現代 げんだい の大韓民国 だいかんみんこく ではハングル 、朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく では朝鮮 ちょうせん 文字 もじ の意 い でチョソングル (조선글 )またはチョソングルチャ (조선글자 )もしくは我々 われわれ の文字 もじ の意 い でウリグル (우리 글 )と呼 よ ぶ[3] 。
ハングル制定 せいてい 時 じ の正式 せいしき 名称 めいしょう は訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと であったが、当初 とうしょ から卑語 ひご (朝鮮 ちょうせん 語 ご )の文字 もじ という意味 いみ で「諺文 おんもん ( オンムン 、( ハングル表記 ひょうき : 언문 )」と呼 よ んだ[1] [4] 。また、知識 ちしき のない平民 へいみん たち、女 おんな や子供 こども が使 つか う卑 いや しい文字 もじ として「アムクル(암클 、「女文字 おんなもじ 」の意 い )」、「アヘグル(아해글 、「子供 こども 文字 もじ 」の意 い )」とも卑下 ひげ されてきたといわれるが[4] 、解 かい 例 れい 本 ほん に「諺 ことわざ 」が通常 つうじょう 語彙 ごい としてあるように、必 かなら ずしも卑称 ひしょう ではないとする見解 けんかい もある[1] 。朝鮮 ちょうせん 時代 じだい 後期 こうき には、ハングルの名称 めいしょう は非常 ひじょう に多様 たよう に現 あらわ れていて、訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 、正 せい 音 おと 、諺文 おんもん 、諺 ことわざ 音 おん 、諺 ことわざ 書 しょ 、諺 ことわざ 字 じ 、訓 くん 音 おん 、訓 くん 文 ぶん 、訓 くん 字 じ 、東 ひがし 音 おん 、東 ひがし 文 ぶん 、アムクル(암클)などと呼 よ ばれていた[5] 。
諺文 おんもん という卑下 ひげ した名前 なまえ を嫌 きら って[6] 「ハングル」の語 かたり が使 つか われるようになったのは、1900年代 ねんだい である[7] 。周 しゅう 時 じ 経 けい は1913年 ねん に、朝鮮 ちょうせん 語 ご の研究 けんきゅう 会 かい の名前 なまえ を「ハングルモ」としている[8] 。朝鮮 ちょうせん 語 ご のロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき の1つであるM-R式 しき を考案 こうあん したマッキューン とライシャワー は、1939年 ねん 当時 とうじ に朝鮮 ちょうせん 語 ご 学会 がっかい が「ハングル」、朝鮮 ちょうせん 語学 ごがく 研究 けんきゅう 会 かい が「チョンウム(正 せい 音 おと )」の語 かたり を使 つか っていると述 の べている[9] (なお、この論文 ろんぶん ではハングルのハンを「一 いち 」と解釈 かいしゃく して、Unified System と翻訳 ほんやく している)。近代 きんだい 開化 かいか 期 き には、現在 げんざい 韓国 かんこく 一般 いっぱん 的 てき に用 もち いられているハングル(한글)、現在 げんざい 北朝鮮 きたちょうせん で一般 いっぱん 的 てき なチョソングル(조선글)の他 ほか 、国文 こくぶん (국문)、国語 こくご (국어)、ハンマル(한말)、ハンナラマル(한나라말)、ペダルマルクル(배달말글)、朝鮮 ちょうせん 言文 げんぶん (조선언문)、ハンナラクル(한나라글)、朝鮮 ちょうせん 語 ご (조선어)、朝鮮 ちょうせん 語 ご 文 ぶん (조선어문)などと呼 よ ばれていた[5] 。
ラテン語 らてんご 表記 ひょうき では「Hangul」と表記 ひょうき されることが多 おお いが、近年 きんねん は2000年 ねん 式 しき に準拠 じゅんきょ した「Hangeul」という表記 ひょうき も使 つか われている。英語 えいご 圏 けん では「Korean Alphabet」と呼 よ ぶこともある。
中国 ちゅうごく では「諺文 おんもん (簡体字 かんたいじ : 谚文 ; 拼音 : yànwén ; 注 ちゅう 音 おと : ㄧㄢˋㄨㄣˊ )」もしくは「韓 かん 文 あや 」「朝鮮 ちょうせん 文字 もじ 」と呼 よ ぶ。
上述 じょうじゅつ のように朝鮮 ちょうせん で訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと を古 ふる くは諺文 おんもん (언문〈オンムン〉)とも呼 よ んでいて、日本 にっぽん では諺文 おんもん (本来 ほんらい の音読 おんよ みでは「げんぶん」だが、朝鮮 ちょうせん 語 ご 由来 ゆらい の訛 なま りで「おんもん」)と呼 よ んだが、現代 げんだい の日本 にっぽん ではハングル と呼 よ ぶ[10] [11] 。また朝鮮 ちょうせん 文字 もじ とも呼 よ ぶ[12] [13] [14] 。「ハングル文字 もじ 」の呼 よ び方 かた も存在 そんざい するが本来 ほんらい は重言 じゅうげん となる。
ハングルの創製 そうせい ・反対 はんたい 派 は との対立 たいりつ
編集 へんしゅう
朝鮮半島 ちょうせんはんとう では、15世紀 せいき 半 なか ばまで、自民 じみん 族 ぞく の言語 げんご である朝鮮 ちょうせん 語 ご を表記 ひょうき する固有 こゆう の文字 もじ を持 も たず、知識 ちしき 層 そう は漢字 かんじ を使用 しよう していた。口訣 くけつ (こうけつ・くけつ)・吏読 りと (りとう)など漢字 かんじ を借 か りた表記 ひょうき 法 ほう により断片 だんぺん 的 てき ・暗示 あんじ 的 てき に示 しめ されてきた。
李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん 第 だい 4代 だい 王 おう の世 よ 宗 むね は、朝鮮 ちょうせん 固有 こゆう の文字 もじ の創製 そうせい を積極 せっきょく 的 てき に推 お し進 すす めたが、当初 とうしょ から事大 じだい 主義 しゅぎ の保守 ほしゅ 派 は に反発 はんぱつ を受 う けた。世 よ 宗 むね が設立 せつりつ した諮問 しもん 機関 きかん の集 しゅう 賢 けん 殿 どの 副 ふく 提 ひさげ 学 がく だった崔 ちぇ 萬 まん 理 り は1444年 ねん に上 うえ 疏文で、「昔 むかし から中国 ちゅうごく の諸 しょ 地 ち は風土 ふうど が異 こと なっても方言 ほうげん に基 もと づいて文字 もじ を作 つく った例 れい はない。ただモンゴル (パスパ文字 もじ )・西 にし 夏 なつ (西 にし 夏 なつ 文字 もじ )・女 おんな 真 しん (女 おんな 真 ま 文字 もじ )・日本 にっぽん (仮名 かめい )・チベット (チベット文字 もじ )のみが文字 もじ を持 も つが、これらはみな夷狄 いてき (野蛮 やばん 人 じん ・未開 みかい 人 じん )のなすことであり、言 い うに足 た るものではない」「漢字 かんじ (中国 ちゅうごく 文字 もじ )こそ唯一 ゆいいつ の文字 もじ であり、民族 みんぞく 固有 こゆう の文字 もじ など有 あ り得 え ない」と反対 はんたい した。しかし、世 よ 宗 むね はこのような反対 はんたい を「これは文字 もじ ではない(中国 ちゅうごく 文化 ぶんか に対 たい する反逆 はんぎゃく ではない)、訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと (漢字 かんじ の素養 そよう がないものに発音 はつおん を教 おし える記号 きごう )に過 す ぎない」と押 お し切 き り[15] 、鄭 てい 麟趾 など集 しゅう 賢 けん 殿 どの 内 ない の新進 しんしん の学者 がくしゃ に命 めい じて1446年 ねん に訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと の名 な でハングルを頒布 はんぷ した。「民 みん を訓 くん (おし)える正 ただ しい音 おと 」の意 い である。
なお、この点 てん に関 かん して異説 いせつ がない訳 わけ でもない。ソウル大 だい 学校 がっこう 国文学 こくぶんがく 科 か 教授 きょうじゅ の朴 ほお 鎮浩によると、世 よ 宗 むね が一人 ひとり で作 つく った可能 かのう 性 せい が高 たか い。『朝鮮 ちょうせん 王朝 おうちょう 実録 じつろく 』の世 よ 宗 むね 25年 ねん (1442年 ねん )12月の条 じょう に、「ハングルを創製 そうせい した」と短 みじか く記載 きさい されている。ハングルという言葉 ことば の文献 ぶんけん 初出 しょしゅつ であるが、もし集 しゅう 賢 けん 殿 どの の学者 がくしゃ たちの協力 きょうりょく のもとハングルを創製 そうせい したのならばその過程 かてい も詳 くわ しく記載 きさい されているはずである。朴 ほお 鎮浩は、反対 はんたい 派 は の臣下 しんか がいることを懸念 けねん して世 よ 宗 むね 単独 たんどく でハングルを創製 そうせい し、その後 ご ハングルで書 か かれた書籍 しょせき の編纂 へんさん などに集 しゅう 賢 けん 殿 どの の学者 がくしゃ を動員 どういん したと考 かんが えている。
1543年 ねん 、王命 おうめい [18] によって刊行 かんこう された『列 れつ 女 おんな 伝 でん 』のハングル翻訳 ほんやく 版 ばん
燕 つばめ 山 さん 君 くん による禁止 きんし 政策 せいさく 以降 いこう
編集 へんしゅう
1504年 ねん 、燕 つばめ 山 さん 君 くん の暴政 ぼうせい を誹謗 ひぼう するハングルの張 は り紙 がみ が各地 かくち で発見 はっけん され、燕 つばめ 山 さん 君 くん はハングルの教育 きょういく や学習 がくしゅう を禁止 きんし し、ハングルの書籍 しょせき を焼却 しょうきゃく 、ハングルを使用 しよう する者 もの を弾圧 だんあつ した[19] 。世 よ 宗 むね 時代 じだい に設置 せっち されていた正 せい 音 おと 庁 ちょう は中 ちゅう 宗 むね 年間 ねんかん の1507年 ねん に閉鎖 へいさ されたが、ハングルの使用 しよう 自体 じたい は禁止 きんし されることなく、一部 いちぶ 高官 こうかん には書記 しょき 手段 しゅだん として用 もち いる者 もの もいた。1490年 ねん に軍 ぐん 官 かん の羅 ら 臣 しん 傑 すぐる (1461年 ねん - 1524年 ねん )が妻 つま の孟 はじめ 氏 し に送 おく ったハングル書簡 しょかん は現存 げんそん 最古 さいこ のハングル書簡 しょかん であり[20] 、1998年 ねん に慶尚北道 けいしょうほくどう 安東 あんどう で発掘 はっくつ された李 り 応 おう 台 だい (1556年 ねん - 1586年 ねん )の墓 はか で亡 な くなった夫 おっと の死 し を悼 いた む妻 つま からのハングル書簡 しょかん が発見 はっけん された。『ウォンの父 ちち へ・・・丙 へい 戌 いぬ (1586年 ねん )6月 がつ 』と始 はじ まる長文 ちょうぶん の手紙 てがみ である。また17世紀 せいき に宋 そう 奎濂が自分 じぶん の下男 げなん のキチュック(己 おのれ 丑 うし の意 い )に書 か いた書簡 しょかん などが残 のこ っている。一方 いっぽう 、ハングルは支配 しはい 層 そう でも使 つか われたケースもあり、王室 おうしつ をはじめ王 おう ・王妃 おうひ の勅 みことのり 令 れい や臣民 しんみん への伝言 でんごん 、王 おう ・王妃 おうひ と公主 こうしゅ のハングル書簡 しょかん ・王族 おうぞく 同士 どうし のやりとりしたハングルの手紙 てがみ も残 のこ っている[21] 。また、宮廷 きゅうてい や両 りょう 班 はん 階級 かいきゅう におけるハングルの使用 しよう もあり、国王 こくおう の記 しる したハングル書簡 しょかん としては宣 せん 祖 そ の『御 ご 筆 ふで 諺 ことわざ 簡』(1603年 ねん )筆写 ひっしゃ 文献 ぶんけん が現存 げんそん している。李 り 珥 、権 けん 好文 よしふみ 、金 きむ 尚 しょう 容 よう ら両 りょう 班 はん の文化 ぶんか 人 じん の一部 いちぶ が時 どき 調 ちょう (詩歌 しか )を詠 よ む際 さい にハングルが利用 りよう された。文 ぶん 定 じょう 王 おう 后 きさき ・仁 じん 穆 きよし 王 おう 后 きさき などの諺文 おんもん 勅 みことのり 令 れい や明 あかり 聖王 せいおう 后 きさき が都落 みやこお ちする儒学 じゅがく 者 しゃ の宋 そう 時 じ 烈 れつ を引 ひ き止 と めるハングル書簡 しょかん 、1839年 ねん に憲 けん 宗 むね の祖母 そぼ ・純 じゅん 元 もと 王 おう 后 きさき によるキリスト教 きょう 禁止 きんし 令 れい である『斥邪綸音』をハングルで書 か いて公布 こうふ した。
孝 こう 宗 むね と三 さん 女 じょ ・淑 よし 明 あきら 公主 こうしゅ のハングル書簡 しょかん のやり取 と り。左側 ひだりがわ は淑 よし 明 あきら 公主 こうしゅ が父 ちち の孝 こう 宗 むね に、右側 みぎがわ は娘 むすめ への返事 へんじ
正 せい 祖 そ が8歳 さい の時 とき に叔母 おば ・閔氏(洪 ひろし 楽 らく 仁 じん の妻 つま )に書 か いたハングル書簡 しょかん
ハングルはまず、発案 はつあん 者 しゃ である世 よ 宗 むね のもと国家 こっか 的 てき な出版 しゅっぱん 事業 じぎょう において活用 かつよう された。ハングルの創製 そうせい 直後 ちょくご 1447年 ねん には王朝 おうちょう を讃 たた える頌歌『竜 りゅう 飛 ひ 御 ご 天 てん 歌 か 』、釈迦 しゃか の功績 こうせき を讃 たた えるため世 よ 宗 むね 自 みずか ら書 か いた詩歌 しか 集 しゅう の『月 つき 印 しるし 千江 ちえ 之 これ 曲 きょく 』、世 よ 宗 むね の命 いのち により首 くび 陽 ひ 大君 おおきみ が編纂 へんさん した釈迦 しゃか の一代記 いちだいき である『釈 しゃく 譜 ふ 詳 しょう 節 ぶし 』が相次 あいつ いで刊行 かんこう され、次 つ いで1448年 ねん には韻書 いんしょ 『東国 とうごく 正 せい 韻 いん 』を刊行 かんこう した。その後 ご も国家 こっか によるハングル文献 ぶんけん の刊行 かんこう は続 つづ き、諺 ことわざ 解 かい 書 しょ (中国 ちゅうごく 書籍 しょせき の翻訳 ほんやく 書 しょ )を中心 ちゅうしん にその分野 ぶんや は仏典 ぶってん ・儒教 じゅきょう 関連 かんれん 書 しょ ・実用 じつよう 書 しょ など多岐 たき にわたる。刊行 かんこう された書籍 しょせき は各地 かくち で覆刻 ふっこく され版 ばん を重 かさ ねることが少 すく なくなかった。世 よ 祖 そ の書簡 しょかん 『上院 じょういん 寺 てら 御 ご 牒 』(1464年 ねん )もハングルである。
仏典 ぶってん :李 り 朝 ちょう 初期 しょき には刊 かん 経 けい 都 と 監 かん が設置 せっち (1461年 ねん )され仏典 ぶってん 翻訳 ほんやく が盛 さか んに行 おこな われた。その後 ご 、国家 こっか によって仏教 ぶっきょう が弾圧 だんあつ されはじめたにもかかわらず、『楞厳経 けい 諺 ことわざ 解 かい 』(1461年 ねん )、『法華経 ほけきょう 諺 ことわざ 解 かい 』(1463年 ねん )、『金 きむ 剛 つよし 経 けい 諺 ことわざ 解 かい 』(1464年 ねん )、『般若心経 はんにゃしんぎょう 諺 ことわざ 解 かい 』(1464年 ねん )、『円 まどか 覚 さとし 経 けい 諺 ことわざ 解 かい 』(1465年 ねん )など、15世紀 せいき 中頃 なかごろ に多 おお くの仏典 ぶってん が刊行 かんこう された。
儒教 じゅきょう 関連 かんれん 書 しょ :李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん が儒教 じゅきょう を国教 こっきょう としたことにより、儒教 じゅきょう 関連 かんれん 書 しょ は李 り 朝 ちょう を通 とお して盛 さか んに刊行 かんこう された。四書 ししょ 五経 ごきょう などの翻訳 ほんやく 本 ほん として『翻訳 ほんやく 小学 しょうがく 』(1517年 ねん )、『大学 だいがく 諺 ことわざ 解 かい 』(1590年 ねん )、『易 えき 経 けい 諺 ことわざ 解 かい 』(1606年 ねん )、『詩経 しきょう 諺 ことわざ 解 かい 』(1613年 ねん )などがあり後世 こうせい に重 じゅう 刊本 かんぽん も刊行 かんこう された。また『三綱 さんこう 行実 ぎょうじつ 図 ず 諺 ことわざ 解 かい 』(1481年 ねん )は儒教 じゅきょう の民衆 みんしゅう 教化 きょうか 書 しょ として各種 かくしゅ の版本 はんぽん が李 り 朝 ちょう 後期 こうき まで何 なん 度 ど も重 おも 刊 かん されている。
実用 じつよう 書 しょ :『救急 きゅうきゅう 方 かた 諺 ことわざ 解 かい 』(1466年 ねん )、『救急 きゅうきゅう 簡易 かんい 方 かた 』(1489年 ねん )、『牛馬 ぎゅうば 羊 ひつじ 猪 いのしし 染 しみ 疫治療 ちりょう 方 かた 』(1541年 ねん )、『分 ぶん 門 もん 瘟疫易 えき 解方 ときかた 』(1542年 ねん )などの医書 いしょ ・家畜 かちく 防疫 ぼうえき 書 しょ がたびたび刊行 かんこう されている。また、通訳 つうやく 官 かん 養成 ようせい 所 しょ である司 つかさ 訳 やく 院 いん からは日本語 にほんご 学習 がくしゅう 書 しょ 『伊 い 路 ろ 波 なみ 』(1492年 ねん )、中国 ちゅうごく 語 ご 学習 がくしゅう 書 しょ 『翻訳 ほんやく 老 ろう 乞大 』(16世紀 せいき )、満州 まんしゅう 語 ご 学習 がくしゅう 書 しょ 『清 しん 語 ご 老 ろう 乞大 』(1704年 ねん )、モンゴル語 ご 学習 がくしゅう 書 しょ 『蒙 こうむ 語 かた 老 ろう 乞大 』(1741年 ねん )などハングルで音 おと を示 しめ した外国 がいこく 語 ご 学習 がくしゅう 書 しょ が刊行 かんこう された。
文学 ぶんがく 作品 さくひん :ハングル創製 そうせい 初期 しょき 以降 いこう にも『杜 もり 詩 し 諺 ことわざ 解 かい 』(1481年 ねん )などの翻訳 ほんやく 漢 かん 詩集 ししゅう が刊行 かんこう されている。ハングル使用 しよう が国家 こっか レベルで禁止 きんし された中 ちゅう 宗 むね 以降 いこう にも、金 きむ 絿 (1488年 ねん - 1534年 ねん )の「花田 はなた 別 べつ 曲 きょく 」、李 り 賢輔 けんすけ の「漁夫 ぎょふ 歌 か 」、李 り 滉 ひろし の「陶山 すやま 十 じゅう 二 に 曲 きょく 」の詩歌 しか 、許 もと 筠 の小説 しょうせつ 『洪 ひろし 吉 よし 童 わらわ 伝 でん 』、また日記 にっき 文学 ぶんがく 『癸 みずのと 丑 うし 日記 にっき 』『春香 はるか 伝 でん 』『沈清伝 でん 』などパンソリ を起源 きげん とする小説 しょうせつ がハングルによる書籍 しょせき として刊行 かんこう された。
石幡 いしはた 貞 さだ 「朝鮮 ちょうせん 帰 き 好 こう 余録 よろく 」(1878年 ねん )には「朝鮮 ちょうせん 国 こく 文字 もじ 有二 ゆうじ 様 さま 。曰真文 ぶん 即 そく 漢字 かんじ 也。曰諺文 おんもん 是 ぜ 為 ため 国字 こくじ 。…以其易学 えきがく 、民 みん 皆 みな 便 びん 之 の 。而政府 せいふ 公文 こうぶん 措之不用 ふよう 。(朝鮮 ちょうせん には2種 しゅ の文字 もじ がある。真 ま 文 ぶん というのが漢字 かんじ であり、諺文 おんもん (※ハングルのこと)というのが国 くに の字 じ とされる。…学 まな びやすいので、民衆 みんしゅう は皆 みな これ(※諺文 おんもん )に慣 な れている。しかし政府 せいふ は公文書 こうぶんしょ ではこれを用 もち いない。)」とある[22] 。
鈴木 すずき 信 しん 仁 ひとし 「朝鮮 ちょうせん 紀 き 聞」(1885年 ねん )には「貧 ひん 賤の者 もの は諺文 おんもん のみを習ひ纔かに通用 つうよう に便 べん するものなり。貧 ひん 窶 やつれ にして筆墨 ひつぼく を買 かい ふの資 し なきものは砂 すな を盆 ぼん に盛 もり て字 じ を習ひ或 あるい は河 かわ 海 うみ の浜 はま に往 ゆ き平坦 へいたん の石 いし 面 めん に大字 だいじ を習ふ事 ごと あり。」とある[23] 。
石井 いしい 研堂 けんどう (民 みん 司 し ) 「朝鮮 ちょうせん 児 じ 童画 どうが 談 だん 」(1891年 ねん )には「又 また 此国には、諺文 おんもん とて、仮名 かめい 九 きゅう 十 じゅう 九字 くじ あれども、一般 いっぱん に用 もちい ひるもの少 すく なく、書状 しょじょう 等 とう にのみ用 よう ひ居 お れり。」とある[24] 。
イザベラ・バード 「朝鮮 ちょうせん 奥地 おくち 紀行 きこう 」(1898年 ねん )には「私 わたし は、川上 かわかみ に居 い る下層 かそう 社会 しゃかい の非常 ひじょう に多 おお くの男 おとこ の人 ひと たちが、朝鮮 ちょうせん 固有 こゆう の筆記 ひっき 文字 もじ 〔諺文 おんもん 〕を読 よ める事 こと に気付 きづ いた。」とある[25] 。
「井上 いのうえ 角五郎 つのごろう 先生 せんせい 伝 でん 」(1943年 ねん )には「…それで朝鮮 ちょうせん では上流 じょうりゅう 社会 しゃかい は漢字 かんじ ばかりで綴 つづ った漢文 かんぶん を用 もちい ひて棒 ぼう 読にし、下流 かりゅう 社会 しゃかい は諺文 おんもん ばかりで文 ぶん を綴 つづ っていたのである。」とある[26] 。
1874年 ねん (明治 めいじ 7)、日本 にっぽん と朝鮮 ちょうせん の外交 がいこう 文書 ぶんしょ [27] で、日本 にっぽん の漢字 かんじ かな交 ま じり文 ぶん に相当 そうとう する漢字 かんじ ・ハングル混淆 こんこう 文 ぶん が用 もち いられている。
公文書 こうぶんしょ のハングル使用 しよう は、甲 きのえ 午 うま 改革 かいかく の一環 いっかん として1894年 ねん 11月に公布 こうふ された勅 みことのり 令 れい 1号 ごう 公文 こうぶん 式 しき において、公文 こうぶん に国文 こくぶん (ハングル)を使用 しよう することを定 さだ めたことに始 はじ まった。
朝鮮 ちょうせん 初 はつ の近代 きんだい 新聞 しんぶん (官報 かんぽう )である『漢 かん 城 じょう 旬報 じゅんぽう 』(1883年 ねん )の続 ぞく 刊 かん である『漢 かん 城 じょう 周 しゅう 報 ほう 』(1886年 ねん 創刊 そうかん )では、漢字 かんじ 混合 こんごう 文 ぶん (通称 つうしょう 「国 くに 漢 かん 混用 こんよう 文 ぶん 」)を基本 きほん とする一方 いっぽう 、内容 ないよう によっては漢文 かんぶん もしくはハングルのみによる朝鮮 ちょうせん 文 ぶん で記述 きじゅつ された。
『漢 かん 城 じょう 周 しゅう 報 ほう 』の特筆 とくひつ 点 てん は、ハングルで書 か かれた最初 さいしょ の新聞 しんぶん であったこととともに、「国 くに 漢文 かんぶん 」と呼 よ ばれる文体 ぶんたい が採用 さいよう されたことである。このような韓国 かんこく 式 しき の「国 くに 漢文 かんぶん 混用 こんよう 文 ぶん 」の原型 げんけい となったのは、兪吉濬の《西遊 せいゆう 見聞 けんぶん 》(1895)とされている。 しかしながら、国 くに 漢文 かんぶん は漢文 かんぶん の素養 そよう を必要 ひつよう とする文体 ぶんたい であったため、一般 いっぱん に広 ひろ く流布 るふ するには至 いた らなかった。
1896年 ねん に創刊 そうかん された『独立新聞 どくりつしんぶん 』はハングルと英文 えいぶん による新聞 しんぶん であった。これは分 わ かち書 が きを初 はじ めて導入 どうにゅう した点 てん でも注目 ちゅうもく される。ハングル分 わ かち書 が きに大 おお きく貢献 こうけん した人物 じんぶつ は、スコットランド人 じん のジョーン・ロス (John Ross, 1842~1915)である。
1890年代 ねんだい 後期 こうき に訪朝 ほうちょう したイザベラ・バード は、その当時 とうじ 諺文 おんもん (En-mun)と呼 よ ばれていたハングルについて、いまだ知識 ちしき 層 そう からは蔑視 べっし されてはいるが、1895年 ねん 1月 がつ に漢文 かんぶん 諺文 おんもん 混合 こんごう 文 ぶん が官報 かんぽう に現 あらわ れて以来 いらい 、国王 こくおう による独立 どくりつ 宣誓 せんせい 文 ぶん をはじめ、一部 いちぶ を除 のぞ く公式 こうしき 文書 ぶんしょ に正式 せいしき に採用 さいよう され、諺文 おんもん による書物 しょもつ も徐々 じょじょ に増 ふ えつつあると描写 びょうしゃ し[28] 、今後 こんご 、諺文 おんもん による教科書 きょうかしょ と教師 きょうし の育成 いくせい が待 ま たれるとしている[29] 。また、上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の女性 じょせい は諺文 おんもん が読 よ めるが、女性 じょせい の識字 しきじ 率 りつ は極 きわ めて低 ひく く、1000人 にん に2人 ふたり であろうとする一方 いっぽう [30] 、漢江 かんこう 沿 ぞ いで出会 であ った下層 かそう 階級 かいきゅう の男 おとこ たちの多 おお くは諺文 おんもん が読 よ めたと述 の べている[31] 。
1905年 ねん 韓国 かんこく 保護 ほご 条約 じょうやく (第 だい 二 に 次 じ 日 にち 韓 かん 協約 きょうやく )後 ご 、伊藤 いとう 博文 ひろぶみ は自 みずか ら朝鮮半島 ちょうせんはんとう に渡 わた り、1906年 ねん 初代 しょだい 韓国 かんこく 統監 とうかん に就任 しゅうにん 。理想 りそう 的 てき に国家 こっか を立 た て直 なお すため、まず「学校 がっこう 教育 きょういく の充実 じゅうじつ 」を最 さい 優先 ゆうせん で実施 じっし 。そのために、日本銀行 にっぽんぎんこう から500万 まん 円 えん を借 か 欺し、そのうち50万 まん 円 えん を教育 きょういく の振興 しんこう に充 あ てた[32] 。それにより、1906年 ねん に周 しゅう 時 じ 経 けい が『大 だい 韓国 かんこく 語 ご 文法 ぶんぽう 』を、1908年 ねん に『国語 こくご 文典 ぶんてん 音 おん 学 がく 』を出版 しゅっぱん した。また崔 ちぇ 光 ひかり 玉 だま の『大韓 たいかん 文典 ぶんてん 』と兪吉濬 の『大韓 たいかん 文典 ぶんてん 』(崔 ちぇ 光 ひかり 玉 だま の『大韓 たいかん 文典 ぶんてん 』と同名 どうめい )、1909年 ねん に金 きむ 熙祥の『初等 しょとう 国語 こくご 語 ご 典 てん 』、周 しゅう 時 じ 経 けい の『国語 こくご 文法 ぶんぽう 』などが出版 しゅっぱん された。
日本 にっぽん 統治 とうち 以前 いぜん は、日本語 にほんご もハングルも解読 かいどく できない人口 じんこう が77%に達 たっ していたと言 い われていた[33] 。日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい になると両 りょう 班 はん 層 そう のハングル蔑視 べっし 勢力 せいりょく が一掃 いっそう されたため、ハングルは積極 せっきょく 的 てき に教育 きょういく に用 もち いられるようになる[34] 。ハングルは朝鮮半島 ちょうせんはんとう における平仮名 ひらがな として引 ひ き続 つづ き用 もち いられたが、太平洋戦争 たいへいようせんそう が始 はじ まると皇 すめらぎ 民 みん 化 か 政策 せいさく で朝鮮 ちょうせん 語 ご のみの教育 きょういく は廃止 はいし され[35] 「街 まち 中 ちゅう でも家庭 かてい でも国語 こくご (※日本語 にほんご のこと)を常用 じょうよう しない学生 がくせい がいるときは、学校 がっこう 当局 とうきょく と連絡 れんらく を取 と って厳重 げんじゅう に処罰 しょばつ 」といった日本語 にほんご 普及 ふきゅう 方針 ほうしん がとられた[36] 。ハングルについては、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 ちゅう も引 ひ き続 つづ き朝鮮半島 ちょうせんはんとう において官民 かんみん で漢字 かんじ 混 ま じり文 ぶん で用 もち いられたが、漸次 ぜんじ 的 てき に平仮名 ひらがな ・片仮名 かたかな 利用 りよう で縮小 しゅくしょう していくようにする方針 ほうしん を決 き めていた[37] 。
「ハングル」という呼称 こしょう が文献 ぶんけん 上 じょう に初 はじ めて現 あらわ れるのは1912年 ねん のことであり、周 しゅう 時 じ 経 けい に始 はじ まる[39] [注 ちゅう 1] 。韓国 かんこく 併合 へいごう 時代 じだい の朝鮮 ちょうせん 総督 そうとく 府 ふ は「諺文 おんもん 」(おんもん)と呼 よ び、1912年 ねん に普通 ふつう 学校 がっこう 用 よう 諺文 おんもん 綴字 ていじ 法 ほう [40] を制定 せいてい し、1921年 ねん には周 しゅう 時 じ 経 けい の弟子 でし らが朝鮮 ちょうせん 語 ご 研究 けんきゅう 会 かい を結成 けっせい し、総督 そうとく 府 ふ と協力 きょうりょく して1930年 ねん には正書法 せいしょほう 諺文 おんもん 綴字 ていじ 法 ほう を制定 せいてい した[41] 。
1920年 ねん からはタクチ本 ほん が多数 たすう 出版 しゅっぱん され、読書 どくしょ が朝鮮半島 ちょうせんはんとう で大衆 たいしゅう 化 か ・近代 きんだい 化 か する決定的 けっていてき な契機 けいき になった。
[42] [43] 1933年 ねん 、朝鮮 ちょうせん 語 ご 綴字 ていじ 法統 ほうとう 一案 いちあん が出 だ され、これが韓国 かんこく でのハングル正書法 せいしょほう (1988年 ねん )のもととなった。北朝鮮 きたちょうせん では1954年 ねん に朝鮮 ちょうせん 語 ご 綴字 ていじ 法 ほう 、1987年 ねん に朝鮮 ちょうせん 語 ご 規範 きはん 集 しゅう が出 だ された。
ハングルの創製 そうせい の原理 げんり を記 しる した『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 本 ほん 』ではハングルの母音 ぼいん と子音 しいん を陰陽 いんよう 五 ご 行 ぎょう に基 もと づいて創 つく っていると記 しる されている。
また同書 どうしょ の序文 じょぶん では「賢 かしこ い者 もの は朝 あさ の間 あいだ に、愚 おろ かな者 もの だとしても十 じゅう 日 にち なら十分 じゅうぶん に学 まな んで習 なら うことができる」と記 しる されている。
陰陽 いんよう の原理 げんり に基 もと づいて創 つく られた。
基本 きほん 母音 ぼいん は‘・、ㅡ、ㅣ’で、‘・’は陽 ひ にあたる「天 てん 」を‘ㅡ’は陰 かげ にあたる「地 ち 」を、‘ㅣ’は陰 かげ と陽 ひ の中間 ちゅうかん にあたる「人間 にんげん (人 ひと )」の形 かたち から模 も っている。
天地人 てんちじん は檀 だん 君 くん 思想 しそう から由来 ゆらい したもので宇宙 うちゅう や万物 ばんぶつ を構成 こうせい する主要 しゅよう な要所 ようしょ の「天 てん (・)」と「地 ち (ㅡ)」と「人 ひと (ㅣ)」を意味 いみ する。
『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 本 ほん 』によると‘ㅏ、ㅑ、ㅗ、ㅛ’は‘・’系列 けいれつ の母音 ぼいん である。
‘・’の属性 ぞくせい は陽 ひ であり、陽 ひ の特性 とくせい は上 うえ に上昇 じょうしょう 、外 そと への拡張 かくちょう であるので上 うえ と外 そと に点 てん (・)を打 う つ。
‘ㅓ、ㅕ、ㅜ、ㅠ’は‘ㅡ’系列 けいれつ の母音 ぼいん で音 おと の属性 ぞくせい に沿 そ って下降 かこう と収縮 しゅうしゅく を意味 いみ するので中 ちゅう と下 か に点 てん (・)を打 う つ。
五 ご 行 ぎょう に基 もと づいて創 つく られた。
『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 本 ほん 』では方位 ほうい と発音 はつおん 器官 きかん を結 むす びつけ、該当 がいとう の発音 はつおん 器官 きかん から音 おと がするのを方位 ほうい と結 むす び付 つ けている。方位 ほうい は季 き 節 ぶし と結 むす ばれ、結局 けっきょく 音 おと は季 き 節 ぶし と結 むす ばれる。
「春夏秋冬 しゅんかしゅうとう の変化 へんか 」のとおりに子音 しいん は牙 きば 音 おん (ㄱ、春 はる )・舌 した 音 おん (ㄴ、夏 なつ )・唇音 しんおん (ㅁ、晩夏 ばんか )・歯音 しおん (ㅅ、秋 あき )・喉 のど 音 おん (ㅇ、冬 ふゆ )の順 じゅん に配列 はいれつ する。
『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 本 ほん 』で基本 きほん 子音 しいん をㄱ、ㄴ、ㅁ、ㅅ、ㅇ、ㄹの順 じゅん に配列 はいれつ するのは五 ご 行 ぎょう の原理 げんり である。
基本 きほん 子音 しいん は発音 はつおん 器官 きかん の形 かたち から来 き ており、基本 きほん 子音 しいん 以外 いがい の字形 じけい は基本 きほん 子音 しいん を元 もと に加 か 画 が ・並 なみ 書 しょ して作 つく られた。ㄹは字形 じけい としてはㄴの変形 へんけい から出 で たが、半 はん 舌 した 音 おん という特別 とくべつ な分類 ぶんるい となっている。
ハングルは表音 ひょうおん 文字 もじ である。ひとつひとつの文字 もじ が音節 おんせつ を表 あらわ す文字 もじ 体系 たいけい だが、子音 しいん と母音 ぼいん の字母 じぼ (자모 、チャモ )を組 く み合 あ わせて文字 もじ を構成 こうせい する。このような文字 もじ 体系 たいけい を素性 すじょう 文字 もじ と呼 よ ぶ研究 けんきゅう 者 しゃ もいる。
子音 しいん 字母 じぼ は基本 きほん 字母 じぼ が14個 こ 、合成 ごうせい 字母 じぼ が5個 こ の計 けい 19個 こ 、母音 ぼいん 字母 じぼ は基本 きほん 字母 じぼ が10個 こ 、合成 ごうせい 字母 じぼ が11個 いっこ の計 けい 21個 いっこ であり、基本 きほん 字母 じぼ は計 けい 24個 こ 、合成 ごうせい 字母 じぼ を含 ふく めた字母 じぼ の総数 そうすう は40個 こ である。それぞれの字母 じぼ は以下 いか の通 とお りである。
なお、1446年 ねん 訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 創製 そうせい 当時 とうじ と現在 げんざい とでは文字 もじ の構成 こうせい 要素 ようそ も変化 へんか している(古 こ ハングル )。創製 そうせい 当時 とうじ には中期 ちゅうき 朝鮮 ちょうせん 語 ご の音韻 おんいん を表 あらわ す子音 しいん 字母 じぼ (ㅿ [z] ,ㆁ [ŋ] ,ㆆ [ʔ] )、母音 ぼいん 字母 じぼ ( ㆍ [ʌ] )があり、当初 とうしょ はこれら4個 こ を含 ふく めて基本 きほん 字母 じぼ が計 けい 28個 こ あったが、これら4個 こ は現代 げんだい では用 もち いられない。
字母 じぼ
発音 はつおん (初声 はつこえ )
発音 はつおん (終 おわり 声 ごえ )
ロ ろ ーマ字 まじ [44]
五音 ごいん
名称 めいしょう (韓国 かんこく )
名称 めいしょう (北朝鮮 きたちょうせん )
基 もと 本 ほん 字 じ 母 はは
ㄱ
[k /ɡ ]
[k̚]
g
牙 きば 音 おん
기역 giyeok
기윽 gieuk
그 geu
ㄴ
[n]
[n]
n
舌 した 音 おん
니은 nieun
느 neu
ㄷ
[t /d ]
[t̚]
d
舌 した 音 おん
디귿 digeut
디읃 dieut
드 deu
ㄹ
[ɾ]
[l]
r/l
半 はん 舌 した 音 おん
리을 rieul
르 reu
ㅁ
[m]
[m]
m
唇音 しんおん
미음 mieum
므 meu
ㅂ
[p /b ]
[p̚]
b
唇音 しんおん
비읍 bieup
브 beu
ㅅ
[s /ɕ /ʃ ]
[t̚]
s
歯音 しおん
시옷 siot
시읏 sieut
스 seu
ㅇ
(無音 むおん )
[ŋ]
(ng)
喉 のど 音 おん
이응 ieung
으 eu
ㅈ
[t͡ɕ /d͡ʑ /t͡ʃ /d͡ʒ ]
[t̚]
j
歯音 しおん
지읒 jieut
즈 jeu
ㅊ
[t͡ɕʰ/t͡ʃʰ]
[t̚]
ch
歯音 しおん
치읓 chieut
츠 cheu
ㅋ
[kʰ]
[k̚]
k
牙 きば 音 おん
키읔 kieuk
크 keu
ㅌ
[tʰ]
[t̚]
t
舌 した 音 おん
티읕 tieut
트 teu
ㅍ
[pʰ]
[p̚]
p
唇音 しんおん
피읖 pieup
프 peu
ㅎ
[h /ɦ ]
[t̚]
h
喉 のど 音 おん
히읗 hieut
흐 heu
合 ごう 成 なり 字 じ 母 はは
ㄲ
[kʼ]
[k̚]
kk
牙 きば 音 おん
쌍기역 ssanggiyeok
된기윽 doen-gieuk
끄 kkeu
ㄸ
[tʼ]
-
tt
舌 した 音 おん
쌍디귿 ssangdigeut
된디읃 doendieut
뜨 tteu
ㅃ
[pʼ]
-
pp
唇音 しんおん
쌍비읍 ssangbieup
된비읍 doenbieup
쁘 ppeu
ㅆ
[sʼ/ɕʼ/ʃʼ]
[t̚]
ss
歯音 しおん
쌍시옷 ssangsiot
된시읏 doensieut
쓰 sseu
ㅉ
[t͡ɕʼ/t͡ʃʼ]
-
jj
歯音 しおん
쌍지읒 ssangjieut
된지읒 doenjieut
쯔 jjeu
この表 ひょう の終 おわり 声 ごえ の発音 はつおん は、語末 ごまつ や無声 むせい 子音 しいん の前 まえ での発音 はつおん である。
字母 じぼ 「ㅇ 」は音節 おんせつ 頭 あたま の位置 いち にあるときには子音 しいん がないことを表 あらわ し、音節 おんせつ 末 まつ にあるときには鼻音 びおん [ŋ] を表 あらわ す。
字母 じぼ
発音 はつおん (初声 はつこえ )
発音 はつおん (終 おわり 声 ごえ )
五音 ごいん
名称 めいしょう
ㅿ
[z]
-
半 はん 歯音 しおん
반시옷 bansiot
ㆁ
[ŋ]
[ŋ]
牙 きば 音 おん
옛이응 yennieung
ㆆ
[ʔ]
-
喉 のど 音 おん
여린히읗 yeorinhieut
ㅸ
[β べーた ]
-
唇 くちびる 軽音 けいおん
가벼운비읍 gabyeounbieup
ㆀ
[jj] ?
-
喉 のど 音 おん
쌍이응 ssangieung
ㆅ
[hʼ]
-
喉 のど 音 おん
쌍히읗 ssanghieut
字母 じぼ
発音 はつおん
ロ ろ ーマ字 まじ [44]
陰陽 いんよう
名称 めいしょう
基 もと 本 ほん 字 じ 母 はは
ㅏ
[a]
a
陽 ひ 母音 ぼいん
아 a
ㅑ
[ja]
ya
陽 ひ 母音 ぼいん
야 ya
ㅓ
[ɔ /ʌ ]
eo
陰 かげ 母音 ぼいん
어 eo
ㅕ
[jɔ/jʌ]
yeo
陰 かげ 母音 ぼいん
여 yeo
ㅗ
[o]
o
陽 ひ 母音 ぼいん
오 o
ㅛ
[jo]
yo
陽 ひ 母音 ぼいん
요 yo
ㅜ
[u]
u
陰 かげ 母音 ぼいん
우 u
ㅠ
[ju]
yu
陰 かげ 母音 ぼいん
유 yu
ㅡ
[ɯ]
eu
陰 かげ 母音 ぼいん
으 eu
ㅣ
[i]
i
中性 ちゅうせい 母音 ぼいん
이 i
合 ごう 成 なり 字 じ 母 はは
ㅐ
[ɛ]
ae
陽 ひ 母音 ぼいん
애 ae
ㅒ
[jɛ]
yae
陽 ひ 母音 ぼいん
얘 yae
ㅔ
[e]
e
陰 かげ 母音 ぼいん
에 e
ㅖ
[je]
ye
陰 かげ 母音 ぼいん
예 ye
ㅘ
[wa]
wa
陽 ひ 母音 ぼいん
와 wa
ㅙ
[wɛ]
wae
陽 ひ 母音 ぼいん
왜 wae
ㅚ
[ø /we]
oe
陽 ひ 母音 ぼいん
외 oe
ㅝ
[wɔ]
wo
陰 かげ 母音 ぼいん
워 wo
ㅞ
[we]
we
陰 かげ 母音 ぼいん
웨 we
ㅟ
[y /wi]
wi
陰 かげ 母音 ぼいん
위 wi
ㅢ
[ɯj/ɰi]
ui
陰 かげ 母音 ぼいん
의 ui
合成 ごうせい 字母 じぼ の配列 はいれつ 順序 じゅんじょ は韓国 かんこく の順序 じゅんじょ によった。
この表 ひょう における陽 ひ 母音 ぼいん ・陰 かげ 母音 ぼいん は、ハングル(訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと )の成 な り立 た ち上 じょう のものである。現代 げんだい 朝鮮 ちょうせん 語 ご における用言 ようげん の活用 かつよう や擬態語 ぎたいご ・擬声語 ぎせいご における陽 ひ 母音 ぼいん ・陰 かげ 母音 ぼいん の扱 あつか いについては、「ㅣ」や「ㅚ」が陰 かげ 母音 ぼいん として扱 あつか われるなど、ハングルの成 な り立 た ち上 じょう の陽 ひ 母音 ぼいん ・陰 かげ 母音 ぼいん と必 かなら ずしも一致 いっち しない部分 ぶぶん がある。
字母 じぼ
発音 はつおん
陰陽 いんよう
名称 めいしょう
ㆍ
[ʌ]
陽 ひ 母音 ぼいん
아래아 araea
ㆎ
[ʌi]
陽 ひ 母音 ぼいん
아래애 araeae
字母 じぼ (チャモ)を2つ以上 いじょう 組 く み合 あ わせて1文字 もじ を成 な す。1文字 もじ の構成 こうせい は子音 しいん 字母 じぼ + 母音 ぼいん 字母 じぼ あるいは子音 しいん 字母 じぼ + 母音 ぼいん 字母 じぼ + 子音 しいん 字母 じぼ のどちらかである。音節 おんせつ 頭 あたま の子音 しいん 字母 じぼ を初声 はつこえ 、母音 ぼいん 字母 じぼ を中 ちゅう 声 こえ 、音節 おんせつ 末 まつ に来 く る子音 しいん 字母 じぼ を終 おわり 声 ごえ またはパッチム (받침 。「支 ささ えるもの」の意 い )と呼 よ ぶ。
初声 はつこえ と中 ちゅう 声 ごえ の組 く み合 あ わせ方 かた には3つのタイプがある。
가 ga
中 ちゅう 声 ごえ が縦長 たてなが の字母 じぼ (具体 ぐたい 的 てき には「ㅏ 、ㅑ 、ㅓ 、ㅕ 、ㅣ 、ㅐ 、ㅒ 、ㅔ 、ㅖ 」)のときは、初声 はつこえ を左 ひだり に、中 ちゅう 声 ごえ を右 みぎ に配置 はいち する。
고 go
中 ちゅう 声 ごえ が横長 よこなが の字母 じぼ (具体 ぐたい 的 てき には「ㅗ 、ㅛ 、ㅜ 、ㅠ 、ㅡ 」。古 こ ハングルでは「ㆍ 」も含 ふく む)のときは、初声 はつこえ を上 うえ に、中 ちゅう 声 ごえ を下 した に配置 はいち する。
과 gwa
中 ちゅう 声 ごえ が横長 よこなが と縦長 たてなが の字母 じぼ の組 く み合 あ わせ(具体 ぐたい 的 てき には「ㅘ 、ㅙ 、ㅚ 、ㅝ 、ㅞ 、ㅟ 、ㅢ 」)のときは、初声 はつこえ を左上 ひだりうえ に、中 ちゅう 声 ごえ を下 した から右 みぎ にかけて配置 はいち する。
終 おわり 声 ごえ があるときは、これらの下 した に終 おわり 声 ごえ を置 お く。
このハングルの字母 じぼ の組 く み合 あ わせ方 かた の由来 ゆらい については、契 ちぎり 丹 に 小字 こあざ から取 と られたとする説 せつ が西田 にしだ 龍雄 たつお によって唱 とな えられている。
終 おわり 声 ごえ として用 もち いることのできる子音 しいん 字母 じぼ は、ㄸ dd,ㅃ bb,ㅉ jj を除 のぞ いた16個 こ である。また、朝鮮 ちょうせん 語 ご の形態 けいたい 音素 おんそ 表記 ひょうき のために、終 おわり 声 ごえ では2つの子音 しいん 字母 じぼ を左右 さゆう に組 く み合 あ わせる(二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ 、二 に 重 じゅう パッチム)ことがある。正書法 せいしょほう で認 みと められている組 く み合 あ わせは、ㄳ gs,ㄵ nj,ㄶ nh,ㄺ lg,ㄻ lm,ㄼ lb,ㄽ ls,ㄾ lt,ㄿ lp,ㅀ lh,ㅄ bsの11種類 しゅるい である。これらの二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ は、語末 ごまつ の場合 ばあい や後 のち に子音 しいん の続 つづ く場合 ばあい 、基本 きほん 的 てき にㄺ・ㄻ・ㄿは右側 みぎがわ を、それ以外 いがい は左側 ひだりがわ を発音 はつおん するが、ㄼのみはㄹと発音 はつおん する語 かたり とㅂと発音 はつおん する語 かたり がある。
終 おわり 声 ごえ は二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ を含 ふく めると表記 ひょうき 上 じょう は合計 ごうけい 27種類 しゅるい あるが、発音 はつおん としてはㄱ・ㄴ・ㄷ・ㄹ・ㅁ・ㅂ・ㅇの7種類 しゅるい しかない。それにもかかわらず激 げき 音字 おんじ 母 おも や濃 こ 音字 おんじ 母 はは などを終 おわり 声 ごえ に用 もち いたり、二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ を用 もち いるなど様々 さまざま に書 か き分 わ ける理由 りゆう は、主 おも に形態素 けいたいそ を明示 めいじ するためである。形態素 けいたいそ を明示 めいじ するために前述 ぜんじゅつ の7種類 しゅるい 以外 いがい の終 おわり 声 ごえ 字母 じぼ (二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ 含 ふく む)を用 もち いるケースは、具体 ぐたい 的 てき には、大 おお きく次 つぎ の3パターンに分 わ けられる。
語幹 ごかん 末 まつ 音 おと の直後 ちょくご に母音 ぼいん が来 く ることによって、語幹 ごかん 末 まつ 音 おと が初声 はつこえ として発音 はつおん される場合 ばあい は激 げき 音 おん や濃 こ 音 おん 、ㅅやㅈなどの音 おと として現 あらわ れるが、語幹 ごかん 末 まつ 音 おと が終 おわり 声 ごえ として発音 はつおん される場合 ばあい には平 たいら 音 おん ㄱ・ㄷ・ㅂに中和 ちゅうわ される。
語幹 ごかん 末 まつ に子音 しいん が2つ連続 れんぞく している場合 ばあい 、語幹 ごかん 末 まつ の子音 しいん が初声 はつこえ の位置 いち に立 た つときは連続 れんぞく する2つの子音 しいん が両方 りょうほう とも現 あらわ れるが、語幹 ごかん 末 まつ の子音 しいん が終 おわり 声 ごえ の位置 いち に立 た つときは2つの子音 しいん のうち一方 いっぽう が脱落 だつらく する。
接尾 せつび 辞 じ ・語尾 ごび の頭 あたま 音 おん の平 ひら 音 おと が激 げき 音 おん で現 あらわ れる用言 ようげん の場合 ばあい 。
1.は終 おわり 声 ごえ ㅅ・ㅈ・ㅊ・ㅋ・ㅌ・ㅍ・ㄲ・ㅆが該当 がいとう し、例 たと えば옷[옫]-옷이[오시]、밭[받]-밭에[바테]、밖[박]-밖에[바께]といった具合 ぐあい に、直後 ちょくご に母音 ぼいん が来 き たときに次 つぎ の音節 おんせつ の初声 はつこえ として発音 はつおん される音 おと を示 しめ す。
2.は二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ のうち9種 しゅ (ㄳ・ㄵ・ㄺ・ㄻ・ㄼ・ㄽ・ㄾ・ㄿ・ㅄ)が該当 がいとう し、例 たと えば넓다[널따]-넓어[널버]、삶[삼]-삶이[살미]といった具合 ぐあい に、直後 ちょくご に母音 ぼいん が来 き たときに終 おわり 声 ごえ として発音 はつおん される音 おと と、次 つぎ の音節 おんせつ の初声 はつこえ として発音 はつおん される音 おと の両方 りょうほう を示 しめ す。ただし、ㄳ・ㅄの場合 ばあい は、実際 じっさい の発音 はつおん 変化 へんか が[넉]-[넉씨]、[갑]-[갑씨]となるので、本来 ほんらい ㄱㅆ・ㅂㅆと書 か くべきと考 かんが えられるところを、これでは表記 ひょうき が煩雑 はんざつ なので、終 おわり 声 ごえ ㄱ・ㅂの次 つぎ に来 く る初声 はつこえ ㅅは濃 こ 音 おん ㅆで発音 はつおん されることから便宜上 べんぎじょう 表記 ひょうき をㄳ・ㅄ(넋[넉]-넋이[넉씨]、값[갑]-값이[갑씨])としている。
3.はㅎ・ㄶ・ㅀが該当 がいとう し、実際 じっさい の発音 はつおん 変化 へんか が[조아]-[조코]、[마나]-[만치]、[구러]-[굴타]のようになる場合 ばあい で、
第 だい 1の例 れい では아が後続 こうぞく したときは語幹 ごかん の次 つぎ の音節 おんせつ に子音 しいん が現 あらわ れないのに対 たい して、고が後続 こうぞく したときに激 げき 音 おん の코として発音 はつおん されている。
第 だい 2の例 れい では아が後続 こうぞく したときは語幹 ごかん のㄴが初声 はつこえ で発音 はつおん されるのに対 たい して、지が後続 こうぞく したときは激 げき 音 おん の치として発音 はつおん されている。
第 だい 3の例 れい では어が後続 こうぞく したときは語幹 ごかん のㄹが初声 はつこえ で発音 はつおん されるのに対 たい して、다が後続 こうぞく したときは激 げき 音 おん の타として発音 はつおん されている。
このような場合 ばあい 、それぞれ語幹 ごかん を조・만・굴と書 か いたのでは、そのまま続 つづ けて고・지・다など平 ひら 音 おと の字 じ を書 か いたときに激 げき 音 おん 化 か が表現 ひょうげん できない。そこでこのようなケースにあっては、便宜 べんぎ 的 てき に語幹 ごかん 末 まつ のㅎを想定 そうてい して終 おわり 声 ごえ をㅎ・ㄶ・ㅀと表記 ひょうき し、좋아[조아]-좋고[조코]、많아[마나]-많지[만치]、굻어[구러]-굻다[굴타]といった具合 ぐあい に、平 ひら 音 おと が後続 こうぞく した場合 ばあい は平 ひら 音 おと とㅎが融合 ゆうごう して激 げき 音 おん で発音 はつおん すると考 かんが える一方 いっぽう 、母音 ぼいん が後続 こうぞく して新 あら たに子音 しいん が現 あらわ れない場合 ばあい は、そのㅎがあたかも他 た の終 おわり 声 ごえ と同様 どうよう にいったん初声 はつこえ となった上 うえ で語 かたり 中 ちゅう なので聞 き こえなくなっている(そして単語 たんご によっては二 に 重 じゅう 終 おわり 声 ごえ の左側 ひだりがわ であるㄴ・ㄹが初声 はつこえ 化 か している)と見 み なしたような(좋아→[조하]→[조아]、많아→[만하]→[만아]→[마나]、굻어→[굴허]→[굴어]→[구러]と見 み なしたような)書 か き方 かた となる。つまり激 げき 音 おん 化 か を表現 ひょうげん するためにㅎを終 おわり 声 ごえ に利用 りよう するのである。
音 おと 価 か
終 おわり 声 ごえ 字 じ
複 ふく 合 あい 終 おわり 声 ごえ 字 じ
前 まえ
後 のち
ㄱ
ㄱ , ㅋ , ㄲ
ㄳ
ㄺ
ㄷ
ㄷ , ㅅ , ㅆ , ㅈ , ㅊ , ㅌ , ㅎ
ㅂ
ㅂ , ㅍ
ㅄ
(ㄼ ), ㄿ
ㄹ
ㄹ
ㄼ , ㄽ , ㄾ , ㅀ , (ㄺ )
ㄴ
ㄴ
ㄵ , ㄶ
ㅁ
ㅁ
ㄻ
ㅇ
ㅇ
ハングルの由来 ゆらい をめぐって諸説 しょせつ があるが、1446年 ねん 9月 がつ 上旬 じょうじゅん に発刊 はっかん した『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 本 ほん 』にはハングルを創製 そうせい した理由 りゆう と陰陽 いんよう の原理 げんり に基 もと づいて子音 しいん と母音 ぼいん を造 つく ったと明 あき らかにしている。今更 いまさら ハングルの字形 じけい の由来 ゆらい に関 かん する直接的 ちょくせつてき な論争 ろんそう はないが漢字 かんじ とパスパ文字 もじ の起源 きげん 説 せつ がある。
ハングルの音 おと 体系 たいけい は子音 しいん 字母 じぼ が三 さん 十 じゅう 六 ろく 字母 じぼ に対応 たいおう するように作 つく られているなど、音韻 おんいん 学 がく に則 のっと っており、『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 』にはハングルの字形 じけい について「象形 しょうけい 而字倣古篆」、宋 そう ・鄭 てい 樵 きこり の『六書 りくしょ 略 りゃく 』の「起 おこり 一 いち 成文 せいぶん 図 ず 」を起源 きげん とする説 せつ もある[45] 。字母 じぼ の字形 じけい などについては、『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 』の「制 せい 字 じ 原理 げんり 」に書 か かれていることが全 すべ てか、更 さら に原形 げんけい となるものがあるのかについて議論 ぎろん がある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
ハングルの字形 じけい そのものの起源 きげん は上述 じょうじゅつ の『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 解 かい 例 れい 』の通 とお り、象形 しょうけい によるもの[46] [47] だが、その他 た の点 てん ではパスパ文字 もじ の影響 えいきょう があるという主張 しゅちょう もある[47] 。パスパ文字 もじ は1269年 ねん にフビライ・ハン がラマ僧 そう のパスパ(八 はち 思 おもえ 巴 ともえ )に命 めい じて作 つく らせたもので、モンゴル から支配 しはい された高 こう 麗 うらら 時代 じだい 以降 いこう 、李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん の時代 じだい の知識 ちしき 人 じん もこのパスパ文字 もじ を習得 しゅうとく していた[47] 。コロンビア大学 ころんびあだいがく 名誉 めいよ 教授 きょうじゅ ガリ・レッドヤード (英語 えいご 版 ばん ) は、「古 こ 篆」は当時 とうじ 「蒙 こうむ 古 こ 篆字 てんじ 」の名 な で知 し られていたパスパ文字 もじ を指 さ すとしている[48] 。
レッドヤードによれば、『訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 』での基本 きほん 的 てき な子音 しいん 字母 じぼ はㄱ (k) ㄴ (n) ㅁ (m) ㅅ (s) ㅇ (ʔ)であるが、ㅇ系 けい を除 のぞ く字母 じぼ で基礎 きそ になっているものはㄱ (k) ㄷ (t) ㄹ (l) ㅂ (p) ㅈ (ts)であり、これらはパスパ文字 もじ のꡂ(k) ꡊ(t) ꡙ(l) ꡎ(p) ꡛ(s)に由来 ゆらい し、チベット文字 もじ のག(ga) ད(da) ལ(la) བ(ba) ས(sa)に由来 ゆらい するとしている。チベット文字 もじ はブラーフミー系 けい 文字 もじ の一 ひと つで、その起源 きげん はフェニキア文字 もじ とされるため(さらに遡 さかのぼ ればヒエログリフ にたどり着 つ く)、ハングルはフェニキア文字 もじ から派生 はせい したギリシア文字 もじ 、ラテン文字 もじ とも同 どう 系統 けいとう とされる。ㄱ ㄷ ㄹ ㅂはおそらくギリシア文字 もじ のΓ がんま Δ でるた Λ らむだ Β べーた 、ラテン文字 もじ のC /G D L B と同 どう 系統 けいとう であろうとしている(ㅈについては、チベット文字 もじ とラテン文字 もじ とで同 どう 系統 けいとう の文字 もじ を抽出 ちゅうしゅつ するのが困難 こんなん )。また、ゼロ子音 しいん を表 あらわ すㅇについては、ハングルにおいて独自 どくじ に発明 はつめい された字母 じぼ だとしている。
なお、フェニキア文字 もじ にはハングルのㅇに似 に た機能 きのう を持 も つ文字 もじ としてアレフ(𐤀)やアイン(𐤏)があり、それぞれラテン文字 もじ のA とO の由来 ゆらい となっている。しかし、フェニキア文字 もじ がインドに伝 つた わりブラーフミー文字 もじ となった段階 だんかい でこれらに相当 そうとう する文字 もじ は消失 しょうしつ しており、ハングルのㅇは独自 どくじ に再 さい 発明 はつめい されたことになる。ただし、古 こ ハングルで唇 くちびる 軽音 けいおん を表 あらわ したㅸ ㆄ ㅹ ㅱ に現 あらわ れるㅇはパスパ文字 もじ にならったもの(音 おと 価 か はw)としている。
以上 いじょう よりハングルの子音 しいん 字母 じぼ は、ブラーフミー系 けい 文字 もじ (究極 きゅうきょく 的 てき にはヒエログリフ )に由来 ゆらい するㄱ ㄷ ㄹ ㅂ ㅈと独自 どくじ に開発 かいはつ されたㅇの計 けい 六 むっ つの字母 じぼ を基本 きほん とし、音韻 おんいん 学 がく に基 もと づいて他 た の字母 じぼ をそれらの変形 へんけい により派生 はせい させたものとなる。母音 ぼいん 字母 じぼ については、朝鮮 ちょうせん 語 ご の音韻 おんいん にあわせて独自 どくじ に作 つく られたものとしている。
ハングル成立 せいりつ に先立 さきだ って契 ちぎり 丹 に 文字 もじ 、女 おんな 真 ま 文字 もじ 、西 にし 夏 なつ 文字 もじ 、パスパ文字 もじ 等 とう の様々 さまざま な民族 みんぞく 文字 もじ が先行 せんこう ・成立 せいりつ していたことが重要 じゅうよう であり、ハングルはそれら民族 みんぞく 文字 もじ の最終 さいしゅう 走者 そうしゃ であり、特 とく にパスパ文字 もじ はアジア初 はつ の体系 たいけい 的 てき 表音 ひょうおん 文字 もじ であるため、その表音 ひょうおん 文字 もじ という発想 はっそう がハングル成立 せいりつ に巨大 きょだい な刺激 しげき を与 あた えており、ハングルがパスパ文字 もじ の巨大 きょだい な影響 えいきょう を受 う け作成 さくせい されたのは、モンゴル帝国 ていこく に支配 しはい されていた記憶 きおく が生々 なまなま しい李 り 氏 し 朝鮮 ちょうせん 初期 しょき にハングルが作成 さくせい されたことが傍証 ぼうしょう であるという[46] [49] 。
韓国 かんこく ・北朝鮮 きたちょうせん における表記 ひょうき の違 ちが い
編集 へんしゅう
韓国 かんこく と北朝鮮 きたちょうせん では、字母 じぼ の扱 あつか いや、辞書 じしょ における見出 みだ し語 ご の配列 はいれつ などが異 こと なる。韓国 かんこく はソウル方言 ほうげん に、北朝鮮 きたちょうせん は平壌 ぴょんやん 方言 ほうげん に依拠 いきょ しているため、発音 はつおん も若干 じゃっかん 異 こと なる[注 ちゅう 2] 。
文化 ぶんか 観光 かんこう 部 ぶ 2000年 ねん 式 しき 、マッキューン=ライシャワー式 しき 、北朝鮮 きたちょうせん 1992年 ねん 式 しき などがある。
字母 じぼ を組 く み合 あ わせて作 つく られる文字 もじ の理論 りろん 上 じょう の組 く み合 あ わせは11,172文字 もじ だが、実際 じっさい に使用 しよう されるのはその半分 はんぶん 以下 いか である(1987年 ねん に韓国 かんこく の国家 こっか 標準 ひょうじゅん となったコンピュータ用 よう の文字 もじ セット(KS完成 かんせい 型 がた 、KS C 5601-1987 )には日常 にちじょう の99%が表記 ひょうき できる範囲 はんい として2,350字 じ しか含 ふく まれなかった)。なお、1994-1995年 ねん ごろまでは11,172文字 もじ 全部 ぜんぶ を表現 ひょうげん できる文字 もじ セット(組合 くみあい 型 がた 、johab)が圧倒的 あっとうてき に多 おお く使 つか われていたが、Windows 95 でKS完成 かんせい 型 がた を拡張 かくちょう した文字 もじ セット(拡張 かくちょう 完成 かんせい 型 がた 、UHC (Unified Hangul Code))を採用 さいよう し、後 ご のWindowsにも使用 しよう されたため、現在 げんざい は組合 くみあい 型 がた 文字 もじ セットはほとんど使 つか われていない。なお、Windows NT系 けい ではUnicode 2.0(KS C 5700、現 げん :KS X 1005-1)以降 いこう をサポートしている。
ハングルのキーボード
Unicode にはハングルを符号 ふごう 化 か するための文字 もじ が数種類 すうしゅるい あり、標準 ひょうじゅん 的 てき に使用 しよう されるものは、ハングル字母 じぼ (U+1100-11FF)とハングル音節 おんせつ 文字 もじ (U+AC00-D7A3)である。ハングル字母 じぼ はハングルを構成 こうせい する字母 じぼ で、これらを合成 ごうせい する事 こと により15世紀 せいき から現代 げんだい までのハングル音節 おんせつ 文字 もじ を作成 さくせい できる。U+1100-115F は初声 はつこえ 子音 しいん 、U+1160-11A2 は中 ちゅう 声 こえ 母音 ぼいん 、U+11A8-11F9 は終 おわり 声 ごえ 子音 しいん が定義 ていぎ されている。ハングル音節 おんせつ 文字 もじ は、2 つの字母 じぼ からなる音節 おんせつ 399 文字 もじ 、3 つの字母 じぼ からなる音節 おんせつ 10,773 文字 もじ の合計 ごうけい 11,172 文字 もじ で構成 こうせい されている。この他 ほか にハングル互換 ごかん 字母 じぼ (U+3130-318F)があるが、KS完成 かんせい 型 がた (KS C 5601-1987、現 げん :KS X 1001:1998)との互換 ごかん 性 せい のために存在 そんざい する。
Unicode では、Unicode 1.1 以前 いぜん と Unicode 2.0 以降 いこう ではハングルを定義 ていぎ する領域 りょういき が異 こと なっており互換 ごかん 性 せい がない。Unicode 1.1 までは U+3400-4DFF にハングルが定義 ていぎ されていたが、Unicode 2.0 制定 せいてい 時 じ に、新 あたら しく U+AC00-D7AF にハングルが定義 ていぎ され旧 きゅう 領域 りょういき は破棄 はき された。その際 さい 、韓国 かんこく の要求 ようきゅう により KS C 5601-1992 の組合 くみあい 型 がた 文字 もじ セットに基 もと づく現代 げんだい ハングル音節 おんせつ 文字 もじ 11,172文字 もじ が網羅 もうら されている。なお Unicode 2.0 で破棄 はき された領域 りょういき は、Unicode 3.0 制定 せいてい 時 じ にCJK統合 とうごう 漢字 かんじ 拡張 かくちょう A 集合 しゅうごう として U+3400-4DBF に定義 ていぎ され、Unicode 4.0 制定 せいてい 時 じ に易 えき 経 けい 記号 きごう 集合 しゅうごう として U+4DC0-4DFF に定義 ていぎ されている。一方 いっぽう 、半角 はんかく ハングルはUnicode 1.0から一貫 いっかん して半角 はんかく ・全 ぜん 角形 かくがた (英語 えいご 版 ばん ) ブロックのU+FFA0-FFBE、U+FFC2-FFC7、U+FFCA-FFCF、U+FFD2-FFD7、U+FFDA-FFDCで定義 ていぎ されている。
2019年 ねん 3月 がつ 現在 げんざい 、現代 げんだい 朝鮮 ちょうせん 語 ご を表現 ひょうげん するのに、Microsoft系 けい のOS(Windows 10 など)では完成 かんせい 型 がた (U+AC00-D7AF)が、Mac系 けい のOS(iOS やmacOS Mojave など)では組合 くみあい 型 がた (U+1100-11F9)が用 もち いられており、Mac系 けい で作成 さくせい されたファイルのファイル名 めい のハングル部分 ぶぶん が、Windows系 けい のエクスプローラーで初 はつ ・中 ちゅう ・終 おわり 声 ごえ で分 わ かれて表示 ひょうじ されることがある。
ㄱ
ㄲ
ㄴ
ㄷ
ㄸ
ㄹ
ㅁ
ㅂ
ㅃ
ㅅ
ㅆ
ㅇ
ㅈ
ㅉ
ㅊ
ㅋ
ㅌ
ㅍ
ㅎ
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ㅏ
ㅐ
ㅑ
ㅒ
ㅓ
ㅔ
ㅕ
ㅖ
ㅗ
ㅘ
ㅙ
ㅚ
ㅛ
ㅜ
ㅝ
ㅞ
ㅟ
ㅠ
ㅡ
ㅢ
ㅣ
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*
ㄱ
ㄲ
ㄳ
ㄴ
ㄵ
ㄶ
ㄷ
ㄹ
ㄺ
ㄻ
ㄼ
ㄽ
ㄾ
ㄿ
ㅀ
ㅁ
ㅂ
ㅄ
ㅅ
ㅆ
ㅇ
ㅈ
ㅊ
ㅋ
ㅌ
ㅍ
ㅎ
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ハングルのユニコード番号 ばんごう は 0xAC00 + (子音 しいん 番号 ばんごう * 21 * 28) + (母音 ぼいん 番号 ばんごう * 28) + (パッチム番号 ばんごう )
で求 もと めることができる。
パッチムの表 ひょう にある * はパッチムが何 なに もつかないことを表 あらわ す。
2009年 ねん には、ハングル世界 せかい 化 か プロジェクトによって、インドネシア の少数 しょうすう 民族 みんぞく チアチア族 ぞく がチアチア語 ご の文字 もじ 表記 ひょうき にハングルを導入 どうにゅう した[50] 。韓国 かんこく の訓 くん 民 みん 正 せい 音 おと 学会 がっかい が中心 ちゅうしん となって、チアチア語 ご のハングル表記 ひょうき をすすめた[1] 。
チアチア語 ご にはアルファベットやアラビア文字 もじ では表 あらわ せない音 おと があるが、ハングルなら表記 ひょうき が可能 かのう であるかもしれないと採用 さいよう された[51] 。チアチア語 ご は「固有 こゆう の文字 もじ を持 も たず、固有 こゆう 語 ご を失 うしな う危機 きき にあった」ため、韓国 かんこく の団体 だんたい が提案 ていあん し、2009年 ねん 7月 がつ 、バウバウ市 し にてハングル普及 ふきゅう 覚書 おぼえがき を交 か わした[1] 。
一方 いっぽう 、バウバウ市 し はインドネシア政府 せいふ と相談 そうだん せずに導入 どうにゅう を決定 けってい しており[1] 、インドネシア政府 せいふ もハングルを公式 こうしき 文字 もじ として採用 さいよう していないと発表 はっぴょう している[52] 。また、この表記 ひょうき 法 ほう はチアチア語 ご の音韻 おんいん を反映 はんえい するものではなく、朝鮮 ちょうせん 語 ご の事情 じじょう にあわせて作成 さくせい されたものであり、趙 ちょう 義成 よしなり は「アジアの一 いち 半島 はんとう とその周辺 しゅうへん でしか用 もち いない文字 もじ をあえて採用 さいよう する必要 ひつよう はない」として、世界 せかい 的 てき に汎用 はんよう 性 せい のあるラテン文字 もじ でチアチア語 ご を表記 ひょうき した方 ほう がはるかに合理 ごうり 的 てき で効率 こうりつ 的 てき であるとした[1] 。
2018年 ねん に放送 ほうそう された韓国 かんこく のテレビ番組 ばんぐみ によれば、村 むら の看板 かんばん や教科書 きょうかしょ などでいまだに使 つか われている[53] 。
^ 1927年 ねん にはハングル社 しゃ から雑誌 ざっし 『ハングル』が刊行 かんこう された。
^ 例 れい :有 ゆう 声 ごえ 歯茎 はぐき 破 やぶ 擦 ず 音 おと は一律 いちりつ 平 ひら 音 おと の「ㅈ [j] 」で表記 ひょうき し、有 ゆう 声 ごえ 歯茎 はぐき 硬 かた 口蓋 こうがい 破 やぶ 擦 ず 音 おと は「ㅈ 」の後 のち に「ㅣ [i] 」か点 てん が2つある母 はは 音字 おんじ [y] で表記 ひょうき する。日本語 にほんご で言 い うなら北朝鮮 きたちょうせん ではザとジャを区別 くべつ するが韓国 かんこく では区別 くべつ しないということである。無声 むせい 歯茎 はぐき 破 やぶ 擦 ず 音 おと は激 げき 音 おん の「ㅊ [c] 」で表記 ひょうき し、無声 むせい 歯茎 はぐき 硬 かた 口蓋 こうがい 破 やぶ 擦 ず 音 おと は「ㅊ 」の後 のち に「ㅣ [i] 」か点 てん が2つある母 はは 音字 おんじ [y] で表記 ひょうき する。日本語 にほんご で言 い うなら北朝鮮 きたちょうせん ではツとチュを区別 くべつ するが韓国 かんこく では区別 くべつ しないということである。
小倉 おぐら 進平 しんぺい 『増 ぞう 訂 てい 朝鮮 ちょうせん 語学 ごがく 史 し 』刀 かたな 江 こう 書院 しょいん 、1940年 ねん 。doi :10.11501/1126653 。
野間 のま 秀樹 ひでき 『ハングルの誕生 たんじょう :音 おと から文字 もじ を創 つく る』平凡社 へいぼんしゃ 新書 しんしょ 、2010年 ねん
金 きむ 東 あずま 昭 あきら 著 ちょ 、栗田 くりた 英二 えいじ 訳 やく 『韓国 かんこく 語 ご 変遷 へんせん 史 し 』明石書店 あかししょてん 、2003年 ねん 。ISBN 4750317144 。
趙 ちょう 義成 よしなり 「チアチア語 ご のハングル表記 ひょうき 体系 たいけい について」『学術 がくじゅつ 論 ろん 文集 ぶんしゅう 』2011年 ねん 、24-34頁 ぺーじ 、CRID 1010282257045434496 。
朴 ほお 鎮浩(パク・ジノ)「民 みん のための表音 ひょうおん 文字 もじ 」『Koreana』第 だい 28巻 かん 第 だい 3号 ごう 、The Korea Foundation、済州 さいしゅう 特別 とくべつ 自治 じち 道 どう 西 にし 帰 かえり 浦 うら 市 し 、2021年 ねん 、ISSN 1225-4592 。
Ledyard, Gari K. (1998). The Korean Language Reform of 1446. Seoul: Shingu munhwasa.
Ledyard, Gari K. (1997). "The International Linguistic Background of the Correct Sounds for the Instruction of the People". In Young-Key Kim-Renaud, ed. The Korean Alphabet: Its History and Structure. Honolulu: University of Hawai'i Press.
豊田 とよだ 有恒 ありつね 『韓国 かんこく が漢字 かんじ を復活 ふっかつ できない理由 りゆう 』祥伝社 しょうでんしゃ 〈祥伝社 しょうでんしゃ 新書 しんしょ 〉、2012年 ねん 。ISBN 9784396112820 。https://id.ndl.go.jp/bib/023740348 。
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