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プロノイア - Wikipedia

プロノイアまれ: πρόνοια pronoia)は、ひがしマ帝国まていこくによって、国家こっかへの奉仕ほうしえにみとめられた土地とち所有しょゆうけん徴税ちょうぜいけんのことをす。11世紀せいき後半こうはん以降いこう、プロノイアを貴族きぞくがその代償だいしょうとして軍事ぐんじ奉仕ほうしたしたとされる。このてんで、イスラム世界せかいにおけるイクター類似るいじする性格せいかくゆうする。「プロノイア」は、語源ごげんとしては「予想よそう」「配慮はいりょ」を意味いみする。中世ちゅうせいギリシア発音はつおんでは「プロニャ」。

概要がいよう

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背景はいけい

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11世紀せいき後半こうはん成立せいりつしたコムネノス王朝おうちょうは、中央ちゅうおう集権しゅうけんすすんだマケドニアちょうとはことなり、軍事ぐんじ貴族きぞく連合れんごう政権せいけんといった性格せいかくっていた。したがって、プロノイアの下賜かし交易こうえき特権とっけん容認ようにんつうじて、各地かくち軍事ぐんじ貴族きぞく融和ゆうわはか必要ひつようがあった。

内容ないよう影響えいきょう

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帝国ていこく土地とち所有しょゆうけん徴税ちょうぜいけんみとめ、その代償だいしょうとして国家こっかへの奉仕ほうし軍事ぐんじ奉仕ほうしなど)をもとめた。本来ほんらいいちだいかぎみとめられたものであって譲渡じょうと相続そうぞくみとめられていなかったが、末期まっきパレオロゴス王朝おうちょう時代じだいになると徐々じょじょ世襲せしゅう進行しんこうし、西欧せいおう封建ほうけんせいにおける封土ほうどおなじようなものになっていった。

パレオロゴス王朝おうちょう時代じだいには免税めんぜい特権とっけん政府せいふ官僚かんりょう禁止きんしなど様々さまざま特権とっけんがプロノイア保持ほじしゃあたえられるようになり、さい末期まっきには領民りょうみん裁判さいばんけんさえ政府せいふからプロノイア保持ほじしゃうつってしまった。これによって、地方ちほうたいする政治せいじ経済けいざいてき統制とうせい困難こんなんになった。また、土地とち管理かんりけん軍事ぐんじ貴族きぞくがその地域ちいき統治とうちしゃとして事実じじつじょう君臨くんりんすることになり、帝国ていこく分権ぶんけんすすんでいった。

一方いっぽう分権ぶんけんすすんだことによって、1204ねんだい4かい十字軍じゅうじぐんによる首都しゅと陥落かんらくラテン帝国ていこく成立せいりつも、各地かくち勢力せいりょくニカイア帝国ていこくなどひがしマ帝国まていこく後継こうけい自称じしょうし、ひがしマ帝国まていこくがしぶとくびることとなった。

心理しんりがく用語ようごとしてのプロノイア

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なお、「プロノイア」の原義げんぎは、ギリシャの「予想よそう」「配慮はいりょ」であるため、心理しんりがく文脈ぶんみゃくでは、「パラノイア」の反対はんたいとしてもちいられる[1]一般いっぱんしょでも、たとえば、「プロノイア」とは、「ぜん世界せかいとすべてのひとやモノは自分じぶんたすけるようにできているとつよしんじることであり、幸福こうふくたかひとはそうでないひとよりも31%も生産せいさんてきという結果けっかもあり、プロノイアになるか、すくなくともポジティブなめんるよう訓練くんれんをすると、よりよい決断けつだんをよりはやくできるようになり、より生産せいさんてきになって、さらにはこう収入しゅうにゅうやすいことをしめ研究けんきゅう結果けっか次々つぎつぎ報告ほうこくされており、ポジティブなめん集中しゅうちゅうすることは、それらを後押あとおしする方法ほうほう」というような紹介しょうかいのされかたをされる[2]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ James Egan, Your Teeth Can Explode (And Other Disorder Facts), 152
  2. ^ リチャード・ニュージェント「どんなときも絶対ぜったいれない自分じぶんになる 自信じしん秘密ひみつ50」(20 ポジティブさが自信じしんをつくる)

関連かんれん項目こうもく

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