寛永寺
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歴史
創建 と伽藍 整備
寛永寺 と増上寺
三 山 管領 宮
歴代 寛永寺 貫首 (輪 王寺 宮 )
天海 公海 守 澄 法親王 (第 179世 天台座主 。輪 王寺 宮 門跡 の始 まり。後水尾天皇 第 3皇子 )天真 法親王 (後 西 天皇 第 5皇子 )公 弁 法親王 (第 188、190世 天台座主 。後 西 天皇 第 6皇子 。赤穂 事件 で将軍 徳川 綱吉 の諮問 を受 ける)公 寛 法親王 (第 196、199世 天台座主 。東山 天皇 第 3皇子 )公 遵法 親王 (第 203、206世 天台座主 。中御門天皇 第 2皇子 )公 啓 法親王 (第 208世 天台座主 。閑院宮 直 仁 親王 第 2王子 )公 遵法 親王 (再任 )公 延 法親王 (第 213世 天台座主 。閑院宮 典 仁 親王 第 4王子 )公 澄 法親王 (第 216世 天台座主 。伏見 宮 邦 頼 親王 第 2王子 )舜 仁 入道 親王 (第 226世 天台座主 。有栖川 宮 織 仁 親王 第 4王子 。)公 紹法親王 (有栖川 宮 韶仁親王 第 3王子 )- 慈性
入道 親王 (第 230世 天台座主 。有栖川 宮 韶仁親王 第 2王子 ) 公 現 入道 親王 (のち還俗 して北白川宮能久親王 )
衰退 と復興
しかし、
伽藍
現存 する伽藍
本堂 (根本中堂 ) -東京芸術大学 音楽学部 の裏手 にある。上野公園 内 の清水 堂 、弁天 堂 などのにぎわいに比 し、本堂 周辺 は訪 れる人 もまばらである。現在 の堂 は、寛永寺 の子 院 ・大慈 院 のあった敷地 に、1879年 (明治 12年 )、川越 喜多 院 の本地 堂 を移築 したもので、寛永寺 本来 の建物 ではない。内陣 には厨子 内 に秘仏 本尊 薬師 三 尊像 を安置 する(堂 内 は非公開 )。書院 -本堂 裏手 にあり、徳川 慶喜 が水戸 退去 の前 に、2か月 ほど蟄居 していた部屋 (葵 の間 、あるいは蟄居 の間 )が保存 されている(非公開 )。旧 本 坊 表門 (北緯 35度 43分 00秒 東経 139度 46分 39.9秒 / 北緯 35.71667度 東経 139.777750度 ) -重要 文化財 。通称 黒門 。東京 国立 博物館 東側 の輪 王寺 にある。寛永 年間 の建造 物 で、もとは博物館 正門 の位置 にあった。清水 観音堂 (北緯 35度 42分 45.4秒 東経 139度 46分 24.8秒 / 北緯 35.712611度 東経 139.773556度 ) -重要 文化財 。上野公園 内 、西郷 隆盛 銅像 の近 くにあり、千手観音 を祀 る。寛永 8年 (1631年 )の建築 で、当初 は摺鉢山 古墳 の位置 にあったが、中堂 建立 に伴 い現在地 に移築 された。規模 は小 さいとはいえ、京都 の清水寺 本堂 と同様 の懸 造 建築 である。江戸 三 十 三 観音 札所 の第 6番 。弁天 堂 (北緯 35度 42分 43.6秒 東経 139度 46分 16秒 / 北緯 35.712111度 東経 139.77111度 ) -上野公園 南側 にある不 忍 池 の弁天島 (中之島 )に、天海 が竹生島 の宝厳寺 の弁才天 を勧請 して建立 。島 は常陸 下館 藩 主 水谷 勝隆 が築 いたもので、当初 は橋 がなく、舟 で参詣 していた。当初 の建物 は入母屋 造 であったが、1945年 (昭和 20年 )3月 10日 の東京 大 空襲 で焼失 し、1958年 (昭和 33年 )に鉄筋 コンクリート造 の八角 堂 として再建 された。旧 寛永寺 五重塔 (北緯 35度 42分 56.2秒 東経 139度 46分 18.4秒 / 北緯 35.715611度 東経 139.771778度 ) -重要 文化財 。寛永 8年 (1631年 )建立 の初代 の塔 が寛永 16年 (1639年 )に焼失 した後 、同年 ただちに下総 古河 城主 土井 利勝 によって再建 された。塔 は旧 境内 地 を使 って作 られた恩賜 上野動物園 の園内 に位置 しており、1958年 に寺 が寄付 したため、現在 の所有 者 は東京 都 になっている(名称 に「旧 」とつくのはそのため)。塔 の初 重 に安置 されていた釈迦如来 ・薬師 如来 ・弥勒菩薩 ・阿弥陀如来 の四 仏 は、東京 国立 博物館 に寄託 されている。東照宮 (北緯 35度 42分 55.3秒 東経 139度 46分 14.1秒 / 北緯 35.715361度 東経 139.770583度 ) -別項 「上野 東照宮 」を参照 。時 の鐘 (北緯 35度 42分 51.2秒 東経 139度 46分 21秒 / 北緯 35.714222度 東経 139.77250度 ) -上野公園 内 、精養軒 の近 くにある鐘楼 。現在 ある鐘 は天明 7年 (1787年 )の作 。大仏山 パゴダ(北緯 35度 42分 52秒 東経 139度 46分 21.9秒 / 北緯 35.71444度 東経 139.772750度 ) -時 の鐘 の近 くにあり、1967年 (昭和 42年 )の建立 。もと上野 東照宮 本地 堂 (神仏 分離 の際 に破壊 )の本尊 であった薬師 三 尊像 (江戸 時代 初期 )を祀 る。上野 大仏 -寛永 8年 (1631年 )、堀 直 寄 の寄進 で最初 の大仏 が造 られた。以後 、地震 、火災 等 で消滅 と再興 を繰 り返 し、現在 は顔 の部分 のみが大仏山 パゴダ脇 に保存 されている。
旧 伽藍
すでに
- かつて
存在 した建物
根本中堂 -他 の諸 堂 より遅 れて元禄 11年 (1698年 )落慶 。現在 の上野公園 大 噴水 のあたりにあり、重層 入母屋 造 、間口 45.5メートル、奥行 42メートル、高 さ32メートルという壮大 な規模 の仏堂 であった。中堂 前 には方形 に回廊 をめぐらし、正面 に唐 門 を設 けていた。本 坊 -根本中堂 の裏 、現在 の東京 国立 博物館 の敷地 にあった。前述 のとおり、正門 のみが上野 戦争 で焼 け残 り、しばらくは博物館 の正門 として使用 されていたが、その後 博物館 の東 の輪 王寺 に移築 されている。博物館 本館 裏 の日本 庭園 は寛永 寺本 坊 庭園 の名残 りである。法華 堂 ・常行 堂 -入母屋 造 の同形 の仏堂 2棟 を左右 に並 べ、その間 を屋根 付 きの高 廊下 で繋 いだもので、参詣 者 は高 廊下 の下 をくぐって根本中堂 へ向 かった。寛永 4年 (1627年 )、紀州 藩 主 の徳川 頼宣 と尾張 藩 主 の徳川 義直 の寄進 で建立 されたものである。寛永 期 を描 いた『江戸 図 屏風 』には中堂 の位置 にある。文殊 楼 -入母屋 造 重層 の門 。寛永 4年 (1627年 )建立 の仁王門 が貞享 2年 (1688年 )焼失 した後 、元禄 10年 (1697年 )に建 てられたが、上野 戦争 で焼失 した。黒門 - かつての総門 。現在 の上野公園 入口 から噴水 広場 へ至 る広 い道 の途中 、清水 観音堂 の下 あたりにあったもので、簡素 な冠木門 であった。幕末 の上野 戦争 には焼 け残 ったが、1907年 (明治 40年 )、東京 都 荒川 区 の円通寺 に移築 され、同所 に現存 する。彰 義 隊 戦士 の遺骸 が円通寺 に葬 られた縁 で移築 されたもので、門 には上野 戦争 の時 の弾痕 が多数 残 る。なお、現在 、清水 観音堂 近 くにある黒 門 は復元 されたものである(既 述 の旧 本 坊 表門 も黒 門 と通称 されるが別個 の門 である。)。
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大仏山 パゴダ -
上野 大仏 (面部 のみ残存 ) -
弁天 堂 -
時 の鐘 -
黒門 (東京 都 荒川 区 ・円通寺 に移築 )
子 院
真如 院 寒 松 院 林 光 院 吉祥院 泉 龍 院 修 禅 院 現 龍 院 見明 院 福 聚院本 覚 院 元 光 院 東漸 院 覚 成 院 春 性 院 等 覚 院
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養 寿 院 (寛永寺 本堂 裏手 )津 梁 院 (寛永寺 本堂 裏手 )円 珠 院 (東京芸術大学 音楽学部 の西側 )護国 院 (東京芸術大学 美術 学部 に隣接 )- 1927
年 (昭和 2年 )、東京 市立 二 中 (旧制 第 二 東京 市立 中学校 、現在 の東京都立上野高等学校 )の創立 にあたり護国 院 境内 地 の大半 を東京 市立 二 中 へ譲渡 。
- 1927
徳川 家 霊廟
厳 有 院 霊廟 勅額 門 、同 水盤 舎 、同 奥 院 唐 門 、同 奥 院 宝塔 常憲 院 霊廟 勅額 門 、同 水盤 舎 、同 奥 院 唐 門 、同 奥 院 宝塔
渋沢 家 霊 堂
いずれも
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厳 有 院 霊廟 勅額 門 (重要 文化財 ) -
常憲 院 霊廟 勅額 門 (重要 文化財 ) -
常憲 院 霊廟 水盤 舎 (重要 文化財 )
文化財
重要 文化財
清水 堂 (清水 観音堂 )旧 本 坊 表門 (輪 王寺 所在 )厳 有 院 霊廟 (※印 の物件 は寛永寺 でなく個人 の所有 )勅額 門 水盤 舎 - ※
奥 院 唐 門 (銅 造 ) - ※
奥 院 宝塔 (銅 造 ) - ※
附 :浚明院 宝塔 、文 恭 院 宝塔 (各 石造 )
常憲 院 霊廟 (※印 の物件 は寛永寺 でなく個人 の所有 )勅額 門 水盤 舎 - ※
奥 院 唐 門 (銅 造 ) - ※
奥 院 宝塔 (銅 造 ) - ※
附 :有徳 院 宝塔 、孝 恭 院 宝塔 、温 恭 院 宝塔 、天璋院 宝塔 (各 石造 )
木造 薬師如来 及両脇 侍立 像 -本堂 (根本中堂 )に安置 する秘仏 本尊 の薬師 三 尊像 。中 尊 も含 め、3体 とも立像 である点 が珍 しい。中 尊 と両 脇 侍 は伝来 を別 にしており、中 尊 は滋賀 県 ・石津 寺 から、両 脇 侍 は山形 県 ・立石寺 から移 されたもので、寛永寺 の創建 より古 い平安 時代 の作 である。本堂 内 は非公開 で、夏場 に檀家 相手 に1日 だけ開 扉 するだけなので、一般 拝観 はできない(薬師 三 尊像 は2006年 3月28日 - 5月7日 に東京 国立 博物館 で開催 された特別 展 「最澄 と天台 の国宝 」に出展 され、初 めて一般 公開 された)。絹本 著 色 両 界 曼荼羅 図 -東京 国立 博物館 に寄託 。天海 版木 活字 264,688箇 -開山 の天海 が刊行 した「天海 版 一切経 」の印刷 に使 われたもの。2003年 に重要 文化財 に指定 。旧 寛永寺 五重塔 (所有 者 は東京 都 、恩賜 上野動物園 構内 に所在 )
登録 有形 文化財
渋沢 家 霊 堂 - 1898年 建立 [7]根本中堂 葵 の間
その他
算 額 昭和 42年 5月 下平 和夫 奉納 (非公開 )
交通
関連 文献
脚注
注釈
出典
参考 文献
関連 項目
外部 リンク
寛永寺 清水 観音堂 不 忍 池 辯 天堂 寛永寺 僧侶 と歩 く上野公園 めぐり台東 区 公式 チャンネル -根本中堂 内 の画像 あり。