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法華経 - Wikipedia

法華経ほけきょう

仏教ぶっきょう聖典せいてん

法華経ほけきょう(ほけきょう、ほっけきょう、: Saddharma-puṇḍarīka-sūtra[1])は、大乗だいじょう仏教ぶっきょう(密教みっきょうふくまれる)の代表だいひょうてき経典きょうてん大乗だいじょう仏教ぶっきょう初期しょき成立せいりつした経典きょうてんであり、法華経ほけきょう絶対ぜったい主義しゅぎ法華経ほけきょう至上しじょう主義しゅぎつらぬかれており、法華経ほけきょう開発かいはつした菩薩ぼさつ如来にょらい密教みっきょうがれている。また、壮大そうだいなフィクションや、法華経ほけきょう無限むげん連鎖れんさなどの独創どくそうせいるいない。法華経ほけきょうは、仏教ぶっきょうがわ信者しんじゃ獲得かくとくのため「下位かいカースト在家ありいえ集団しゅうだん」が創作そうさくした独自どくじ経典きょうてんであるため、矛盾むじゅんする思想しそう混在こんざいしている。また、カルトてきという特色とくしょく一方いっぽうで、だれもが平等びょうどう成仏じょうぶつできるという、あたらしい仏教ぶっきょう思想しそうかれている[2]般若はんにゃけいてん華厳経けごんきょうなどの経典きょうてんぐんばれるものは、追加ついかぞうこうされることによってした膨大ぼうだいなおけいであり哲学てつがくてきである、しかし法華経ほけきょう在家ざいけ対象たいしょうとしたバイブルであり、一本いっぽんのおけいである。哲学てつがくてき思想しそうにおいては単純たんじゅんであり、布教ふきょうこそが最大さいだい菩薩ぼさつぎょうとなっている。聖徳太子しょうとくたいし時代じだい仏教ぶっきょうとともに日本にっぽん伝来でんらいした[ちゅう 2]複数ふくすうあるかんやくなかではばとによるものがとく普及ふきゅうしており[3]、その訳名やくめい妙法みょうほう蓮華れんげけい(みょうほうれんげきょう)で、この略称りゃくしょうが「法華経ほけきょう」である。

しろはちすはなはちすは、どろなかまれても、どろまらず、清浄せいじょうはなかせる[ちゅう 1]
5世紀せいきごろの『法華経ほけきょうしたがえ涌出ゆうしゅつひんのサンスクリット写本しゃほん断片だんぺんホータンから出土しゅつど

名称めいしょう

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法華経ほけきょう梵語ぼんごサンスクリット)の原題げんだいは『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma-Puṇḍarīka-Sūtra)である。逐語ちくごやくは「ただしい・ほう白蓮びゃくれんけい」で、意味いみは「しろ蓮華れんげのようにもっとすぐれたただしいおしえ」(植木うえき雅俊まさとしやく)である。

「サッ」(sad)は「ただしい」「不思議ふしぎな」「すぐれた」、「ダルマ」(dharma)は「ほう」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄せいじょうしろ蓮華れんげ」、「スートラ」(sūtra)は「たていとけい」のである。

この梵語ぼんご書名しょめいを、

  • 竺法まもるは286 ねんに「せい法華経ほけきょう」とかんやくした。
  • ばとは406 ねんに「妙法みょうほう蓮華れんげけい」とかんやくした。
  • 岩本いわもとひろしは「ただしいおしえの白蓮びゃくれん」とやくした(岩波いわなみ文庫ぶんこ法華経ほけきょう』および中央公論社ちゅうおうこうろんしゃばん法華経ほけきょう』)。
  • 植木うえき雅俊まさとしは「しろ蓮華れんげのようにもっとすぐれたただしいおしえ」とやくした。

かんやくでは梵語ぼんごの「しろ」だけが省略しょうりゃくされて『せい法華経ほけきょう』や『妙法みょうほう蓮華れんげけい』となった。さらに「みょう」「はちす」が省略しょうりゃくされた表記ひょうきが『法華経ほけきょう』である。『法華経ほけきょう』が『妙法みょうほう蓮華れんげけい』の略称りゃくしょうとしてもちいられる場合ばあいおお[ちゅう 3]

岩本いわもとやく植木うえきやくは、語順ごじゅんぎゃくとなっている。このてんについて植木うえき雅俊まさとしは、「プンダリーカ」が複合語ふくごうご後半こうはんにきて前半ぜんはんかたり譬喩ひゆてき修飾しゅうしょくする(ぎょうしゃく)というサンスクリット文法ぶんぽうらしても、欧米おうべいやくかたからしても、日本語にほんごやくは「白蓮びゃくれんのようにもっとすぐれたただしいおしえ」とすべきであること、ばと什はしろ蓮華れんげ象徴しょうちょうする「もっとすぐれた」と「ただしい」という意味いみを「みょう」にこめて「妙法みょうほう蓮華れんげ」とかんやくしたことを、詳細しょうさいろんじている[4][5]

かんやく

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かんやくは、部分ぶぶんやく異本いほんふくめて16しゅ現在げんざいまでつたわっているが、完訳かんやく残存ざんそんするのは

  • せい法華経ほけきょう』10かん27ひん竺法まもるわけ、286ねんだい正蔵しょうぞう263)
  • 妙法みょうほう蓮華れんげけい』8かん28ひんばとわけ、406ねん大正たいしょうぞう262)[6]
  • 添品妙法みょうほう蓮華れんげけい』7かん27ひん闍那崛多達磨だるまきゅうともやく、601ねん大正たいしょうぞう264)

の3しゅで、かんやくさんほんしょうされている。

 
ばと什訳『妙法みょうほう蓮華れんげけい方便ほうべんひんだい(じゅう如是にょぜまで)

かんやく仏典ぶってんけんでは、ばと什訳の『妙法みょうほう蓮華れんげけい』が「もっとすぐれた翻訳ほんやく[ちゅう 4]として流行りゅうこうし、天台てんだい教学きょうがくおおくの宗派しゅうは信仰しんこうじょうところとしてひろもちいられている[5]

内容ないよう

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法華経ほけきょう内容ないよう

法華経ほけきょうは「分身ぶんしん化身けしん思想しそう」「登場とうじょうするヒンドゥきょうかみひと人間にんげん」など、全品ぜんぴん民間みんかん信仰しんこう影響えいきょうけている。また、また、神秘しんぴ主義しゅぎ呪術じゅじゅつせい本来ほんらい法華経ほけきょう独創どくそうせいであり、「陀羅尼だらに」の導入どうにゅう、「観音かんのん菩薩ぼさつ信仰しんこう」や「普賢菩薩ふげんぼさつ信仰しんこう」「文殊もんじゅ菩薩ぼさつ」の開発かいはつなど、密教みっきょう多大ただい影響えいきょうあたえた経典きょうてんである。また正法しょうぼう否定ひていするものははげしくのろわれるなどの記述きじゅつがあり、法華経ほけきょう絶対ぜったい主義しゅぎ自画じが自賛じさんとおけい功徳くどくかえされている。くすりおう菩薩ぼさつほんことひんには、法華経ほけきょう供養くようために「焼身しょうしん自殺じさつ」するという法華経ほけきょう絶対ぜったいせいかれている。また、理由りゆうからないが、ばと什は法華経ほけきょうの「しょくるいひん」を移動いどうしている。妙法みょうほう蓮華れんげけいの「しょくるいひん」が途中とちゅうにあるのは、ばと什が「しょくるいひん」を移動いどうしたからであり、このことは、「添品妙法みょうほう蓮華れんげけい序文じょぶん」に記載きさいされている。また、什がしょくるいひん移動いどうした結果けっか普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんさい終章しゅうしょうになるため、什は普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんのラストに、「実際じっさいには経文きょうもん文面ぶんめん」をれている。しかし添品妙法みょうほう蓮華れんげけい校正こうせい(601ねん)、什の移動いどうした「しょくるいひん」がもと場所ばしょ(最後さいご)にもどされ、普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんラストの追加ついかぶん同時どうじ削除さくじょされた。ところがまたしても日本にっぽんばん妙法みょうほう蓮華れんげけいでは、什が移動いどうしたしょくるいひんは、経文きょうもん途中とちゅうににあり、普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんラストの追加ついかぶんのこったままだ。まこと遺憾いかんなことである。また創価学会そうかがっかい植木うえき博士はかせは、「本来ほんらい法華経ほけきょう観世音菩薩かんぜおんぼさつ現世げんせい利益りえきをおねがいするような信仰しんこうではない」とっているが、これは創価学会そうかがっかいてき植木うえき博士はかせ個人こじん信仰しんこうである。法華経ほけきょう観世音菩薩かんぜおんぼさつあつかったもっとふる経典きょうてんである。観世音菩薩かんぜおんぼさつ法華ほっけ行者ぎょうじゃ守護神しゅごじんである。また、「陀羅尼だらにろくしゅは、呪術じゅじゅつせいつよい。また、法華経ほけきょう御存ごぞんじのとお釈迦しゃかじきせつではない。「すすむひんだいじゅうさん」には、

なさけないことに、これらの出家しゅっけしゃたちは、仏教ぶっきょう以外いがい外道げどうしんずるもので、自分じぶんたちの詩的してき才能さいのう誇示こじしている。自分じぶん諸々もろもろ経典きょうてんつくって、利得りとく称賛しょうさんもとめて、集会しゅうかいなかでそれをいていると、わたしたちをそしるでありましょう』

かれている。この『法華経ほけきょう信者しんじゃ将来しょうらい大乗だいじょう仏説ぶっせつという誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうけるだろう』という予言よげんは、古代こだいインドの『法華経ほけきょう編纂へんさんしゃじしんが体験たいけんした大乗だいじょう仏説ぶっせつのそしりを予言よげんかたちりて記録きろくしたものとかんがえる研究けんきゅうしゃもいる。なお、法華経ほけきょう経文きょうもんなか大乗だいじょう仏説ぶっせつ予言よげんしているため、法華経ほけきょう信奉しんぽうしゃは、かれらからて「増上慢ぞうじょうまん」の人々ひとびとが「大乗だいじょう仏説ぶっせつ」をべることを、むしろ法華経ほけきょうただしさの証明しょうめいだととらえる。法華経ほけきょう創作そうさくであるがしんじるにあたいするという意味いみである。これは「予言よげん」であり、大乗だいじょう仏教ぶっきょうの「ネタバレ」でもある。また、大乗だいじょう経典きょうてんとく法華経ほけきょうのような創作そうさくせいつよ経典きょうてんは、原始げんし仏教ぶっきょう起源きげんたない。法華経ほけきょう原型げんけいは、散文さんぶんから成立せいりつしており、原始げんし仏教ぶっきょう起源きげんもとめることは、不可能ふかのうである。

法華経ほけきょう原本げんぽん紀元きげん1世紀せいき以降いこうにインドで編纂へんさんされたというせつ有力ゆうりょくである(#成立せいりつ年代ねんだい)。当時とうじは、特別とくべつ修行しゅぎょう出家しゅっけしゃのみが救済きゅうさいされるというかんがえが仏教ぶっきょう主流しゅりゅうしていた。これにたいし、法華経ほけきょうは、小乗しょうじょう大乗だいじょう対立たいりつえつつ、すべての人間にんげんいちじょう菩薩ぼさつ)をつうじて平等びょうどう救済きゅうさいされるという仏教ぶっきょう思想しそう強調きょうちょうした内容ないよう理解りかいされる。初期しょき仏教ぶっきょう経典きょうてんおもね含経記載きさい仏陀ぶっだおしえやエピソードとの差異さいについては、ききてのレベルにあわせた方便ほうべんであったとしたうえで、より本質ほんしつてきなレベルでは、法華経ほけきょう内容ないようこそが、本来ほんらい仏陀ぶっだおしえにかえるものであるとくとともに、涌の菩薩ぼさつたる仏教ぶっきょう信者しんじゃにとって弘通ぐずう布教ふきょう)を重要じゅうよう役割やくわり位置いちづけ、直面ちょくめんするであろう法難ほうなん反対はんたい勢力せいりょくからの弾圧だんあつ)への心構こころがまえもくなど、一切いっさい衆生しゅじょうすくうために法華経ほけきょうおしえをひろめていく観点かんてん重視じゅうししているてんにも特色とくしょくがある[7]。『維摩けい』と配役はいやくこうむっているところがあり、維摩けいへの批判ひはんというめんがあったとの指摘してきもある[8]

構成こうせい

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迹門とほんもん

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ばと什訳『妙法みょうほう蓮華れんげけい』は28ひん章節しょうせつ構成こうせいされている[ちゅう 5]現在げんざい日本にっぽんひろもちいられているさとし天台てんだい大師だいし)のきょうせつによると、前半ぜんはん14ひん迹門(しゃくもん)、後半こうはん14ひんほんもん(ほんもん)と分科ぶんかする。迹門とは、出世しゅっせしたふつ衆生しゅじょうみちびけするために本地ほんじより迹(あと)をしだれたとする部分ぶぶんであり、ほんもんとは釈尊しゃくそん菩提樹ぼだいじゅではなくひゃくちりてんこうという久遠くおんむかしにすでにふつっていたというほんかした部分ぶぶんである。迹門を水中すいちゅううつつきとし、ほんもんてんかぶつきたとえている。後世こうせい天台宗てんだいしゅう法華宗ほっけしゅう一致いっちりょうもん対等たいとうおもんじ、法華ほっけ宗勝むねかつれつ法華経ほけきょうほんもん特別とくべつおもんじ、ほんもんかち、迹門をれつとするなど相違そういはあるが、このきょうせつようする宗派しゅうはおおい。

また、さんふん(さんぶん)の観点かんてんから法華経ほけきょう分類ぶんるいすると、おおきくけて(いちけいさんだん)、序品じょぼんじょぶん方便ほうべんひんから分別ふんべつひん前半ぜんはんまでを正宗まさむねぶん分別ふんべつひんからすすむはつひんまでを流通りゅうつうぶん分科ぶんかする。またこまかくけると(けいろくだん)、前半ぜんはんの迹・ほんもんにもそれぞれじょ正宗まさむね流通りゅうつうさんふんがあるとする。

けいほんとしても流通りゅうつうしているが、『妙法みょうほう蓮華れんげけい全体ぜんたいでは分量ぶんりょうおおきいこともあり、いくつかのしな抜粋ばっすいした『妙法みょうほう蓮華れんげけいようひん』(ようほん)も刊行かんこうされている。

前半ぜんはん迹門(しゃくもん)び、般若はんにゃけいかれる大乗だいじょう主題しゅだいに、二乗にじょうさくほとけ二乗にじょう成仏じょうぶつ可能かのうであるということ)をくが、二乗にじょう衆生しゅじょうから供養くようける生活せいかつ余裕よゆうのある立場たちばであり、また裕福ゆうふく菩薩ぼさつ諸々もろもろ眷属けんぞくれてふつまえ参詣さんけいする様子ようす経典きょうてんかれており、説法せっぽうけるそれぞれの立場たちばが、ほとけ中心ちゅうしんとした法華経ほけきょうそのものを荘厳そうごんかざてる役割やくわりになっている。

さらにひさげばばたち未来みらい成仏じょうぶつ悪人あくにん成仏じょうぶつとう、“一切いっさい衆生しゅじょうが、いつかはかならず「ふつ」にる”という平等びょうどう主義しゅぎおしえを当時とうじ価値かちかんなりにしめし、けいただしさを証明しょうめいするたから如来にょらい出現しゅつげんする宝塔ほうとう出現しゅつげん虚空こくうかい仏並ぶつなみなどの演出えんしゅつによってこれを強調きょうちょうしている。また、宝塔ほうとうひんには仏滅ぶつめつ法華経ほけきょうひろめることだい難事なんじろくなんきゅうえき)であること、すすむひんには滅後めつご末法まっぽう法華経ほけきょうひろめるもの迫害はくがいをされる姿すがた克明こくめいかれるとう仏滅ぶつめつ法華経ほけきょう修行しゅぎょうしゃ難事なんじかれる。

ほんもん

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後半こうはんほんもん(ほんもん)び、久遠くどお実成さねなり(くおんじつじょう。釈迦牟尼しゃかむにほとけ今生こんじょうはじめてさとりをたのではなく、じつ久遠くどおひゃくちりてんこう過去かこにおいてすで成仏じょうぶつしていた存在そんざいである、という主張しゅちょう)の宣言せんげん中心ちゅうしんテーマとなる。これは、のちほんふつろん問題もんだい惹起じゃっきする。

ほんもんではすなわちここにいたってふつとはもはや歴史れきしじょう釈迦しゃかいち個人こじんのことではない。ひとたび法華経ほけきょうえんむすんだひとつのいのち流転るてん苦難くなんながらも、やがてしんみちはいり、自己じこ無限むげん可能かのうせいひらいてゆく。そのなまのありかたそのものをしてほとけであるとく。したがってその寿命じゅみょうは、かけの生死せいしえた、無限むげん未来みらいへとつづいていく久遠くおんのものとして理解りかいされる。そしてこの娑婆しゃば世界せかい)は久遠くおん寿命じゅみょうふつ常住じょうじゅうして永遠えいえん衆生しゅじょう救済きゅうさいへとみちびつづけている場所ばしょである。それにより“一切いっさい衆生しゅじょうが、いつかはかならふつる”というおしえも、たんなる理屈りくつ理想りそうではなく、たしかな保証ほしょうともなった事実じじつであるとく。そしてふつとは久遠くおん寿命じゅみょう存在そんざいである、というこの奥義おうぎいたものは、一念いちねんしんかいはつ随喜ずいきするだけでもだい功徳くどくるとかれる。

説法せっぽう対象たいしょうは、菩薩ぼさつをはじめとするあらゆる境涯きょうがいわたる。また、末法まっぽう愚人ぐじんみちびほうとしてうえこう菩薩ぼさつはじめとする涌の菩薩ぼさつたちにたいする末法まっぽうひろきょうづけしょく観世音菩薩かんぜおんぼさつとうのはたらきによる法華経ほけきょう信仰しんこうしゃへの守護しゅご莫大ばくだい現世げんせい利益りえきなどをく。

方便ほうべんひんだい如来にょらい寿ことぶきりょうひんだいじゅうろく

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法華経ほけきょう』といえども異質いしつ矛盾むじゅんした思想しそうがあちこちに混入こんにゅうしているため、伝統でんとう仏教ぶっきょう一部いちぶ流派りゅうはでは、迹門の方便ほうべんひんだいほんもん如来にょらい寿ことぶきりょうひんだいじゅうろく(とく最後さいご自我じが部分ぶぶん)を、『法華経ほけきょう』の真髄しんずいとして重視じゅうしした。たとえば日蓮にちれんは、信者しんじゃたいし、『法華経ほけきょう』の根幹こんかん方便ほうべんひん寿ことぶきりょうひんでありほかしなはいわば枝葉えだはなので、方便ほうべんひん寿ことぶきりょうひんさえ読誦とくしょうすればしなおしえは自然しぜんにつく、といた[12]

妙法みょうほう蓮華れんげけいじゅうはちひん一覧いちらん

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  • 前半ぜんはん14ひん(迹門)
    • だい1:序品じょぼん(じょほん)
    • だい2:方便ほうべんしな(ほうべんぽん)
    • だい3:譬喩ひゆひん(ひゆほん)
    • だい4:しんかいひん(しんげほん)
    • だい5:薬草やくそうたとえひん(やくそうゆほん)
    • だい6:授記ひん(じゅきほん)
    • だい7:じょうたとえひん(けじょうゆほん)
    • だい8:ひゃく弟子でし受記ひん(ごひゃくでしじゅきほん)
    • だい9:授学無学むがくじんひん(じゅがくむがくにんきほん)
    • だい10:法師ほうしひん(ほっしほん)
    • だい11:宝塔ほうとうひん(けんほうとうほん)
    • だい12:つつみばばたちひん(だいばだったほん)
    • だい13:すすむひん(かんじほん)
    • だい14:安楽あんらくゆきひん(あんらくぎょうほん)
  • 後半こうはん14ひんほんもん
    • だい15:したがえ湧出ゆうしゅつひん(じゅうじゆじゅつほん)
    • だい16:如来にょらい寿ことぶきりょうひん(にょらいじゅりょうほん)
    • だい17:分別ふんべつ功徳くどくひん(ふんべつくどくほん)
    • だい18:随喜ずいき功徳くどくひん(ずいきくどくほん)
    • だい19:法師ほうし功徳くどくひん(ほっしくどくほん)
    • だい20:つねけい菩薩ぼさつしな(じょうふきょうぼさつほん)
    • だい21:如来にょらい神力しんりきひん(にょらいじんりきほん)
    • だい22:しょくるいひん(ぞくるいほん)
    • だい23:くすりおう菩薩ぼさつほんことひん(やくおうぼさつほんじほん)
    • だい24:妙音みょうおん菩薩ぼさつひん(みょうおんぼさつほん)
    • だい25:観世音菩薩かんぜおんぼさつもんひん(かんぜおんぼさつふもんぼん)(観音かんのんけい
    • だい26:陀羅尼だらにひん(だらにほん)
    • だい27:みょう荘厳しょうごんおうほんことひん(みょうしょうごんのうほんじほん)
    • だい28:普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひん(ふげんぼさつかんぼつほん)

その追加ついか部分ぶぶん

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  • だい29:廣量こうりょう天地てんちひん(こうりょうてんちぼん)[13]
  • だい30:うまあきら菩薩ぼさつひん(めみょうぼさつぼん)[14]

28ひんのほか、以上いじょう追加ついか部分ぶぶん成立せいりつしているが、にせけいあつかいとなり普及ふきゅうしなかった。「廣量こうりょう天地てんちひんだいじゅうきゅう」は冒頭ぼうとう部分ぶぶんのみをのぞいてうしなわれている。『妙法みょうほう蓮華れんげけい』28ひんおなじくネットじょうでも大正たいしょうしんおさむ大蔵経だいぞうきょうデータベースで閲覧えつらんできる。

8かんと28ひん対応たいおう関係かんけい

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ばと什訳『妙法みょうほう蓮華れんげけい』8かん28ひんの、各巻かくかんごとの内訳うちわけ以下いかのとおり。

  • だい1かん だい1:序品じょぼん だい2:方便ほうべんひん
  • だい2かん だい3:譬喩ひゆひん だい4:しんかいひん
  • だい3かん だい5:薬草やくそうたとえひん だい6:授記ひん だい7:じょうたとえひん
  • だい4かん だい8:ひゃく弟子でし受記ひん だい9:授学無学むがくじんひん だい10:法師ほうしひん だい11:宝塔ほうとうひん
  • だい5かん だい12:つつみばばたちひん だい13:すすむひん だい14:安楽あんらくゆきひん だい15:したがえ湧出ゆうしゅつひん
  • だい6かん だい16:如来にょらい寿ことぶきりょうひん だい17:分別ふんべつ功徳くどくひん だい18:随喜ずいき功徳くどくひん だい19:法師ほうし功徳くどくひん
  • だい7かん だい20:つねけい菩薩ぼさつひん だい21:如来にょらい神力しんりきひん だい22:しょくるいひん だい23:くすりおう菩薩ぼさつほんことひん だい24:妙音みょうおん菩薩ぼさつひん
  • だい8かん だい25:観世音菩薩かんぜおんぼさつもんひん だい26:陀羅尼だらにひん だい27:みょう荘厳しょうごんおうほんことひん だい28:普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひん

更級さらしな日記にっき』の作者さくしゃ菅原孝標女すがわらたかすえのむすめ少女しょうじょ時代じだいゆめなか僧侶そうりょから「『法華経ほけきょう』のだい5かんはやならいなさい」と忠告ちゅうこくされたのに無視むしした挿話そうわ[15]有名ゆうめいである。だい5かんには、女人にょにん成仏じょうぶつひさげばばたちひんや、天台てんだいけい寺院じいん勤行ごんぎょう読誦とくしょうされる安楽あんらくぎょうひん、「ほんもん」(後半こうはん14ひん)の最初さいしょしょうであるしたがえ湧出ゆうしゅつひんなどがふくまれている。

法華経ほけきょうようひん

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法華経ほけきょうようひん訓読くんどく[16]目次もくじ

法華経ほけきょう全体ぜんたいぶんりょう膨大ぼうだいであるため、主要しゅよう抜粋ばっすいした『法華経ほけきょうようひん(ようほん)』もつくられ、読誦とくしょう学習がくしゅう利用りようされている。法華経ほけきょうのどのしょうなかから、どのくらいのながさの文章ぶんしょうえらぶかの取捨選択しゅしゃせんたくは、テキストによって若干じゃっかん異同いどうがある。
以下いか明治めいじ時代じだいの『法華経ほけきょうようひん訓読くんどく』の目次もくじである。収録しゅうろくされているあきらについて、そのしょう全文ぜんぶんせているとはかぎらない。たとえば「方便ほうべんひんだい」は冒頭ぼうとうの「なんじ世尊せそん・・・」からじゅう如是にょぜまでで、その割愛かつあいされている。

 序品じょぼんだいいち方便ほうべんひんだいよくれいしゅ(※)、つつみばばたちひんだいじゅう如来にょらい寿ことぶきりょうひんだいじゅうろく如来にょらい神力しんりきひんだいじゅういちぞくるいひんだいじゅう観世音菩薩かんぜおんぼさつもんひんだいじゅう陀羅尼だらにひんだいじゅうろくみょう荘厳しょうごんおうほんことひんだいじゅうなな普賢菩薩ふげんぼさつすすむはつひんだいじゅうはち宝塔ほうとう(宝塔ほうとうひんだいじゅういちぶん)
※「よくれいしゅ」は方便ほうべんひんだい譬喩ひゆひんだいさん法師ほうしひんだいじゅう宝塔ほうとうひんだいじゅういちからの抜粋ばっすいさい構成こうせいしたもの。

勤行ごんぎょうでの読誦とくしょう

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ばと什訳『妙法みょうほう蓮華れんげけい如来にょらい寿ことぶきりょうひんだいじゅうろく自我じが。よみがなや字句じく宗派しゅうはにより若干じゃっかんことなる。だい83如意にょいぜん方便ほうべん以下いか法華ほっけななたとえの1つ「りょうびょう」をす。

日本にっぽん仏教ぶっきょう勤行ごんぎょうでの読経どきょうでは、通常つうじょう上述じょうじゅつの『法華経ほけきょうようひん』にえらばれた章節しょうせつ一部いちぶだけを重点的じゅうてんてき読誦とくしょうする。

日蓮にちれん正宗まさむねけい勤行ごんぎょうでは「方便ほうべんひんだい」(冒頭ぼうとうじゅう如是にょぜまで)と「如来にょらい寿ことぶきりょうひんだいじゅうろく」(とく自我じが)を読誦とくしょうするが、天台宗てんだいしゅうけい勤行ごんぎょうでは「安楽あんらくぎょうひんだいじゅうよん」を読誦とくしょうすることがおおいなど、宗派しゅうはごとにちがいがある。

法華ほっけななたとえ(ほっけしちゆ)

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法華経ほけきょうでは、7つのたとえはなしとして物語ものがたりかれている。これは釈迦しゃかぼとけがたとえはなしもちいてわかりやすく衆生しゅじょう教化きょうかした様子ようすそくしており、法華経ほけきょうかくしなでもこの様式ようしきもちいてわかりやすくおしえをいたものである。これを法華ほっけななたとえ、あるいはななたとえ(しちひ)ともいう。

  1. さんしゃ火宅かたく(さんしゃかたく、譬喩ひゆひん
  2. 長者ちょうじゃきゅう(ちょうじゃぐうじ、しんかいひん
  3. さんくさ(さんそうにもく、薬草やくそうたとえひん
  4. じょうたからしょ(けじょうほうしょ、じょうたとえひん
  5. ころもうらつなぎたま(えりけいしゅ、ひゃく弟子でし受記ひん
  6. たぶさちゅうあきらたま(けいちゅうみょうしゅ、安楽あんらくぎょうひん
  7. りょうびょう(ろういびょうし、如来にょらい寿ことぶきりょうひん

成立せいりつ年代ねんだい

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維摩けい法華経ほけきょう場面ばめんふくきたたかし(550-577)の奉納ほうのう石碑せきひ中国ちゅうごく河北かほくしょう発見はっけんペンシルベニア大学だいがく考古学こうこがく人類じんるいがく博物館はくぶつかん展示てんじ

代表だいひょうてきせつとして布施ふせひろしだけが『法華経ほけきょう成立せいりつ』(1934ねん)でべたせつがある[17]。これは段階だんかいてき成立せいりつせつで、法華経ほけきょう全体ぜんたいとしては3るい、4段階だんかいてき成立せいりつした、とするものである。だい一類いちるい序品じょぼん〜授学無学むがくじんひんおよび随喜ずいき功徳くどくひんけい10ひん)にふくまれる韻文いんぶん紀元前きげんぜん1世紀せいきころに思想しそう形成けいせいされ、紀元きげん前後ぜんこう文章ぶんしょうされ、長行おさゆき(じょうごう)とばれる散文さんぶん紀元きげん1世紀せいき成立せいりつしたとし、だいるい法師ほうしひん如来にょらい神力しんりきひんけい10ひん)は紀元きげん100ねんごろ、だいさんるい(7ひん)は150ねん前後ぜんこう成立せいりつした、とした[17]。そのおおくの研究けんきゅうしゃたちは、このせつおおきな影響えいきょうけつつ、修正しゅうせいくわえて改良かいりょうしてきた[17]

20世紀せいき後半こうはんになって苅谷かりや定彦さだひこによって「序品じょぼん如来にょらい神力しんりきひん同時どうじ成立せいりつした」とするせつ[18]が、また勝呂かつろしんせいによって27ひん同時どうじ成立せいりつせつ[19]となえられている。菅野かんの博史ひろふみ成立せいりつ年代ねんだい特定とくてい問題もんだいは『しにもどった』というのが現今げんこん研究けんきゅう状況じょうきょうだ」と1998ねん刊行かんこう事典じてんにおいて解説かいせつしている[17]

せつとして福音ふくいんしょ由来ゆらいせつもある[20]

ドナルド・ロペス英語えいごばんによれば、「法華経ほけきょうあきらかにたか文学ぶんがくせい作品さくひんひとつである。著者ちょしゃらはられていない、しかしかれらはおそらく学歴がくれきたかふつそうたちであり、当時とうじのインドにおいて存在そんざいしていた仏教ぶっきょうおしえとたとえにおいてまったくやすらいでいた。[21]」となっている。

後代こうだい追加ついか箇所かしょもあるのではないかとされる。かんやくでは内容ないよう順番じゅんばんちが[22]

西北にしきたインドで西暦せいれき40ねん~220ねんごろに成立せいりつしたとするせつ

編集へんしゅう

現行げんこうの『ばと什訳妙法みょうほう法華経ほけきょうじゅうはちひんのうち、しょくるいひんだいじゅうまでと、くすりおう菩薩ぼさつほんことひんだいじゅうさんから以下いか部分ぶぶんは、思想しそう内容ないようから少々しょうしょう異質いしつであると主張しゅちょうする研究けんきゅうしゃもいる。そのためしょくるいひんまでが原初げんしょの『法華経ほけきょう』で、あとは後世こうせいぞうこう部分ぶぶんかんがえる研究けんきゅうしゃもいる[23]。しかししょくるいひんばと什によって移動いどうされたものであり、ばと什は、しょくるいひん移動いどうともなって、最終さいしゅうあきらとなる普賢菩薩ふげんぼさつひん最後さいごに、みをしている。添品妙法みょうほう蓮華れんげけい校正こうせいばと什が移動いどうしたしょくるいひんもと場所ばしょもどされた。

中村なかむらはじめは「しょくるいひんだいじゅうまでの部分ぶぶん西暦せいれき40ねんから220ねんあいだ成立せいりつした」と推定すいていした。
上限じょうげんの40ねんについては、しんかいひんの《長者ちょうじゃきゅう譬喩ひゆ》にられる、金融きんゆうおこなって利息りそくっていた長者ちょうじゃ臨終りんじゅう様子ようすから、「貨幣かへい経済けいざい非常ひじょう発達はったつした時代じだいでなければ、このような一人ひとり富豪ふごうであるにまらず国王こくおうとう畏怖いふ駆使くしせしめるような資本しほんはでてこないので、法華経ほけきょう成立せいりつした年代ねんだい上限じょうげん西暦せいれき40ねんである」と推察すいさつした[24]。このてんについては、渡辺わたなべあきらひろしも、「50年間ねんかん流浪るろうしたのちに20年間ねんかん掃除そうじおっとだったおとこじつ長者ちょうじゃ後継こうけいしゃであると宣言せんげんされる様子ようすから、古来ふるくインド社会しゃかいバラモン中心ちゅうしんとした強固きょうこなカースト制度せいどがあり、たとえ譬喩ひゆであってもこうしたケースは現実味げんじつみとぼしく、もしかんがるとすればバラモン文化ぶんか影響えいきょうすくない社会しゃかい環境かんきょうでなければならない[25]」とべている。
下限かげんについて220ねんであると中村なかむらはじめ推定すいていする理由りゆうは、『法華経ほけきょう』に頻出ひんしゅつするストゥーパ建造けんぞう盛衰せいすいである。考古学こうこがくてき遺物いぶつからて、ストゥーパ建造けんぞう最盛さいせいクシャーナあさヴァースデーヴァ1せい英語えいごばん時代じだいで、これ以降いこう急激きゅうげき衰退すいたいしている。

法華経ほけきょう』の成立せいりつ地域ちいきについて、中村なかむらはじめ植木うえき雅俊まさとし西北せいほくインドせつ主張しゅちょうしている。『法華経ほけきょう』の守護神しゅごじんである鬼子母神きしもじんぞうはガンダーラ周辺しゅうへん多数たすう出土しゅつどしていること、方便ほうべんひん登場とうじょうするヤクや法師ほうしひん井戸いどりの描写びょうしゃなど自然しぜん環境かんきょう西北せいほくインドてきであること、授記がなされる理想りそうふつ国土こくどはきまって平地ひらちであること(これはインド西北せいほく山岳さんがく地帯ちたい生活せいかつ苦労くろう裏返うらがえしであるとかんがえられる)、みょう荘厳しょうごんおうひんにアフガニスタンで出土しゅつどする立像りつぞう類似るいじした描写びょうしゃがあること、など、数々かずかず状況じょうきょう証拠しょうこから、『法華経ほけきょう』はインド東部とうぶのガンジスかわ流域りゅういき低地ていちではなく、インド西北せいほく高地こうち成立せいりつしたとかんがえるのが自然しぜんであるとするせつである[26]

ユーラシア大陸たいりくでの法華経ほけきょう流布るふ

編集へんしゅう
 
みなみトルキスタンから出土しゅつどした、ブラーフミー文字もじ法華経ほけきょう写本しゃほん

このけい日本にっぽんつたわるまえユーラシア大陸たいりく東部とうぶひろ流布るふした。ず、インドいて広範こうはん流布るふしていたためか、サンスクリットほん編修へんしゅうおおい。什のわけでは真言しんごんしるし省略しょうりゃくする。添品法華経ほけきょうではこれらを追加ついかしている。

またチベットわけウイグルかたりやく西にしなつかたりやくモンゴルかたりやくまんしゅうわけ朝鮮ちょうせん諺文おんもんやくなどがある。これらの翻訳ほんやく存在そんざいによって、この経典きょうてんひろ地域ちいきにわたって読誦とくしょうされていたことが理解りかいできる。チベット仏教ぶっきょうゲルク開祖かいそツォンカパ主著しゅちょ菩提ぼだいどう次第しだいだいろん』で、滅罪めつざいする方便ほうべんとして法華経ほけきょう読誦とくしょうすることをすすめている[27]

ネパールではきゅうほう宝典ほうてんNavagrantha)のひとつとされている[28]

中国ちゅうごく天台宗てんだいしゅうでは、『法華経ほけきょう』をさい重要じゅうよう経典きょうてんとして採用さいようした。中国ちゅうごく浙江せっこうしょう天台山てんだいざん国清寺こくせいじさとし顗(天台てんだい大師だいし)は、ばと什の『妙法みょうほう蓮華れんげけい』をところ経典きょうてんとした。

日本にっぽんでの法華経ほけきょう流布るふ

編集へんしゅう
 
法華ほっけよし疏』
 
平家ひらかおさむけいかんひろしけんけい見返みかえちょうひろし2ねん1164ねん
 
平家ひらかおさむけい
 
読経どきょうようほん江戸えどりょうてんほん(経文きょうもん右側みぎがわにひらがなで音読おんよみを、左側ひだりがわにカタカナとかえてん漢文かんぶん訓読くんどくしめす)。

日本にっぽんではせいくらいん法華経ほけきょう断簡だんかん存在そんざいし、日本人にっぽんじんにとってもふるくからなじみのあった経典きょうてんであったことがうかがえる。

天台宗てんだいしゅう日蓮宗にちれんしゅうけい宗派しゅうはには、『法華経ほけきょう』にたいし『無量むりょう義経よしつね』をひらけけい、『かん普賢菩薩ふげんぼさつ行法ぎょうほうけい』をゆいけいとする見方みかたがあり、「法華ほっけさんけい」とばれている。日本にっぽんではまた護国ごこく経典きょうてんとされ、『金光かねみつあきらけい』『仁王におうけい』とあわせ「護国ごこくさんけい」のひとつとされた。


606ねん(推古14ねん)に聖徳太子しょうとくたいし法華経ほけきょうこうじたとの記事きじ日本書紀にほんしょきにある。

皇太子こうたいしまた法華経ほけきょう岡本おかもとみやこうじたまふ。天皇てんのうおおきによろこびて、播磨はりまこく水田すいでんひゃくまち皇太子こうたいしほどこせりたまふ。りて斑鳩寺いかるがでらおさめれたまふ。」(まきだい22、推古天皇すいこてんのう14ねんじょう

615ねんには聖徳太子しょうとくたいし法華経ほけきょう注釈ちゅうしゃくしょ法華ほっけよし疏』をあらわしたとされる (「さんけい参照さんしょう)。聖徳太子しょうとくたいし以来いらい法華経ほけきょう仏教ぶっきょう重要じゅうよう経典きょうてんのひとつであると同時どうじに、鎮護ちんご国家こっか観点かんてんから、とく日本にっぽんこくにはえんふか経典きょうてんとして一般いっぱんかんがえられてきた。おおくの天皇てんのう法華経ほけきょうたたえるうたのこしており[29]聖武天皇しょうむてんのう皇后こうごうである光明皇后こうみょうこうごうは、全国ぜんこくに「法華ほっけ滅罪めつざいてら(ほっけめつざいのてら)」をて、これを「国分こくぶ尼寺あまでら」とんで「法華経ほけきょう」を信奉しんぽうした。

最澄さいちょうによって日本にっぽんつたえられた天台宗てんだいしゅうは、明治維新めいじいしんまでは皇室こうしつあつ尊崇そんすうけた。また最澄さいちょうは、みずからの宗派しゅうはを「天台てんだい法華宗ほっけしゅう」とづけて「法華経ほけきょう」を至上しじょうおしえとした。

平安へいあん時代じだい末期まっき以降いこう成立せいりつした『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』では法華経ほけきょう利益りえきおおえがかれている。

鎌倉かまくら時代じだい戦国せんごく時代じだい

編集へんしゅう

法華経ほけきょう信仰しんこう復興ふっこう目指めざしたのが日蓮にちれんだった。日蓮にちれんは、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ対抗たいこうすべく「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の題目だいもくとなえ(唱題ぎょう[30]妙法みょうほう蓮華れんげけい帰命きみょうしていくなかで凡夫ぼんぷなかにも仏性ぶっしょう目覚めざめてゆき、しん成仏じょうぶつみちあゆむことが出来できる(みょう蘇生そせい也)、というおしえをき、法華宗ほっけしゅう各派かくはとなった。それまでも祈祷きとう懺悔ざんげ滅罪めつざいのために法華経ほけきょう読誦とくしょう写経しゃきょうさかんにおこなわれていたが、日蓮にちれん教学きょうがく法華宗ほっけしゅうは、このけい題目だいもく題名だいめい)の「妙法みょうほう蓮華れんげけい」(ばとかん訳本やくほん正式せいしきめい)のおもんじ、南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうなな題目だいもく)ととなえることを正行まさゆき(しょうぎょう)としたところ特色とくしょくがある。

また鎌倉かまくらしん仏教ぶっきょうにおいても法華経ほけきょう重要じゅうよう役割やくわりたしていた。だい念仏ねんぶつとな融通ゆうずう念仏宗ねんぶつしゅうとなる良忍りょうにん浄土じょうどけい仏教ぶっきょう先駆せんくとして称名しょうみょう念仏ねんぶつ主張しゅちょうしたが、華厳経けごんきょう法華経ほけきょうただしとし、浄土じょうどさんけいはたとした。

曹洞宗そうとうしゅう祖師そしである道元どうげんは、「只管ひたすらすわ」の坐禅ざぜん成仏じょうぶつ実践じっせんほうとして宣揚せんようしながらも、その理論りろんてきうらづけは、あくまでも法華経ほけきょうおしえのなか探求たんきゅうをしつづけた。臨終りんじゅうときかれんだ経文きょうもんは、法華経ほけきょう如来にょらい神力しんりきひんであった。

近世きんせい

編集へんしゅう
 
江戸えど時代じだいには一般いっぱん大衆たいしゅうけの法華経ほけきょう解説かいせつしょ多数たすう刊行かんこうされた。『法華ほっけ自我じがしょう』1814ねん

近世きんせいにおける法華経ほけきょう罪障ざいしょう消滅しょうめつ観点かんてんから、戦国せんごく戦乱せんらんによる戦死せんししゃへの贖罪しょくざい悔恨かいこん、その江戸えどいたるまでの和平わへいへのいのりをめて戦国せんごく武将ぶしょうとその大名だいみょうひろ信奉しんぽうされるようになった。れいとして加藤かとう清正きよまさ法華経ほけきょうおさめけいしている。

江戸えどにおける大名だいみょう菩提寺ぼだいじ江戸えど城下じょうか寄進きしん法華ほっけ日蓮宗にちれんしゅうけい菩提寺ぼだいじおお建築けんちくされ、また紀伊きい徳川とくがわ加藤かとう清正きよまさらによってもとよりあった池上本門寺いけがみほんもんじへの寄進きしん改築かいちくすすんだ。これら大名だいみょうによるしょ宗派しゅうは寺社じしゃ寄進きしんには、軍役ぐんえき奉仕ほうしである参勤交代さんきんこうたい天下てんか普請ふしんといった江戸えど幕府ばくふからの奉仕ほうし負担ふたんすこしでも大目おおめてもらおうという目的もくてきもあり、また国外こくがいからの有事ゆうじ軍役ぐんえきさい菩提寺ぼだいじとりでとして利用りようすることも想定そうていしていた。現実げんじつ上野うえの戦争せんそうどき寛永寺かんえいじなどが幕末ばくまつ動乱どうらんとりでとして活用かつようされている。

上記じょうき理由りゆう以外いがいとく武家ぶけ妻女さいじょ子女しじょらには変成へんせい男子だんしせずとも女人にょにん成仏じょうぶつができるといた日蓮にちれんおしえに感化かんかされすすむんで信奉しんぽうするものがこぞっておおくなった。

近代きんだい

編集へんしゅう

近代きんだいにおいても法華経ほけきょうは、おもに日蓮にちれんつうじておおくの作家さっか思想家しそうか影響えいきょうあたえた教典きょうてんである。島地しまじまさるとうへんやくの『漢和かんわ対照たいしょう妙法みょうほう蓮華れんげけい』に衝撃しょうげきけ、のち田中たなか智学ちがくくにばしらかい入会にゅうかいした宮沢みやざわ賢治けんじ詩人しじん童話どうわ小説しょうせつ)や、高山樗牛たかやまちょぎゅう思想家しそうか)、妹尾せのお義郎よしお宗教しゅうきょう思想家しそうか)、きた一輝いっき革命かくめい)、石原いしはら莞爾かんじ軍人ぐんじん)、創価そうか教育きょういく学会がっかい創価学会そうかがっかい前身ぜんしん)を結成けっせいした牧口まきぐち常三郎つねさぶろう戸田とだじょうきよし両者りょうしゃとももと教員きょういん)らがよくられている。

一方いっぽう西欧せいおうしき仏教ぶっきょう研究けんきゅう輸入ゆにゅうされ大乗だいじょう仏説ぶっせつ常識じょうしきしていった[31]

1945ねん太平洋戦争たいへいようせんそうでの敗戦はいせん宗教しゅうきょう自由じゆうによって、創価学会そうかがっかい立正佼成会りっしょうこうせいかいといった日蓮にちれんけい教団きょうだんおおきく勢力せいりょくばした。

法華経ほけきょう女人にょにん成仏じょうぶつかなど一部いちぶ文言もんごんについては進駐軍しんちゅうぐん意向いこうもあり教学きょうがくじょう解釈かいしゃく変更へんこう一部いちぶ宗派しゅうはでは余儀よぎなくされた[よう出典しゅってん]

 
法華経ほけきょう写本しゃほんれい 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう法隆寺ほうりゅうじ献納けんのう宝物ほうもつ平安へいあん時代じだい

経典きょうてんとしての位置いちづけ

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文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうしゃ立場たちば

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文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうでは、成立せいりつ年代ねんだい釈迦しゃか存命ぞんめいよりすうひゃくねんとする大乗だいじょう仏説ぶっせつろんつよい。上座かみざ仏教ぶっきょう大乗だいじょう仏教ぶっきょう対立たいりつ止揚しようとして、両者りょうしゃ融合ゆうごうさせてすべてをすくうことを主張しゅちょうするため作成さくせいされたと推測すいそくするせつ[32]西暦せいれき紀元きげん前後ぜんこう仏教ぶっきょうばれる専従せんじゅう僧侶そうりょ独占どくせん反発はんぱつする教団きょうだんによって編纂へんさんされたと推測すいそくするせつ[よう出典しゅってん]などがある

文献ぶんけんがくてき研究けんきゅうたいする反応はんのう

編集へんしゅう

日本にっぽんでは、江戸えど時代じだい発行はっこうされた富永とみながなかはじめじょう』の影響えいきょうくわえ、西洋せいようけい近代きんだい仏教ぶっきょうがく導入どうにゅうした影響えいきょうから大乗だいじょう仏説ぶっせつろんひろ浸透しんとうした[33]

法華経ほけきょう成立せいりつが、釈迦しゃか存命ぞんめいよりすう世紀せいきだという文献ぶんけんがく成果せいかたいし、日本にっぽん法華ほっけけい教団きょうだんでは、釈迦しゃか発言はつげん継承けいしょうしていき後代こうだい文章ぶんしょうしたとする[34]釈迦しゃかじきせつながとき弟子でしから弟子でしへと継承けいしょうされる課程かてい発展はってんしていったものとする、教義きょうぎ弟子でし継承けいしょう発展はってんさせることは、きた教団きょうだんである以上いじょうありることから、後世こうせい成立せいりつとされる大乗だいじょう経典きょうてん根無ねなぐさごと存在そんざいではないとするなど、後世こうせい経典きょうてんもまた「釈迦しゃか教義きょうぎ」としてみとめる、というるい折衷せっちゅうてき解釈かいしゃく傾向けいこうがある。さらにいちすすんで、仏説ぶっせつろんただしくても問題もんだいないロジックをむべきという立場たちばもある[35]

きん現代げんだい研究けんきゅうしゃによる評価ひょうか

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法華経ほけきょう』への評価ひょうかは、ばと什によるかん訳本やくほん、サンスクリットほん両方りょうほうともたかい。

書評しょひょう松岡まつおかただしつよしは、法華経ほけきょうのエディターシップを激賞げきしょうして「法華経ほけきょうむと、いつも興奮こうふんする。/その編集へんしゅう構成こうせいみょうには、しばしばうならされる。」「法華経ほけきょうにはむかしから、このんで「一品いっぴんはん」(いっぽんにはん)といわれてきた特別とくべつ蝶番ちょうつがい(ちょうつがい)がはたらいている。15「したがえ湧出ゆうしゅつひん」の後半こうはん部分ぶぶんから16「如来にょらい寿ことぶきりょうひん」と17「分別ふんべつ功徳くどくひん」の前半ぜんはん部分ぶぶんまでをひとくくりにして、あえて「一品いっぴんはん」とみなすのだ。その蝶番ちょうつがいによって、前半ぜんはんの「迹門」と後半こうはんの「ほんもん」が屏風びょうぶわせのようになっていく。」[36]べている。

昭和しょうわ仏教ぶっきょう学者がくしゃだった渡辺わたなべあきらひろしは「サンスクリットほんについてると、文体ぶんたいはきわめて粗野そや単純たんじゅん一見いっけんしてあまり教養きょうようのないひとたちのかれた」[37]批判ひはんした。 これにたいして、仏教ぶっきょう思想しそう研究けんきゅうしゃ植木うえき雅俊まさとしは、サンスクリット原典げんてんより『法華経ほけきょう』をやくした経験けいけんをふまえ、複雑ふくざつかつ精妙せいみょう掛詞かけことば駆使くしした「『法華経ほけきょう編纂へんさんたずさわったひと教養きょうようレベルのたかさにおどろかされる」と激賞げきしょうしたうえで、「(渡辺わたなべあきらひろしが)なにをもってそのように結論けつろんされたのか、くびかしげてしまう」[38]反論はんろんしている。また、歴史れきし実在じつざいした釈迦しゃかいた「原始げんし仏教ぶっきょう」の平等びょうどう思想しそう人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎ釈迦しゃか死後しご500ねんのあいだに〝小乗しょうじょう仏教ぶっきょう教団きょうだんによって改竄かいざんされており、思想しそうてきれば『法華経ほけきょう』こそ「仏説ぶっせつ」であると植木うえきべる[39]

植木うえき雅俊まさとしは『創価そうか教育きょういく』で、昭和しょうわ出版しゅっぱん岩波いわなみ文庫ぶんこばん法華経ほけきょう[40]には、かんやく注釈ちゅうしゃくおよびサンスクリットからの現代げんだいやく後者こうしゃには誤訳ごやく散見さんけんされ、岩波いわなみばん誤訳ごやく箇所かしょを、ばと什によるかんやく比較ひかくすると、ばと什はサンスクリット文法ぶんぽうをふまえて意味いみ正確せいかくにとらえ、適切てきせつかんやくつくったことがわかるとしている[41]

社会しゃかい学者がくしゃ橋爪はしづめだい三郎さぶろうは、植木うえきとの共著きょうちょ[42]で、天台宗てんだいしゅうまなんだ学僧がくそうらにより鎌倉かまくら仏教ぶっきょうまれたことを評価ひょうかしている。

かんやく一覧いちらん

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  • 妙法みょうほう蓮華れんげけいはちかん ばとわけだい正蔵しょうぞう262)
  • せい法華経ほけきょうじゅうかん 竺法まもるわけ大正たいしょうぞう263)
  • 『添品妙法みょうほう蓮華れんげけいななかん 闍那崛多・きゅうやく大正たいしょうぞう264)
  • 『薩曇ぶん陀利けいいちかん 訳者やくしゃ不明ふめい大正たいしょうぞう265)
  • 仏説ぶっせつおもねおもんみえつ致遮けいさんかん 竺法まもるわけ大正たいしょうぞう265)
  • 不退転ふたいてん法輪ほうりんけいよんかん 訳者やくしゃ不明ふめい大正たいしょうぞう267)
  • 仏説ぶっせつ広博こうはくいむきよし不退転ふたいてんけいろくかん さとしげんやく大正たいしょうぞう268)
  • 仏説ぶっせつ法華三昧ほっけざんまいけいいちかん さとしげんやく大正たいしょうぞう269)
  • 大法たいほうけいかん もとめばつ陀羅わけ大正たいしょうぞう270)
  • 仏説ぶっせつ菩薩ぼさつ行方ゆくえ便びん境界きょうかい神通じんずう変化へんかけいさんかん もとめばつ陀羅やく大正たいしょうぞう271)
  • だい薩遮あまいぬいしょ説経せっきょうじゅうかん 菩提ぼだいとめささえわけ大正たいしょうぞう272)
  • きむつよし三昧ざんまいけいいちかん 訳者やくしゃ不明ふめい大正たいしょうぞう273)
  • 仏説ぶっせつずみ諸方しょほうとうがくけいいちかん 竺法まもるやく大正たいしょうぞう274)
  • 大乗だいじょうかたこうそう持経じきょういちかん 毘尼りゅうささえやく大正たいしょうぞう275)
  • 無量むりょう義経よしつねいちかん くもりとぎ陀耶しゃやく大正たいしょうぞう276)
  • 仏説ぶっせつかん普賢菩薩ふげんぼさつ行法ぎょうほうけい』 1かん くもりみつやく大正たいしょうぞう277)

訳本やくほん

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おも現代げんだいやく

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以下いか平成へいせいでの出版しゅっぱん
  • 法華経ほけきょう現代げんだいやく大乗だいじょう仏典ぶってん」』 中村なかむらはじめ代表だいひょう東京書籍とうきょうしょせき、2003ねん新版しんぱん)。へんやく
  • 法華経ほけきょう 現代げんだいやく』(うえした)、中村なかむらみずほたかしわけちょ春秋しゅんじゅうしゃ、1995-1998ねん
  • 新国にいくにやく大蔵経だいぞうきょうインド撰述せんじゅつ 法華ほっけ I・II』(うえした)、多田ただ孝正たかまさほかこう註、大蔵おおくら出版しゅっぱん、1997ねん
  • 『梵漢和かんわ対照たいしょう 現代げんだいやく 法華経ほけきょう』(うえした)、植木うえき雅俊まさとし訳注やくちゅう岩波書店いわなみしょてん、2008ねん毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう受賞じゅしょう
    うえ)ISBN 978-4000247627 した)ISBN 978-4000247634
    • 改訂かいていばん『サンスクリット原典げんてん現代げんだいやく 法華経ほけきょう』(うえした)、植木うえき雅俊まさとしやく岩波書店いわなみしょてん、2015ねん
    うえ)ISBN 978-4-00-024787-0 した)ISBN 978-4-00-024788-7
  • 現代げんだい日本語にほんごやく 法華経ほけきょう正木まさきあきら春秋しゅんじゅうしゃ、2015ねんISBN 978-4393113196みやすい訳本やくほん
  • 全品ぜんぴん現代げんだいやく 法華経ほけきょう大角おおすみおさむわけ解説かいせつ角川かどかわソフィア文庫ぶんこ、2018ねんISBN 978-4044003913。「無量むりょう義経よしつね」、「かん普賢菩薩ふげんぼさつ行法ぎょうほうけい」も収録しゅうろく
以下いか解釈かいしゃく読本とくほん
  • 『はじめての法華経ほけきょう割田わりたつよしゆう、パイインターナショナル、2013ねん法華経ほけきょう28しょうをわかりやすく凝縮ぎょうしゅくした抄訳しょうやくISBN 978-4756243645
  • しん解釈かいしゃく 現代げんだいやく 法華経ほけきょう石原いしはら慎太郎しんたろう幻冬舎げんとうしゃ、2020ねんISBN 978-4-34-403633-8
  • 改訂かいていばん しん法華経ほけきょうろん 現代げんだいやくかくしな解説かいせつ須田すだ晴夫はるお、アマゾン・ペーパーバック、2022ねん初版しょはんは2015ねん。「妙法みょうほう蓮華れんげけい」の全文ぜんぶん現代げんだいやくし、かくしな内容ないよう解説かいせつしたもの。ISBN 979-8-40-8774647

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 法華経ほけきょう現代げんだい解説かいせつしょにはしばしば、このような写真しゃしんとこのような主旨しゅし解説かいせつえられている。
  2. ^ 聖徳太子しょうとくたいしによってあらわされたとされる法華経ほけきょう注釈ちゅうしゃくしょ法華経ほけきょう疏」は、さんけいの1つである。
  3. ^ けいをはずすと「法華ほっけ」になるが、これは一般いっぱんに「ほっけ」と発音はつおんする。
  4. ^ サンスクリットばん法華経ほけきょう』を日本語にほんごやくした仏教ぶっきょう学者がくしゃ植木うえき雅俊まさとしも、ばと什訳の正確せいかくさをたか評価ひょうかしている。植木うえきは、岩波いわなみ文庫ぶんこばん法華経ほけきょう』(1976)の岩本いわもとひろしやくには誤訳ごやくおおいこと、岩本いわもと誤訳ごやくした箇所かしょについてもばと什は正確せいかくやくしていることを、具体ぐたいれいげて詳述しょうじゅつしている。植木うえき雅俊まさとし法華経ほけきょう―梵漢和かんわ対照たいしょう現代げんだいやく』(うえした岩波書店いわなみしょてん、2008)、および植木うえき雅俊まさとし絶妙ぜつみょうだったばと什訳―サンスクリットから『法華経ほけきょう』『維摩けい』を翻訳ほんやくして―」(創価そうか研究けんきゅうだい7ごう、2014)を参照さんしょう。いっぽう「すぐれたといっても、サンスクリット原本げんぽん忠実ちゅうじつわけというわけではなく、漢文かんぶんとしてみやすいというほうがより正確せいかくであろう。方便ほうべんひん末尾まつびじゅう如是にょぜなど、ばと什の創意そういにより原本げんぽんにない文章ぶんしょうくわえられたところもある。(岩本いわもと坂本さかもと1976)」という見解けんかいもある。
  5. ^ この28ひん法華経ほけきょう成立せいりつ当初とうしょからすべそろっていたかどうかは後述こうじゅつ成立せいりつ年代ねんだいについての議論ぎろんとおり、疑問ぎもんだが、すくなくともさとしせつは28ひんすべてがはじめからそろっていたことを前提ぜんていとして展開てんかいされている。岩本いわもと坂本さかもと1976。これにたいして吉蔵よしぞうの『法華ほっけよし疏』「ろんひん有無うむ」はひさげばばたちひんけていたのを最終さいしゅうてき真諦しんたいわけおぎなわれたとしるしており、これは竺道せいほうくも注釈ちゅうしゃくしょさら聖徳太子しょうとくたいしの『法華ほっけよし』もひっさげばばたちひんけているからも、ばと什訳『妙法みょうほう蓮華れんげけい』はなんらかの事情じじょうひさげばばたちひんやくされなかったか欠落けつらくして27ひんになっていたとかんがえられる。井上いのうえわたるさとし顗のせつでも南岳みなみだけ禅師ぜんじこととしおもえしょほん対校たいこうしてこれをただしたとしていることから、としおもえ真諦しんたいやくひさげばばたちしなおぎなって本来ほんらいあるべき28ひんただし、それがずいによる天下てんか平定へいてい中国ちゅうごく全土ぜんどひろまり、ずい使随行ずいこうした僧侶そうりょが28ひんそろった経典きょうてん日本にっぽんかえったとしている[9]。また、闍那崛多わけによってひさげばばたちひんくわえられ、現在げんざいぜん28ひん構成こうせいとなったとするせつもある。闍那崛多やくが『添品妙法みょうほう蓮華れんげけい』とばれるのはこのためであるという。ただし、闍那崛多やくでは「ひさげばばたちひん」という独立どくりつしょうてずに「宝塔ほうとうひん」の後半こうはん編入へんにゅうされるかたちをとっている。同様どうように「観世音菩薩かんぜおんぼさつもんひん」の頌も当初とうしょばと什訳にはなかったが、闍那崛多によって訳出やくしゅつされたものがばと什訳に移入いにゅうされているとされる[10][11]

出典しゅってん

編集へんしゅう
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  3. ^ 三枝さえぐさたかしとく日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)「法華経ほけきょう小学しょうがくかん
  4. ^ 植木うえき雅俊まさとし仏教ぶっきょう本当ほんとうおしえ』中公新書ちゅうこうしんしょ、2011ねん、82-97ぺーじ
  5. ^ a b 植木うえき雅俊まさとしSaddharmapundarika の意味いみ」『印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだい49かんだい1ごう日本にっぽん印度いんどがく仏教ぶっきょう学会がっかい、2000ねん、431-429ぺーじdoi:10.4259/ibk.49.431ISSN 00194344 
  6. ^ ちゅうぶん维基ぶん库『妙法みょうほう蓮華れんげけい
  7. ^ 植木うえき雅俊まさとし法華経ほけきょうとはなにか : その思想しそう背景はいけい中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ ; 2616〉、2020ねんISBN 9784121026163国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:030741143 
  8. ^ 平岡ひらおかさとし法華経ほけきょう成立せいりつかんするあらたな視点してん:――その筋書すじがき配役はいやく情報じょうほうげんは? ――」『印度いんどがく佛教ぶっきょうがく研究けんきゅうだい59かんだい1ごう日本にっぽん印度いんどがく仏教ぶっきょう学会がっかい、2010ねん、390-382ぺーじdoi:10.4259/ibk.59.1_390ISSN 0019-4344NAID 110008574399 
  9. ^ 井上いのうえわたる御物ぎょぶつほん法華ほっけよし疏』の成立せいりつ古瀬ふるせ奈津子なつこ へん古代こだい日本にっぽん政治せいじ制度せいど-律令制りつりょうせい史料しりょう儀式ぎしき-』どうなりしゃ、2021ねん ISBN 978-4-88621-862-9 P212-223.
  10. ^ 坂本さかもと 幸男ゆきお岩本いわもと ひろし法華経ほけきょううえ〉』 岩波いわなみ文庫ぶんこ、1976ねん P421-428.
  11. ^ 金岡かなおか しげるとも仏典ぶってんかただい法輪ほうりんかく、2009ねん P129-135.
  12. ^ 日蓮にちれんは「つきすいしょ」(月経げっけいちゅうでも仏典ぶってん読誦とくしょうしてもよいのか、という女性じょせい信者しんじゃからの質問しつもんたいする回答かいとう手紙てがみ)のなかで「法華経ほけきょういずれのしなさきもうしつるさまおろかならねども、ことじゅうはちひんなかすぐれてめでたきは方便ほうべんひん寿ことぶきりょうひんにてはべり。ひんみな枝葉えだはにてこうなり」「寿ことぶきりょうひん方便ほうべんひんをよみこうへば、自然しぜんひんはよみこうはねども備はりこうなりくすりおうひんつつみばばひん女人にょにん成仏じょうぶつ往生おうじょうかれてこうひんにてはこうへども、つつみばばひん方便ほうべんひん枝葉えだはくすりおうひん方便ほうべんひん寿ことぶきりょうひん枝葉えだはにてこう。さればつねにはかた便びんひん寿ことぶきりょうひんひんをあそばしこうて、しなをば時時ときどきいとまのひまにあそばすべくこう」とべている。日蓮にちれんけい仏教ぶっきょう日々ひび勤行ごんぎょう方便ほうべんひん寿ことぶきりょうひん読誦とくしょうする根拠こんきょとなっている。
  13. ^ 妙法みょうほう蓮華れんげけい廣量こうりょう天地てんちひんだいじゅうきゅう (No. 2872 ) in Vol. 85
  14. ^ 妙法みょうほう蓮華れんげけいうまあきら菩薩ぼさつひんだいさんじゅう (No. 2899 ) in Vol. 85
  15. ^ 更級さらしな日記にっき原文げんぶんゆめにいときよしげなるそうの、なる袈裟けさたるがて『法華経ほけきょうまきをとく習へ』といふとれど、ひとにもかたらず。習はむともおもひかけず。」
  16. ^ 『(改正かいせい略解りゃっかい)法華経ほけきょうようひん訓読くんどく明治めいじ20ねん9がつ20日はつかとどけ/どう21ねん6がつ再版さいはん/どう37ねん9がつ譲受ゆずりうけもとはんじん須原すばる茂兵衛もへい譲受じょうじゅ発行はっこうじん鈴木すずきそう次郎じろう印刷いんさつじんさんこうしゃ 鈴木すずきこう太郎たろう
  17. ^ a b c d 哲学てつがく 思想しそう事典じてん岩波書店いわなみしょてん、1998ねん、pp.1485-1486 【法華経ほけきょう
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  42. ^ 橋爪はしづめだい三郎さぶろう法華経ほけきょうはどこが、最高さいこう経典きょうてんなのか橋爪はしづめだい三郎さぶろう植木うえき雅俊まさとし共著きょうちょ『ほんとうの法華経ほけきょう紹介しょうかいより(ちくま新書しんしょ、2015ねん

32.ぜんさとhttps://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/index.html

  • Lopez, Donald (2016), The Lotus Sutra: A Biography (Kindle ed.), Princeton University Press, ISBN 978-0691152202 
  • 古寺ふるでら散策さんさく らくがきあん  堅田かただ正夫まさお https://mk123456.web.fc2.com/
  • 法華経ほけきょう』における〈テーゼ〉と〈アンチテーゼ〉鈴木すずきたかしやすし
  • giki(アマチュア仏教ぶっきょう研究けんきゅう
  • 法華経ほけきょう成立せいりつ 近松ちかまつ門左衛門もんざえもんこうすみてら
  • ほっけきょう - WikiDharma

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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