ドゥラ・エウロポス のシナゴーグ から出土 しゅつど した3世紀 せいき 頃 ごろ の壁画 へきが 。モーセがナイル川 がわ から拾 ひろ われる場面 ばめん を描 えが いている。
『旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 』の『出 いずる エジプト記 き 』によれば、モーセはイスラエル人 じん (ここではヘブライ人 じん と同 おな じ意味 いみ )のレビ族 ぞく の父 ちち アムラムと、アムラムにとって叔母 おば にあたる母 はは ヨケベド との間 あいだ に生 う まれ、兄 あに アロン と姉 あね ミリアム がいた[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。モーセが生 う まれた当時 とうじ 、ヘブライ人 じん が増 ふ えすぎることを懸念 けねん したファラオはヘブライ人 じん の男児 だんじ を殺 ころ すよう命令 めいれい した[ 3] 。出生 しゅっしょう 後 ご しばらく隠 かく して育 そだ てられたが、やがて隠 かく し切 き れなくなり、パピルス のかご に乗 の せてナイル川 がわ に流 なが された。たまたま水浴 みずあ びしていたファラオの王女 おうじょ が彼 かれ を拾 ひろ い、水 みず からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語 ご で「引 ひ き上 あ げる」の意味 いみ )にちなんで「モーセ」と名 な づけた[ 注釈 ちゅうしゃく 2] 。モーセの姉 あね の機転 きてん で、実 み の母親 ははおや が乳母 うば として王女 おうじょ に雇 やと われることになった[ 4] 。
成長 せいちょう したモーセは、あるとき同胞 どうほう であるヘブライ人 じん がエジプト人 じん に虐待 ぎゃくたい されているのを見 み て、ヘブライ人 じん を助 す けようとしたが、はからずもエジプト人 じん を殺害 さつがい してしまう。これが発覚 はっかく し、ファラオに命 いのち を狙 ねら われたモーセは逃 のが れてミディアンの地 ち (アラビア半島 はんとう )に住 す んだ。ミディアンではツィポラ という羊 ひつじ 飼 か いの女性 じょせい と結婚 けっこん [ 注釈 ちゅうしゃく 3] し、羊 ひつじ 飼 か いとして暮 く らしていたが、ある日 ひ 「燃 も える柴 しば 」のなかから神 かみ に語 かた り掛 か けられ、イスラエル人 じん を約束 やくそく の地 ち (聖書 せいしょ 中 ちゅう では「乳 ちち と蜜 みつ の流 なが れる地 ち 」と言 い われている現在 げんざい のパレスチナ 周辺 しゅうへん )へと導 みちび く使命 しめい を受 う ける。神 かみ は、みずからを「わたしはある者 もの 」と名乗 なの り[ 5] 、イスラエルの民 みん は代々 だいだい יהוה(ヤハウェ)という名前 なまえ で呼 よ ぶようにと言 い った。
モーセはイスラエル人 じん から『יהוה(ヤハウェ)はあなたに現 あらわ れなかった』と言 い われた場合 ばあい (つまり、預言 よげん 者 しゃ であることに疑義 ぎぎ をとなえられた場合 ばあい )に備 そな え、3つのしるしを与 あた えられた、とされる。「杖 つえ が蛇 へび になる」「手 て が癩病 らいびょう (レプラ)で雪 ゆき のように白 しろ くなる[ 注釈 ちゅうしゃく 4] 」「ナイル川 がわ の水 みず が血 ち に変 か わる」である[ 6] [ 7] 。
『十戒 じっかい の石板 せきばん を破壊 はかい するモーセ 』(レンブラント の絵画 かいが )。
エジプトに戻 もど ったモーセは兄 あに アロンとともにファラオに会 あ いヘブライ人 じん 退去 たいきょ の許 ゆる しを求 もと め、前述 ぜんじゅつ のしるしの1つ「杖 つえ が蛇 へび になる[ 注釈 ちゅうしゃく 5] 」を使 つか って自分 じぶん の杖 つえ を蛇 へび にして見 み せたが、ファラオの配下 はいか の魔術 まじゅつ 師 し たちもその程度 ていど はできたのでファラオは驚 おどろ かず、アロンの杖 つえ の蛇 へび が他 た の蛇 へび を食 く ってしまったことで一応 いちおう 勝 か ったものの、ファラオは拒絶 きょぜつ し、許可 きょか を出 だ さなかった。
そのためモーセは次 つぎ のしるし「ナイル川 がわ の水 みず が血 ち に変 か わる」を使 つか い、これを始 はじ めに十 じゅう の災 わざわ い がエジプトにくだり、最後 さいご にはファラオの息子 むすこ を含 ふく めてすべてのエジプトの初子 はつね が無 む 差別 さべつ に殺害 さつがい された[ 8] 。ファラオはここにいたってヘブライ人 じん たちがエジプトから出 で ることを認 みと めた。エジプト出発 しゅっぱつ の夜 よる 、人々 ひとびと は神 かみ の指示 しじ 通 どお り、子羊 こひつじ の肉 にく と酵母 こうぼ を入 い れないパン(「タネなしパン 」(マッツァー ))を食 た べた。神 かみ はこの出来事 できごと を記念 きねん として行 おこな うよう命 めい じた[ 9] (これが今 いま もユダヤ教徒 きょうと が祝 いわ う「過 か 越 えつ 祭 まつり 」の起源 きげん であり、聖書 せいしょ ではイエスの十字架 じゅうじか 上 じょう の死 し の予兆 よちょう とされる)。ヘブライ人 じん がエジプトを出 で ると、ファラオは心変 こころが わりして戦車 せんしゃ と騎兵 きへい からなる軍勢 ぐんぜい を差 さ し向 む けた。葦 あし の海 うみ に追 お い詰 つ められ、絶体絶命 ぜったいぜつめい の状況 じょうきょう に陥 おちい った。これに対 たい し、奴隷 どれい 的 てき な状態 じょうたい のままであってもエジプトにいた方 ほう がよかったと不平 ふへい をもらす者 もの もいたが、モーセが手 て にもっていた杖 つえ を振 ふ り上 あ げると、葦 あし の海 うみ で水 みず が割 わ れたため、イスラエル人 じん たちは渡 わた ることができた、とされ、しかし後 ご を追 お って葦 あし の海 うみ を渡 わた ろうとしたファラオの軍勢 ぐんぜい は海 うみ に沈 しず んだ、とされる[ 10] 。
その後 ご 、モーセは民 みん と共 とも に苦 くる しい荒 あ れ野 の の旅 たび を続 つづ ける。人々 ひとびと は水 みず や食 た べ物 もの のことでしばしばモーセに不平 ふへい をいい、モーセはそのたびに水 みず や食 た べ物 もの を与 あた えて神 かみ の力 ちから を示 しめ した。このとき、神 かみ から与 あた えられたとされる、荒野 あらの で夜毎 よごと に現 あらわ れる、まるで蜜 みつ 入 い りのウェファースのような味 あじ の白 しろ い(謎 なぞ の)食料 しょくりょう を食 た べて民 みん たちはしのぎ、人々 ひとびと はその(謎 なぞ の)食料 しょくりょう を「マナ 」と呼 よ んだ[ 11] 、とされる。やがて人々 ひとびと がシナイ山 さん に近 ちか づくと、יהוה(ヤハウェ)が山上 さんじょう に現 あらわ れ、モーセは山 やま に登 のぼ って十戒 じっかい を受 う けた[ 12] 、とされる。さらに神 かみ はヘブライ人 じん と契約 けいやく を交 か わした、とも[ 13] 。『出 いずる エジプト記 き 』のモーセに関 かん する記述 きじゅつ はこれで終 お わり、後半 こうはん 部 ぶ (20章 しょう ~40章 しょう )は守 まも るべき掟 おきて と儀式 ぎしき に関 かん する詳細 しょうさい な規定 きてい の記述 きじゅつ に費 つい やされている。
続 つづ く『レビ記 き 』『民 みん 数 すう 記 き 』『申 さる 命 いのち 記 き 』ではさらに詳細 しょうさい な律 りつ 法 ほう の内容 ないよう が語 かた られ、その合間 あいま にモーセの生涯 しょうがい とヘブライ人 じん たちの歩 あゆ みとについて記 しる している。申 さる 命 いのち 記 き 27章 しょう 等 とう によれば、モーセは12支族 しぞく に命 めい じてイスラエルの民 みん に既存 きそん の偶像 ぐうぞう を廃棄 はいき させ、ユダヤ教 きょう を広 ひろ めて十 じゅう 分 ぶん の一 いち 税 ぜい を課 か した。
また、モーセは石版 せきばん を入 い れた『契約 けいやく の箱 はこ 』を先頭 せんとう にシナイ山 さん を出発 しゅっぱつ し[ 14] 、約束 やくそく の国 くに を目指 めざ してカナンを進 すす んだ。その途上 とじょう では不平 ふへい を言 い う民 みん がいたり、モーセとアロンへの反逆 はんぎゃく が行 おこな われたり[ 15] [ 16] [ 17] したため、その行為 こうい を行 おこな った民 みん を罰 ばっ する為 ため に神 かみ が炎 ほのお の蛇 へび を送 おく り、多 おお くの死者 ししゃ が出 で たりもした。民 みん はモーセに謝罪 しゃざい 、懇願 こんがん し、それをみた神 かみ がモーセに青銅 せいどう の蛇 へび を示 しめ して民 みん を救 すく った出来事 できごと などがあった[ 18] 。人々 ひとびと はカナンの人々 ひとびと と戦 たたか いを繰 く り返 かえ し、アモリ人 じん らを撃 う ち、全 ぜん 軍 ぐん を滅 ほろ ぼした[ 19] 。さらにミディアン人 じん たちを撃 う つなど戦 たたか いを続 つづ けた[ 20] 。
モーセ五 ご 書 しょ の最終巻 さいしゅうかん にあたる『申 さる 命 いのち 記 き 』ではモーセの最期 さいご が描 えが かれている。メリバの泉 いずみ で岩 いわ を打 う って水 みず を出 だ し[ 21] 、その後 ご にもう一度 いちど 水不足 みずぶそく が訪 おとず れたときに岩 いわ に命 めい じるようにとの命令 めいれい であったのにもう一度 いちど 岩 いわ を打 う ったため[ 22] 、約束 やくそく の国 くに に入 はい ることを許 ゆる されず[ 23] 、ヨルダン川 よるだんがわ の手前 てまえ でピスガの頂 いただき ネボ に登 のぼ り、約束 やくそく された国 くに を目 め にしながらこの世 よ を去 さ った。120歳 さい であった[ 24] 。モーセはモアブの谷 たに に葬 ほうむ られたが、その場所 ばしょ は誰 だれ も知 し らないとされている[ 25] 。
モーセの死後 しご 、その従者 じゅうしゃ であったヌンの子 こ ヨシュア 《יהוה(ヤハウェ)は救 すく いの意味 いみ 》が後継 こうけい 者 しゃ となり、יהוה(ヤハウェ)の民 みん を導 みちび いた[ 注釈 ちゅうしゃく 6] 。
手 て に杖 つえ をもつムーサー(モーセ)(15世紀 せいき ペルシア の細密 さいみつ 画 が )。
『クルアーン 』(コーラン)ではアラビア語 ご でムーサー (موسى Mūsā) と呼 よ ばれる。イスラム教 いすらむきょう の聖典 せいてん 『クルアーン』では、モーセすなわちムーサーは過去 かこ の預言 よげん 者 しゃ のひとりにして、ユダヤ教徒 きょうと の共同 きょうどう 体 たい に神 かみ (アッラーフ )から使 つか わされた使徒 しと として登場 とうじょう する。ムーサーは『クルアーン』においてムハンマドを除 のぞ く諸 しょ 預言 よげん 者 しゃ の中 なか では最 もっと も偉大 いだい [要 よう 出典 しゅってん ] な預言 よげん 者 しゃ であるとみなされており、ムスリム (イスラム教徒 きょうと )はムーサーを「神 かみ と語 かた る者 もの (カリームッラーフ)」と尊称 そんしょう する[ 26] 。
ムーサーの名 な は『クルアーン』中 ちゅう において非常 ひじょう に多 おお くの個所 かしょ で言及 げんきゅう され、特 とく に、第 だい 28章 あきら である「物語 ものがたり (アル・カサス) 」は全編 ぜんぺん がムーサーの物語 ものがたり になっている。『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトで生 う まれ育 そだ ち、のちに「聖 せい なる谷 たに 」で神 かみ の声 こえ を聞 き いて預言 よげん 者 しゃ となった。また、兄 あに ハールーン(アロン)もムーサーを補佐 ほさ するための預言 よげん 者 しゃ とされる。ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一 ゆいいつ なる神 かみ を信仰 しんこう するよう求 もと め、神 かみ の偉大 いだい さを伝 つた えるために杖 つえ を蛇 へび に変 か えるなどの奇蹟 きせき を示 しめ すが、ファラオに拒絶 きょぜつ されたためにイスラエルの民 みん を連 つ れてエジプトを離 はな れた。出 いで エジプト物語 ものがたり は『聖書 せいしょ 』と基本 きほん 的 てき に同 おな じであり、シナイ山 さん (アラビア語 ご ではムーサー山 やま と呼 よ ばれる)で、ユダヤ教徒 きょうと に対 たい して与 あた えられた啓 けい 典 てん であるトーラー(律 りつ 法 ほう )を神 かみ から授 さず かったという。
クルアーンのムーサーの物語 ものがたり では、ユダヤ教徒 きょうと たちがムーサーの言 い うことを聞 き かず、時 とき に偶像 ぐうぞう をあがめたことについて非常 ひじょう に詳細 しょうさい に言及 げんきゅう されており、このようなクルアーンの、正 ただ しい神 かみ に選 えら ばれた使徒 しと ムーサーに従 したが わないユダヤ教徒 きょうと に対 たい する批判 ひはん 的 てき な言及 げんきゅう が、歴史 れきし 的 てき なムスリムによるユダヤ教徒 きょうと に対 たい する差別 さべつ 心 しん 、敵意 てきい の原因 げんいん のひとつとなったと指摘 してき されることも多 おお い。
ムーサーはイスラム教 いすらむきょう においてノア (ヌーフ)、アブラハム (イブラーヒーム)イエス (イーサー)、ムハンマド と共 とも に五大 ごだい 預言 よげん 者 しゃ のうちの一人 ひとり とされる[ 27] 。また、ムーサーという名 な はムスリムに好 この まれる男性 だんせい 名 めい のひとつとなっている[ 28] 。
クルアーンには上記 じょうき のような、基本 きほん 的 てき には聖書 せいしょ と同一 どういつ の記載 きさい だけでなく、ユダヤ・キリスト教 きりすときょう には全 まった く類似 るいじ の話 はなし のない、クルアーンのみに書 か かれたムーサーの記述 きじゅつ も存在 そんざい する[ 29] 。クルアーンのみに記載 きさい のあるものとして、第 だい 18章 しょう である洞窟 どうくつ (アル・カハフ) には、ムーサーが従者 じゅうしゃ を連 つ れ賢者 けんじゃ アル・ハディル(アル・ヒドゥル)に会 あ いに行 い き、彼 かれ の行動 こうどう を通 とお して神 かみ の摂理 せつり を知 し る物語 ものがたり がある[ 26] [ 30] 。
『創世 そうせい 記 き 』からはじまって、『出 いずる エジプト記 き 』『レビ記 き 』『民 みん 数 すう 記 き 』『申 さる 命 いのち 記 き 』までの『ヘブライ聖書 せいしょ 』(キリスト教 きょう では『旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ 』)の最初 さいしょ の五 ご 書 しょ は、総称 そうしょう して「モーセ五 ご 書 しょ 」と呼 よ ばれてきた。新約 しんやく 聖書 せいしょ にイエス・キリストがモーセを聖書 せいしょ 記者 きしゃ として言及 げんきゅう している聖 ひじり 句 く があり、聖書 せいしょ 信仰 しんこう に立 た つ福音 ふくいん 派 は の教会 きょうかい ではモーセをモーセ五 ご 書 しょ の記者 きしゃ として認 みと めている[ 31] [ 32] 。
これらは聖書 せいしょ 自身 じしん の記述 きじゅつ と古代 こだい からの伝承 でんしょう によってモーセの手 て によるものとされてきたが、ユリウス・ヴェルハウゼン らの文書 ぶんしょ 仮説 かせつ を支持 しじ するものはそれに反対 はんたい する。福音 ふくいん 派 は にはこれらの主張 しゅちょう を「信仰 しんこう の敵 てき 」と呼 よ ぶものもいる[ 33] 。「モーセ五 ご 書 しょ 」の別称 べっしょう は「トーラー」であり、日本語 にほんご 訳 やく では「律 りつ 法 ほう 」とされることが多 おお い。トーラーの原義 げんぎ は「指針 ししん 」ないし「方針 ほうしん 」である[ 34] 。
モーセの性格 せいかく として不 ふ 寛容 かんよう と無慈悲 むじひ の側面 そくめん も指摘 してき される。例 たと えば『民 みん 数 すう 記 き 』31章 しょう にはよればイスラエル人 じん がミデヤン人 じん を滅 ほろ ぼし男 おとこ を虐殺 ぎゃくさつ したとき、兵士 へいし たちがミデヤンの民 みん に慈悲 じひ を示 しめ し、子 こ どもと寡婦 かふ を生 い かして連 つ れてきたことにモーセは怒 いか り、男児 だんじ と男 おとこ を知 し った女 おんな を殺 ころ すことを命 めい じ、処女 しょじょ の娘 むすめ たちを兵士 へいし に報酬 ほうしゅう として分 わ け与 あた えている[ 35] [ 36] [ 注釈 ちゅうしゃく 7] 。2014年 ねん ISIL (イスラム国 こく )が奴隷 どれい 制度 せいど を復活 ふっかつ し、占領 せんりょう 地 ち の女性 じょせい を兵士 へいし たちに報酬 ほうしゅう として与 あた えたとき、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の記述 きじゅつ が正当 せいとう 性 せい の根拠 こんきょ として用 もち いられている[ 37] 。
フラウィウス・ヨセフス の『ユダヤ古代 こだい 誌 し 』第 だい II巻 まき 第 だい X章 しょう では、出 いで エジプト記 き の第 だい 2章 しょう 10節 せつ と11節 せつ [ 注釈 ちゅうしゃく 8] の間 あいだ 付近 ふきん に入 はい るエピソードとして「モーセはエジプト軍 ぐん の指揮 しき 官 かん としてエチオピア攻略 こうりゃく で活躍 かつやく し、彼 かれ の強 つよ さを認 みと めたエチオピアの王女 おうじょ タルビスは和平 わへい 交渉 こうしょう をして彼 かれ の妻 つま となった。」というものが書 か かれている。
モーセの実在 じつざい と出 で エジプト の物語 ものがたり の信憑 しんぴょう 性 せい は、考古学 こうこがく 的 てき 知見 ちけん 、歴史 れきし 的 てき 知見 ちけん 、紅海 こうかい の海底 かいてい 調査 ちょうさ の結果 けっか [ 38] 、カナン 文化 ぶんか における関連 かんれん する起源 きげん 神話 しんわ などから考古 こうこ 学者 がくしゃ およびエジプト学者 がくしゃ 、聖書 せいしょ 批評 ひひょう 学 がく 者 もの の間 あいだ では疑問 ぎもん 視 し する人々 ひとびと が多 おお い[ 39] [ 40] [ 41] 。その他 た の歴史 れきし 学者 がくしゃ は、モーセに帰 かえ せられる伝記 でんき の詳 しょう 細 ほそ さとエジプトの背景 はいけい は、青銅器 せいどうき 時代 じだい の終 お わりに向 む かうカナン におけるヘブライ 部族 ぶぞく の統合 とうごう に関 かか わった歴史 れきし 的 てき 、政治 せいじ 的 てき 、宗教 しゅうきょう 的 てき 指導 しどう 者 しゃ が実在 じつざい したことを暗示 あんじ していると擁護 ようご している。
エジプト側 がわ に残 のこ るモーセに関 かん する物語 ものがたり と関連 かんれん するものとして、エジプトの神官 しんかん マネト による記録 きろく のヨセフス の引用 いんよう がある。それによれば、アメンホテプ3世 せい が地 ち を清 きよ めるためにと皮膚 ひふ 病 びょう 患者 かんじゃ を隔離 かくり した際 さい 、オサルシフォス (英語 えいご 版 ばん ) (Osarseph)[ 42] というヘリオポリス の祭司 さいし が皮膚 ひふ 病 びょう 患者 かんじゃ の一団 いちだん の監督 かんとく 者 しゃ となった。皮膚 ひふ 病 びょう 患者 かんじゃ たちはかつてのヒクソス が首都 しゅと を置 お いたアヴァリス (英語 えいご 版 ばん ) に収容 しゅうよう され、オサルシフォスはエジプトで禁 きん じられているあらゆることを指示 しじ し、エジプトで許 ゆる されているあらゆることを禁 きん じた。さらにヒクソスを国 くに に引 ひ き入 い れてエジプトを再 さい 征服 せいふく し、13年間 ねんかん 彼 かれ らと統治 とうち した。最終 さいしゅう 的 てき にエジプトの地 ち を追 お い出 だ されるが、オサルシフォスはモーセの名 な を名乗 なの る[ 43] 。
この物語 ものがたり は出 で エジプト記 き とは異 こと なっているが、いくつかの共通 きょうつう 点 てん があり、例 たと えば、エジプトに災 わざわ いをもたらすモーセという名 な の宗教 しゅうきょう 指導 しどう 者 しゃ が存在 そんざい したこと、エジプト北方 ほっぽう に勢力 せいりょく を持 も った西 にし アジア系 けい 移民 いみん が存在 そんざい したこと[ 44] 、その異分子 いぶんし はヘリオポリス (オン)の宗教 しゅうきょう 指導 しどう 者 しゃ と近 ちか しい関係 かんけい を築 きず いていたこと[ 45] 、皮膚 ひふ 病 びょう を利用 りよう したこと[ 46] 、エジプト人 じん と異 こと なる法 ほう を敷 し いたこと、そしてエジプトの地 ち から出 で たこと、などが挙 あ げられる。
なお、この話 はなし 自体 じたい はヨセフスの時代 じだい の頃 ころ それなりに広 ひろ まっていたものであるが、ヨセフス自身 じしん を含 ふく む大半 たいはん のユダヤ人 じん からはこれと結 むす びつけることはモーセを侮辱 ぶじょく するものだと考 かんが えられて[ 注釈 ちゅうしゃく 9] おり、前述 ぜんじゅつ のヨセフスの引用 いんよう (『アピオーンへの反論 はんろん 』第 だい 2章 しょう 229節 せつ )では引用 いんよう しつつも書 か き手 て のマネト(原文 げんぶん は「マネトーン」)たちにレプラ患者 かんじゃ と自分 じぶん たちの先祖 せんぞ を一緒 いっしょ にするなと反論 はんろん しており、別 べつ の著書 ちょしょ の『ユダヤ古代 こだい 誌 し 』(第 だい III巻 まき 11章 しょう 3-4節 せつ )ではレビ記 き 13章 しょう の記述 きじゅつ から引用 いんよう (一部 いちぶ 改竄 かいざん [ 注釈 ちゅうしゃく 10] )しつつも「レプラ患者 かんじゃ にこんなに厳 きび しく扱 あつか うモーセが患者 かんじゃ 自身 じしん であるはずがなかろう」という趣旨 しゅし の反論 はんろん をその後 ご にわざわざ書 か いている。
キリスト教 きりすときょう 美術 びじゅつ においてはモーセは通常 つうじょう 老人 ろうじん の姿 すがた に描 えが かれることが多 おお い。
中世 ちゅうせい ヨーロッパ美術 びじゅつ においては、ミケランジェロ の彫刻 ちょうこく やレンブラント の絵画 かいが にみられるごとく、モーセはしばしば角 かく のある姿 すがた で描 えが かれるが、この理由 りゆう には二 ふた つの説 せつ がある。一 ひと つは、ヴルガタ訳 やく の描写 びょうしゃ をもとにしたためだというものである(『出 いずる エジプト記 き 』 34:29-30, 35)。元来 がんらい 、ヘブライ語 ご には母音 ぼいん を表 あらわ す文字 もじ が存在 そんざい せず、ヘブライ語 ご で「角 かく 」を意味 いみ する語 かたり は「輝 かがや く」という意味 いみ にも解釈 かいしゃく 可能 かのう であり、現在 げんざい の『聖書 せいしょ 』翻訳 ほんやく では一般 いっぱん に後者 こうしゃ の意味 いみ で訳出 やくしゅつ されている。もう一 ひと つの説 せつ は、ヴルガータとは関係 かんけい なく、モーセの顔 かお が光 ひか り輝 かがや くのを角 かく のような形 かたち で表現 ひょうげん したというものである。フランスの美術 びじゅつ 史家 しか エミール・マール は後者 こうしゃ の説 せつ をとり、最初 さいしょ 典礼 てんれい 劇 げき でそのような表現 ひょうげん がなされたものが絵画 かいが や彫刻 ちょうこく にも影響 えいきょう を与 あた えたと考 かんが えている[ 47] 。一方 いっぽう 、日本 にっぽん の尾形 おがた 希 のぞみ 和子 かずこ は前者 ぜんしゃ の説 せつ をとりつつも、12世紀 せいき から13世紀 せいき のイングランド の教会 きょうかい 法 ほう 学者 がくしゃ ティルベリのゲルウァシウス (英語 えいご 版 ばん ) の著書 ちょしょ 中 ちゅう に「モーセの角 かく の生 は えた顔 かお とは、すなわち彼 かれ の顔 かお から輝 かがや く光 ひかり が出 で ていたから[ 48] [ 注釈 ちゅうしゃく 11] 」とあるのを紹介 しょうかい している。他 た の中世 ちゅうせい 人 じん の著作 ちょさく を見 み ると、クレルヴォーのベルナール 『雅 みやび 歌 か 講 こう 解 かい 』にも件 けん の場面 ばめん でモーセの顔 かお が光 ひか り輝 かがや いたということを前提 ぜんてい としている記述 きじゅつ がある[ 49] 。
聖書 せいしょ 学者 がくしゃ の関根 せきね 清三 せいぞう は著書 ちょしょ [ 50] において、そもそも出 で エジプト記 き の該当 がいとう 箇所 かしょ は「角 かく のある」と解釈 かいしゃく するのが正 ただ しいのだと主張 しゅちょう している。
「光 ひか り輝 かがや いている」と訳 やく したヘブライ語 ご はカーランという動詞 どうし で、用例 ようれい が「角 かく のある」という意味 いみ であることは確 たし かである。カーランはケレンという名詞 めいし の派生 はせい 語 ご と思 おも われるが、名詞 めいし の用例 ようれい はたくさんあって、その意味 いみ が「角 かく 」であることははっきりしており、牛 うし との関連 かんれん で使 つか われている詩篇 しへん の動詞 どうし 形 がた の意味 いみ も「角 かく のある」といったあたりに自 おの ずと定 さだ まるからである。
そこで出 で エジプト記 き の方 ほう のカーランも、旧約 きゅうやく のラテン語 らてんご 訳 やく ・ヴルガータではこれと呼応 こおう してcornutus(角 かく のある)と訳 やく しているのである。それに対 たい し、ギリシア語 ご 訳 やく ・セプトゥアギンタ(七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく )はdedoxastai(光 ひか り輝 かがや いた、栄光 えいこう 化 か された)と意訳 いやく した。
近代 きんだい の翻訳 ほんやく も日本語 にほんご 訳 やく を含 ふく め、「顔 かお の肌 はだ 」から角 かく が生 は えるというのはそれこそ面妖 めんよう であるので、みなセプトゥアギンタの方 ほう にしたがっているのである。
なお、牛 うし や山羊 やぎ や羊 ひつじ や鹿 しか などの角 かく は「豊穣 ほうじょう =富 とみ と子孫 しそん 繁栄 はんえい の象徴 しょうちょう 」であり、(ギョベクリ・テペ の遺跡 いせき などから推測 すいそく されるに、おそらく紀元前 きげんぜん 1万 まん 年 ねん の)太古 たいこ より、ユーラシア大陸 たいりく の各地 かくち に、豊穣 ほうじょう 神 しん たる「角 かく を生 は やした(主 おも に牛 うし の)神 かみ 、有 ゆう 角 かく 神 しん 」への信仰 しんこう があり、儀式 ぎしき の際 さい に角 かく の被 かぶ り物 もの をするなど、カーランを「角 かく のある」と解釈 かいしゃく することは、むしろ正統 せいとう な発想 はっそう である。異形 いぎょう なる角 かく は、善 ぜん (神 かみ )であれ悪 あく (悪魔 あくま )であれ、人 ひと を超 こ えた神聖 しんせい な存在 そんざい 、権威 けんい ある者 もの 、であることを示 しめ す表現 ひょうげん 方法 ほうほう なのである。
問題 もんだい の個所 かしょ [ 51] のヘブライ語 ご 原文 げんぶん は“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav)のたった三 さん 語 ご であり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:角 かく が出 で た)、“עֹ֥ור”(owr:オール:皮 かわ )、“פָּנָ֖יו”(panav:パナヴ:彼 かれ の顔 かお )である。直訳 ちょくやく は「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」である。
七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ では“δεδόξασται ἡ ὄψις τ たう ο おみくろん ῦ χρώματος τ たう ο おみくろん ῦ προσώπου ”「自分 じぶん の顔 かお が栄光 えいこう に輝 かがや いていた」[ 52] と訳 やく している。(直訳 ちょくやく は「彼 かれ の顔 かお の色 いろ の状態 じょうたい が栄誉 えいよ となった」である)
七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ では上記 じょうき の通 とお りヘブライ語 ご 原文 げんぶん にはあるはずの“ע֥וֹר ”(owr:オール:皮 かわ )が見 み られず、「色 いろ の様子 ようす 」となり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:角 かく が出 で た)は「栄誉 えいよ となった」、「誉 ほまれ (ほまれ)となった」と訳 やく されている。(実 じつ はヘブライ語 ご の「角 かく が出 で る」を、ギリシャ語 ご でも「輝 かがや く」とは訳 やく していないのが分 わ かる)
ヘブライ語 ご 聖書 せいしょ (マソラ本文 ほんぶん )と七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ に共通 きょうつう に記載 きさい がある1単語 たんご “פָּנָ֖יו”(panav:パナヴ:彼 かれ の顔 かお )“προσώπου α あるふぁ ὐτ たう ο おみくろん ῦ”を除 のぞ けば、残 のこ るはヘブライ語 ご は2単語 たんご 、“קָרַ֛ן ע֥וֹר”(karan owr:カラン オール:「皮 かわ 、角 かく が出 で た」)となり、これが“δεδόξασται ἡ ὄψις τ たう ο おみくろん ῦ χρώματος ”「栄光 えいこう に輝 かがや いていた」[ 52] と訳 やく されていると整理 せいり できる。このギリシャ語 ご 訳 やく の“δεδόξασται”(dedoxastai:デドクサスタイ)は、本来 ほんらい ヘブライ語 ご の“כָּבֵד”(kabed:重 おも くなる。重 おも んじる。尊 とうと ぶ。栄誉 えいよ となる)[ 53] の訳語 やくご として使 つか われる単語 たんご [ 54] であり、「栄誉 えいよ となる」までは良 よ いが「物理 ぶつり 的 てき に光 ひか る」という意味 いみ では本来 ほんらい ギリシャ語 ご としても使 つか われない単語 たんご である。そもそも日本語 にほんご の「栄光 えいこう 」も物理 ぶつり 的 てき に「輝 かがや く」という意味 いみ は本来 ほんらい ない。
ところでヘブライ語 ご 原文 げんぶん から「彼 かれ の顔 かお が輝 かがや いていた」や「彼 かれ の顔 かお が栄光 えいこう に輝 かがや いていた」と読 よ むのは簡単 かんたん であり“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav:カラン オール パナヴ)「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」と普通 ふつう に「音読 おんどく 」すると、文脈 ぶんみゃく から同 おな じ発音 はつおん の“קָרַ֛ן א֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav:カラン オール パナヴ)「彼 かれ の顔 かお 、光 ひかり 、角 かく が出 で た」や「彼 かれ の顔 かお 、輝 かがや き、抜 ぬ きん出 で ていた(突出 とっしゅつ している)」と聞 き こえる。つまり自然 しぜん に「皮 かわ 」という単語 たんご が「光 ひかり 」や「輝 かがや き」に聞 き こえるためである(וֹ : holam on vavの発音 はつおん はオ)。
これは“עוֹר”(owr:オール:皮 かわ )と“אוֹר”(owr:オール:光 ひかり )の両者 りょうしゃ とも3人称 にんしょう 男性 だんせい 単数 たんすう 名詞 めいし で、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:角 かく が出 で た)もパアル態 たい 完了 かんりょう 形 がた 3人称 にんしょう 男性 だんせい 単数 たんすう 形 がた であり、動詞 どうし との性 せい 数 すう が一致 いっち しているためである[ 55] [ 56] 。文字 もじ を見 み なければどちらかは分 わ からない。原文 げんぶん にある“עוֹר”(owr:オール:皮 かわ )はヘブライ語 ご 聖書 せいしょ の中 なか では99回 かい 使用 しよう され、動物 どうぶつ の「皮 かわ 」という意味 いみ で使 つか われる一般 いっぱん 的 てき な単語 たんご であるが[ 57] [ 58] 、同音 どうおん として聞 き こえる“אוֹר”(owr:オール:光 ひかり )の方 ほう も創世 そうせい 記 き 1:3の“יְהִ֣י א֑וֹר”(yehi owr:イェヒー オール:「光 ひかり あれ」)でも使 つか われる更 さら に一般 いっぱん 的 てき な単語 たんご (165回 かい )である。
つまりヘブライ語 ご で「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」と「彼 かれ の顔 かお 、光 ひかり 、角 かく が出 で た」、「彼 かれ の顔 かお 、輝 かがや き、抜 ぬ きん出 で ている(突出 とっしゅつ している)」という「音 おと 」は、どれも(karan owr panav:カラン オール パナヴ)で同 おな じである。著者 ちょしゃ が修辞 しゅうじ 学 がく 的 てき な技法 ぎほう として意図 いと 的 てき に両方 りょうほう の意味 いみ を持 も たせた「掛詞 かけことば (かけことば)」であった可能 かのう 性 せい も否定 ひてい できないが、但 ただ し原文 げんぶん は「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」である。一方 いっぽう でシナゴーグなどの朗読 ろうどく で聴衆 ちょうしゅう が音 おと として聞 き こえてしまう方 ほう の主 しゅ たる意味 いみ は、使用 しよう 頻度 ひんど からは統計 とうけい 学 がく 上 じょう 「皮 かわ /肌 はだ :owr(99回 かい )」ではなく「光 ひかり /輝 かがや き:owr(165回 かい )」となってしまい「光 ひかり 、角 かく が出 で た」や「光 ひかり 、突出 とっしゅつ してた」であるため、かなり分 わ かりやすい「掛詞 かけことば (かけことば)」であった可能 かのう 性 せい は否 いな めない。但 ただ し“קָרַ֛ן”(karan)自体 じたい は「角 かく が出 で る」の意味 いみ のままであることが分 わ かる。
この七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ のこの個所 かしょ 、“ע֥וֹר ”(owr:オール:皮膚 ひふ )付 づけ の“קָרַן”(karan:カラン:角 かく が出 で る)の翻訳 ほんやく 例 れい を根拠 こんきょ として現代 げんだい の訳語 やくご 「輝 かがや く」が成立 せいりつ しているが、当 とう の七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ でも「物理 ぶつり 的 てき に輝 かがや く」と訳 やく しているかといえば上記 じょうき の通 とお り実 じつ はそうでもない(直訳 ちょくやく は「彼 かれ の顔 かお の色 いろ の状態 じょうたい が栄誉 えいよ となった」である)。このような用例 ようれい は、七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ のこの個所 かしょ からくる例外 れいがい 的 てき で伝統 でんとう 的 てき な訳 わけ として辞書 じしょ に掲載 けいさい されているものの[ 59] 、ヘブライ語 ご 聖書 せいしょ 全体 ぜんたい で94個 こ 所 しょ 使用 しよう されている“קרן”(karan:カラン:角 かく が出 で る)が「輝 かがや く」と訳 やく される場合 ばあい があるのは、ユダヤ教 きょう 側 がわ としては“עוֹר”(owr:オール:皮 かわ )を伴 ともな うこの個所 かしょ だけとされている。[ 60] つまり“אוֹר”(owr:オール:光 ひかり )と同音 どうおん の“עוֹר”(owr:オール:皮 かわ )を伴 ともな った熟語 じゅくご の場合 ばあい のみに限定 げんてい される。
つまりこのことから“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav)「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ (owr)、角 かく が出 で る」を「彼 かれ の顔 かお の肌 はだ (皮 かわ :owr)が栄光 えいこう に輝 かがや いていた(karan owr)」や、「彼 かれ の顔 かお の肌 はだ (皮 かわ :owr) が輝 かがや いた(karan owr)」としてしまい、「肌 はだ (皮 かわ ):owr」と「輝 かがや き:owr」の両方 りょうほう を用 もち いてこの個所 かしょ を再帰 さいき 的 てき に訳 やく してしまうと、「owr」が冗長 じょうちょう に訳 やく されてしまう可能 かのう 性 せい があり、この訳 わけ は本来 ほんらい は適切 てきせつ な翻訳 ほんやく ではない可能 かのう 性 せい がある。証拠 しょうこ に上記 じょうき は七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ の用例 ようれい を根拠 こんきょ に翻訳 ほんやく したはずが、七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ の訳 わけ と異 こと なる結果 けっか となっている。七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ の用例 ようれい を根拠 こんきょ にして“קָרַ֛ן”(karan:カラン:角 かく が出 で た)を「輝 かがや く」や「栄光 えいこう に輝 かがや く」と訳 やく すのであれば、正確 せいかく にはこの個所 かしょ は「皮 かわ :owr」を消 け し、単 たん に「彼 かれ の顔 かお が栄光 えいこう に輝 かがや いていた」[ 52] とするか、「皮 かわ :owr」の訳 わけ を入 い れるのであれば「輝 かがや く」ではなくて「角 かく が出 で た」(ウルガータ訳 やく “cornuta esset”3単 たん 接 せっ 未完 みかん 過 か )とするかであり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:角 かく が出 で た)の訳語 やくご の成立 せいりつ 過程 かてい からして、ヘブライ語 ご からの翻訳 ほんやく は正確 せいかく には本来 ほんらい はそのどちらかになる。
ではどちらに訳 やく したら正 ただ しいのかということになるが、もし著者 ちょしゃ がこの個所 かしょ を「掛詞 かけことば (かけことば)」を意図 いと していたとする場合 ばあい は、使用 しよう された言語 げんご 以外 いがい の言語 げんご で「掛詞 かけことば (かけことば」を正確 せいかく に訳 やく すのは困難 こんなん であり、翻訳 ほんやく 者 しゃ はどちらかの意味 いみ を選択 せんたく して訳 やく しても、誤訳 ごやく の指摘 してき を免 まぬか れない可能 かのう 性 せい があるということになる。この場合 ばあい 、どちらが正 ただ しいか、間違 まちが っているかの議論 ぎろん はあまり意味 いみ がない。この部分 ぶぶん の原文 げんぶん ヘブライ語 ご の面白 おもしろ さを、説明 せつめい 的 てき に訳 やく したところで、今度 こんど はそれは翻訳 ほんやく の域 いき を出 で てしまうということになる。
ところで七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ の翻訳 ほんやく 者 しゃ が、「皮 かわ 、角 かく が出 で た」ではなく「栄光 えいこう に輝 かがや いた」と翻訳 ほんやく した事 こと の理由 りゆう は明確 めいかく である。皮 かわ に角 かく が出 で る皮膚 ひふ 病 びょう は良 よ く知 し られており(老人 ろうじん 性 せい 角 かく 化 か 症 しょう 、日光 にっこう 性 せい 角 かく 化 か 症 しょう 、脂 あぶら 漏 も 性 せい 角 かく 化 か 症 しょう 、角 かく 化 か 型 がた 疥癬 かいせん など)、肌 はだ の角質 かくしつ が増殖 ぞうしょく する症状 しょうじょう である。七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ は本来 ほんらい プトレマイオス2世 せい の命 いのち により、エジプトの反 はん ユダヤ的 てき な歴史 れきし 家 か マネトンへの反論 はんろん の機会 きかい が与 あた えられて翻訳 ほんやく されたものであり、モーセが皮膚 ひふ 病 びょう になったと言 い う個所 かしょ を全 すべ て、あくまでもヘレニズム社会 しゃかい に向 む けて誤解 ごかい が無 な い表記 ひょうき に変 か える目的 もくてき があるため、出 いで エジプト記 き 4:6の翻訳 ほんやく 例 れい に準拠 じゅんきょ して翻訳 ほんやく しているだけである。出 いで エジプト記 き 4:6では顔 かお ではなくモーセの「手 て 」が「重 おも い皮膚 ひふ 病 びょう になって雪 ゆき の様 よう に白 しろ くなっていた」[ 61] が原文 げんぶん だが、七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ ではモーセの「手 て 」が「雪 ゆき のようになった」[ 62] となり、同様 どうよう な手法 しゅほう で皮膚 ひふ に関 かん する訳 わけ が消 け され「輝 かがや く物 もの 」として訳 やく されている。[ 63] [ 64]
角 かく 化 か 症 しょう の中 なか でも日光 にっこう 性 せい 角 かく 化 か 症 しょう は紫外線 しがいせん の影響 えいきょう の蓄積 ちくせき により高齢 こうれい 者 しゃ の顔 かお に出 で やすく、「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」[ 51] の直後 ちょくご には「モーセが主 おも と語 かた るために主 おも の前 まえ に行 い くとき、彼 かれ はその覆 おお いを外 そと に出 で てくるまで外 はず していた」[ 65] との追記 ついき があり、この皮膚 ひふ の状態 じょうたい になった原因 げんいん が、山頂 さんちょう において、日光 にっこう (owr)や神 かみ に対 たい して顔 かお を露出 ろしゅつ していた事 こと が原因 げんいん であり、他 た が原因 げんいん でこの皮膚 ひふ の状態 じょうたい になったのではなく「栄誉 えいよ 」の証拠 しょうこ である可能 かのう 性 せい についての説明 せつめい が添 そ えられているのは興味深 きょうみぶか い。
このことからユダヤ教 きょう 側 がわ でも歴史 れきし 的 てき にヘブライ文化 ぶんか 圏 けん 以外 いがい の人 ひと に対 たい して、ヘブライ語 ご 以外 いがい の言語 げんご に聖書 せいしょ を翻訳 ほんやく する際 さい は、モーセに対 たい する誤解 ごかい が無 な いように慎重 しんちょう に「輝 かがや く」という訳 わけ を当 あ てる習慣 しゅうかん (ダブルスタンダード)になっている。[ 66] 。整理 せいり するとヘブライ語 ご 原文 げんぶん では普通 ふつう に「彼 かれ の顔 かお 、皮 かわ 、角 かく が出 で た」でなんら問題 もんだい が無 な く、マソラ本文 ほんぶん にもケレーやケティーブの記載 きさい は見 み られないが、他 た 言語 げんご に訳 やく す際 さい は「自分 じぶん の顔 かお が栄光 えいこう に輝 かがや いていた」や単 たん に「自分 じぶん の顔 かお が輝 かがや いていた」と読 よ み替 か えを行 おこな うのが翻訳 ほんやく 上 じょう のマナーとなっている。
当然 とうぜん ながらユダヤ教 きょう 内 ない に向 む けては、ミドラッシュ(Midrash Tanchuma)にこの個所 かしょ の註釈 ちゅうしゃく として「角 かく 」と関連付 かんれんづ けた記載 きさい が残 のこ されている。『また彼 かれ はその四隅 よすみ の上 うえ に「角 かく 」を作 つく った。それは四 よん 本 ほん の「角 かく 」を通 とお して主 おも を讃 たたえ 美 うつく した国 くに に許 ゆる しを得 え るため。(出 いずる エジプト記 き :38:2)。その「角 かく 」はシナイから来 き た。そして彼 かれ は「角 かく 」を高 たか く上 あ げた。彼 かれ の民 みん のため(詩編 しへん 148:14)。トーラーの「角 かく 」。「角 かく 」は在 あ る、彼 かれ の傍 はた に。また隠 かく されている彼 かれ の力 ちから が(ハバクク3:4)。「祭司 さいし の角 かく 」についてはこう言 い われる。またあなたは私 わたし の「角 かく 」を高 たか く上 あ げた(詩編 しへん 92:11)。また「王 おう の角 かく 」についてはこう言 い われる。モーセは自分 じぶん の顔 かお の皮 かわ が「角 かく 」を出 だ しているのを知 し らなかった。(出 いずる エジプト記 き 34:29)。』[ 67]
モーセと出 で エジプトをテーマにした音楽 おんがく は、ヨーロッパにおいて数多 かずおお く作 つく られた。代表 だいひょう 的 てき なものとしては、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル の作曲 さっきょく したオラトリオ である『エジプトのイスラエル人 じん 』や、ジョアキーノ・ロッシーニ のオペラ である『モイーズとファラオン 』(『モーゼとファラオ』、1827年 ねん )、アルノルト・シェーンベルク のオペラである『モーゼとアロン 』(1930年 ねん )などが挙 あ げられる[ 68] 。
モーセと出 で エジプトをテーマにした映画 えいが も多 おお い。代表 だいひょう 的 てき な作品 さくひん に以下 いか のものがある。
海 うみ が割 わ れるエピソードは旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の中 なか では日本 にっぽん でも比較的 ひかくてき 有名 ゆうめい なエピソードである。このエピソードから転 てん じて、人 ひと だかりなどで混雑 こんざつ している場所 ばしょ においてある人物 じんぶつ が現 あらわ れるとその人 ひと のために道 みち を一斉 いっせい に開 あ けて空間 くうかん ができる様子 ようす などを、海 うみ が割 わ れている場面 ばめん に見立 みた てて比喩 ひゆ 的 てき にモーセを使 つか うことがある。また、同 おな じ理由 りゆう で水 みず に強 つよ い磁場 じば をかけると分 わ かれることを「モーゼ効果 こうか 」という。
^ 『出 いずる エジプト記 き 』6:19-20。なお、ここではアロンとモーセが双方 そうほう アムラムとヨケベドの子 こ とされているが、ミリアムについては触 ふ れていない。ミリアムの名前 なまえ が初 はじ めて出 で てくるのは15:20で「アロンの姉妹 しまい 」名義 めいぎ で登場 とうじょう 、通常 つうじょう は2章 しょう に出 で てくる「モーセの姉 あね 」と同 どう 一人物 いちじんぶつ とされる。 また2章 しょう でモーセが母 はは の結婚 けっこん 後 ご 最初 さいしょ に生 う まれたような書 か かれ方 かた をしているのに一貫 いっかん した話 はなし の流 なが れで姉 あね が直後 ちょくご に出 で てくる(6章 しょう は2章 しょう と別 べつ 系統 けいとう の出典 しゅってん の可能 かのう 性 せい があるが、ここは並行 へいこう 記事 きじ や後世 こうせい の挿入 そうにゅう の可能 かのう 性 せい が低 ひく い。)ことから、「姉 あね 」は「異母 いぼ 姉 あね 」ではないか?モーセがそばにいる状況 じょうきょう でミリアムが「アロンの姉妹 しまい 」と呼 よ ばれることからミリアムはモーセよりアロンの方 ほう が結 むす び付 つ きが強 つよ いのではないか?という説 せつ もある。 ((関根 せきね 正雄 まさお 1969) p.122註三「モーセの誕生 たんじょう (二 に ノ一 いち -十 じゅう )」 )
^ この「モーセ(モーシェ)の名前 なまえ の由来 ゆらい はマーシャーから」は『出 いずる エジプト記 き 』2:10の本文 ほんぶん 中 ちゅう に明記 めいき されているが、ヘブライ語 ご の読 よ みであるのでエジプト人 じん が付 つ けるのは不自然 ふしぜん なためか、ヨセフスやフィロンなどは本文 ほんぶん 内 ない の説明 せつめい ではなく「エジプトの言葉 ことば で『水 みず 』をモーウ、『水 みず から助 たす けられた人 ひと 』をエセース(後述 こうじゅつ の関根 せきね 正雄 まさお の『出 いずる エジプト記 き 』では「モ=水 みず 」「ユシェ=救 すく われた」)といい、モーセ(原文 げんぶん はギリシャ読 よ みの「モーセース」)は『水 みず の中 なか から引 ひ き揚 あ げられた人 ひと 』という意味 いみ だ。」という「水 みず 」が由来 ゆらい の説明 せつめい を上 あ げている ((秦 はた 2010) p.48-49 ) ただしこれもギリシャ読 よ み前提 ぜんてい なので現在 げんざい は取 と られない解釈 かいしゃく であり、むしろエジプトの言葉 ことば にこだわるなら「~の息子 むすこ 」に当 あ たる言葉 ことば が語源 ごげん の方 ほう が自然 しぜん で、著名 ちょめい 人 じん の使用 しよう 例 れい に「アハモーセ」や「トゥトモーセ」といったファラオがおり、意味 いみ としては後者 こうしゃ の場合 ばあい 「トゥト(神 かみ の名 な )の息子 むすこ 」という意味 いみ になる。 ((関根 せきね 正雄 まさお 1969) p.122註三「モーセの誕生 たんじょう (二 に ノ一 いち -十 じゅう )」 ) (注 ちゅう :「トゥトモーセ」は通常 つうじょう 日本語 にほんご では「トトメス 」と訳 やく される。“Weblio 辞書 じしょ > 英和 えいわ 辞典 じてん ・和英 かずひで 辞典 じてん > 英和 えいわ 対訳 たいやく > Thutmesの意味 いみ ・解説 かいせつ ”. 2019年 ねん 2月 がつ 2日 にち 閲覧 えつらん 。 )
^ モーセの妻 つま は資料 しりょう ごとに出自 しゅつじ が違 ちが っており『出 いずる エジプト記 き 』では前述 ぜんじゅつ のようにミディアン人 じん のツィポラだが、『民 みん 数 すう 記 き 』12:1ではアロンとミリアムが「モーセがクシュの女 おんな を娶 めと っている」ことを言 い う場面 ばめん があり、『士 し 師 し 記 き 』1:16ではイスラエルの民 みん と行動 こうどう を共 とも にしていた集団 しゅうだん に「モーセの舅 しゅうと であるケニ人 じん の子孫 しそん 」なる記述 きじゅつ がある。 ヨセフスは「クシュ人 じん 」はツィポラと別 べつ のモーセがエジプトにいた時 とき の妻 つま だと解釈 かいしゃく (後述 こうじゅつ )し、士 し 師 し 記 き に当 あ たる部位 ぶい の「ケニ人 じん 」の下 くだ りはミディアン人 じん として書 か き直 なお している。
^ このしるしのみモーセがファラオに対 たい し使用 しよう する場面 ばめん がない。なお、ギリシャ語 ご 訳 やく 聖書 せいしょ では「レプラ」の記述 きじゅつ がなく「雪 ゆき のように白 しろ く」、これを元 もと にしたヨセフスはさらに「石灰岩 せっかいがん のように白 しろ く」としている。((秦 はた 2010) p.97 )
^ 原語 げんご では杖 つえ が変 か わったものは第 だい 4章 しょう 3節 せつ では「蛇 へび 」だが、この第 だい 7章 しょう では第 だい 4章 しょう の物 もの とは別 べつ の単語 たんご で、直訳 ちょくやく すると「大 おお きな爬虫類 はちゅうるい 」という意味 いみ になる。このため「(大 おお きな)蛇 へび 」でも一応 いちおう 成 な り立 た つが「鰐 わに 」とも訳 やく せる。 ((関根 せきね 正雄 まさお 1969) p.133註10「アロンの杖 つえ (七 なな ノ八 はち -十 じゅう 三 さん )」 )
^ 『申 さる 命 いのち 記 き 』34:9、以下 いか 文語 ぶんご 訳 やく 聖書 せいしょ より引用 いんよう 「ヌンの子 こ ヨシユアは心 しん に智慧 ちえ の充 たかし る者 もの なりモーセその手 て をこれが上 うえ に按たるによりて然 しか るなりイスラエルの子孫 しそん は之 これ に聽したがひ主 ぬし のモーセに命 めい じたまひし如 ごと くおこなへり」(申 さる 命 いのち 記 き 34:9)、「主 おも の僕 ぼく モーセの死 し し後 ご 主 おも 、モーセの從者 じゅうしゃ ヌンの子 こ ヨシユアに語 かた りて言 げん たまはく わが僕 ぼく モーセは已 すで に死 し り然 しか ば汝 なんじ いま此すべての民 みん とともに起 た てこのヨルダンを濟 すみ り我 わ がイスラエルの子孫 しそん に與 あずか ふる地 ち にゆけ」(ヨシュア記 き 1:1-2)
^ Yahweh's name , written as 'YHWH' in the Hebrew Bible, has traditionally been rendered in English as the Template:Lord (Adonai ) or God by Jews and Christians. See Names of God in Judaism and Names of God in Christianity .
^ ただし、『ユダヤ古代 こだい 誌 し 』ではこの出 で エジプト記 き 2章 しょう 11-15節 せつ に該当 がいとう するエピソードがなく、エチオピア遠征 えんせい のあと妬 ねた まれたので逃 に げたことにされている。
^ ヨセフスの著書 ちょしょ の『ユダヤ戦記 せんき 』では、ユダヤ戦争 せんそう 勃発 ぼっぱつ の直前 ちょくぜん にカエサリアで起 お きたギリシャ系 けい とユダヤ系 けい の住民 じゅうみん 同士 どうし の大 だい 規模 きぼ な喧嘩 けんか の発端 ほったん が「ギリシャ系 けい 住民 じゅうみん が間接 かんせつ 的 てき にこの件 けん でシナゴーグの近 ちか くでモーセを侮辱 ぶじょく することをしたので血 ち の気 け の多 おお いユダヤ系 けい 住民 じゅうみん がキレて乱闘 らんとう が起 お きた」という趣旨 しゅし の説明 せつめい がある。
^ 引用 いんよう 元 もと の『レビ記 き 』13章 しょう では「レプラ(ヘブライ語 ご では「ツァーラアト 」)患者 かんじゃ は宿営 しゅくえい の外 そと に隔離 かくり される(第 だい 13章 しょう 46節 せつ )」だが、『ユダヤ古代 こだい 誌 し 』でも「町 まち から追放 ついほう されて他人 たにん との交渉 こうしょう は許 ゆる されず一 いち 個 こ の死体 したい のように扱 あつか われる」とより厳 きび しい記述 きじゅつ になっている。((秦 はた 2010) p.228-233 )
^ ティルベリのゲルウァシウス『西洋 せいよう 中世 ちゅうせい 奇 き 譚 たん 集成 しゅうせい 皇帝 こうてい の閑暇 かんか 』(池上 いけがみ 俊一 しゅんいち 訳 わけ 、講談社 こうだんしゃ 学術 がくじゅつ 文庫 ぶんこ 、2008年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 、ISBN 978-4-06-159884-3 )では「つまり、讃 さん 嘆すべき光 ひかり がその顔 かお から(角 かく 状 じょう に)発 はっ して、かれを見 み つめる者 もの の目 め を眩 くら ませる」(p241)
^ 民 みん 数 すう 記 き (口語 こうご 訳 やく )#20:12
^ 申 さる 命 いのち 記 き (口語 こうご 訳 やく )#34:5
^ 『出 いずる エジプト記 き 』1:22
^ 『出 いずる エジプト記 き 』2:1-10
^ 『出 いずる エジプト記 き 』2:11~3:21
^ 『出 いずる エジプト記 き 』4:1-9
^ 『出 いずる エジプト記 き 』7:8-25
^ 『出 いずる エジプト記 き 』12:29
^ 『出 いずる エジプト記 き 』12章 しょう
^ 『出 いずる エジプト記 き 』14章 しょう
^ 『出 いずる エジプト記 き 』16章 しょう ~17章 しょう
^ 『出 いずる エジプト記 き 』20章 しょう
^ 『出 いずる エジプト記 き 』24章 しょう
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』10:33
^ モーセ以外 いがい 全員 ぜんいん 処刑 しょけい 宣言 せんげん (民 みん 数 すう 記 き #14:11,12 )
^ 40年間 ねんかん 荒野 あらの をさまよう事 こと に(民 みん 数 すう 記 き #14:34,35 )
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』16章 しょう
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』21:4-9
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』21:21-35
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』31:1-24
^ 『出 いずる エジプト記 き 』17:1-7
^ 『民 みん 数 すう 記 き 』20:2-13
^ 『申 さる 命 いのち 記 き 』32:51
^ 『申 さる 命 いのち 記 き 』34章 しょう
^ 『申 さる 命 いのち 記 き 』34:6
^ a b 「モーセの生涯 しょうがい 」(「知 ち の再 さい 発見 はっけん 」双書 そうしょ 108)p89 トーマス・レーメル著 ちょ 矢島 やじま 文夫 ふみお 監修 かんしゅう 遠藤 えんどう ゆかり訳 やく 創 そう 元 もと 社 しゃ 2003年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 第 だい 1版 はん 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
^ 「人名 じんめい から読 よ み解 と くイスラーム文化 ぶんか 」p91 梅田 うめだ 修 おさむ 大修館書店 たいしゅうかんしょてん 2016年 ねん 8月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「人名 じんめい から読 よ み解 と くイスラーム文化 ぶんか 」p82,91 梅田 うめだ 修 おさむ 大修館書店 たいしゅうかんしょてん 2016年 ねん 8月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「モーセの生涯 しょうがい 」(「知 ち の再 さい 発見 はっけん 」双書 そうしょ 108)p120 トーマス・レーメル著 ちょ 矢島 やじま 文夫 ふみお 監修 かんしゅう 遠藤 えんどう ゆかり訳 やく 創 そう 元 もと 社 しゃ 2003年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 第 だい 1版 はん 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
^ 「人名 じんめい から読 よ み解 と くイスラーム文化 ぶんか 」p91-92 梅田 うめだ 修 おさむ 大修館書店 たいしゅうかんしょてん 2016年 ねん 8月 がつ 10日 とおか 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 『新 しん 聖書 せいしょ 辞典 じてん 』
^ 尾山 おやま 令 れい 仁 ひとし 『聖書 せいしょ の概説 がいせつ 』羊 ひつじ 群 ぐん 社 しゃ
^ ケアンズ『基督教 きりすときょう 全 ぜん 史 し 』聖書 せいしょ 図書 としょ 刊行 かんこう 会 かい
^ 旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ -モーセ五 ご 書 しょ (律 りつ 法 ほう ) -サルヴァスタイル美術館 びじゅつかん
^ 「民 みん 数 すう 記 き 31」『末日 まつじつ 教徒 きょうと イエス・キリスト協会 きょうかい 』
^ Shectman, Sarah (2009). Women in the Pentateuch: A Feminist and Source-critical Analysis . Sheffield: Sheffield Phoenix Press. p. 165. ISBN 9781906055721 . https://books.google.com/books?id=elUeQSPk19MC&pg=PA165 2021年 ねん 5月 がつ 14日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 高山 たかやま 正之 まさゆき 「変 へん 見 み 自在 じざい 」『週刊 しゅうかん 新潮 しんちょう 』2019/2/7号 ごう
^ “#1 ドキュメンタリー「シナイの砂漠 さばく と出 で エジプトの道筋 みちすじ 」日本語 にほんご 字幕 じまく ”. サンライズミニストリー (2012年 ねん 7月 がつ 4日 にち ). 2017年 ねん 9月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。 7:30以降 いこう
^ “Princeton University Press Press Reviews, retrieved 6th June 2009 ”. Press.princeton.edu (2011年 ねん 11月6日 にち ). 2012年 ねん 4月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ The Quest for the Historical Israel: Debating Archeology and the History of Early Israel , 2007, Society of Biblical Literature, Atlanta, ISBN 978-1-58983-277-0 .
^ John Van Seters, "The life of Moses", ISBN 90-390-0112-X
^ (秦 はた 2010) p.48
^ Jan Assmann, Moses the Egyptian: The Memory of Egypt in Western Monotheism, Harvard University Press, 2009 pp.31-34.
^ 創世 そうせい 記 き 46章 しょう 33-34節 せつ
^ 創世 そうせい 記 き 41章 しょう 45節 せつ
^ 出 で エジプト記 き 4章 しょう 6-8節 せつ
^ エミール・マール『ロマネスクの図像 ずぞう 学 がく 上 じょう 』田中 たなか 仁 ひとし 彦・池田 いけだ 健二 けんじ ・磯 いそ 見 み 辰 たつ 典 てん ・成瀬 なるせ 駒男 こまお ・細田 ほそだ 直孝 なおたか 共 ども 訳 やく 、国書刊行会 こくしょかんこうかい 、1996年 ねん 11月20日 にち 初版 しょはん 、ISBN 4-336-03891-0 、p220-221
^ 尾形 おがた 希 のぞみ 和子 かずこ 『教会 きょうかい の怪物 かいぶつ たち ロマネスクの図像 ずぞう 学 がく 』講談社 こうだんしゃ 選書 せんしょ メチエ 、2013年 ねん 12月 がつ 10日 とおか 、ISBN 978-4-06-258568-2 、p118~119
^ 『キリスト教 きょう 神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 著作 ちょさく 集 しゅう 2 ベルナール』金子 かねこ 晴 はれ 勇 いさむ 訳 わけ 、教 きょう 文 ぶん 館 かん 、2005年 ねん 12月16日 にち 、p62
^ 関根 せきね 清三 せいぞう 『旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の思想 しそう ――24の断章 だんしょう 』(講談社 こうだんしゃ 学術 がくじゅつ 文庫 ぶんこ 、1998年 ねん 9月 がつ 18日 にち )
^ a b 出 で エジプト記 き 34:29
^ a b c (秦 はた 剛 つよし 平 たいら ”七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ ”P349)
^ 谷川 たにがわ 政美 まさみ ”聖書 せいしょ ヘブライ語 ご 日本語 にほんご 辞典 じてん ”ミルトス P410
^ Hatch&Redpath"concordance to the Septuagint"δ でるた ο おみくろん ξ くしー ὰζειν P343
^ "ヘブライ語 ご 聖書 せいしょ 対訳 たいやく シリーズ4 出 で エジプト記 き 2"ミルトス P148
^ Owens "Analytical key to the old testament" P396
^ “כָּתְנ֥וֹת ע֖וֹר”kotnot owr:コトゥノット オール:皮 かわ の衣 ころも Ref.“創世 そうせい 記 き 3:21”)
^ "ヘブライ語 ご 聖書 せいしょ 対訳 たいやく シリーズ1 創世 そうせい 記 き 1"ミルトス P36
^ (谷川 たにがわ 政美 まさみ ”聖書 せいしょ ヘブライ語 ご 日本語 にほんご 辞典 じてん ”ミルトス P970)
^ (P1036 "אברהם אבן־שושן "קונקורדנציה חדשה )
^ フランシスコ会 かい 聖書 せいしょ 研究所 けんきゅうじょ 「聖書 せいしょ 」出 いずる エジプト記 き 4:6,P122
^ (秦 はた 剛 つよし 平 たいら ”七 なな 十 じゅう 人 にん 訳 やく ギリシア語 ご 聖書 せいしょ ”P884(5)
^ ヨセフス”アピオーンへの反論 はんろん ”1:299、1:304
^ ヨセフス”古代 こだい 誌 し ”2:273)
^ “新 しん 改訳 かいやく 2017”出 いずる エジプト記 き 34:34
^ (“the skin of his face was radiant" ref.“Jewish Edition Global Impact Bible”P118,The Jewish Publication Society )
^ (Midrash Tanchuma)
^ 「モーセの生涯 しょうがい 」(「知 ち の再 さい 発見 はっけん 」双書 そうしょ 108)p90-91 トーマス・レーメル著 ちょ 矢島 やじま 文夫 ふみお 監修 かんしゅう 遠藤 えんどう ゆかり訳 やく 創 そう 元 もと 社 しゃ 2003年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 第 だい 1版 はん 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
ウィキメディア・コモンズには、
モーセ に
関連 かんれん するカテゴリがあります。