クルク島とう(クルクとう、Krk、イタリア語ご:Veglia、ドイツ語ご:Vegl、ラテン語らてんご:Curicta)は、クロアチアのアドリア海あどりあかい北きたに浮うかぶ島しま。行政ぎょうせい上じょうはプリモリェ=ゴルスキ・コタル郡ぐんに属ぞくしている。人口じんこう16,402(2001年ねん)。最大さいだいの町まちは、人口じんこう5,491人にん(2001年度ねんど)を抱かかえるクルク。その他たにも町村ちょうそんがある。
クロアチア本土ほんどとは1980年ねんに掛かけられた長ながさ1,430mの橋はしを通つうじて結むすばれており、南みなみドイツや東欧とうおうから観光かんこう客きゃくが訪おとずれている。
島しまには紀元前きげんぜん10世紀せいきから人ひとが定住ていじゅうしている。古代こだいローマ人ひとは島しまをクリクタ(Curicta)と呼よんでいた。ローマ内乱ないらん時代じだい、クリクタの湾わんでユリウス・カエサル対たいポンペイウスの艦船かんせんが海戦かいせんを繰くり広ひろげた。1000年ねん以上いじょう、島しまはダルマチア語ごの方言ほうげんヴェグリオットの中心ちゅうしん地ちであった。島しまは伝統でんとう的てきにクロアチア文化ぶんかの中心ちゅうしんであった。グラゴル文字もじで多様たような文学ぶんがく作品さくひんが創つくられ、その一部いちぶは島しまに保存ほぞんされている。クルクには中世ちゅうせいの司教しきょう座ざがあり、重要じゅうような貴族きぞくフランコパン家か(英語えいご版ばん)に支配しはいされた。
クルクは中世ちゅうせいからヴェネツィア共和きょうわ国こくの支配しはい下かにあり、1797年ねんのカンポ・フォルミオ条約じょうやく以後いごはイストリアとともにオーストリア帝国ていこく領りょうとなった。第だい一いち次じ世界せかい大戦たいせん後ご、島しまはイタリアに併合へいごうされ、第だい二に次じ世界せかい大戦たいせん後のちにユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわ国こくの一部いちぶとなった。
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