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寺院 - Wikipedia

寺院じいん

仏教ぶっきょう神殿しんでん

寺院じいん(じいん、ともえ: विहार vihāra)は、仏像ぶつぞうまつられ、仏教ぶっきょう出家しゅっけもの起居ききょし、修行しゅぎょうおこな施設しせつである[1]てら(てら)、仏閣ぶっかく(ぶっかく)ともいう[ちゅう 1]

日本にっぽん寺院じいん地図ちず記号きごうまんじ

キリスト教きりすときょう神道しんとうなどをのぞもろ宗教しゅうきょう教会きょうかい神殿しんでんかたりとしてもひろもちいられている(ごくまれ神社じんじゃにももちいられることがある)。

概要がいよう 編集へんしゅう

てら」という漢字かんじは、本来ほんらい中国ちゅうごくかんだいにおいては、外国がいこく使節しせつ接待せったいするための役所やくしょであったが[2]こうかんあかりみかどときにインドからおとずれた2人ふたり僧侶そうりょおおとり臚寺まらせ、その、この僧侶そうりょたちのために白馬しろうまてらてさせ、まわせたことが、中国ちゅうごく仏教ぶっきょう寺院じいんはじまりである[2]

寺院じいん建造けんぞうぶつは、礼拝れいはい(らいはい)の対象たいしょうまつる「堂塔どうとう」と、そうしゅ居住きょじゅうする「僧坊そうぼう」とに区分くぶんされる。

堂塔どうとう」は、釈迦しゃかもしくは仏陀ぶっだはかすものであって、がた土饅頭どまんじゅうがたであったが、あつさをけるためにかさけたものが定着ていちゃくして、中国ちゅうごくなどで堂塔どうとうとなった。日本にっぽんにも中国ちゅうごく様式ようしきはいってきて、三重みえとう五重塔ごじゅうのとうななじゅうとうなどがてられ、土饅頭どまんじゅう痕跡こんせきのこした多宝塔たほうとうなどが出現しゅつげんする。日本にっぽん庭園ていえんじゅういちじゅうじゅうさんじゅう石塔せきとうなどの多層たそうとうてているが、これも同意どういのものである。

僧坊そうぼう」は、インドではヴィハーラとづけられて、僧侶そうりょ宿泊しゅくはくする場所ばしょであり、祇園ぎおん精舎しょうじゃ(ぎおんしょうじゃ、jetavana-vihāra)のように釈迦しゃか在世ざいせい時代じだいから寄進きしんされた土地とちしたが、次第しだい僧坊そうぼう建設けんせつされたり、石窟せっくつんだりした。中国ちゅうごくはいると僧坊そうぼう建設けんせつされることがおおくなり、堂塔どうとう併設へいせつされたので、寺院じいんというと、堂塔どうとう僧坊そうぼう同所どうしょにあることが普通ふつうとなる。

最初さいしょ出家しゅっけしゃ一時いちじてき定住ていじゅうāvāsa住処すみか)またはārāmaえん、おん)とばれた。都市とし郊外こうがい土地とちそうとぎ寄進きしんされたものをそう伽藍がらん(そうぎゃらんま、saṃghārāma)・そう伽藍がらんりゃくして伽藍がらん(がらん)といわれた。出家しゅっけしゃ定住ていじゅうともなって僧院そういん形成けいせいされた。精舎しょうじゃ(しょうじゃ、vihāra)・ひらめくつがえ殿どのろうろうぼうくついんの5しゅがある。精舎しょうじゃくついんでは広間ひろまぼうしつ中心ちゅうしんとしてしょ施設しせつ整備せいびされた。

信仰しんこう対象たいしょうとしての「仏塔ぶっとう」は、はじめ在家ありいえ信者しんじゃによって護持ごじされたが、おこりとう供養くよう流行りゅうこうともなって僧院そういんちゅう建設けんせつされ、とう礼拝れいはい対象たいしょうとするささえひさげどう(しだいどう、祠堂しどうのこと)とささえひさげくつつくられた。やがてとう崇拝すうはい仏像ぶつぞう崇拝すうはいわり、中国ちゅうごく日本にっぽん金堂こんどう(こんどう)の原型げんけいとなった。

てら(じ)」は、「役所やくしょ官舎かんしゃ」の前述ぜんじゅつしょ)。西域せいいきそう中国ちゅうごく仏教ぶっきょうつたえたとき、はじめおおとり臚寺(こうろじ)に滞在たいざいし、のちに白馬はくばてら(はくばじ)をててまわせた。以後いご宿泊しゅくはくしょちなんでそう住処すみかを「てら」とぶようになった。「いん」は、寺中じちゅうべつしゃしている。

日本語にほんごの「てら」の訓読くんよである「てら」というのは、パーリthera長老ちょうろう)のおとうつしであるともいわれるがあきらかではない[3]

中国ちゅうごく日本にっぽん寺院じいんでは、寺院じいん名称めいしょう山号さんごうくわえることがある(「比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ」など)。くわしくは記事きじ山号さんごう」を参照さんしょうのこと。

日本にっぽん寺院じいん 編集へんしゅう

概要がいよう日本にっぽん 編集へんしゅう

各地かくち寺院じいんは、寺院じいん近在きんざい中心ちゅうしんとした檀家だんかばれる信者しんじゃかかえ、墓地ぼち保有ほゆう管理かんりしているものがおおい(檀那寺だんなでら)。これら小規模しょうきぼ寺院じいんは、神社じんじゃことなり檀家だんか以外いがいにはもんざしている場合ばあい一般いっぱんてきである。これは他国たこくにはられない日本にっぽん独特どくとく形態けいたいであり、神道しんとうが「」をむという観念かんねんけが)のちがいからいちしゅけがすすんだ結果けっかである。葬式そうしき仏教ぶっきょう日本にっぽん仏教ぶっきょう参照さんしょう

一方いっぽう近畿きんき地方ちほう大阪おおさか奈良ならけん京都きょうとなどにある著名ちょめい寺院じいんは、信仰しんこう観光かんこう対象たいしょうとして広範囲こうはんい参拝さんぱいきゃくあつめる。

なが神仏しんぶつ習合しゅうごう影響えいきょうにより神宮寺じんぐうじや、仏教ぶっきょうほとけまつる(正確せいかくにはどういち本地ほんじふつ)とされる権現ごんげん熊野くまの権現ごんげん山王さんのう権現ごんげんなど)の存在そんざいもあって祈願きがん対象たいしょうとしての社寺しゃじさかいきわめて曖昧あいまいである。神社じんじゃ仏閣ぶっかくなどということもある。

てらたずに辻説法つじせっぽう托鉢たくはつだけで活動かつどうする僧侶そうりょもいる[4]

寺院じいん建築けんちく  編集へんしゅう

 
かつて京都きょうと存在そんざいし、木造もくぞう建築けんちくとして最大さいだい規模きぼほこっていた方広寺ほうこうじ大仏殿だいぶつでんきょう大仏だいぶつ)。 寛政かんせい10ねん (1798ねん) に落雷らくらいによる火災かさいのため焼失しょうしつした。(「はならく一覧いちらん京都きょうと府立ふりつ京都きょうとがくれきいろどりかんデジタルアーカイブ 一部いちぶ改変かいへん)

寺院じいん神社じんじゃ建築けんちく同様どうよう、そのおおくは日本にっぽん古来こらい木造もくぞう建築けんちくである。しかし現代げんだいでは、建築けんちく基準きじゅんほう消防しょうぼうほう規定きていじょう法定ほうてい規模きぼえる建物たてもの耐火たいか建築けんちくとすることが義務ぎむされており、むかしのようにおおきな建物たてもの木造もくぞうとすることができない。そのため、だい規模きぼ寺院じいん建造けんぞうぶつには鉄筋てっきんコンクリートづくりえてきている。また、ビル形式けいしき寺院じいん近代きんだいてきモダン寺院じいん出現しゅつげんするなど概観がいかんのデザインも多様たようしており、一目いちもくでは仏教ぶっきょう寺院じいん認識にんしきできないものもすくなくない。また、寺院じいん伽藍がらん配置はいち建物たてもの用途ようと名称めいしょうは、神社じんじゃのように統一とういつされておらず、宗派しゅうはかく時代じだいによってことなっている。

代表だいひょうてき建築けんちく様式ようしき 編集へんしゅう

寺院じいんかく施設しせつ
 
伽藍がらん配置はいち(瑞龍寺ずいりゅうじ)
A:総門そうもん B:山門さんもん C:回廊かいろう D:仏殿ぶつでん E:ほうどう F:禅堂ぜんどう G:鐘楼しゅろう H:だい庫裏くり
禅宗ぜんしゅう寺院じいんではしたなな施設しせつ基本きほん要素ようそとし、いわゆる七堂しちどう伽藍がらんしょうする。

その寺院じいん規模きぼにより

その付属ふぞく施設しせつ

アジアの寺院じいん 編集へんしゅう

仏教ぶっきょう以外いがい宗教しゅうきょう寺院じいん 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 古刹こさつ名刹めいさつのように「」(さつ)が使つかわれることもある。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ "寺院じいん". 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん、デジタル大辞泉だいじせん改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ普及ふきゅうばん どおり百科ひゃっか事典じてんマイペディア、ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん. コトバンクより2024ねん4がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 藤井ふじい正雄まさお仏教ぶっきょうはやわかり事典じてん日本文芸社にほんぶんげいしゃ、1997ねん、92ぺーじ 
  3. ^ 多屋たやよりゆきしゅん しるよこちょうとし舟橋ふなばし一哉かずや へん仏教ぶっきょうがく辞典じてん』(新版しんぱん法藏館ほうぞうかん、1995ねん、181ぺーじISBN 4-8318-7009-9 
  4. ^ 佛國寺ぶっこくでら歴史れきし概要がいよう”. 佛國寺ぶっこくでら. 2022ねん12月21にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう