朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう の公式 こうしき 党 とう 史 し では「主体 しゅたい (思想 しそう )」の起源 きげん は1930年代 ねんだい で、最初 さいしょ の言及 げんきゅう は1930年 ねん (主体 しゅたい 19年 ねん =昭和 しょうわ 5年 ねん )6月30日 にち の金 きむ 日成 いるそん が18歳 さい の時 とき の演説 えんぜつ とされている[ 8] 。しかし、これらの情報 じょうほう には信憑 しんぴょう 性 せい が無 な い[ 9] 。
知 し られている北朝鮮 きたちょうせん での「主体 しゅたい (チュチェ)」への最初 さいしょ の言及 げんきゅう は、1955年 ねん 12月28日 にち の金 きむ 日成 いるそん による演説 えんぜつ 『思想 しそう 的 てき 研究 けんきゅう における教条 きょうじょう 主義 しゅぎ および形式 けいしき 主義 しゅぎ の除去 じょきょ と「主体 しゅたい (チュチェ)」の構築 こうちく 」』[ 10] である。金 きむ 日成 いるそん はこの演説 えんぜつ で、党 とう の宣伝 せんでん 担当 たんとう 者 しゃ はソビエト連邦 れんぽう から思想 しそう や慣習 かんしゅう を輸入 ゆにゅう するのではなく、朝鮮 ちょうせん 自身 じしん の「ウリシク(我々 われわれ 式 しき )」の方法 ほうほう によって朝鮮 ちょうせん 革命 かくめい を前進 ぜんしん させるべきであると論 ろん じた。これは、スターリン批判 ひはん が国内 こくない に波及 はきゅう することを恐 おそ れた金 きむ 日成 いるそん が防波堤 ぼうはてい を作 つく ったものであるとの見方 みかた もある。
朝鮮 ちょうせん で
革命 かくめい を
行 おこな うために、
我々 われわれ は
朝鮮 ちょうせん 人民 じんみん の
慣習 かんしゅう と
同様 どうよう に、
朝鮮 ちょうせん の
歴史 れきし や
地理 ちり 学 がく も
知 し るべきである。それらが
彼 かれ らに
適合 てきごう し、
彼 かれ らの
生 う まれ
故郷 こきょう や
祖国 そこく への
激 はげ しい
愛情 あいじょう を
彼 かれ らに
呼 よ び
起 お こすことを
通 つう じてのみ、
我々 われわれ の
人民 じんみん を
教育 きょういく する
事 こと が
可能 かのう になる。
— 金 きむ 日成 いるそん 、[ 6] :421
1950年代 ねんだい 後半 こうはん 、金 きむ 日成 いるそん がマルクス・レーニン主義 しゅぎ の彼 かれ 自身 じしん の見解 けんかい の構築 こうちく を考 かんが えていた時 とき に、首席 しゅせき 思想 しそう 相談役 そうだんやく だった黄 き 長 ちょう 燁 が、この演説 えんぜつ の「主体 しゅたい 」がマルクス・レーニン主義 しゅぎ の独創 どくそう 的 てき な発展 はってん とみなせる事 こと を発見 はっけん し[ 11] 、この概念 がいねん を社会 しゃかい 的 てき に定義 ていぎ された信条 しんじょう として構築 こうちく を開始 かいし した[ 3] との主張 しゅちょう がある。1958年 ねん までに金 きむ 日成 いるそん が北朝鮮 きたちょうせん での支配 しはい を確立 かくりつ すると、この言葉 ことば は人民 じんみん による彼 かれ への献身 けんしん を示 しめ す目的 もくてき で使 つか い始 はじ められ、金 きむ 日成 いるそん やその一族 いちぞく の歴史 れきし や指導 しどう 者 しゃ としての正統 せいとう 性 せい への美化 びか など、個人 こじん 崇拝 すうはい が進 すす められた[ 12] 。
冷戦 れいせん の期間 きかん 中 ちゅう 、北朝鮮 きたちょうせん は主体 しゅたい 思想 しそう と自立 じりつ の原則 げんそく を他国 たこく 、特 とく に非 ひ 同盟 どうめい 諸国 しょこく への経済 けいざい 発展 はってん の方法 ほうほう として推進 すいしん した。1967年 ねん から自己 じこ への権力 けんりょく 集中 しゅうちゅう を強化 きょうか していたルーマニア 大統領 だいとうりょう ニコラエ・チャウシェスク は、1971年 ねん 、朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく を含 ふく むアジア諸国 しょこく 訪問 ほうもん 時 じ の北朝鮮 きたちょうせん の思想 しそう 的 てき な動員 どういん 力 りょく と大衆 たいしゅう による賞賛 しょうさん に影響 えいきょう を受 う けていた。
1972年 ねん の憲法 けんぽう 改正 かいせい で、主体 しゅたい 思想 しそう は公式 こうしき な国家 こっか 思想 しそう としてマルクス・レーニン主義 しゅぎ と置 お き換 か えた。これは中 ちゅう ソ対立 たいりつ の影響 えいきょう でもあったが、主体 しゅたい 思想 しそう は「マルクス・レーニン主義 しゅぎ の創造 そうぞう 的 てき な適用 てきよう 」と定義 ていぎ された。金 きむ 日成 いるそん はまた、主体 しゅたい 思想 しそう は全 すべ てのスターリン主義 しゅぎ 国家 こっか を継承 けいしょう する、計画 けいかく 的 てき な位置 いち づけであると説明 せつめい した[ 13] 。
1977年 ねん 8月 がつ 、北朝鮮 きたちょうせん 政府 せいふ は主体 しゅたい 思想 しそう に関 かん する最初 さいしょ の国際 こくさい 的 てき 会議 かいぎ を主催 しゅさい し、その中 なか で日本 にっぽん のチュチェ思想 しそう 国際 こくさい 研究所 けんきゅうじょ と、スペイン の朝鮮 ちょうせん 親善 しんぜん 協会 きょうかい が注目 ちゅうもく された[ 14] 。
金 きむ 日成 いるそん は1994年 ねん の死去 しきょ 以後 いご も崇拝 すうはい され、1998年 ねん の憲法 けんぽう 改正 かいせい で「永遠 えいえん の主席 しゅせき 」とされた。後継 こうけい 者 しゃ の金 きむ 正日 じょんいる は「金 きむ 日成 いるそん 主席 しゅせき にならぶ偉大 いだい な指導 しどう 者 しゃ ・民族 みんぞく の太陽 たいよう 」と呼 よ ばれるようになった。朝鮮 ちょうせん の歴史 れきし は1866年 ねん に遡 さかのぼ って、アメリカ帝国 ていこく 主義 しゅぎ (米 べい 帝 みかど )に対 たい して闘争 とうそう する「英雄 えいゆう 的 てき な」金 きむ 一族 いちぞく と、その祖先 そせん について書 か き直 なお された。これらの金 かね 一族 いちぞく への崇拝 すうはい は、主体 しゅたい 思想 しそう によって支援 しえん され、金 きむ 日成 いるそん は全 ぜん 人民 じんみん の「最上 さいじょう の指導 しどう 者 しゃ で太陽 たいよう 」とされた[ 12] 。
1997年 ねん には主体 しゅたい 年号 ねんごう が開始 かいし された。
2012年 ねん 4月 がつ に開催 かいさい された第 だい 4回 かい 党 とう 代表 だいひょう 者 しゃ 会 かい (朝鮮 ちょうせん 語 ご 版 ばん 、中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) の中 なか で、主体 しゅたい 思想 しそう は定義 ていぎ が拡張 かくちょう され、金 きむ 正 ただし 恩 おん が金 きむ 日成 いるそん 思想 しそう の包括 ほうかつ 的 てき な理解 りかい 者 しゃ かつ金 きむ 正日 じょんいる 思想 しそう の発展 はってん かつ進化 しんか であり、「金 きむ 日成 いるそん ・金 きむ 正日 じょんいる 主義 しゅぎ 」との用語 ようご で表現 ひょうげん された。金 きむ 正 ただし 恩 おん は党 とう 代表 だいひょう 者 しゃ 会 かい の直前 ちょくぜん 、党 とう 中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい の責任 せきにん 幹部 かんぶ を前 まえ に以下 いか の演説 えんぜつ を行 おこな った。
金 きむ 日成 いるそん ・
金 きむ 正日 じょんいる 主義 しゅぎ は、
整合 せいごう 性 せい ある
思想 しそう 体系 たいけい であり、チュチェ(
思想 しそう )の
理論 りろん と
手法 しゅほう であり、チュチェ
時代 じだい を
代表 だいひょう する
偉大 いだい で
革命 かくめい 的 てき な
思想 しそう である。
金 きむ 日成 いるそん ・
金 きむ 正日 じょんいる 主義 しゅぎ に
従 したが い、(
金 きむ 日成 いるそん )
主席 しゅせき および(
金 きむ 正日 じょんいる )
将軍 しょうぐん の
思想 しそう と
方向 ほうこう 性 せい を
合致 がっち させて、
我々 われわれ は
党 とう 建設 けんせつ と
党 とう 活動 かつどう を
指揮 しき し、
我々 われわれ の
党 とう の
革命 かくめい 的 てき な
特性 とくせい を
強化 きょうか し、
革命 かくめい を
前進 ぜんしん させ
建設 けんせつ すべきである。
— 金 きむ 正 ただし 恩 おん 、[ 15]
主体 しゅたい 思想 しそう 自身 じしん は1956年 ねん から表面 ひょうめん 化 か した中 ちゅう ソ対立 たいりつ による政治 せいじ 的 てき 緊張 きんちょう 下 か で、全体 ぜんたい 的 てき で思想 しそう 的 てき なドクトリン として段階 だんかい 的 てき に形成 けいせい されていった。すなわち北朝鮮 きたちょうせん 国内 こくない における親 おや ソ派 は (ソ連 それん 派 は )・親中 しんちゅう 派 は (延 のべ 安 やす 派 は )の粛清 しゅくせい (8月 がつ 宗派 しゅうは 事件 じけん )とソ連 それん 、中国 ちゅうごく の影響 えいきょう の排除 はいじょ を通 つう じ、金 きむ 日成 いるそん はマルクス・レーニン主義 しゅぎ の独自 どくじ 解釈 かいしゃく を進 すす めることとなった。特 とく に、フルシチョフ政権 せいけん 下 か のソ連 それん 共産党 きょうさんとう 第 だい 20回 かい 大会 たいかい で「西側 にしがわ 諸国 しょこく との平和 へいわ 共存 きょうぞん 路線 ろせん 」が打 う ち出 だ されると、朝鮮半島 ちょうせんはんとう の解放 かいほう (すなわち南朝鮮 みなみちょうせん からのアメリカ帝国 ていこく 主義 しゅぎ の排除 はいじょ )を国是 こくぜ とする北朝鮮 きたちょうせん と、ソ連 それん との対立 たいりつ は深 ふか まってゆく(これに対 たい し、ソ連 それん の平和 へいわ 共存 きょうぞん 路線 ろせん を「修正 しゅうせい 主義 しゅぎ 」として批判 ひはん した中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく は、北朝鮮 きたちょうせん と接近 せっきん することになった)[ 16] 。
主体 しゅたい 思想 しそう は約 やく 10年間 ねんかん は脇 わき に押 お しやられ、1963年 ねん の金 きむ 日成 いるそん の朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん への「主体 しゅたい 」原則 げんそく の演説 えんぜつ により再 さい 登場 とうじょう した[ 12] 。
主体 しゅたい 思想 しそう という言葉 ことば は、1965年 ねん 4月 がつ 14日 にち に金 きむ 日成 いるそん がインドネシア のアリ・アハラム社会 しゃかい 科学 かがく 院 いん で行 おこな った演説 えんぜつ 『朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく における社会 しゃかい 主義 しゅぎ 建設 けんせつ と南朝鮮 みなみちょうせん 革命 かくめい 』に登場 とうじょう する。同 どう 演説 えんぜつ によると、一 いち 国 こく の独立 どくりつ には「思想 しそう における主体 しゅたい 」「政治 せいじ における自主 じしゅ 」「経済 けいざい における自立 じりつ 」「国防 こくぼう における自衛 じえい 」の確立 かくりつ が必要 ひつよう であり、北朝鮮 きたちょうせん が保持 ほじ してきたこの立場 たちば が「主体 しゅたい 思想 しそう 」であるとされた。
その後 ご 1966年 ねん 10月 がつ の朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう 第 だい 2回 かい 代表 だいひょう 者 しゃ 会 かい では主体 しゅたい 思想 しそう が定式 ていしき 化 か され、「帝国 ていこく 主義 しゅぎ との徹底 てってい 闘争 とうそう 」「植民 しょくみん 地 ち 民族 みんぞく 解放 かいほう 運動 うんどう と国際 こくさい 労働 ろうどう 運動 うんどう の支持 しじ 」「社会 しゃかい 主義 しゅぎ 政権 せいけん 」「内政 ないせい 不干渉 ふかんしょう ・相互 そうご 尊重 そんちょう ・互恵 ごけい 平等 びょうどう 」が北朝鮮 きたちょうせん の進 すす むべき路線 ろせん であるとされた。このように、主体 しゅたい 思想 しそう はその確立 かくりつ 期 き にあって、大国 たいこく による内政 ないせい 干渉 かんしょう を排除 はいじょ し自主 じしゅ 路線 ろせん を歩 あゆ むこと、そのためにマルクス・レーニン主義 しゅぎ に対 たい する独自 どくじ のアプローチをとることを主要 しゅよう な内容 ないよう としていた。
1967年 ねん 5月 がつ の党 とう 中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい 全員 ぜんいん 会議 かいぎ では、「唯一 ゆいいつ 思想 しそう 体系 たいけい 」を確立 かくりつ し、修正 しゅうせい 主義 しゅぎ 分子 ぶんし を排除 はいじょ することが謳 うた われた。これにより、金 きむ 日成 いるそん と共 とも に抗日 こうにち パルチザン闘争 とうそう を戦 たたか った甲山 こうざん 派 は も党内 とうない から排除 はいじょ された。主体 しゅたい 思想 しそう が朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう の首領 しゅりょう である金 かね の思想 しそう であることが確立 かくりつ されたことで、党内 とうない のイデオロギー的 てき 対立 たいりつ は形式 けいしき 的 てき には克服 こくふく されたことになった[ 17] 。
なお現在 げんざい では、主体 しゅたい 思想 しそう 塔 とう に朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の兵士 へいし や平壌 ぴょんやん 市民 しみん 、大勢 おおぜい の訪朝 ほうちょう 観光 かんこう 客 きゃく が観光 かんこう ・崇拝 すうはい をしている。
北朝鮮 きたちょうせん の自主 じしゅ 独立 どくりつ 路線 ろせん と、マルクス・レーニン主義 しゅぎ の独自 どくじ 解釈 かいしゃく を打 う ち出 だ した主体 しゅたい 思想 しそう は、やがて、首領 しゅりょう =金 きむ 日成 いるそん の唯一 ゆいいつ 絶対 ぜったい の思想 しそう としての地位 ちい を確立 かくりつ し、これに対 たい する一切 いっさい の批判 ひはん を排除 はいじょ することを通 つう じて、金 きむ 一族 いちぞく の絶対 ぜったい 的 てき 権力 けんりょく を正当 せいとう 化 か するイデオロギー としての色彩 しきさい を強 つよ めていく。そのことは、いずれ訪 おとず れる長男 ちょうなん ・金 きむ 正日 じょんいる への地位 ちい の継承 けいしょう を準備 じゅんび する意味 いみ も持 も っていた。
1972年 ねん (主体 しゅたい 61年 ねん )12月27日 にち の最高 さいこう 人民 じんみん 会議 かいぎ 第 だい 5期 き 第 だい 1回 かい 会議 かいぎ でそれまでの朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく 憲法 けんぽう を全面 ぜんめん 的 てき に改正 かいせい した朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 憲法 けんぽう では、主体 しゅたい 思想 しそう が国家 こっか の指導 しどう 指針 ししん とされた。同時 どうじ に国家 こっか 主席 しゅせき のポストが新設 しんせつ され、それまで朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう の「首領 しゅりょう 」とされていた金 きむ 日成 いるそん に憲法 けんぽう 上 じょう も最高 さいこう 指導 しどう 者 しゃ の地位 ちい が付与 ふよ された。
さらに、1974年 ねん には党 とう の唯一 ゆいいつ 思想 しそう 体系 たいけい 確立 かくりつ の10大 だい 原則 げんそく が成立 せいりつ 。主体 しゅたい 思想 しそう の目指 めざ すところを具体 ぐたい 化 か しつつ簡潔 かんけつ にまとめた、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 憲法 けんぽう や朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう 規約 きやく を上回 うわまわ る北朝鮮 きたちょうせん 公民 こうみん の最高 さいこう 規範 きはん と位置付 いちづ けられた。そして、公民 こうみん に対 たい しては戦前 せんぜん ・戦中 せんちゅう の大日本帝国 だいにっぽんていこく の教育 きょういく 勅語 ちょくご にも劣 おと らぬ徹底的 てっていてき な教育 きょういく が行 おこな われた。
1982年 ねん の金 きむ 正日 じょんいる の『チュチェ思想 しそう について』によると、国家 こっか 政策 せいさく における主体 しゅたい 思想 しそう の適用 てきよう の概要 がいよう は以下 いか である[ 18] 。
人民 じんみん は、思想 しそう や政治 せいじ 的 てき には独立 どくりつ し、経済 けいざい 的 てき には自己 じこ 供給 きょうきゅう し、国防 こくぼう では自己 じこ 依存 いぞん していなければならない。
政策 せいさく は大衆 たいしゅう の意思 いし と願望 がんぼう を反映 はんえい し、革命 かくめい と建設 けんせつ の中 なか で彼 かれ らを完全 かんぜん に雇用 こよう しなければならない。
革命 かくめい と建設 けんせつ の手法 しゅほう は、国家 こっか の状況 じょうきょう に適応 てきおう されなければならない。
革命 かくめい と建設 けんせつ の最 さい 重要 じゅうよう 作業 さぎょう は、人民 じんみん を思想 しそう 的 てき に共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ に形成 けいせい し、彼 かれ らを建設 けんせつ 作業 さぎょう に動員 どういん する事 こと である。
「主体 しゅたい 」の視点 してん では、革命 かくめい 的 てき な党 とう と指導 しどう 者 しゃ への絶対 ぜったい 的 てき な忠誠 ちゅうせい 心 しん を要求 ようきゅう した。北朝鮮 きたちょうせん では、それらは朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう と、最高 さいこう 指揮 しき 官 かん たる金 きむ 日成 いるそん であった。スターリンが押 お し進 すす めた個人 こじん 崇拝 すうはい を北朝鮮 きたちょうせん の実情 じつじょう に合 あ わせて進化 しんか させたもので、「領袖 りょうしゅう は党 とう 、党 とう は国家 こっか 」 というスローガンとともに朝鮮 ちょうせん 社会 しゃかい への浸透 しんとう を推 お し進 すす めた。そして金 きむ 日成 いるそん の死後 しご 、金 きむ 正日 じょんいる 指導 しどう の下 した では先 さき 軍 ぐん 思想 しそう が主体 しゅたい 思想 しそう と同列 どうれつ に推 お されたことにより、事実 じじつ 上 じょう 「領袖 りょうしゅう は軍 ぐん 、軍 ぐん は党 とう 、党 とう は国家 こっか 」 という軍国 ぐんこく 主義 しゅぎ 的 てき な要素 ようそ を含 ふく んだものへと変質 へんしつ する。
北朝鮮 きたちょうせん の公式 こうしき な歴史 れきし では、「主体 しゅたい 」の最初 さいしょ の適用 てきよう とされるものの1つは千里 せんり 馬 うま 運動 うんどう とも呼 よ ばれている1956年 ねん から1961年 ねん の五 ご カ年 かねん 計画 けいかく である。この五 ご カ年 かねん 計画 けいかく はソビエト連邦 れんぽう と中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の両方 りょうほう からの政治 せいじ 的 てき 独立 どくりつ を確実 かくじつ にするために、重工業 じゅうこうぎょう に焦点 しょうてん を当 あ てた北朝鮮 きたちょうせん の迅速 じんそく な経済 けいざい 発展 はってん を目的 もくてき としたが、1928年 ねん のソビエト連邦 れんぽう の第 だい 一 いち 次 じ 五 ご カ年 かねん 計画 けいかく と同様 どうよう の中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 的 てき な国家 こっか 計画 けいかく の手法 しゅほう を適用 てきよう し、また毛沢東 もうたくとう の第 だい 一 いち 次 じ 五 ご カ年 かねん 計画 けいかく や大 だい 躍進 やくしん 政策 せいさく とも部分 ぶぶん 的 てき には関連 かんれん があった。
しかし、経済 けいざい 的 てき 自立 じりつ の願望 がんぼう に反 はん して、北朝鮮 きたちょうせん は他 た の諸国 しょこく からの経済 けいざい 援助 えんじょ に依存 いぞん し続 つづ けている[ 19] 。歴史 れきし 的 てき には、1991年 ねん のソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい まではソビエト連邦 れんぽう からの援助 えんじょ に最 もっと も依存 いぞん していた[ 19] 。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 後 ご の1953年 ねん から1963年 ねん は「兄弟 きょうだい 」諸国 しょこく からの経済 けいざい 援助 えんじょ や資金 しきん に頼 たよ り、1953年 ねん から1976年 ねん はさらにソビエト連邦 れんぽう の産業 さんぎょう 支援 しえん に強 つよ く依存 いぞん した。ソ連 それん 崩壊 ほうかい により北朝鮮 きたちょうせん 経済 けいざい は危機 きき に陥 おちい り、社会 しゃかい 基盤 きばん の運営 うんえい にも失敗 しっぱい し続 つづ けたことから、1990年代 ねんだい 半 なか ばには大 だい 規模 きぼ な飢饉 ききん が発生 はっせい した。
その後 ご 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく が最大 さいだい の援助 えんじょ 国 こく となり、人道 じんどう 援助 えんじょ に年 とし 4億 おく ドルを提供 ていきょう し[ 20] 、北朝鮮 きたちょうせん の貿易 ぼうえき は中国 ちゅうごく が90.6%も占 し めている[ 21] 。2005年 ねん には北朝鮮 きたちょうせん は2番目 ばんめ に多 おお い国際 こくさい 食糧 しょくりょう 援助 えんじょ を受 う けており、恒常 こうじょう 的 てき な食料 しょくりょう 不足 ふそく に悩 なや まされている。
ブライアン・レイノルズ・マイヤーズ (英語 えいご 版 ばん ) などの人権 じんけん 監視 かんし 組織 そしき や政治 せいじ アナリストは、北朝鮮 きたちょうせん の実情 じつじょう は「主体 しゅたい 思想 しそう 」との類似 るいじ 性 せい が無 な いと継続 けいぞく 的 てき に報告 ほうこく している[ 22] 。北朝鮮 きたちょうせん の経済 けいざい は、社会 しゃかい 主義 しゅぎ 国 こく 間 あいだ の貿易 ぼうえき ブロックが崩壊 ほうかい する前 まえ も後 ご も海外 かいがい からの輸入 ゆにゅう や支援 しえん に深 ふか く依存 いぞん しており、また人々 ひとびと は実際 じっさい には意思 いし 決定 けってい を重視 じゅうし されていない。
主体 しゅたい 思想 しそう の理論 りろん 家 か である黄 き 長 ちょう 燁 は、韓国 かんこく への亡命 ぼうめい 後 ご の書籍 しょせき 『金 きむ 正日 じょんいる への宣戦 せんせん 布告 ふこく 』などで、本来 ほんらい の主体 しゅたい 思想 しそう はマルクス・レーニン主義 しゅぎ の適用 てきよう だが、実際 じっさい には金 きむ 一族 いちぞく による独裁 どくさい 政治 せいじ や個人 こじん 崇拝 すうはい に利用 りよう されていると批判 ひはん した[ 23] 。
論理 ろんり 学者 がくしゃ の Thomas J. Belke による1999年 ねん の著作 ちょさく 『Juche: A Christian Study of North Korea's State Religion』や、政治 せいじ 学者 がくしゃ の Han S. Park による2002年 ねん の著作 ちょさく 『Juche: The Politics of Unconventional Wisdom』は、いずれも主体 しゅたい 思想 しそう は政治 せいじ 的 てき 宗教 しゅうきょう (英語 えいご 版 ばん ) に関連 かんれん していると記 しる した[ 24] 。また Myers は、毛沢東 もうたくとう に関 かん する政治 せいじ 的 てき 理論 りろん と比較 ひかく して、主体 しゅたい 思想 しそう は金 きむ 日成 いるそん への賞賛 しょうさん のための単 たん なる欺瞞 ぎまん となっているとした[ 22] 。
中国 ちゅうごく の映画 えいが 監督 かんとく の胡 えびす 戈 ほこ (中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) は、主体 しゅたい 思想 しそう を風刺 ふうし した[ 25] 。
2001年 ねん に、内藤 ないとう 陽介 ようすけ は、著書 ちょしょ 『北朝鮮 きたちょうせん 事典 じてん 』の主体 しゅたい 思想 しそう の項目 こうもく [ 26] において、日成 いるそん の死後 しご 、当時 とうじ 、思想 しそう 担当 たんとう の責任 せきにん 者 しゃ であった正日 じょんいる が主体 しゅたい 思想 しそう を宗教 しゅうきょう 思想 しそう へとつくりかえたとした。正日 じょんいる は、主体 しゅたい 思想 しそう を宗教 しゅうきょう 思想 しそう として整備 せいび する上 じょう で、社会 しゃかい 政治 せいじ 的 てき 生命 せいめい 体 からだ 論 ろん に基 もと づき、首領 しゅりょう を脳髄 のうずい 、党 とう を神経 しんけい とし、人民 じんみん を手足 てあし とする三位一体 さんみいったい の有 ゆう 機体 きたい 国家 こっか 論 ろん (革命 かくめい 的 てき 首領 しゅりょう 観 かん )を提唱 ていしょう した。内藤 ないとう 陽介 ようすけ は、「この有機 ゆうき 体 たい 国家 こっか 論 ろん の整備 せいび をもって、主体 しゅたい 思想 しそう は存在 そんざい 論 ろん を備 そな えた宗教 しゅうきょう 思想 しそう としての一 いち 応 おう の完成 かんせい をみた」としている[ 27] 。
2007年 ねん 、デイリーNK の報道 ほうどう では、アメリカ の宗教 しゅうきょう 情報 じょうほう 統計 とうけい サイト『アドヘレンツ・ドットコム』[ 28] は、主体 しゅたい 思想 しそう を「宗教 しゅうきょう 」と規定 きてい し、その追従 ついしょう 者 しゃ は1900万 まん 人 にん (当時 とうじ の数値 すうち 。現在 げんざい は2500万 まん 人 にん に修正 しゅうせい )を数 かぞ え、信者 しんじゃ 数 すう 世界 せかい 第 だい 10位 い の宗教 しゅうきょう であると発表 はっぴょう した[ 29] 。アドヘレンツ・ドットコムの発表 はっぴょう は、その多 おお くをThomas J. Belke著 ちょ 、『Juche - A Christian Study of North Korea's State Religion』に準拠 じゅんきょ している[ 30] [ 31] 。
^ 黄 き 長 ちょう 燁は1997年 ねん に脱 だつ 北 きた して韓国 かんこく に亡命 ぼうめい [ 2] 。このことは内外 ないがい に大 おお きな衝撃 しょうげき をあたえた[ 2] 。黄 き 長 ちょう 燁の最終 さいしゅう 役職 やくしょく は朝鮮 ちょうせん 労働党 ろうどうとう 中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい 国際 こくさい 担当 たんとう 書記 しょき ・最高 さいこう 人民 じんみん 会議 かいぎ 外交 がいこう 委員 いいん 会 かい 委員 いいん 長 ちょう 。
^ 読売新聞 よみうりしんぶん 、朝日新聞 あさひしんぶん 、「「主体 しゅたい 思想 しそう 」と黄 き 長 ちょう 燁」(荒木 あらき 和博 かずひろ )[1] 、「主体 しゅたい 思想 しそう について」(在日本朝鮮人総聯合会 ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい 中央 ちゅうおう 常任 じょうにん 委員 いいん 会 かい 、1982年 ねん )など。
^ 大辞泉 だいじせん 、「ブリタニカ国際 こくさい 大 だい 百科 ひゃっか 事典 じてん (小 しょう 項目 こうもく 電子 でんし 辞書 じしょ 版 ばん 2008年 ねん )」、チュチェ思想 しそう 国際 こくさい 研究所 けんきゅうじょ 、日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう など。
^ 統一教会 とういつきょうかい の文 ぶん 鮮明 せんめい による「三 さん 大 だい 主体 しゅたい 思想 しそう 」の「主体 しゅたい 」とは全 まった く別 べつ の意味 いみ [ 7] 。
^ “日本 にっぽん 大 だい 百科全書 ひゃっかぜんしょ (ニッポニカ)「主体 しゅたい 思想 しそう 」 ”. 2022年 ねん 7月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d “秘録 ひろく 金 きむ 正日 じょんいる (60) 黄 き 長 ちょう ヨプ亡命 ぼうめい の衝撃 しょうげき デモにおびえ、摘発 てきはつ 責任 せきにん 者 しゃ を処刑 しょけい ”. 産経新聞 さんけいしんぶん (2016年 ねん 1月 がつ 26日 にち ). 2021年 ねん 10月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
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^ 平岩 ひらいわ 俊司 しゅんじ 『北朝鮮 きたちょうせん ―変貌 へんぼう を続 つづ ける独裁 どくさい 国家 こっか 』中公新書 ちゅうこうしんしょ 、2013年 ねん 、86頁 ぺーじ
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^ 『Juche - A Christian Study of North Korea's State Religion』1ページ、88ページ、96~97ページの引用 いんよう であることが、アドヘレンツ・ドットコムのウェブサイトの「主体 しゅたい 」の項目 こうもく において示 しめ されている。
^ 他 た に、同 どう サイトにおいては、Gascoigne, Bamber. The Christians; New York: William Morrow & Co. (1977); pg. 290. Nash, Amy K. North Korea (series: Major World Nations), Philadelphia: Chelsea House Publishers (1999); pg. 96.より引用 いんよう が行 おこ なわれている
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『社会 しゃかい 主義 しゅぎ への主体 しゅたい 的 てき アプローチ』(韓 かん 東成 ひがしなり 、2006年 ねん 、白峰社 はくほうしゃ )
『二 に 十 じゅう 一 いち 世紀 せいき と金 きむ 正日 じょんいる 書記 しょき 』(李 り 珍 ちん 珪、1995年 ねん 、朝鮮 ちょうせん 青年 せいねん 社 しゃ )
『金 きむ 正日 じょんいる 主義 しゅぎ 入門 にゅうもん 』(尾上 おがみ 健一 けんいち 、1995年 ねん 、白峰社 はくほうしゃ )
『金 きむ 正日 じょんいる 伝 でん (第 だい 一 いち 巻 かん )』(朝鮮 ちょうせん ・金 きむ 正 ただし 日伝 にちでん 編纂 へんさん 委員 いいん 会 かい 、2004年 ねん 、白峰社 はくほうしゃ 、ISBN 4434041657 )
『金 きむ 正日 じょんいる 略伝 りゃくでん 』(在日本朝鮮人総聯合会 ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい 中央 ちゅうおう 常任 じょうにん 委員 いいん 会 かい 、1995年 ねん 、雄山閣 ゆうざんかく 出版 しゅっぱん 、ISBN 4639012764 )
『金 きむ 正日 じょんいる への宣戦 せんせん 布告 ふこく 』(黄 き 長 ちょう 燁 、文春 ぶんしゅん 文庫 ぶんこ )
『北朝鮮 きたちょうせん 事典 じてん 』(内藤 ないとう 陽介 ようすけ 、2001年 ねん 、竹内 たけうち 書店 しょてん 新 しん 社 しゃ )
金 きむ 日成 いるそん (著 ちょ )『チュチェ思想 しそう と祖国 そこく 統一 とういつ 』金 きむ 日成 いるそん 労作 ろうさく 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい (訳 わけ )、雄山閣 ゆうざんかく 、1982年 ねん 4月 がつ 15日 にち 。