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マルクス主義 - Wikipedia

マルクス主義まるくすしゅぎ

社会しゃかい主義しゅぎ思想しそう体系たいけいひと

マルクス主義まるくすしゅぎ(マルクスしゅぎ、ドイツ: Marxismus)とは、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって展開てんかいされた思想しそうをベースとして確立かくりつされた社会しゃかい主義しゅぎ思想しそう体系たいけいひとつである[1][注釈ちゅうしゃく 1]マルクス主義まるくすしゅぎしゃはマルキスト (Marxist) としょうされる。

マルクス主義まるくすしゅぎは、資本しほん社会しゃかい共有きょうゆう財産ざいさんえることによって、労働ろうどうしゃ資本しほん増殖ぞうしょくするためだけにきるという、ちん労働ろうどう悲惨ひさん性質せいしつ廃止はいしし、階級かいきゅうのない協同きょうどう社会しゃかい目指めざすとしている[2]

エンゲルスは1883ねんに『空想くうそうから科学かがく』を出版しゅっぱんし、かれやマルクスの思想しそう社会しゃかい主義しゅぎ思想しそう弁証法べんしょうほうてき唯物ゆいぶつろん資本しほん主義しゅぎ分析ぶんせきみっつの分野ぶんやけて解説かいせつしたうえで、唯物ゆいぶつ史観しかん剰余じょうよ価値かち発見はっけんによって社会しゃかい主義しゅぎ科学かがくになったと説明せつめいし、自分じぶんたちマルクス主義まるくすしゅぎのことを空想くうそうてき社会しゃかい主義しゅぎ対比たいひして科学かがくてき社会しゃかい主義しゅぎ(かがくてきしゃかいしゅぎ)ともんだ[3]

レーニン1913ねんに『マルクス主義まるくすしゅぎみっつの源泉げんせんみっつの構成こうせい部分ぶぶん』をき、マルクス主義まるくすしゅぎみっつの源泉げんせんドイツ哲学てつがく、イギリス経済けいざいがく、フランス社会しゃかい主義しゅぎとし、マルクス主義まるくすしゅぎみっつの構成こうせい部分ぶぶん弁証法べんしょうほうてき唯物ゆいぶつろん経済けいざいがく社会しゃかい主義しゅぎ思想しそうとした。

マルクス、エンゲルスの思想しそう 編集へんしゅう

共産きょうさん主義しゅぎ 編集へんしゅう

マルクスとエンゲルスは、1847ねん設立せつりつされた共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい綱領こうりょう起草きそう委託いたくされ、1848ねんに『共産党きょうさんとう宣言せんげん』をいた。人類じんるい歴史れきしは、自由じゆうみん奴隷どれい領主りょうしゅ農奴のうど資本しほん労働ろうどうしゃなどの、隠然いんぜんまたは公然こうぜん階級かいきゅう闘争とうそう歴史れきしであるとされ、近代きんだい社会しゃかいブルジョワジープロレタリアートにますます分裂ぶんれつしつつあるとした。プロレタリアートは、自分じぶん労働ろうどうりょくって生活せいかつするしかないおおくのひとびとである。プロレタリアートがブルジョワジーから政治せいじ権力けんりょく奪取だっしゅし、生産せいさん手段しゅだんなどの資本しほん社会しゃかい全体ぜんたい財産ざいさんえることによって、社会しゃかい発展はってんがすすむにつれて、階級かいきゅう対立たいりつも、しょ階級かいきゅう存在そんざいも、階級かいきゅう支配しはいのための政治せいじ権力けんりょく消滅しょうめつし、一人ひとりいちにん自由じゆう発展はってんがすべてのひと自由じゆう発展はってん条件じょうけんとなるような協同きょうどう社会しゃかいがおとずれるとした[4]

マルクスは1864ねん設立せつりつされた国際こくさい労働ろうどうしゃ協会きょうかい創立そうりつ宣言せんげんいた。1871ねんフランスパリ・コミューン成立せいりつすると、国際こくさい労働ろうどうしゃ協会きょうかいそう評議ひょうぎかいぜん協会きょうかいいんへのびかけとして『フランスの内乱ないらん英語えいごばん』をき、パリ・コミューンを「本質ほんしつてき労働ろうどうしゃ階級かいきゅう政府せいふであり、横領おうりょうしゃ階級かいきゅうたいする生産せいさんしゃ階級かいきゅう闘争とうそう所産しょさんであり、労働ろうどう経済けいざいてき解放かいほうをなしとげるための、ついに発見はっけんされた政治せいじ形態けいたいであった」と称賛しょうさんした。エンゲルスは1891ねん発行はっこうされたこの著作ちょさくのドイツだいさんはん序文じょぶんで、パリ・コミューンをプロレタリアート独裁どくさい実例じつれいとした。

ドイツの労働ろうどうしゃ政党せいとう綱領こうりょう草案そうあんたいする批判ひはんとして1875ねんかれた『ゴータ綱領こうりょう批判ひはん』で、マルクスは共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかい分配ぶんぱい原則げんそくからひく段階だんかいたか段階だんかい区別くべつし、ひく段階だんかいでは「能力のうりょくおうじてはたらき、労働ろうどうおうじて英語えいごばん」、たか段階だんかいでは「能力のうりょくおうじてはたらき、必要ひつようおうじて」という基準きじゅん実現じつげんすると見解けんかいべた。資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいから社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかいへの過渡かとにおける国家こっかを、プロレタリアート独裁どくさいとした。

唯物ゆいぶつろんてき歴史れきしかん唯物ゆいぶつ史観しかん史的してき弁証法べんしょうほう 編集へんしゅう

マルクスはヘーゲル左派さはとして出発しゅっぱつし、1840年代ねんだいこったヘーゲル左派さは内部ないぶ論争ろんそう過程かていで、ヘーゲル弁証法べんしょうほう哲学てつがくフォイエルバッハ唯物ゆいぶつろんぎつつ、ヘーゲルの観念論かんねんろんやフォイエルバッハの不徹底ふてっていさを批判ひはんし、唯物ゆいぶつろんてき歴史れきしかん唯物ゆいぶつ史観しかん)を形成けいせいした。これは、法律ほうりつ国家こっか文化ぶんかなどの基礎きそにあるのは経済けいざい生産せいさん流通りゅうつう)だ、とする見方みかたで、以後いご経済けいざいがく研究けんきゅう集中しゅうちゅうした。1859ねん発行はっこうの『経済けいざいがく批判ひはん』の序文じょぶんにおいて、かれ唯物ゆいぶつろんてき歴史れきしかんつぎのように説明せつめいした。

  1. 生産せいさんりょく発展はってん段階だんかい対応たいおうする生産せいさん関係かんけい総体そうたい社会しゃかい土台どだいである。
  2. この土台どだいうえ法律ほうりつてき政治せいじてき上部じょうぶ構造こうぞうつ。土台どだい上部じょうぶ構造こうぞう制約せいやくする。
  3. 生産せいさんりょく発展はってんすると、ある段階だんかいふる生産せいさん関係かんけい発展はってん桎梏しっこくしっこくわる。そのとき社会しゃかい革命かくめい時期じきはじまり、上部じょうぶ構造こうぞう変革へんかくされる。
  4. 生産せいさん関係かんけい歴史れきしてき段階だんかいにはアジアてき古代こだいてき封建ほうけんてき近代きんだいブルジョワてき生産せいさん関係かんけいがある。
  5. 近代きんだいブルジョワてき生産せいさん関係かんけい最後さいご敵対てきたいてき生産せいさん関係かんけいである。発展はってんする生産せいさんりょく敵対てきたい解決かいけつするしょ条件じょうけんをつくりだす。それゆえ、資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいをもって人間にんげん社会しゃかい前史ぜんしわる。[5]

以上いじょう唯物ゆいぶつ史観しかん要約ようやくである。

経済けいざいがく 編集へんしゅう

マルクスの長年ながねん経済けいざいがく研究けんきゅうは『資本しほんろん』として結実けつじつした。

マルクスはアダム・スミスリカード労働ろうどう価値かちせつ発展はってんさせて剰余じょうよ価値かちせつ確立かくりつし、資本しほんによる労働ろうどうしゃ搾取さくしゅ解明かいめいした。マルクスによれば、労働ろうどうりょく価値かち労働ろうどうしゃ自身じしん家族かぞく維持いじするのに必要ひつよう生活せいかつ必需ひつじゅひん価値かち)と労働ろうどうりょくすことができる価値かちとはまったく別物べつものである。資本しほん労働ろうどうりょく価値かちどおりにったとしても、支払しはら賃金ちんぎんえて価値かちすように労働ろうどうしゃはたらかせることによって、ちょう過分かぶん無償むしょう取得しゅとくする。この超過ちょうかぶん剰余じょうよ価値かち)が資本しほん利潤りじゅん源泉げんせんである。土地とち所有しょゆうしゃ資本しほんした土地とちたいして地代じだい銀行ぎんこう資本しほんけた資金しきんたいして利子りしなどは、この剰余じょうよ価値かちから支払しはらわれる。

剰余じょうよ価値かちせつもとづく資本しほん主義しゅぎ経済けいざい運動うんどう法則ほうそく解明かいめいは、労働ろうどうしゃ階級かいきゅう解放かいほう階級かいきゅう廃止はいしという共産きょうさん主義しゅぎ運動うんどう目標もくひょう理論りろんてき根拠こんきょあたえた。

マルクス、エンゲルスの代表だいひょうてき著作ちょさく 編集へんしゅう

1848ねん出版しゅっぱんされたマルクス、エンゲルスの『共産党きょうさんとう宣言せんげん』、および、1867ねんだいいちかん初版しょはん出版しゅっぱんされた『資本しほんろん』がもっと有名ゆうめい著作ちょさくである。エンゲルスの『空想くうそうから科学かがく』は、マルクスが「科学かがくてき社会しゃかい主義しゅぎ入門にゅうもんしょ」とひょうした。マルクスの『経済けいざいがく批判ひはん』は、序文じょぶん唯物ゆいぶつ史観しかん公式こうしきわれる文章ぶんしょうふくまれている。マルクスの『フランスにおける階級かいきゅう闘争とうそう』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18にち』『フランスにおける内乱ないらん』は、唯物ゆいぶつ史観しかんもとづく現実げんじつ政治せいじ分析ぶんせきとして、フランスさんさくばれる。国家こっかろんかんしてはマルクスの『フランスにおける内乱ないらん』のほか、マルクスの『ゴータ綱領こうりょう批判ひはん』とエンゲルスの『家族かぞく私有しゆう財産ざいさん国家こっか起源きげん』が重要じゅうよう著作ちょさくとされる。マルクスの「ヘーゲルほう哲学てつがく批判ひはん序説じょせつ」と「ユダヤじん問題もんだいによせて」は、かれがヘーゲル左派さは一員いちいんだった時期じきかれた。そこから脱却だっきゃくする過程かていかれた草稿そうこうである「経済けいざいがく哲学てつがく草稿そうこう」および「ドイツ・イデオロギー」は、死後しご出版しゅっぱんされ、前者ぜんしゃ疎外そがいろん後者こうしゃ物象ぶっしょうろんかんする重要じゅうよう著作ちょさくとなった。どう時期じき草稿そうこうフォイエルバッハ・テーゼ」はエンゲルスが『フォイエルバッハろん』に付録ふろくとして収録しゅうろくしたことで有名ゆうめいとなり、その言葉ことばはロンドンにあるマルクスのはかきざまれている。

マルクス、エンゲルス以後いご歴史れきしてき展開てんかい 編集へんしゅう

運動うんどう19世紀せいきすえから徐々じょじょ分岐ぶんきし、大別たいべつしてベルンシュタイン主義しゅぎ、カウツキー主義しゅぎ、ソレル主義しゅぎ、レーニン主義しゅぎ、の潮流ちょうりゅうむ。

修正しゅうせい主義しゅぎ(ベルンシュタイン主義しゅぎ)と教条きょうじょう主義しゅぎ(カウツキー主義しゅぎ 編集へんしゅう

1895ねんにエンゲルスが死去しきょしてまもなく、ドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとう (SPD) において正統せいとうマルクス主義まるくすしゅぎしゃなされていたベルンシュタイン従来じゅうらいことなる見解けんかいとう機関きかん発表はっぴょうしはじめた。プロレタリアートは非合法ひごうほう手段しゅだんによる国家こっか権力けんりょく奪取だっしゅではなく議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎつうじた社会しゃかい改良かいりょう目指めざすべきだ、というのが最大さいだいのポイントであった。かれ1899ねん著書ちょしょ社会しゃかい主義しゅぎしょ前提ぜんてい社会しゃかい民主党みんしゅとう任務にんむ』でその見解けんかいをまとめた。その内容ないよう権力けんりょく獲得かくとく問題もんだいにとどまらず、哲学てつがく経済けいざいがく領域りょういきにまでわたるマルクス主義まるくすしゅぎ修正しゅうせいとなった。

ベルンシュタインの主張しゅちょうはげしい論争ろんそうこし、「修正しゅうせい主義しゅぎ」とばれて正統せいとうマルクス主義まるくすしゅぎ理論りろんてき指導しどうしゃだったカール・カウツキーらによって批判ひはんされた。マルクス、エンゲルスの著作ちょさく精通せいつうしていたカウツキーは、両者りょうしゃ著作ちょさくからの博引旁証はくいんぼうしょうによって修正しゅうせい主義しゅぎ批判ひはんし、「マルクス主義まるくすしゅぎ法王ほうおう」とばれ、かれ主張しゅちょうマルクス主義まるくすしゅぎ正統せいとう継承けいしょう做され、西欧せいおうにおけるマルクス主義まるくすしゅぎの「中央ちゅうおう」を形成けいせいした。1903ねんのSPDドレスデン大会たいかいは「階級かいきゅう闘争とうそうもとづくわれわれの戦術せんじゅつを、てきって政治せいじ権力けんりょく獲得かくとくするかわりに既存きそん秩序ちつじょ迎合げいごうする政策せいさく採用さいようするという意味いみ変更へんこうしようとする修正しゅうせい主義しゅぎてきくわだてには断固だんことして反対はんたいする」と決議けつぎした。

ベルンシュタインの見解けんかい理論りろんてき拒否きょひされただけであり、実践じっせんてき拒否きょひされたわけではなかった。ドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとう実際じっさいには議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎのもとで勢力せいりょくばしており、「てきって政治せいじ権力けんりょく獲得かくとくする」戦略せんりゃく具体ぐたいてき実行じっこうされたことはなかった。カウツキーもその戦略せんりゃく具体ぐたいてき提示ていじすることはなく、好機こうき到来とうらい姿勢しせいにとどまった。マルクス主義まるくすしゅぎ教条きょうじょうとしてのみ擁護ようごして実践じっせんてきかさなかったという意味いみで、カウツキーの見解けんかい教条きょうじょう主義しゅぎしょうする見解けんかいおおい。

ドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとうおよびだいインターナショナルだいいち世界せかい大戦たいせんまではマルクス主義まるくすしゅぎ運動うんどう国際こくさいてき中心ちゅうしんだったが、戦争せんそう勃発ぼっぱつさいにそれまでの反戦はんせん主義しゅぎてて社会しゃかい愛国あいこく主義しゅぎ立場たちばをとったために権威けんい喪失そうしつして事実じじつじょう崩壊ほうかいし(「城内きうち平和へいわ」)、ロシアのボリシェヴィキおよびコミンテルンにその地位ちいわたし、だいインターナショナルの残党ざんとう労働ろうどう社会しゃかい主義しゅぎインターナショナルとなった。

だい世界せかい大戦たいせんの1951ねん社会しゃかい主義しゅぎインターナショナルの『フランクフルト宣言せんげん』で「共産きょうさん主義しゅぎマルクス主義まるくすしゅぎ批判ひはんてき精神せいしん相容あいいれない偏狭へんきょう神学しんがくをつくりだした」と批判ひはんして社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ民主みんしゅ社会しゃかい主義しゅぎ発展はってんし、1959ねん採択さいたくしたゴーデスベルク綱領こうりょうでドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとうは、ワイマール共和きょうわせい崩壊ほうかいまでつづいたカウツキー主義しゅぎながれを公式こうしき放棄ほうきした。

左派さは修正しゅうせい主義しゅぎ(ソレル主義しゅぎ 編集へんしゅう

イタリアでは、イタリア社会党しゃかいとう中心ちゅうしんフランスジョルジュ・ソレルユベール・ラガルデルフランス語ふらんすごばん革命かくめいてきサンディカリズムイタリアばん影響えいきょうけたアルトゥーロ・ラブリオーライタリアばんエンリコ・レオーネイタリアばんらによって左派さは修正しゅうせい主義しゅぎイタリアばんばれる運動うんどう台頭たいとう[6][7][8]、これは議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ重視じゅうしするベルンシュタイン主義しゅぎ対照たいしょうてきマルクス主義まるくすしゅぎ原則げんそくのうち暴力ぼうりょく革命かくめい階級かいきゅう闘争とうそう重視じゅうしする一方いっぽうプロレタリア国際こくさい主義しゅぎ唯物ゆいぶつろん修正しゅうせいした独自どくじうごきであったが、暴力ぼうりょく闘争とうそう肯定こうていする部分ぶぶんだいいち世界せかい大戦たいせん過程かてい戦争せんそうナショナリズム称揚しょうようつながり、ファシズム創始そうしするベニート・ムッソリーニ影響えいきょうあたえた[9]

レーニン主義しゅぎ 編集へんしゅう

だいいち世界せかい大戦たいせんきたレーニンによるロシア革命かくめいは、資本しほん主義しゅぎ発達はったつ比較的ひかくてきおくれた地域ちいきにおける革命かくめいであった。ソビエト連邦れんぽう建国けんこくしたレーニンは戦時せんじ共産きょうさん主義しゅぎおこなったのちに、市場いちば経済けいざいれた「しん経済けいざい政策せいさく」(ネップ)を実行じっこうした。市場いちば経済けいざい端緒たんしょいたところでレーニンは他界たかいした。レーニンが、とう書記しょきちょう登用とうようしながらさい晩年ばんねんにはそこからの解任かいにんはかったスターリンは、レーニン死後しご権力けんりょく闘争とうそう過程かてい反対はんたいしゃ次々つぎつぎ弾圧だんあつする一方いっぽう苛烈かれつ農業のうぎょう集団しゅうだん計画けいかく経済けいざい体制たいせいへの移行いこうつうじて、人類じんるい最初さいしょ社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか建設けんせつ成功せいこうしたと喧伝けんでんした。スターリンは、レーニンによって、マルクスの思想しそう唯一ゆいいつ真正しんせい継承けいしょう発展はってんがなされたと主張しゅちょうし、マルクス・レーニン主義しゅぎんだ。

世界せかい恐慌きょうこう只中ただなかでも目覚めざましい経済けいざい発展はってんげたとつたえられたこと、だい世界せかい大戦たいせん強大きょうだいナチス・ドイツとの戦争せんそういたことなどで、ソビエト連邦れんぽうおよびスターリンの政治せいじてき威信いしん増大ぞうだいし、アジア東欧とうおうアフリカカリブ海かりぶかいいきで、おおくの「社会しゃかい主義しゅぎこく」がまれて世界せかい二分にぶんした。1970年代ねんだい経済けいざい発展はってんめん西側にしがわ先進せんしんこくしておくれが顕著けんちょとなり、政治せいじてき抑圧よくあつ体制たいせいひろられ、次第しだい権威けんい失墜しっついし、1991ねんソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかい前後ぜんごして、ほとんどは姿すがたした。国家こっか自体じたい維持いじしたまま社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせい放棄ほうきしたケースもあれば、社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせい放棄ほうきとともに複数ふくすうあらたな国家こっか分裂ぶんれつしたケース(ユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこくチェコスロバキアエチオピアなど)や、近隣きんりん資本しほん主義しゅぎこく吸収きゅうしゅう統合とうごうされるかたち国家こっかごと消滅しょうめつしたケース(きゅうひがしドイツみなみイエメンなど)もあった。

改革かいかく開放かいほう以降いこう社会しゃかい主義しゅぎ市場いちば経済けいざい本格ほんかくてき定着ていちゃくした中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくでは、原始げんし共産きょうさん主義しゅぎてきだった毛沢東もうたくとう時代じだいちがマルクス主義まるくすしゅぎ経済けいざい発展はってん段階だんかい学説がくせつ忠実ちゅうじつで、究極きゅうきょく地点ちてんこそが共産きょうさん主義しゅぎだと認識にんしきされている。中国共産党ちゅうごくきょうさんとう現在げんざい状態じょうたいを『資本しほん主義しゅぎから離脱りだつした過渡かと状態じょうたい』と規定きていし、資本しほん主義しゅぎ部門ぶもんと、社会しゃかい主義しゅぎ部門ぶもんとの競争きょうそうによる社会しゃかい主義しゅぎ市場いちば経済けいざい(あるいは混合こんごう経済けいざい体制たいせい導入どうにゅうしている。ベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくドイモイ参照さんしょう)やラオス人民じんみん民主みんしゅ共和きょうわこく経済けいざい開放かいほう政策せいさく導入どうにゅうした。一連いちれん政策せいさく国家こっか資本しほん主義しゅぎかかげたレーニン時代じだいソ連それんのネップが根拠こんきょになっている。

キューバ共和きょうわこく市場いちば経済けいざい導入どうにゅう限定げんていてきで、従来じゅうらいからの社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせい継続けいぞくしている。

朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくは、1950年代ねんだいごろからマルクス・レーニン主義しゅぎから独自どくじ発展はってんしたと主張しゅちょうするチュチェ思想しそう立脚りっきゃくし、公式こうしきプロパガンダ内容ないよう立場たちばながらくっていた。1972ねん憲法けんぽう改正かいせい明文化めいぶんかしたが、徐々じょじょきむ日成いるそん一族いちぞく献身けんしん個人こじん崇拝すうはいつよあおり、ソ連それん東欧とうおう社会しゃかい主義しゅぎ政権せいけん相次あいついで崩壊ほうかいするとマルクス・レーニン主義しゅぎたいする言及げんきゅう減少げんしょうし、2010ねんとう規約きやくから共産きょうさん主義しゅぎ削除さくじょしている。

西欧せいおうにおける「マルクス・ルネッサンス」 編集へんしゅう

ソ連それんかたマルクス主義まるくすしゅぎマルクス・レーニン主義しゅぎ、その後継こうけいとしてのスターリン主義しゅぎ)にたいして、西欧せいおうマルクス主義まるくすしゅぎしゃ異論いろん批判ひはんてき立場たちばものすくなくなかったが、最初さいしょ西欧せいおうがたマルクス主義まるくすしゅぎ提示ていじしたのは哲学てつがくものルカーチ・ジェルジカール・コルシュだった。

ルカーチはソ連それんかたマルクス主義まるくすしゅぎマルクス=レーニン主義しゅぎ)に転向てんこうしたが、ドイツのフランクフルト学派がくはばれるマルクス主義まるくすしゅぎしゃたちは、テオドール・アドルノマックス・ホルクハイマー筆頭ひっとうに、ソ連それんがたマルクス主義まるくすしゅぎのような権威けんい主義しゅぎたいする徹底てっていした批判ひはん展開てんかいし、西欧せいおうモダニズムふかむすびついた「批判ひはん理論りろん」とばれるあたらしいマルクス主義まるくすしゅぎ展開てんかいし、1960年代ねんだい学生がくせい運動うんどうポストモダニズムなどの現代げんだい思想しそうたいしてもふか影響えいきょうりょくせている。

ルイ・アルチュセールのように構造こうぞう主義しゅぎてきマルクス主義まるくすしゅぎをとらえなお構造こうぞう主義しゅぎてきマルクス主義まるくすしゅぎ弁証法べんしょうほうてき唯物ゆいぶつろんのような哲学てつがくてき概念がいねん前提ぜんていとせず科学かがくとしての経済けいざいがく依拠いきょして、資本しほん主義しゅぎ数理すうりてき分析ぶんせきする分析ぶんせきてきマルクス主義まるくすしゅぎなどもある。

おおくの哲学てつがくしゃ思想家しそうか経済けいざい学者がくしゃマルクス主義まるくすしゅぎについて言及げんきゅう考察こうさつしている。全般ぜんぱんてき旧来きゅうらいいわれていたマルクス主義まるくすしゅぎ教条きょうじょうとらわれることなく多様たようときには対立たいりつふくしょ理論りろんつつんで進行しんこうしている。

上記じょうきのような状況じょうきょうもとで、いままでしょ潮流ちょうりゅう対立たいりつもあり編纂へんさんすること出来できなかった決定的けっていてきなマルクス・エンゲルスの全集ぜんしゅうつくる「しんMEGA」プロジェクトが進行しんこうちゅうである。

冷戦れいせん終結しゅうけつマルクス主義まるくすしゅぎ 編集へんしゅう

冷戦れいせん終結しゅうけつマルクス主義まるくすしゅぎかかげる社会しゃかい主義しゅぎこくマルクス主義まるくすしゅぎ支持しじしゃ大幅おおはば減少げんしょうした。中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくベトナムラオスキューバなどは、政治せいじめんいちとう独裁どくさい維持いじしながら、経済けいざいめん改革かいかく開放かいほうドイモイ政策せいさく推進すいしんしている。朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく憲法けんぽうから「共産きょうさん主義しゅぎ」のかたり削除さくじょし、独自どくじ主体しゅたい思想しそう強調きょうちょうしている。資本しほん主義しゅぎ諸国しょこく各国かっこく共産党きょうさんとうではとう指導しどうせい綱領こうりょうからはずすなど、社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎとの類似るいじせい拡大かくだいしている。

しん自由じゆう主義しゅぎてき政策せいさくによる格差かくさ社会しゃかい拡大かくだいや、世界せかい金融きんゆう危機ききなど資本しほん主義しゅぎ経済けいざい確実かくじつせい発生はっせいし、マルクス主義まるくすしゅぎ見直みなおしと同時どうじに、部分ぶぶんてきさい評価ひょうかうごきも発生はっせいした。

批評ひひょう批判ひはん 編集へんしゅう

マルクス主義まるくすしゅぎたいする批評ひひょう批判ひはんは、政治せいじてき右派うはからだけではなく、左派さはからもおこなわれてきている。民主みんしゅ社会しゃかい主義しゅぎもの社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎものは、社会しゃかい主義しゅぎ階級かいきゅう闘争とうそうプロレタリア独裁どくさいによってのみげられるという概念がいねん反対はんたいしてきている。おおくのアナキストも、プロレタリア独裁どくさい必要ひつよう主張しゅちょう反対はんたいしてきている。いくつかの思想家しそうかは、唯物ゆいぶつ史観しかん労働ろうどう価値かちせつなどのマルクス主義まるくすしゅぎしゃ理論りろん基盤きばん反対はんたいしてきている。

社会しゃかい主義しゅぎ拡張かくちょうされたマルクス主義まるくすしゅぎへの主要しゅよう批判ひはんには、経済けいざい計算けいさん論争ろんそう[10][11]科学かがく技術ぎじゅつ発展はってん遅延ちえん[12]動機どうき減少げんしょう[13][14][15]資産しさん減少げんしょう[16][17]実現じつげん可能かのうせい[10][11][12]、その社会しゃかいてきおよび政治せいじてき影響えいきょう[18][19][20][21][22][23]、などがある。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ ソ連それん共産党きょうさんとうは、「科学かがくてき共産きょうさん主義しゅぎ」とんでいた[よう出典しゅってん]

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ フリードリヒ・エンゲルス 『空想くうそうから科学かがくへ』『はんデューリングろん
  2. ^ マルクス、エンゲルス 『共産党きょうさんとう宣言せんげん 共産きょうさん主義しゅぎ原理げんり』 大月書店おおつきしょてん国民こくみん文庫ぶんこ〉、1952ねん、46、47、56ぺーじ
  3. ^ 科学かがくてき社会しゃかい主義しゅぎ』 - コトバンク
  4. ^ マルクス、エンゲルス 『共産党きょうさんとう宣言せんげん 共産きょうさん主義しゅぎ原理げんり』、56ぺーじ
  5. ^ 面白おもしろいほどよくわかる現代げんだい思想しそうのすべて30ぺーじ~33ぺーじ
  6. ^ Zeev Sternhell: The Birth of Fascist Ideology: From Cultural Rebellion, 2001, pp.92
  7. ^ 大杉おおすぎさかえ『ベルグソンとソレル』
  8. ^ Enrico Leone, La revisione del marxismo , Roma, Biblioteca del Divenire sociale, 1909
  9. ^ Marco Piraino e Stefano Fiorito "L'identità fascista" (Lulu, 2008); Domenico Settembrini "Fascismo controrivoluzione imperfetta" (SEAM, 2001), Ernst Nolte, "Il giovane Mussolini. Marx e Nietzsche in Mussolini socialista", Sugarco 1997.
  10. ^ a b Von Mises, Ludwig (1990) (pdf). Economic calculation in the Socialist Commonwealth. ミーゼス研究所けんきゅうじょ. http://mises.org/pdf/econcalc.pdf 2008ねん9がつ8にち閲覧えつらん 
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  12. ^ a b Milton Friedman. We have Socialism Q.E.D., Op-Ed in New York Times December 31, 1989 [1]
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  14. ^ Mill, John Stuart. The Principles of Political Economy, Book IV, Chapter 7.
  15. ^ John Kenneth Galbraith, The Good Society: The Humane Agenda, (Boston, MA: Houghton Mifflin Co., 1996), 59-60."
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  18. ^ F.A. Hayek. The Intellectuals and Socialism. (1949).
  19. ^ Alan O. Ebenstein. Friedrich Hayek: A Biography. (2003). University of Chicago Press. ISBN 0226181502 p.137
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  22. ^ Self, Peter. Socialism. A Companion to Contemporary Political Philosophy, editors Goodin, Robert E. and Pettit, Philip. Blackwell Publishing, 1995, p.339 "Extreme equality overlooks the diversity of individual talents, tastes and needs, and save in a utopian society of unselfish individuals would entail strong coercion; but even short of this goal, there is the problem of giving reasonable recognition to different individual needs, tastes (for work or leisure) and talents. It is true therefore that beyond some point the pursuit of equality runs into controversial or contradictory criteria of need or merit."
  23. ^ Socialism

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう