(Translated by https://www.hiragana.jp/)
僧房 - Wikipedia

僧房そうぼう(そうぼう、僧坊そうぼう)とは、寺院じいんうちにおいて僧侶そうりょ生活せいかつおく居住きょじゅう空間くうかんおよびその建物たてもの自体じたいす。

概要がいよう

編集へんしゅう

古代こだい日本にっぽん寺院じいん伽藍がらん構造こうぞうにおいては全体ぜんたい北側きたがわ区域くいき講堂こうどう南側みなみがわとして、きたしつきたむろ東室ひがしむろひがしむろ西室にしむろにしむろの3むね僧房そうぼう設置せっちした。これを三面さんめん僧房そうぼう(さんめんそうぼう)とぶ。また、それより小規模しょうきぼ形態けいたいとして講堂こうどう北側きたがわ並行へいこうしてきたかいほくかいみなみかいなんかいの2むね僧房そうぼう設置せっちする寺院じいんもあった。

だい寺院じいん場合ばあいにはながさ200から300しゃくりょうこう奥行おくゆき)40しゃく前後ぜんこう大房おおふさ中庭なかにわはさんでたいとなっててられたりょうこう10しゃくながさはたいとなる大房おおふさとほぼおなじ)しょう子房しぼうしょうしぼうから構成こうせいされていた。前者ぜんしゃ僧侶そうりょ居住きょじゅうし、後者こうしゃはその従者じゅうしゃ居住きょじゅうする空間くうかんとされ、しょう子房しぼうおな機能きのうつものとしてさらちゅうぼうちゅうぼう併置へいちされる場合ばあいがあった。大房おおふさしょう子房しぼうともに20しゃく桁行けたゆき間口まぐち)ごとに仕切しきられて10区画くかくもしくはそれ以上いじょうむねわりおこなわれ、そのひとひとつを「ぼう」としょうした。ぼうなかは3つにけられ、とびらいた入口いりくちがわ連子窓れんじまどいた一番いちばんおく部分ぶぶん居室きょしつなかひかりはいりにくい部分ぶぶん寝室しんしつもちいられ、1つのぼうに10めい前後ぜんこう僧侶そうりょ集団しゅうだん生活せいかついとなんだ(1人ひとりあたりになおすと2・3つぼとなる)。ゆか土間どま板敷いたじき天井てんじょうゆうしていたが、板敷いたじき天井てんじょう当時とうじ講堂こうどう金堂こんどうなどの伽藍がらん主要しゅよう施設しせつには存在そんざいせず、あくまでも僧坊そうぼう居住きょじゅう睡眠すいみん休息きゅうそくとしてもちいれていたことがることが出来できる。

だが、平安へいあん時代じだい台頭たいとうした天台宗てんだいしゅう真言宗しんごんしゅうでは巨大きょだい僧房そうぼう設置せっちされず、既存きそん宗派しゅうは南都なんとろくむね)でもわたし僧房そうぼうであるいんてる高僧こうそう登場とうじょうした。また、僧房そうぼうでも高僧こうそう1人ひとりぼう独占どくせんしたり、仏堂ぶつどう御影堂ごえどう改装かいそうされるようになり、鎌倉かまくら時代ときよから室町むろまち時代ときよにかけて本来ほんらい機能きのう喪失そうしつしていった。ただし、近世きんせい禅宗ぜんしゅう檀林だんりん併設へいせつされた学寮がくりょうなかには古来こらい僧房そうぼう伝統でんとう継承けいしょうした施設しせつもあった。

なお、わたし僧房そうぼうには○○ぼう○○ぼう)という個別こべつぼうごうぼうごう)がつけられるようになり、だい寺院じいん付属ふぞくするいん塔頭たっちゅうとなるようになった(京都きょうと寂光寺じゃっこうでら本因坊ほんいんぼうなど)。一方いっぽうで、わたし僧房そうぼう寺院じいんにおける寺務じむしょ住僧じゅうそうまい(庫裏くり)となり、だい寺院じいん僧房そうぼうでそのてら寺務じむ仕切しき僧房そうぼうほんぼうほんぼうしょうされるようになった(京都きょうと六角ろっかくどういただきほうてら池坊いけのぼうなど)。ちなみに、日本にっぽん浄土宗じょうどしゅうとされる法然ほうねんごうぼうごう(「法然ほうねんぼう」のりゃく)であり、いみなみなもとそらげんくうである。

のこれい

編集へんしゅう

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう