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疎外 - Wikipedia

疎外そがい[1](そがい、どく: Entfremdungえい: alienation)とは、哲学てつがく経済けいざいがく用語ようごとしては人間にんげんつくったもの機械きかい商品しょうひん貨幣かへい制度せいどなど)が人間にんげん自身じしんから分離ぶんりし、ぎゃく人間にんげん支配しはいするような疎遠そえんちからとしてあらわれること。またそれによって、人間にんげんがあるべき自己じこ本質ほんしつうしな状態じょうたいをいう。

概要がいよう

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ラテン語らてんごalienato他人たにんのものにする)に由来ゆらいする疎外そがい概念がいねんは、経済けいざい社会しゃかい歴史れきしてきには、客体かくたいとして存在そんざいするようになったものを操作そうさするちから主体しゅたいうしなっている状態じょうたいのことをす。たとえば、あるものがわたしとは無関係むかんけいであるという場合ばあい、そのあるものにたいしてわたし無力むりょくなものとして疎外そがい(ないがしろに)されていることになる[2]。この疎外そがい克服こくふくすることによって、人間にんげんはその本来ほんらい自己じこもどし、その可能かのうせい自己じこ実現じつげんできるものとされる[3]

思想しそう

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マルクスは、この疎外そがいEntfremdungという用語ようごヘーゲルの『精神せいしん現象げんしょうがく』(1807ねん)から継承けいしょうし、またフォイエルバッハの、かみ人間にんげんぜんせい客体かくたいした発明はつめいであるかぎり、それだけ人間にんげんまずしくなる(「キリストきょう本質ほんしつ」)という思想しそうれて、経済けいざいがく用語ようごなおした。

マルクスによる概念がいねん

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有機ゆうきてき身体しんたい有機ゆうきてき身体しんたいかれ、自然しぜんあらがう「自然しぜん疎外そがい」がこることで生命せいめいはじまったように、近代きんだいてき私的してき所有しょゆう制度せいど普及ふきゅうし、資本しほん主義しゅぎ市場いちば経済けいざい形成けいせいされるにつれ、資本しほん土地とち労働ろうどうりょくなどに転化てんかする。それに対応たいおう本源ほんげんてき共同きょうどうたい分離ぶんりし、人間にんげん資本しほん地主じぬし賃金ちんぎん労働ろうどうしゃなどに転化てんかする。同時どうじ人間にんげん主体しゅたいてき活動かつどうであり、社会しゃかい生活せいかつ普遍ふへんてき基礎きそをなす労働ろうどう過程かていとその生産せいさんぶつは、利潤りじゅん追求ついきゅう手段しゅだんとなり、人間にんげん労働ろうどうりょくという商品しょうひんとなって資本しほんのもとに従属じゅうぞくし、ものをつく主人しゅじんであることがうしなわれていく。また機械きかいせいだい工業こうぎょう発達はったつは、労働ろうどうをますます単純たんじゅん労働ろうどうかえしにえ、機械きかい支配しはいされることによって機械きかい操縦そうじゅうする主人しゅじんであることがうしなわれ、疎外そがいかん増大ぞうだいさせる。こうしたなかで、賃金ちんぎん労働ろうどうしゃ自分じぶん自身じしん疎外そがい支配しはい)するもの(資本しほん)をさい生産せいさんする。資本しほんはますます労働ろうどうしゃ人間にんげんにとって外的がいてき敵対てきたいてきなもの、「人間にんげん疎外そがい」となっていく。

マルクスは「疎外そがいされた労働ろうどう」がさい生産せいさんされるこのような社会しゃかい関係かんけいを『経済けいざいがく哲学てつがく草稿そうこう』(1844ねん)で分析ぶんせきし、『経済けいざいがく批判ひはん要綱ようこう』(1857ねん - 1858ねん)や『資本しほんろん』(1867ねん1885ねん1894ねん)に継承けいしょうした。

スターリン主義しゅぎによる歪曲わいきょく

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スターリン主義しゅぎものは、ソ連それんにおいて社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかい実現じつげんしたと宣言せんげんしたにもかかわらず、疎外そがい存在そんざいする現実げんじつ否定ひていするために、疎外そがいという概念がいねんそのものを、マルクスの青年せいねん特有とくゆうのものとして事実じじつじょう否定ひていせざるをえなかった。スターリン主義しゅぎしゃ理論りろんでは、疎外そがいとは搾取さくしゅのことであるとして、疎外そがい概念がいねんほうむられた。

サルトルによる概念がいねん

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サルトルは、自由じゆうたいおのずとして実存じつぞんする人間にんげんは「自由じゆうけいしょせられている(condamné à être libre)」という言葉ことばのこしたが、については、これが実存じつぞん永遠えいえんゆうであるという意味いみで、これを回復かいふく不能ふのう疎外そがいであるとした。

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ドイツであるEntfremdungの訳語やくごとしての疎外そがい概念がいねんは、他人たにん(fremd)のものにするという意味いみつ。日本語にほんご疎外そがい」には、「うとんじること」(広辞苑こうじえんより)あるいは「仲間外なかまはずれにすること」という意味いみがあり、そちらが本来ほんらい意味いみである。経済けいざいがく哲学てつがく学者がくしゃ学生がくせいでもないかぎり、日常にちじょうてきにはおもにそちらの意味いみもちいている。ただし、ほんこう辞書じしょではなく百科辞典ひゃっかじてんであることを考慮こうりょし、哲学てつがく用語ようご経済けいざいがく用語ようごの「疎外そがい」について解説かいせつする。
  2. ^ フランスの哲学てつがくしゃルソーは、「譲渡じょうとするaliener」ことを、「わたし無縁むえんなものetrangerとなる」ことだとしている。
  3. ^ 自己じこ実現じつげんのプロセスとして労働ろうどうとらえたヘーゲル批判ひはんてきいだマルクスは、資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいにおける疎外そがいされた労働ろうどう問題もんだいとした。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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