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クルク島 - Wikipedia

クルクとう(クルクとう、Krk、イタリアVegliaドイツVeglラテン語らてんごCuricta)は、クロアチアアドリア海あどりあかいきたかぶしま行政ぎょうせいじょうプリモリェ=ゴルスキ・コタルぐんぞくしている。人口じんこう16,402(2001ねん)。最大さいだいまちは、人口じんこう5,491にん(2001年度ねんど)をかかえるクルク。そのにも町村ちょうそんがある。

クルクとう
うみからながめた中心ちゅうしんまち、クルク

クロアチア本土ほんどとは1980ねんけられたながさ1,430mのはしつうじてむすばれており、みなみドイツや東欧とうおうから観光かんこうきゃくおとずれている。

しまには紀元前きげんぜん10世紀せいきからひと定住ていじゅうしている。古代こだいローマひとしまをクリクタ(Curicta)とんでいた。ローマ内乱ないらん時代じだい、クリクタのわんユリウス・カエサルたいポンペイウス艦船かんせん海戦かいせんひろげた。1000ねん以上いじょうしまダルマチア方言ほうげんヴェグリオットの中心ちゅうしんであった。しま伝統でんとうてきにクロアチア文化ぶんか中心ちゅうしんであった。グラゴル文字もじ多様たよう文学ぶんがく作品さくひんつくられ、その一部いちぶしま保存ほぞんされている。クルクには中世ちゅうせい司教しきょうがあり、重要じゅうよう貴族きぞくフランコパン英語えいごばん支配しはいされた。

クルクは中世ちゅうせいからヴェネツィア共和きょうわこく支配しはいにあり、1797ねんカンポ・フォルミオ条約じょうやく以後いごイストリアとともにオーストリア帝国ていこくりょうとなった。だいいち世界せかい大戦たいせんしまイタリア併合へいごうされ、だい世界せかい大戦たいせんのちユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく一部いちぶとなった。

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