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李滉 - Wikipedia

ひろし

1501-1570, 朝鮮ちょうせん儒学じゅがくしゃ

ひろし(り こう / イ ファン、1501ねん - 1570ねん)は朝鮮ちょうせん儒学じゅがくしゃけいひろし(けいこう[1]、キョンホ)。ごう退すさけい(たいけい[1]、テゲ)、とうおう清涼せいりょう山人さんじんたからじん栗谷くりや)とならんで、朝鮮ちょうせん朱子学しゅしがくにおける大儒たいじゅしょうされる[2]

ひろし
ひろし石像せきぞう南山なんざん
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル 이황
漢字かんじ ひろし
発音はつおん イ ファン
日本語にほんごみ: り こう
きゅう: り くわう
マ字まじ Yi Hwang
テンプレートを表示ひょうじ

生涯しょうがい

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けい尚道なおみち安東あんどう現在げんざい大韓民国だいかんみんこく慶尚北道けいしょうほくどう安東あんどう出身しゅっしんほんぬきけいなお道真みちざねたから。11さい論語ろんごまなびはじめ、20さいごろ儒学じゅがく学問がくもん没頭ぼっとうして病弱びょうじゃく身体しんたい有名ゆうめい学者がくしゃになった。33さい科挙かきょ合格ごうかくしたのちに、1542ねんくらこうとして忠清ただきよどう巡察じゅんさつするなど中央ちゅうおう地方ちほう官僚かんりょうとして活躍かつやくした[3]りょうはんとして文科ぶんか及第きゅうだいののちなりひとしかんつかさしげるとなるが、1545ねんおつ失脚しっきゃくした。らく東江あがりえのほとりのうさぎけいやしなえあんむすんで隠遁いんとんし、うさぎけい(トゲ)の地名ちめいから「退すさけい」(テゲ)とごうして学問がくもん専心せんしんした。その、たびかさなる出仕しゅっしいのちおうじて1548ねん丹陽たんようぐんまもりとなり、ゆたかもとぐんまもり時代じだい朝鮮半島ちょうせんはんとうはつたまものがく書院しょいん紹修書院しょいんなどを実現じつげんして書院しょいん文化ぶんかきずいた[4]なりひとしかんだいつかさしげるなどを歴任れきにんした。ゆたかもとぐん現在げんざい慶尚北道けいしょうほくどうさかえしゅうもり時代じだいには紹修書院しょいんひらいた。

1560ねんには郷里きょうり隠棲いんせいし、「陶山すやま書院しょいん」をひらき、儒教じゅきょう研究けんきゅう後進こうしん育成いくせいちからそそいだ。「陶山すやま書院しょいん」はおうから扁額へんがくたまわったたまものがく書院しょいんとして朝鮮ちょうせん儒教じゅきょう興隆こうりゅうのさきがけとなる。

退すさけい思想しそうあきらさかんになった陽明学ようめいがく退しりぞけ、あくまで朱子学しゅしがく尊重そんちょうすることで、朱子学しゅしがく提要ていようである「格物致知かくぶつちち」の概念がいねんや「二元論にげんろん」にもとづいて、精緻せいち稠密ちゅうみつ議論ぎろん展開てんかいするしゅせつ特色とくしょくがある。

東方とうほうしょう朱子しゅし」とばれ、どう時代じだい珥とともに朝鮮ちょうせん儒学じゅがく代表だいひょうしゃとされている。その学説がくせつものたちはみねみなみ学派がくはばれるがのちに、珥の系統けいとう畿湖学派がくはするど対立たいりつした。

かれ学問がくもん徹底てっていした内省ないせい出発しゅっぱつてんとしており、この立場たちばからしゅ学説がくせつ整理せいりした。よんはしななじょうとの関係かんけいをめぐるだいますとの長年ながねんにわたる朝鮮ちょうせん儒学じゅがく史上しじょう著名ちょめい論争ろんそうでも、論理ろんりてき整合せいごうせい重視じゅうしするだいますたいして、人間にんげんのあるべき道徳どうとくてき姿すがたもとめて、互発せつよんはしはつななじょうはつ)を主張しゅちょうして、さらに自体じたい動静どうせい運動うんどうせい)を明言めいげんした。

45さいごろになって『朱子しゅし大全たいぜん』を入手にゅうしゅすると、朱子しゅし大全たいぜん文章ぶんしょう没頭ぼっとうして、収録しゅうろくされたしゅ熹の文章ぶんしょう抜粋ばっすいして『朱子しゅししょ節用せつよう』を編纂へんさんした。理想りそうてき人格じんかくしゃ大儒たいじゅ学者がくしゃとして歴代れきだい朝鮮ちょうせん国王こくおう儒学じゅがくしゃから尊敬そんけいけた。かれ学問がくもんはやし羅山らざん山崎やまざき闇斎あんさい大塚おおつか退すさなどの日本にっぽん朱子学しゅしがくしゃおおきな影響えいきょうあたえて、かれの『ひじりがくじゅう』・『自省じせいろく』・『易学えきがく啓蒙けいもうでんうたぐ』などの著作ちょさくだい部分ぶぶん徳川とくがわ幕府ばくふした江戸えど時代じだい日本にっぽん復刻ふっこくされている[5]

 
1000ウォン紙幣しへい

おも日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b ひろし”. 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). 2022ねん10がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ 曺植(曺植 みなみめい)をふく朝鮮ちょうせん朱子学しゅしがくにおけるさん大儒たいじゅしょうされる。
  3. ^ 朝鮮ちょうせん王朝おうちょうがわかる』142ページ六反田ろくたんだゆたか監修かんしゅう
  4. ^ (木村きむらほか1995, 117ぺーじ内側うちがわ段落だんらく)
  5. ^ (木村きむらほか1995, 117ぺーじ外側そとがわ段落だんらく)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 木村きむらまこと ほかへん へん朝鮮ちょうせん人物じんぶつ事典じてん大和やまと書房しょぼう、1995ねん5がつISBN 4-479-84035-4http://www.daiwashobo.co.jp/book/b89226.html 
  • きむてん韓国かんこくのなかの100にん明石書店あかししょてん 2002ねん ISBN 4-7503-1607-5

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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