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重要文化財 - Wikipedia

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

日本にっぽん国民こくみんにとってとく重要じゅうようであると文化庁ぶんかちょう判断はんだんしたもの

重要じゅうよう文化財ぶんかざい(じゅうようぶんかざい)は、日本にっぽん所在しょざいする建造けんぞうぶつ美術びじゅつ工芸こうげいひん考古こうこ資料しりょう歴史れきし資料しりょうひとし有形ゆうけい文化財ぶんかざいのうち、歴史れきしうえ芸術げいじゅつうえ価値かちたかいもの、または学術がくじゅつてき価値かちたかいものとして文化財ぶんかざい保護ほごほうもとづき日本国にっぽんこく政府せいふ文部もんぶ科学かがく大臣だいじん)が指定していした文化財ぶんかざいす。略称りゃくしょう重文じゅうぶん(じゅうぶん)。文化庁ぶんかちょうによる英語えいご表記ひょうきImportant Cultural Properties[1]

建造けんぞうぶつれいつうじゅんきょう
歴史れきし資料しりょうれい(123ごう機関きかんしゃ 京都きょうと与謝野よさのまち加悦かや鉄道てつどう資料しりょうかん))
彫刻ちょうこくれい(塑造金剛力士こんごうりきし立像りつぞう 法隆寺ほうりゅうじぞう
考古こうこ資料しりょうれい埴輪はにわ子持こもち 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう
絵画かいがれい黒田くろだ清輝きよてるひつ湖畔こはん」)
建造けんぞうぶつ民家みんか)のれい:荒井あらい住宅じゅうたく栃木とちぎけん矢板やいた

文化庁ぶんかちょう毎年まいとし国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ)や重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくうち伝統でんとうてき建造けんぞうぶつなどの保存ほぞん修理しゅうり事業じぎょうたいし、補助ほじょおこなっており、「修理しゅうり現場げんばから文化ぶんかりょく」という萌黄色もえぎいろロゴマーク作成さくせいし、1989ねん平成へいせい19ねん)6がつ以降いこう保存ほぞん修理しゅうり現場げんば公開こうかい事業じぎょうや、保存ほぞん修理しゅうりかんする普及ふきゅう広報こうほう活動かつどうなどで使用しようしている[2]

日本にっぽん地方ちほう公共こうきょう団体だんたい都道府県とどうふけん市町村しちょうそん)がそれぞれの文化財ぶんかざい保護ほご条例じょうれいもとづいて指定していする有形ゆうけい文化財ぶんかざいも「けん指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい」「指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざいとうばれる場合ばあいがあるが、文化財ぶんかざい保護ほごほう規定きていする「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」はくに日本国にっぽんこく文部もんぶ科学かがく大臣だいじん)が指定していした有形ゆうけい文化財ぶんかざいす。ほんこうでは特記とっきなきかぎり、文化財ぶんかざい保護ほごほうだい27じょう規定きていもとづき日本にっぽんこく文部もんぶ科学かがく大臣だいじん)が指定していした重要じゅうよう文化財ぶんかざい(いわゆる「くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい」)について記述きじゅつする。

重要じゅうよう文化財ぶんかざい」の語義ごぎ

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文化財ぶんかざい」と「重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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文化財ぶんかざい」とは、くに地方自治体ちほうじちたい指定してい選定せんてい登録とうろく有無うむかかわらず有形ゆうけい無形むけい文化ぶんかてき遺産いさん全般ぜんぱん用語ようごである。文化財ぶんかざい保護ほごほうでは「文化財ぶんかざい」を「有形ゆうけい文化財ぶんかざい」「無形むけい文化財ぶんかざい」「民俗みんぞく文化財ぶんかざい」「記念きねんぶつ史跡しせき名勝めいしょう天然記念物てんねんきねんぶつ)」「文化ぶんかてき景観けいかん」「伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん」の6つのカテゴリーに分類ぶんるいしている(どうほうだい2じょうだい1こう)が、このうちの「有形ゆうけい文化財ぶんかざい」に該当がいとうするもので、くに文部もんぶ科学かがく大臣だいじん)によって指定していされたものを「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」とんでいる(どうほうだい27じょうだい1こう)。

上述じょうじゅつのように、法令ほうれい行政ぎょうせい用語ようごとしての「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」はくに指定していけた文化財ぶんかざい全般ぜんぱん用語ようごではなく、くに指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざいのみを用語ようごであるてん注意ちゅういようする。似通にかよった用語ようごとして「重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい」「重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい」「重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい」などがあるがこれらはいずれも「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」とは別個べっこのカテゴリーであり、たとえば「重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい」をりゃくして「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」とぶことは適切てきせつでない。

国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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文部もんぶ科学かがく大臣だいじんは、重要じゅうよう文化財ぶんかざいのうち「世界せかい文化ぶんか見地けんちから価値かちたかいもので、たぐいない国民こくみんたからたるもの」(文化財ぶんかざい保護ほごほうだい27じょう)を国宝こくほう指定していすることができる。「国宝こくほうおよ重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい基準きじゅん」(昭和しょうわ26ねん文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい告示こくじだい2ごう)によれば、重要じゅうよう文化財ぶんかざいのうち「製作せいさくきわめてすぐれ、かつ、文化ぶんかてき意義いぎとくふかいもの」「学術がくじゅつてき価値かちきわめてたかく、かつ、歴史れきしじょうきわめて意義いぎふかいもの」を国宝こくほう指定していすることができる。法的ほうてきには国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい一種いっしゅである。

なお、1950ねん昭和しょうわ25ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこう以前いぜんきゅう制度せいどでは、現在げんざいの「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に相当そうとうするものがすべて「国宝こくほう」としょうされていたので混同こんどうしないよう注意ちゅういようする。

都道府県とどうふけん市町村しちょうそん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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文化財ぶんかざい保護ほごほう規定きていにより、地方ちほう公共こうきょう団体だんたい都道府県とどうふけん市町村しちょうそん)はくに指定してい文化財ぶんかざい以外いがい文化財ぶんかざいについて「当該とうがい地方ちほう公共こうきょう団体だんたい区域くいきないそんするもののうち重要じゅうようなものを指定していして、その保存ほぞんおよ活用かつようのため必要ひつよう措置そちこうずることができる」とされている(どうほうだい182じょうだい2こう)。これにもとづきかく都道府県とどうふけん市町村しちょうそんではそれぞれ文化財ぶんかざい保護ほご条例じょうれいさだめ、有形ゆうけい無形むけい文化財ぶんかざい指定していおこなっている。これらの文化財ぶんかざいについては「○○けん指定してい文化財ぶんかざい」「○○指定してい文化財ぶんかざい」などと表記ひょうきされ、くに指定してい文化財ぶんかざい区別くべつされている。

都道府県とどうふけん市町村しちょうそん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざいについては「東京とうきょう指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい」のように「有形ゆうけい文化財ぶんかざい」と呼称こしょうするケースがおおいが、同様どうよう文化財ぶんかざい青森あおもりけんでは「青森あおもりけん重宝ちょうほう」、長野ながのけんでは「長野ながのけんたから」、鳥取とっとりけんでは「鳥取とっとりけん指定してい保護ほご文化財ぶんかざい」と呼称こしょうするなど一定いっていしておらず、どのように呼称こしょうするかはかく自治体じちたい文化財ぶんかざい保護ほご条例じょうれい個々ここ規定きていしている。47都道府県とどうふけんのうち福島ふくしま群馬ぐんま神奈川かながわ岐阜ぎふ岡山おかやま広島ひろしま佐賀さがかくけんではけん条例じょうれいによって指定していした有形ゆうけい文化財ぶんかざいを「○○けん指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい」と呼称こしょうしており、くに指定していした重要じゅうよう文化財ぶんかざい混同こんどうしないよう注意ちゅういようする。なお、都道府県とどうふけん市町村しちょうそん指定してい文化財ぶんかざい区別くべつするため観光かんこう案内あんないしょとうでは「国重くにしげよう文化財ぶんかざい」「くに重文じゅうぶんとう表現ひょうげんがしばしば使つかわれるが、これらは正式せいしき用語ようごではなく、文化財ぶんかざい保護ほごほうもとづきこく指定していした有形ゆうけい文化財ぶんかざい正式せいしきには「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」という。

文化財ぶんかざい保護ほごほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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指定してい手続てつづき概要がいよう

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい候補こうほ物件ぶっけんについては文化庁ぶんかちょう事前じぜん調査ちょうさおこない、文部もんぶ科学かがく大臣だいじん文化ぶんか審議しんぎかい指定していすべき物件ぶっけんについて諮問しもんする。文化ぶんか審議しんぎかい文化財ぶんかざい分科ぶんかかいによる審議しんぎ議決ぎけつて、文化ぶんか審議しんぎかい文部もんぶ科学かがく大臣だいじんたい重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していするよう答申とうしんおこなう。文部もんぶ科学かがく大臣だいじんはこれをけて指定してい物件ぶっけん名称めいしょう所有しょゆうしゃとう官報かんぽう告示こくじするとともに当該とうがい重要じゅうよう文化財ぶんかざい所有しょゆうしゃには指定していしょ交付こうふする(文化財ぶんかざい保護ほごほう27じょう、28じょう、153じょう)。法的ほうてきには、文部もんぶ科学かがく大臣だいじんによって指定してい事実じじつ官報かんぽう告示こくじされたから重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい効力こうりょくはっする。なお、指定していは「国宝こくほうおよ重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい基準きじゅん[3]もとづいておこなわれる。

所有しょゆうしゃ義務ぎむとう

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい管理かんり保護ほご公開こうかいとうについては、文化財ぶんかざい保護ほごほうだい3しょう有形ゆうけい文化財ぶんかざい」のだい1せつ重要じゅうよう文化財ぶんかざい」(だい27 – だい56じょう)に規定きていされている。ここでは重要じゅうよう文化財ぶんかざい日本にっぽん国外こくがいへの輸出ゆしゅつ禁止きんし明記めいきされ(だい44じょう)、重要じゅうよう文化財ぶんかざい現状げんじょう変更へんこうには文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん許可きょかようすることとされている。

重要じゅうよう文化財ぶんかざい所有しょゆうしゃには、文化財ぶんかざい保護ほごほう関係かんけい法令ほうれいおよ文化庁ぶんかちょう長官ちょうかん指示しじしたがい、当該とうがい重要じゅうよう文化財ぶんかざい管理かんりする義務ぎむがあり(だい31じょう)、重要じゅうよう文化財ぶんかざい所有しょゆうしゃ所在しょざい変更へんこうした場合ばあいには文化庁ぶんかちょう長官ちょうかんとど義務ぎむがある(だい32じょうだい34じょう)。重要じゅうよう文化財ぶんかざい修理しゅうりおよ公開こうかい所有しょゆうしゃおこなうものとされているが(だい34じょうの2、だい47じょうの2)、所有しょゆうしゃ管理かんり修理しゅうりようする費用ひよう負担ふたんできないひとし特別とくべつ事情じじょうがある場合ばあいは、政府せいふから補助ほじょきん交付こうふできるものとさだめている(だい35じょう)。

重要じゅうよう文化財ぶんかざい譲渡じょうとについても一定いってい制限せいげんがある。すなわち、重要じゅうよう文化財ぶんかざい所有しょゆうしゃ当該とうがい重要じゅうよう文化財ぶんかざい有償ゆうしょう譲渡じょうとしようとするときは、まず文化庁ぶんかちょう長官ちょうかんわたしのもうをすることとされている(だい46じょう)。一方いっぽう重要じゅうよう文化財ぶんかざい所有しょゆう譲渡じょうと相続そうぞく贈与ぞうよについては、固定こてい資産しさんぜい所得しょとくぜい相続そうぞくぜい贈与ぞうよぜいなどの非課税ひかぜい減免げんめんなどの優遇ゆうぐう措置そちこうじられている(租税そぜい特別とくべつ措置そちほうだい34じょうだい40じょうの2など)。

一方いっぽうで、競売きょうばいによる所有しょゆうけん移転いてんについては、想定そうていがいのこととして、規制きせい対象たいしょうになっていない。たとえば2009ねん平成へいせい21ねん5月円満えんまんいん滋賀しがけん大津おおつ)の重文じゅうぶん指定してい建物たてもの競売きょうばいにかけられる事態じたいこっている。このけんについて、文化庁ぶんかちょうは「重文じゅうぶん競売きょうばい所有しょゆうけん移転いてんするのはこのましくない」とのコメントをしており[4][5]なんらかの規制きせい必要ひつようかんがえられる。

指定してい制度せいど沿革えんかく

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うつわ旧物きゅうぶつ保存ほぞんかた

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うつわ旧物きゅうぶつ

日本にっぽんにおける最初さいしょ文化財ぶんかざい関連かんれん法令ほうれいなされるのは1871ねん明治めいじ4ねん)の太政官だじょうかん布告ふこくうつわ旧物きゅうぶつ保存ほぞんかた」(こききゅうぶつほぞんかた)である。この布告ふこくもとづいて近畿きんき地方ちほう中心ちゅうしんとした社寺しゃじとう提出ていしゅつさせた「いにしえ旧物きゅうぶつ」の目録もくろくもとに、よく1872ねん明治めいじ5ねん)5がつから10がつにかけて日本にっぽんはつ文化財ぶんかざい調査ちょうさとされるみずのえさる検査けんさ実施じっしされた。ちなみに「みずのえさる」は1872ねん明治めいじ5ねん)の干支えとであり、「検査けんさ」は現代げんだい日本語にほんごの「調査ちょうさ」に相当そうとうする。このみずのえさる検査けんさには文部もんぶ官僚かんりょう町田まちだ久成くなり東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん初代しょだい館長かんちょう)、蜷川にながわしきたねのほか、油絵あぶらえ画家がか高橋たかはし由一ゆいち写真しゃしん横山よこやま松三郎まつさぶろうらが記録きろくがかりとして同行どうこうした。

宝物ほうもつ

1888ねん明治めいじ21ねん)にはみや内省ないせい臨時りんじ全国ぜんこく宝物ほうもつ取調とりしらべきょく設置せっちされた。局長きょくちょうのち国立こくりつ博物館はくぶつかん総長そうちょうとなる九鬼くき隆一りゅういちであり、係官かかりかんには近代きんだい日本にっぽん美術びじゅつおおきな足跡あしあとのこした岡倉おかくら覚三かくぞう天心てんしん)やアーネスト・フェノロサつらねていた。ここでう「宝物ほうもつ」は文化財ぶんかざい保護ほごほうにおける「美術びじゅつ工芸こうげいひん」に相当そうとうし、有形ゆうけい文化財ぶんかざいのうち建造けんぞうぶつのぞいたものである。

社寺しゃじ保存ほぞんほう

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国宝こくほうきゅう国宝こくほう)および特別とくべつ保護ほご建造けんぞうぶつ

こうした調査ちょうさ結果けっかをふまえ、1897ねん明治めいじ30ねん)に社寺しゃじ保存ほぞんほう制定せいていされ日本にっぽんはつ文化財ぶんかざい指定していおこなわれた。1897ねん明治めいじ30ねん12月28にち官報かんぽうはつ指定してい告示こくじ掲載けいさいされ国宝こくほう155けん特別とくべつ保護ほご建造けんぞうぶつ44けん指定していされた。社寺しゃじ保存ほぞんほうにおける国宝こくほうおよび特別とくべつ保護ほご建造けんぞうぶつは、文化財ぶんかざい保護ほごほうにおける「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に相当そうとうする。社寺しゃじ保存ほぞんほうはそののとおり社寺しゃじ所有しょゆう建造けんぞうぶつおよび宝物ほうもつをその対象たいしょうとしており、どうほうによる国宝こくほうおよび特別とくべつ保護ほご建造けんぞうぶつ指定してい保存ほぞん修理しゅうりとうのために国庫こっこから保存ほぞんきん支出ししゅつすべき物件ぶっけんのリストという意味合いみあいがつよかった。

国宝こくほう保存ほぞんほう

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国宝こくほうきゅう国宝こくほう

その1929ねん昭和しょうわ4ねん)、社寺しゃじ保存ほぞんほうわって「国宝こくほう保存ほぞんほう」が制定せいていされた。この法律ほうりつでは、社寺しゃじ保存ほぞんほう社寺しゃじ所有しょゆう物件ぶっけんだけを指定してい対象たいしょうとしていたのにたいし、くに地方自治体ちほうじちたい法人ほうじん個人こじんなどの所有しょゆうひん国宝こくほう指定してい対象たいしょうとなった。また、特別とくべつ保護ほご建造けんぞうぶつ名称めいしょう廃止はいしして建造けんぞうぶつについても国宝こくほうしょうすることになった。

この法律ほうりつ制定せいていされた背景はいけいには、各地かくち城郭じょうかく荒廃こうはいきゅう大名だいみょういえ所蔵しょぞうひん散逸さんいつなどが懸念けねんされたことがあった。国宝こくほう保存ほぞんほうもとづき、1930ねん昭和しょうわ5ねん)には東京とうきょう徳川とくがわ霊廟れいびょう個人こじん所有しょゆう)、名古屋なごやじょう名古屋なごや所有しょゆう)などが国宝こくほう指定していされ、よく1931ねん昭和しょうわ6ねん)には東京とうきょう美術びじゅつ学校がっこうげん東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがく保管ほかん絵画かいがとう所有しょゆうしゃくに)が国宝こくほう指定していされた。国宝こくほう保存ほぞんほうによる指定していは、だい世界せかい大戦たいせんなか1944ねん昭和しょうわ19ねん)まで継続けいぞくされたがよく1945ねん昭和しょうわ20ねん)から指定してい作業さぎょう一時いちじ中断ちゅうだんし、終戦しゅうせん1949ねん昭和しょうわ24ねん)に2かい(2がつと5がつ)の指定していおこなわれたのみである。

文化財ぶんかざい保護ほごほう

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

1950ねん昭和しょうわ25ねん)、従来じゅうらいの「国宝こくほう保存ほぞんほう」、「史蹟しせき名勝めいしょう天然てんねんねんぶつ保存ほぞんほう」、重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんていした「重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」を統合とうごうするかたちで「文化財ぶんかざい保護ほごほう」が制定せいていされた。この法律ほうりつ制定せいていのきっかけは、その前年ぜんねん発生はっせいした法隆寺ほうりゅうじ金堂こんどう火災かさい壁画へきが損傷そんしょうであったことはひろられている。この法律ほうりつ公布こうふにより、従来じゅうらいの「宝物ほうもつ」にわって「文化財ぶんかざい」「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」のかたりはじめて公式こうしき使つかわれるようになった。また、従来じゅうらい法律ほうりつによる保護ほご対象たいしょうとなっていなかった無形むけい文化財ぶんかざい選定せんてい制度せいどまれる[注釈ちゅうしゃく 1]など、当時とうじとしては画期的かっきてき法律ほうりつであった。

旧法きゅうほうの「国宝こくほう」から重要じゅうよう文化財ぶんかざい

1897ねん明治めいじ30ねん)から1949ねん昭和しょうわ24ねん)までのあいだに、社寺しゃじ保存ほぞんほうおよび国宝こくほう保存ほぞんほうもとづいて「国宝こくほう」に指定していされた物件ぶっけん火災かさい焼失しょうしつしたものとうのぞき、宝物ほうもつるい美術びじゅつ工芸こうげいひん)5,824けん建造けんぞうぶつ1,059けんであった。これらの物件ぶっけんがいわゆる「きゅう国宝こくほう」であり、これらの物件ぶっけんすべては文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこうである1950ねん昭和しょうわ25ねん8がつ29にちをもって、どうほう規定きていする「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」となった。そして、「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」のうちで日本にっぽん文化ぶんか史上しじょうとく貴重きちょうなものがあらためて「国宝こくほう」に指定していされることになった。つまり、1950ねん昭和しょうわ25ねん以前いぜん以後いごとでは法律ほうりつじょうの「国宝こくほう」という用語ようご意味いみことなっており、旧法きゅうほうの「国宝こくほう」は文化財ぶんかざい保護ほごほうじょうの「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に相当そうとうする(文化財ぶんかざい保護ほごほう付則ふそくだい3じょう)。このてん混同こんどうけるため、文化財ぶんかざい保護ほごほうじょうの「国宝こくほう」を「しん国宝こくほう」と俗称ぞくしょうすることもある[6][7]。いずれにしても、だい世界せかい大戦たいせん以前いぜんには「国宝こくほう」であったものが戦後せんご重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に「格下かくさげ」されたと解釈かいしゃくするのはあやまりである。

重要じゅうよう文化財ぶんかざい件数けんすう

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい件数けんすう

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ美術びじゅつ工芸こうげいひんおおきく2つにかれ、美術びじゅつ工芸こうげいひんはさらに絵画かいが彫刻ちょうこく工芸こうげいひん書跡しょせき典籍てんせき古文書こもんじょ考古こうこ資料しりょう歴史れきし資料しりょうの7部門ぶもんかれている。指定してい件数けんすう以下いかのとおりである。

  • 建造けんぞうぶつ-2,557けん5,373むね(うち国宝こくほう230けん294むね)(2023ねんれい5ねん)1がつ1にち時点じてん[8]
  • 美術びじゅつ工芸こうげいひん-10,820けん(うち国宝こくほう902けん)(2023ねんれい5ねん)1がつ1にち時点じてん[8]
    • 絵画かいが-2,042けん(うち国宝こくほう166けん
    • 彫刻ちょうこく-2,726けん(うち国宝こくほう140けん
    • 工芸こうげいひん-2,471けん(うち国宝こくほう254けん
    • 書跡しょせき典籍てんせき-1,920けん(うち国宝こくほう229けん
    • 古文書こもんじょ-781けん(うち国宝こくほう62けん
    • 考古こうこ資料しりょう-652けん(うち国宝こくほう48けん
    • 歴史れきし資料しりょう-228けん(うち国宝こくほう3けん
都道府県とどうふけんべつ指定してい件数けんすう建造けんぞうぶつ美術びじゅつ工芸こうげいひん合算がっさん

1.東京とうきょう 2,834けん 2.京都きょうと 2,201けん 3.奈良ならけん 1,331けん 4.滋賀しがけん 829けん 5.大阪おおさか 682けん
(2023ねん1がつ1にち現在げんざい[9]

重要じゅうよう文化財ぶんかざい所在しょざい不明ふめい件数けんすう

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2023ねんれい5ねん)4がつ時点じてん文化庁ぶんかちょう調査ちょうさ結果けっかにより、2014ねん7がつ時点じてん国宝こくほうふく重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされていた美術びじゅつ工芸こうげいひん10,524けんのうち、個人こじん所有しょゆうしゃ転居てんきょ死亡しぼう社寺しゃじなどからの盗難とうなんなどにより所在しょざい不明ふめい判明はんめいしたものが139けん国宝こくほう0けん)、追加ついか確認かくにん必要ひつようなものが49けん国宝こくほう7けん)となっている[10]所在しょざい不明ふめい139けんのうち文化財ぶんかざい種別しゅべつ件数けんすうでは、工芸こうげいひん75けん(うち刀剣とうけん72けん、うち盗難とうなん5けん)、書籍しょせき典籍てんせき22けん(うち盗難とうなん1けん)、彫刻ちょうこく15けん(うち盗難とうなん12けん)、絵画かいが15けん(うち盗難とうなん6けん)、古文書こもんじょ10けん(うち盗難とうなん3けん)、考古こうこ資料しりょう2けん(うち盗難とうなん1けん)で、理由りゆうべつ件数けんすうでは、所有しょゆうしゃ転居てんきょ41けん所有しょゆうしゃ死去しきょ36けん盗難とうなん28けん売却ばいきゃく9けん法人ほうじん解散かいさん2けん不明ふめいなど23けんだった。このうち1950ねん昭和しょうわ25ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう制定せいてい以前いぜん所在しょざい不明ふめいになったのが97けん以後いごが42けんであった[11]文化庁ぶんかちょうは2023ねん4がつ時点じてん所在しょざい不明ふめいだった139けん詳細しょうさい公表こうひょうしている[12]

参考さんこう事項じこう

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管理かんり団体だんたい

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文化財ぶんかざい保護ほごほうは「重要じゅうよう文化財ぶんかざいにつき、所有しょゆうしゃ判明はんめいしない場合ばあいまた所有しょゆうしゃしくは管理かんり責任せきにんしゃによる管理かんりいちじるしく困難こんなんしくは適当てきとうであるとあきらかにみとめられる場合ばあいには、文化庁ぶんかちょう長官ちょうかんは、適当てきとう地方ちほう公共こうきょう団体だんたいその法人ほうじん指定していして、当該とうがい重要じゅうよう文化財ぶんかざい保有ほゆうのため必要ひつよう管理かんり中略ちゅうりゃく)をおこなわせることができる」と規定きていしている(どうほうだい32じょうの2)。この規定きていもとづいて指定していされた法人ほうじん当該とうがい重要じゅうよう文化財ぶんかざいの「管理かんり団体だんたい」としょうする。管理かんり団体だんたい指定していされているれいとしてはつぎのようなものがある。

  • くに所有しょゆうする城郭じょうかくについて地元じもと自治体じちたい管理かんり団体だんたい指定していされているもの(れい姫路城ひめじじょうは、所有しょゆうしゃくに管理かんり団体だんたい姫路ひめじ
  • 集落しゅうらく共有きょうゆうぶつとされている仏像ぶつぞう石塔せきとうなどについて、地元じもと自治体じちたい管理かんり団体だんたい指定していされているもの
  • 無住むじゅう社寺しゃじ所有しょゆうしゃとなっている仏堂ぶつどう仏像ぶつぞうなどについて、近隣きんりんべつ社寺しゃじ地元じもと自治体じちたい管理かんり団体だんたい指定していされているもの

特異とくいれいとしては栃木とちぎけん日光にっこう所在しょざいの「経蔵きょうぞう」と「本地ほんじどう」の場合ばあいがある。これら2むねについては日光にっこう東照宮とうしょうぐうはなわ王寺おうじのいずれに帰属きぞくする建物たてものであるか決着けっちゃくがついていないため、財団ざいだん法人ほうじん日光にっこう社寺しゃじ文化財ぶんかざい保存ほぞんかい管理かんり団体だんたい指定していされている。

指定してい解除かいじょ

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文化財ぶんかざい保護ほごほうだい29じょうには「国宝こくほうまた重要じゅうよう文化財ぶんかざい国宝こくほうまた重要じゅうよう文化財ぶんかざいとしての価値かちしつつた場合ばあいその特殊とくしゅ事由じゆうがあるときは、文部もんぶ科学かがく大臣だいじんは、国宝こくほうまた重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい解除かいじょすることができる」との規定きていがある。この規定きていによって重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい解除かいじょされたもののだい部分ぶぶん火災かさいによって焼失しょうしつしたものである。焼失しょうしつ以外いがい事由じゆうによって指定してい解除かいじょされたれいとしてはつぎのものがある。

  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん4がつ10日とおかけで陶器とうき3けん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい解除かいじょされた。これらは鎌倉かまくら時代じだい古瀬戸こせと優品ゆうひんとして指定していされたが、科学かがくてき調査ちょうさ結果けっか現代げんだい作品さくひんであることが判明はんめいしたもの(別項べっこうえいひとしつぼ事件じけん」を参照さんしょう)。
  • 1982ねん昭和しょうわ57ねん4がつ15にちけで縄文じょうもん時代じだいふか鉢形はちがた土器どき1けん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい解除かいじょされた。土器どき自体じたい縄文じょうもん時代じだい作品さくひんであったがこの土器どき特色とくしょくとされたくちえんへびがた装飾そうしょく把手とってがオリジナルではなく、推定すいてい復元ふくげんであることが判明はんめいしたため指定してい解除かいじょされたものである。

指定してい対象たいしょう多様たよう

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近代きんだい建造けんぞうぶつれい丸沼まるぬま堰堤えんてい
 
近代きんだい建造けんぞうぶつれい世界せかい平和へいわ記念きねん聖堂せいどう
 
近代きんだい建造けんぞうぶつ土木どぼく遺産いさん)のれい藤倉ふじくら水源すいげん水道すいどう施設しせつ
 
近代きんだい建造けんぞうぶつ土木どぼく遺産いさん)のれい日本にっぽん水準すいじゅん原点げんてんしるべ

近代きんだい美術びじゅつ工芸こうげいひん指定してい

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絵画かいが
近代きんだい作品さくひん1955ねん昭和しょうわ30ねん)に狩野かの芳崖ほうがいの『悲母ひぼ観音かんのん』と『不動明王ふどうみょうおう』、橋本はしもと雅邦がほうの『白雲しらくもべにじゅ』が指定していされたのが最初さいしょで、以後いご日本にっぽん洋画ようがともにおおくの作家さっか作品さくひん指定していされている。昭和しょうわ作品さくひんとしては速水はやみ御舟みふねの『めい椿つばき』が1977ねん昭和しょうわ52ねん)に指定していされたのが最初さいしょであった。
彫刻ちょうこく
近代きんだい作品さくひん1967ねん昭和しょうわ42ねん)に荻原おぎわら碌山ろくざん作品さくひんおんな』が指定していされたのが最初さいしょである。明治めいじ初期しょき来日らいにちし、こう美術びじゅつ学校がっこう彫刻ちょうこく指導しどうしたイタリアじんヴィンチェンツォ・ラグーザ作品さくひん指定していされている。鋳造ちゅうぞう作品さくひん場合ばあい鋳造ちゅうぞうされたものではなく石膏せっこう原型げんけい重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。
工芸こうげいひん
近代きんだい作品さくひん2001ねん平成へいせい13ねん)に鋳造ちゅうぞう鈴木すずき長吉ちょうきちの「どうわし置物おきもの」が指定していされたのが最初さいしょである。陶磁器とうじきでは板谷いたや波山はざん宮川みやがわ香山かやま作品さくひん2002ねん平成へいせい14ねん)に指定していされたのが最初さいしょであった。

近代きんだい建造けんぞうぶつ指定してい

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概観がいかん
明治めいじ以降いこう建造けんぞうぶつについては、厳島いつくしま神社じんじゃ大鳥居おおとりい(1875ねん明治めいじ8ねん建立こんりゅう)が1899ねん明治めいじ32ねん)に指定していされたれい和洋折衷わようせっちゅう建築けんちくである石川いしかわけん尾山おやま神社じんじゃ神門ごうど(1875ねん明治めいじ8ねん建立こんりゅう)が1935ねん昭和しょうわ10ねん)に指定していされたれいなどがあるが、近代きんだい洋風ようふう建築けんちく指定してい対象たいしょうとされるのは、戦後せんご文化財ぶんかざい保護ほごほう時代じだいになってからである。近代きんだい洋風ようふう建築けんちくでもっともはや指定していされた事例じれいきゅう造幣ぞうへいりょう鋳造ちゅうぞうしょ正面しょうめん玄関げんかんいずみぬのかん(ともに大阪おおさか)で、ともに1956ねん昭和しょうわ31ねん)に指定していされた。住宅じゅうたく建築けんちくではきゅうハッサム住宅じゅうたく(1961ねん指定してい)、きゅう岩崎いわさき住宅じゅうたく(1961ねん指定してい)、宗教しゅうきょう建築けんちくではニコライどう[注釈ちゅうしゃく 2](1962ねん指定してい)、宝山寺ほうざんじ獅子ししかく(1961ねん指定してい)などがはや時期じき指定していされたれいである[注釈ちゅうしゃく 3]
1974ねん昭和しょうわ49ねん)にはじめて鉄筋てっきんコンクリート建造けんぞうぶつとして重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされたのはきゅうやま邑家住宅じゅうたく(ヨドコウ迎賓館げいひんかん芦屋あしやフランク・ロイド・ライト設計せっけい1924ねん大正たいしょう13ねん竣工しゅんこう)。大正たいしょう建造けんぞうぶつとしてもはつ指定していで、ちくわずか50ねんでその価値かちみとめられたことになる。昭和しょうわ建造けんぞうぶつとして最初さいしょ重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされたのは明治生命保険めいじせいめいほけん相互そうご会社かいしゃ本社ほんしゃ本館ほんかん岡田おかだ信一郎しんいちろう設計せっけい1934ねん昭和しょうわ9ねん竣工しゅんこう)で、1997ねん平成へいせい9ねん)に指定していされている。また2006ねん平成へいせい18ねん)、原爆げんばく犠牲ぎせいしゃとむら世界せかい平和へいわ祈念きねんするための教会堂きょうかいどう世界せかい平和へいわ記念きねん聖堂せいどう村野むらの藤吾とうご設計せっけい1954ねん昭和しょうわ29ねん)8がつ竣工しゅんこう)と広島ひろしま平和へいわ記念きねん公園こうえん中心ちゅうしん施設しせつ広島ひろしま平和へいわ記念きねん資料しりょうかん丹下たんげ健三けんぞう設計せっけい1955ねん昭和しょうわ30ねん)8がつ開館かいかん)が、戦後せんご建築けんちくとしてははじめての重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していとなった。船舶せんぱくとしては唯一ゆいいつ1978ねん昭和しょうわ53ねん)に明治めいじまる指定していされた[注釈ちゅうしゃく 4]
産業さんぎょう交通こうつう土木どぼく遺産いさん
明治めいじ時代じだい以降いこう日本にっぽん近代きんだい寄与きよしてきた産業さんぎょう交通こうつう土木どぼく関連かんれん建造けんぞうぶつ具体ぐたいてきには炭鉱たんこう発電はつでんしょダム水源すいげん運河うんが鉄道てつどう施設しせつ港湾こうわん施設しせつなどが、20世紀せいきすえごろから文化財ぶんかざいあらたなジャンルとして着目ちゃくもくされるようになった。文化庁ぶんかちょうではこれらを「近代きんだい遺産いさん」と名付なづけ、1993ねん平成へいせい5ねん)から「建造けんぞうぶつ」の重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい対象たいしょうとなっている。1993ねん平成へいせい5ねん指定していされたのは秋田あきたの「藤倉ふじくら水源すいげん水道すいどう施設しせつ」と群馬ぐんまけんの「碓氷峠うすいとうげ鉄道てつどう施設しせつ」の2けんであった。「藤倉ふじくら水源すいげん水道すいどう施設しせつ」についてはダム、貯水池ちょすいち沈殿ちんでんなどの施設しせつ土地とちが、「碓氷峠うすいとうげ鉄道てつどう施設しせつ」については連続れんぞくする橋梁きょうりょうトンネルくわ発電はつでんしょなどの付属ふぞく施設しせつ土地とちあわせて指定していされており、単体たんたい建造けんぞうぶつとしての橋梁きょうりょうやトンネルではなくシステム全体ぜんたい保存ほぞん対象たいしょうとなっている。「近代きんだい遺産いさん」は、重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ指定してい件数けんすう統計とうけいにおいても建造けんぞうぶつとは区別くべつしてカウントされ、建造けんぞうぶつが「むね単位たんいかぞえられるのにたいし、近代きんだい遺産いさんについては、システム全体ぜんたい重視じゅうしした「構」(かまえ)という単位たんい呼称こしょうもちいられていた。近代きんだい遺産いさんは2003ねん12月に指定していされた「舞鶴まいづるきゅう鎮守ちんじゅ水道すいどう施設しせつ」まで17けん(17構)が指定していされたが、2005年度ねんどからは指定してい件数けんすう統計とうけいにおいて「近代きんだい遺産いさん」という分類ぶんるい名称めいしょう使用しようされなくなり、前述ぜんじゅつの17けんは「近代きんだい 産業さんぎょう交通こうつう土木どぼく」というジャンルに分類ぶんるいされている。「いち構」という単位たんい呼称こしょうもちいられなくなり、ダムやトンネルなどについては「いちしょ」、橋梁きょうりょうについては「一基いっき」という単位たんい呼称こしょうもちいられている[13]。2009ねん12月08にちには海軍かいぐん建設けんせつによる竪坑たてこう指定していされた。1985ねんごろから調査ちょうさ研究けんきゅうはじめられ、はじめは志免しめまちから当時とうじ所有しょゆうしゃしんエネルギー産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう開発かいはつ機構きこうへ、まけ遺産いさんとして「はや解体かいたいをしてしい」とうったえられており、調査ちょうさ非常ひじょう難航なんこうをしていた。


民家みんか建築けんちく指定してい

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農家のうか漁家りょうけ町屋まちやなどの民家みんか建築けんちく文化財ぶんかざいとして着目ちゃくもくされるようになったのは、太平洋戦争たいへいようせんそうである。高度こうど経済けいざい成長せいちょうによる日本人にっぽんじん生活せいかつ様式ようしき変化へんかともない、伝統でんとうてき民家みんか急速きゅうそく姿すがたはじめた1960年代ねんだいから民家みんか重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい積極せっきょくてき推進すいしんされるようになった。そのさきがけとして、1955ねん昭和しょうわ30ねん)から東京大学とうきょうだいがく工学部こうがくぶ建築けんちく学科がっかによる町屋まちや調査ちょうさて、1957ねん昭和しょうわ32ねん)6がつ18にちむねさつとともにくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた奈良ならけん橿原かしはら今井いまいまち今西いまにし住宅じゅうたく文化財ぶんかざい保護ほごほうにより根本ねもと修理しゅうり着手ちゃくしゅすることとなり、奈良ならけん教育きょういく委員いいんかい今西いまにしから委託いたくけて1961ねん昭和しょうわ36ねん)3がつ起工きこうし、1962ねん昭和しょうわ37ねん)10がつ竣工しゅんこうした。どう建物たてもの日本にっぽん民家みんか一里塚いちりづかわれるほどの貴重きちょう建物たてもので、破損はそん傾斜けいしゃいちじるしく倒壊とうかい町屋まちや調査ちょうさによってすくえた好例こうれいである。

なお、だい大戦たいせん終戦しゅうせん以前いぜんくに指定していけていた民家みんか大阪おおさか羽曳野はびきの吉村よしむら住宅じゅうたく1937ねん昭和しょうわ12ねん指定してい)と京都きょうと小川おがわ住宅じゅうたく通称つうしょうじょう陣屋じんや」、1944ねん昭和しょうわ19ねん指定してい)のわずか2けんのみであった[注釈ちゅうしゃく 5]

建造けんぞうぶつ土地とち一体いったい指定してい

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1975ねん昭和しょうわ50ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう改正かいせいにより、建造けんぞうぶつとともにその所在しょざいする土地とち重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していすることができるようになった。どうほうだい2じょうだい1こうだい1ごうには建造けんぞうぶつらのものと「一体いったいをなしてその価値かち形成けいせいしている土地とちその物件ぶっけん」が重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい対象たいしょうである「有形ゆうけい文化財ぶんかざい」の概念がいねんふくまれることが明記めいきされた。この規定きていもとづく「土地とち」の重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい1976ねん昭和しょうわ51ねん)にはじめておこなわれ、民家みんか建物たてものとともにその敷地しきち重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。民家みんか重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していさいして「土地とち」をあわせて指定していするということには民家みんか母屋もやのみならず、もんへいぞう井戸いどほこらとう付属ふぞく建物たてもの石垣いしがき水路すいろ庭園ていえんほりひとし工作こうさくぶつ、さらには宅地たくち山林さんりんなどをあわせて指定していすることによって、屋敷やしきかま全体ぜんたい保存ほぞんはかろうとする意図いとがある。なお、建造けんぞうぶつとともに土地とち重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされているケースは民家みんかのほか、社寺しゃじ近代きんだい建築けんちくにもある。

歴史れきし資料しりょう指定してい

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歴史れきし資料しりょう 科学かがく技術ぎじゅつ関係かんけいれい 天体てんたい望遠鏡ぼうえんきょうはちインチ屈折くっせつ赤道あかみちただし国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかんぞう

1975ねん昭和しょうわ50ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう改正かいせいにより、あらたな指定してい分野ぶんやとして「歴史れきし資料しりょう」が新設しんせつされた。「歴史れきし資料しりょう」の重要じゅうよう文化財ぶんかざい新規しんき指定していは1977ねん昭和しょうわ52ねん)にはじめておこなわれ、このときは「長崎ながさき奉行ぶぎょうしょキリシタン関係かんけい資料しりょう」(東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん)と「春日かすがばん板木はんぎ」(奈良なら興福寺こうふくじ)の2けん指定していされた。なお、従来じゅうらい絵画かいが」「書跡しょせき典籍てんせきとうとして重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされていた物件ぶっけんで「歴史れきし資料しりょう」にうつされたものもある。いちれいげると、仙台せんだい博物館はくぶつかん保管ほかんの「慶長けいちょうおう使節しせつ関係かんけい資料しりょう」は1966ねん昭和しょうわ41ねん)に「絵画かいが」の重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされていたが上述じょうじゅつ文化財ぶんかざい保護ほごほう改正かいせいともなって「歴史れきし資料しりょう」にうつされ、2001ねん平成へいせい13ねん)に歴史れきし資料しりょうとしては最初さいしょ国宝こくほう指定していけている。

歴史れきし資料しりょうとして指定していけているものには政治せいじ学者がくしゃなどの歴史れきしじょう人物じんぶつかんする一括いっかつ資料しりょう写真しゃしんやその原板げんぱん地図ちず活字かつじ科学かがく技術ぎじゅつ関係かんけい資料しりょう産業さんぎょう関係かんけい資料しりょうなどさまざまなものがある。人物じんぶつ関係かんけい資料しりょうとしては高野たかの長英ちょうえい間宮まみや林蔵りんぞう坂本さかもと龍馬りょうま大久保おおくぼ利通としみち岩倉いわくら具視ともみなどの一括いっかつ資料しりょうがある。科学かがく技術ぎじゅつ関係かんけいでは平賀ひらが源内げんないエレキテル初期しょき天体てんたい望遠鏡ぼうえんきょう天球儀てんきゅうぎ、モールス電信でんしんメートル原器げんきなどがある。産業さんぎょう関係かんけいでは初期しょき印刷いんさつせい紡機、鉄道てつどう車両しゃりょうなどがある。

さんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうひん指定してい

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従来じゅうらいは、文化財ぶんかざい保護ほごほう対象たいしょうがいであった宮内庁くないちょう管理かんりする皇室こうしつ関係かんけい文化財ぶんかざいは、国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされることはなかった。その最初さいしょ例外れいがいせいくらいん建物たてもので、「古都こと奈良なら文化財ぶんかざい」の世界せかい遺産いさん登録とうろくに1997ねん平成へいせい9ねん)に「せいくらいんせいくら 1むね」として国宝こくほう指定していされた。これは世界せかい遺産いさん登録とうろく前提ぜんてい条件じょうけんとして登録とうろく物件ぶっけん所在しょざいこく法律ほうりつにより文化財ぶんかざいとして保護ほごけていることがもとめられるため、例外れいがいてき措置そちとして指定していされたものであった(くわしくはせいくらいん#国宝こくほう指定してい経緯けいいこう参照さんしょう)。その、2018ねん6がつ宮内庁くないちょう有識者ゆうしきしゃ会議かいぎが「(国民こくみんさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうひんの)価値かちかりやすくしめすべきだ」と提言ていげんし、宮内庁くないちょう管理かんりするさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうひん国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされるように運用うんようあらためられることになった[14]。その国宝こくほう指定していだい1だんとして、2021ねん7がつに、同館どうかん収蔵しゅうぞうする絵巻物えまきものの『こうむ襲来しゅうらい絵詞えことば[15]と『春日しゅんじつ権現ごんげんけん絵巻えまき[16]狩野かのひさしとく代表だいひょうさく唐獅子からじし屏風びょうぶ[17]明治めいじ時代じだい京都きょうと相国寺しょうこくじからみや内省ないせいげた伊藤いとう若冲じゃくちゅうどううえ綵絵』30ぶく[18]平安へいあん中期ちゅうき書家しょかしょう野道のみちふうの『屏風びょうぶ土代どだい』のけい5けん国宝こくほう指定していされるように文化ぶんか審議しんぎかいから文部もんぶ科学かがく大臣だいじん答申とうしんされ[19]同年どうねん9がつ30にち指定していされた[20]。さらに2022ねんれい4ねん)8がつ23にち宮内庁くないちょう文化庁ぶんかちょうは、さんまるなお蔵館くらだてを2023ねん10がつ宮内庁くないちょうから国立こくりつ文化財ぶんかざい機構きこう移管いかんし、どう機構きこう所管しょかんする文化庁ぶんかちょう収蔵しゅうぞうひん管理かんりおこな体制たいせいあらためることを発表はっぴょうした[21]。2022ねん11月にはさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうする3けんづつの文化財ぶんかざいあらたに国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざいとして指定していされるように答申とうしんされており、安土あづち桃山ももやま時代じだい屏風びょうぶである『南蛮なんばんじん渡来とらい』と『世界せかい』、海野うみのまさるの『らんりょうおう置物おきもの』の3けんさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうひんとしての重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していだい1ごうとなった[22]

重要じゅうよう文化財ぶんかざいれい

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 無形むけい文化財ぶんかざい選定せんてい制度せいどとは、文化財ぶんかざい保護ほごほう制定せいてい無形むけい文化財ぶんかざい保護ほご制度せいどであり、無形むけい文化財ぶんかざいのうちとく価値かちたかいものでくに保護ほごしなければ衰亡すいぼうするおそれのあるものについて、文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかいが「助成じょせい措置そちこうずべき無形むけい文化財ぶんかざい」として選定せんていしたもの。この選定せんてい制度せいどは、1954ねん昭和しょうわ29ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう改正かいせいで、重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい指定してい制度せいどおよび「記録きろく作成さくせいとう措置そちこうずべき無形むけい文化財ぶんかざい」の選択せんたく制度せいど移行いこうした。
  2. ^ 正式せいしき指定してい名称めいしょうは「日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい教団きょうだん復活ふっかつだい聖堂せいどう
  3. ^ 大学だいがく関係かんけいでは同志社大学どうししゃだいがく礼拝れいはいどうがもっともはやく1963ねん指定していである。
  4. ^ に「徳島とくしまはん御召おめしくじらせんせんやままる徳島とくしまじょう博物館はくぶつかんくら)」が歴史れきし資料しりょう部門ぶもん大名だいみょう実際じっさい利用りようしていた和船わせん唯一ゆいいつ現存げんそんする)で指定していされている。
  5. ^ だい大戦たいせん終戦しゅうせん以前いぜん指定していされた民間みんかん所有しょゆう建造けんぞうぶつとしては、奈良ならけん今西いまにし書院しょいん(1937ねん指定してい)があるが、文化庁ぶんかちょう分類ぶんるいでは「民家みんか」の範疇はんちゅうにははいらない。

出典しゅってん

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  1. ^ 参照さんしょう:文化庁ぶんかちょう公式こうしきサイト、PDFファイル:国立こくりつ文化財ぶんかざい機構きこう 概要がいよう 平成へいせい19年度ねんどなど
  2. ^ 修理しゅうり現場げんばから文化ぶんかりょく”. 文化庁ぶんかちょう. 2023ねん11月23にち閲覧えつらん
  3. ^ 昭和しょうわ26ねん文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい告示こくじだい2ごう
  4. ^ 円満えんまんいん重文じゅうぶん建物たてもの宗教しゅうきょう法人ほうじんやく10おくえん落札らくさつ文化庁ぶんかちょう困惑こんわく. 読売新聞よみうりしんぶん. (2009ねん5がつ31にち). オリジナルの2009ねん6がつ1にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090601074238/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090531-OYT1T00072.htm 
  5. ^ 大津おおつ古刹こさつ円満えんまんいん重文じゅうぶん建物たてものが10おくえん落札らくさつ. 産経新聞さんけいしんぶん. (2009ねん6がつ1にち). オリジナルの2010ねん3がつ2にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100302230517/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090601/trl0906011137004-n1.htm 
  6. ^ 松山まつやまいわお国宝こくほうという物語ものがたり」『国宝こくほう』(とんぼのほん改訂かいてい増補ぞうほ)、新潮社しんちょうしゃ、2005、p.207
  7. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょだい9かん小学館しょうがくかん、p.208(「国宝こくほう」のこう
  8. ^ a b 文化財ぶんかざい指定していとう件数けんすう 文化庁ぶんかちょう
  9. ^ 国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい 都道府県とどうふけんべつ指定してい件数けんすう一覧いちらん
  10. ^ 盗難とうなんふく所在しょざい不明ふめいかんする情報じょうほう提供ていきょうについて~もどそう!みんなの文化財ぶんかざい”. 文化庁ぶんかちょう (2023ねん4がつ7にち). 2023ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  11. ^ 所在しょざい不明ふめい文化財ぶんかざいくに指定してい)の内訳うちわけ 文化庁ぶんかちょう 2023ねん4がつ7にち
  12. ^ 所在しょざい不明ふめいになっているくに指定してい文化財ぶんかざい美術びじゅつ工芸こうげいひん”. 文化庁ぶんかちょう (2023ねん4がつ7にち). 2023ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  13. ^ 建造けんぞうぶつ分類ぶんるいべつ指定してい件数けんすうについては『月刊げっかん文化財ぶんかざい』495ごうだいいち法規ほうき、2004、p8および『月刊げっかん文化財ぶんかざい』502ごうだいいち法規ほうき、2005、p8、を参照さんしょう
  14. ^ 宮内庁くないちょうさんまるなお蔵館くらだて今後こんご保存ほぞん公開こうかいかたかんする提言ていげん だい4かい 宮内庁くないちょう
  15. ^ こうむ襲来しゅうらい絵詞えことば(もうこしゅうらいえことば)収蔵しゅうぞう作品さくひん詳細しょうさい 宮内庁くないちょうさんまるなお蔵館くらだて
  16. ^ 春日しゅんじつ権現ごんげんけん(かすがごんげんげんきえ)収蔵しゅうぞう作品さくひん詳細しょうさい 宮内庁くないちょうさんまるなお蔵館くらだて
  17. ^ 唐獅子からじし屏風びょうぶ(からじしずびょうぶ)収蔵しゅうぞう作品さくひん詳細しょうさい 宮内庁くないちょうさんまるなお蔵館くらだて
  18. ^ どううえ綵絵(どうしょくさいえ)収蔵しゅうぞう作品さくひん詳細しょうさい 宮内庁くないちょうさんまるなお蔵館くらだて
  19. ^ こうむ襲来しゅうらい絵詞えことばなど国宝こくほう宮内庁くないちょう保管ほかんはつ文化ぶんか審議しんぎかい 時事通信じじつうしん 2021ねん7がつ16にち
  20. ^ れい3ねん9がつ30にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい161・162ごう
  21. ^ 皇居こうきょないさんまるなお蔵館くらだて収蔵しゅうぞうひん管理かんり宮内庁くないちょうから文化庁ぶんかちょう移管いかん 朝日新聞あさひしんぶん 2022ねん8がつ23にち
  22. ^ 文化ぶんか審議しんぎかい答申とうしん国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい美術びじゅつ工芸こうげいひん)の指定していとう)Ⅱ.解説かいせつ1.国宝こくほう美術びじゅつ工芸こうげいひん)の指定してい 文化庁ぶんかちょう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほごほうじゅうねん』、ぎょうせい、2001
  • 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご美術びじゅつ工芸こうげい監修かんしゅう文化財ぶんかざい保護ほご行政ぎょうせいハンドブック 美術びじゅつ工芸こうげいひんへん』、ぎょうせい、1998
  • 特集とくしゅう:文化財ぶんかざい指定してい制度せいど社寺しゃじ保存ほぞんほう制定せいてい)100周年しゅうねん」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』411ごうだいいち法規ほうき、1997
  • 地図ちずかくれた日本にっぽんなぞ実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、2008)

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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