池田 満寿夫
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生涯
1961
1980
19
人物 ・活動
コラージュ・カット
1961
油彩 とアクリル、水彩
「
版画
なお、エロティックな
第 2回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 文部 大臣 賞 の「女 ・動物 たち」「女 の肖像 」「女 」第 2回 パリ青年 ビエンナーレ展 版画 部門 優秀 賞 の「月 の祭 」「大 きな女 」「女王 」第 3回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 東京 都知事 賞 の「動物 の婚礼 」「夢 の鳥 」「花嫁 の領地 」第 4回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 国立 近代 美術館 賞 の「夏 1」「私 は何 も食 べたくない」「化粧 する女 」第 1回 クラクフ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 の「楽園 に死 す」「姉妹 たち」「天使 のいる風景 」- ヴェネツィア・ビエンナーレ
展 版画 部門 国際 大賞 の「動物 の婚礼 」「庭 を横切 る昆虫 」「金曜日 は雨 」「戸口 へ急 ぐ貴婦人 たち」「天使 の靴 」「タエコの朝食 」「サイズはサイズ」「化粧 する女 」「夏 1」「夏 2」「聖 なる手 1」「青 い衣裳 」「海 のスカート」「ロマンチックな風景 」「楽園 に死 す」「姉妹 たち」「花園 にて」「天使 のいる風景 」「ヴォーグから来 た女 」「夏 の夢 」「シンデレラの広告 」「バラはバラ」「Spring and Springs」「青 い椅子 」「愛 の瞬間 」「Something1」「Something2」「ある種 の関係 」。
第 8回 リュブリアナ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 の「靴 の裏側 」「ブダペストからの自画像 」「マリリンの半分 」第 3回 クラクフ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 の「夢 」第 17回 アメリカ国内 版 画展 入賞 の「ファッション」
書
文学
ベストセラーとなった『
このほかの
映画 ・テレビ
1978
なお、
造形
このパラミタミュージアムは、ジャスコ・イオングループを
交友 関係
1965
評価
テレビのクイズ
追悼 記事
- 1997
年 3月 9日 付 日本経済新聞 の文化 面 (阿部 良 、宝玉 正彦 )によれば、「高 い知名度 、展覧 会 の人気 にもかかわらず、その後 も作品 の出来栄 えが正面 切 って論 じられることは少 なかった。あまり不平 を言 うことのない人 だったが、1人 になると、画壇 がまともに取 り上 げてくれない不満 を漏 らすこともあった」。
美術 評論 家 の中原 佑介 は「確 かに池田 はマルチタレントだった。しかし、日本 では岡本 太郎 もそうだったけれども、多才 な美術家 ほど美術家 としては信用 されないというムードがある。池田 に対 する美術 界 の対応 にもそれがあった。この国 では、この道 一筋 の純粋 主義 が信用 されるのである」「しかし、それ以上 に、こうしたマルチタレントの美術家 がマルチタレントというだけで正当 に評価 されない風土 を不毛 だと思 わざるを得 ない」(1997年 3月 17日 付 朝日新聞 夕刊 )。
詩人 の松永 伍一 は「日本 の美術 界 は各種 美術 団体 の有力 者 たちが牛耳 っている。(中略 )この道 一筋 を看板 にしているからあれもやりこれもやることを避 けてきた。美術 評論 家 たちも(中略 )やりたいことをやりまくる池田 満寿夫 のような旺盛 な遊 び心 を持 つ芸術 家 を軽蔑 してきた」「ではピカソやミロはどうなるだろう。絵 をやり彫刻 をやり版画 をやり陶器 をつくった。池田 満寿夫 はその上 小説 を書 き、随筆 を書 き、浮世絵 を研究 し、脚本 を書 き、映画 をつくったから、この多才 ぶりを美術 界 は俗物 扱 いにしてきた。余技 というものがなかった。どれを見 ても一流 だった。美術 批評 を業 としている連中 はおそらく内心 嫉妬 していただろう」(1997年 4月 5日 付 山形 新聞 )。
年譜
- 1934
年 (昭和 9年 )2月 23日 旧 満 洲 国 奉天 (現 ・中国 遼寧 省 瀋陽 )に生 れる。父親 は大学生 のとき、趣味 で油絵 を描 いていたという。池田 は、幼少 期 に最初 に描 いた絵 は「正面 から見 た双発 の航空機 だ」と回想 している - 1945
年 (昭和 20年 )(11歳 ) 8月 、万里 の長城 がある中国 ・張 家 口 で終戦 を迎 え、12月に母 の郷里 長野 市 に帰 る - 1948
年 (昭和 23年 )(14歳 )中学 の担任 教師 の影響 で平安 時代 の仏像 と考古学 に興味 を抱 く。上野 の国立 博物館 を初 めて訪 れ、縄文 人 の創造 力 に感嘆 する。また、地元 図画 教師 を対象 にした夏期 講習 会 に参加 し、モデルの少女 を描 いた油彩 を講師 の彫刻 家 石井 鶴三 にほめられて自信 をつける - 1951
年 (昭和 26年 )(17歳 ) 1月 、第 1回 全日本 学生 油絵 コンクール(毎日新聞社 主催 )で、油彩 「橋 のある風景 」(池田 満寿夫 美術館 蔵 )がアトリエ賞 を受賞 。審査 員 は安井 曾太郎 、寺内 萬治 郎 、鍋井 克之 、須田 国太郎 、猪熊 弦 一郎 、林 武 、脇田 和 ほか。上野 の国立 博物館 で開催 されたマチス展 と宗 達 ・光琳 派 展 を見 る - 1952
年 (昭和 27年 )(18歳 ) 3月 、長野 北 高校 (現 ・長野 高校 )卒業 。東京藝術大学 油絵 科 を受験 するが不 合格 。4月、画家 を志 して上京 、生計 のため盛 り場 を回 って似顔絵 を描 く - 1954
年 (昭和 29年 )(20歳 )東京藝術大学 彫刻 科 を2年 連続 して受験 するが不 合格 。自由 美術家 協会 展 で油絵 が落選 し、以後 公募 展 に出品 せず - 1955
年 (昭和 30年 )(21歳 ) 4月 、靉嘔、眞鍋 博 、堀内 康司 とグループ「実在 者 」を結成 。この年 、私家版 による最初 の詩集 発行 。ダダのフォトモンタージュを雑誌 で見 てコラージュを手掛 ける。11歳 年長 の下宿 の娘 と結婚 - 1956
年 (昭和 31年 )(22歳 )瑛 九 の助言 で、色彩 銅 版画 を始 め、エッチング、アクアチントを手掛 ける。 - 1957
年 (昭和 32年 )(23歳 ) 6月 、第 1回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 (国立 近代 美術館 、読売新聞社 共催 )公募 部門 に入選 。銅 版画 の技法 ドライポイントを一時 手掛 ける - 1958
年 (昭和 33年 )(24歳 )豆本 制作 を始 める - 1960
年 (昭和 35年 )(26歳 ) H氏 賞 を受賞 した詩人 ・富岡 多恵子 と同棲 する。11月、ドライポイントを再 び手掛 け、水墨 画 をヒントに独自 の線描 を確立 。第 2回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 招待 出品 で、文部 大臣 賞 を受賞 する。審査 にあたったドイツの美術 評論 家 ヴィル・グローマンが「日本 の能面 に通 ずる簡潔 な美 がある」と評 する - 1961
年 (昭和 36年 )(27歳 ) 2月 、岩波書店 の『世界 』にカットが採用 される。以後 、同 書店 『図書 』、『朝日 ジャーナル』、新聞 各紙 などに池田 のカットが掲載 されるようになる。新聞 の連載 物 の題字 も担当 。4月、上野 ・不 忍 画廊 で初 の銅 版画 個展 開催 。9月、第 2回 パリ青年 ビエンナーレ展 で版画 部門 優秀 賞 受賞 - 1962
年 (昭和 37年 )(28歳 ) 10月 、第 3回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 で東京 都知事 賞 受賞 。国際 審査 員 のウィリアム・S・リーバーマンに認 められる - 1964
年 (昭和 39年 )(30歳 ) 11月、第 4回 東京 国際 版画 ビエンナーレ展 で国内 大賞 に当 たる国立 近代 美術館 賞 を受賞 。リーバーマンは翌年 のニューヨーク近代 美術館 での個展 を企画 - 1965
年 (昭和 40年 )(31歳 ) 2月 、川端 康成 原作 、篠田 正浩 監督 の映画 「美 しさと哀 しみと」の中 で、オランダ人 画家 ボッシュの絵 に似 た水彩 画 を描 く。6月、第 6回 リュブリアナ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 。7月、富岡 多恵子 とサンフランシスコ経由 ニューヨークへ。米国 陶芸 界 の第一人者 ピーター・ヴォーコスと会 う。8月、池田 満寿夫 の版画 展 (ニューヨーク近代 美術館 )開催 。東京 国際 版画 ビエンナーレ展 の審査 員 を務 めたウィリアム・S・リーバーマンが企画 する - 1966
年 (昭和 41年 )(32歳 )中国 系 米国 人 の画家 リランと出会 いロサンゼルスで同棲 を始 める。6月、第 1回 クラクフ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 。第 33回 ヴェネツィア・ビエンナーレ展 版画 部門 で国際 大賞 を受賞 。銅版 画 の技法 メゾチントを手掛 け、初 めてリトグラフを制作 する - 1967
年 (昭和 42年 )(33歳 ) 3月 、芸術 選奨 文部 大臣 賞 を受賞 。グローマンの推薦 でドイツへ留学 。ヨーロッパ各地 の工房 で版画 制作 を試 みる。 - 1969
年 (昭和 44年 )(35歳 ) 6月 、第 8回 リュブリアナ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 - 1970
年 (昭和 45年 )(36歳 ) 6月 、第 3回 クラクフ国際 版画 ビエンナーレ展 入賞 。第 17回 アメリカ国内 版 画展 (ブルックリン美術館 )入賞 - 1972
年 (昭和 47年 )(38歳 ) 2月 、初 の本格 的 な画集 『池田 満寿夫 全 版画 作品 集 』(美術 出版 社 )刊行 。3月、米国 イースト・ハンプトンにアトリエを構 える。小型 の電気 窯 を購入 したが使 わなかった - 1976
年 (昭和 51年 )(42歳 )春 、『野性 時代 』編集 長 の誘 いで、ホテルに缶詰 になり、小説 『エ ーゲ海 に捧 ぐ』を5日間 で執筆 - 1977
年 (昭和 52年 )(43歳 ) 7月 、『エ ーゲ海 に捧 ぐ』が芥川賞 に選 ばれる。同時 受賞 は三田 誠 広 の『僕 って何 』 - 1979
年 (昭和 54年 )(45歳 ) 1月 、初 監督 作 の映画 「エ ーゲ海 に捧 ぐ」が完成 。10月、イースト・ハンプトンを引 き揚 げ、帰国 する - 1980
年 (昭和 55年 )(46歳 ) 1月 、池田 と佐藤 陽子 の「新 しい門出 を祝 う会 」が催 される - 1981
年 (昭和 56年 )(47歳 ) 4月 、「池田 満寿夫 25年 の歩 み自選 125点 」展 開催 。10月まで映画 2作 目 「窓 からローマが見 える」を制作 - 1982
年 (昭和 57年 )(48歳 ) 12月、東京 から熱海 市 海光 町 へ転居 する - 1983
年 (昭和 58年 )(49歳 ) 8月 、静岡 県 下 伊豆 町 の岩殿 寺 窯 で初 めて作 陶 する。12月、TVドラマ「大奥 」を演出 - 1984
年 (昭和 59年 )(50歳 ) 5月 、初 の陶芸 展 を東京 、髙島屋 日本橋 店 で開 き、約 120点 を発表 。7月、NHK総合 テレビの推理 ドキュメント番組 「謎 の絵師 ・写楽 」で「写楽 は役者 中村 此蔵」と発表 - 1986
年 (昭和 61年 )(52歳 ) 5月 、国立 国会図書館 新館 ロビーに大型 タピスリー・コラージュ「天 の岩戸 」を設置 。7月、埼玉 県 狭山 市 新 庁舎 に陶 壁 を設置 。12月、熱海 市 下多賀 にガス窯 と電気 窯 を備 え、版画 用 プレス機 を備 えた「満 陽 工房 」(広 さ約 100坪 )を設立 - 1987
年 (昭和 62年 )(53歳 ) 10月 、テレビドラマ「必殺 仕事 人 ワイド大老 殺 し下田 港 の殺 し技 珍 プレー好 プレー」(朝日放送 )に安藤 広重 役 で出演 。 - 1989
年 (平成 元年 ) (55歳 )相模鉄道 6000系 「アートギャラリー号 」のデザインを手掛 けた(3月 運行 開始 )。 - 1990
年 (平成 2年 )(56歳 )秋 、池田 の助言 で、山梨 県 増穂 町 に増穂 登 り窯 が開 窯 。翌年 から登 り窯 や穴 窯 で焼成 を試 みる - 1991
年 (平成 3年 )(57歳 )縄文 土器 の土 で成形 し、岩手 県 藤沢 町 で2回 目 の野焼 きをしたが、炎 の力 で破壊 された作品 に美 を感 じる - 1993
年 (平成 5年 )(59歳 ) 6月 、薪 窯 で野焼 き風 に焼成 できるよう、増穂 登 り窯 の敷地 内 に自 ら考案 した薪 窯 「満寿夫 八方 窯 」を築 窯 。池田 は作品 表面 に灰 が付 いたり、“火 前 、火 裏 ”が分 かるような作品 は嫌 いだった - 1995
年 (平成 7年 )(61歳 ) 5月 、2年 かけて制作 した般若心経 シリーズの作品 を発表 。5月、京都 市 、清水寺 で、阪神 ・淡路 大震災 の犠牲 者 鎮魂 のため、縦 4m×横 7mの和紙 に「般若心経 」の経文 を揮毫 - 1997
年 (平成 9年 )(63歳 ) 2月 、最後 の陶 の作品 「土 の迷宮 」シリーズを焼成 する。3月8日 、急性 心不全 により死去 。死後 、新聞 各紙 には「多彩 さが日本 での評価 妨 げ」など池田 を悼 む美術 評論 家 らの原稿 が掲載 される
死後 、開 かれた全国 規模 の回顧 展
- 2000
年 、「池田 満寿夫 展 」(産経新聞 など主催 ) - 2002
年 、「黒田 コレクションから版画 家 池田 満寿夫 の世界 展 」(日本経済新聞 など) - 2008
年 、「池田 満寿夫 知 られざる全貌 展 」(毎日新聞 など主催 )
著書
画集 など
- 『
池田 満寿夫 集 』筑摩書房 (現代 版画 ) 1970 - 『
七 つのリトグラフ池田 満寿夫 オリジナル版 画集 』筑摩書房 1971 - 『
池田 満寿夫 全 版画 作品 集 』美術 出版 社 1972 - 『
池田 満寿夫 裸婦 素描 』美術 出版 社 1977 - 『
池田 満寿夫 グラフィティ』潮出版社 1977 - 『
池田 満寿夫 全 版画 』美術 出版 社 1991
小説 など
- 『
エ ーゲ海 に捧 ぐ』角川書店 1977 のち文庫 、中公 文庫 - 『
楼閣 に向 って』角川書店 1978 のち文庫 - 『シナリオ
エ ーゲ海 に捧 ぐ』角川 文庫 1979 - 『
窓 からローマが見 える』角川書店 1979 のち文庫 - 『
私小説 わが青春 の文学 と性 の遍歴 』文藝春秋 1980 - 『ズボンの
中 の雲 』角川書店 1980 - 『マンハッタン・ラプソディ』
角川書店 1982 のち文庫 - 『
楽園 のこちら側 』中央公論社 1984 「10フランの恋人 」文庫 - 『ふじやまげいしゃ』
講談社 1985 「ロマネ・コンティ」中公 文庫 - 『
女 のいる情景 』日本経済新聞社 1988 のち朝日 文芸 文庫 - 『
尻 出 し天使 』新潮社 1991 のち中 公文 庫 - 『
時 の乳房 』角川書店 1997
随筆 ・対談 ・評論
- 『
私 の調書 』美術 出版 社 1968 のち角川 文庫 - 『
模倣 と創造 偏見 のなかの日本 現代 美術 』中公新書 1969 のち文庫 - 『
私 自身 のアメリカ』朝日新聞社 1973 のち講談社 文庫 - 『
思考 する魚 』番 町 書房 1974 のち角川 文庫 - 『
私 の調書 ・私 の技法 』美術 出版 社 1976 - 『
美 の王国 の入口 で私 のなかの世界 美術 』芸術 生活 社 1976 - 『
鳥 たちのように私 は語 った対談 集 』角川書店 1977 - 『
日付 のある自画像 』講談社 1977 - 『
複眼 の思考 』白水 社 1980 - 『
親 しい友 への手紙 』新潮社 1980 - 『
葡萄色 の愛 』主婦 と生活社 1982 - 『
私 のピカソ私 のゴッホ』中央公論社 1983 のち文庫 - 『ハーフ・プライバシー』
旺文社 文庫 1983 - 『お
尻 の美学 』講談社 1983 - 『
池田 満寿夫 の陶芸 伝統 への挑戦 』美術 出版 社 1984 - 『されど
写楽 』日本 放送 出版 協会 1985 - 『コラージュアフォリズム』
創 樹 社 1986 - 『コラージュ
論 』白水 社 1987 - 『
女 のための男 の手料理 』中央公論社 1987 「男 の手料理 」文庫 - 『
同心円 の風景 』毎日新聞社 1987 - 『
池田 満寿夫 おくのほそ道 ・みちのく紀行 』日本 放送 出版 協会 1989 - 『
美 の値段 』光文社 (カッパ・ホームス) 1990 - 『
女 の原色 図鑑 』フットワーク出版 1991 - 『そこで
夢 はかなえられる人生 の時 を大切 に-アートに話 そう』青春 出版 社 1994 - 『
般若心経 池田 満寿夫 の造形 』同朋 舎 出版 1995 - 『しっぽのある
天使 わが愛犬 物語 』文藝春秋 1995 のち文庫 - 『エロチックな
旅 』求 竜 堂 1996 - 『
池田 満寿夫 絵画 を語 る』白水 Uブックス 1997 - 『
富嶽 百 八景 』朝日新聞社 1998
共著
数学 とエロチシズム広 中平 祐 講談社 1977.10 のち文庫 反 美的 生活 のすすめ横尾 忠則 河出書房新社 1977.9男 と女 桐島 洋子 対談 講談社 1978.8 のち角川 文庫 昼 の眠 りと夜 の目醒 め佐藤 陽子 講談社 1979.8- エロスの
美学 比較 文化 講義 加藤 周一 対談 朝日出版社 1981 (Lecture books) 食 后 のラブレター佐藤 陽子 主婦 の友社 1984.10- これが
写楽 だ池田 満寿夫 推理 ドキュメント川竹 文夫 日本 放送 出版 協会 1984.11 - クライマックスはご
一緒 に いつまでも“男 と女 "でいるための愛 し方 佐藤 陽子 主婦 と生活社 1986 - こういう
女 ならすべて失 ってもいい佐藤 陽子 青春 出版 社 1988.9 のち文庫 芸術 家 になる法 金田 石城 対談 現代書林 1997.1
出演
テレビドラマ
大奥 (1983年 のテレビドラマ)第 44話 天使 たちのエロス(1984年 2月 7日 、フジテレビ系列 ・東映 ) -質屋 の店主 役 監督 作品 必殺 仕事 人 ワイド大老 殺 し下田 港 の殺 し技 珍 プレー好 プレー(1987年 10月 2日 、朝日放送 ・松竹 ) -安藤 広重 役
バラエティ
- クイズなんでも
一番 館 (レギュラー、朝日放送 テレビ) 日立 世界 ・ふしぎ発見 !(準 レギュラー、TBS)
ドキュメンタリー
- NHK
特集 池田 満寿夫 推理 ドキュメント(NHK) 世界 名画 の旅 (テレビ朝日 )
CM
参考 文献
- 「
池田 満寿夫 知 られざる全貌 」展 図録 (2008年 )
脚注
注釈
出典
- ^
池田 満寿夫 追悼 文 :「破壊 と再生 王道 を歩 む」『日本経済新聞 』1997年 3月 9日 付 夕刊 、瀬木 慎一 「損 なわれぬ創造 的 な意義 」『読売新聞 』1997年 3月 10日 付 夕刊 、中原 佑介 「多才 さが日本 での評価 妨 げ」『朝日新聞 』1997年 3月 17日 付 夕刊 、松永 伍一 「生 き方 ピカソと似通 う」『山形 新聞 』1997年 4月 5日 付 朝刊 - ^ a b c
東京 オペラシティアートギャラリー池田 満寿夫 知 られざる全貌 展 - ^
宮沢 壮 佳 『池田 満寿夫 :流転 の調書 』62ページ - ^
池田 満寿夫 さん急死 - ウェイバックマシン(1997年 7月 14日 アーカイブ分 ) - ^
池田 満寿夫 さん密葬 - ウェイバックマシン(1997年 7月 14日 アーカイブ分 ) - ^ スクープ・
池田 満寿夫 絶筆 - ウェイバックマシン(1997年 7月 14日 アーカイブ分 ) - ^ a b
池田 満寿夫 『池田 満寿夫 BOOK WORK』形象 社 、1978年 - ^
池田 満寿夫 『コラージュ論 』白水 社 、1987年 - ^
堀 元 彰 『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 作品 解説 、2008年 - ^
篠田 正浩 「私 の履歴 書 」『日本経済新聞 』2005年 8月 22日 付 朝刊 - ^
池田 満寿夫 ・金田 石城 『芸術 家 になる法 池田 満寿夫 対談 金田 石城 』現代書林 、1997年 - ^
池田 満寿夫 『複眼 の思考 』白水 社 1980年 - ^
浅野 秀 剛 『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 作品 解説 、2008年 - ^
池田 満寿夫 『私 のピカソ私 のゴッホ』中央公論社 、1983年 - ^
西山 恒彦 『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 作品 解説 、2008年 - ^
井端 理英子 ・中尾 美穂 「池田 満寿夫 の足跡 ・歴史 」『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 、2008年 - ^
浜田 重幸 「池田 満寿夫 の線描 と墨 」『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 、2008年 - ^ 『
朝日新聞 』1989年 5月 14日 付 夕刊 - ^
池田 満寿夫 ・野末 陳平 「野末 陳平 のおカネ対談 」「週刊文春 」1985年 1月 24日 - ^ 「
邦画 フリーブッキング配 収 ベスト作品 」『キネマ旬報 』1983年 (昭和 58年 )2月 下旬 号 、キネマ旬報社 、1983年 、117頁 。 - ^ 「ひとことで
言 うと怪人 」“好敵手 ”酒井 政利 氏 - ZAKZAK 2007/08/02 - ^
池田 満寿夫 『池田 満寿夫 私 の調書 』美術 出版 社 、1968年 、池田 満寿夫 『美 の王国 の入口 で私 のなかの世界 美術 』芸術 出版 社 、1976年 - ^
池田 満寿夫 『版画 芸術 』61号 、1988年 - ^
池田 満寿夫 「陶芸 随想 」『読売新聞 』1992年 8月 25日 付 夕刊 - ^
太田 治孝 「池田 満寿夫 と増穂 登 り窯 」『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 、2008年 - ^
浜田 重幸 「池田 満寿夫 の陶 とピーター・ヴォーコス」『池田 満寿夫 知 られざる全貌 』展 図録 、2008年 - ^
中村 真一郎 「本 を読 む」『毎日新聞 』1988年 12月9日 付 夕刊