速水 御舟
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1894 | |
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1935 | |
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『 『 | |
1909 |
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/66/Enbu_by_Hayami_Gyoshu.jpg/200px-Enbu_by_Hayami_Gyoshu.jpg)
1894
生涯
1894
1905
1909
1911
1912
1913
1914
1919
1921
1925
1929
補足
号 の由来
「
その他
- 1918
年 (大正 7年 )頃 の作品 には、青 を基調 とした作品 が多 い。御 舟 はこの頃 の自分 を「群青 中毒 にかかった」という言葉 で表現 している。 関東大震災 では多 くの美術 品 も犠牲 になったが、御舟 の作品 も例外 ではない。横山 大観 らに激賞 された『洛外 六 題 』をはじめ、初期 の傑作 の多 くが関東大震災 によって遺失 した。御舟 の早世 は多 くの美術家 に惜 しまれ、横山 大観 は「速水 君 の死 は、日本 の為 に大 きな損失 である」と述 べている。御 舟 は画商 から金 を積 まれても自分 にモチベーションが出 ない限 り、絵 を描 かなかった。そんな御 舟 に画商 は「蟻 一 匹 でもいいから描 いてくれ」と必死 に頼 み込 み、やむなく御 舟 は大 きなキャンバスに小 さい蟻 の絵 を描 いた。御舟 の落款 は中国 北 宋 の皇帝 徽宗の痩 金 体 に倣 ったとされる。北大路魯山人 は御 舟 に「君 は絵 はうまいが字 は下手 だ」と言 った[15]。義弟 (妹 ・輝子 の夫 )は、陶磁器 の目利 きとして知 られる北原 大輔 (1889年 − 1951年 )[7]。
代表 作
- 『
京 の舞妓 』(1920年 (大正 9年 )、東京 国立 博物館 蔵 ) 絹本 著 色 、軸 装 、152.3×101.8センチ。第 7回 院展 に出品 。舞妓 の衣装 の細 かい文様 から畳 の目 の一 つひとつまで克明 に描写 した写実 性 が特色 の作品 である。発表 時 はその細密 すぎる描写 が話題 となり賛否 両論 を招 いた。横山 大観 はこの作品 を日本 画 の伝統 からはずれた「悪 写実 」と酷評 し、御 舟 を院展 から除名 すべしとまで主張 した[17]。そのためか御 舟 はこの作品 以降 、人物 画 から長年 にわたり遠 ざかる。- 『
炎 舞 』(1925年 (大正 14年 )、山 種 美術館 蔵 、重要 文化財 ) 絹本 著 色 、額 装 (もと軸 装 )、120.4×53.7センチ。蛾 が炎 に魅 せられているかのように舞 う、緻密 な写実 と幻想 が融合 した作品 。背景 の闇 は黒 に朱 を混 ぜ、礬水 (どうさ)を引 かずに絵具 が絹 面 ににじむようにして描 いたもので、単 なる黒 ではない深 い闇 を表現 している[18]。御 舟 はこの背景 について「もう一度 描 けと言 われても二度 とは出 せない色 」だと、義兄 の吉田 幸三郎 に語 った[19]。描 かれている蛾 は滞在 先 の軽井沢 で写生 したもので、いずれの蛾 も真正面 向 きに描 かれているにもかかわらず、生 きて飛 んでいる感 じを表現 している[20]。炎 の描写 には、日本 の伝統 的 な絵巻物 や仏画 の炎 の描写 の影響 が指摘 されている[19]。生物 に造詣 の深 い昭和 天皇 は、この画 を見 て「蛾 の眼 が生 きているね」と言 ったという。他 に御 舟 が蛾 を描 いた作品 として、『粧蛾舞 戯 』という作品 がある(「昆虫 二 題 」と題 する双幅 の作品 の左 幅 。右 幅 は「葉 蔭 魔手 」という題 の蜘蛛 を描 いた作品 )。三島 由紀夫 の小説 『金閣寺 』の新潮 文庫 版 のカバーのデザインに起用 されている。
- 『
翠 苔 緑 芝 』(1928年 (昭和 3年 )、山 種 美術館 蔵 ) 紙 本金 地 著 色 、四 曲 屏風 一双 、各 172.6×362.4センチ。左 隻 はアジサイと白兎 、右 隻 は琵琶 と青桐 に黒 猫 を描 く。装飾 的 構成 と単純 化 されたモチーフの形態 には琳派や西洋 画 の影響 が指摘 される。- 『
名 樹 散 椿 』(1929年 (昭和 4年 )、山 種 美術館 蔵 、重要 文化財 ) 紙 本金 地 著 色 、二 曲 屏風 一双 、各 167.9×169.6センチ。京都 市 北 区 にある地蔵 院 の椿 の老木 を描 いた作品 。日本 画 の写実 的 な部分 に、大胆 にもキュビズムにも似 た表現 を取 り入 れた意欲 作 。背景 の金地 は金箔 でも金泥 でもなく、「撒 きつぶし」という技法 によるもので、金砂子 (金 の細 粉 )を一 面 に撒 き散 らしたものである。これによって光沢 を抑 えたフラットな金地 が実現 している[18]。1977年 (昭和 52年 )に『炎 舞 』と共 に重要 文化財 に指定 され、昭和 の美術 作品 として初 めての指定 となった。
著作
切手
脚注
- ^ a b c d e f
山 﨑妙子 2016, p. 162. - ^ 『
速水 御 舟 の全貌 日本 画 の破壊 と創造 』山 種 美術館 、「作品 解説 」152頁 - ^ 『
別冊 太陽 日本 のこころ』161、p.129 - ^ a b c
山 﨑妙子 2016, p. 163. - ^ a b
高橋 美奈子 2016, pp. 138–141. - ^
山 﨑妙子 2016, p. 164. - ^ a b
研究 小話 「目利 きの系譜 II―下駄 の話 ―」谷内 克 聡 、群馬 の森 美術館 ニュース170号 、群馬 県立 近代 美術館 、2017年 10月 1日 、p3 - ^
吉田 幸三郎 独立 行政 法人 国立 文化財 機構 東京 文化財 研究所 - ^
山 﨑妙子 「速水 御 舟 と岸田 劉生 」『別冊 太陽 日本 のこころ』161、pp.50 - 52 - ^
山 﨑妙子 2016, p. 167. - ^
山 﨑妙子 2016, p. 168. - ^ a b
山 﨑妙子 2016, pp. 168–169. - ^
山 﨑妙子 2016, p. 169. - ^ a b
山 﨑妙子 2016, p. 172. - ^ 『
別冊 太陽 日本 のこころ』161、p.122 - ^
櫛淵 豊子 「散逸 をまぬがれた一大 コレクション」『別冊 太陽 日本 のこころ』161、pp.126 - 127 - ^ 『
別冊 太陽 日本 のこころ』161、pp.133 - 134 - ^ a b
宮 廻 正明 「御舟 の表現 技法 」『別冊 太陽 日本 のこころ』161、pp.114 - 115 - ^ a b 『
別冊 太陽 日本 のこころ』161、p.62 - ^ 『
別冊 太陽 日本 のこころ』161、pp.120 - 121
参考 文献
- 『
現代 日本 の美術 (14)速水 御 舟 』座右 宝 刊行 会 編 、集英社 - 「
速水 御舟 日本 画 を「破壊 」する」『別冊 太陽 日本 のこころ』161、平凡社 、2009年 9月 - 『もっと
知 りたい速水 御舟 生涯 と作品 』<アート・ビギナーズ・コレクション>尾崎 正明 監修 、東京 美術 、2009年 10月 山 﨑妙子 (山 種 美術館 館長 )、山下 裕二 (監修 )、高橋 美奈子 (山 種 美術館 学芸 部長 )『速水 御 舟 の全貌 日本 画 の破壊 と創造 』山 種 美術館 、2016年 10月 8日 。ISBN 978-4-907492-12-0。国立 国会図書館 書誌 ID:027726660。