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ノーベル文学賞 - Wikipedia

ノーベル文学ぶんがくしょう

ノーベルしょう授賞じゅしょう部門ぶもんのひとつ

ノーベル文学ぶんがくしょうノーベルぶんがくしょうスウェーデン: Nobelpriset i litteratur)は、ノーベルしょう6部門ぶもんのうちのひとつ。文学ぶんがく分野ぶんやにおいて理念りねんをもって創作そうさくし、もっと傑出けっしゅつした作品さくひん創作そうさくした人物じんぶつ[1]授与じゅよされる。原則げんそくとして定数ていすう1めいのみ受賞じゅしょうされるが、これまでに1904ねんフレデリック・ミストラルホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ1917ねんカール・ギェレルプヘンリク・ポントピダン1966ねんシュムエル・アグノンネリー・ザックス1974ねんエイヴィンド・ユーンソンハリー・マーティンソンが2にん同時どうじ受賞じゅしょうしゃとなっている。

ノーベル文学ぶんがくしょう
受賞じゅしょう対象たいしょう文学ぶんがくへの顕著けんちょ貢献こうけん
くにスウェーデン
主催しゅさいスウェーデン・アカデミー
初回しょかい1901ねん
最新さいしんかい2023ねん
最新さいしん受賞じゅしょうしゃヨン・フォッセ
公式こうしきサイトhttps://www.nobelprize.org/

概要がいよう 編集へんしゅう

アルフレッド・ノーベル少年しょうねん時代じだいから文学ぶんがく関心かんしんっており、とくバイロンシェリー熱中ねっちゅうしてみずからもいていた。また母語ぼごであるスウェーデンくわえて、英語えいごフランス語ふらんすごドイツイタリアロシア堪能かんのうであり、外国がいこく文学ぶんがく作品さくひん翻訳ほんやく趣味しゅみとしていた。晩年ばんねんになっても戯曲ぎきょくネメシス」を執筆しっぴつしており、創作そうさく文芸ぶんげい全般ぜんぱんつよ関心かんしんいていた。

このため、ノーベルしょう構想こうそうにも科学かがくだけでなく文学ぶんがく人類じんるいにとって重要じゅうようであると認識にんしきし、遺言ゆいごんなかで「理想りそうてき方向ほうこうせいの (in an ideal direction)」文学ぶんがく表彰ひょうしょう対象たいしょうふくめた[2][3]

ノーベル文学ぶんがくしょうはその作家さっか作品さくひん活動かつどう全体ぜんたいたいしてあたえられるものであって、ひとつの作品さくひんたいしてあたえられるものではない。ただし、とく代表だいひょうてき作品さくひん選考せんこううえ評価ひょうかされた重要じゅうよう作品さくひんなどの名前なまえしょうしるされることもある。原則げんそくとして選考せんこう時点じてん生存せいぞんしている作家さっか対象たいしょうであり、追贈ついぞうおこなわない。資格しかくっている各地かくちペン・クラブ大学だいがく文学ぶんがくしゃなどから候補こうほ推薦すいせんされ[4]、これをスウェーデン学士がくしいん選考せんこうする[5]

科学かがくしょう平和へいわしょう趣旨しゅし歩調ほちょうわせて人類じんるい進歩しんぽ発展はってん寄与きよする理想りそう主義しゅぎてき人道じんどう主義しゅぎてき文学ぶんがくしゃ授与じゅよされることがおおい。だい世界せかい大戦たいせんこうは、1947ねんアンドレ・ジッド受賞じゅしょうしたように、世界せかいてき著名ちょめい高齢こうれい文豪ぶんごうえらばれる傾向けいこうつよくなった。それまでは比較的ひかくてきわかく、以後いご創作そうさくのぞまれる作家さっかえらばれる傾向けいこうがあった[3][6]。1970年代ねんだい以降いこうパトリック・ホワイトをはじめ前衛ぜんえいてき作家さっかえらばれるようになり、ひろ地域ちいきから受賞じゅしょうしゃまれた[7]。ノーベル自身じしん体現たいげんしてきた、科学かがく技術ぎじゅつによる人類じんるい進歩しんぽ発展はってん寄与きよする、理想りそう主義しゅぎてき人道じんどう主義しゅぎてき文学ぶんがく範囲はんいふくむ、広義こうぎ意味いみでの、ジャンル小説しょうせつとしてのSF作家さっか受賞じゅしょうしたことはないものの、カズオ・イシグロの『わたしをはなさないで』のれいがあるように、受賞じゅしょうした作家さっかかならずしもSFかなかったということはなく、創作そうさく文芸ぶんげい全体ぜんたい受賞じゅしょう対象たいしょうである。

過去かこには歴史れきしモムゼン哲学てつがくしゃオイケンベルクソンラッセル)など、専業せんぎょう文学ぶんがくしゃ以外いがい受賞じゅしょうしゃもいたが、政治せいじチャーチル受賞じゅしょう最後さいご専業せんぎょう文学ぶんがくしゃのみが対象たいしょうめられた[3][8]。しかし、1958ねんには作曲さっきょくでもあるボリス・パステルナーク、1964ねんには哲学てつがくしゃでもあるサルトル受賞じゅしょう決定けっていされた。2016ねんにはシンガーソングライターボブ・ディラン受賞じゅしょうした(文学ぶんがく専業せんぎょうとしていないひとも、すべ受賞じゅしょう理由りゆう文学ぶんがくによるものである。)。

文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうは、これまでにパステルナークとサルトルの2人ふたりによって辞退じたいされている。サルトルが受賞じゅしょうみずか辞退じたいした一方いっぽう[9]、パステルナークは政治せいじてきあつりょくにより辞退じたい余儀よぎなくされた。

ノーベル文学ぶんがくしょうのメダルは、表面ひょうめんにはアルフレッド・ノーベルの横顔よこがおかくしょう共通きょうつう)、裏面りめんにはギリシャ神話しんわ女神めがみであるミューズうた姿すがた月桂樹げっけいじゅしたすわりながらそれをめるわかおとこ(Inventas vitam juvat excoluisse per artes,の文字もじかくしょう共通きょうつう)がデザインされている[10]

選考せんこう 編集へんしゅう

だい1かい選考せんこうさいにはトルストイ存命ぞんめい有力ゆうりょく候補こうほとされていたが、フランスのアカデミーが推薦すいせんした詩人しじんシュリ・プリュドムえらばれた。この選考せんこう結果けっかたいして、スウェーデン国内こくない一部いちぶ作家さっかたちが抗議こうぎおこなうなど世論せろん批判ひはんがあったが、トルストイの主張しゅちょうする政府せいふ主義しゅぎ宗教しゅうきょう批判ひはんれられず、翌年よくねん以降いこうえらばれることはかった[11]。1901ねん - 1912ねんのノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうしゃは「立派りっぱ人物じんぶつぞう」がおおきな要素ようそであり、受賞じゅしょうしゃ文学ぶんがく作品さくひん価値かちだけではなく、そのしょうあたいするようなモラルと生活せいかつ態度たいど、また社会しゃかいてき地位ちい大切たいせつであるとかんがえられていたが、その作家さっか生活せいかつ趣向しゅこうなどは審査しんさ対象たいしょうがいとし、作品さくひん自体じたい文学ぶんがくせい公平こうへい審査しんさ基準きじゅんとするようにつとめられるようになった[12]

1913ねんには、インドのタゴールがヨーロッパ以外いがい地域ちいきからはじめてえらばれた。タゴールはベンガルつくり、『ゆうべのうた』の出版しゅっぱん以来いらいたか評価ひょうかていた。子供こどもころから英語えいごまなび、イギリス留学りゅうがく経験けいけんもあるため英語えいごつうじていたタゴールが自分じぶん自身じしん英語えいごやくしたところ、アイルランドの詩人しじんイェイツなどの協力きょうりょくによって英語えいご出版しゅっぱんされ、ヨーロッパでも好評こうひょう[13]

1914ねん選考せんこうではカール・シュピッテラー候補こうほになっていたが、だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつにより授賞じゅしょう中止ちゅうしされた。1916ねんの11月に、1915ねんロマン・ロランと1916ねんヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム2人ふたりへの授賞じゅしょう発表はっぴょうされた。式典しきてん自体じたい戦争せんそう終結しゅうけつする1918ねんまで実施じっしされなかった[14]

1925ねんえらばれたげき作家さっかバーナード・ショー当初とうしょ受賞じゅしょう拒否きょひしていたが、説得せっとくによりしょうけ、賞金しょうきんはイギリスにおけるスウェーデン文学ぶんがくのための財団ざいだん設立せつりつとうじられた[15]

だい世界せかい大戦たいせんはじまると4ねんあいだ、ノーベル文学ぶんがくしょう中止ちゅうしされた。1945ねんに1944ねん受賞じゅしょうしゃヨハネス・イェンセンと1945ねん受賞じゅしょうしゃガブリエラ・ミストラル同時どうじ発表はっぴょうされた。1945ねん選考せんこうではフランスのポール・ヴァレリーまりつつあったが、正式せいしき決定けっていまえの7がつにヴァレリーが死亡しぼうしたため、ミストラルの南米なんべいはつ受賞じゅしょうまった[16]

1958ねんソ連それんボリス・パステルナーク政府せいふからのあつりょくにより、辞退じたい強要きょうようされた[17]。パステルナークは1960ねん死亡しぼうし、1988ねん息子むすこがメダルをっている[18]

サルトルは1964ねんえらばれたが、辞退じたいした。サルトルは公的こうてき栄誉えいよ否定ひていしており、過去かこにもフランス政府せいふによる勲章くんしょうなどを辞退じたいしていた。公式こうしき声明せいめいではノーベルしょう辞退じたい個人こじんてき理由りゆうとしているが、このしょう西側にしがわ中心ちゅうしんのものであることへのサルトルの批判ひはんとしてめられた[19][20]

セクハラ問題もんだい 編集へんしゅう

#MeToo運動うんどう世界せかいひろがった2017ねん、ノーベル文学ぶんがくしょう選考せんこう機関きかんであるスウェーデン・アカデミー女性じょせい会員かいいんおっとが、複数ふくすう女性じょせい性的せいてき暴行ぼうこうくわえていたとの疑惑ぎわく報道ほうどうされた。また当該とうがい人物じんぶつヴィスワヴァ・シンボルスカエルフリーデ・イェリネクハロルド・ピンターパトリック・モディアノなどけい7めい受賞じゅしょうしゃ名前なまえ事前じぜん漏洩ろうえいしていた事実じじつ判明はんめい[21]、アカデミーは混乱こんらんおちいり、2018ねんどうしょう選考せんこう見送みおくることを発表はっぴょうした[22][23]

この発表はっぴょう見送みおくりにたいしてスウェーデンの文学ぶんがく関係かんけいしゃによる市民しみん団体だんたい「ニュー・アカデミー」は2018ねんの1かいかぎりとなる代替だいたいしょうニュー・アカデミー文学ぶんがくしょう」を創設そうせつマリーズ・コンデフランス海外かいがいけん)へ授賞じゅしょうすることが10月12にち発表はっぴょうされた[24]。このしょうはショートリスト4めい公表こうひょうされ、コンデのほかに、ニール・ゲイマン(イギリス)、キム・トゥイ英語えいごばん(ベトナム)、村上むらかみ春樹はるき日本にっぽん)が候補こうほはいったが、村上むらかみ選考せんこう時点じてんみずか辞退じたいもう[25]

歴代れきだい受賞じゅしょうしゃ 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ Nobel Media AB. “Full text of Alfred Nobel's Will”. 2011ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ 柏倉かしわぐら、2-3ぺーじ
  3. ^ a b c えびすさき俊一しゅんいち監修かんしゅう『ノーベル文学ぶんがくしょう経済けいざいがくしょう : らしとしんゆたかにしたひとびと』ポプラ社ぽぷらしゃ、2003ねんISBN 4-591-07516-8 、2-3ぺーじ 16ぺーじ
  4. ^ The Asahi Shimbun Company. “ノーベル文学ぶんがくしょう 選考せんこうたずねて〈うえ”. 2011ねん10がつ22にち閲覧えつらん
  5. ^ 柏倉かしわぐら、4-7ぺーじ
  6. ^ 柏倉かしわぐら、104-105ぺーじ
  7. ^ 柏倉かしわぐら、179-180ぺーじ
  8. ^ 柏倉かしわぐら、79ぺーじ
  9. ^ サルトルのノーベルしょう辞退じたい背景はいけい書簡しょかんわず しん資料しりょう判明はんめい”. www.afpbb.com. 2023ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  10. ^ ノーベルしょうのメダル”. アワードプレス. 2017ねん10がつ4にち閲覧えつらん
  11. ^ 柏倉かしわぐら、8-9ぺーじ
  12. ^ 大木おおきひさよ川端かわばた康成やすなりとノーベル文学ぶんがくしょう スウェーデンアカデミー所蔵しょぞう選考せんこう資料しりょうをめぐって」京都きょうとぶん』 2014ねん だい21ごう p.42-64
  13. ^ 柏倉かしわぐら、15-23ぺーじ
  14. ^ 柏倉かしわぐら、42-43ぺーじ
  15. ^ 柏倉かしわぐら、56-59ぺーじ
  16. ^ 柏倉かしわぐら、99-101ぺーじ
  17. ^ Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011ねん10がつ29にち閲覧えつらんFour Nobel Laureates have been forced by authorities to decline the Nobel Prize!
  18. ^ 柏倉かしわぐら、141-147ぺーじ
  19. ^ Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011ねん10がつ29にち閲覧えつらんTwo Nobel Laureates have declined the Nobel Prize!
  20. ^ 柏倉かしわぐら、148-151ぺーじ
  21. ^ 「ノーベル文学ぶんがくしょうえた」p.243-244
  22. ^ 下司げす佳代子かよこ (2018ねん5がつ4にち). “ノーベル文学ぶんがくしょう今年ことし選考せんこう見送みおくり レイプ疑惑ぎわく混乱こんらん. 朝日新聞あさひしんぶん. https://www.asahi.com/articles/ASL536X03L53UHBI019.html 2018ねん5がつ4にち閲覧えつらん 
  23. ^ 矢野やの純一じゅんいち (2018ねん5がつ4にち). “ノーベルしょう 文学ぶんがくしょう選考せんこう延期えんき セクハラ・情報じょうほうろうえい疑惑ぎわくで”. 毎日新聞まいにちしんぶん. https://mainichi.jp/articles/20180504/k00/00e/040/216000c 2018ねん5がつ5にち閲覧えつらん 
  24. ^ 今年ことしかぎりの文学ぶんがくしょうにカリブの女性じょせい作家さっか スウェーデン”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2018ねん10がつ12にち). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36439750S8A011C1CR8000/ 2018ねん10がつ12にち閲覧えつらん 
  25. ^ 村上むらかみ春樹はるきさん、文学ぶんがくしょう候補こうほ辞退じたい ノーベルしょうわり”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2018ねん9がつ16にち). 2018ねん10がつ16にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • 柏倉かしわぐら康夫やすお『ノーベル文学ぶんがくしょう : 作家さっかとその時代じだい丸善まるぜん、1992ねんISBN 4-621-05064-8 
  • マティルダ・ヴォス・グスタヴソン ちょ羽根はねゆかり やく『ノーベル文学ぶんがくしょうえた平凡社へいぼんしゃ、2021ねんISBN 978-4-582-82492-6 

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう