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龍宮りゅうぐう寺てら(りゅうぐうじ)は、福岡ふくおか県けん福岡ふくおか市し博多はかた区く冷泉れいせん町まちにある浄土宗じょうどしゅう鎮西ちんぜい派はの寺院じいん。山号さんごうは冷泉れいせん山さん(れいせんざん)。本尊ほんぞんは聖観音しょうかんのん。
開山かいさんは谷たに阿おもね上人しょうにんと伝つたわるが開基かいき年ねんは不ふ詳しょう[1]。当初とうしょは袖そでの湊みなとの海辺うみべに建立こんりゅうされたが、潮しおが満みちると寺内てらうちまで潮しおに浸つかることから浮御堂どうと称しょうしたという[1]。貞さだ応おう元年がんねん(1222年ねん)に博多はかた津つに人魚にんぎょが出現しゅつげんした際さいにこれを寺内てらうちに埋葬まいそうして寺号じごうを龍宮りゅうぐう寺てらと改あらためた[1]。
山号さんごうの冷泉れいせん山さんは博多はかた津つの異称いしょう「冷泉れいせん津つ」にちなむとされるが[1]、人魚にんぎょの一いち件けんの際さいに朝廷ちょうていの勅使ちょくしを務つとめた冷泉れいせん中納言ちゅうなごんの姓せいに由来ゆらいするものであるとも言いわれる[2]。
文明ぶんめい12年ねん(1480年ねん)、この地ちを治おさめていた大内おおうち政弘まさひろによって博多はかたに招まねかれた連歌れんが師し・宗祇そうぎは当とう寺てらに寄寓きぐうし、ここで連歌れんがの会かいを催もよおした[1]。この際さいに詠よまれた連歌れんがは『博多はかた百ひゃく韻いん』として現在げんざいに伝つたわる[3]。
慶長けいちょう5年ねん(1600年ねん)、本もと誉ほまれ利り覚さとしによって現在地げんざいちに再興さいこうされた[1]。