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フランク・ギブニー - Wikipedia

フランク・ブレイ・ギブニーFrank Bray Gibney1924ねん9月21にち2006ねん4がつ9にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくジャーナリスト編集へんしゅうしゃ作家さっか学者がくしゃかれは、だい世界せかい大戦たいせんなかアメリカ海軍かいぐんにいるあいだ日本語にほんごまなび、その日本にっぽん駐在ちゅうざいした。東京とうきょうのジャーナリストとして、かれ日本人にっぽんじんについての人気にんきのあるほんである『Five Gentlemen of Japan』をき、そのヒューマニズムと戦争せんそうくるしみを超越ちょうえつしたことで歓迎かんげいされた。さらに日本にっぽんひがしアジアについて6さつほんた。かれはまたヨーロッパ共産きょうさん主義しゅぎについていた。ブリタニカ百科ひゃっか事典じてんは、翻訳ほんやく指揮しきし、太平洋たいへいよう盆地ぼんち研究所けんきゅうじょ創設そうせつしゃであった[1]

人生じんせいとキャリア

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ペンシルベニアしゅうスクラントンまれたギブニーは、ニューヨークそだった。レストラン経営けいえいしゃ息子むすこであるかれは、イェール大学だいがくへの奨学しょうがくきん授与じゅよされ、討論とうろんひいでていた。かれ教育きょういくは、だい世界せかい大戦たいせんによって中断ちゅうだんされたが、1945ねん不在ふざい古典こてん学士がくしごう授与じゅよされた[2] [3]

海軍かいぐんでは、コロラド大学だいがくにあるエリート日本語にほんご学校がっこうまなんだ。その海軍かいぐん情報じょうほうきょく将校しょうこうとして、パールハーバーちかくのイロクォイポイントに駐屯ちゅうとんした。そこでかれは、日本人にっぽんじん捕虜ほりょとそのなか将校しょうこうに、かれ日本人にっぽんじん日常にちじょうてき利用りようして尋問じんもんした。 1997ねんかれはハワイで「わたし日本人にっぽんじんるようになった」といた。戦後せんごかれは「寿司すしでの再会さいかいつうじて」囚人しゅうじんたちと連絡れんらくった。アメリカの職業しょくぎょうのために、かれ日本にっぽんうつされた[4][5][6]。「わたしはダグラス・マッカーサー将軍しょうぐん征服せいふくぐん困惑こんわくしているが受容じゅようてき日本にっぽん大衆たいしゅうとのあいだちいさな人間にんげんはしだった」 [7]

タイム外国がいこく特派とくはいんであるギブニーは、東京とうきょう支局しきょくちょうつとめた。かれは、ライフ論説ろんせつ委員いいんだった。かれは、ニューズウィークでシニア編集へんしゅうしゃになった。かれ住居じゅうきょ東京とうきょうのこり、そこから日本にっぽん韓国かんこく[8]東南とうなんアジアをカバーしていたが、ヨーロッパにも派遣はけんされた[9] [10][11]。ジャーナリストとしての経験けいけんから、かれ一連いちれんほん出版しゅっぱんはじめた。そのおおくは日本人にっぽんじんかんするものである。かれ最初さいしょの1953ねん、『Five Gentlemen of Japan』は、その文化ぶんかあいだ洞察どうさつひろ評価ひょうかされた[5][12]

1960年代ねんだい初頭しょとう、ギブニーは2つの雑誌ざっし短期間たんきかんはたらいた。かれ辞任じにんするまで、かれShowBusinessIllustrated編集へんしゅうしゃだった。そのかれ芸術げいじゅつ文化ぶんか焦点しょうてんてたその雑誌ざっし発行はっこうしゃになった。その雑誌ざっしは、とりわけ、「グロリア・スタイネムによるプレイボーイバニーワールドの秘密ひみつ露出ろしゅつ」のために記憶きおくされている[13][14]

1966ねんから1976ねんまで、かれブリタニカ百科ひゃっか事典じてん翻訳ほんやくたずさわり、編集へんしゅう委員いいんかいふく会長かいちょうつとめた。ブリタニカ百科ひゃっか事典じてん東京放送とうきょうほうそうシステムの合弁ごうべん会社かいしゃ社長しゃちょうでもあった[15][5]。1976ねん日本にっぽん政府せいふは「文化ぶんか問題もんだいにおけるかれ仕事しごとたいして」、かれ旭日きょくじつあきらだい3きゅう授与じゅよした。すうねん日本にっぽん政府せいふふたたかれ功績こうせき瑞宝章ずいほうしょうだい2きゅういわった[16]

1979ねん、フランク・ギブニーは、カリフォルニアしゅうサンタバーバラにパシフィックベイスンインスティテュート設立せつりつし、20ねん以上いじょうにわたって社長しゃちょうつとめた。それはかれ教授きょうじゅでもあったポモナ・カレッジ提携ていけいしていた。1997ねん研究所けんきゅうじょはポモナキャンパスに移転いてんした[17][5][18]

かれは、アカデミーしょう受賞じゅしょうしたドキュメンタリー映画えいが監督かんとくけんプロデューサーであるアレックス・ギブニーちちである。フランク・ギブニーは、2007ねん公開こうかいされたアフガニスタンのアメリカぐんについての映画えいがであるやみ」へについてのアレックスの物議ぶつぎかも映画えいがでインタビューされている [19]もう一人ひとり息子むすこ、ジェームズは、ニューヨーク・タイムズ編集へんしゅうしゃだった[20]

2006ねん4がつ9にち、81さいのときに、フランク・ギブニーは、カリフォルニアしゅうサンタバーバラ心不全しんふぜんくなった[12][21]かれは、34ねんった3番目ばんめつまである土井どい弘子ひろこと7にんどもたちをのこしてさきだった[22][23]

出版しゅっぱんぶつ

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ひがしアジアのほん

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ギブニーは10さつ以上いじょうほんき、さらにすうさつひがしアジアについてやく半分はんぶん共同きょうどう執筆しっぴつした。かれ日本にっぽんかんする5さつには、文化ぶんかてき文脈ぶんみゃくかれた日本にっぽん経済けいざいしょう慣行かんこうについておおくの議論ぎろんがある。

かれのデビュー小説しょうせつFive Gentlemen of Japan』 (1953ねん)は、ジャーナリスト、海軍かいぐん士官しかん鉄鋼てっこう労働ろうどうしゃ農民のうみん、そして昭和しょうわ天皇てんのう肖像しょうぞうとおして戦時せんじちゅうてき人道的じんどうてきえがいた最初さいしょほんの1つだった。」 [5]それは「おおくのアメリカじんに、危険きけん神秘しんぴてきであるとひろなされていたくにについてのかれらの最初さいしょ本当ほんとう理解りかいあたえた」。 「農民のうみんもと帝国ていこく海軍かいぐんふく提督ていとく新聞しんぶん記者きしゃ製鉄せいてつ所長しょちょう昭和しょうわ天皇てんのうのプロファイリングで、ギブニーは戦後せんご日本にっぽん社会しゃかい垣間見かいまみることができた。」 [24]

エリザベス・ヴィニングは、クエーカー教徒きょうと学校がっこう教師きょうしであり、当時とうじ昭和しょうわ天皇てんのう息子むすこである天皇てんのう太子たいしもと家庭かてい教師きょうしだった。彼女かのじょ、ニューヨーク・タイムズ書評しょひょうで、1953ねんの『Five Gentlemen of Japan』のほんについて、「鋭敏えいびん注意深ちゅういぶか分析ぶんせき」についてギブニーを称賛しょうさんした。 「かれらの肖像しょうぞう同情どうじょう洞察どうさつりょくえがかれている。どれも似顔絵にがおえではない」と彼女かのじょいています。これは、太平洋戦争たいへいようせんそうされた「映画えいがやそののプロパガンダとは非常ひじょうことなる」ものだった[25][26][27][28]

Japan: The Fragile Superpower』は、1975ねんかれほんで、現代げんだいしょう取引とりひき実践じっせんされている方法ほうほうなか伝統でんとうてき日本にっぽんがどのようにのこったかを説明せつめいしている。ギブニーは「アメリカと日本にっぽん文化ぶんかとビジネスの伝統でんとう対比たいひさせた」 [29]

かれの1982ねん著書ちょしょMiraclebyDesign』は、経済けいざい活動かつどうにおける日本にっぽん労働ろうどう倫理りんり全体ぜんたいてきなチームスピリットをとなえている。しかし、ある批評ひひょうは、ギブニーがその分野ぶんやっており、「独創どくそうてきでない権利けんり獲得かくとくした」ことを観察かんさつして、ここで日米にちべい企業きぎょうあいだのありふれた比較ひかく注目ちゅうもくしている[30]

ひがしアジア台頭たいとうげた『The Pacific Century』は1992ねん制作せいさくされたドキュメンタリー番組ばんぐみである。 19世紀せいきなかばから、この地域ちいき社会しゃかい経済けいざい調査ちょうさし、日本にっぽん焦点しょうてんてている。公共こうきょう放送ほうそうサービス同名どうめいの10構成こうせいのシリーズに採用さいようされ、エミーしょう受賞じゅしょうし、著者ちょしゃ特集とくしゅうした[31]。フランク・ギブニーによって設立せつりつされ主導しゅどうされたパシフィック・ベイスン・インスティテュートは、PBSシリーズの共同きょうどうプロデューサーだった。

ブリタニカ百科ひゃっか事典じてん在籍ざいせきちゅうかれ中国語ちゅうごくご朝鮮ちょうせん日本語にほんごへの翻訳ほんやく指揮しきした。百科ひゃっか事典じてん日本語にほんごやくは1975ねん登場とうじょうした。 1986ねん中国語ちゅうごくごばんは、あきらかに「中国ちゅうごく許可きょかされた最初さいしょマルクス主義まるくすしゅぎ参考さんこうしょ」だった。 [32] 10かんで6年間ねんかん努力どりょくだった。このはんは、微妙びみょうなテーマを非常ひじょう用心深ようじんぶかあつかった。 [33]

Korea's Quiet Revolution』(1992)では、韓国かんこくでのなが個人こじんてき経験けいけんから、経済けいざい成長せいちょうあらたな民主みんしゅ主義しゅぎについて分析ぶんせきしている[34][35]。このほんでは韓国かんこく歴史れきし概説がいせつつづいて、朝鮮ちょうせん戦争せんそう(1950-1953)と、韓国かんこく(ROK)での1960ねん短命たんめい民主みんしゅてきよんがつ革命かくめいつづく。そのぼく正煕せいき(1961-1979)の権威けんい主義しゅぎてき統治とうちでの漢江かんこう奇跡きせきについてべられたのち、その焦点しょうてん民主みんしゅ主義しゅぎのための闘争とうそうもどり、韓国かんこく泰愚てう大統領だいとうりょう(1988-1993)までをげている[36]の2つのしょうは、北朝鮮きたちょうせん政権せいけんかんするものである。付録ふろくには1950ねん、1954ねん、および1977ねん発行はっこうされた Gibney による3つの記事きじしめされている[37]

共産きょうさん主義しゅぎかんするほん

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共産きょうさん主義しゅぎのポーランドにかんするかれの1959ねんほん、 『The Frozen Revolution』は、1957ねんにギブニーがジャーナリストとしてポーランドをおとずれたときにはじまる。かれは1956ねんの「ポーランド10がつ革命かくめい」とばれるものを調査ちょうさするためにポーランドにった [5]。それは、共産きょうさん主義しゅぎ支配しはい継続けいぞくたいするソビエトの主張しゅちょうによって制限せいげんされ、政府せいふ半分はんぶん成功せいこうした変革へんかくだった。ギブニーは、その結果けっか中央ちゅうおうヨーロッパとロシアの「帝国ていこく共産きょうさん主義しゅぎ体制たいせい」をどのように真剣しんけん破壊はかいしたかをしめしている[38][39]かれはポーランドでの1950年代ねんだい後半こうはん共産党きょうさんとうヴワディスワフ・ゴムルカ知的ちてき生活せいかつ、カトリック教会きょうかい計画けいかく経済けいざい問題もんだいについてろんじている。また、だい世界せかい大戦たいせんちゅうきゅうドイツの土地とち、ポーランドのユダヤじん、ポーランドについてもげられている[40]

おなじく1959ねん出版しゅっぱんされた秘密ひみつ世界せかいは、ソビエトの秘密ひみつ警察けいさつについて説明せつめいした。ギブニーは1954ねんにソビエトNKVDから亡命ぼうめいしたピーター・デリアビンと共著きょうちょした。デリアビンはそのCIAはたらき、議会ぎかい委員いいんかいまえ時折ときおり証言しょうげんした。どうやら、このほんはデリアビンの自伝じでんタイニー・ミールとしてはじまったようである[41]

ギブニーは、1961ねん著書ちょしょ『The Khrushchev Pattern』で、1952ねんスターリンくなって以来いらいのこのソビエト指導しどうしゃ経歴けいれき評価ひょうかしている。 「ギブニーは、フルシチョフ権力けんりょくにぎまえにアナテマと名付なづけられたくにあたらしいマディソンアベニュースタイルの「パブリックイメージ」を世界中せかいじゅう達成たっせいするという驚異きょういてき広報こうほうトリックを成功せいこうさせたことをみとめている。」しかし、かれの「表面ひょうめんてき合理ごうりてき戦術せんじゅつ」は、スターリンのように危険きけんである。付録ふろくでは、世界せかい国々くにぐに共産党きょうさんとう状況じょうきょうかえっている[42]

ギブニーは、『Penkovskiy Papers』(1965ねん)に実質じっしつてき解説かいせつ寄稿きこうした。オレグ・ペンコフスキーは、 GRU (ソビエト軍事ぐんじ情報じょうほうきょく)の大佐たいさだった。このほんは、ペンコフスキーによって以前いぜんにアメリカの諜報ちょうほう機関きかん提供ていきょうされ、分類ぶんるいされたロシアのテキストの英語えいご翻訳ほんやくもとづいている。それはソビエト諜報ちょうほう機関きかんかれらの貿易ぼうえき技術ぎじゅつ内部ないぶしゃ見解けんかい提示ていじしている。そのロシアの著者ちょしゃ情報じょうほうげんは、公表こうひょうされた裁判さいばんのち、1963ねんにソビエト政府せいふによって処刑しょけいされた[43]。このほんとピーター・デリアビンとの共著きょうちょは、 CIAから要求ようきゅうされた資料しりょう利用りようした[44]

かれ作品さくひん評価ひょうか

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「フランクのおどろくべきことは、かれが1950年代ねんだい初頭しょとう素晴すばらしいほんき、50ねんってもまだ力強ちからづよいことである。かれ歴史れきしとビジネスと政治せいじ研究けんきゅうすることからふか視点してんっていて、それを大衆たいしゅうにうまくつたえることができた。フランクがっていたのとおなじエネルギー、あかるい態度たいど、ユーモアのわせをっているひとだれらない」とハーバード大学だいがくエズラ・ヴォーゲル教授きょうじゅはコメントした。かれは、フランクのかれ長年ながねん友人ゆうじんである[45]

参考さんこう文献ぶんけん

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著作ちょさく
  • Five Gentlemen of Japan: The Portrait of a Nation's Character (1953, reprint 2002)
  • The Frozen Revolution: Poland. A study in Communist decay (1959)
  • The Operators (1960) [about American white collar crime]
  • The Khrushchev Pattern. Coexistence and its working through international communism (1961)
  • Japan: The Fragile Super Power (1975, 3d ed. rev'd 1996)
  • Miracle By Design. The real reason behind Japan's economic success (1982)
    • 徳山とくやま二郎じろうわけ『ニュー・キャピタリズムの時代じだい -商人しょうにんどうとハイテック』(TBSてぃーびーえすブリタニカ、1983ねん
  • The Pacific Century: America and Asia in a Changing World (1992)
  • Korea's Quiet Revolution: From Garrison State to Democracy (1992)
共著きょうちょ
  • Peter Deriabin and Frank Gibney, The Secret World (1959)
  • Oleg Penkovskiy with Frank Gibney, The Penkovskiy Papers (1965)
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  • Hiromichi Yahara, Battle for Okinawa (1973; English translation 1995) [46]
  • Frank Gibney, editor, Unlocking the Bureaucrat's Kingdom: Deregulating the Japanese Economy (1998).
  • Katsuichi Honda, The Nanjing massacre: a Japanese journalist confronts Japan's national shame (1999), M.E. Sharpe, ISBN 0765603357
  • Frank Gibney and Beth Cary, editors, Senso: The Japanese remember the Pacific War (2006). [47]
  1. ^ See text for notes to sources.
  2. ^ Woo in The Los Angeles Times.
  3. ^ Fox in The New York Times (Yale degree).
  4. ^ Woo in The Los Angeles Times (Gibney quote, sushi quote).
  5. ^ a b c d e f Bernstein in The Washington Post.
  6. ^ Cf. Gibney (1953) pp. 179-185: Gibney on disposition of Japanese POWs in general.
  7. ^ Woo in The Los Angese Times (quoting Gibney from years later).
  8. ^ Bernstein in The Washington Post. "Gibney was one of the first news correspondents in Korea when major conflict arose there in 1950."
  9. ^ Pacific Basin Institute, "About our Founder".
  10. ^ Woo in The Los Angeles Times
  11. ^ Fox in The New York Times (journalist).
  12. ^ a b Fox in The New York Times.
  13. ^ Woo in The Los Angeles Times (quote re Steinem). The SBI was started by Hugh Hefner, and Show by Huntington Hartford.
  14. ^ Bernstein in The Washington Post (Steinem).
  15. ^ Fox in The New York Times (Encyclopædia Britannica).
  16. ^ Woo in The Los Angeles Times (Japanese awards).
  17. ^ Pacific Basin Institute at Pomona College.
  18. ^ Fox at The New York Times (professor).
  19. ^ Taxi to the Dark Side (2007), at IMDb.
  20. ^ Woo in The Los Angeles Times (son James).
  21. ^ Posthumously, the Journal of American-East Asian Relations, which Gibney had helped to found, established the Frank Gibney Award for a graduate student essay in the field. Frank Gibney Award at Brill.
  22. ^ Bernstein of The Washington Post (survived by family).
  23. ^ Woo in The Los Angeles Times (survived by family).
  24. ^ Woo in The Los Angeles Times (two quotes about Five Gentlemen).
  25. ^ Bernstein in The Washington Post ("distinct" quote about Vining review).
  26. ^ Woo in The Los Angeles Times ("keen" and "portraits" quotes form Vining review).
  27. ^ Cf. Roberts' 1954 review in Foreign Affairs.
  28. ^ Halloran's 2002 review in The Japan Times. The young Gibney referred to his book as "Five Gents".
  29. ^ Bernstein at The Washington Post (quote re 1975 book).
  30. ^ 1982 book review at Kirkus Review (quote re Miracle).
  31. ^ Bernstein in The Washington Post. Regarding The Pacific Century: his son Alex Gibney wrote the TV text.
  32. ^ Woo in The Los Angeles Times (quote).
  33. ^ Fox in The New York Times (description, quotes).
  34. ^ Zagoria in Foreign Affairs (quote)./
  35. ^ Gibney, Korea's Quiet Revolution (1992). Gibney, e.g., was a Time magazine correspondent in Korea in 1950 (p. 159).
  36. ^ Zagoria in Foreign Affairs. Gibney puts "the phases of Korea's development in clear perspective." He properly accents its "newly stable democracy" which usually is overshadowed by its surging economy.
  37. ^ Gibney, Korea's Quiet Revolution (1992).
  38. ^ Gibney, The Frozen Revolution (1959), pp. xiv, 4-15 (1956 events).
  39. ^ 1959 book review in Kirkus Review.
  40. ^ Gibney, The Frozen Revolution (1959).
  41. ^ Vronskaya in The Independent. Deriabin was in the NKVD; the KGB was formed just after Deriabin's defection.
  42. ^ 1961 book review in Kirkus Review (quotes).
  43. ^ Oleg Penkovskiy, The Penkovskiy Papers. With an introduction and commentary by Frank Gibney (New York: Doubleday 1965). Following his general introduction, Gibney provides specific introductions to each of the ten chapters, and an epilogue, contributing well over a hundred pages in all. Peter Deriabin was the translator (pp. v-vi).
  44. ^ Bernstein in The Washington Post (CIA involvement).
  45. ^ Woo of The Los Angeles Times (quoting Prof. Vogel). Another observer is quoted, stating that Gibney was unique "because he never shied from criticizing Japan, even if his criticism ruffled feathers among Japanese government and corporate leaders, most of whom were his close personal friends."
  46. ^ Edited with an introduction and commentary by Frank Gibney.
  47. ^ Subtitle: "Letters to the Editor of the Asahi Shimbun.

外部がいぶリンク

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