歴史
信仰
イスラム教の教祖・ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅(ミウラージュ)を体験した場所とされる。クルアーンでは、マディーナ(メディナ)の預言者のモスクに住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。
伝承によると、このときムハンマドは大天使ジブリール(ガブリエル)に伴われエルサレムの神殿上の岩から天馬ブラークに乗って昇天し、神アッラーフの御前に至ったのだという。
この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスク(銀のドーム)が建設され、聖地のひとつと見なされている。
この「聖なる岩」は、アブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台であるともされるため、キリスト教、ユダヤ教も聖地を主張している。支持者は少ないが、岩のドームを現在の場所から取り除いた上でその場にエルサレム神殿を再建しようとする運動すら存在している。
形状
平面は2つの正方形を45度ずらして形成された八角形で、中央円形の内陣を二重の歩廊が取り囲む形式となっており、メッカのカアバを意識したことが指摘されている。
入り口は東西南北の4方向にあり、創建当時から円柱が取り付けられ、ヴォールト天井のポーチを備えていた。入り口を入ってすぐの外側の歩廊は、エンタブラチュアとイオニア式円柱によって支えられる24のアーチを備え、内側の歩廊はドームを支える4本のピアと16のアーチを支えるイオニア式円柱によって内陣部と分離している。
平面の洗練された幾何学性はシリアの初期キリスト教建築にも見られるもので、内装に見られるモザイクなどもやはりキリスト教建築からの影響をうかがうことができる。
ドーム内部のモザイク装飾は11世紀以降に何度か補修を受けているが、創建当時の意匠をほぼそのまま踏襲している。デザインはギリシア、ローマ起源のもので、後のイスラム美術特有のモティーフである幾何学的装飾はまったく見られない。
関連項目
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