東国
概要
「
「アヅマ」や「アヅマノクニ」という
東 下 り
分類
鈴鹿 関 ・不破 関東 側
これは
大山 (日本 アルプス)東側
これは
足柄峠 ・碓氷峠 以東 (坂東 )
この
その
その他
また、
開発
推古天皇 9年 (601年 )、対馬 に到 った新 羅 の間諜 迦摩多 を捕 えて貢 上 し、上野 に流 す。[15]斉 明天 皇 6年 (660年 )、百済 が唐 俘100余人 を献上 する。今 の美濃 国 不破 郡 ・片 縣 郡 の唐人 等 である。[16]天智天皇 4年 (665年 )、百済 の百姓 男女 400余人 を近江 国 神前 郡 に居住 させ[17]、3月に田 を支給 する。[18]天智天皇 5年 (666年 )、百済 人 の男女 2000人 以上 を東国 に移住 させる。凡 そ緇素 (出家 者 と非 出家 者 )を択 ばず。癸 亥年 より3年間 、同様 に官 食 を給 賜 する。[19]天智天皇 8年 (669年 )、佐平 餘 自信 、佐平 鬼 室 集 斯等 、男女 700余人 が近江 國 蒲生 郡 に遷居する。[20]天武天皇 4年 (675年 )、筑紫 より唐人 30口 を貢 し遠江 国 に安置 する。[21]天武天皇 13年 (684年 )、百済 人 の僧尼 及 び俗人 の男女 23人 を武蔵 国 へ移 す。[22]朱鳥 元年 (686年 )、新 羅 沙門 行 心 が謀反 し、飛騨 国 の伽藍 に徙す。[23]持 統 天皇 元年 (687年 )、投 化 した高 麗 56人 を、常陸 国 に居住 させ、[24]投 化 した新 羅 人 14人 を下野 国 に配 する。[25] また、新 羅 の僧侶 及 び百姓 の男女 22人 を武蔵 国 に移住 させる。[26] いずれも土地 と食料 を給付 し、生活 が出来 るようにする。持 統 天皇 2年 (688年 )、百済 の敬 須徳那 利 を甲斐 国 に移 す。[27]持 統 天皇 3年 (689年 )、投 化 した新 羅 人 を、下毛 野 に居住 させる。[28]持 統 天皇 4年 (690年 )、帰化 した新 羅 の韓 奈末許 満 等 12人 を武蔵 国 に居住 させる。[29] また、帰化 した新 羅 人 等 を下毛 野 国 に居住 させる。[30]霊 亀 元年 (715年 )、尾張 国人 の席 田 君 邇近及 び新 羅 人 74家 が美濃 国 を本 貫 地 とし、席 田 郡 を建 てる。[31]霊 亀 2年 (716年 )、駿河 ・甲斐 ・相模 ・上総 ・下総 ・常陸 ・下野 七 カ国 の高 麗人 1799人 を武蔵 國 に移 し、初 めて高麗 郡 を立 てる。[32]天平 5年 (733年 )、武蔵 国 埼玉 郡 の新 羅 人徳 師 等 の男女 53人 に請 われ、金 姓 とする。[33]天平 宝 字 2年 (758年 )、日本 に帰化 した新 羅 の僧 32人 、尼 2人 、男 19人 、女 21人 を武蔵 国 の閑地 に移住 させ、初 めて新 羅 郡 を置 く。[34]天平 宝 字 2年 (758年 )、美濃 国 席 田 郡 の子 人 ・吾 志 等 、賀 羅 造 を賜 姓 される。[35]天平 宝 字 4年 (760年 )、帰化 した新 羅 人 131人 を武蔵 国 に置 く。[36]天平 宝 字 5年 (761年 )、新 羅 征討 に備 え、美濃 ・武蔵 各国 の少年 20人 ずつに、新 羅 語 を習 わせる。[37]天平 神護 2年 (766年 )、上野 国 の新 羅 人 子 午 足 ら193人 が吉井 連 を賜 姓 される。[38]宝 亀 11年 (780年 )、武蔵 国 新 羅 郡 人 の沙良 ・眞熊 等 2人 が広岡 造 を賜 姓 される。[39]延 暦 7年 (788年 )、美濃 國 厚見 郡 人 の羿鹵濱 倉 が美 見 造 を賜 姓 される。[40]延 暦 8年 (789年 )、信濃 国 筑摩 郡 人 の後部 牛 養 が田 河 造 を賜 姓 される。[41]延 暦 16年 (797年 )、信濃 国人 の前部 綱麻 呂 が安坂 姓 を下賜 される。[42]延 暦 18年 (799年 )、百済 姓 の甲斐 国人 190人 、高麗 姓 の信濃 国人 12人 等 、朝廷 に願 い出 て日本 姓 を下賜 される。[43]弘 仁 5年 (814年 )、化 来 した新 羅 人 加 羅 布 古 伊 等 6人 を美濃 国 に配 す。[44]弘 仁 11年 (820年 )、遠江 国 ・駿河 国 に配 された新 羅 人 700人 が反逆 する。(弘 仁 新 羅 の乱 )[45]天 長 元年 (824年 )、新 羅 人 辛 良 、金 貴 賀 、良 水白 等 54人 を陸奥 国 に安置 し、法 により復 を給 し、乗田 を口分田 に充 てる。[46]天 長 10年 (833年 )、罪人 の百濟 王 愛 岑を元 は安房 國 に配 したが、今 は参 河 國 に移 す。[47]承 和 10年 (843年 )、出羽 国 河辺 郡 の奈良 己 智 豊 繼 等 5人 が大瀧 宿 祢を賜 姓 される。[48]貞 観 12年 (870年 )、新 羅 人 20人 の内 、清 倍 、鳥 昌 、南 卷 、安長 、全 連 の5人 を武蔵 国 に、僧 香 嵩 、沙弥 傳 僧 、關 解 、元 昌 、卷 才 の5人 を上総 国 に、潤 清 、果 才 、甘 參 、長 焉、才 長 、眞平 、長 清 、大 存 、倍 陳 、連 哀 の10人 を陸奧 国 に配 する。[49]
脚注
注釈
出典
- ^ a b
平凡社 『百科 事典 マイペディア』. “東国 ”. コトバンク. 2020年 5月 24日 閲覧 。 - ^
永田 一 「古代 の「アヅマ」と「エミシ」についての一 試論 」『法政 史学 』第 71巻 、法政大学 史 学会 、2009年 、17‐18、NAID 120005620045。 - ^ a b
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続 日本 紀 』巻 廿 一 天平 宝 字 二 年 (七 五 八 )十 月 丁 卯 廿 八 :美濃 國 席 田 郡 大領 外 正 七 位 上 子 人 。中 衛 无位吾 志 等 言 。子 人 等 六世祖父乎留和斯知。自 賀 羅 國 慕化來朝 。當時 未練 風俗 。不 著 姓 字 。望 隨 國号 。蒙 賜 姓 字 。賜 姓 賀 羅 造 。 - ^ 『
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続 日本 紀 』巻 廿 二 天平 宝 字 五 年 (七 六 一 )正月 乙 未 九 - ^ 『
続 日本 紀 』天平 神護 二 年 五 月 壬 戌 - ^ 『
続 日本 紀 』巻 卅六宝亀 十 一 年 (七 八 十 )五 月 甲 戌 十 一 - ^ 『
続 日本 紀 』巻 卅九延 暦 七 年 (七 八 八 )九月丁未乙巳朔三、『続 日本 後 紀 』巻 五 承 和 三 年 (八 三 六 )閏 五 月 乙 酉 十 七 :乙 酉 。美濃 國人 主 殿 寮 少 属 美 見 造 貞繼 。改 本 居 貫 附 左京 六 條 二 坊 。其先百濟 國人 也。 - ^ 『
続 日本 紀 』巻 四 十 延 暦 八 年 (七 八 九 )五 月 庚午 廿 九 - ^ 『
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参考 文献
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