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プロレタリア独裁 - Wikipedia

プロレタリア独裁どくさい(プロレタリアどくさい、ドイツ: Diktatur des Proletariats英語えいご: Proletarian dictatorship, Dictatorship of the proletariat)とは、階級かいきゅう独裁どくさいの1しゅで、プロレタリアートによる独裁どくさいのこと。

名称めいしょう

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日本にっぽんでは労働ろうどうしゃ階級かいきゅう独裁どくさい無産むさん階級かいきゅう独裁どくさいともやくされ、「プロどく」「無産むさん独裁どくさい」ともりゃくされる。 日本にっぽん共産党きょうさんとう不破ふわ哲三てつぞうは、階級かいきゅう独裁どくさいを「プロレタリア執権しっけん」「民主みんしゅてき権力けんりょく」などとも意訳いやくしている。

無産むさん階級かいきゅう革命かくめいてき手段しゅだんつうじて有産ゆうさん階級かいきゅう支配しはい機構きこう粉砕ふんさいしてつくげた新型しんがた国家こっか政権せいけんである。せんせいおも任務にんむ外部がいぶてきによる転覆てんぷく侵略しんりゃくふせぐことであり、人民じんみん内部ないぶ民主みんしゅてき運営うんえいしつつてきたいして独裁どくさい実行じっこうし、社会しゃかい主義しゅぎ建設けんせつ順調じゅんちょう進行しんこう保証ほしょうし、共産きょうさん主義しゅぎ移行いこうする、とする。

資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかいとのあいだには、前者ぜんしゃから後者こうしゃへの革命かくめいてき転化てんか時期じきがあり、その途中とちゅうにおける政治せいじじょう過渡かとにおいてはプロレタリアートの革命かくめいてき独裁どくさい以外いがいはありえない — カール・マルクスゴータ綱領こうりょう批判ひはん

概念がいねん誕生たんじょう

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パリ・コミューン

フランス革命かくめいではフランソワ・ノエル・バブーフが、「完全かんぜん平等びょうどう」の社会しゃかい実現じつげんするために階級かいきゅう独裁どくさい主張しゅちょうした。1871ねんパリ・コミューン短期間たんきかんながら史上しじょうはじめて「プロレタリア独裁どくさい」をかかげた政権せいけんとなった。

プロイセン思想家しそうかカール・マルクスは、1848ねんドイツ革命かくめいで、革命かくめい勢力せいりょく敗北はいぼくしたプロセスを観察かんさつし、革命かくめい勢力せいりょく立法りっぽうけんのみの掌握しょうあくにとどまり、それを執行しっこうする実体じったいてき権力けんりょく行政ぎょうせいけん軍事ぐんじちから)を掌握しょうあくしなかったためにきゅう支配しはい階級かいきゅうはん革命かくめいふせげなかったことに敗因はいいんひとつをて、革命かくめい過渡かとにおける労働ろうどうしゃ階級かいきゅうによる権力けんりょく掌握しょうあく」「プロレタリアート政治せいじ支配しはい必要ひつようせい強調きょうちょうした。マルクスはそのパリ・コミューンにおいてその政治せいじ形態けいたい端緒たんしょ発見はっけんした。ここから、立法りっぽうけんだけでなく行政ぎょうせいけんをふくめたすべての権力けんりょく労働ろうどうしゃ階級かいきゅう掌握しょうあくすること──これを比喩ひゆするため、立法りっぽうけん行政ぎょうせいけん掌握しょうあくした共和きょうわせいローマ独裁どくさいかん(ディクタトル)になぞらえ、「プロレタリアートのディクタトゥーラ(プロレタリア独裁どくさい)」とよんだ。マルクス主義まるくすしゅぎ見解けんかいでは、資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいは、形式けいしきじょう三権分立さんけんぶんりつしていても、ブルジョワジー階級かいきゅうとしてこの全権ぜんけんにぎっているブルジョワ独裁どくさいであるとみなす(ブルジョワジーのディクタトゥーラ)。これに対置たいちしてプロレタリアートのディクタトゥーラを提唱ていしょうした。プロレタリアートの独裁どくさいは、社会しゃかい圧倒的あっとうてき多数たすうめるプロレタリアートの、きわめて少数しょうすうであるブルジョワジーにたいする独裁どくさいであるため、実態じったいとしては「ブルジョワ独裁どくさい」にならない「ブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ体制たいせいよりも、民主みんしゅ主義しゅぎてきであるとマルクスやその後継こうけいしゃたちは主張しゅちょうした。

 
レフ・トロツキー

ロシア政府せいふ主義しゅぎものミハイル・バクーニンはマルクスのうプロレタリア独裁どくさい実態じったいは、「プロレタリアにたいする共産きょうさん主義しゅぎしゃ独裁どくさいにほかならない」と批判ひはんした。バクーニンは中枢ちゅうすう掌握しょうあくしていたマルクスを「権威けんい主義しゅぎ」とび、だいいちインターナショナル最大さいだい論争ろんそうとなった。これにたいしてプロイセンの社会しゃかい思想家しそうかフリードリヒ・エンゲルス革命かくめいとはそもそも権威けんい主義しゅぎてきである必要ひつようがあると批判ひはんした[1]

これ以降いこうも、ソ連それんにおける支配しはいが、プロレタリアートにたいするソ連それん共産党きょうさんとう独裁どくさいであるとして論難ろんなんしたものはおおい(左翼さよく共産きょうさん主義しゅぎ評議ひょうぎかい共産きょうさん主義しゅぎなど)。ウラジーミル・レーニンたいしてレフ・トロツキーが「代行だいこう主義しゅぎ批判ひはん」を展開てんかいしたことも共産党きょうさんとう独裁どくさい萌芽ほうが批判ひはんしたものであるとえる。

概念がいねん変容へんよう

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ロシア革命かくめいにおいて、レーニンが「どんな法律ほうりつによっても、絶対ぜったいにどんな規則きそくによっても束縛そくばくされない、直接ちょくせつ暴力ぼうりょくみずか保持ほじする制限せいげん権力けんりょく」(レーニン『プロレタリア革命かくめい背教はいきょうしゃカウツキー』)としてプロレタリア独裁どくさい規定きていし、かれ指導しどう批判ひはんしたカール・カウツキー『プロレタリアートの独裁どくさい』に反論はんろんした。だが実際じっさいには、かれ指導しどうする共産党きょうさんとう支配しはい次第しだいに、立法りっぽう執行しっこう一体いったいになったソヴィエトかた政体せいたい、ひいてはいちとうせいや、ほうにもとづかない「はん革命かくめい弾圧だんあつ・「粛清しゅくせい」をおこなう権力けんりょく意味いみするものへ変質へんしつしていき、さらに1918ねん4がつ28にちには『ソヴェト権力けんりょく当面とうめん任務にんむ』で「個人こじん独裁どくさいはきわめてしばしば革命かくめいてき階級かいきゅう独裁どくさい表現ひょうげんしゃであり、になであり、先導せんどうしゃであった」として個人こじん独裁どくさい肯定こうていし、鉄道てつどう管理かんりなどで企業きぎょうない無制限むせいげん個人こじん独裁どくさい全権ぜんけんワンマン経営けいえい)をあたえた。そして、スターリンマルクス・レーニン主義しゅぎ定式ていしきするさいにレーニンにおいては社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかいへの移行いこう段階だんかいとされていたプロレタリア独裁どくさい段階だんかい社会しゃかいそのものを社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかいとする理論りろんをおこない、この規定きてい承認しょうにんコミンテルン加盟かめい要件ようけんひとつとしたために、ソ連それんとそのながれをくむマルクス主義まるくすしゅぎにおいては、プロレタリアート独裁どくさいとは、職業しょくぎょう革命かくめいによる前衛ぜんえいとうつまりは共産党きょうさんとういちとう支配しはい意味いみするものとなった。

一方いっぽうコミンテルンから排除はいじょされた左翼さよく共産きょうさん主義しゅぎもの評議ひょうぎかい共産きょうさん主義しゅぎものは、プロレタリア独裁どくさい概念がいねんをあくまでプロレタリア大衆たいしゅう自発じはつてきなイニシアチブによるものと主張しゅちょうし、ソ連それんがたの「プロレタリア独裁どくさい」を否定ひていした。

現在げんざい共産きょうさん主義しゅぎ政党せいとうにおけるあつか

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現在げんざい共産きょうさん主義しゅぎ政党せいとう共産きょうさん主義しゅぎしゃにおけるプロレタリア独裁どくさいあつかいは様々さまざまである。

いちとう独裁どくさいせいヘゲモニー政党せいとうせいふくむ)をかかげていないおおくの共産党きょうさんとうをはじめ共産きょうさん主義しゅぎ政党せいとうまた共産きょうさん主義しゅぎしゃにおいては、プロレタリア独裁どくさいソ連それんでおこなわれたいちとうせい意味いみかいしこれを放棄ほうきする場合ばあいもあれば、ソ連それんおこなわれたいちとう支配しはい原義げんぎではないとするものなど、さまざまな見解けんかいがあるが、ソ連それんがたいちとうせい否定ひていするながれでは、ほぼ共通きょうつうしている。

一方いっぽう中国ちゅうごく朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくベトナムなどの指導しどう政党せいとう立場たちばにある共産党きょうさんとうにおいては、プロレタリア独裁どくさいをどうあつかうかにかかわらずいちとう独裁どくさいせいヘゲモニー政党せいとうせいふくむ)を正当せいとうしている。

日本にっぽん政党せいとうにおけるあつか

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日本にっぽん共産党きょうさんとう

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コミンテルンが作成さくせいした戦前せんぜん日本にっぽん共産党きょうさんとう綱領こうりょう草案そうあん(1922ねん)、「27ねんテーゼ」、「32ねんテーゼ」には、いずれも「プロレタリアートの独裁どくさい規定きていがある。日本にっぽん共産党きょうさんとう自身じしん決定けっていした1961ねん綱領こうりょうだい8かいとう大会たいかい決定けってい)も「プロレタリアート独裁どくさい確立かくりつ」を明記めいきしている。これ以前いぜん戦後せんご綱領こうりょうはいずれも当面とうめん目標もくひょうさだめた行動こうどう綱領こうりょうで、綱領こうりょうじょうはプロレタリア独裁どくさい規定きていはない。

1970ねん11かいとう大会たいかい将来しょうらいにわたって議会ぎかい重視じゅうしするという「人民じんみんてき議会ぎかい主義しゅぎ」が提起ていきされた。さら1973ねんだい12かいとう大会たいかいでの綱領こうりょう改定かいていに、プロレタリアのdictaturaを「独裁どくさい」とやくすのは適切てきせつでないとして、「プロレタリアートの執権しっけん」といいかえた。

共産きょうさん党員とういんふくめたマルクス主義まるくすしゅぎ思想しそう研究けんきゅうしゃおおくはディクタトゥーラの訳語やくごとして「独裁どくさい」ではなく「執権しっけん」が適切てきせつという共産党きょうさんとう主張しゅちょう賛同さんどうしていないが、とう方針ほうしんとしてしめされたため、その影響えいきょうにある出版しゅっぱんしゃでは、ディクタトゥーラを「独裁どくさい」と訳出やくしゅつしている出版しゅっぱんぶつ改訂かいていいられた(「訳語やくご改訂かいていひょう」という紙片しへんをはさみこんだものもあった)。ヒトラー政権せいけんなどをふくめた全部ぜんぶを「執権しっけん」としては意味いみつうじなくなるため、おな単語たんご文脈ぶんみゃくによって「独裁どくさい」と「執権しっけん」のどちらかにてる必要ひつようせまられ、わけけに神経しんけい使つかったという悲喜劇ひきげきもあったという。また、共産党きょうさんとうはマルクスやレーニンの著作ちょさくなかでディクタトゥーラを「独裁どくさい」と訳出やくしゅつした文献ぶんけんの『赤旗あかはた広告こうこく掲載けいさい拒否きょひしたため、大月書店おおつきしょてんの『マルクス・エンゲルス全集ぜんしゅう』『レーニン全集ぜんしゅう』などの広告こうこくながらく掲載けいさいされなかった時期じきがあった。

1976ねんだい13かい大会たいかいにおける改定かいていさいに、用語ようご自体じたい使用しようをやめて、「労働ろうどうしゃ階級かいきゅう権力けんりょく」とした。さらに2004ねんしん綱領こうりょう[1]では「社会しゃかい主義しゅぎをめざす権力けんりょく」にあらためた(日本にっぽん共産党きょうさんとう綱領こうりょう改定かいていあんについての提案ていあん報告ほうこく)。

日本にっぽん社会党しゃかいとう

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日本にっぽん社会党しゃかいとうげん社会しゃかい民主党みんしゅとう)は、当初とうしょより社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎものふくめた幅広はばひろ無産むさん政党せいとう結集けっしゅうであったが、1964ねんだい24かい大会たいかい制定せいていした綱領こうりょうてき文書ぶんしょ日本にっぽんにおける社会しゃかい主義しゅぎへのみち」(通称つうしょうみち」)に、社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいけい党員とういんはたらきかけにより1966ねんだい27かい大会たいかいていでプロレタリア独裁どくさい肯定こうていする表現ひょうげんれ、共産きょうさん主義しゅぎ政党せいとう類似るいじした綱領こうりょうをもつ政党せいとうになった。それは、本文ほんぶん改訂かいていではなく文末ぶんまつの「審議しんぎ経過けいか」で付加ふかするという社会党しゃかいとうらしい折衷せっちゅうてきなものであったが、党内とうないではこれで社会党しゃかいとうはプロレタリア独裁どくさい肯定こうていしているとみなされた。しかし20ねん1986ねんに「日本にっぽん社会党しゃかいとうしん宣言せんげん」を決定けっていし「みち」を「歴史れきしてき文書ぶんしょ」として棚上たなあげし、革命かくめい路線ろせんから転換てんかんした(ただきゅう路線ろせん継承けいしょうするともれる付帯ふたい決議けつぎくわえたため、路線ろせん転換てんかんとはかならずしも認識にんしきしないきもあった)。

社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい

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労農ろうのうマルクス主義まるくすしゅぎ継承けいしょうする社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいは、1968ねん決定けっていの「社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいテーゼ」(78ねん社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい提言ていげん」と名称めいしょう変更へんこう)にプロレタリア独裁どくさい明記めいきした。社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいは、プロレタリア独裁どくさいという訳語やくご協会きょうかい創始そうししゃ山川やまかわひとし考案こうあんしたものとしている。ただし、近年きんねん社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかいも、ソ連それんなどでおこなわれたプロレタリア独裁どくさい本来ほんらい理想りそうから逸脱いつだつしたもので、将来しょうらい日本にっぽんではおな形態けいたいらないことを強調きょうちょうしている。1998ねん社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい分裂ぶんれつも、プロレタリア独裁どくさい放棄ほうき明言めいげんしていない。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Engels, Friedrich (1872). "On Authority". Retrieved 2013-11-06.

関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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