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モーセ - Wikipedia

モーセ

古代こだいイスラエルの民族みんぞく指導しどうしゃ

モーセあるいはモーゼラテン語らてんご英語えいごみのモーゼスとも(ヘブライ: מֹשֶׁה‎ モーシェ、ギリシア: Μωυσήςラテン語らてんご: MoysesMosesアラビア: موسىٰ‎)は、旧約きゅうやく聖書せいしょの『エジプト』などにあらわれる、紀元前きげんぜん16世紀せいきまたは紀元前きげんぜん13世紀せいきころに活躍かつやくしたと推測すいそくされている、古代こだいイスラエル民族みんぞく指導しどうしゃであり、יהוה(ヤハウェ)をかみとする。正教会せいきょうかいではモイセイばれ聖人せいじんとされる。

モーセ
モーセぞうミケランジェロさく
生誕せいたん 紀元前きげんぜん16世紀せいきまたは紀元前きげんぜん13世紀せいき
民族みんぞく ヘブライじん
配偶はいぐうしゃ セフォラ
おや ちち:アムラム、ははヨシャベル養母ようぼ:ベシア
家族かぞく あにアロンあねミリアム
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モーセはユダヤきょうキリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょうおよびバハーイーきょうなどおおくの宗教しゅうきょうにおいて、さい重要じゅうよう預言よげんしゃ一人ひとりとされる。伝統でんとうてきには旧約きゅうやく聖書せいしょモーセしょ(トーラー)の著者ちょしゃであるとされてきた。

いずるエジプト』によれば、モーセはエジプトにいるヘブライじん家族かぞくとしてまれたが、ファラオがヘブライじん新生児しんせいじ殺害さつがいすることをめいじたので、それからのがれるためにナイルがわながされ、ファラオのむすめひろわれて大切たいせつそだてられたという。ながじてエジプトじん殺害さつがいし、砂漠さばくかくれていたが、かみ命令めいれいによって奴隷どれい状態じょうたいのヘブライじんをエジプトから使命しめいけた、とされ、エジプトからみんひきいて脱出だっしゅつしたモーセはみんとともに40ねんにわたって荒野あらのをさまよい「約束やくそく」にたどりいたが、(モーセはかみ指示しじ忠実ちゅうじつまもらなかった過去かこがあり、約束やくそく土地とち目前もくぜんにして、ヘブライのみんはそこにはいることができてもモーセはそこにはいることがかみからゆるされず)約束やくそく手前てまえったという[1][2]

旧約きゅうやく聖書せいしょにおける記述きじゅつ

編集へんしゅう
 
ドゥラ・エウロポスシナゴーグから出土しゅつどした3世紀せいきごろ壁画へきが。モーセがナイルがわからひろわれる場面ばめんえがいている。

旧約きゅうやく聖書せいしょ』の『いずるエジプト』によれば、モーセはイスラエルじん(ここではヘブライじんおな意味いみ)のレビぞくちちアムラムと、アムラムにとって叔母おばにあたるははヨケベドとのあいだまれ、あにアロンあねミリアムがいた[注釈ちゅうしゃく 1]。モーセがまれた当時とうじ、ヘブライじんえすぎることを懸念けねんしたファラオはヘブライじん男児だんじころすよう命令めいれいした[3]出生しゅっしょうしばらくかくしてそだてられたが、やがてかくれなくなり、パピルスかごせてナイルがわながされた。たまたま水浴みずあびしていたファラオの王女おうじょかれひろい、みずからひきあげたのでマーシャー(ヘブライで「げる」の意味いみ)にちなんで「モーセ」とづけた[注釈ちゅうしゃく 2]。モーセのあね機転きてんで、母親ははおや乳母うばとして王女おうじょやとわれることになった[4]

成長せいちょうしたモーセは、あるとき同胞どうほうであるヘブライじんがエジプトじん虐待ぎゃくたいされているのをて、ヘブライじんけようとしたが、はからずもエジプトじん殺害さつがいしてしまう。これが発覚はっかくし、ファラオにいのちねらわれたモーセはのがれてミディアンのアラビア半島はんとう)にんだ。ミディアンではツィポラというひつじいの女性じょせい結婚けっこん[注釈ちゅうしゃく 3]し、ひつじいとしてらしていたが、あるえるしば」のなかからかみかたけられ、イスラエルじん約束やくそく聖書せいしょちゅうでは「ちちみつながれる」とわれている現在げんざいパレスチナ周辺しゅうへん)へとみちび使命しめいける。かみは、みずからを「わたしはあるもの」と名乗なの[5]、イスラエルのみん代々だいだいיהוה(ヤハウェ)という名前なまえぶようにとった。

モーセはイスラエルじんから『יהוה(ヤハウェ)はあなたにあらわれなかった』とわれた場合ばあい(つまり、預言よげんしゃであることに疑義ぎぎをとなえられた場合ばあい)にそなえ、3つのしるしをあたえられた、とされる。「つえへびになる」「癩病らいびょう(レプラ)でゆきのようにしろくなる[注釈ちゅうしゃく 4]」「ナイルがわみずわる」である[6][7]

 
十戒じっかい石板せきばん破壊はかいするモーセ』(レンブラント絵画かいが)。

エジプトにもどったモーセはあにアロンとともにファラオにいヘブライじん退去たいきょゆるしをもとめ、前述ぜんじゅつのしるしの1つ「つえへびになる[注釈ちゅうしゃく 5]」を使つかって自分じぶんつえへびにしてせたが、ファラオの配下はいか魔術まじゅつたちもその程度ていどはできたのでファラオはおどろかず、アロンのつえへびへびってしまったことで一応いちおうったものの、ファラオは拒絶きょぜつし、許可きょかさなかった。

そのためモーセはつぎのしるし「ナイルがわみずわる」を使つかい、これをはじめにじゅうわざわがエジプトにくだり、最後さいごにはファラオの息子むすこふくめてすべてのエジプトの初子はつね差別さべつ殺害さつがいされた[8]。ファラオはここにいたってヘブライじんたちがエジプトからることをみとめた。エジプト出発しゅっぱつよる人々ひとびとかみ指示しじどおり、子羊こひつじにく酵母こうぼれないパン(「タネなしパン」(マッツァー))をべた。かみはこの出来事できごと記念きねんとしておこなうようめいじた[9](これがいまもユダヤ教徒きょうといわう「えつまつり」の起源きげんであり、聖書せいしょではイエスの十字架じゅうじかじょう予兆よちょうとされる)。ヘブライじんがエジプトをると、ファラオは心変こころがわりして戦車せんしゃ騎兵きへいからなる軍勢ぐんぜいけた。あしうみめられ、絶体絶命ぜったいぜつめい状況じょうきょうおちいった。これにたいし、奴隷どれいてき状態じょうたいのままであってもエジプトにいたほうがよかったと不平ふへいをもらすものもいたが、モーセがにもっていたつえげると、あしうみみずれたため、イスラエルじんたちはわたることができた、とされ、しかしってあしうみわたろうとしたファラオの軍勢ぐんぜいうみしずんだ、とされる[10]

その、モーセはみんともくるしいたびつづける。人々ひとびとみずもののことでしばしばモーセに不平ふへいをいい、モーセはそのたびにみずものあたえてかみちからしめした。このとき、かみからあたえられたとされる、荒野あらの夜毎よごとあらわれる、まるでみつりのウェファースのようなあじしろい(なぞの)食料しょくりょうべてみんたちはしのぎ、人々ひとびとはその(なぞの)食料しょくりょうを「マナ」とんだ[11]、とされる。やがて人々ひとびとシナイさんちかづくと、יהוה(ヤハウェ)が山上さんじょうあらわれ、モーセはやまのぼって十戒じっかいけた[12]、とされる。さらにかみはヘブライじん契約けいやくわした、とも[13]。『いずるエジプト』のモーセにかんする記述きじゅつはこれでわり、後半こうはん(20しょう~40しょう)はまもるべきおきて儀式ぎしきかんする詳細しょうさい規定きてい記述きじゅつついやされている。

つづく『レビ』『みんすう』『さるいのち』ではさらに詳細しょうさいりつほう内容ないようかたられ、その合間あいまにモーセの生涯しょうがいとヘブライじんたちのあゆみとについてしるしている。さるいのち27しょうとうによれば、モーセは12支族しぞくめいじてイスラエルのみん既存きそん偶像ぐうぞう廃棄はいきさせ、ユダヤきょうひろめてじゅうぶんいちぜいした。

また、モーセは石版せきばんれた『契約けいやくはこ』を先頭せんとうにシナイさん出発しゅっぱつ[14]約束やくそくくに目指めざしてカナンをすすんだ。その途上とじょうでは不平ふへいみんがいたり、モーセとアロンへの反逆はんぎゃくおこなわれたり[15][16][17]したため、その行為こういおこなったみんばっするためかみほのおへびおくり、おおくの死者ししゃたりもした。みんはモーセに謝罪しゃざい懇願こんがんし、それをみたかみがモーセに青銅せいどうへびしめしてみんすくった出来事できごとなどがあった[18]人々ひとびとはカナンの人々ひとびとたたかいをかえし、アモリじんらをち、ぜんぐんほろぼした[19]。さらにミディアンじんたちをつなどたたかいをつづけた[20]

モーセしょ最終巻さいしゅうかんにあたる『さるいのち』ではモーセの最期さいごえがかれている。メリバのいずみいわってみず[21]、そのにもう一度いちど水不足みずぶそくおとずれたときにいわめいじるようにとの命令めいれいであったのにもう一度いちどいわったため[22]約束やくそくくにはいることをゆるされず[23]ヨルダン川よるだんがわ手前てまえでピスガのいただきネボのぼり、約束やくそくされたくににしながらこのった。120さいであった[24]。モーセはモアブのたにほうむられたが、その場所ばしょだれらないとされている[25]

モーセの死後しご、その従者じゅうしゃであったヌンのヨシュア《יהוה(ヤハウェ)はすくいの意味いみ》が後継こうけいしゃとなり、יהוה(ヤハウェ)のみんみちびいた[注釈ちゅうしゃく 6]

イスラム教いすらむきょうにおけるあつか

編集へんしゅう
 
つえをもつムーサー(モーセ)(15世紀せいきペルシア細密さいみつ)。

クルアーン』(コーラン)ではアラビアでムーサー (موسى Mūsā) とばれる。イスラム教いすらむきょう聖典せいてん『クルアーン』では、モーセすなわちムーサーは過去かこ預言よげんしゃのひとりにして、ユダヤ教徒きょうと共同きょうどうたいかみアッラーフ)から使つかわされた使徒しととして登場とうじょうする。ムーサーは『クルアーン』においてムハンマドをのぞしょ預言よげんしゃなかではもっと偉大いだい[よう出典しゅってん]預言よげんしゃであるとみなされており、ムスリム(イスラム教徒きょうと)はムーサーを「かみかたもの(カリームッラーフ)」と尊称そんしょうする[26]

ムーサーのは『クルアーン』ちゅうにおいて非常ひじょうおおくの個所かしょ言及げんきゅうされ、とくに、だい28あきらである「物語ものがたり(アル・カサス)」は全編ぜんぺんがムーサーの物語ものがたりになっている。『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトでまれそだち、のちに「せいなるたに」でかみこえいて預言よげんしゃとなった。また、あにハールーン(アロン)もムーサーを補佐ほさするための預言よげんしゃとされる。ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一ゆいいつなるかみ信仰しんこうするようもとめ、かみ偉大いだいさをつたえるためにつえへびえるなどの奇蹟きせきしめすが、ファラオに拒絶きょぜつされたためにイスラエルのみんれてエジプトをはなれた。いでエジプト物語ものがたりは『聖書せいしょ』と基本きほんてきおなじであり、シナイさん(アラビアではムーサーやまばれる)で、ユダヤ教徒きょうとたいしてあたえられたけいてんであるトーラー(りつほう)をかみからさずかったという。

クルアーンのムーサーの物語ものがたりでは、ユダヤ教徒きょうとたちがムーサーのうことをかず、とき偶像ぐうぞうをあがめたことについて非常ひじょう詳細しょうさい言及げんきゅうされており、このようなクルアーンの、ただしいかみえらばれた使徒しとムーサーにしたがわないユダヤ教徒きょうとたいする批判ひはんてき言及げんきゅうが、歴史れきしてきなムスリムによるユダヤ教徒きょうとたいする差別さべつしん敵意てきい原因げんいんのひとつとなったと指摘してきされることもおおい。

ムーサーはイスラム教いすらむきょうにおいてノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)イエス(イーサー)、ムハンマドとも五大ごだい預言よげんしゃのうちの一人ひとりとされる[27]。また、ムーサーというはムスリムにこのまれる男性だんせいめいのひとつとなっている[28]

クルアーンには上記じょうきのような、基本きほんてきには聖書せいしょ同一どういつ記載きさいだけでなく、ユダヤ・キリスト教きりすときょうにはまった類似るいじはなしのない、クルアーンのみにかれたムーサーの記述きじゅつ存在そんざいする[29]。クルアーンのみに記載きさいのあるものとして、だい18しょうである洞窟どうくつ(アル・カハフ)には、ムーサーが従者じゅうしゃ賢者けんじゃアル・ハディル(アル・ヒドゥル)にいにき、かれ行動こうどうとおしてかみ摂理せつり物語ものがたりがある[26][30]

トーラーの記者きしゃとして

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創世そうせい』からはじまって、『いずるエジプト』『レビ』『みんすう』『さるいのち』までの『ヘブライ聖書せいしょ』(キリストきょうでは『旧約きゅうやく聖書せいしょ』)の最初さいしょしょは、総称そうしょうして「モーセしょ」とばれてきた。新約しんやく聖書せいしょにイエス・キリストがモーセを聖書せいしょ記者きしゃとして言及げんきゅうしているひじりがあり、聖書せいしょ信仰しんこう福音ふくいん教会きょうかいではモーセをモーセしょ記者きしゃとしてみとめている[31][32]

これらは聖書せいしょ自身じしん記述きじゅつ古代こだいからの伝承でんしょうによってモーセのによるものとされてきたが、ユリウス・ヴェルハウゼンらの文書ぶんしょ仮説かせつ支持しじするものはそれに反対はんたいする。福音ふくいんにはこれらの主張しゅちょうを「信仰しんこうてき」とぶものもいる[33]。「モーセしょ」の別称べっしょうは「トーラー」であり、日本語にほんごやくでは「りつほう」とされることがおおい。トーラーの原義げんぎは「指針ししん」ないし「方針ほうしん」である[34]

人物じんぶつぞう

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モーセの性格せいかくとして寛容かんよう無慈悲むじひ側面そくめん指摘してきされる。たとえば『みんすう』31しょうにはよればイスラエルじんミデヤンじんほろぼしおとこ虐殺ぎゃくさつしたとき、兵士へいしたちがミデヤンのみん慈悲じひしめし、どもと寡婦かふかしてれてきたことにモーセはいかり、男児だんじおとこったおんなころすことをめいじ、処女しょじょむすめたちを兵士へいし報酬ほうしゅうとしてあたえている[35][36][注釈ちゅうしゃく 7]。2014ねんISIL(イスラムこく)が奴隷どれい制度せいど復活ふっかつし、占領せんりょう女性じょせい兵士へいしたちに報酬ほうしゅうとしてあたえたとき、旧約きゅうやく聖書せいしょ記述きじゅつ正当せいとうせい根拠こんきょとしてもちいられている[37]

聖典せいてん関連かんれん以外いがい

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フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代こだいだいIIまきだいXしょうでは、いでエジプトだい2しょう10せつと11せつ[注釈ちゅうしゃく 8]あいだ付近ふきんはいるエピソードとして「モーセはエジプトぐん指揮しきかんとしてエチオピア攻略こうりゃく活躍かつやくし、かれつよさをみとめたエチオピアの王女おうじょタルビスは和平わへい交渉こうしょうをしてかれつまとなった。」というものがかれている。

モーセの実在じつざいエジプト物語ものがたり信憑しんぴょうせいは、考古学こうこがくてき知見ちけん歴史れきしてき知見ちけん紅海こうかい海底かいてい調査ちょうさ結果けっか[38]カナン文化ぶんかにおける関連かんれんする起源きげん神話しんわなどから考古こうこ学者がくしゃおよびエジプト学者がくしゃ聖書せいしょ批評ひひょうがくものあいだでは疑問ぎもんする人々ひとびとおお[39][40][41]。その歴史れきし学者がくしゃは、モーセにかえせられる伝記でんきしょうほそさとエジプトの背景はいけいは、青銅器せいどうき時代じだいわりにかうカナンにおけるヘブライ部族ぶぞく統合とうごうかかわった歴史れきしてき政治せいじてき宗教しゅうきょうてき指導しどうしゃ実在じつざいしたことを暗示あんじしていると擁護ようごしている。

エジプトがわのこるモーセにかんする物語ものがたり関連かんれんするものとして、エジプトの神官しんかんマネトによる記録きろくヨセフス引用いんようがある。それによれば、アメンホテプ3せいきよめるためにと皮膚ひふびょう患者かんじゃ隔離かくりしたさいオサルシフォス英語えいごばん(Osarseph)[42]というヘリオポリス祭司さいし皮膚ひふびょう患者かんじゃ一団いちだん監督かんとくしゃとなった。皮膚ひふびょう患者かんじゃたちはかつてのヒクソス首都しゅといたアヴァリス英語えいごばん収容しゅうようされ、オサルシフォスはエジプトできんじられているあらゆることを指示しじし、エジプトでゆるされているあらゆることをきんじた。さらにヒクソスをくにれてエジプトをさい征服せいふくし、13年間ねんかんかれらと統治とうちした。最終さいしゅうてきにエジプトのされるが、オサルシフォスはモーセの名乗なの[43]

この物語ものがたりエジプトとはことなっているが、いくつかの共通きょうつうてんがあり、たとえば、エジプトにわざわいをもたらすモーセという宗教しゅうきょう指導しどうしゃ存在そんざいしたこと、エジプト北方ほっぽう勢力せいりょくった西にしアジアけい移民いみん存在そんざいしたこと[44]、その異分子いぶんしヘリオポリス(オン)の宗教しゅうきょう指導しどうしゃちかしい関係かんけいきずいていたこと[45]皮膚ひふびょう利用りようしたこと[46]、エジプトじんことなるほういたこと、そしてエジプトのからたこと、などがげられる。

なお、このはなし自体じたいはヨセフスの時代じだいころそれなりにひろまっていたものであるが、ヨセフス自身じしんふく大半たいはんのユダヤじんからはこれとむすびつけることはモーセを侮辱ぶじょくするものだとかんがえられて[注釈ちゅうしゃく 9]おり、前述ぜんじゅつのヨセフスの引用いんよう(『アピオーンへの反論はんろんだい2しょう229せつ)では引用いんようしつつものマネト(原文げんぶんは「マネトーン」)たちにレプラ患者かんじゃ自分じぶんたちの先祖せんぞ一緒いっしょにするなと反論はんろんしており、べつ著書ちょしょの『ユダヤ古代こだい』(だいIIIまき11しょう3-4せつ)ではレビ13しょう記述きじゅつから引用いんよう一部いちぶ改竄かいざん[注釈ちゅうしゃく 10])しつつも「レプラ患者かんじゃにこんなにきびしくあつかうモーセが患者かんじゃ自身じしんであるはずがなかろう」という趣旨しゅし反論はんろんをそのにわざわざいている。

芸術げいじゅつ作品さくひん

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絵画かいが彫刻ちょうこく

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キリスト教きりすときょう美術びじゅつにおいてはモーセは通常つうじょう老人ろうじん姿すがたえがかれることがおおい。

中世ちゅうせいヨーロッパ美術びじゅつにおいては、ミケランジェロ彫刻ちょうこくレンブラント絵画かいがにみられるごとく、モーセはしばしばかくのある姿すがたえがかれるが、この理由りゆうにはふたつのせつがある。ひとつは、ヴルガタやく描写びょうしゃをもとにしたためだというものである(『いずるエジプト』 34:29-30, 35)。元来がんらいヘブライには母音ぼいんあらわ文字もじ存在そんざいせず、ヘブライで「かく」を意味いみするかたりは「かがやく」という意味いみにも解釈かいしゃく可能かのうであり、現在げんざいの『聖書せいしょ翻訳ほんやくでは一般いっぱん後者こうしゃ意味いみ訳出やくしゅつされている。もうひとつのせつは、ヴルガータとは関係かんけいなく、モーセのかおひかかがやくのをかくのようなかたち表現ひょうげんしたというものである。フランスの美術びじゅつ史家しかエミール・マール後者こうしゃせつをとり、最初さいしょ典礼てんれいげきでそのような表現ひょうげんがなされたものが絵画かいが彫刻ちょうこくにも影響えいきょうあたえたとかんがえている[47]一方いっぽう日本にっぽん尾形おがたのぞみ和子かずこ前者ぜんしゃせつをとりつつも、12世紀せいきから13世紀せいきイングランド教会きょうかいほう学者がくしゃティルベリのゲルウァシウス英語えいごばん著書ちょしょちゅうに「モーセのかくえたかおとは、すなわちかれかおからかがやひかりていたから[48][注釈ちゅうしゃく 11]」とあるのを紹介しょうかいしている。中世ちゅうせいじん著作ちょさくると、クレルヴォーのベルナールみやびこうかい』にもけん場面ばめんでモーセのかおひかかがやいたということを前提ぜんていとしている記述きじゅつがある[49]

聖書せいしょ学者がくしゃ関根せきね清三せいぞう著書ちょしょ[50]において、そもそもエジプト該当がいとう箇所かしょは「かくのある」と解釈かいしゃくするのがただしいのだと主張しゅちょうしている。

ひかかがやいている」とやくしたヘブライはカーランという動詞どうしで、用例ようれいが「かくのある」という意味いみであることはたしかである。カーランはケレンという名詞めいし派生はせいおもわれるが、名詞めいし用例ようれいはたくさんあって、その意味いみが「かく」であることははっきりしており、うしとの関連かんれん使つかわれている詩篇しへん動詞どうしがた意味いみも「かくのある」といったあたりにおのずとさだまるからである。

そこでエジプトほうのカーランも、旧約きゅうやくラテン語らてんごやく・ヴルガータではこれと呼応こおうしてcornutus(かくのある)とやくしているのである。それにたいし、ギリシアやく・セプトゥアギンタ(ななじゅうにんやく)はdedoxastai(ひかかがやいた、栄光えいこうされた)と意訳いやくした。

近代きんだい翻訳ほんやく日本語にほんごやくふくめ、「かおはだ」からかくえるというのはそれこそ面妖めんようであるので、みなセプトゥアギンタのほうにしたがっているのである。

なお、うし山羊やぎひつじ鹿しかなどのかくは「豊穣ほうじょうとみ子孫しそん繁栄はんえい象徴しょうちょう」であり、(ギョベクリ・テペ遺跡いせきなどから推測すいそくされるに、おそらく紀元前きげんぜん1まんねんの)太古たいこより、ユーラシア大陸たいりく各地かくちに、豊穣ほうじょうしんたる「かくやした(おもうしの)かみゆうかくしん」への信仰しんこうがあり、儀式ぎしきさいかくかぶものをするなど、カーランを「かくのある」と解釈かいしゃくすることは、むしろ正統せいとう発想はっそうである。異形いぎょうなるかくは、ぜんかみ)であれあく悪魔あくま)であれ、ひとえた神聖しんせい存在そんざい権威けんいあるもの、であることをしめ表現ひょうげん方法ほうほうなのである。

異説いせつ 追記ついき

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 問題もんだい個所かしょ[51]のヘブライ原文げんぶんは“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav)のたったさんであり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:かくた)、“עֹ֥ור”(owr:オール:かわ)、“פָּנָ֖יו”(panav:パナヴ:かれかお)である。直訳ちょくやくは「かれかおかわかくた」である。  ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょでは“δεδόξασται ἡ ὄψις τたうοおみくろんῦ χρώματος τたうοおみくろんῦ προσώπου ”「自分じぶんかお栄光えいこうかがやいていた」[52]やくしている。(直訳ちょくやくは「かれかおいろ状態じょうたい栄誉えいよとなった」である)  ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょでは上記じょうきとおりヘブライ原文げんぶんにはあるはずの“ע֥וֹר ”(owr:オール:かわ)がられず、「いろ様子ようす」となり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:かくた)は「栄誉えいよとなった」、「ほまれ(ほまれ)となった」とやくされている。(じつはヘブライの「かくる」を、ギリシャでも「かがやく」とはやくしていないのがかる)

 ヘブライ聖書せいしょ(マソラ本文ほんぶん)とななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょ共通きょうつう記載きさいがある1単語たんご“פָּנָ֖יו”(panav:パナヴ:かれかお)“προσώπου αあるふぁτたうοおみくろんῦ”をのぞけば、のこるはヘブライは2単語たんご、“קָרַ֛ן ע֥וֹר”(karan owr:カラン オール:「かわかくた」)となり、これが“δεδόξασται ἡ ὄψις τたうοおみくろんῦ χρώματος ”「栄光えいこうかがやいていた」[52]やくされていると整理せいりできる。このギリシャやくの“δεδόξασται”(dedoxastai:デドクサスタイ)は、本来ほんらいヘブライの“כָּבֵד”(kabed:おもくなる。おもんじる。とうとぶ。栄誉えいよとなる)[53]訳語やくごとして使つかわれる単語たんご[54]であり、「栄誉えいよとなる」まではいが「物理ぶつりてきひかる」という意味いみでは本来ほんらいギリシャとしても使つかわれない単語たんごである。そもそも日本語にほんごの「栄光えいこう」も物理ぶつりてきに「かがやく」という意味いみ本来ほんらいない。

 ところでヘブライ原文げんぶんから「かれかおかがやいていた」や「かれかお栄光えいこうかがやいていた」とむのは簡単かんたんであり“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav:カラン オール パナヴ)「かれかおかわかくた」と普通ふつうに「音読おんどく」すると、文脈ぶんみゃくからおな発音はつおんの“קָרַ֛ן א֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav:カラン オール パナヴ)「かれかおひかりかくた」や「かれかおかがやき、きんていた(突出とっしゅつしている)」とこえる。つまり自然しぜんに「かわ」という単語たんごが「ひかり」や「かがやき」にこえるためである(וֹ : holam on vavの発音はつおんはオ)。

 これは“עוֹר”(owr:オール:かわ)と“אוֹר”(owr:オール:ひかり)の両者りょうしゃとも3人称にんしょう男性だんせい単数たんすう名詞めいしで、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:かくた)もパアルたい完了かんりょうがた3人称にんしょう男性だんせい単数たんすうがたであり、動詞どうしとのせいすう一致いっちしているためである[55][56]文字もじなければどちらかはからない。原文げんぶんにある“עוֹר”(owr:オール:かわ)はヘブライ聖書せいしょなかでは99かい使用しようされ、動物どうぶつの「かわ」という意味いみ使つかわれる一般いっぱんてき単語たんごであるが[57][58]同音どうおんとしてこえる“אוֹר”(owr:オール:ひかり)のほう創世そうせい1:3の“יְהִ֣י א֑וֹר”(yehi owr:イェヒー オール:「ひかりあれ」)でも使つかわれるさら一般いっぱんてき単語たんご(165かい)である。

 つまりヘブライで「かれかおかわかくた」と「かれかおひかりかくた」、「かれかおかがやき、きんている(突出とっしゅつしている)」という「おと」は、どれも(karan owr panav:カラン オール パナヴ)でおなじである。著者ちょしゃ修辞しゅうじがくてき技法ぎほうとして意図いとてき両方りょうほう意味いみたせた「掛詞かけことば(かけことば)」であった可能かのうせい否定ひていできないが、ただ原文げんぶんは「かれかおかわかくた」である。一方いっぽうでシナゴーグなどの朗読ろうどく聴衆ちょうしゅうおととしてこえてしまうほうしゅたる意味いみは、使用しよう頻度ひんどからは統計とうけいがくじょうかわ/はだ:owr(99かい)」ではなく「ひかり/かがやき:owr(165かい)」となってしまい「ひかりかくた」や「ひかり突出とっしゅつしてた」であるため、かなりかりやすい「掛詞かけことば(かけことば)」であった可能かのうせいいなめない。ただし“קָרַ֛ן”(karan)自体じたいは「かくる」の意味いみのままであることがかる。

 このななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょのこの個所かしょ、“ע֥וֹר ”(owr:オール:皮膚ひふ)づけの“קָרַן”(karan:カラン:かくる)の翻訳ほんやくれい根拠こんきょとして現代げんだい訳語やくごかがやく」が成立せいりつしているが、とうななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょでも「物理ぶつりてきかがやく」とやくしているかといえば上記じょうきとおじつはそうでもない(直訳ちょくやくは「かれかおいろ状態じょうたい栄誉えいよとなった」である)。このような用例ようれいは、ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょのこの個所かしょからくる例外れいがいてき伝統でんとうてきわけとして辞書じしょ掲載けいさいされているものの[59]、ヘブライ聖書せいしょ全体ぜんたいで94しょ使用しようされている“קרן”(karan:カラン:かくる)が「かがやく」とやくされる場合ばあいがあるのは、ユダヤきょうがわとしては“עוֹר”(owr:オール:かわ)をともなうこの個所かしょだけとされている。[60]つまり“אוֹר”(owr:オール:ひかり)と同音どうおんの“עוֹר”(owr:オール:かわ)をともなった熟語じゅくご場合ばあいのみに限定げんていされる。

 つまりこのことから“קָרַ֛ן ע֥וֹר פָּנָ֖יו”(karan owr panav)「かれかおかわ(owr)、かくる」を「かれかおはだ(かわ:owr)が栄光えいこうかがやいていた(karan owr)」や、「かれかおはだ(かわ:owr) がかがやいた(karan owr)」としてしまい、「はだ(かわ):owr」と「かがやき:owr」の両方りょうほうもちいてこの個所かしょ再帰さいきてきやくしてしまうと、「owr」が冗長じょうちょうやくされてしまう可能かのうせいがあり、このわけ本来ほんらい適切てきせつ翻訳ほんやくではない可能かのうせいがある。証拠しょうこ上記じょうきななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょ用例ようれい根拠こんきょ翻訳ほんやくしたはずが、ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょわけことなる結果けっかとなっている。ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょ用例ようれい根拠こんきょにして“קָרַ֛ן”(karan:カラン:かくた)を「かがやく」や「栄光えいこうかがやく」とやくすのであれば、正確せいかくにはこの個所かしょは「かわ:owr」をし、たんに「かれかお栄光えいこうかがやいていた」[52]とするか、「かわ:owr」のわけれるのであれば「かがやく」ではなくて「かくた」(ウルガータやく“cornuta esset”3たんせっ未完みかん)とするかであり、“קָרַ֛ן”(karan:カラン:かくた)の訳語やくご成立せいりつ過程かていからして、ヘブライからの翻訳ほんやく正確せいかくには本来ほんらいはそのどちらかになる。

 ではどちらにやくしたらただしいのかということになるが、もし著者ちょしゃがこの個所かしょを「掛詞かけことば(かけことば)」を意図いとしていたとする場合ばあいは、使用しようされた言語げんご以外いがい言語げんごで「掛詞かけことば(かけことば」を正確せいかくやくすのは困難こんなんであり、翻訳ほんやくしゃはどちらかの意味いみ選択せんたくしてやくしても、誤訳ごやく指摘してきまぬかれない可能かのうせいがあるということになる。この場合ばあい、どちらがただしいか、間違まちがっているかの議論ぎろんはあまり意味いみがない。この部分ぶぶん原文げんぶんヘブライ面白おもしろさを、説明せつめいてきやくしたところで、今度こんどはそれは翻訳ほんやくいきてしまうということになる。

 ところでななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょ翻訳ほんやくしゃが、「かわかくた」ではなく「栄光えいこうかがやいた」と翻訳ほんやくしたこと理由りゆう明確めいかくである。かわかく皮膚ひふびょうられており(老人ろうじんせいかくしょう日光にっこうせいかくしょうあぶらせいかくしょうかくがた疥癬かいせんなど)、はだ角質かくしつ増殖ぞうしょくする症状しょうじょうである。ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょ本来ほんらいプトレマイオス2せいいのちにより、エジプトのはんユダヤてき歴史れきしマネトンへの反論はんろん機会きかいあたえられて翻訳ほんやくされたものであり、モーセが皮膚ひふびょうになったと個所かしょすべて、あくまでもヘレニズム社会しゃかいけて誤解ごかい表記ひょうきえる目的もくてきがあるため、いでエジプト4:6の翻訳ほんやくれい準拠じゅんきょして翻訳ほんやくしているだけである。いでエジプト4:6ではかおではなくモーセの「」が「おも皮膚ひふびょうになってゆきようしろくなっていた」[61]原文げんぶんだが、ななじゅうにんやくギリシア聖書せいしょではモーセの「」が「ゆきのようになった」[62]となり、同様どうよう手法しゅほう皮膚ひふかんするわけされ「かがやもの」としてやくされている。[63][64]

 かくしょうなかでも日光にっこうせいかくしょう紫外線しがいせん影響えいきょう蓄積ちくせきにより高齢こうれいしゃかおやすく、「かれかおかわかくた」[51]直後ちょくごには「モーセがおもかたるためにおもまえくとき、かれはそのおおいをそとてくるまではずしていた」[65]との追記ついきがあり、この皮膚ひふ状態じょうたいになった原因げんいんが、山頂さんちょうにおいて、日光にっこう(owr)やかみたいしてかお露出ろしゅつしていたこと原因げんいんであり、原因げんいんでこの皮膚ひふ状態じょうたいになったのではなく「栄誉えいよ」の証拠しょうこである可能かのうせいについての説明せつめいえられているのは興味深きょうみぶかい。

 このことからユダヤきょうがわでも歴史れきしてきにヘブライ文化ぶんかけん以外いがいひとたいして、ヘブライ以外いがい言語げんご聖書せいしょ翻訳ほんやくするさいは、モーセにたいする誤解ごかいいように慎重しんちょうに「かがやく」というわけてる習慣しゅうかん(ダブルスタンダード)になっている。[66]整理せいりするとヘブライ原文げんぶんでは普通ふつうに「かれかおかわかくた」でなんら問題もんだいく、マソラ本文ほんぶんにもケレーやケティーブの記載きさいられないが、言語げんごやくさいは「自分じぶんかお栄光えいこうかがやいていた」やたんに「自分じぶんかおかがやいていた」とえをおこなうのが翻訳ほんやくじょうのマナーとなっている。

 当然とうぜんながらユダヤきょうないけては、ミドラッシュ(Midrash Tanchuma)にこの個所かしょ註釈ちゅうしゃくとして「かく」と関連付かんれんづけた記載きさいのこされている。『またかれはその四隅よすみうえに「かく」をつくった。それはよんほんの「かく」をとおしておもたたえうつくしたくにゆるしをるため。(いずるエジプト:38:2)。その「かく」はシナイからた。そしてかれは「かく」をたかげた。かれみんのため(詩編しへん148:14)。トーラーの「かく」。「かく」はる、かれはたに。またかくされているかれちからが(ハバクク3:4)。「祭司さいしかく」についてはこうわれる。またあなたはわたしの「かく」をたかげた(詩編しへん92:11)。また「おうかく」についてはこうわれる。モーセは自分じぶんかおかわが「かく」をしているのをらなかった。(いずるエジプト34:29)。』[67]

音楽おんがく

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モーセとエジプトをテーマにした音楽おんがくは、ヨーロッパにおいて数多かずおおつくられた。代表だいひょうてきなものとしては、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲さっきょくしたオラトリオである『エジプトのイスラエルじん』や、ジョアキーノ・ロッシーニオペラである『モイーズとファラオン』(『モーゼとファラオ』、1827ねん)、アルノルト・シェーンベルクのオペラである『モーゼとアロン』(1930ねん)などがげられる[68]

モーセとエジプトをテーマにした映画えいがおおい。代表だいひょうてき作品さくひん以下いかのものがある。

比喩ひゆ俗用ぞくよう

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うみれるエピソードは旧約きゅうやく聖書せいしょなかでは日本にっぽんでも比較的ひかくてき有名ゆうめいなエピソードである。このエピソードからてんじて、ひとだかりなどで混雑こんざつしている場所ばしょにおいてある人物じんぶつあらわれるとそのひとのためにみち一斉いっせいけて空間くうかんができる様子ようすなどを、うみれている場面ばめん見立みたてて比喩ひゆてきにモーセを使つかうことがある。また、おな理由りゆうみずつよ磁場じばをかけるとかれることを「モーゼ効果こうか」という。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ いずるエジプト』6:19-20。なお、ここではアロンとモーセが双方そうほうアムラムとヨケベドのとされているが、ミリアムについてはれていない。ミリアムの名前なまえはじめててくるのは15:20で「アロンの姉妹しまい名義めいぎ登場とうじょう通常つうじょうは2しょうてくる「モーセのあね」とどう一人物いちじんぶつとされる。
    また2しょうでモーセがはは結婚けっこん最初さいしょまれたようなかれかたをしているのに一貫いっかんしたはなしながれであね直後ちょくごてくる(6しょうは2しょうべつ系統けいとう出典しゅってん可能かのうせいがあるが、ここは並行へいこう記事きじ後世こうせい挿入そうにゅう可能かのうせいひくい。)ことから、「あね」は「異母いぼあね」ではないか?モーセがそばにいる状況じょうきょうでミリアムが「アロンの姉妹しまい」とばれることからミリアムはモーセよりアロンのほうむすきがつよいのではないか?というせつもある。
    (関根せきね正雄まさお1969) p.122註三「モーセの誕生たんじょういち-じゅう)」
  2. ^ この「モーセ(モーシェ)の名前なまえ由来ゆらいはマーシャーから」は『いずるエジプト』2:10の本文ほんぶんちゅう明記めいきされているが、ヘブライみであるのでエジプトじんけるのは不自然ふしぜんなためか、ヨセフスやフィロンなどは本文ほんぶんない説明せつめいではなく「エジプトの言葉ことばで『みず』をモーウ、『みずからたすけられたひと』をエセース(後述こうじゅつ関根せきね正雄まさおの『いずるエジプト』では「モ=みず」「ユシェ=すくわれた」)といい、モーセ(原文げんぶんはギリシャみの「モーセース」)は『みずなかからげられたひと』という意味いみだ。」という「みず」が由来ゆらい説明せつめいげている
    (はた2010) p.48-49
    ただしこれもギリシャ前提ぜんていなので現在げんざいられない解釈かいしゃくであり、むしろエジプトの言葉ことばにこだわるなら「~の息子むすこ」にたる言葉ことば語源ごげんほう自然しぜんで、著名ちょめいじん使用しようれいに「アハモーセ」や「トゥトモーセ」といったファラオがおり、意味いみとしては後者こうしゃ場合ばあい「トゥト(かみ)の息子むすこ」という意味いみになる。
    (関根せきね正雄まさお1969) p.122註三「モーセの誕生たんじょういち-じゅう)」
    ちゅう:「トゥトモーセ」は通常つうじょう日本語にほんごでは「トトメス」とやくされる。Weblio 辞書じしょ > 英和えいわ辞典じてん和英かずひで辞典じてん > 英和えいわ対訳たいやく > Thutmesの意味いみ解説かいせつ”. 2019ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ モーセのつま資料しりょうごとに出自しゅつじちがっており『いずるエジプト』では前述ぜんじゅつのようにミディアンじんのツィポラだが、『みんすう』12:1ではアロンとミリアムが「モーセがクシュのおんなめとっている」ことを場面ばめんがあり、『』1:16ではイスラエルのみん行動こうどうともにしていた集団しゅうだんに「モーセのしゅうとであるケニじん子孫しそん」なる記述きじゅつがある。
    ヨセフスは「クシュじん」はツィポラとべつのモーセがエジプトにいたときつまだと解釈かいしゃく後述こうじゅつ)し、たる部位ぶいの「ケニじん」のくだりはミディアンじんとしてなおしている。
  4. ^ このしるしのみモーセがファラオにたい使用しようする場面ばめんがない。なお、ギリシャやく聖書せいしょでは「レプラ」の記述きじゅつがなく「ゆきのようにしろく」、これをもとにしたヨセフスはさらに「石灰岩せっかいがんのようにしろく」としている。((はた2010) p.97
  5. ^ 原語げんごではつえわったものはだい4しょう3せつでは「へび」だが、このだい7しょうではだい4しょうものとはべつ単語たんごで、直訳ちょくやくすると「おおきな爬虫類はちゅうるい」という意味いみになる。このため「(おおきな)へび」でも一応いちおうつが「わに」ともやくせる。
    (関根せきね正雄まさお1969) p.133註10「アロンのつえななはち-じゅうさん)」
  6. ^ さるいのち』34:9、以下いか文語ぶんごやく聖書せいしょより引用いんよう「ヌンのヨシユアはしん智慧ちえたかしものなりモーセそのをこれがうえに按たるによりてしかるなりイスラエルの子孫しそんこれに聽したがひぬしのモーセにめいじたまひしごとくおこなへり」(さるいのち34:9)、「おもぼくモーセの おも、モーセの從者じゅうしゃヌンのヨシユアにかたりてげんたまはく わがぼくモーセはすでしかなんじいま此すべてのみんとともにてこのヨルダンをすみがイスラエルの子孫しそんあずかふるにゆけ」(ヨシュア1:1-2)
  7. ^ Yahweh's name, written as 'YHWH' in the Hebrew Bible, has traditionally been rendered in English as the Template:Lord (Adonai) or God by Jews and Christians. See Names of God in Judaism and Names of God in Christianity.
  8. ^ ただし、『ユダヤ古代こだい』ではこのエジプト2しょう11-15せつ該当がいとうするエピソードがなく、エチオピア遠征えんせいのあとねたまれたのでげたことにされている。
  9. ^ ヨセフスの著書ちょしょの『ユダヤ戦記せんき』では、ユダヤ戦争せんそう勃発ぼっぱつ直前ちょくぜんにカエサリアできたギリシャけいとユダヤけい住民じゅうみん同士どうしだい規模きぼ喧嘩けんか発端ほったんが「ギリシャけい住民じゅうみん間接かんせつてきにこのけんでシナゴーグのちかくでモーセを侮辱ぶじょくすることをしたのでおおいユダヤけい住民じゅうみんがキレて乱闘らんとうきた」という趣旨しゅし説明せつめいがある。
  10. ^ 引用いんようもとの『レビ』13しょうでは「レプラ(ヘブライでは「ツァーラアト」)患者かんじゃ宿営しゅくえいそと隔離かくりされる(だい13しょう46せつ)」だが、『ユダヤ古代こだい』でも「まちから追放ついほうされて他人たにんとの交渉こうしょうゆるされずいち死体したいのようにあつかわれる」とよりきびしい記述きじゅつになっている。((はた2010) p.228-233
  11. ^ ティルベリのゲルウァシウス『西洋せいよう中世ちゅうせいたん集成しゅうせい 皇帝こうてい閑暇かんか』(池上いけがみ俊一しゅんいちわけ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2008ねん7がつ10日とおか初版しょはんISBN 978-4-06-159884-3)では「つまり、さん嘆すべきひかりがそのかおから(かくじょうに)はっして、かれをつめるものくらませる」(p241)

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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