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正教会 - Wikipedia

正教会せいきょうかい

キリスト教きりすときょう教会きょうかいおよび教派きょうは

正教会せいきょうかい(せいきょうかい、ギリシア: Ορθόδοξη Εκκλησίαロシア: Православие英語えいご: Orthodox Church)は、ギリシャ正教せいきょう[9]もしくは東方とうほう正教会せいきょうかい[10](とうほうせいきょうかい、Eastern Orthodox Church)ともばれる、キリスト教きりすときょう教会きょうかい教派きょうは)のひとつ。

せいアンドレイ・ルブリョフによるイコンいたりひじりさんしゃ』。いたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいかみ)そのものはえがけないが、いたりひじりさんしゃ象徴しょうちょうするさん天使てんしえがいたイコンであるとされる[1]正教会せいきょうかいにおいて、教会きょうかいは「ハリストス(キリスト)からだ」として、またいたりひじりさんしゃぞう(イメージ)として、両面りょうめんから理解りかいされる[2][3][4]教会きょうかいとはなにかをかんがえるのにあたり、正教せいきょうではいたりひじりさんしゃについての言及げんきゅうけられない[5]
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく正教会せいきょうかいでの聖体せいたい礼儀れいぎ聖体せいたい機密きみつはその重要じゅうようせいから機密きみつなか機密きみつばれる[6][7][8]
はちはし十字架じゅうじかスラヴけい正教会せいきょうかいでよく使つかわれる十字じゅうじ。この十字じゅうじのみならず、ギリシャ十字じゅうじラテンじゅうなどのほか十字じゅうじ正教会せいきょうかい使つかわれる。

日本語にほんごの「正教せいきょう」、英語えいごめいの"Orthodox"(オーソドックス)は、「ただしいさん」「ただしいおしえ」を意味いみするギリシャのオルソドクシア "ορθοδοξία" に由来ゆらいする[9]正教会せいきょうかい使徒しと継承けいしょう自認じにんし、自身じしん歴史れきし1世紀せいき初代しょだい教会きょうかいにさかのぼるとしている[11]

なお「東方とうほう教会きょうかい」が正教会せいきょうかいしている場合ばあいもある[9]

例外れいがいはあるものの、正教会せいきょうかい組織そしき国名こくめいもしくは地域ちいきめいかんした組織そしき各地かくち形成けいせいするのが基本きほんである。コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうアレクサンドリアそう主教しゅきょうちょうアンティオキアそう主教しゅきょうちょうエルサレムそう主教しゅきょうちょうロシア正教会せいきょうかいセルビア正教会せいきょうかいルーマニア正教会せいきょうかいブルガリア正教会せいきょうかいグルジア正教会せいきょうかいギリシャ正教会せいきょうかい日本にっぽん正教会せいきょうかいなどは個別こべつ組織そしきめいであって教会きょうかい全体ぜんたいではない。いずれの地域ちいきべつ教会きょうかい組織そしきも、正教せいきょうとしておな信仰しんこうゆうしている[12]教会きょうかい全体ぜんたいめいはあくまで正教会せいきょうかいであり、「ロシア正教せいきょう改宗かいしゅう」「ルーマニア正教せいきょう改宗かいしゅう」といった表現ひょうげんあやまりである[13]

なお、アルメニア使徒しと教会きょうかい(アルメニア正教会せいきょうかい)、シリア正教会せいきょうかいコプト正教会せいきょうかいエチオピア正教会せいきょうかいなどもおなじく「正教会せいきょうかい」を名乗なのりその正統せいとうせい自覚じかくしているが、うえべたギリシャ正教せいきょうともばれる正教会せいきょうかいとは4世紀せいきごろ分離ぶんりしたべつ系統けいとうぞくする。英語えいごではこれらの教会きょうかい"Oriental Orthodox Church"ともばれる。詳細しょうさいカルケドン正教会せいきょうかい参照さんしょう

東方とうほう正教会せいきょうかいは、いち国家こっかいち民族みんぞく)、いち教会きょうかい原則げんそくとしているが、ウクライナ正教会せいきょうかいかんしては1686ねんからロシア正教会せいきょうかい管轄かんかつにあった[よう出典しゅってん][14]

概要がいよう

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正教会せいきょうかい対象たいしょう

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正教会せいきょうかいとは、東方とうほう教会きょうかいのうち、ななつのぜんこう会議かいぎ承認しょうにんし、ふつう、古代こだいそう主教しゅきょうちょうのうちローマをのぞいた4そう主教しゅきょうちょう、すなわち(ギリシャ正教せいきょうけいの)コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうアレクサンドリアそう主教しゅきょうちょうアンティオキアそう主教しゅきょうちょうエルサレムそう主教しゅきょうちょうキノニア(コミュニオン)関係かんけいにあるしょ教会きょうかいをいう[15]

沿革えんかく分布ぶんぷ

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くにべつせい教徒きょうと分布ぶんぷじょうきょう
  主要しゅよう宗教しゅうきょうとなっている地域ちいき (75%以上いじょうせい教徒きょうと)
  主要しゅよう宗教しゅうきょうとなっている地域ちいき (50% – 75%)
  少数しょうすうであるが重要じゅうよう割合わりあい (20% – 50%)
  少数しょうすうであるが重要じゅうよう割合わりあい (5% – 20%)
  少数しょうすう (1% – 5%)
  1%以下いか少数しょうすうであるが独立どくりつ正教会せいきょうかい地位ちいているもの

成立せいりつにおいて地中海ちちゅうかい沿岸えんがんひがし半分はんぶん地域ちいきおも基盤きばんとし、ひがしマ帝国まていこく国教こっきょうとして発展はってんしたことから「東方とうほう正教会せいきょうかい」のもあるが、今日きょうではギリシャ東欧とうおうにおいて優勢ゆうせいであるのみならず、世界せかい大陸たいりくすべてに信徒しんと分布ぶんぷする[ちゅう 1]。また、中東ちゅうとうにも初代しょだい教会きょうかいから継承けいしょうされるすくなくないせい教徒きょうとのコミュニティが存在そんざいする。

教会きょうかい教派きょうはとの関係かんけいについては、「正教会せいきょうかいしょ教会きょうかいが『分裂ぶんれつ』した」のではなく、「正教会せいきょうかいからしょ教会きょうかいはなれてった」と正教会せいきょうかいとらえている[10]西方せいほう教会きょうかいにはぎゃくかたないしべつかんかたがある[16][ちゅう 2])。

20世紀せいきに、正教会せいきょうかいさかんな地域ちいきである東欧とうおう成立せいりつした共産きょうさん主義しゅぎ政権せいけん弾圧だんあつけておおきな人的じんてき物的ぶってき精神せいしんてき被害ひがいけたが、共産きょうさん主義しゅぎ政権せいけん崩壊ほうかいのち各地かくち正教会せいきょうかい復興ふっこうしつつある。

日本にっぽんには使徒しと称号しょうごうのち列聖れっせいされたニコライによりロシア正教会せいきょうかいから伝道でんどうされ、日本にっぽん正教会せいきょうかい成立せいりつしている。日本にっぽん正教会せいきょうかいでは、イエス・キリスト中世ちゅうせいギリシャロシア由来ゆらいかたイイスス・ハリストス転写てんしゃしたり、"Άγιο Πνεύμα"(アギオ・プネヴマ、聖霊せいれい)をせいかみやくしたりするなど、用語ようごじょう日本にっぽん慣例かんれいてき表記ひょうきことなるてんがある。以下いか、この記事きじでは日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい使つかわれている用語ようごことわりなくもちいる場合ばあいがある。こうした用語ようごについては日本にっぽん正教会せいきょうかい聖書せいしょ祈祷きとうしょとうにみられる独自どくじ翻訳ほんやく用語ようご体系たいけい参照さんしょう

教会きょうかい

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ぜん世界せかい組織そしき

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基本きほん構成こうせい

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正教会せいきょうかい上記じょうき4つの古代こだいそう主教しゅきょうちょうコンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうアレクサンドリアそう主教しゅきょうちょうアンティオキアそう主教しゅきょうちょうエルサレムそう主教しゅきょうちょう)のほか、独立どくりつ正教会せいきょうかい自治じち正教会せいきょうかい数々かずかず構成こうせいされている[15]

基本きほんてきそう主教しゅきょういたる平等びょうどうである[17]

かく独立どくりつ正教会せいきょうかい自治じち正教会せいきょうかい首座しゅざ主教しゅきょうそう主教しゅきょう主教しゅきょうだい主教しゅきょうのいずれかがそのにんにあたる)は「同格どうかくしゃちゅう第一人者だいいちにんしゃ」として、主教しゅきょうたちくらべて若干じゃっかん特権とっけんってる。しかし首座しゅざ主教しゅきょうといえども、主教しゅきょういたる主教しゅきょう会議かいぎ同意どういければ独断どくだんでは行動こうどうできない(せい使徒しと規則きそく34じょう[18]

独立どくりつ教会きょうかい自治じち教会きょうかい

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ニコライどう日本にっぽん正教会せいきょうかい首座しゅざ主教しゅきょうだい聖堂せいどう東京とうきょう千代田ちよだ

かく独立どくりつ教会きょうかいかく自治じち教会きょうかいには統括とうかつする首座しゅざ主教しゅきょうるが、それぞれの教会きょうかい組織そしき首座しゅざ主教しゅきょう歴史れきしてき尊敬そんけい度合どあいのちがいはあっても権威けんい優劣ゆうれつ存在そんざいしない。カトリック教会きょうかいにおけるローマ教皇きょうこうをトップとするような組織そしき構成こうせいをとらず、かく地域ちいき独立どくりつ教会きょうかい自治じち教会きょうかいが、正教せいきょう信仰しんこう使徒しと時代じだい以来いらい教会きょうかい姿すがたかちってゆるやかにむすびつき、正教会せいきょうかいとしての一致いっちたもっている[10]

かく教会きょうかい区別くべつされながらひとつに一致いっちしているのは、「区別くべつ一致いっち」であるいたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいかみ)の姿すがた教会きょうかいうつされているものと理解りかいされる[19]。こうした教会きょうかい現状げんじょうは、歴史れきしじょう教会きょうかい共同きょうどうたい拡大かくだいするにつれ、母体ぼたいとなるはは教会きょうかいから教会きょうかいまれるというプロセスを形成けいせいされた。「はは教会きょうかい」「教会きょうかい」「姉妹しまい教会きょうかい」という表現ひょうげん使つかわれる[20]

独立どくりつ正教会せいきょうかい自治じち正教会せいきょうかいなかには、正教会せいきょうかい複数ふくすうあるそう主教しゅきょうちょうからの承認しょうにん一部いちぶのみにとどまっているものがある。たとえばエストニア使徒しと正教会せいきょうかい[ちゅう 3]ウクライナ正教会せいきょうかい[ちゅう 4]は、コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうからは自治じち正教会せいきょうかい独立どくりつ正教会せいきょうかいとして承認しょうにんされているが、モスクワそう主教しゅきょうちょうからは承認しょうにんられていない。ぎゃく日本にっぽん正教会せいきょうかいはモスクワそう主教しゅきょうちょうからは自治じち正教会せいきょうかいとして承認しょうにんされているが、コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうからは自治じち正教会せいきょうかいとしては承認しょうにんられていない[15]。ただしこれらの場合ばあい論点ろんてんになるのは当該とうがい教会きょうかい地位ちいについてであって、おたがいに正教会せいきょうかいとしては承認しょうにんい、交流こうりゅうおこなわれている(れい日本にっぽん正教会せいきょうかい正教会せいきょうかいとの交流こうりゅう)。

また、20世紀せいきまつからアンティオキアそう主教しゅきょうちょうおよびロシア正教会せいきょうかい自主じしゅ管理かんり教会きょうかいという教会きょうかい組織そしき種別しゅべつもうけられている。

これらのほかに、マケドニア正教会せいきょうかいモンテネグロ正教会せいきょうかいなど、上記じょうき正教会せいきょうかい組織そしきからは承認しょうにんされていない教会きょうかい組織そしきがある。これらの教会きょうかいとの交流こうりゅうをどのようにするかについては、それぞれの正教会せいきょうかい組織そしきにおいて個別こべつ判断はんだんされており、ぜん世界せかい正教会せいきょうかい共通きょうつうする統一とういつ見解けんかいい。


教義きょうぎ

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信仰しんこう内容ないよう概要がいよう

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フレスコイコン復活ふっかつ』。現在げんざいカーリエ博物館はくぶつかんとなっている、ホーラ(コーラ)修道院しゅうどういん聖堂せいどうない湾曲わんきょくした天井てんじょうえがかれている。あるじハリストス(キリスト)がアダムエヴァり、地獄じごくからげる情景じょうけいえがいたもの。このハリストスの地獄じごくのイコンが、正教会せいきょうかいにおいては復活ふっかつのイコンとして定着ていちゃくしている[21]

正教会せいきょうかいは、イイスス・ハリストス(イエス・キリストの中世ちゅうせいギリシアおよび教会きょうかいスラヴみ)の十字架じゅうじかけいによる復活ふっかつ証人しょうにんとされる使徒しといたる信仰しんこうと、使徒しとたちからはじまった教会きょうかいのありかた唯一ゆいいつただしくいでいると自認じにんしている。正教会せいきょうかいは、かみ啓示けいじ信仰しんこう基盤きばんとし、連綿れんめんがれてきたかみによる啓示けいじもとづく信仰しんこうおしえを、ひじりつたえび、ひじりつたえつたえていくにあたっては、せいかみ聖霊せいれいみちびきがあるとする[22]。また正教会せいきょうかいにおいては、キリストきょう復活ふっかつ福音ふくいんならないとされる[23]

正教会せいきょうかいにおけるひじりつたえ本質ほんしつは、教会きょうかい形成けいせいしていく人々ひとびときた体験たいけん記憶きおくである[24]聖書せいしょせい師父しふ著書ちょしょぜんこう会議かいぎ規定きていたてまつかみあや祈祷きとうしょイコン聖歌せいかなどもふくむ)とう個々ここ別々べつべつあらわれであり、これらの構成こうせい要素ようそ集積しゅうせきしてもひじりつたえ全体ぜんたいとはならない。なお正教会せいきょうかいにおいて聖書せいしょは、ひじりつたえ中核ちゅうかくであり、使徒しとらがのこしたもっと公的こうてき啓示けいじとらえられている[22][25][ちゅう 5]

正教会せいきょうかいにおいては、信仰しんこうかみ存在そんざいみとめることにとどまらず、かみ慈愛じあいみずからをゆだねることであり、おこないをともな信仰しんこう本来ほんらい意味いみにおける人間にんげん完成かんせい実現じつげんし、周囲しゅういあかるくらすものであるとされる。信仰しんこう自分じぶんのものとするかしないかは、そのひと自身じしん自覚じかく努力どりょくする意志いしによるとされる[26][ちゅう 6]

教会きょうかいぞくするすべてのものは機密きみつてき神秘しんぴてきなものとされる。とく聖体せいたい機密きみつは「機密きみつ機密きみつ」ないし「教会きょうかい機密きみつ」とばれ、教会きょうかい生活せいかつ中心ちゅうしん理解りかいされる[6][7][8]

正教会せいきょうかいしんじている内容ないよう簡単かんたんかつ適切てきせつ言葉ことばあらわしていると位置いちづけられるのが、日本にっぽん正教会せいきょうかいではたんしんじけい(しんけい)とばれるニケヤ・コンスタンチノープルしんけいである[27]

正教せいきょうはハリストスの復活ふっかつのいのちそのもの」「いのちは言葉ことばではつたわらないこと」から、正教せいきょうについて言葉ことば説明せつめいくすことは出来できないことが強調きょうちょうされる[10]

とき(ものいみ)について

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エジプトのせいマリアイコン17世紀せいきロシアえがかれたもの。中心ちゅうしんいのりをたてまつげるエジプトせいマリアの姿すがたえがかれ、周囲しゅういにその生涯しょうがいについての伝承でんしょう内容ないよう左上ひだりうえからじゅんえがかれている。エジプトのせいマリアの伝承でんしょうにはときについてのおしえが豊富ほうふふくまれ、だいときだいおもはエジプトのマリアを記憶きおくする。

西方せいほう教会きょうかいでは、だいバチカンこう会議かいぎ以降いこうとき義務ぎむがゆるやかになったが、正教会せいきょうかいではいまでも食物しょくもつ制限せいげんともなう「とき」が教義きょうぎじょう重要じゅうよう位置いちたもち、信者しんじゃ生活せいかつ習慣しゅうかんとなっている。

ときおも食物しょくもつ摂取せっしゅ規定きてい言及げんきゅうされるが、とき期間きかん遊興ゆうきょうなどもひかえ、おこないをつつしみ、いのりをやし、まなびの機会きかい積極せっきょくてきもうけ、ハリストス・教会きょうかいのためのはたらきをすことがすすめられている。「断食だんじき」という言葉ことばとき限定げんていすることけられる傾向けいこうがある。

ときについてのキリスト教きりすときょう文書ぶんしょ最古さいこ規定きてい19世紀せいきにコンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょう図書としょしつ発見はっけんされた1世紀せいき文書ぶんしょディダケー』(じゅう使徒しとおしえ)である。とき習慣しゅうかん旧約きゅうやく時代じだいから継承けいしょうされたものであり、古代こだいからごく最近さいきんいたるまで、東西とうざいわずまもられていた。

ときまつり表裏一体ひょうりいったいをなす。おおきなまつりにはかなら厳格げんかくときがそのまえ義務付ぎむづけられる。せい教徒きょうと生活せいかつときまつりによってリズムをつけられているといえる。

とき種類しゅるい

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とき規定きてい食品しょくひん以下いかのように分類ぶんるいする。

とき程度ていどおうじてこれらの食品しょくひん禁止きんしまたは許可きょかするものである。 もっとも厳格げんかくときは、にくさかな乾酪かんらくさけオリおりブ油ぶゆきんしょくするものである。明示めいじてき禁止きんしされているのはぶどうしゅであるが、酒類しゅるいけるのが通例つうれいである。これにたいして、オリおりブ油ぶゆ以外いがいけなければいけないかどうかは、論者ろんしゃによりかれる。

もっと厳格げんかくときつぎときになされる。

これにたいして、まつりおよびさだめられた時節じせつには、ときかれる。

  • 光明こうみょう週間しゅうかん復活ふっかつ大祭たいさいにつづくしゅう) この期間きかんはむしろときが「禁止きんし」されている。
  • 税吏ぜいりとファリセイのおもにつづくしゅうきんしょく週間しゅうかん
  • 降誕祭こうたんさい一定いってい期間きかん

まただいときちゅうおもにはさけオリおりブ油ぶゆ生神うるかみおんな福音ふくいんさいだいとき期間きかんにある場合ばあいにはくわえてさかなゆるされる。

なお一般いっぱん信徒しんとあいだではときさいにもさかなしょくゆるされることおおい。上記じょうきとき規定きていはあくまで標準ひょうじゅんてき修道院しゅうどういんのものであり、一般いっぱん信徒しんとたいしてはこれらにくらべて比較的ひかくてきゆるやかなときすすめられるのがつねである。しかしどの程度ていどとき食物しょくもつ規定きてい信徒しんとすすめられるかは地域ちいき教区きょうくによってがあり、一概いちがいにはえない。

とき期間きかん

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もっとも期間きかんながときだいときである。のぞく8週間しゅうかん合計ごうけいよんじゅうにちもっときびしいときてられる。詳細しょうさいだいときこう参照さんしょう

これにたいしてみじかときは、みず金曜日きんようびおよびさだめられたまつりまえいちにちときである。りょうせいまえきんしょくときとみなすならば、半日はんにちたないとき期間きかんもあるといえる。

これらの中間ちゅうかん

などの比較的ひかくてき長期ちょうきにわたるときがある。

そう主教しゅきょう

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コンスタンティノープルそう主教しゅきょうぜんそう主教しゅきょうとのタイトルを保持ほじし、「対等たいとうものたち主教しゅきょうたち)における第一人者だいいちにんしゃ」(First among Equals)とばれ敬意けいいあらわされるが[29]そう主教しゅきょういたる基本きほんてきすべ平等びょうどうである[17][4]

正教せいきょう国教こっきょうとする国家こっか

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正教せいきょう国教こっきょうとする国家こっかとしてはギリシャギリシャ正教会せいきょうかい)、フィンランドフィンランド正教会せいきょうかい)、キプロス(キプロス正教会せいきょうかい)がげられる。ロシアにおいてはロシア正教会せいきょうかい最大さいだい多数たすうめるが、国教こっきょうとはさだめられていない[30][31]

名称めいしょう別称べっしょう

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東方とうほう正教会せいきょうかい

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東方とうほう正教会せいきょうかいという別称べっしょうは、西方せいほう教会きょうかい(ローマ・カトリック、せい公会こうかい、プロテスタントほか)に対置たいちされるかたりである。両者りょうしゃ11世紀せいきころ分立ぶんりつした。東方とうほう教会きょうかいという名称めいしょうおお西方せいほう使つかわれるかたりであり、正教会せいきょうかい自身じしんは、たんに「正教せいきょう」ないし「正教会せいきょうかい」のかたりこのんでもちいる[ちゅう 7]。これは「正教せいきょう」が「ただしいおしえ」であるため、それ以上いじょう限定げんてい必要ひつようとしないという発想はっそうもとづいているほか、現在げんざい正教会せいきょうかい伝道でんどう範囲はんい東方とうほう限定げんていされていないという現状げんじょう反映はんえいされている半面はんめん日本語にほんごでは東方とうほう正教せいきょうとの区別くべつがつきにくくなるというプラクティカルな問題もんだいもある(英語えいごでは"eastern"と"oriental"ではっきり区別くべつされる)。また自称じしょうとしては「せい教徒きょうと」がおお使つかわれる。

ギリシャ正教せいきょう

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英語えいごではギリシャで発祥はっしょうした教会きょうかいという意味いみGreek Orthodox Church ともいい、これにあわせて日本にっぽんでは正教会せいきょうかいしてギリシャ正教せいきょうぶこともおおい。これはギリシアけん正教会せいきょうかい中心ちゅうしんがあったことから誤用ごようとはいいがたく、日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい関係かんけいしゃのなかにも、ギリシャ正教せいきょうかたりもちいるものがいる[33]。なおギリシャ正教会せいきょうかいぶこともあるが、これは近代きんだい設置せっちされた、ギリシャ共和きょうわこくしゅとして管轄かんかつするギリシャ正教会せいきょうかい(ギリシャ共和きょうわこく正教会せいきょうかい)(Church of Greece) を名称めいしょうでもある。

「ロシア正教せいきょう」が教派きょうはめいとして使つかわれることがままあるがこれはあやまりである。「ロシア正教せいきょう」は教派きょうはめいではなく組織そしきめいであり、その教義きょうぎ正教会せいきょうかい組織そしきであるグルジア正教会せいきょうかいブルガリア正教会せいきょうかいセルビア正教会せいきょうかいギリシャ正教会せいきょうかいルーマニア正教会せいきょうかい日本にっぽん正教会せいきょうかいなどと完全かんぜん同様どうようである。また、グルジア正教会せいきょうかい5世紀せいきブルガリア正教会せいきょうかい10世紀せいきセルビア正教会せいきょうかい13世紀せいき独立どくりつ正教会せいきょうかいとして承認しょうにんされているが(ただしいずれも後代こうだい一時いちじてき地位ちい喪失そうしつ期間きかんがあった)、ロシア正教会せいきょうかい独立どくりつ正教会せいきょうかいとしての地位ちいはは教会きょうかいから承認しょうにんされたのは16世紀せいきはいってからであり、相対そうたいてきにはあたらしい組織そしきであるというてんかんがみても、「ロシア正教せいきょう」は教派きょうは別名べつめいとしてもちいるのは適切てきせつでない[13]

正教会せいきょうかい頻繁ひんぱん比較ひかくされるべつ教派きょうはとしてローマ・カトリック教会きょうかいがあるが、「オーソドクス」(ただしいさん)と「カトリック」(普遍ふへん)は元来がんらい対立たいりつ概念がいねんではなく、ちが文脈ぶんみゃくから教会きょうかい性質せいしつべるものである(後述こうじゅつ)。正教会せいきょうかいもまたしんけいにあるとおりに、「ひとつのひじりにして『おおやけなる』(カトリケー)使徒しと教会きょうかい」であることをにんじており、教会きょうかい普遍ふへんせい(カトリコス)をふか自覚じかくしているが、教会きょうかい名称めいしょうとしては「オーソドクス」を名乗なのっている[3]

教会きょうかいとはなにか(教会きょうかいろん聖職せいしょくしゃ

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しょ神品しんぴんによるたてまつかみあや光景こうけいイコノスタシスこうがわいたりひじりしょたから手前てまえ水色みずいろ祭服さいふく着用ちゃくようし、宝冠ほうかんこうむってたてまつことたっているのが主教しゅきょうひだり手前てまえおおきくうつっている緑色みどりいろ祭服さいふく着用ちゃくようした人物じんぶつと、いたりひじりしょおくちいさくうつっている人物じんぶつ司祭しさい白地しろじ金色きんいろ刺繍ししゅうほどこされた祭服さいふくている二人ふたり輔祭である。正教会せいきょうかいでは祭日さいじつごとに祭服さいふくいろ統一とういつしてもちいるのが一般いっぱんてきであり、このようにしょ神品しんぴん別々べつべついろ祭服さいふくもちいるケースはそれほどおおくはい。また、祭服さいふくをこのようにかんそうするのは写真しゃしん撮影さつえいなどの特別とくべつ場合ばあいのぞいてたてまつかみあや場面ばめんかぎられている。

正教会せいきょうかいにおける教会きょうかいろん教会きょうかいとはなにか)においては、教会きょうかいハリストス(キリスト)からだであり、いたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいかみぞうであると理解りかいされ、教会きょうかいくび(かしら)はハリストスであるとされる[4]

きよしにしておおやけなる使徒しと教会きょうかい

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正教会せいきょうかいしんけいにおいて「きよしにしておおやけなる使徒しと教会きょうかい」とされる[34]

教会きょうかいせいなるハリストスのからだであり、いたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいかみぞうであり、せいなるかみとのまじわりのなかにあるため、きよしであると理解りかいされる[34]

おおやけなる」(カトリックギリシア: καθολικός カソリコス[ちゅう 8], 英語えいご: Catholic)については、地理ちりてきひろがりといった外的がいてきなものとしてのみ理解りかいされるべきではなく(地理ちりてき拡大かくだいする以前いぜんから教会きょうかいは「おおやけなる」ものであったと理解りかいされる[34])、質的しつてきめんからも理解りかいされなければならない[35]。「おおやけなる教会きょうかい」は正教せいきょうにおいて、充分じゅうぶんであり、完全かんぜんであり、すべてを包括ほうかつし、欠落けつらくいことを意味いみする[34]

使徒しとの」については、正教会せいきょうかい教会きょうかいを、使徒しとたち信仰しんこうと、使徒しとたちからはじまった教会きょうかいのありかたを、唯一ゆいいつただしくいできた教会きょうかいであるとすることを意味いみする[10]。また、「ハリストス(キリスト)からだ聖体せいたい)を中心ちゅうしんにしたたてまつかみあや共同きょうどうたい」としても教会きょうかいとらえ、ビザンティン時代じだい現在げんざいのかたちがほぼ確立かくりつしたたてまつかみあや礼拝れいはいには、ハリストスと使徒しとたちによっておこなわれた礼拝れいはいのかたちとれいせいたもたれているとする[10][20]

聖体せいたい礼儀れいぎ

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パンブドウ酒ぶどうしゅをハリストス(キリスト)のからだとしてべる感謝かんしゃ祭儀さいぎ聖体せいたい礼儀れいぎ)は、正教会せいきょうかいにおいてキリストきょう伝統でんとう神髄しんずいとされる。教会きょうかい共同きょうどうたい中心ちゅうしんにはこの感謝かんしゃ祭儀さいぎ聖体せいたい礼儀れいぎ)があるとし[20]、この「聖体せいたいべる」ことをつうじて、信者しんじゃがハリストス・かみひとつとなり、たがいがひとつとなり、ハリストスがあつめた「あらたなるかみみんつどい・教会きょうかい」がたしかめられるとする[10]

神品しんぴん聖職せいしょくしゃ

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正教会せいきょうかいにおける聖職せいしょくしゃ神品しんぴん(しんぴん)という[36]

教会きょうかいという共同きょうどうたい拡大かくだいするにつれて使徒しとたち自身じしんわるものとして共同きょうどうたい中心ちゅうしんいたもの主教しゅきょうであり、現代げんだい正教会せいきょうかいにみられる主教しゅきょうはこれの継承けいしょうしゃであり、主教しゅきょうたちのまとめやくとしてそう主教しゅきょう主教しゅきょうだい主教しゅきょうがいる[20][37]

主教しゅきょう輔佐ほさやくとして司祭しさい輔祭がいる。司祭しさいしゅ教区きょうくぞくする管轄かんかつにおいてたてまつかみあやつかさいのりし、説教せっきょう相談そうだんとう職務しょくむにあたる。輔祭は聖体せいたい礼儀れいぎ教会きょうかいほか職務しょくむさいし、また教会きょうかいにおけるはたらきにさいし、主教しゅきょう司祭しさい輔佐ほさおこなう。輔祭、司祭しさい主教しゅきょうじゅんじょきよしされていくが、司祭しさいと輔祭は輔祭じょせいまえであれば妻帯さいたいできる(主教しゅきょう修道しゅうどうからえらばれるため独身どくしんである)[38]

ひじりつたえ

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正教会せいきょうかいにおいて、ひじりつたえギリシア: Ιερά Παράδοση[39], ロシア: Священное Предание, ルーマニア: Sfânta Tradiție[40], 英語えいご: Holy Tradition)とはかみみん(すなわち正教会せいきょうかいせい教徒きょうと)の生活せいかつそのものである[41][42]せいイウスチン・ポポヴィッチは、ひじりつたえについて「ハリストス(キリスト)にあっての生活せいかついたりひじりさんしゃ三位一体さんみいったいかみ)にあっての生活せいかつ、ハリストスにあっての成長せいちょういたりひじりさんしゃにあっての成長せいちょう」とまとめている[43]

ひじりつたえ継続けいぞく[41]教会きょうかいせいかみ(せいしん、聖霊せいれいみちびきをけてつづけるゆえに、成長せいちょうし、発展はってんする[22]セルゲイ・ブルガーコフによれば、「ひじりつたえいま以前いぜんよりちいさくなることなくつねつづき、わたしたちはひじりつたえなかき、ひじりつたえ実行じっこうする。」[42]

ひじりつたえ内容ないようには、具体ぐたいてきには聖書せいしょせい使徒しとしゅう聖人せいじん致命ちめいしゃせい師父しふいたるによるの著述ちょじゅつおしおよ行動こうどうたてまつかみあや初代しょだい教会きょうかい伝承でんしょうぜんこう会議かいぎ確認かくにん事項じこうなどがげられるが[44]ひじりつたえすべてがこれらの具体ぐたいてきしょ事物じぶつ還元かんげんできるものではない。ひじりつたえたんなる伝達でんたつ事項じこう情報じょうほうえている。ひじりつたえかみについてわたしたちにおししん知識ちしきおしえるが、実際じっさいせいつて生活せいかつはいるとはどのようなことなのかを理解りかいするのには、かみとのまじわり(キノニア)直接的ちょくせつてき体験たいけん必要ひつようであるとされる[45]

 
きよしだいワシリイ(バシレイオス)えがいた細密さいみつ15世紀せいきアトスさん
せいかみ(せいしん・聖霊せいれいによってあたえられるものは、楽園らくえん更新こうしん天国てんごくへの上昇じょうしょうたる身分みぶん更新こうしんかみをあえて自分じぶんたちのちちぶこと、ハリストス(キリスト)恩寵おんちょうにあずかるものとなり、ひかりばれ、永遠えいえん光栄こうえいにあずかること、一口ひとくちって、このにおいても、またきたるべきにおいても、ことごとく「あふれる祝福しゅくふく」(ロマしょ15:29)のなかにあること… — きよしだいワシリイ(バシレイオス)、「きよしだいバシレイオスの『聖霊せいれいろん』」山村やまむらたかしやく、p109(みなみまどしゃ 1996ねん6月30にち発行はっこう ISBN 9784816501951)より、一部いちぶ正教会せいきょうかいでの用語ようごえて引用いんよう

きよしだいワシリイ(バシレイオス)による上記じょうき記述きじゅつは、教会きょうかいひじりでんについてしんの「実存じつぞんてきな」めんしめしている。正教会せいきょうかいにおいてひじりつたえは、固定こていされた教義きょうぎでもなければ、画一かくいつてきたてまつかみあや実践じっせんでもない。たしかにせいつてには教理きょうりたてまつかみあや定式ていしきふくまれるが、それらをえて教会きょうかい日常にちじょう生活せいかつとおして体験たいけんされる、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)恩寵おんちょうと、神父しんぷ(かみちち・ちちなるかみ)の仁愛じんあいせいかみ(せいしん・聖霊せいれい交親(まじわり・キノニア)コリンフ後書あとがき13:13)をとおしてのかみみん変容へんようがあるとされる[46]

教会きょうかいにあるすべてのものがせいつてとされるわけではない。かみくにとは本質ほんしつてきには関係かんけいがなく、一部いちぶ地域ちいきでのみ習慣しゅうかんてきおこなわれているものもある。[22]教会きょうかいなかにあるものがせいつてかそうでないかは、「使徒しと時代じだいさかのぼるものか(聖書せいしょ基礎きそづけられているか)[22][39]」「すべての教会きょうかいれられせい師父しふによっておしえられているか[39]」などによって判断はんだんされる。なお、すべてのせい師父しふによる著述ちょじゅつ同等どうとう権威けんいゆうするわけではなく、とく重要じゅうよう判断はんだんされるものとそうでないものとがある[47]

分類ぶんるい

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参考さんこう文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 南極大陸なんきょくたいりくにも正教会せいきょうかいがある。リラのせいイオアン聖堂せいどう参照さんしょう南極なんきょくけん範囲はんい拡大かくだいすればキングジョージとういたりひじりさんしゃ聖堂せいどう (南極なんきょく)がある。
  2. ^ ローマ・カトリックのがわった見解けんかいにおいては「もっとふるローマ・カトリック教会きょうかい西方せいほう教会きょうかい)から東方とうほう正教会せいきょうかい分離ぶんりした」となる。正教せいきょうがわ見解けんかいはこれとことなっている。すくなくとも歴史れきしじょうローマ教皇きょうこう東方とうほう教会きょうかいたいして西方せいほう教会きょうかいたいするのとおなじような権限けんげん行使こうし史実しじつい(ぎゃく東方とうほうそう主教しゅきょう西方せいほうたいして一方いっぽうてき権限けんげん行使こうししたこともい)。平等びょうどうそう主教しゅきょうたちなかからローマそう主教しゅきょう教皇きょうこう)が東方とうほうからかれてった、というのが正教会せいきょうかいにおける認識にんしきである。このように、東西とうざい教会きょうかいのいずれも、みずからこそを正統せいとうであると自認じにんしている。東西とうざいりょう教会きょうかい8世紀せいきから13世紀せいきにかけてなが時間じかん差異さいふか分裂ぶんれついたった。詳細しょうさい東西とうざい教会きょうかい分裂ぶんれつ参照さんしょう
  3. ^ コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょう庇護ひご自治じち正教会せいきょうかいであるエストニア使徒しと正教会せいきょうかいほかに、モスクワそう主教しゅきょうちょう庇護ひご自主じしゅ管理かんり教会きょうかいとしてのエストニア正教会せいきょうかいがある。
  4. ^ 2018ねんウクライナ正教会せいきょうかい・キエフそう主教しゅきょうちょうウクライナ独立どくりつ正教会せいきょうかい合同ごうどうして誕生たんじょうした新生しんせいウクライナ正教会せいきょうかいが、コンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうから独立どくりつ承認しょうにんされ、2019ねんにコンスタンティノープルそう主教しゅきょうちょうから独立どくりつ正教会せいきょうかいとしての承認しょうにんた。
  5. ^ 正教会せいきょうかいにおいては「聖書せいしょひじりつたえ中核ちゅうかく」ととらえる。これにたいし、カトリック教会きょうかいは「聖書せいしょひじりつたえおなじく尊敬そんけいすべき」とする。プロテスタントには、聖書せいしょ以外いがい伝承でんしょう重視じゅうしするものもおりいちがいにはえないが、傾向けいこうとして基本きほんてきには「聖書せいしょのみ」の姿勢しせいをとる。
  6. ^ 信仰しんこうについて、「そのひと意志いしによる」とはしない教派きょうはもある。たとえば定説ていせつ立場たちばをとるものは「そのひと意志いしによる」といった文言もんごんかんがえをみとめない。
  7. ^ 11世紀せいきごろには「神聖しんせいにして正統せいとう普遍ふへんなる使徒しと東方とうほう教会きょうかい」としょうしていたとするせつもある[32]
  8. ^ καθολικός…「カソリコス」は現代げんだいギリシャ転写てんしゃ古典こてんギリシャ再建さいけんおんでは「カトリコス」。

出典しゅってん

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  13. ^ a b 正教会せいきょうかい(ギリシャ正教せいきょう東方とうほう正教会せいきょうかい)・ニコライどうについて よくある質問しつもん
  14. ^ This is not true. For example, the Russian Orthodox Church had been a metropolitanate of the Patriarchate of Constantinople for a few centuries since its establishment in 988. Eventually she received independence (autocephaly) in 1589, and it is very important to note that this independence was received in a strict accordance with the Orthodox Canon Law, which is essential for all Canonical Churches. It clearly states the difference between an autocephaly and schism. Please see Autocephaly of the Russian Church for reference.
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  26. ^ 正教せいきょう要理ようり』2ぺーじ - 5ぺーじ日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい教団きょうだん 昭和しょうわ55ねん12月12にちだい1さつ
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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