国力、文化的影響力などの面からアラブ世界のリーダーとなっている。ガマール・アブドゥル=ナーセル時代には非同盟諸国の雄としてアラブに限らない影響力を持ったが、ナーセル死後はその影響力は衰えた。ナーセル時代は親ソ連だった外交はサーダート時代に入って親米路線となり、さらにそれに伴いイスラエルとの外交関係が進展。1978年のキャンプ・デービッド合意とその翌年のイスラエル国交樹立によって親米路線は確立したが、これはイスラエルを仇敵とするアラブ諸国の憤激を買い、ほとんどのアラブ諸国から断交されることとなった。その後、1981年にサーダートが暗殺された後に政権を握ったムバーラクは親米路線を堅持する一方、アラブ諸国との関係回復を進め、1988年にはシリア、レバノン、リビアを除く全てのアラブ諸国との関係が回復した[41]。以降はアラブの大国として域内諸国と協調する一方、アフリカの一国として2004年9月には国際連合安全保障理事会の常任理事国入りを目指すことを表明した。2011年、パレスチナのガザの検問所を開放した。また、イランとの関係を修復しようとしている[42]。
シーシー政権はムスリム同胞団政権時代のこうした外交政策とは一線を画している。欧米や日本、親米アラブ諸国、イスラエルのほか、中国やロシア[43]などと広範な協力関係を築いている。
2017年カタール外交危機では、サウジアラビアとともに、ムスリム同胞団を支援してきたカタールと国交を断絶した国の一つとなった。またサウジアラビアとは、アカバ湾口に架橋して陸上往来を可能とするプロジェクトが話し合われた(「チラン島」を参照)。
・在留日本人数719人(2021年10月現在)[6]
・在留エジプト人数1933人(2021年6月現在)[6]
エジプトの行政区画
エジプトの最上級の地方行政単位は、27あるムハーファザ(محافظة、県、州 と訳されることもある)である。知事は中央政府から派遣される官選知事で、内務省の管轄下において中央集権体制をとる。面積には極端な偏りがあり、ナイル川流域やナイル下流は非常に細分化されているにもかかわらず、南部は非常に大まかに分けられている。これは、エジプトの国土がナイル流域以外は全域が砂漠であり、居住者がほとんどいないことによるものである。
カイロはビジネス、文化、政治などを総合評価した世界都市格付けでアフリカ第1位の都市と評価された[49]
2018年のエジプトの国内総生産(GDP)は約2,496億ドル(約27兆円)、一人当たりでは2,573ドルである[2]。アフリカでは屈指の経済規模であり、BRICSの次に経済発展が期待できるとされているNEXT11の一国にも数えられている。しかし、一人当たりのGDPでみると、中東や北アフリカ諸国の中では最低水準であり、トルコの約4分の1、イランの半分に過ぎず、更に同じ北アフリカ諸国であるチュニジアやモロッコに比べても、水準は低い[50]。
スエズ運河収入と観光産業収入、更には在外労働者からの送金の3大外貨収入の依存が大きく、エジプト政府は、それらの手段に安易に頼っている[50]。更に政情に左右されやすい。
工業は石油などの資源はないが様々な工業が発展しており今後も成長が見込まれる。近年は情報技術(IT)産業が急速に成長している。しかしながらGDPの約半分が軍関連企業が占めていて主に農業 建築業などの工業を担っている。
金融はイスラーム銀行も近代式銀行の両方とも発達しており投資家層も厚く、アメリカのドナルド・トランプ政権にはエジプトの敏腕女性投資家が起用されている。
これまでは買い物や公共料金の支払いは現金、送金は窓口での手続きが主流であった。これはチップや喜捨として現金を渡すバクシーシの習慣が根付いていることも一因としてあったが、電子決済も急速に普及している。新型コロナウイルス感染症がエジプトでも流行し、他人との接触を減らす必要が生じたことも背景となっている[3]。
2024年1月31日、BRICSに正式加盟を果たした。
かつては綿花の世界的生産地であり、ナイル川のもたらす肥沃な土壌とあいまって農業が重要な役割を果たしていた。
しかし、通年灌漑の導入によってナイルの洪水に頼ることが減り、アスワン・ハイ・ダムの建設によって、上流からの土壌がせき止められるようになった。そのため、ダムによる水位コントロールによって農地が大幅に拡大した。農業生産高が格段に上がったにもかかわらず、肥料の集中投入などが必要になったため、コストが増大し、近年代表的な農業製品である綿製品は価格競争において後塵を拝している。
1970年代に農業の機械化および各種生産業における機械への転換により、地方での労働力の過剰供給が見受けられ、労働力は都市部に流出し、治安・衛生の悪化及び社会政策費の増大を招いた。1980年代には、石油産業従事者の増大に伴い、農業において労働力不足が顕著となる。このため綿花および綿製品の価格上昇を招き、国際競争力を失った。1990年代から、IMFの支援を受け経済成長率5%を達成するが、社会福祉政策の低所得者向け補助の増大および失業率10%前後と支出の増大に加え、資源に乏しく食料も輸入に頼るため、2004年には物価上昇率10%に達するなどの構造的問題を抱えている。現状、中小企業育成による国際競争力の強化、雇用創生に取り組んでいるが、結果が出ていない。2004年のナズィーフ内閣が成立後は、国営企業の民営化および税制改革に取り組んでいる。2008年、世界的な食料高騰によるデモが発生した。
また、「アラブの春」により、2012年 ~ 2014年の間は2 ~ 3%台と一時低迷していたが、その後政情の安定化により、2015年には、4%台に回復している。またIMFの勧告を受け、2016年に為替相場の大幅切り下げや補助金削減などの改革をしたことで、経済健全化への期待感より、外国からの資本流入が拡大していき、経済の復調を遂げている[50]。
農業は農薬などを大量に使っているためコストが高くなっているが、それなりの食料自給率を保っている。果物は日本にもジャムなどに加工され輸出されている。
主食のアエーシ(イーシュ)というパンの原料は小麦であり国内生産も盛んであるが、2010年代においても国内需要の全てを賄うことはできず、約半数は輸入に依存している。コメも古くから生産されており、1917年からジャポニカ米を導入してきた歴史がある[51]。太平洋戦争直後の食糧難の時期(1948年)には日本に輸入され配給に用いられたこともある[52]。
2020年の人口ピラミッド。30歳以下の若年層が非常に多く、若者の失業が深刻な問題となっている。
エジプトの人口は近年急速に増大し続けており、エジプト中央動員統計局(CAPMAS)によると2020年2月11日に1億人を突破した[53]。年齢構成は0から14歳が33%、15から64歳が62.7%、65歳以上が4.3%(2010年)で、若年層が非常に多く、ピラミッド型の人口構成をしている。しかし、若年層はさらに増加傾向にあるにもかかわらず、経済はそれほど拡大していないため、若者の失業が深刻な問題となっており、2011年エジプト騒乱の原因の一つともなった。年齢の中央値は24歳である。人口増加率は2.033%。
国際連合食糧農業機関の2005年データによるエジプト人口の推移。1960年の3,000万人弱から人口が急増しているのが読み取れる。
住民はイスラム教徒とキリスト教徒(コプト教会、東方正教会など)からなるアラブ人がほとんどを占め、そのほかにベドウィン(遊牧民)やベルベル人、ヌビア人(英語版)、アルメニア人、トルコ人、ギリシア人などがいる。遺伝的に見れば、エジプト住民のほとんどが古代エジプト人の直系であり、エジプト民族との呼称でも呼ばれる所以である。長いイスラーム統治時代の人的交流と都市としての重要性から、多くのアラブ人が流入・定住していったのも事実である。1258年にアッバース朝が崩壊した際、カリフ周辺を含む多くの人々がエジプト(主にカイロ近郊)へ移住したという史実は、中東地域一帯における交流が盛んであったことを示す一例である。現代においてカイロは世界都市となっており、また歴史的にもアル=アズハル大学は、イスラム教スンナ派で最高権威を有する教育機関として、中東・イスラム圏各地から人々が参集する。
カイロのモスクなお古代エジプト文明の印象があまりに大きいためか、特に現代エジプトに対する知識を多く持たない人は、現代のエジプト人を古代エジプト人そのままにイメージしていることが多い。すなわち、ギザの大スフィンクスやギザの大ピラミッドを建て、太陽神や様々な神を信仰(エジプト神話)していた古代エジプト人を、現代のエジプト人にもそのまま当てはめていることが多い。しかし、上述のとおり現代エジプト人の9割はイスラム教徒であり、アラビア語を母語とするアラブ人である。それもアラブ世界の中で比較的主導的な立場に立つ、代表的なアラブ人の一つである。
現在のエジプトではアラビア語が公用語である。これは、イスラムの征服当時にもたらされたもので、エジプトのイスラム化と同時に普及していった。ただし、公用語となっているのは正則アラビア語(フスハー)だが、実際に用いられているのはアラビア語エジプト方言である。[要出典]。
古代エジプトの公用語であったエジプト語(4世紀以降の近代エジプト語はコプト語の名で知られる)は、現在では少数のキリスト教徒が典礼言語として使用するほかはエジプトの歴史に興味を持つ知識層が学んでいるだけであり、これを話せる国民は極めて少ない。日常言語としてコプト語を使用する母語話者は数十名程度である[54]。他には地域的にヌビア諸語、教育・ビジネスに英語、文化においてはフランス語なども使われている。
宗教構成(エジプト) |
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イスラム教(スンナ派) |
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90% |
キリスト教その他 |
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10% |
宗教はイスラム教が90%(ほとんどがスンナ派)であり、憲法では国教に指定されている(既述の通り、現在では宗教政党の活動ならびにイスラム主義活動は禁止されている)[55]。その他の宗派では、エジプト土着のキリスト教会であるコプト教会の信徒が9%、その他のキリスト教徒が1%となる[55]。
多くの場合、婚姻時に女性は改姓しない(夫婦別姓)が、改姓する女性もいる[56]。
一夫多妻制により4人まで婚姻できるが、現在は1人と結婚する者が多い[57]。
エジプトの教育制度は、1999年から小学校の課程が1年延び、日本と同じく小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年の6・3・3・4制となっている[58]。義務教育は小学校と中学校の9年である。1923年のエジプト独立の際、初等教育は既に無料とされ、以後段階的に教育の無料化が進展した。1950年には著名な作家でもあった文部大臣ターハー・フセインによって中等教育が無料化され、1952年のエジプト革命によって高等教育も含めた全ての公的機関による教育が無料化された。しかし、公立学校の教員が給料の少なさなどから個人の家庭教師を兼任することが広く行われており、社会問題化している[59]。
小学校は進級試験があるため、家庭教師をつけることもある[57]。授業料は無償化しているが、教育費は日本以上にかかる[57]。なお、高額な授業料の代わりに教育カリキュラムの充実した私立学校も多数存在する。また、エジプト国内に20万以上の小中学校、1,000万人以上の学生、13の主要大学、67の師範学校がある。
新アレクサンドリア図書館2018年より「エジプト日本学校(EJS=Egypt-Japan School)」が35校、開校した[60][61]。これは2017年にJICAが技術協力「学びの質向上のための環境整備プロジェクト」を開始したことに始まるもので、日本の学校教育で行われている学級会や生徒による清掃などをエジプトの教育に取り入れようとする教育方針である[62]。試験的に導入した際には文化的な違いから反発も見受けられたが、校内での暴力が減った、子供が家でも掃除をするようになったなど、徐々に成果が見えるようになり本格的に導入されることになった[63][64]。
2005年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は71.4%(男性:83%、女性:59.4%)である[55]。2006年にはGDPの4.2%が教育に支出された[55]。
主な高等教育機関としては、アル=アズハル大学、吉村作治や小池百合子らが出身のカイロ大学(1908年~)などが存在する。
国立図書館として新アレクサンドリア図書館が存在する。
エジプトは、失業率が高い低中所得国である。2011年1月と2013年6月の政変に伴い、社会・治安状況が不安定化したものの2014年6月からアッ=シーシー大統領の就任以後、政治プロセスの進展と共に治安対策が強化され、国内情勢は安定を取り戻しつつある。だが、政府によるエジプトの経済を促進する為の努力が現在も続けられている状態にも拘らず、国民の32.5%は極度の貧困の中で生活している[65]。
一方、カイロを含む各地で発生していたデモ及びそれに伴う衝突事案が減少している事が明らかにされているが、テロ事件の発生頻度は高めとなっている侭である。テロは主に現地警察や教会・モスクを狙ったものが多いが観光地でも死傷者の出る事件が起きており、十分な注意が必要とされている。
人権団体の報告によれば、2020年1月の時点でエジプトには約60,000人の政治犯が収容されているとの調査結果がある[66]。
アレクサンドリア在住のハーリド・サイードは、2010年6月6日午後11時過ぎ、自宅近くのインターネットカフェにいたところを突然2人の私服警官に取り押さえられ、殴る蹴るの暴行を受けた。集まった群衆の中にいた医師がハーリドの死亡を確認した。
警官の暴行によってあごを割られ、後頭部から出血したことが死因であると遺族は主張した。12日、エジプトの内務省は「強盗容疑などで指名手配中」というハーリドを地元警察の捜査員が発見し逮捕しようとしたが、麻薬入りの袋を飲み込み窒息死したとした上で、「自殺」と断定した。これに対して地元メディアが「当局の人権弾圧の象徴」として大々的に報道したことに加え、地元NGOや国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも徹底調査を要請。これを受けて、検察当局は遺体解剖の手続をとるなど、再捜査を開始した[67]。
エジプトのメディアは、エジプト国内およびアラブ世界で非常に強い影響力を保持している。これは、エジプトのテレビ関連業界や映画業界ならび大勢の視聴者がアラブ世界へ供給している為であり、それらが歴史的に長い事も起因している[68]。
またエジプトでは報道法や出版法およびエジプト刑法に基づき、報道機関を規制ならび統制している現状がある。
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- ^ エジプト:青年の死が波紋…警察の暴力か逮捕時の事故か[リンク切れ]
- ^ Egypt profile - Media 2018年10月23日 BBC News
- ^ エジプト大使館 「エジプト料理」
- ^ “Tottenham 0-2 Liverpool: Mo Salah and Divock Origi goals hand Liverpool sixth European crown”. SKY (2019年6月2日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ “サラー、エジプト大統領選で驚きの「2位」。絶大な人気で100万票獲得”. フットボールチャンネル (2018年3月31日). 2018年4月11日閲覧。