 30年 )1月 15日 -南穂高 村 ・高家 村 および東筑摩 郡 上川手 村 の一部 と合併 し、改 めて豊科 町 が発足 。 - 1971
年 (昭和 46年 )5月17日 -都市 計画 法 に基 づく都市 計画 区域 を導入 (合併 後 の2012年 12月20日 に廃止 )。 - 2004
年 (平成 16年 )7月 23日 -穂高 町 ・三郷 村 ・堀金 村 ・東筑摩 郡 明科 町 と法定 合併 協議 会 を設置 。 - 2005
年 (平成 17年 )2月 28日 -長野 県知事 に合併 申請 。 - 2005
年 (平成 17年 )10月1日 -穂高 町 ・堀金 村 ・三郷 村 ・明科 町 と合併 して安曇 野市 が発足 。同日 豊科 町 廃止 。 - 2015
年 (平成 27年 )5月7日 -安曇 野市 役所 本庁 舎 開 庁 に伴 い、豊科 支所 での窓口 事務 が本庁 舎 へと移管 [2]。老朽 化 した豊科 支所 庁舎 は取 り壊 され、近隣 の豊科 公民館 の駐車 場 として整備 される予定 [3]。
友好 都市
国内
海外
経済
地域
健康
教育
廃校 になった学校
豊科 町立 豊科 中学校 (1985年 に豊科 北 中学校 と豊科 南中 学校 に分割 )
交通
鉄道 路線
バス
道路
高速 道路
長野 自動車 道 豊科 インターチェンジ(現 ・安曇 野 インターチェンジ)、梓川 サービスエリア
一般 国道
県道
長野 県 道 57号 豊科 インター堀金 線 長野 県 道 310号 柏矢町 田沢 停車場 線 長野 県 道 441号 穂高 松本 塩尻 自転車 道 線 (あづみ野 やまびこ自転車 道 )長野 県 道 495号 豊科 大天井岳 線
名所 ・旧跡 ・観光 スポット・祭事 ・催事
脚注
- ^
原 武史 『昭和 天皇 御召 列車 全 記録 』新潮社 、2016年 9月 30日 、97頁 。ISBN 978-4-10-320523-4。 - ^ “
本庁 舎 開 庁 に伴 う市民 課 関係 窓口 の変更 ”.安曇 野市 (2015年 10月 29日 ). 2016年 3月 29日 閲覧 。 - ^ “
旧 豊科 支所 跡地 整備 に関 わる市民 説明 会 ”.安曇 野市 (2016年 3月 8日 ). 2016年 3月 29日 閲覧 。