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ジョヴァンニ・ボッカッチョ - Wikipedia

ジョヴァンニ・ボッカッチョ

中世ちゅうせいイタリア、フィレンツェの詩人しじん作家さっか

ジョヴァンニ・ボッカッチョ: Giovanni Boccaccio, 1313ねん6月16にち - 1375ねん12月21にち)は、中世ちゅうせいイタリアフィレンツェ詩人しじん散文さんぶん作家さっかイタリアルネサンスヒューマニスト人文じんぶん主義しゅぎしゃ)。

ジョヴァンニ・ボッカッチョ
Genealogia deorum gentilium, 1532

生涯しょうがい

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フィレンツェ商人しょうにんちちもなきフランスじん女性じょせいとのあいだ私生児しせいじとしてまれたとされるが、出生しゅっしょう不明ふめいであり、チェルタルドパリとするせつもある。なお、ボッカッチョのちちはすぐにかれ認知にんちする。

ボッカッチョはフィレンツェで成長せいちょうし、家庭かてい教師きょうしであるジョヴァンニ・ディ・ドメニコ・マッツオーリ・ダ・ストゥラーダによってはやくからダンテ作品さくひんまなんでいたとわれている。

代表だいひょうさく1349ねんから1351ねんかれた『デカメロン』(じゅうにち物語ものがたり)。初期しょき作品さくひんには『女神めがみディアーナのり』(1334ねんころ)、『フィローストラト』(1335ねんころ)、『フィローコロ』(1336ねんごろ)などがあり、ナポリからフィレンツェに帰国きこくした時期じき作品さくひんには『テーセウス物語ものがたり』(1340ねん - 1341ねん)、『あい幻想げんそう』(1342ねん - 1343ねん)、『フィアンメッタ悲歌ひか』(1343ねん - 1344ねん)、『列伝れつでん』(1361ねん - 1362ねん)、『異教いきょうかみ々の系譜けいふ』(1350ねん - 1375ねんころ)がある。

ダンテの50さいほど年下とししたであるが、もっとはやいダンテの理解りかいしゃ賛美さんびしゃであった。戯曲ぎきょく(Commedia)とのみだいされていたダンテの叙事詩じょじし神聖しんせいなる(Divina)のかんむりけ、『かみきょく』の定着ていちゃくさせたのはボッカッチョである[1]

また、ペトラルカとは親交しんこうふか[2]たがいに研鑽けんさんい、その創作そうさく活動かつどうリナッシメント(イタリア・ルネサンス)の先駆さきがけにもなった。

おも訳書やくしょ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ かみきょく図解ずかい Dante La Divina Commedia
  2. ^ 近藤こんどう恒一つねかずへんやく『ペトラルカ=ボッカッチョ往復おうふく書簡しょかん』(岩波いわなみ文庫ぶんこ、2006ねん)にくわしい。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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