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神現祭 - Wikipedia

かみげんまつり

宗教しゅうきょうがくにおいて神格しんかく人間にんげんまえ姿すがたあらわすこと。

かみげんまつり(しんげんさい:ギリシア: Θεοφάνια, ロシア: Богоявле́ние, 英語えいご: Theophany)は、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)が洗礼せんれいしゃヨハネ前駆ぜんく授洗イオアン)によって洗礼せんれいけたことを記念きねんするキリスト教きりすときょう東方とうほう教会きょうかいまつりで、正教会せいきょうかいギリシャ正教せいきょう)でのじゅう大祭たいさいひとつの名称めいしょう祭日さいじつ1がつ6にちユリウスれき使用しようする教会きょうかいでは、21世紀せいき現在げんざい1がつ19にち相当そうとう)。

民衆みんしゅうまえあらわれたキリスト」(アレクサンドル・イワノフトレチャコフ美術館びじゅつかんくら
かみげんさい壁画へきがイコンヨルダン川よるだんがわ河畔かはんにある前駆ぜんく授洗イオアン教会きょうかい
ブルガリア正教会せいきょうかいでのかみげんさいいち場面ばめんかわみずうみ聖水せいすいしきおこなわれたのち聖水せいすいとなったみずなかはい習慣しゅうかん世界せかい各地かくち正教会せいきょうかいにある(すべての個々ここ教会きょうかいおこなわれているわけではなく、また日本にっぽん正教会せいきょうかいではおこなわれていない)。イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)洗礼せんれいによってみずなりきよしされたことを記憶きおくする。
ヴォルガがわでのかみげんさいいち場面ばめんこおり十字架じゅうじか用意よういされているが、同様どうよう習慣しゅうかん世界せかい各地かくち正教会せいきょうかいにある。

おなじく1がつ6にちに、ローマ・カトリックせい公会こうかいルーテル教会きょうかいなど伝統でんとうてき西方せいほう教会きょうかいでは「おおやけげんさい」「顕現けんげん」など(英語えいご: Epiphany)とばれるまつりいわうが、まつり意味いみことなる。

概要がいよう

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かみ顕現けんげん

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ギリシア: Θεοφάνια, Theophania, 現代げんだいギリシア:セオファニア」の原義げんぎは「かみ人類じんるいあらわれた」という意味いみ。ユダヤきょう様々さまざま意味いみいだキリストきょうでは、ギリシア教父きょうふのひとりで聖書せいしょ学者がくしゃエウセビオスは『かみあらわれについて』(Peri theophaneias)で、イエス受肉についてろんじている。

プロテスタント福音ふくいんのロン・ローズ(Ron Rhodes)などは、旧約きゅうやく聖書せいしょにしばしばあらわれる天使てんしは、受肉まえのイエスであると説明せつめいしている。

古代こだい教会きょうかいとアルメニア使徒しと教会きょうかい

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この祭日さいじつのルーツはアナトリア現代げんだいトルコ)などの地域ちいきにあるとかんがえられている。もともとはエピファネイア(あらわれ)という名称めいしょうによって、キリストの降誕こうたんから東方とうほうさん博士はかせ来訪らいほう、イエスの子供こども時代じだいのすべての出来事できごと、そしてヨルダン川よるだんがわ洗礼せんれいしゃヨハネから洗礼せんれいける(イエスの洗礼せんれい)までの、降誕祭こうたんさいふくめたすべてのいわいをふくんでいた。また、ユダヤきょうハヌカキリスト教きりすときょういだものであるともいわれる。

アルメニア使徒しと教会きょうかいアルメニア典礼てんれいカトリック教会きょうかい英語えいごばんにおいては、現在げんざいでも教会きょうかいれきじょうの1がつ6にちアルメニア本国ほんごくなどではグレゴリオれきエルサレムのアルメニアそう主教しゅきょうにおいてはユリウスれき使用しよう)に、キリストの降誕こうたん同時どうじにイエスの洗礼せんれい記念きねんいわわれる。アルメニア共和きょうわこくにおいては、1がつ6にち国定こくてい祝祭日しゅくさいじつとなっている。

東方とうほう正教会せいきょうかい(ギリシャ正教せいきょう

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東方とうほう正教会せいきょうかいギリシャ正教せいきょう)では、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)洗礼せんれい記憶きおくすることからおも洗礼せんれいさいともばれる[1]祭日さいじつは1がつ6にちユリウスれき使用しようする正教会せいきょうかいでは1がつ19にち相当そうとう[2]

イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)洗礼せんれいと、いたりひじりさんしゃ顕現けんげんいわう。後者こうしゃ意義いぎは、おも洗礼せんれいさいてんから神父しんぷ(かみちち:いたりひじりさんしゃのうちの「ちちなるかみ」)のこえこえ、せいかみ聖霊せいれい鴿どばとのかたちでくだったという福音ふくいんしょ記述きじゅつによる[3]

4世紀せいき西方せいほう教会きょうかいつたわり、現在げんざいおおやけげんさい顕現けんげんなどとも)となったが、西方せいほう教会きょうかいではおも洗礼せんれい意味いみうしなわれ、東方とうほう博士はかせ来訪らいほう記念きねん中心ちゅうしんとなり、異邦いほうじんたいするあるじ顕現けんげんとしていわわれるようになった[4]

このまつりで記憶きおくされる内容ないようとして以下いかげられる。

  • いたりひじりさんしゃ顕現けんげん洗礼せんれいけるイイスス、鴿どばとのかたちでったせいかみてんからのこえしめされたちちなるかみ[3][5]
  • 本来ほんらい洗礼せんれい必要ひつようとしない、しんかみでもありしんひとでもあるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は、謙遜けんそんによって洗礼せんれいけることで、人々ひとびと洗礼せんれいける模範もはんしめした[5]
  • 本来ほんらい洗礼せんれい必要ひつようとしない、しんかみでもありしんひとでもあるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は、ヨルダン川よるだんがわみずはいって洗礼せんれいけることで、みずひじりにした[1][3]

聖書せいしょ箇所かしょ以下いかとおりである[3]

 
だい聖水せいすいしきでタンクのみずなりきよしするモスクワそう主教しゅきょうアレクシイ2せい

かみげんさいだい聖水せいすいしきおこなう習慣しゅうかんがある。聖堂せいどうないもしくは屋外おくがい用意よういされたタンクにみずたし、みずなか十字架じゅうじかひたして十字じゅうじえがき、みずなりきよし(せいせい)をおこなうものである。こうしてなりきよしされたみず聖水せいすいばれ、信徒しんとたちあたえられる。神品しんぴん (正教会せいきょうかい聖職せいしょく)手近てぢか水辺みずべうみかわみずうみいけ、プール、貯水池ちょすいちなど)におもむき、同様どうようだい聖水せいすいしきおこなうこともある。

かみげんさい以外いがいにも聖水せいすい不足ふそくしてきたさい適宜てきぎおこなわれるものとしてしょう聖水せいすいしきがあるが、だい聖水せいすいしきかみげんさいでのみおこなわれるものである。

かみげん記憶きおくする聖堂せいどう修道院しゅうどういん数多かずおお存在そんざいする。

西方せいほう教会きょうかい

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西方せいほう教会きょうかいローマ・カトリックと、それから派生はせいしたせい公会こうかいプロテスタント一部いちぶでは、一般いっぱんに、異邦いほうじんユダヤじん)である東方とうほうさん博士はかせすくぬしイエスがあらわれたとしていわう。祭日さいじつは1がつ6にち

脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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