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ハブール川 - Wikipedia

ハブールがわ

ユーフラテスがわ支流しりゅう

ハブールがわ(ハーブールがわ、ハブルがわ、カブルがわ、Khabur、Habor、Habur、Chabur、アラム:ܚܒܘܪ, クルド:Çemê Xabûr, アラビア:نهر الخابور Nahr al-khābūr)は、ユーフラテスがわおおきな支流しりゅうひとつ。トルコ南東なんとうマルディンけん丘陵きゅうりょう地帯ちたいトゥル・アブディン地方ちほう(Tur Abdin)にはっし、みなみながシリア領内りょうないはい乾燥かんそうしたジャズィーラ地方ちほう平原へいげんつらぬき、支流しりゅうジャグジャグがわわせ、同国どうこく東部とうぶのアブ・セライ(Abu-Serai、デリゾールより下流かりゅう古代こだいのキルケシウム/カルケシオン Circesium)でユーフラテスがわそそぐ。西にし並行へいこうしてながれるみずおおバリフがわとはちがい、ハブールがわとしのほとんどの時期じきかわワジ)となっておりみずはほとんどながれない。

シリア地形ちけい。ハブールがわはシリア北東ほくとうはし一帯いったい流域りゅういきとしユーフラテスにながれる

支流しりゅうにはアウェイジがわ(Aweidj)、ダラがわ(Dara)、ジルジブがわ(Djirdjib)、ジャグジャグがわ(Jaghjagh)、ラッドがわ(Radd)、ゼルガンがわ(Zergan)などがあるが、これらも同様どうようとしおおくはみずながれていない。これらの支流しりゅうおおくがながれるハブール川上かわかみ流域りゅういきは、きたはトルコ南東なんとう山地さんちみなみはジャズィーラの平原へいげんなかにそびえ東西とうざい方向ほうこうはしるアブダルアジーズ山地さんち(Abd Al-Aziz Mountains)およびシンジャル山地さんちはさまれた地域ちいきであり、メソポタミア南部なんぶより雨量うりょうおおい。しん石器せっき時代じだいには野生やせいコムギなど穀物こくもつ採集さいしゅうはじまり、現在げんざいはシリアの穀倉こくそう地帯ちたいとなっている地域ちいきである。これらの支流しりゅうハサカまちちかくでひとつに合流ごうりゅうし、アブダルアジーズ山地さんちとシンジャル山地さんちあいだとおって平野ひらのハサカけんつらぬいてデリゾールけんのアブ・セライでユーフラテスに合流ごうりゅうする。

トルコ南東なんとうには同名どうめいかわがある。このハブールかわはトルコのシルナク(Sirnak)にはっしてイラク領内りょうないのザホ(Zakho)にはいり、トルコ・シリア・イラクのさんカ国かこくせっする地点ちてんチグリスがわ合流ごうりゅうしている。

 
ハサカ南方なんぽうのテル・シェイク・ハマドでのハブールがわ

現在げんざい発見はっけんされているなか世界せかい最古さいこきゅう都市としであるハモウカル(テル・ハモウカル、Hamoukar)をはじめ、テル・ハラフ(Tell Halaf)、テル・エル・ファハリヤ(Tell el Fakhariya、ミタンニワシュカンニとするせつがある)、ナガル(Nagar、現在げんざいテル・ブラク Tell Brak)、シェフナ(Shekhna、アッシリアシャムシ・アダド1せいおうみやこシュバト・エンリルで、現在げんざいテル・レイラン Tell Leilan)、ウルケシュ(Urkesh、現在げんざいのテル・モザン Tell Mozan)など、シリアのさい北東ほくとうにあるしん石器せっき時代じだいさかのぼ重要じゅうよう考古学こうこがく遺跡いせきは、ハブールがわとその支流しりゅう流域りゅういき散在さんざいしている。

この周辺しゅうへん野生やせいのコムギなどの採集さいしゅうはじまったであり、のちにコムギはレバントで人為じんいてき栽培さいばいされるようになり、メソポタミア南部なんぶ灌漑かんがい農業のうぎょうにより大量たいりょう生産せいさんされるようになった。きたメソポタミアとシリアで紀元前きげんぜん2千年紀せんねんき前半ぜんはん遺跡いせきからつかっている彩色さいしき陶器とうきは、このかわをとりハブール土器どき(Khabur ware)とばれる。この土器どきつくったフルリじんはハブールがわ流域りゅういき拠点きょてんとして国家こっかきずき、なかでもミタンニ王国おうこく紀元前きげんぜん1500年代ねんだいから紀元前きげんぜん1300年代ねんだいにかけて、オリエント世界せかい強国きょうこくとして君臨くんりんした。

古代こだい記録きろくには、ハブールがわカボラスがわ(Chaboras)として登場とうじょうする。旧約きゅうやく聖書せいしょの「れつおう」や「歴代れきだいしたでは、アッシリアおうティグラト・ピレセル3せいヨルダン川よるだんがわ東岸とうがんらえたイスラエル王国おうこくみん一部いちぶしゅうとしてハブールがわ流域りゅういき移住いじゅうさせたことがかれている。祭司さいし預言よげんしゃエゼキエルは、カルデアのの「ケバルがわ」(Chebar)のほとりでしゅうみんあいだにいたころてんけてかみまぼろしたという(エゼキエルしょ1しょう)。このケバルかわはハブールがわともされてきたが、バビロニアニップル付近ふきん灌漑かんがいよう運河うんがでありハブールがわとはべつかんがえられている。れつおうは、アッシリアのシャルマネセル5せいによってサマリアから連行れんこうされたイスラエル王国おうこくしゅうがハブールかわ流域りゅういきのゴザン(Gozan, グザナ Guzana, 現在げんざいテル・ハラフ)に移住いじゅうさせられたことについてもれている(れつおう17しょう6せつ「…ヘラ、ハボル、ゴザンがわ、メディアのまち々にませた」、どう18しょう11せつ「…ヘラ、ハボル、ゴザンがわ、メディアのまち々にとどまらせた」)。

1960年代ねんだいはじまったハブールがわ計画けいかくではおおくのダムや灌漑かんがいよう運河うんがつくられたが、一方いっぽうのこおか水没すいぼつなども懸念けねんされたため発掘はっくつがすすめられた。現在げんざい、ハブールがわやその支流しりゅううえ流域りゅういき(トルコおよびシリアにまたがる地域ちいきクルディスタン一部いちぶ)は16,000平方へいほうkmにおよぶ肥沃ひよく農村のうそん地帯ちたいになっており、とくにシリアにおいては主要しゅよう小麦こむぎ生産せいさん地帯ちたいともなっている。またハブールがわ流域りゅういき北東ほくとうカーミシュリー付近ふきんはシリアの石油せきゆ生産せいさん中心ちゅうしんでもある。

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