(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ウーファ (映画会社) - Wikipedia

ウーファ (映画えいが会社かいしゃ)

ウーファから転送てんそう

ウーファ(UFA)は、1917ねんから1945ねんあいだヴァイマル共和きょうわせいしただい世界せかい大戦たいせんなかにかけて隆盛りゅうせいほこったドイツ映画えいが会社かいしゃである。当時とうじ正式せいしき名称めいしょうは Universum Film AG であった。現在げんざいでも UFA GmbH としてポツダムバーベルスベルク地区ちく本社ほんしゃをおき、ベルテルスマングループ傘下さんか番組ばんぐみ制作せいさく会社かいしゃとなっている。

ウーファは1917ねんだいいち世界せかい大戦たいせんのためのプロパガンダ映画えいが公共こうきょう映画えいが制作せいさくする制作せいさく会社かいしゃとしてベルリン設立せつりつされた。政府せいふ命令めいれいであったが、資金しきんドイツ銀行ぎんこうもと重役じゅうやくエミル・ゲオルク・フォン・シュタウス代表だいひょうしたコンソーシアムが拠出きょしゅつした。1925ねんハリウッドパラマウント映画えいがメトロ・ゴールドウィン・メイヤー相手方あいてがたにパルファメト協定きょうていをむすんだ。この協定きょうていは、こくあいだ作品さくひん輸出ゆしゅつみとい、見返みかえりにウーファが1700まんドルをるというものだった。

ヴァイマル時代じだい

編集へんしゅう
 
ベルリンのテンペルホーフドイツばんにあった撮影さつえいスタジオ(1920ねん)

1921ねん民営みんえいされ、毎年まいとし600ほんもの作品さくひんおくすドイツ映画えいがかい代表だいひょうする制作せいさく会社かいしゃとなり、その作品さくひん国際こくさいてきにもたか評価ひょうかるようになってく。活躍かつやくした映画えいが監督かんとくには『ドクトル・マブゼ』(1922)や 「ちからへのみち」(1925)『メトロポリス』(1926)のフリッツ・ラング、『吸血鬼きゅうけつきノスフェラトゥ』(1921)や『最後さいごひとドイツばん』(1925)のF・W・ムルナウ、『なげきの天使てんし』(1930)のジョセフ・フォン・スタンバーグ、『みなみ誘惑ゆうわくドイツばん』(1937)のダグラス・サークなどがいる。

俳優はいゆうでは、エミール・ヤニングスポーラ・ネグリコンラート・ファイトマレーネ・ディートリヒヴェルナー・クラウスリリアン・ハーヴェイヴィリー・フリッチハンス・アルバースヤン・キープラドイツばんマルタ・エゲルトなどがサイレントからトーキー初期しょきにかけて活躍かつやくした。

実験じっけんてき作品さくひん過激かげき作品さくひん制作せいさくする一方いっぽう、ドイツ映画えいが特有とくゆうのジャンルである山岳さんがく映画えいがドイツばん製作せいさく。『モンブランのあらしドイツばん』(1931)のアーノルド・ファンクをはじめ、ハンネス・シュナイダーレニ・リーフェンシュタールなどをしている。

一方いっぽうではトーキー作品さくひんおおつくられ、前述ぜんじゅつの『なげきの天使てんし』(1930)、『制服せいふく処女しょじょ』(1931)などのシリアスな劇映画げきえいが、『ガソリンボーイさん人組にんぐみドイツばん』(1930)、『狂乱きょうらんのモンテカルロドイツばん』(1931)、『会議かいぎおど』(1931)、『三文さんもんオペラ』(1931)『ワルツ合戦かっせんドイツばん』(1933)などのシネオペレッタばれる音楽おんがく映画えいが相次あいついで製作せいさくされ、レベルのたか作品さくひんたのしい主題歌しゅだいか世界中せかいじゅうでヒットした。

1920年代ねんだい後半こうはんには財政難ざいせいなんおちいり、1927ねん実業じつぎょうアルフレート・フーゲンベルクによって買収ばいしゅうされた。フーゲンベルクはのち右翼うよくドイツ国家こっか人民じんみんとう党首とうしゅとなり、とうプロパガンダとしても映画えいが利用りようした。

ナチス時代じだい

編集へんしゅう
 
ウーファを視察しさつするヒトラーゲッベルス

1933ねん選挙せんきょえらばれたヒトラー政権せいけんると、国家こっか人民じんみんとうナチス連立れんりつみフーゲンベルクはヒトラー内閣ないかく経済けいざいしょう農相のうしょうとなった。このような経緯けいいによって、ウーファはナチスのプロパガンダ映画えいが製作せいさくするようになる。また、「ウーファ・パラスト」(ウーファ宮殿きゅうでん)とばれた豪奢ごうしゃ映画えいがかんも、大都市だいとし建設けんせつされた(ベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォーなど)。

さらに1937ねんにはナチとうがウーファのかぶを72%取得しゅとく宣伝せんでん大臣だいじんヨーゼフ・ゲッベルスは、映画えいがちから重要じゅうようしウーファの人事じんじけん経営けいえいけん介入かいにゅう、1942ねんには完全かんぜん国有こくゆうされる。このあいだフリッツ・ラングエルンスト・ルビッチビリー・ワイルダーやマレーネ・ディートリヒなどのユダヤけいはんナチスの映画えいが関係かんけいしゃ海外かいがい亡命ぼうめいしている。

ナチス政権せいけんしたでは、『突撃とつげき隊員たいいんブラントドイツばん』、『ヒトラー少年しょうねんクヴェックスドイツばん』、『ユダヤじんジュース』、『ロスチャイルド』などのプロパガンダ映画えいががつくられる一方いっぽう、『ちかいひの休暇きゅうかドイツばん』、『ほら男爵だんしゃく冒険ぼうけん』などの良作りょうさく製作せいさくされた。映画えいがじんも、エミール・ヤニングスヴェルナー・クラウスツァラー・レアンダーなどのスターがのこったが、かつてのこうレベルの映画えいがつくいきおいはなかった。 1939ねん9月のだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ映画えいが活動かつどうつづけられ、戦意せんい高揚こうようおも目的もくてき多数たすう作品さくひん製作せいさくされた。1945ねん1がつソ連それんぐん砲火ほうかせまなか、ゲッベルスのきもいりで制作せいさくされた最後さいご大作たいさくコルベルク』が封切ふうぎられたが、もはや国内こくない映画えいがどころではなかった。5月にドイツが降伏ごうぶくして以降いこう、『コルベルク』の上映じょうえい禁止きんしされた。

だい大戦たいせんにはナチスとの関連かんれん要因よういんで、活動かつどう停止ていしする。政治せいじにまったく関係かんけいのない映画えいが作品さくひんであっても、ウーファの名前なまえけずって再発さいはつするという事態じたいにまでなる。ひがしドイツにあったスタジオは「Deutsche Film AG」(de:DEFA) として存続そんぞくしたが、ドイツさい統一とういつ1990ねん倒産とうさん西側にしがわでもウーファを復興ふっこうさせようといううごきがあったが、失敗しっぱいわった。会社かいしゃ自体じたい1991ねん以来いらいベルテルスマングループ傘下さんかテレビ番組ばんぐみ制作せいさく会社かいしゃとしてのこっている。

関連かんれん文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • クラウス・クライマイアーちょ平田ひらた達治たつじ宮本みやもと春美はるみ山本やまもと佳樹よしきはらかつ飯田いいだ道子みちこ須藤すとう直子なおこ中川なかがわ慎二しんじやく『ウーファ物語ものがたり ある映画えいがコンツェルンの歴史れきし』(とりかげしゃ・ロゴス企画きかく、2005ねん

外部がいぶリンク

編集へんしゅう