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加藤周一 - Wikipedia

加藤かとう周一しゅういち

日本にっぽん評論ひょうろん著作ちょさく

加藤かとう 周一しゅういち(かとう しゅういち、1919ねん大正たいしょう8ねん9月19にち - 2008ねん平成へいせい20ねん12月5にち)は、日本にっぽん評論ひょうろん小説しょうせつ医学いがく博士はかせせんもん内科ないかがく血液けつえきがく)。

加藤かとう 周一しゅういち
(かとう しゅういち)
1942ねん東大とうだい医学部いがくぶ時代じだい
ペンネーム 藤沢ふじさわただし荒井あらい作之助さくのすけ
誕生たんじょう 1919ねん9月19にち[1]
大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく 東京とうきょうゆたか多摩たまぐん渋谷しぶやまち
死没しぼつ (2008-12-05) 2008ねん12月5にち(89さいぼつ[1]
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう世田谷せたがや[1]
墓地ぼち 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東村山ひがしむらやま萩山はぎやままち1丁目ちょうめ16–1 小平こだいら霊園れいえん
職業しょくぎょう 評論ひょうろん[1]小説しょうせつ[1]医師いし[1]
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ[1]
活動かつどう期間きかん 1936ねん - 2008ねん
代表だいひょうさく文学ぶんがくとはなにか』(1950ねん
雑種ざっしゅ文化ぶんか日本にっぽんちいさな希望きぼう』(1956ねん
ひつじうた―わが回想かいそう』(1968ねん
日本にっぽん文学ぶんがく序説じょせつ』(1975ねん - 1980ねん
日本人にっぽんじんとはなにか』(1976ねん
夕陽ゆうひ妄語もうご』(1984ねん - 2007ねん
日本にっぽん文化ぶんかにおける時間じかん空間くうかん』(2007ねん
配偶はいぐうしゃ 中西なかにし綾子あやこ[2](1946ねん5がつ-1962ねん1がつ
ヒルダ・シュタインメッツ[2](1962ねん3がつ-1973ねん
矢島やじまみどり[2]とし がつ-2008ねん12がつ
子供こども ソーニャ・カトードイツばん(ヒルダとの養子ようし
親族しんぞく 岩村いわむら清一せいいち大叔父おおおじ
テンプレートを表示ひょうじ

上智大学じょうちだいがく教授きょうじゅイェール大学だいがく講師こうしブラウン大学だいがく講師こうしベルリン自由じゆう大学だいがくおよびミュンヘン大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅコレージュ・ド・フランス招聘しょうへい教授きょうじゅブリティッシュコロンビア大学だいがく教授きょうじゅ立命館大学りつめいかんだいがく国際こくさい関係かんけい学部がくぶ客員きゃくいん教授きょうじゅ立命館大学りつめいかんだいがく国際こくさい平和へいわミュージアム館長かんちょうなどを歴任れきにん哲学てつがくしゃ鶴見つるみ俊輔しゅんすけ作家さっか大江おおえ健三郎けんざぶろうらと結成けっせいした「きゅうじょうかい」のびかけにんつま評論ひょうろん翻訳ほんやく矢島やじまみどり岩村いわむら清一せいいち海軍かいぐん中将ちゅうじょう大叔父おおおじ函館湾はこだてわん海戦かいせんられる増田ますだ明道みょうどう祖父そふ

生涯しょうがい

編集へんしゅう

医学いがくから文学ぶんがく

編集へんしゅう

東京とうきょうゆたか多摩たまぐん渋谷しぶやまちきむおうまち現在げんざい東京とうきょう渋谷しぶや渋谷しぶや出身しゅっしんちち埼玉さいたまけん地主じぬし次男じなん渋谷しぶや町立ちょうりつ常磐ときわまつ尋常じんじょう小学校しょうがっこうげん渋谷しぶや区立くりつ常磐ときわまつ小学校しょうがっこう)から東京とうきょう府立ふりついちちゅうげん東京とうきょう都立とりつ日比谷ひびや高等こうとう学校がっこう)、旧制きゅうせい第一高等学校だいちこうとうがっこう理科りかおつるい[3]げん東京大学とうきょうだいがく教養きょうよう学部がくぶ)を東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ進学しんがく幼少ようしょうより日本にっぽん古典こてんおよ漢文かんぶんしたしみ、高等こうとう学校がっこうでは英語えいごドイツまなび、大学だいがく時代じだいにはフランス語ふらんすごラテン語らてんごまなんだ。1943ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ附属ふぞく医院いいん現在げんざい東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ附属ふぞく病院びょういん)に配属はいぞくされる。

また、学生がくせい時代じだいから文学ぶんがく関心かんしんせ、在学ざいがくちゅう中村なかむら真一郎しんいちろう福永ふくなが武彦たけひこらと「マチネ・ポエティク」を結成けっせい。その一員いちいんとして韻律いんりつった日本語にほんご発表はっぴょうし、とくに「さくらよこちょう」は、中田なかたじき別宮べつみや貞雄さだお神戸かんべ孝夫たかおきょくけたことで有名ゆうめいになった[4]

小説しょうせつ文芸ぶんげい評論ひょうろん執筆しっぴつするかたわらしん定型ていけい運動うんどうすすめる。『ひつじうた』によれば、1941ねん12月8にち日米にちべい開戦かいせんよるは、文楽ぶんらく観劇かんげきした。肋膜炎ろくまくえんのため徴兵ちょうへい猶予ゆうよとなる。

原爆げんばく調査ちょうさだん

編集へんしゅう

日本にっぽん敗戦はいせん直後ちょくご日米にちべい原子げんしばくだん影響えいきょう合同ごうどう調査ちょうさだん一員いちいんとして被爆ひばく実態じったい調査ちょうさのために広島ひろしまおもむ原爆げんばく被害ひがい実際じっさい見聞けんぶんしている。この終戦しゅうせん前後ぜんこうに、作家さっかほり辰雄たつお主治医しゅじいとなっていた。1946ねん5月30にち最初さいしょ結婚けっこんをした[5]

フランス留学りゅうがくから評論ひょうろん活動かつどう

編集へんしゅう

1947ねん中村なかむら真一郎しんいちろう福永ふくなが武彦たけひことの共著きょうちょいちきゅうよんろく文学ぶんがくてき考察こうさつ』を発表はっぴょう注目ちゅうもくされる。また同年どうねん、『近代きんだい文学ぶんがく』の同人どうじんとなる。1951ねんからはフランス政府せいふ給費きゅうひ留学生りゅうがくせいとしてフランスわたり、パリ大学だいがくなどで血液けつえきがく研究けんきゅう従事じゅうじする一方いっぽう日本にっぽん雑誌ざっし新聞しんぶん文明ぶんめい批評ひひょう文芸ぶんげい評論ひょうろん発表はっぴょう帰国きこく日本にっぽん文化ぶんか雑種ざっしゅせい」などの評論ひょうろん発表はっぴょうし、1956ねんにはそれらの成果せいかを『雑種ざっしゅ文化ぶんか』にまとめて刊行かんこうした。雑種ざっしゅ文化ぶんかろんは、日本にっぽん文化ぶんかたいする問題もんだい提起ていきとしておおきな議論ぎろんんだ。1958ねん医業いぎょうはいし、以後いご評論ひょうろんとして独立どくりつした。

加藤かとうは、あら正人まさとらの『近代きんだい文学ぶんがく』、つぎに花田はなた清輝きよてるらの『綜合そうごう文化ぶんか』、そして中野なかの重治しげはるらの『しん日本にっぽん文学ぶんがく』などをどころ精力せいりょくてき文筆ぶんぴつ活動かつどう展開てんかいし、レジスタンス文学ぶんがく関心かんしん一方いっぽうで、ポール・ヴァレリーかんして、「わたしには、その詩人しじん運命うんめい地上ちじょういち帝国ていこく運命うんめいよりも重大じゅうだいおもわれた」(『現代げんだいフランス文学ぶんがくろん』)とべ、その生涯しょうがい特徴付とくちょうづける文芸ぶんげい政治せいじへの関心かんしん披瀝ひれきしていた。

世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』の編纂へんさん

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1960ねん安保あんぽ闘争とうそうにおいては、改定かいてい反対はんたい立場たちばから積極せっきょくてき発言はつげんした。1960ねんあきカナダブリティッシュコロンビア大学だいがく招聘しょうへいされ、日本にっぽん古典こてん講義こうぎをおこなった。これは1975ねんに『日本にっぽん文学ぶんがく序説じょせつ』としてまとめられている。以後いご国内外こくないがい大学だいがく教鞭きょうべんをとりながら執筆しっぴつ活動かつどうつづけ、とりわけ『読書どくしょじゅつ』や『ひつじうた』などが話題わだいんだ。また、1984年版ねんばんだい百科ひゃっか事典じてん』(平凡社へいぼんしゃ)の編集へんしゅうちょうをつとめ、これをもとにした1988年版ねんばん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』の編集へんしゅうちょうをもつとめ、その「富岡とみおか鉄斎てっさい」「日本にっぽん」「日本にっぽん文学ぶんがく」「はやし達夫たつお」「批評ひひょう」の項目こうもく執筆しっぴつした。1979ねんより「朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかんに「山中さんちゅう人閒にんげんばなし」を連載れんさい1984ねんに「夕陽ゆうひ妄語もうご」と改題かいだいして2008ねん7がつまで連載れんさいしていた。1988ねんから1996ねんあいだ東京とうきょう都立とりつ中央ちゅうおう図書館としょかんちょうつとめた。

カトリックの洗礼せんれい

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2008ねん12月5にち臓器ぞうき不全ふぜんのため東京とうきょう世田谷せたがや病院びょういん死去しきょした。89さい[6]同年どうねんなつ加藤かとう上野毛かみのげ教会きょうかいカトリック洗礼せんれいけた(洗礼せんれいめいルカ[ちゅう 1]雙葉ふたば高等こうとう女学校じょがっこう出身しゅっしんであるおもいもうとカトリック教徒きょうとであり、1948ねんかれた「ボードレールにかんする講義こうぎ草稿そうこう以来いらい加藤かとうの「カトリシスムへの関心かんしん並々なみなみならぬものがあり、それは生涯しょうがいつづいていた」[7] とする海老えびさかたけしがこの受洗じゅせん岩下いわした壮一そういちよしみつる義彦よしひこらが日本にっぽん紹介しょうかいしたしんトマス主義しゅぎへの関心かんしんからではないかと推測すいそくしている。また、40年来ねんらい親交しんこうがあった鷲巣わしずりょくも「超越ちょうえつてき存在そんざいとしてのかみ」に「ずっと関心かんしんいていた」加藤かとう受洗じゅせん意外いがいではないとしている[8]

読書どくしょじゅつ

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通勤つうきん電車でんしゃでの読書どくしょじゅつについて、「混雑こんざつする通勤つうきん電車でんしゃなかでは、ページをめくらなくてもいいほん選択せんたく」「電車でんしゃときにはに1さつだけ」「受験生じゅけんせいなら英単語えいたんごしゅう社会しゃかいじんならほか外国がいこくテキスト」「フランス語ふらんすごならば動詞どうし変化へんかひょうって暗唱あんしょう」とべている[9]

受賞じゅしょうれき

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1980ねんに『日本にっぽん文学ぶんがく序説じょせつじょうした大佛だいぶつ次郎じろうしょう[10]1993ねん朝日あさひしょう[11]2000ねんにその長年ながねん文化ぶんか功労こうろうたいしてフランス政府せいふからレジオンドヌール勲章くんしょう(オフィシエしょう)を授与じゅよされる。

著書ちょしょ

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  • 文学ぶんがく現実げんじつ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1948ねん
  • 現代げんだいフランス文学ぶんがくろん だい1』銀杏いちょう書房しょぼう、1948ねん
  • 道化師どうけしあさうた』(小説しょうせつ戯曲ぎきょく河出かわで書房しょぼう、1948ねん
  • 『あるれたに』(小説しょうせつ月曜げつよう書房しょぼう、1950ねん、のち河出かわで文庫ぶんこ新編しんぺん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2009ねん
  • 文学ぶんがくとはなにか』 角川書店かどかわしょてん角川かどかわ新書しんしょ、1950ねん新編しんぺん角川かどかわ選書せんしょ、1971ねん角川かどかわソフィア文庫ぶんこ、2014ねん
  • 抵抗ていこう文学ぶんがく岩波いわなみ新書しんしょ、1951ねん
  • うつくしい日本にっぽん角川書店かどかわしょてん、1951ねん
  • 現代げんだい詩人しじんろん』アテネ新書しんしょ 弘文こうぶんどう、1951ねん
  • 戦後せんごのフランス』未來社みらいしゃ、1952ねん
  • 『ある旅行りょこうしゃ思想しそう 西洋せいよう見物けんぶつ始末しまつ角川かどかわ新書しんしょ、1955ねん
  • 運命うんめい』(小説しょうせつ講談社こうだんしゃ、1956ねん
  • 雑種ざっしゅ文化ぶんか日本にっぽんちいさな希望きぼう』ミリオンブックス 講談社こうだんしゃ、1956ねん。のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこほか
  • られざる日本にっぽんまちにわ精神せいしんと』現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ社会しゃかい思想しそう研究けんきゅうかい出版しゅっぱん、1957ねん
  • 政治せいじ文学ぶんがく平凡社へいぼんしゃ、1958ねん
  • 西洋せいようさん社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ、1958ねん復刊ふっかん1993ねん
  • 神幸しんこうさい』(小説しょうせつ講談社こうだんしゃ、1959ねん
  • 現代げんだいヨーロッパの精神せいしん岩波書店いわなみしょてん、1959ねん。のち岩波同時代いわなみどうじだいライブラリー、岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2010ねん
  • 『ウズベック・クロアチア・ケララ紀行きこう岩波いわなみ新書しんしょ、1959ねん
  • 東京とうきょう日記にっき外国がいこくともへ』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1960ねん
  • ふたつのきょくあいだで』弘文こうぶんどう、1960ねん
  • あたま回転かいてんをよくする読書どくしょじゅつ光文社こうぶんしゃカッパ・ブックス、1962ねん。のちどう時代じだいライブラリー、岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2000ねん
  • 世界せかい漫遊まんゆう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1964ねん。のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 海辺うみべまちにて―仮説かせつ意見いけん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ、1964ねん
  • 三題噺さんだいばなし』(歴史れきし小説しょうせつ筑摩書房ちくましょぼう、1965ねん新編しんぺん・ちくま文庫ぶんこ、2010ねん
  • 芸術げいじゅつ論集ろんしゅう岩波書店いわなみしょてん、1967ねん
  • ひつじうた―わが回想かいそうただしつづけ岩波いわなみ新書しんしょ、1968ねん
    朝日あさひジャーナル』に1966ねん11月から1967ねん4がつまで連載れんさいされた自伝じでんで、友人ゆうじん原田はらだ義人よしひと回想かいそう
  • 言葉ことば戦車せんしゃ筑摩書房ちくましょぼう、1969ねん
  • 日本にっぽんうちそと文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう<ひと思想しそう>、1969ねん
  • および詩人しじん弘文こうぶんどう<アテネ新書しんしょ>、1971ねん
  • 中国ちゅうごく往還おうかん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1972ねん
  • しょうしん独語どくご新潮社しんちょうしゃ、1972ねん
  • 幻想げんそう薔薇ばら都市とし まぼろしのばらのまちにて』(小説しょうせつ新潮社しんちょうしゃ、1973ねん新編しんぺん岩波書店いわなみしょてん、1994ねん
  • 日本にっぽん文学ぶんがく序説じょせつじょうした筑摩書房ちくましょぼう、1975ねん-1980ねんちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、1999ねん
  • 加藤かとう周一しゅういち詩集ししゅう湯川ゆかわ書房しょぼう、1976ねん3がつ改編かいへん新版しんぱん薔薇ばら』(詩歌しか俳句はいくしゅう湯川ゆかわ書房しょぼう、1976ねん12月
  • 日本人にっぽんじんとはなにか』講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1976ねん
  • 現在げんざいのなかの歴史れきし新潮社しんちょうしゃ、1976ねん
  • 言葉ことば人間にんげん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1977ねん。のち朝日あさひ選書せんしょ
  • 山中さんちゅう人閒にんげんばなし福武書店ふくたけしょてん、1983ねん。のち朝日あさひ選書せんしょ
  • 夕陽ゆうひ妄語もうご朝日新聞社あさひしんぶんしゃ ぜん8かん、1984ねん-2007ねん新編しんぺん・ちくま文庫ぶんこ ぜん3かん、2016ねん
  • のなかのおんなたち』みなみまどしゃ、1985ねん平凡社へいぼんしゃ、1988ねん
  • 人類じんるい知的ちてき遺産いさん77 サルトル』講談社こうだんしゃ、1984ねん
  • 梁塵りょうじんしょう岩波書店いわなみしょてん古典こてんむ」、1986ねん
  • 富永とみながなかはじめ[12]異聞いぶん えた版木はんぎかもがわ出版しゅっぱん、1998ねん
  • 加藤かとう周一しゅういち講演こうえんしゅう』かもがわ出版しゅっぱんぜん4かん)、1996-2009ねん
  • わたしにとっての20世紀せいき岩波書店いわなみしょてん、2000ねん新編しんぺん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2009ねん
  • ちいさなはな』かもがわ出版しゅっぱん、2003ねん
  • 高原たかはら好日よしはる―20世紀せいきおもから』信濃しなの毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2004ねん。ちくま文庫ぶんこ、2009ねん
  • じゅう世紀せいき自画像じがぞうちくま新書しんしょ、2005ねん
  • 『「日本にっぽん文学ぶんがく序説じょせつ補講ほこう』かもがわ出版しゅっぱん、2006ねん。ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2012ねん
  • 日本にっぽん文化ぶんかにおける時間じかん空間くうかん岩波書店いわなみしょてん、2007ねん
  • 言葉ことば戦車せんしゃすえて 加藤かとう周一しゅういちかんがえつづけてきたこと』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2009ねん小森こもり陽一よういち成田なりた龍一りゅういちへん
  • 加藤かとう周一しゅういちいた加藤かとう周一しゅういち 91の「あとがき」と11の「まえがき」』平凡社へいぼんしゃ、2009ねん鷲巣わしずりょくへん
  • 『『ひつじうた余聞よぶん』ちくま文庫ぶんこ、2011ねん鷲巣わしずりょくへん
  • 加藤かとう周一しゅういち最終さいしゅう講義こうぎ』かもがわ出版しゅっぱん、2013ねん
  • たたえることば いたむことば 加藤かとう周一しゅういち推薦すいせんぶん追悼ついとう文集ぶんしゅう西田にしだ書店しょてん、2019ねん鷲巣わしずりょくへん

作品さくひんしゅう

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  • 加藤かとう周一しゅういち著作ちょさくしゅう平凡社へいぼんしゃ、1979ねん-1980ねん、1997ねん、2010ねん以下いかかく鷲巣わしずりょくへん
    だい1は 15かん別巻べっかん1。追加ついか刊行かんこうぜん24かん別巻べっかん真面目まじめ冗談じょうだん」は再版さいはんなし
  • 加藤かとう周一しゅういちセレクション』平凡社へいぼんしゃライブラリー(ぜん5かん)、2003ねん 
  • 加藤かとう周一しゅういち自選じせんしゅう岩波書店いわなみしょてんぜん10かん)、2010ねん

ブックレット

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  • まなぶこと おもうこと』岩波いわなみブックレット、2003ねん
  • 吉田よしだ松陰しょういん現代げんだい』かもがわブックレット、2005ねん
  • わたしたちの希望きぼうはどこにあるか いま、なすべきこと』かもがわブックレット、2004ねん
  • 加藤かとう周一しゅういちせんかた加藤かとう周一しゅういち講演こうえんしゅう 別巻べっかん』かもがわ出版しゅっぱん、2009ねん集成しゅうせい
  • 『いまかんがえなければならないこと 原発げんぱつ震災しんさいをみすえて』岩波いわなみブックレット、2012ねん凡人ぼんじんかいへん。ほか多数たすう

共著きょうちょ

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翻訳ほんやく

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対談たいだんしゅう

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  • 歴史れきし科学かがく現代げんだい』(対談たいだん鼎談ていだん平凡社へいぼんしゃ、1973ねん新編しんぺん歴史れきし科学かがく現代げんだい 加藤かとう周一しゅういち対談たいだんしゅう』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2010ねん
  • 加藤かとう周一しゅういち仕事しごといきいきおんなたち』平凡社へいぼんしゃ、1986ねん
  • 加藤かとう周一しゅういち対話たいわしゅう』(ぜん6かん) かもがわ出版しゅっぱん、2000-2008ねん
  • 加藤かとう周一しゅういち対話たいわしゅう 別巻べっかん 過客かかく問答もんどう』かもがわ出版しゅっぱん、2001ねん
  • 『しかし それだけではない。加藤かとう周一しゅういち 幽霊ゆうれいかたる』、2010ねん、ドキュメンタリー作品さくひん出演しゅつえん

テレビ番組ばんぐみ

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  • ETV8加藤かとう周一しゅういちテレビ対談たいだん 現代げんだい凝視ぎょうしする』4かい教育きょういくテレビ、1986ねん8がつ
  • 教育きょういくテレビスペシャル『日本にっぽん そのしんとかたち』10かい教育きょういくテレビ、1987ねん11月-1988ねん3がつ
  • NHK人間にんげん大学だいがく鴎外おうがい茂吉しげよし杢太郎もくたろう』12かい教育きょういくテレビ、1995ねん1-3がつ
  • ETV特集とくしゅう教育きょういくテレビ→Eテレ)
    • 加藤かとう周一しゅういち歴史れきしとしての20世紀せいきかたる』4かい、2000ねん3がつ
    • 加藤かとう周一しゅういち 1968ねんかたる〜“言葉ことば戦車せんしゃ”ふたたび〜』2008ねん12月14にち
    • 加藤かとう周一しゅういち その青春せいしゅん戦争せんそう』2016ねん8がつ13にち

関連かんれん項目こうもく

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関連かんれん人物じんぶつ

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • そう特集とくしゅう 加藤かとう周一しゅういち 現代げんだい思想しそう 臨時りんじ増刊ぞうかん青土おうづちしゃ、2009ねん7がつ ISBN 978-4791711994
  • めい誕 加藤かとう周一しゅういち追悼ついとう』かもがわ出版しゅっぱん、2009ねん12月 ISBN 978-4780303155鶴見つるみ俊輔しゅんすけ大江おおえ健三郎けんざぶろう池澤いけざわ夏樹なつきほか
  • 菅野かんのあきらただしへん巨匠きょしょう 加藤かとう周一しゅういち岩波書店いわなみしょてん、2011ねん ISBN 978-4000238694ぜん8めい作家さっかろん
  • 鷲巣わしずりょく加藤かとう周一しゅういちむ――「」のひとにして「じょう」のひと岩波書店いわなみしょてん、2011ねん ISBN 978-4000258210
    • 増補ぞうほ改訂かいてい 加藤かとう周一しゅういちむ』平凡社へいぼんしゃライブラリー、2023ねん ISBN 978-4582769524
  • 鷲巣わしずりょく『「加藤かとう周一しゅういち」というかた筑摩書房ちくましょぼう<筑摩ちくま選書せんしょ>、2012ねん ISBN 978-4480015594
  • ジュリー・ブロックへん加藤かとう周一しゅういちにおける「時間じかん空間くうかん」』かもがわ出版しゅっぱん、2012ねん ISBN 978-4780305517。パリでのシンポジウム
  • 海老えびさかたけし加藤かとう周一しゅういち じゅう世紀せいきう』岩波いわなみ新書しんしょ、2013ねん ISBN 978-4004314219
  • 樋口ひぐち陽一よういち加藤かとう周一しゅういち丸山まるやま眞男まさお 日本にっぽん近代きんだいの〈〉と〈個人こじん〉』平凡社へいぼんしゃ、2014ねん ISBN 978-4582836769
  • 成田なりた龍一りゅういち加藤かとう周一しゅういち記憶きおくする』講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、2015ねん ISBN 978-4062883108
  • 鷲巣わしずりょく加藤かとう周一しゅういちはいかにして「加藤かとう周一しゅういち」となったか――『ひつじうた』をみなおす』岩波書店いわなみしょてん、2018ねん ISBN 978-4000612944
  • 鷲巣わしずりょく渡辺わたなべたかし共編きょうへん加藤かとう周一しゅういち 青春せいしゅん戦争せんそう青春せいしゅんノート』をむ』ろんそうしゃ、2018ねん ISBN 978-4846017484
  • 鷲巣わしずりょく半田はんだ侑子ゆうこ共編きょうへん加藤かとう周一しゅういち青春せいしゅんノート 1937-1942』人文書院じんぶんしょいん、2019ねん ISBN 978-4409041116
  • 鷲巣わしずりょく三浦みうら信孝のぶたか共編きょうへん加藤かとう周一しゅういちを21世紀せいきぐために』水声すいせいしゃ、2020ねんISBN 978-4801005136生誕せいたんひゃくねん記念きねんシンポジウム・講演こうえんろく
  • りゅうそう『「例外れいがい」の思想しそうーー戦後せんご知識ちしきじん加藤かとう周一しゅういち射程しゃてい現代げんだい図書としょ、2021ねんISBN 978-4434293672
  • 鷲巣わしずりょくちから 加藤かとう周一しゅういち名文めいぶんまなぶ』集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2022ねんISBN 978-4087212389

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 聖書せいしょは、NRSV の略称りゃくしょうしたしまれている Harper Bibles のいちさつNew Revised Standard Version Go-Anywhere Bible, Catholic Edition, HarperOne, 2007)。 cf. かりあきら加藤かとう周一しゅういち受洗じゅせん」(2009-06-29)

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g "加藤かとう周一しゅういち". ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん. コトバンクより2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ a b c 鷲巣わしずりょく (2018ねん10がつ5にち). “加藤かとう周一しゅういち親族しんぞく関係かんけい” (PDF). 加藤かとう周一しゅういちはいかにして「加藤かとう周一しゅういち」となったか 『ひつじうた』をみなおす. 岩波書店いわなみしょてん. p. ⅶ. 2019ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ 第一高等学校だいちこうとうがっこう一覧いちらん 昭和しょうわ14ねんいたり昭和しょうわ15ねん第一高等学校だいちこうとうがっこう、1939ねん、349ぺーじ 
  4. ^ さくらよこちょう」(別宮べつみや貞雄さだお作曲さっきょく)。
  5. ^ 鷲巣わしずりょく加藤かとう周一しゅういちというかた』。
  6. ^ 加藤かとう周一しゅういち死去しきょ 評論ひょうろん”. 共同通信きょうどうつうしん (2008ねん12月6にち). 2013ねん5がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ 加藤かとう周一しゅういちじゅう世紀せいきう』、p.48.
  8. ^ 樋口ひぐちだい加藤かとう周一しゅういち評論ひょうろん 2シリーズ完結かんけつ」、『朝日新聞あさひしんぶん』2010ねん9がつ18にちづけ
  9. ^ 加藤かとう周一しゅういち読書どくしょじゅつ』,岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ,2000ねん
  10. ^ 大佛だいぶつ次郎じろうしょう大佛だいぶつ次郎じろう論壇ろんだんしょう朝日新聞社あさひしんぶんしゃインフォメーション
  11. ^ 朝日あさひしょう - 朝日新聞社あさひしんぶんしゃしょう・コンクール:朝日新聞社あさひしんぶんしゃインフォメーション
  12. ^ 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃばん日本にっぽん名著めいちょ18 富永とみながなかはじめ 石田いしだ梅岩ばいがん」を責任せきにん編集へんしゅう

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