(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ウォーレン・ベイティ - Wikipedia

ウォーレン・ベイティWarren Beatty, 本名ほんみょう: Henry Warren Beaty, 1937ねん3月30にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくバージニアしゅうリッチモンド出身しゅっしん映画えいが監督かんとく俳優はいゆう舞台ぶたい俳優はいゆう演出えんしゅつ作家さっか脚本きゃくほんでもあり、ヘンリー・W・ベイティ名前なまえピアニストとしても活躍かつやく映画えいがプロデューサーとしても、数々かずかずのヒットさくおくした。

ウォーレン・ベイティ
Warren Beatty
Warren Beatty
2001ねん
本名ほんみょう Henry Warren Beaty
生年月日せいねんがっぴ (1937-03-30) 1937ねん3月30にち(87さい
出生しゅっしょう アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく バージニアしゅうリッチモンド
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
職業しょくぎょう 俳優はいゆう映画えいがプロデューサー映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん
活動かつどう期間きかん 1961ねん-
活動かつどう内容ないよう 映画えいが舞台ぶたい
配偶はいぐうしゃ アネット・ベニング (1992-)
著名ちょめい家族かぞく シャーリー・マクレーンあね
おも作品さくひん
草原そうげんかがや』(1961ねん
おれたちに明日あしたはない』(1967ねん
ギャンブラー』(1971ねん
シャンプー』(1975ねんけん脚本きゃくほん
天国てんごくからたチャンピオン』(1978ねんけん監督かんとく
レッズ』(1981ねんけん監督かんとく
バグジー』(1991ねん
ブルワース』(1998ねんけん監督かんとく
 
受賞じゅしょう
アカデミーしょう
監督かんとくしょう
1981ねんレッズ
アービング・G・タルバーグしょう
1999ねん
ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい
栄誉えいよきん獅子しししょう
1998ねん
全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
脚本きゃくほんしょう
1975ねんシャンプー
ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
監督かんとくしょう
1981ねん『レッズ』
脚本きゃくほんしょう
1998ねんブルワース
AFIしょう
生涯しょうがい功労賞こうろうしょう
2008ねん
英国えいこくアカデミーしょう
フェローシップしょう
2001ねん
ゴールデングローブしょう
監督かんとくしょう
1981ねん『レッズ』
男優だんゆうしょう(ミュージカル・コメディ部門ぶもん
1978ねん天国てんごくからたチャンピオン
新人しんじん俳優はいゆうしょう
1961ねん草原そうげんかがや
セシル・B・デミルしょう
2006ねん
そのしょう
全米ぜんべい監督かんとく協会きょうかいしょう
長編ちょうへん映画えいが監督かんとくしょう
1981ねんレッズ
備考びこう
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
テンプレートを表示ひょうじ

ながらくウォーレン・ビーティーとばれてきたが、1990ねんディック・トレイシー』が公開こうかいされたときに、本人ほんにんからの要望ようぼう日本にっぽん配給はいきゅう会社かいしゃが、より発音はつおんちかいウォーレン・ベイティとかた変更へんこうした。ただし、ウォーレン・ビーティー時代じだい作品さくひん印象いんしょうつよいため、いまだにビーティーとばれることがおおい。日本語にほんごでは「ビーティ」「ベーティ」とも表記ひょうきされることがあるが、本人ほんにんによるとただしい発音はつおんは「ベイティ」にちかいらしく、つづりにtを1つやしたのもビーティなどとばれることをけるためという[1]

来歴らいれき

編集へんしゅう

名門めいもん芸能げいのう一家いっかそだった。ちち音楽家おんがくかはは舞台ぶたい女優じょゆうであり、あね女優じょゆうシャーリー・マクレーンがいる。幼少ようしょうより演劇えんげきしたしみ、演劇えんげきほかうたおどり、楽器がっきなどをおしえられた。

ベイティはアーリントンのワシントン・リバティー高校こうこう(Washington-Liberty High School)ではアメリカンフットボールのスター選手せんしゅだった。ノースウェスタン大学だいがくかよいシグマカイ(Sigma Chi)のメンバーとなる[2][3]

ニューヨークわたステラ・アドラー師事しじ。その舞台ぶたい俳優はいゆうとしてキャリアをむ。1950年代ねんだいにはテレビにも出演しゅつえんをはじめた。

1959ねんブロードウェイからテレビ、映画えいが本格ほんかくてき進出しんしゅつ。1961ねんの『草原そうげんかがや』で、名家めいかまれそだちながらも奔放ほんぽうきる主人公しゅじんこう闊達かったつえん華々はなばなしいデビューをかざった。やがてかれは、1967ねんの『おれたちに明日あしたはない』(Bonnie and Clyde)でスターの獲得かくとくした[4]。1960年代ねんだい後半こうはん、すでにスターのにあったベイティだが、キャリアのしずみがはげしかったことも事実じじつだった。しかし、実在じつざいした犯罪はんざいしゃボニーとクライドの最期さいごえがいた『おれたちに明日あしたはない』の脚本きゃくほんしんうごかされたベイティはみずか製作せいさく志願しがんアーサー・ペン監督かんとく指名しめいして、みずからは主役しゅやくえんじた。りしも、アメリカン・ニューシネマ・ブームがこった時代じだいにおいて、この作品さくひん世界せかいから賞賛しょうさんびることになり、アカデミーしょうにも多数たすう部門ぶもんでノミネート。興行こうぎょうてきにもだい成功せいこうおさめる。当時とうじ配給はいきゅう会社かいしゃは、興行こうぎょう成績せいせきがらないと予想よそうしていたため、製作せいさく主演しゅえんつとめたベイティに、興行こうぎょう収入しゅうにゅうの40%をギャラとして支払しはらうという破格はかく契約けいやくわしていた。そのため、ベイティは一本いっぽん作品さくひんいち財産ざいさんをきずきあげることに成功せいこうした。

1970年代ねんだいも、鬼才きさいロバート・アルトマン監督かんとくみ、ながものから寒村かんそんまち名士めいしになり、やがて没落ぼつらくする主人公しゅじんこうジョン・マケイブをえが西部せいぶげき大作たいさくギャンブラー』や、社会しゃかい問題もんだいをテーマとした作品さくひんパララックス・ビュー』など、異色いしょく主演しゅえん作品さくひん発表はっぴょうした。一方いっぽうで、脚本きゃくほんねたラブコメディ『シャンプー』や、はつ監督かんとく作品さくひんのファンタジードラマ『天国てんごくからたチャンピオンとう成功せいこうさせるなど、演技えんぎのみにまらぬ多才たさい手腕しゅわん発揮はっき。これら2作品さくひんアカデミーしょうにも複数ふくすう部門ぶもんでノミネートされた。

1981ねんロシア革命かくめい克明こくめい記録きろくした『世界せかいをゆるがしたじゅう日間にちかん』の著者ちょしゃジョン・リード生涯しょうがいえがいた歴史れきし大作たいさくレッズ』で、アカデミー監督かんとくしょう受賞じゅしょう実際じっさいにジョン・リードを在米ざいべい有識者ゆうしきしゃ取材しゅざい、このとき回想かいそうコメントをドキュメンタリーしきげきちゅうみながら、資本しほん主義しゅぎ国家こっかたたかいをいど共産きょうさん主義しゅぎもの立場たちば詳細しょうさい描写びょうしゃ。こうした画期的かっきてき手法しゅほうせたほか、この作品さくひんでは脚本きゃくほん製作せいさくね、みずからもリードになりきった演技えんぎ披露ひろうしている。

かねて1970年代ねんだいより政治せいじてき発言はつげん公式こうしきえたベイティだが、この作品さくひん契機けいき完全かんぜんな「リベラル」(もしくは左派さは)としてひろ認知にんちされてゆくことになる。

ほか1990ねんディック・トレイシー』でのコミックヒーロー、1991ねんの『バグジー』で世界せかい有数ゆうすう歓楽街かんらくがいラスベガスいしずえきずいた実在じつざい人物じんぶつベンジャミン・シーゲルやく、1994ねん名作めいさく同名どうめい作品さくひんのリメイク『めぐり』なども、すべて主演しゅえんつとめながらみずか製作せいさくねた作品さくひんでありヒットさくとなった。

なお、2002ねんにはテレビシリーズ『刑事けいじコロンボ』の新作しんさくでのゲスト犯人はんにんやくとして、翌年よくねんにはクエンティン・タランティーノ監督かんとく異色いしょくアクション映画えいがキル・ビル』への主演しゅえんまりかけていたが結局けっきょくいずれも実現じつげんしなかった。『キル・ビル』は、続編ぞくへんふくかれわりにデビッド・キャラダインがキャスティングされた。

私生活しせいかつ

編集へんしゅう

政治せいじ活動かつどう

編集へんしゅう

作品さくひんでも政治せいじてき社会しゃかいてき思想しそう影響えいきょう反映はんえいされているが、ベイティのひろらしめたのは政治せいじてき活動かつどうである。民主党みんしゅとう支持しじしており、おおやけでもリベラル意識いしきした発言はつげん目立めだ一方いっぽうで、ビル・クリントン大統領だいとうりょう後任こうにん候補こうほめる大統領だいとうりょう選挙せんきょ民主党みんしゅとう候補こうほとして出馬しゅつば模索もさくするなど、話題わだいとなる行動こうどうつねかえした。映画えいがにおいて、そうした合衆国がっしゅうこく政治せいじ情勢じょうせい痛烈つうれつ皮肉ひにくった1998ねん監督かんとく主演しゅえんさく『ブルワース』が、かれ意識いしき物語ものがたっている。カリフォルニアしゅう知事ちじせん民主党みんしゅとう候補こうほとのうわさもあった。

プレイボーイ

編集へんしゅう

映画えいがでのヒットのかげで、かれ女性じょせい遍歴へんれきもまたはなやかさをきわめた。その相手あいてのほとんどが共演きょうえんした女優じょゆうたちであり、デビューさく悲恋ひれんえんじたナタリー・ウッドとプライベートで交際こうさいしたり、『ギャンブラー』で共演きょうえんしたジュリー・クリスティ、『レッズ』で共演きょうえんしたダイアン・キートン[5]らと相次あいついで浮名うきなながしたりするなどのうわさえなかったが、いずれも交際こうさいのみで、婚約こんやくまでにはいたらなかった。ほかにもうわさとなった相手あいてはフランス映画えいがかい有名ゆうめい女優じょゆうであるイザベル・アジャーニからマドンナまで、そうそうたるかおぶれでゴシップの材料ざいりょうにされた(にはレスリー・キャロンキャリー・フィッシャーカトリーヌ・ドヌーヴフェイ・ダナウェイダリル・ハンナメラニー・グリフィスバーバラ・ハーシージョーン・コリンズウルスラ・アンドレスマリア・カラスジャクリーン・ケネディ)。

あねシャーリー・マクレーンは、こうしたベイティの私生活しせいかつたいしていさめる発言はつげんをしたといわれている。これがこうそうしたかか、1992ねん交際こうさいちゅう女優じょゆうアネット・ベニングとのあいだ女児じょじができ、同年どうねん結婚けっこん。2ねんには男児だんじ誕生たんじょう。2ちちとなったのちはスキャンダラスな話題わだい浮上ふじょうしていない。いまでは4にん子供こどもがいる。

おも出演しゅつえん作品さくひん

編集へんしゅう
公開こうかいねん 邦題ほうだい
原題げんだい
役名やくめい 備考びこう
1961 草原そうげんかがや
Splendor in the Grass
バッド・スタンパー
ローマの哀愁あいしゅう
The Roman Spring of Mrs.Stone
パオロ・ディ・レオ
1964 リリス
Lilith
ヴィンセント・ブルース
1965 ミッキー・ワン
Mickey One
ミッキー・ワン
のぞき
Promise Her Anything
ハーレイ・ルメル
1966 カレードマン/大胆だいたん不敵ふてき
Kaleidoscope
バーニー・リンカーン
1967 おれたちに明日あしたはない
Bonnie and Clyde
クライド・バロウ けん製作せいさく
1970 このあいにすべてを
The Only Game in Town
ジョー・グレイディ
1971 バンクジャック
$[Dollars]
ジョー・コリンズ
ギャンブラー
McCabe & Mrs. Miller
ジョン・マッケイブ
1974 パララックス・ビュー
The Parallax View
ジョー・フレイディ
1975 シャンプー
Shampoo
ジョージ けん製作せいさく脚本きゃくほん
おかしなレディ・キラー
The Fortune
ニッキー・ウィルソン
1978 天国てんごくからたチャンピオン
Heaven can Wait
ジョー・ペンドルトン けん監督かんとく製作せいさく脚本きゃくほん
1981 レッズ
Reds
ジョン・リード けん監督かんとく製作せいさく脚本きゃくほんだい54かいアカデミー監督かんとくしょう受賞じゅしょう
1987 イシュタール
Ishtar
ライル・ロジャース けん製作せいさく
1990 ディック・トレイシー
Dick Tracy
ディック・トレイシー けん監督かんとく製作せいさく
1991 バグジー
Bugsy
ベンジャミン・シーゲル けん製作せいさく
イン・ベッド・ウィズ・マドンナ
Truth or Dare
カメオ出演しゅつえん
1994 めぐり
Love Affair
マイク・ギャンブリル けん製作せいさく脚本きゃくほん
1998 ブルワース
Bulworth
ジェイ・ブリントン・ブルワース けん監督かんとく製作せいさく脚本きゃくほん
2002 フォルテ
Town & Country
ポーター
2016 ハリウッド・スキャンダル
Rules Don't Apply
ハワード・ヒューズ けん監督かんとく製作せいさく脚本きゃくほん

関連かんれん人物じんぶつ

編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ Time2005ねん11月6にち記事きじによる。
  2. ^ 英語えいごばんウィキペディア(Warren Beatty)
  3. ^ 英語えいごばんウィキペディア(List of Sigma Chi members)
  4. ^ How Bonnie and Clyde's final scene changed Hollywood”. 2020ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  5. ^ Diane Keaton biography. The New York Times. Retrieved February 21, 2006.

外部がいぶリンク

編集へんしゅう