(Translated by https://www.hiragana.jp/)
文芸評論 - Wikipedia

文芸ぶんげい評論ひょうろん

文学ぶんがく評論ひょうろんすること

文芸ぶんげい評論ひょうろん(ぶんげいひょうろん、英語えいご: literary criticism)は、文学ぶんがく評論ひょうろんすること。文芸ぶんげい批評ひひょう、または文学ぶんがく研究けんきゅうともうが、評論ひょうろん対象たいしょう手法しゅほう多様たようなため、定義ていぎ曖昧あいまいである。小説しょうせつ作品さくひんかぎらず文学ぶんがくとその周辺しゅうへん全般ぜんぱんあつかわれ、学際がくさいてき性格せいかくつ。研究けんきゅう対象たいしょう性格せいかくによっては、「文芸ぶんげい」または「文学ぶんがく」という呼称こしょうがふさわしくないこともある。

きん現代げんだい文芸ぶんげい評論ひょうろん活字かつじ提供ていきょうされることがおおいが、インターネットなど技術ぎじゅつ発達はったつとともに多様たようしてきた。学会がっかい掲載けいさいされる論文ろんぶんかぎらず、週刊しゅうかん新聞しんぶん書評しょひょうらんるブックガイドのるい文芸ぶんげい評論ひょうろんばれる。

文芸ぶんげい評論ひょうろん手法しゅほう

編集へんしゅう

評論ひょうろん手法しゅほう論点ろんてん多様たようで、かく評論ひょうろん研究けんきゅうしゃ立場たちば学説がくせつ研究けんきゅう対象たいしょうによってことなる。おな文学ぶんがく用語ようごちがった定義ていぎ使つかわれることもしばしばある。また、歴史れきしがく言語げんごがくなど、人文じんぶん科学かがく社会しゃかい科学かがく中心ちゅうしん学問がくもん領域りょういき接点せってんつ。

廣野ひろの由美子ゆみこは(『批評ひひょう理論りろん入門にゅうもん 『フランケンシュタイン』解剖かいぼう講義こうぎ中公新書ちゅうこうしんしょ2007ねん)でメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材だいざいにして批評ひひょうするにしても、伝統でんとうてき批評ひひょう道徳どうとくてき批評ひひょう伝記でんきてき批評ひひょう)、ジャンル批評ひひょう(ロマン主義しゅぎ、ゴシック、リアリズム、サイエンス・フィクション)、読者どくしゃ反応はんのう批評ひひょうだつ構築こうちく批評ひひょう精神せいしん分析ぶんせき批評ひひょう(フロイトてき批評ひひょう、ユングてき批評ひひょう神話しんわ批評ひひょう、ラカンてき批評ひひょう)、フェミニズム批評ひひょう、ジェンダー批評ひひょう(ゲイ批評ひひょう、レズビアン批評ひひょう)、マルクス主義まるくすしゅぎ批評ひひょう文化ぶんか批評ひひょう、ポストコロニアル批評ひひょうしん歴史れきし主義しゅぎ文体ぶんたいろんてき批評ひひょう透明とうめい批評ひひょう可能かのうであるとする。

文学ぶんがく研究けんきゅう

編集へんしゅう

文学ぶんがく歴史れきし研究けんきゅうすること。表現ひょうげん形式けいしき系譜けいふ写本しゃほん変遷へんせん文芸ぶんげい評論ひょうろん自体じたい歴史れきしなど、時間じかんじく沿った文芸ぶんげい活動かつどう全般ぜんぱん研究けんきゅう対象たいしょうかれた言語げんご民族みんぞくくに時代じだいなどを限定げんていして研究けんきゅうすることもおおい。文学ぶんがく年代ねんだい区分くぶんは、便宜上べんぎじょう政治せいじ年代ねんだい区分くぶん参考さんこう区切くぎられることがおおいが、そのことの是非ぜひ議論ぎろん対象たいしょうになる。

作品さくひんろん

編集へんしゅう

個々ここ作品さくひん研究けんきゅうすること。

研究けんきゅう対象たいしょうには異本いほん存在そんざいすることもおおいため、底本ていほんえら作業さぎょう重要じゅうようになる。とく古典こてん文学ぶんがくではその傾向けいこうつよい。異本いほんとは、写本しゃほん口述こうじゅつ筆記ひっきするさいうつ間違まちがい、作者さくしゃ人間にんげんによる改訂かいていなど様々さまざま理由りゆう派生はせいした、それぞれ微妙びみょうちがいをったどういち作品さくひんのバリエーションのことである。異本いほん発生はっせい異同いどう自体じたい研究けんきゅう対象たいしょうになる。文献ぶんけんがく書誌しょしがくふかかかわりをつ。

作者さくしゃなどの存在そんざいはいして記述きじゅつされた言語げんご中立ちゅうりつてきらえるために、「作品さくひん」とわりに「テクスト」という用語ようご使つかうこともある。テクストの語源ごげんラテン語らてんごの「る」から。

作家さっかろん

編集へんしゅう

作家さっか伝記でんきてき研究けんきゅうかぎらず、作家さっかにまつわる様々さまざま事象じしょう対象たいしょうになる。作者さくしゃ読者どくしゃ関係かんけいメディア作家さっか関係かんけいなど。

文芸ぶんげい時評じひょう

編集へんしゅう

新聞しんぶん雑誌ざっしで、その直前ちょくぜん発表はっぴょうされたあたらしい作品さくひん評価ひょうかするもの。日本にっぽんでは大正たいしょう時代じだいにこの方式ほうしき確立かくりつし、時評じひょうでの評価ひょうか作家さっかにとって大切たいせつなものとなった。しかし、1990年代ねんだい以降いこう時評じひょう掲載けいさいしない新聞しんぶん雑誌ざっしあらわれている。

比較ひかく文学ぶんがく

編集へんしゅう

比較ひかく文学ぶんがくとは、とく言語げんご地域ちいきことなる文学ぶんがく同士どうし異同いどう影響えいきょうなどを比較ひかく研究けんきゅうすること。

論点ろんてん

編集へんしゅう

文芸ぶんげい評論ひょうろんでしばしばげられる代表だいひょうてき論点ろんてんには、つぎのようなものがある。

小林こばやしえき文芸ぶんげい批評ひひょう歴史れきしてき変遷へんせんを、おおきくけてみっつの対立たいりつ図式ずしきしている[1]

裁断さいだん批評ひひょう印象いんしょう批評ひひょう

編集へんしゅう

あらかじめさだめられたなんらかの客観きゃっかんてき規準きじゅんによって評価ひょうかくだ裁断さいだん批評ひひょう(judical criticism)と、できあいの尺度しゃくどもちいずに、読者どくしゃ個人こじん主観しゅかんてき好悪こうお印象いんしょうもとづいて判断はんだんする印象いんしょう批評ひひょう(impressionistic criticism)。裁断さいだん批評ひひょうにおける客観きゃっかんてき規準きじゅんのもっとも伝統でんとうてきなものは理想りそうであり、アリストテレスがその『詩学しがく』においてギリシアのげき特性とくせい帰納きのうして以来いらい営々えいえいとしてみがげられた古典こてん主義しゅぎ美学びがくは、ボアローの『ほう』(1674)にいたって完成かんせいする。また、17世紀せいきのフランスでは、とくに悲劇ひげきについて、すじ場所ばしょ単一たんいつさだめた「さん一致いっち法則ほうそく」をはじめ、題材だいざい登場とうじょう人物じんぶつまくすう語彙ごいなどについて、こまかいめと制約せいやくがあった。近代きんだいいたって、あたらしい世界せかいかん登場とうじょうとともにこのような絶対ぜったい概念がいねん崩壊ほうかい文学ぶんがく活動かつどう個性こせいてき分化ぶんか価値かちかん多様たようしょうじる。19世紀せいき科学かがく主義しゅぎ実証じっしょう主義しゅぎひろまると、テーヌ血統けっとう環境かんきょう契機けいきさんだい要素ようそをもって作家さっか作品さくひん規定きていしようとし(環境かんきょうせつ)、ブリュンチエールはダーウィンにならった文芸ぶんげいジャンルの進化しんかせつを、フロイト無意識むいしきてきリビドーを批評ひひょう根底こんていえた。

効用こうよう批評ひひょう審美しんび批評ひひょう

編集へんしゅう

アリストテレス文学ぶんがく効用こうようをカタルシス(感情かんじょう浄化じょうか)にあるとしたが、文学ぶんがくになんらかの実益じつえき期待きたいする視点してんは、その根強ねづよ存在そんざいして批評ひひょう一角いっかくめる。ことに政治せいじ宗教しゅうきょう教育きょういく方面ほうめんたずさわるひとたちにこの傾向けいこうつよく、かれらは自己じこ信条しんじょう忠実ちゅうじつであればあるほど、文学ぶんがく作品さくひん自律じりつせいよりは教化きょうか道具どうぐをみる。たとえば、毛沢東もうたくとうの『文芸ぶんげい講話こうわ』(1942)、バチカンの『禁書きんしょ目録もくろく』(1564~1965)、公的こうてき権力けんりょくによる文学ぶんがく裁判さいばん発禁はっきん作家さっか国外こくがい追放ついほうなどはその極端きょくたんれいである。

文学ぶんがくしゃ一般いっぱん文学ぶんがく文学ぶんがく以外いがいのいかなる効用こうようてき規範きはんにも従属じゅうぞくさせることをこのまず、おおかれすくなかれ、審美しんび批評ひひょう(utilitarian criticism)の立場たちばつ。審美しんび批評ひひょう立場たちばは、ゴーチエの「芸術げいじゅつのための芸術げいじゅつ」の言葉ことば代表だいひょうされる芸術げいじゅつ至上しじょう主義しゅぎである。一方いっぽうで、より高次こうじ効用こうよう批評ひひょう(aesthetic criticism)に立場たちばがあり、この立場たちばトルストイの「人生じんせいのための芸術げいじゅつ」の言葉ことば代表だいひょうされる、人生じんせい至上しじょう主義しゅぎないし人道じんどう主義しゅぎである。審美しんび批評ひひょう効用こうよう批評ひひょうれいとして、「文学ぶんがく男子だんし一生いっしょう仕事しごとず」とした二葉亭四迷ふたばていしめいと、「人生じんせいいちぎょうのボードレールにもかない」とした芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけげられる。

伝統でんとうてき批評ひひょうしん批評ひひょう

編集へんしゅう

近代きんだい以前いぜん古典こてん主義しゅぎてき批評ひひょうが、理性りせい宿命しゅくめい基盤きばんとした普遍ふへんせいへの指向しこう顕著けんちょしめしたのにたいして、ロマン主義しゅぎ以降いこう批評ひひょう感性かんせい優位ゆうい主張しゅちょうし、人間にんげんひとりひとりの個性こせい特殊とくしゅせい重視じゅうしした。そのため、文学ぶんがく作品さくひんそのものよりも、その背後はいご作者さくしゃ存在そんざい興味きょうみがもたれるようになった。作品さくひんそのものに生命せいめいがあるのではなく、作品さくひん生命せいめいあたえているのはその作者さくしゃである人間にんげんにほかならぬという発想はっそうである。サント・ブーブは「このにしてこの果実かじつあり」といい、作家さっか作品さくひん密接みっせつ不可分ふかぶんのものとして、作家さっか実生活じっせいかつをもって作品さくひん解明かいめいしようとした。かれもちいた実証じっしょう主義しゅぎてき手法しゅほう科学かがくてき批評ひひょうとしてテーヌルナン[よう曖昧あいまい回避かいひ]ブランデスランソンらにがれる一方いっぽうで、審美しんびてき側面そくめん鑑賞かんしょう批評ひひょうとしてアーノルドペイターアナトール・フランス小林こばやし秀雄ひでおらにがれた。そしてさらに前者ぜんしゃから、のちプロレタリア文学ぶんがく擁護ようご育成いくせいにつながってゆくマルクス主義まるくすしゅぎてき文芸ぶんげい社会しゃかいがくてき批評ひひょうフロイトユングらの精神せいしん分析ぶんせきがくてき批評ひひょうクローチェらの理想りそう主義しゅぎてき歴史れきしてき批評ひひょうなどがまれ、ひいては文学ぶんがく研究けんきゅう文芸ぶんげいがく誕生たんじょうをもうながすこととなった。また作家さっか内面ないめんへの参入さんにゅうは、アラン[よう曖昧あいまい回避かいひ]チボーデバシュラールプーレ、そして人間にんげん存在そんざい内奥ないおうに「実存じつぞん」をみたサルトルらにいたる。

20世紀せいき初頭しょとうバレリープルーストT・S・エリオットらはサント・ブーブ伝記でんきてき批評ひひょう反対はんたいして、かれとはぎゃく作品さくひん作家さっかからはなし、文学ぶんがく作品さくひん完全かんぜん自律じりつてき全体ぜんたいであり、在外ざいがいてきないかなる要素ようそとも無縁むえんであるとする立場たちばをとった。こうしたかんがかたが1930年代ねんだい以降いこうのアメリカにおける「しん批評ひひょう(ニュー・クリティシズム)」に発展はってんし、古典こてん主義しゅぎてき批評ひひょう、ロマン主義しゅぎてき批評ひひょうつづく、象徴しょうちょう主義しゅぎてき批評ひひょうとでもしょうすべき批評ひひょう史上しじょうだいさん形成けいせい契機けいきとなった。この批評ひひょう客観きゃっかんてき方法ほうほうによるイメージの分析ぶんせきとそれを概念がいねんするための独自どくじ批評ひひょう用語ようご開発かいはつをその特色とくしょくとしたが、ヤーコブソンプラハ学派がくはフォルマリズム批評ひひょうロラン・バルトらによるフランス構造こうぞう主義しゅぎ批評ひひょうなどにってわられた。これらの「しん批評ひひょう」の特徴とくちょうは、いずれも作家さっか意志いし考慮こうりょせずに、文学ぶんがく作品さくひん無意識むいしきてき潜在せんざいてき言語げんご特性とくせい作品さくひん構造こうぞうあきらかにすることにあり、おお哲学てつがく精神せいしん分析ぶんせきがく文化ぶんか人類じんるいがく民俗みんぞくがく言語げんごがく意味いみろん文体ぶんたいろん記号きごうろんなどのしょがく援用えんよう一般いっぱんにきわめて難解なんかいで、文芸ぶんげい批評ひひょうというよりは文芸ぶんげいがく詩学しがくてき色彩しきさいい。

現代げんだい

編集へんしゅう

現代げんだい批評ひひょうはテクスト重視じゅうし主流しゅりゅうとするが、テクストを創作そうさく行為こうい読書どくしょ行為こうい協調きょうちょうによってさらに上位じょういのテクストに移行いこうさるべき完成かんせいのもの、ないしはさい構築こうちくすべきものとするかんがかた晩年ばんねんバルトポスト構造こうぞう主義しゅぎ)、総合そうごうてき組成そせいぶつとするとらえかたクリステバあいだテクストせい)、さらには読者どくしゃひとりひとりが硬化こうかしたテクストを内的ないてき破壊はかいすることによってはじめて文学ぶんがく成立せいりつするとする見地けんち解体かいたい批評ひひょう)、サント・ブーブボードレールりゅう在来ざいらいがた批評ひひょうしん文学ぶんがく宣言せんげん、さらに各種かくしゅ批評ひひょう総合そうごう折衷せっちゅう使つかけの主張しゅちょう読者どくしゃろん文学ぶんがく快楽かいらくせつ文学ぶんがく空間くうかんろん文学ぶんがく不可知論ふかちろんなど、様々さまざま方法ほうほうろん混在こんざいしている状況じょうきょうである。

文芸ぶんげい評論ひょうろんれい

編集へんしゅう

日本にっぽん文芸ぶんげい評論ひょうろん

編集へんしゅう

海外かいがい文芸ぶんげい評論ひょうろん

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんない言及げんきゅう, デジタル大辞泉だいじせん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん,日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),精選せいせんばん. “文芸ぶんげい批評ひひょう(ブンゲイヒヒョウ)とは”. コトバンク. 2019ねん10がつ21にち閲覧えつらん